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March 09, 2014

興洋商事5"プラ計算尺(三角関数付)

 この計算尺も企業などの宣伝に使用するために名前入れ専用に製造され、興洋商事から発売された5インチ計算尺のパターンモデルだと思われます。前回のものは表面しかないものでしたが、今回のものは滑尺裏に三角関数を備え、裏側に副カーソル線窓が開いており、上固定尺にはスケールも備えられているという逆尺付マンハイム5インチプラ尺です。発注先は赤丸にカタカナのフの字が白抜きになっているマークの時代の富士重工業で、自動車部門の発注だとするとまさにスバル360の時代の計算尺です。ケースが失われて本体だけでしたので、おそらく簡単なビニールケースが付属していたのでしょうか。興洋商事から名入りで出荷されていたこの手の5インチプラ尺は材質の関係か、50年以上経過した現在では端のほうが激しく反ってしまったものが多いようで、前回の物も今回の物も同じでした。しかも今回のものは全体に反ってしまった関係か、滑尺と固定尺の目盛りが甚だしく合わないという計算尺の機能としてはNGのものでした。もう少し分厚い素材を選べば反りにくかったのではないかと思いますが、そもそも計算尺自体が広告を入れるための宣伝用素材で、名入れマッチあたりと同じ扱いでしたから、本体にそこまでのクオリティーを求めるのは酷というものでしょう。まあ現在ではどのような会社の宣伝用ノベルティーになったかという興味しかありません。前回のものは表面のみ6尺(A,[B,CI,C,]D,K)の内容でしたが、今回の物は上部にメトリックのスケールも持ち、滑尺裏にS,L,T尺と裏板の一方に副カーソル線窓が開いたもので、ちゃんと透明な樹脂と副カーソル線が存在します。カーソルは前回の物と同じかまぼこ状断面のカーソルです。また特徴的な「CI」のロゴ配置も前回の物と同じです。
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March 08, 2014

