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August 03, 2014

正体不明の理研計算尺(IDEAL RELAY No.100?)

Photo_2  リコー創業者の市川清と計算尺製造の係わりに関しては何度か書きましたが、そもそもは河井精造の河井式計算尺の工房を市村が買収して日本文具を設立したのは市村が理研コンツェルンの前身、理化学興業株式会社の感光紙部門の部長をしていた時代の話らしく、当時、理研感光紙の一代理店経営者の身から理化学研究所の総帥大河内所長のたっての希望で理研の特許を製品化して理研の研究費に充当するための企業である理化学興業入りしたものの、理研生え抜きではなく、大した学歴もない市村の理研入社は古参の社員や幹部から相当反発をくらったらしく、市村は職務をボイコットして無為無策を決め込んだなどという話を聞いています。結局は大河内所長の英断により理化学興業の感光紙部門を独立させ、理研感光紙工業という新会社を設立して専務に収まったのが昭和11年2月のことで、このときがリコー三愛グループの創立とされているのですが、市村の個人会社である日本文具の設立がそれをさかのぼること半年あまり前であり、この会社が理研とはまったくかかわりがなく、リコー三愛グループの歴史から黙殺されているのはこのあたりの経緯にあるのかもしれません。理研感光紙工業はオリンピックカメラを買収して昭和13年に理研光学工業と名前が変わります。この理研光学工業が今に続く世界のリコーとなるわけです。話は河井式計算尺の工房を買収で設立された日本文具に戻りますが、当初この日本文具に移行した当初は河井式計算尺そのままのラインナップで「ストロング印計算尺」という商標で売られたらしく、昭和12年の玉屋商品目録に特徴的な河井式のカーソルが着いた姿でイラストが載せられています。しかし、いまだにストロング印の計算尺の現物は目にしたことが無く、河井式計算尺の工房買収は計算尺作りのノウハウを得ることが目的で、ストロング印の計算尺は河井式計算尺の仕掛品を捌くための臨時の商標で、仕掛品がなくなったと同時に消滅してしまったのかもしれません。昭和15年ころにRelayの商標がつく計算尺が、市村の故郷佐賀で設立された東洋特専興業で製造され、発売されるまでストロング印の計算尺が製造し続けられていたとすると、現物が何種類か発掘されてもよさそうな気がします。また日本文具はシャープペンシルや万年筆の製造も行っており、佐賀に本格的な計算尺製造設備が稼動する以前は、売り上げの主体はそちらのほうだったようで、川井式計算尺の仕掛品が尽きてから佐賀で本格的にRelay計算尺の製造が始まるまで、日本文具では一時的に計算尺の製造は途絶えていたのかもしれません。
 それで今回京都から入手した裏板が相当腐食しかけた片面計算尺ですが、HEMMIの50/1の後期物差し目盛型のようでありながら、裏面には副カーソル線窓が片方しかなく、固定尺のつなぎが一枚の金属板でしかないまるでポケット尺のような10インチポリフェーズドマンハイム尺で、確証がないもののおそらくRelayの一番最初のモデルNo.100ではないかと推測するものです。ところがNo.100という型番はダブルスターRelayの時代に両面計算尺の型番に化けているようで、最初のNo.100はまもなくちゃんと裏面両側に副カーソル線窓が開いているNo.101に製造が切り替わったのではないかと想像しています。戦前Ideal Relay時代のNo.101は持っていないため、KIMさんコレクションのNo.101の画像と比べてみると、まさに裏側の副カーソル線窓が片側だけか両側かの違い以外にケース、刻印、換算表、書体、鋲の数まで寸部の相違もありません。ただしこの推定No.100には本来Relayのマークが刻印されている部分に理研のマーク以外にモデルナンバーも製造に係わる会社名もなにもないのです。この理研のマークですが、理化学研究所のマークなのか、理研コンツェルンのどこかのマークなのか、いろいろ調べたのですが現代のCIを採用したマークばかりが出てきてなかなか戦前のマークに行き当たりません。本来理化学研究所のマークは単純に○に理の字だったようです。このマークの真ん中をよくよく見るとどうやら「光」を図案化したマークのようなので、戦前の理研光学のマークにほぼ間違いないようです。とはいえ確証がないために、戦前のオリンピックからアドラー、護国、リコールにいたるまで戦前の理研光学系カメラの広告を手元のカメラ系資料を駆使していろいろ調べたのですが、この理研光学のマークはまったく出てきませんでした。これらの資料を調べるうちにひとつわかったことは、昭和16年7月に民生カメラの製造が禁止になり、理研光学のカメラ部門は軍用双眼鏡を生産する仕事の傍ら、会社の一部をグループ企業の旭無線に委譲して無線機の部品製造という業種に転換したということです。すなわちカメラ製造販売という収益の大部分を失ってしまい、昭和16年7月以降、理研光学本体は会社維持のための収益を確保するためにいろいろと模索をしたのでしょうか。そのため、本来ならば理化学研究所の特許を工業化してその収益を理化学研究所の研究費に還元させるために理研系企業なのにも係わらず、理研系企業の飛行機特殊部品の敷地に間借りした理研とはまったく関係の無い市村の個人企業の東洋特専興業が製造した計算尺を理研光学の販売ルートに乗せて販売するなど、理研系企業の創立理念とはかけ離れた市村の行動に理研の他の理事や役員から横槍が入ったのが遠因になったためか、昭和17年の新年会の席だったかで理研系の大河内理事長や他の役員達と意見の相違で衝突し、市村は部下をかばって理研系企業の全12社の役員ポストを辞任しています。しかし、大河内理事長は市村の才覚と今までの実績を惜しんで理研光学、旭無線、飛行機特殊部品の3社を理研コンツェルンから切り離し、市村に託して独立させ、ここに「世界のリコー」の基礎が固まるのです。この独立を果たしたことにより理研の特許で収益を上げて研究費として理研に還元するという縛りがなくなり、戦時中の難局を乗り越えて会社を維持するためになりふり構わずいろいろなことに手を出すことが可能になったのです。このため、世に出回っている「理研光学工業発売」刻印付きのIDEAL-RELAY計算尺はおそらく昭和17年の理研光学独立以降に正式に理研光学の販売ルートで発売されたものなのでしょうが、今回のNo.100と推定される計算尺は理研光学のマークのみ入れられた正体不明の計算尺で、おそらく「市村は理研を私物化している」という他の理研系企業の役員の指摘どおり、理研光学独立以前に市村の個人企業である東洋特専興業から理研直系である理研光学を通じて販売された限りなくグレーゾーンの計算尺なのかもしれません。
Relay100_3
Relay100_4

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