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August 04, 2013

極初期型ベビーウルフ揮発油安全燈(炭鉱用カンテラ)

Baby_wlof  最初にこいつの写真を見たときには、ドイツかどこかのお土産品炭鉱安全燈の残骸かと思ったのですが、ちゃんとサイドからのロックボルトセフティーが付いてますし、実際に坑内に下がって使用された際に着いた傷が多数あり、ちゃんとした揮発油燈のような感じがしたため入札し、結果競争相手が無く開始価格で落札したものです。落札前によくよく調べるとベビーウルフ揮発油安全燈のわりと初期のタイプであることには間違いなく、出品が北海道のため、道内の炭鉱で使用されたとするとちょっとした新発見の予感がしました。
 実は昨年旭川から入手した2インチ短縮されたウルフ燈を日本国内ではベビーウルフ燈と呼んでいたようで、昭和初期の北海道内安全燈使用状況の資料を調べると、その取り回しのしやすさを歓迎して使用している炭鉱と、まったく使用していない炭鉱がはっきり分かれており、北炭系ではまったく使用されず、三井系では安全燈総数の一割ほどの数量をベビーーウルフ燈が占めていたらしいのです。ところが、外国では日本で言うベビーウルフ燈をジュニアウルフ燈と呼び、7インチ前後の高さでスケールが縮小された本当の小型安全燈をベビーウルフ、それより小さい安全燈をポケットウルフ安全燈というように区別しているらしく、今回入手したのが本当のベビーウルフ安全燈、前回入手したのがジュニアウルフ安全燈ということになるようです。またウルフ燈以外の油燈安全燈を含めてこのサイズの安全燈をスモールデュピティーランプというらしく、坑内労働者用ではなく、炭鉱主や上級幹部が坑内を見回るときに持ち歩く特別な安全燈で、坑内にいる時間がそれほど長くないため、普通の安全燈のように10時間以上の点灯時間が必要ではなく小型化した代わりに数時間の点灯時間しか持たないものらしいです。そのため、大は小を兼ねるではありませんが標準サイズのものがあればわざわざベビーサイズの安全燈を装備する必要もなく、日本で作られた、もしくは使われた記録がまったく無く、各地の炭鉱博物館でもベビーウルフと称する短縮ウルフ燈はあってもこのサイズの実際に使用されたベビーウルフ安全燈を見た記憶がありません。諸外国でもこのベビーウルフ安全燈は第一級のコレクターズアイテムで、普通サイズのウルフ燈の3-5倍の価格で取引されているようです。
 このベビーウルフ安全燈は外国コレクターの情報からすると、ボンネットが無くパラフィンマッチ式点火のものが一番古いらしく、その後鎧型ボンネットや丸型ボンネットが着いてライター式点火になったものが時代が下った新しいものらしいのですが、今回のものはまさしくアーリータイプのボンネットの無いものです。本家ドイツのフリードマン・ウルフ会社は各国にフランチャイズでウルフ安全燈会社を設立させ、イギリスでは1880年代にリーズ設立された代理店の経営がうまく行かず、1911年に清算されたのち新たにサウスヨークシャーのシェフィールドに、アメリカはニューヨークに所在地があり、イギリスではライター式点火器が使えないのでパラフィンマッチ式でマグネチックロックのものが、アメリカではライター点火式でサイドボルトロックのものがわりに多く、各国の実情の違いによって仕様が分かれます。実は第一次大戦後になるまでドイツ本国で製造されたウルフ燈が各地のウルフ安全燈会社を通じて輸入されていたため、第一次大戦中は当然敵国のドイツよりウルフ燈は入って来ず、アメリカでは大戦中の1915年に開発されたケーラー揮発油燈の台頭を許し、イギリスではアーネスト・ヘイルウッドが開発した一連の安全燈に刺激され、各社で高輝度安全燈の開発が盛んになったようです。アメリカのウルフ安全燈会社がアメリカ国内でウルフ燈を製造するようになったのは、ニューヨークからブルックリンに拠点を移した1921年からのようです。というのも本国ドイツの大戦後のとんでもないインフレで、まともに材料も調達できなくなった本国ウルフ燈会社からまとまった数を輸入することがかなわなくなったのでしょう。しかしそうなるとこのアーリータイプのベビーウルフ燈は何処から発売されたかはわからないものの、各国でウルフ燈が製造されるようになった以前の本国ドイツ製であることは間違いないようです。