鉱山用手提げカンテラ油燈

140306_102924  幕末から明治の初めにかけて、家屋の照明といえば蝋燭が非常に高価だったためになかなか普段使いにできず、主に種油を、ときには種油に魚油を混ぜたようなものを使用した灯明や行灯などが使用されましたが、ポータブルの照明として蝋燭の手燭以外に西洋から入ってきた器具を、そのままの形で真似して日本で製作された吊りカンテラが一般でも使用されたようです。このカンテラという語源はオランダ語のカンデラーで、英語のキャンドルと同意語のようですが、日本では主にひょうそくと呼ばれた陶器製の灯火器に類似した土瓶のような形のものの口に綿芯を立て、種油や魚油、ときには臭水(原油)などの液体燃料を使用した灯火器をカンテラと呼んでいたようです。ほとんど西洋から入ってきたものそのままの姿で製作されましたが、材質に鋳物と真鍮の主に2種類が認められます。鋳物のものは形態的に2種類あり、西洋でレンチキュラーランプと呼ばれる鋳物製の比較的に薄手のもので、蓋にピーコックなどの装飾摘みがついているものと、小型の土瓶のような姿のものが認められます。また真鍮製は土瓶型で、いずれも手燭でも梁や長押に引っ掛けても使えるように、鉤のついた柄のようなものが付いています。また朝鮮から渡ってきたカラスの頭のような形の比較的に小型の鋳物の吊り灯火器もあり、こちらは鎖がついていてその先端に鉤が付いているというもので、一般的には手燭兼用のものが屋内の台所や風呂場などで使用されたのに対し、こちらは主に鉱山で使用されたとも言われておりますが、これらの灯火器の歴史には詳しくありません。江戸期の金属鉱山の坑内では、灯明皿を使用した灯火や巻貝に芯を立てた灯火器などが使用されてきたようですが、幕末あたりから西洋渡りのカンテラを模したものが携帯用の灯火器として使用されるようになったようです。
  明治に時代が変わり、旧鉱業法が発効して誰でも国から鉱区を取得すれば地下の資源を自由に採掘できるようになり、各地に炭鉱や鉱山が次々に開鉱しますが、坑内の照明といえば江戸期と殆ど変わりませんでした。しかし、江戸期にはほとんど利用されてこなかった石炭が当初は製塩用に、のちに工業用や船舶用のボイラー燃料として大量に採掘されるようになるにしたがって、採掘場所もだんだん深度を増し、そろそろメタンガスの洗礼を受け始めてガス爆発の被害をこうむるようになる明治20年代後半からメタンガスに引火しにくいデービー安全灯やクラニー安全灯などの油安全灯が普及するようになります。
 その安全灯普及期まで主に炭鉱で使用されたのがそれまで一般で使用されていたブリキや真鍮製の手提げカンテラです。炭鉱用のカンテラは、主に産炭地周辺のブリキ屋がブリキの空き缶などを再利用して製作した土瓶に吊り下げの鉤がついたような形の灯火器で、やはり原型は西洋の鉱山用手提げカンテラそのままのようです。何せ軽く100年以上昔のブリキ製品ですから火にさらされ水にさらされ続けて錆びて朽ち果ててしまい、今となっては残っているものを目にすることは非常に稀です。現代に残っているのは腐食に強い真鍮板を使用したもので、おそらく本多船燈製造所や小柳金属品製作所のような灯火器専門の板金工場が安全灯製作以前に手がけていたものだと思われます。筑豊などで使用されていたブリキの手提げカンテラは断面が丸ではなく角のものが多いようですが、西洋のものに四角い油壷のカンテラが見つからないので、これは加工を容易にするための筑豊オリジナルなのかもしれません。地元のブリキ屋が空缶を利用して作っていたのでは数百個単位での受注に応じきれず、後のものは専門の灯火器製造業者の製作だということは容易に想像がつきます。今回入手した手提げカンテラは銅と真鍮板で出来ていますが、錆びて朽ち果てることはないにせよ、これだってけっこう珍しいのです。この手の灯火器は大抵芯を装着する土瓶の口に相当する部分が二重の構造になっていますが、これは一重だとすぐに熱が伝わってハンダが融けてしまい、ハンダ付けしてある土瓶の口が取れてしまうことと、当時の植物性油は粘性が高くて垂れてしまい、それを油壷に回収するためなんだとか。そういやそのためか口に円い鍔のついた灯火器も見かけます。また安全灯同様に吊り鉤がついていますが、ここの部分に鉄で作った「ひあかし棒」を取り付けて、坑木などに打ち込んで使用していました。金属鉱山のようにメタンガスの心配のない鉱山では明治の後期になるとポータブルのカーバイドランプに取って換わられますが、油灯カンテラからひあかし棒だけ取り外してカーバイドランプに取り付けることはよくされていたようで、今でもひあかし棒付きのカーバイドランプは昔鉱山が近所に存在した地方の納屋や農機具小屋などからよく見つかります。


