炭鉱用オイルウィックキャップランプ
形状故に油さしもしくはミルクピッチャーと誤認されそうですが、これは「オイルウィックキャップランプ」という主に米国の炭鉱や金属鉱山で19世紀中ごろから20世紀初頭まで使用されていた灯火器です。日本では帽子を被る風習がなく、坑内では褌に鉢巻というのが日常で、照明といえば灯明皿に灯心を載せたものや、巻貝の殻を使用した灯火器を主に坑内で使用し、良ければオランダ渡りのカンテラをそのまま鋳物師や金工細工師にコピーされた急須状の手持ち灯火器などを使用する程度だったので、帽子に装着する灯火器というのはアメリカからエジソン帽上蓄電池灯がやってくるまでまったく存在しませんでした。
それゆえに日本にあるものはすべて欧米からの買い付け品で、元から日本に存在したものはありません。そのため、日本の鉱山史、炭鉱史で考えると余計なものなのですが、欧米の炭鉱灯火コレクターの間では必要不可欠のジャンルを形成しており、安全灯以上に多種多様なオイルウィックキャップランプが収集されています。米国では1860年ごろから製造が始まったらしいのですが、やはり多いのが産炭地周辺で製造されたもので、以前ヒューズブラザーズのクラニー燈のときに調べたペンシルバニア州スクラントンあたりでも小規模の板金工場程度の製造メーカーが近辺の炭鉱向けに大量に生産していました。
今回、カーバイドキャップランプコレクターの某氏から譲っていただいたオイルウィックキャップランプはブラス製ではなくスチール製の丈夫なもので、とはいえ打ち傷だらけの歴戦のつわものです。メーカー名刻印が辛うじて読める状態ですが、その「DASIE」の名前にまったく聞き覚えはありません。しかし、所在地の「FROSTBURG」の刻印を見ておおよその出自がわかりました。その産地はメリーランド州フロストバーグで、全米屈指の製鉄・造船の町だったボルチモアやペンシルベニアのビッツバーグの産業を支えるために盛んに石炭を産出していた炭鉱の町だった場所です。フロストバーグは日本でいうと夕張のように山間地に存在していたたため、鉄道なくして石炭の輸送が成立せず、鉄道の開通によって本格的に石炭産業が隆盛を迎えたのは南北戦争期からのようですが、さすがにエレクトロシティーと異名をとったペンシルベニア州スクラントンのように採掘した石炭を利用した製鉄所が出来るほど地の利がなかたため、資源を他の都市に収奪されるだけで、石炭は僅かに耐火レンガ製造という産業に利用されたのを除き、地元の産業発展のためにはまったく寄与しなかったのは夕張と非常に似ていると思われます。2010年の人口も9千人ほどで、これも現在の夕張に似通っています。そういう町の主要産業である炭鉱を側面で支えたであろう板金工場の手になるオイルウィックキャップランプですが、おそらく親子兄弟と徒弟が何人かいる程度の事業規模の家内工業レベルの製品が殆どで、自ら改良を加えて特許を取得したような会社はほんの僅かです。材質は鋼板、真鍮板、洋白などがあったようですが、消耗品と割り切ってコストと耐久性のバランスを考え、鋼板を曲げてロウ付け加工しているものが一番多いようです。また、キャップに取り付けるため、またろうそく代わりということから手提げカンテラのような大きなものはありません。そのため安全灯のように10時間近く燃焼が維持するわけではなく、長く坑内にいる場合には火番所もしくは携帯用のオイル缶からこまめに給油を繰り返していたようです。
装着している布製坑帽は日本製で、エジソン帽上蓄電池灯の普及期にいっしょに入ってきた米国製坑内帽をコピーして日本で作られたものです。前立てに「安全第一」と型押しされていますが、九州あたりで使用されていた簡単な布製坑帽に比べて非常に凝ったつくりで、本体は帆布製ですが頭部を保護するライナーが皮で出来ており、金具により帽体からクィックリリースできるようになっています。おそらく日本でこういうアイデアがなかなか出せるものではなく、そのままコピーしたのでしょうが、逆に九州の直方あたりで作られた白い布製坑帽は前立てを後ろに延長してシールド代わりにし、坑帽内側を二重のパッドで保護するという構造のものです。双方とも米国の坑帽にはない皮のあご紐があるのが日本のオリジナルといえるかもしれません。なお、この黒い布製坑帽は北海道開拓記念館の展示品に同じものがあるようです。
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