A.W.FABER Nr.365 10"マンハイム型計算尺
HEMMI計算尺の量産化以前に日本国内にもたらされたA.W.FABERの計算尺は以前に広島の呉と香川の高松からそれぞれ入手したことがありますが、今回のものは群馬の藤岡市からで、藤岡市というと今や密かに計算尺になじみの無かった人たちに計算尺を認識させるきっかけになった映画「風立ちぬ」の主人公堀越二郎氏の出身地なのです。もっともこの計算尺は明治末期から大正初期の第一次大戦直前の製品のため、堀越二郎氏の大学進学よりも10年ほど遡った時期の計算尺であり、直接のかかわりはもちろんないでしょうが、藤岡市には明治末から大正の初めには計算尺を使いこなした開明的な人がいたようで、もしかしたら氏はそのような姿を見ていたのかもしれません。また藤岡市は江戸期の数学者・関孝和の出身地とされ、元々数学的な素養のある土地柄だったのかもしれません。
このFABER Nr.365は典型的なマンハイムタイプの計算尺で、実は逸見次郎が最初に量産化したJ.HEMMI No.1のコピー元なのです。もっとも直接のコピー元はNr.360がそのものずばりだと思いますが、このNr.365は目盛りの切り方がJ.HEMMI の後期型No.1/1そのものです。欧州に留学したときに入手した人は別として、日本で入手出来たのは主に銀座に店を構えていた玉屋商店でした。このNr.365は明治43年版の玉屋商店商品目録にイラストとして登場しており、大正4年の玉屋商店商品目録にはすでに計算尺としてのメインの扱いは逸見式改良計算尺となっていますが、A.W.FABERのマンハイム尺もまだ掲載され、このNr.365が#1927の目録番号で価格が6円となっています。実はNr.360とNr.365は同じ10インチマンハイム尺ながら本体の長さが異なり、Nr.360が28センチなのに対してNr.365は26センチと2センチ短い計算尺なのです。どうもA.W.FABERの10インチ片面尺は元来26センチの長さだったものが位取り指標などが加わった28センチに徐々に変わっていったようで、Nr.365は26センチサイズの最終の部類に入るものなのかもしれません。そのためカーソルを基線に合わせるとカーソルの片側がはみ出してしまうという、なんともちぐはぐな片面尺ですが、どうやら本体サイズも目盛りの切り方も19世紀末の無印A.W.FABERマンハイム尺を踏襲する由緒正しい計算尺らしいのです。19世紀のA.W.FABERマンハイム尺のカーソル形状を見ると、どうも基線付近はカーソル線ではなくカーソル枠のエッジを使うことが本則だったのかと思わせます。基線にカーソル線を合わせると片方のバネは外れてしまいますし、どうにも具合が悪いのです。玉屋の目録では材質が「柘植」となっていますが、見かけは櫛などに使われる柘植に非常によく似て非なる西洋梨材です。セルの剥がれ防止のためかセルロイドの両端に鋲が打たれており、A.W.FABERはこの鋲が金属ではなく木鋲です。そのためかセルの収縮に柔軟性があり、初期のJ.HEMMIのセルロイドがこの金属鋲の部分から割れやすいのにA.W.FABERの片面尺で鋲部分からセルが割れているものを見たことがありません。ちなみ玉屋の目録に材質がチーク材とある別計算尺の記載もありましたが、たぶんマホガニーの間違いでしょう。明治43年発行の玉屋商品目録にも同じNr.365である玉屋の整理番号#1927としてすでに掲載されています。しかし、当時の6円の価値というと現在にしてどれくらいでしょうか?換算基準として金の価格、初任給、米の価格等いろいろと尺度があるのでしょうが、当時は物価と比べると異常に人件費が安く(まさに資本による収奪が行われていたといわれても仕方がありません)勘案条件に現在の人件費との比較を入れるととんでもなく高額になってしまいます。そのため、物価を主な尺度に現在の貨幣価値と比べると当時の1円が現在の7千円から1万円に相当ということになるようです。そうなると6円の輸入片面計算尺は現在の価値にして4万2千円から6万円ということになり、たかだか10数円で一家が食うのに精一杯の一般庶民には、とても手が出なかった道具であったことがわかると思います。参考までにこのNr.365のほかにJ.HEMMIのNo.1/1(元来フレームレスカーソル付だったものが改良A型カーソルに交換されている)とNo.47の3本を並べてみましたが、これらの目盛りのデザインがすべて共通だということに注目していただきたいと思います。しかし、J.HEMMIのNo.1は昭和に入ってなぜFABERのNr.360からNr.365の古い目盛りデザインに変更したのか、また謎がひとつ増えてしまいました。
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