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March 07, 2014

コンサイスA型計量単位換算器

 8エリアのOMさんから入手したコンサイスのA型計量単位換算器です。以前にも書きましたとおり、この換算表を中から引き出すデザインはatom氏によるとSama Etani氏という人のものらしく、同一デザインで用途別に目盛の変えられた各種の計算尺がSama社経由でアメリカに供給されていたようです。ご他聞に漏れずこのA型換算器も実験機器のメーカーが研究員に配った名入れノベルティーで、前回が高温滅菌器などの平山製作所のものでしたが、今回のものは真空ポンプなどの実験機器を製造しているアルバックという会社のもので、ケースにはマークが金箔押し、本体には社名とマークが青で印刷されています。昭和40年代後半の実験機器展示会かなにかで配られたものをまったく使わずに40年間しまいこんでいたそうで、まったくの未使用品でした。やはり研究員などに喜ばれるノベルティーとして実験機器の会社はけっこうこのコンサイスの換算尺を配ったようですが、もらったほうはあまりありがたみも感じず、活用もされずにしまいこまれる運命のようで、いままで目にしてきたコンサイスの換算尺は使い込まれた姿を目にしたことは一度もありません。もっとも単位換算は片面計算尺の裏側の換算表を見て計算するほうが楽でしょうし、HEMMIにしてもわざわざ製作したNo.P36だってあまり売れた様子はありません。また換算尺は仕向け国によって日常使用する度量衡が異なるので、仕向け国ごとにヤードポンドかメトリックがの違いを用意する必要あり、手間がかかります。この数量単位換算尺というのは、古来からいろいろな物が製作され、日本でも換算尺の特許は意外に多いようです。日本で一番換算尺が必要だったのは昭和に入ってからで、役所などの公式な計量単位が徐々にメートル法に換わることになって、尺貫法が頭に染み付いている日本人は馴染みのないメトリックに一種のパニックを起こし、木製・金属製・紙製の計量単位換算尺が雨後の筍のようにあちらこちらから販売されたことがありましたが戦後に入り、徹底的な計量法の規制のおかげで、日本人の頭も完全なメトリックに変ってしまい、昭和40年代には特別なヤードポンドの換算以外にさほど換算尺を必要としなくなったのが、この手の換算尺が売れなくなった原因ではないかと。
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March 06, 2014

RICOH No.159 両面電気用

 RICOHのNo.159電気用計算尺ですが、たまに未開封新品で発見されるのにもかかわらず、絶対数が少ないためかなぜか今まで当方のコレクション入りすることなく、今回入手したものが実は初めてです。Relay初期から輸出に出回っていた計算尺だと思っていましたが、なぜか国内からRelay時代のNo.159が出てくることは極めて稀で、大抵はRICOHにメーカー名が変わった赤蓋ベージュの貼箱以降のものばかりです。まあ、Relay時代からの電気用電子用計算尺は個性派ぞろいですが、何せ手元にないのでじっくりと観察する機会も無く、気にも留めていなかったのが本音でした。HEMMIのNo.255Dあたりと同様な両面計算尺だろうと思っていたのですが、実はかなりオリジナリティーを感じさせる計算尺で、一言でいうと、HEMMIのNo.153とNo.255を合体させたような内容の計算尺なのです。ダブルスターリレー時代の輸出用の型番にDE-1008というのがあり、この計算尺の国内向けの品番がNo.159かと思っていたのですが、今回改めて調べてみると、同じ延長尺を持つ両面電気用計算尺ながら、まったくの別物でした。また、昭和34年発行のRelay両面計算尺用説明書にはNo.157は掲載されていますが、No.158とNo.159が未掲載です。