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June 29, 2015

炭鉱杖(タンコツ)と玄能つえ

150629_120752   鉱山の坑内で明治の時代から職員や幹部が坑内に入るときに携えていったのがこれらの道具です。長らく名称がわからなかったのですが通称炭鉱つえ(タンコツ)と呼ばれたらしく、採炭用のツルハシ(画像の一番下)とは使用目的がまったく異なるものです。その金属部分は長さ15センチ内外で全体の長さが85~100cmあり、金属の部分は初期の登山用ピッケル、特に戦後の登山ブームのときに夏山用として杖代わりに使用されていたものと形状やサイズが似ていますが、夏山用ピッケルと異なり、シャフトが丸棒で石突もスパイク状にはなっていません。ピッケル部分を止める目釘も簡単なものが一本で、登山用で滑落したときには一発でシャフトとピッケルが分離してしまうこと疑いありません。明治時代のまだ裸火のカンテラを使用していた炭鉱や鉱山の坑内でも洋服を着て足元はわらじ履きの小頭らしき偉そうな人が片手にカンテラ、片手にタンコツを持ち、半裸体でツルハシを振るう坑夫を監督しているようなやらせ写真はけっこう残っていて、いまでもネット上で目にすることは容易です。おそらく明治の時代に炭鉱杖を片手にえらそうに振舞う小頭や炭鉱主なんかを揶揄して「たんこつ」なんていう言葉が生まれたのかもしれませんが、どの鉱山用語解説の本にも出てこない用語です。大正時代以降には炭鉱会社幹部職員の一種のステータスになっていたらしく、幹部の集合写真なんかでは陸軍の将校の軍刀のように幹部職員全員がこのたんこつを携えているような写真もありました。どうも明治期から大正期にかけては杖代わりというよりいざというときの自衛の武器という側面もあったようです。明治の初期の官営炭鉱の時代には囚人を使役していましたし、その後の納屋支配の炭鉱にあってもその労働には暴力的支配が伴っていました。そのため、ツルハシを所持している坑夫のいる坑内に丸腰で入るのも危険で、自衛の武器代わりに携えていったというのがいつのまにか幹部職員の印みたいになっていったのでしょうか?中には仕込み杖になっていたタンコツを持ち歩いていた幹部もいたとか。しかし、時代が大正から昭和に変わり、炭鉱労働も納屋制を廃止して会社直轄雇が増えてゆくのにしたがい、坑内の労働環境も変化を遂げます。もはや自衛の武器がわりは必要ではなくなり、タンコツはヘッドがピッケルからテストハンマー状に変化していき、これを特に「玄能つえ」と言ったらしいのですが、これは支柱の緩みや天板などの緩みを叩いてチェックする実用的なものです。これは昭和40年代くらいまで幹部や技術職員によって坑内で使用されたようですが、ゴジラに続く戦後の怪獣映画第二弾「空の大怪獣ラドン」で佐原健二をはじめ、炭鉱技師の殆どがこの玄能つえを手にしていますので興味のある方は見てみてください。この玄能つえでメガヌロンに対峙するシーンもありますからいまだ自衛の武器という側面は抜けていなかったのかも(笑) 実は戦時中、この玄能つえは不要不急の鉄材として献納供出されてしまったらしく、戦時中の炭鉱幹部の集合写真では同じ形状の白木のものに変わっているのを見ることが出来ます。また昭和24年に昭和天皇が三池の三川鉱坑内に入られたときも天皇陛下を初め会社幹部全員がこの白木のタンコツを使用していました。ちゃんと鉄の玄能つえに戻ったのは昭和20年代半ばを過ぎてからでしょうか?タンコツと玄能つえは現在まとめて4本所持していますが、そのうちタンコツはピッケル部分が磁気を帯びない軽合金で出来ています。おそらく坑内の測量作業で磁気コンパスを狂わせない配慮なのでしょうが、シャフトは円で石突も軽合金製。福島の鉱山の多かった町からの収集品。玄能つえの一本は北海道内から、他の二本はまとめて大阪からで個人の所持名が刻まれています。


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