 入手先はこちらから程近い由仁町からで、隣りは石炭によって町が形成され、炭鉱の閉山により最盛期の1/10まで人口が減った日本の炭都夕張です。出品者に話をよく伺ったところ、家族には炭鉱関係者はいないものの、どうやら三菱大夕張炭鉱の鹿島地区もしくは南大夕張炭鉱南部地区に住んでいた人から祖父もしくは父親が相当昔の時代に入手したのではないかという話で、それ以上の情報は得られませんでした。しかし、そうなると外国からの輸入雑貨に混じり、北海道に迷入したものではなく、夕張のどこかの炭鉱、おそらく三菱系の炭鉱で使用された可能性が高いようです。
 三菱大夕張炭鉱の歴史は、明治20年に石炭の露頭が発見され、明治30年になって試掘が始まり、大夕張炭鉱会社を経て三菱に買収され三菱大夕張炭鉱となったのが大正5年らしいので、安全燈の製造時期からすると、三菱買収以前の導入ということになり、そうなると果たして誰が持ち込んだのかということが判然としなくなります。三菱買収の大正5年ころにはまだ辛うじて安全燈の時代でしたが、そこから数年で急速に蓄電池式帽上燈が普及することになります。大夕張炭鉱は大きな事故も記録されないまま昭和47年に終掘され、それに先駆けて南部にビルド坑として最新の設備を備える南大夕張坑が開坑しますが、昭和60年に最新の設備を備えるこの炭鉱で死者62名を数える爆発事故が発生し、このことも遠因になり数年後には海外炭に押される形で閉山し、夕張から炭鉱が消滅することになるのです。いにしえに若松港に代わって日本一の石炭積出港だった苫小牧港は今年で開港50年を迎えますが、現在は逆に海外炭受け入れのコールセンターという50万トンが貯炭できる施設が設けられ、オーストラリアから大型船によって石炭が運ばれてくるのですから皮肉なものです。
 届いたベビーウルフ燈は本来2重であるはずの内側のガーゼメッシュとパラフィンパッチ式の点火器ならびに腰硝子が失われていましたが金網が落ちないように下吸気リングが上にさかさまにはめ込まれていました。本体はフックの部分を含めてきれいな総ニッケル鍍金で、いかにも鉱長や上級幹部などの管理する側の安全燈という風情で、シリアルナンバー以外にメーカーを示す刻印はありません。油壷とガードピラーリングのシリアルナンバーはマッチングでした。このベビーウルフの腰硝子はもちろんのこと通常のウルフ燈の腰硝子よりもかなり小さいオフサイズの腰硝子です。いくら破損しにくい外国製腰硝子とはいえ使い続ければいずれ破損してしまうわけで、そうなると国産の同サイズの腰硝子が無く、明治の時代に外国から簡単にこんなものを調達するわけにもいかないので、腰硝子が壊れてオシャカにしたということだったのでしょう。しかしまあ、いままで捨てずに取っておいてくれたおかげで、今当方の手元にあるわけです。過去のオークション履歴を調べ直してみると、3年前に「WOLF LAMPE」と銘板が付いた初期型のベビーウルフ安全燈が千段巻きのひあかし棒のついたカーバイド鉱山燈と一緒に出てきたことがありました。このベビーウルフ燈も腰硝子にひびが入っていて、どうやら通常サイズのウルフ燈に比べると炎とガラスの距離が短く、ガラス自体の体積も小さいため、腰硝子がすぐに熱くなりやすく、傾けたり水滴がそこに垂れたりすると通常サイズのウルフ燈と比べ破損し易かったのでしょう。過去にも発見例があることから、ある程度の数が日本国内に出回っていたことは確かですが、あまり実用品とは言いがたいため、安全燈大量購入に対する謝礼のような形で贈答品として何台か配られたものなのかもしれません。腰硝子がないとしようがないので、サイズのありそうなガラス瓶を切って腰硝子製作を企てるも、さすがはオフサイズの腰硝子だけあって、飲料から調味料の瓶まで定規を持って調べまくるも、似たサイズの瓶は大塚のファイブミニくらいしかなく、切り出してみると微妙に太くて結局はサイズが合いませんでした。そのため、上部リングと下部吸気リングの間に挟みこむ状態になっています。

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