そのため、もしかしたら双方ともに昭和35年以降にラインナップに加わったものなのかもしれません。そうすればRelay時代のものが少ない、もしくは見当たらないことが理解できます。逆に輸出向けのOEM計算尺にNo.159に該当するものがないかどうか探したのですが、いまだにまったく同じものが見つからないので、おそらくそのままRICOH No.159として輸出していたのかもしれません。ところでまったく同じ尺種を持つRICOHの電気系計算尺にNo.2509というものがあります。この計算尺は延長尺を持たない以外はNo.159とまったく同じ計算尺で、さらにケースが青蓋ポリエチレンケースと黒ビニールサックケースしか見つからないので、おそらくは昭和45年以降の製品だと思います。No.159のほうにも昭和45年以降の製造物がありますので、形式的にはNo.159の後継はNo.2509なんでしょうが、わずかに併売されていた期間があったようです。No.159は今のところRICOH時代に替わったころのものから昭和40年代半ば過ぎくらいの物まで存在するようで、ケースが三種類、カーソルも三種類あります。ケースは初期が赤蓋ベージュ紙貼箱が一番古く、その後昭和40年から45年はじめころまで透明塩ビケース、その後青蓋クリームボディーのブロー成型ポリエチレンケースに変わっていきます。カーソルも初期がフレームレスカーソルで、その後合金の金属フレームカーソルに変り、昭和45年後半ごろからかメッキをかけたプラスチックフレームの小型カーソルになりました。今回入手したNo.159は埼玉の朝霞市からで、となりの和光市はヘンミの工場が存在した場所です。透明塩ビケースに入ったもので、カーソルは金属フレームの追加された中期型。本体の刻印は「SS-4」なので昭和45年の4月ですが他の計算尺では青蓋のポリエチレンケースが付属したものもありましたので、このころは機種ごとに双方のケースが混在した時期だったのでしょう。またこのNo.159はずらし尺ではないのでCIF尺がなく、当然のことグリーンCIFのものは存在しません。表面はLL-1,LL-2,LL-3,A,[ B,BI,K,CI,C,] D,LL3,LL2,LL1,の13尺、裏面がSh1,Sh2,P2,P1,[ Q,Sr,Sθ,Th,C,] D,T2,T1,L,の13尺の合計26尺で、HEMMIのNo.255Dの24尺をしのぎます。電気の計算からすると双曲線関数は同じですが、No.159はBI尺があり、さらに2乗尺を備えていて交流正弦波のベクトル計算が簡単なのに対してNo.255Dはこの部分がやや劣り、No.255Dは角度の度とラジアンが独立した目盛りを持っていて、インバースの三角関数尺と組み合わせて使用するのに対し、No.159はインバースの数字も付された度とラジアンの独立した正弦尺を持っているという差がありますが、HEMMIはNo.153とNo.255Dの2本ないとNo.159と同じ事が簡単にはできないという感じでしょうか。RicohのNo.151同様に全長35cmというオフサイズの計算尺で表面A,B,C,D尺および裏面のC,D尺に延長部分を持ちます。A,B尺のオーバーレンジ起点は0.75、終点は130(1.3と表記)、C,D尺のオーバーレンジ起点は0.87、終点は11.5になり、延長部分だけ赤で数字も目盛りも着色されています。日本で発売された電気系計算尺で150代の型番を持つ物は156,157,158,159の4本ですが、昭和34年発行の両面計算尺汎用説明書に掲載されている物はNo.157のみで、他の3本はそれ以降の発売だったのかもしれませんが、米国向けの電気系両面計算尺の中には日本で売られた上記4本のものと異なるダブルスターRelay時代のDE-1008のようなレイアウトのものが存在したようです。
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March 05, 2014

Relay No.150 (H.K-4) 両面機械技術用

 オークションの出品写真が不鮮明で形式名が特定できなくて昔よくやった何が出てくるかわからないという一種のバクチのような気持ちで落札したものですが、入札した瞬間に形式名の確証を得てしまい、ちょっと気持ちが萎えてしまった計算尺です。それというのもすでに一本同じ物を持っていたからなのですが、それがRelayのNo.150という両面計算尺です。以前入手したものはM.S-3刻印で当然リコー計器に社名が変わった次代の計算尺にも係わらず、箱は丹頂ベージュのRICOHの箱なのに中身の計算尺の刻印はRelayという妙なものでした。今回落札したのは確証どおり丹頂黒箱のRelayのNo.150でした。こうなったらRICOH移行期のNo.150と2本並べてその差を探るという興味しかありませんが、No.150自体さほど世の中にあふれているというわけではないので、いい機会になったかもしれません。滋賀の大津から届いたNo.150は刻印がH.K-4ですので昭和34年の4月製です。おまけにNo.82のB.K-2刻印のものが付属していまして、同じネームか彫り込まれていたところから、双方ともに紛れもなく同一人物によって使用されたものに間違いありません。その製造年の差が6年ですから中学でNo.82を買ってもらい、大学入学でNo.150を買ってもらったというような計算尺の個人史が想像出来ます。この時代のRelay両面尺にありがちな金具がクロームメッキの光沢仕上げのものです。以前のNo.150の記述と重複しますが、表面L,LL1,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2の10尺、裏面がLL0,LL00,A,[B,K,CI,C,]D,S,ST,Tの11尺の合計21尺で、ナローボディーの両面計算尺となります。π切断のずらし尺を備えたおそらくリッツの技術用両面計算尺ということになるようで、いちおう技術用の位置づけになると思われます。そもそもは米国向けのOEMから始まった計算尺で、アメリカ向けの初出荷は昭和28年ごろと現地在住のコレクター達に言われています。おそらくいちばん仕向け先ネームで売られたいわゆるOEM先の多いRelay計算尺で、INTERNATIONAL SLIDE RULE MUSIUM上のRELAY OEM一覧でもAA SR815,ALVIN 1151,COMPAS 1321,ENGINEER No.1500,JASON 802,LAFAYETTE F341および99-70310,MICRONTA 150,OLSON TL-373,SANS & STREIFFE 310,ZODIAK No.150というのがすべてこのRelay No.150なのです。そのOEMのNo.150の終焉もRICOH時代末期の昭和46年あたりまで続き、いかに長くこの計算尺が輸出されていたということがわかろうというものですが、このアメリカでの盛況ぶりに反して、日本ではほとんど注目されていないのが不思議でなりません。表面がL,LL1,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2の10尺、裏面がLL0,LL00,A,[B,K,CI,C,]D,S,ST,Tの11尺で、合計21尺を備えます。H.K-4とM.S-3の違いですが、当然のことながら尺種はすべて同じですが、目盛りの原版は新たに起こしたようで、数字表記や色の入れ方などの細かいことを別にして三角関数尺の角度単位がH.K-4は1°が60'単位なのに係わらずM.S-4はデシマルという大きな差があり、インバースの数字が赤で追加されているという違いもあります。普通だったら形式末尾に-Dといれたいところなのでしょうが双方が併売されたわけではないので同系式名マイナーチェンジということで、No.150の名をそのまま継承したようです。
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Ricoh150
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 上がNo.150(H.K-4)の表裏で下もNo.150(M.S-3)の表裏

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March 04, 2014

RICOH No.252  

 かなり以前にRelay時代のNo.252を手に入れましたが、今回のものはRICOH時代のNo.252です。理由はわかりませんがRelayの両面計算尺の旧命名本則から外れているため、ダブルスターRelay時代にはなかった両面計算尺のようですが、なぜか他のRelay計算尺にはない同長型の計算尺です。π切断ずらし尺を持つために技術用という位置づけなのでしょうが、そのコピー元はやはりHEMMIのNo.250あたりで、さらにむりやり源流をたどると、どうやらHEMMIのNo.250のルーツであるNo.150のコピー元・K & Eの4088-3あたりまでさかのぼれそうです。でもNo.252の誕生経緯をしらべてゆくと、意外なところの発注からこの形ができたことがわかりました。HEMMIのNo.250との違いは√10切断ずらしかπ切断ずらしの違いというのが大きく、対米輸出を意識したのかRelayのNo.252はπ切断のため、いちおう技術用という位置づけなのでしょう。HEMMI No.2664Sの三角関数が逆尺なのに対してRelayのNo.116が三角関数尺度が順尺であり、DI尺で数値を読むため、DI尺分1本多い尺度を持つということがありましたが、RelayのNo.252も三角関数が順尺で、双方とも裏面の一番下にDI尺を持ちながらNo.250にはないST尺が加えられていて、結局は1尺余分に尺種をもっていることになります。あまり売れなかった計算尺なのか、見かけることが少ない計算尺で、特にRelay時代の緑箱入りのものはレアものに近い感じです。
 今回入手したNo.252はRICOH時代のもので、おそらく塩ビの透明ケースに入れられていたもののようで、経年劣化でケースが失われ、本体のみで入手したものです。まあ、あまり調べられることも稀なReley時代とRICOH時代のNo.252の相違点などが見つかれば面白いと思って、その興味だけで入手したものです。Relayのものは「I.S-5」刻印が表面右下に入っており、RICOHのものは「N.S-2」刻印でした。どちらも佐賀の製造で、それぞれ昭和35年5月と昭和40年2月ということになります。おおよそ5年の差があるわけなんですが、Relayのほうは当時の他製品同様に逆尺の目盛も数字もすべて赤で入れられているのに対して、RICOHのほうはCI尺のみオール赤なのに対して、他の逆尺は記号と数字のみ赤で、目盛り自体は黒というような差異があります。C,D尺に存在する微小角計算用のゲージマークもRelay時代のものは度・分・秒の三種類が揃っているのにRICOHのものは度一種類に削減となってしまっているのは、RelayからRICOHに継承された一般の計算尺同様の現象です。しかし、RICOHのほうは三角関数尺すべてに赤字で逆数の数値が入れられるようになり、D尺でもDI尺でも数値が読めるという利点が増えました。基本的に双方とも角度はデシマル表記です。カーソルの形状は殆ど差が無いように見えますが、Relayのほうは分厚いアクリルの一枚板で固定尺滑尺と常にこすれる構造なのに対し、RICOHのほうは固定尺とあたる部分に僅かに突起をつけて面でこすれないような構造に変わっています。またπのマークもRelayのほうは足がはねた通称「釣り針足」なのに対してRICOHははねのないπになっています。またRelayのほうは裏面A,B尺にπゲージがありますが、RICOHのものでは省略されています。またこのπゲージは表面の釣り針足ではなくはねのないπマークという「ひとつの計算尺にπの書体が2種類ある」という珍しい状態になっています。入手先は東大阪で、前回のRelay時代のNo.252も大阪からでした。
 ところで、このNo.252はRelay/RICOHではワンアンドオンリーの同長尺なのですが、実はアメリカ向けのOEMにU.S.GOVERNMENTの刻印が入れられたものがあり、どうやら米国政府が示した仕様によって作られたため、PICKETのような同長型の姿になったようです。軍用ならこのようなπ切断でありながら事務系のような内容の計算尺になってしまったというのもわかります。以前に米軍が使っていたK & Eなどの計算尺を入手していますが、どれも特殊な関数はなく、日本でいうと初心者用とされてしまうような内容の計算尺でした。せっかく金具などを新たに起こしたので、米国政府向けのOEM輸出だけではもったいないと思ったのか、国内販売もしたものの、国内向けの販売はあまりはかばかしくはなかったようで、意外に見かけることの少ない計算尺です。
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 上2点RICOH No.252の表面裏面 下2点Relay No.252の表面裏面

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March 03, 2014

OTA'S STAR☆SLIDING RULE 太田スター計算尺

 生物の進化の過程をビジュアルとして表す手段として「系統樹」という図表をよく使用していますが、先祖を同一としながら途中で枝分かれをし、片方は後の時代まで発展して繁栄していったのにもかかわらず、もう片方は進化途上で何らかの理由で絶滅し、その系統が絶たれてしまうというような図を我々はよく目にしています。その絶滅の理由はいろいろありますが、周りの環境の激変へ対応できなかったり、新たに進化した生物との生存競争に敗れて淘汰されるなどが従来から考えられてきました。 国産の計算尺の進化といいますと、明治の末期に逸見次郎や河井精三などが計算尺の製造に着手したことは知られていますが、後に世界的な計算尺メーカーになったヘンミ計算尺以外は河井精三の計算尺工房が理研光学の市村清に買い取られてStrong印計算尺となり、それを基盤にRelay計算尺、さらにRicoh計算尺まで発展していった以外には国産計算尺黎明期のものは系統樹にさえ名を残さないようなものばかりです。そのような計算尺は知っている限りではTAKEUCHI計算尺と、このOTA'S STAR計算尺があります。この双方とも逸見式改良計算尺同様にA.W.FABERのマンハイム尺を祖先とし、ここからスタートしたものの、HEMMIが竹製計算尺の特許を武器に世界に販売網を広げたのに対し、これらの計算尺は木製マンハイム尺から進化できず、まったくその名も広く知られないうちに進化し続けるHEMMI計算尺に淘汰されてしまったのはまさに生物の進化の系統樹を見るような感じがします。一将功成りて万骨枯るるじゃありませんが、淘汰されてしまった計算尺はごくまれにオークション上に姿を現す以外にはまったく情報もなく、おそらく創業者の名前を冠したという以外にはまったく情報も無く、何時何処で誰が何時頃まで作っていたかということも皆目わかりません。
 今回入手したOTA'S STAR SLIDING RULEという木製マンハイムタイプ計算尺は、過去に一度札幌方面から出たものしか知りません。そのときのものはおそらく日本一の計算尺コレクターである某氏のもとに納まりましたが、形態的にはA.W.FABERのマンハイム尺のフルコピーで、ケースまで楕円断面のA.W.FABER計算尺のものそのままでした。カーソルはアルミフレームの位取りつきのもので、J.HEMMI計算尺でいうとNo.2相当のものです。この位取り付カーソルもJ.HEMMIのNo.2の初期型そのもので、その当時はJ.HEMMIに至っても自社で金物まで作ることが可能な事業規模の会社ではなかったため、同一の板金加工業者からカーソルを仕入れていた可能性もあります。そうなるとJ.HEMMI時代にカーソルの形状が目まぐるしく変わってゆくことも納得できるような。このOTA'S STAR計算尺には本体にもケースにもPAT.36031のパテントナンバーが打たれてます。今回静岡の三島近辺から発掘されたOTA'S STAR計算尺は前回のものよりさらに若干進化を遂げた計算尺で、本体は同一ながら位取りカーソルがアルミ枠のものから、なんとフレームレスカーソルになっているのです。このカーソルはパテントを申請したのか特許申請中の刻印が入れられていました。残念ながらオリジナルケースが失われていて、手製の布サックに入れられていました。どうやらJ.HEMMIが大正15年式カーソルに変わったように何らかの理由で以前に使用していた位取りカーソルが入手出来なくなって、自社製のカーソルを作らざるを得なくなり、それならば当時欧米計算尺で主流になっていたフレームレスカーソルにして、そこにポインターを無理やり取り付けたというのが真相でしょうか?はたして位取り付きカーソル以外のモデルがあったのかどうかはわかりませんが、このOTA'S STAR計算尺は大正初期に売り出されて少なくとも昭和初期までは存在したのでしょう。しかし、世の中に逆尺付きのポリフェーズドマンハイム尺が普通となり、ヘンミの竹製計算尺の特許が失効した時点で特許回避で木製計算尺に逃げ込む意味もなくなり、さらに昭和初期の金融恐慌などの影響も受けてあえなくフェードアウトしてしまったのではないかと思います。また、そもそもは第一次大戦中にドイツからの計算尺の供給が絶たれた連合国向けに輸出を目論んだことはJ.HEMMI計算尺と同様だと思いますが、欧米の計算尺研究者の文献の中にも当方が知る限りではその名前さえ目にすることはありません。実際にはまったく輸出に回らなかったのかもしれません。さらに玉屋や中村浅吉測量機械店などの取り扱い目録などにもその名を見ることは出来ず、はたして当時はどういうルートで売られていたのさえ調べるのが困難です。
 売主によるとこの計算尺は三島近辺の古屋の解体で出てきたそうで、その持ち主というのがその家主の祖父にあたる方で、その方は旧鉄道省勤務だったとのこと。ケースが滅却したのち手製の布袋を作り、その中に入れて丁寧に使用していたようです。届いたこの計算尺は木製とはいってもマホガニー材の計算尺でした。構造はほぼA.W.FABERの木製尺そのもので、二分割された上下が金属板でつながれていて滑尺との隙間を調整できる構造です。またこの調整用金属板は金属枯渇期の戦時尺のように3枚のセパレートな板が使用されています。J.HEMMI時代のNo.1のように裏面に金属が使用されているわけではなくA.W.FABER同様に木材面がむき出して、そこに換算表がはめ込まれていましたが、その換算表はJ.HEMMIのものと印刷活字の違いがあるにせよまったく同一の内容で、双方ともにA.W.FABERから丸々コピーしたものなのかもしれません。滑尺の凸部の双方に補強のためか金属板が埋め込まれており、この構造がPAT.36031だったのかもしれません。さすがに日本の気候風土に合わせて試行錯誤を繰り返し、やっと竹の積層構造としたJ.HEMMI計算尺と異なり、マホガニーを使用してA.W.FABER同様の木製尺を作り上げてしまったために、経年のセルロイドの収縮で本体が表面側に反ってしまってます。そのため、滑尺の抜き差しに支障が出るほどになってしまっています。A.W.FABERの場合は材質が緻密な西洋梨材ですから問題がありませんが、本来マホガニー材の片面計算尺であれば相当分厚くする必要もあり、さらに反りを防ぐための何らかの工夫も必要で、まあ創世記の国産計算尺ですからそういうことも知らなかったとしても当然でしょうか。またどこからマホガニー材を調達したのかもわかりませんが、材料の良し悪しを知るノウハウもなかったのでしょう。
 J.HEMMIのNo.1と比較してみると、幅が少々狭い計算尺で、平面部分が2.6cm、スケール部分を含めると3.1cmというところです。工作の精度などは悪くなく、さすがは指物師のわざが生きていた時代の産物とでもいうべきものなのですが、材料が逸見次郎のパテントによって竹が使えないために、その工作精度を生かすことが出来ず、今では計算尺として実用にならないほど反ってしまったのは仕方がないことですが、構造までA.W.FABERをコピーせずに他の木製計算尺のように厚さを増やすなりなんなり工夫をすれば、まだ何とかなったのではないでしょうか?結局は逸見次郎のパテントが切れたあとは国産計算尺の材質はプラスチック素材が出てくるまで、終戦直後の粗製濫造期や極端な安物計算尺を除き、竹の素材一辺倒となります。ところで、今回のOTA'S SLIDING RULEは時代の下ったものからか、裏側に副カーソル線窓が開いているのにも係わらず滑尺裏がブランクというもので、当時の技術系の人間にとってもっとも計算尺を使用する理由だった三角関数がばっさりカットされていました。表面4尺のみの構成で、乗除算のみに特化してしまっていますが、副カーソル窓が開いていながら滑尺裏がブランクということは、何か理由がありそうです。当然、前回出てきたモデルにはちゃんと三角関数がありましたが、今回のものは在庫整理で廉価版を作らざるを得なかったのか、それとも仕掛かり品状態で事業が停止し、債権者の手によって仕掛品のまま換金されたのか、はたまた三角関数尺に関して何らかのクレームを受けてブランクのまま売らざるを得なかったのか、会社自体がまったくの正体不明なので、理由を知るすべもありません。カーソルもフレームレスで位取り付きという前代未聞のものですが上下の樹脂カーソルバーにポインター付きの薄い透明セルロイド板を接着するという簡単な構造で、何年も使用するのには耐えない構造です。まあ、J.HEMMI時代のフレームレスカーソルもバラバラになって殆ど残っていない状態ですから、これはこの会社だけ責めるわけにはいけません。A.W.FABERコピーなのでちゃんとスケールが上下に刻まれており、上はインチ、下はメトリックですが、本家と違って滑尺溝には目盛りがありません。まあ、結果的には人知れず物も会社も途絶えて、系統樹にさえ名前を残さない計算尺になってしまったのは間違いないでしょう。

追記:太田スター計算尺は大正9年3月25日に太田粂太郎名義で特許36031号が取得されていますが、その詳細はよくわかりません。やはり第一次大戦時に独逸製計算尺不足で欧米輸出を狙って製作された計算尺の一つで、第一次大戦終結後に独逸製計算尺が息を吹き返すと欧米輸出も立ち行かなくなり、それ以上の発展性がなくてあえなく消滅してしまったことは確かでしょう。

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