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July 28, 2015

うちにネコを入れてしまった!14 ネコアレルギー

Img_0187  実は当方、子供のときからアレルギー持ちで、子供のときは青魚を食べれば必ず蕁麻疹が出てしまい、小学校3年の時には全身の蕁麻疹で入院してしまうほどでした。また北海道には杉花粉症がありませんが、6月の末になると道端に蔓延るイネ科の牧草花粉アレルギーによって7月の終わりまで目のかゆみ、慢性的な鼻づまり、くしゃみにに襲われます。さらに9月にも花粉症のおかわりがきて、霜が降りるころになってやっと落ち着くということを繰り返しています。逆に東京にいたときには2月末から5月くらいまでの杉花粉シーズンを乗り切ればあとは平気でした。食物アレルギーは子供のときから比べると劇的に改善を遂げたのですが、これは冷蔵したまま輸送する技術が発達して魚を獲ってから流通するまでの温度管理がしっかりしたことにより流通過程で魚にヒスタミンが溜まらなくなったことが大きいのではないかと思っています。ところが唯一ホヤだけは食べると5回に1回ほどいまだに蕁麻疹が出て病院のお世話になってしまうのですが、それだけ獲ってからの温度管理がシビアなのでしょう。ホヤ好きなのですが、スーパーで殻つきを買って食べるのを一切やめてしまいました。また、皮膚の刺激アレルギーというのかどうかはわかりませんが、腕にかばんをぶら下げたりすると取っ手の刺激で接触部分がみみず腫れになってしまったり、ある種の合成洗剤による刺激で常に主婦性湿疹という手荒れでステロイド軟こうと保湿剤が欠かせません。
 昔、皮膚科で血液検査してもらい、アレルギーの因子を調べてもらったことがあるのですが、アレルギー体質としてはかなりなものだとお墨付きをもらってしまったこともあるのです。
 普通だったらこんなアレルギー体質だったら猫とか犬は絶対にNGだろうと思うのですが、不思議なことに一つ屋根の下で猫3匹と同居していたときもまったく平気した。犬は外飼いの犬と子供のときから接触がありましたが、こちらも平気だったので犬も平気なようです。そのため、今回猫を家に入れるにあたって、年齢的に体質が変わっていたら困ると思いましたが、やはりまるっきり平気でした。

 しかし、世の中には犬アレルギー猫アレルギーを錦の御旗にして自分の飼い犬飼い猫を他人に里子に出してしまう人が大変増えてしまったように感じます。中には「昨日、ペットショップで買ったばかりですが、家族の一人がアレルギーになってしまい、至急新しい飼い主を探します」などという身勝手な人まで出てくる始末です。「生まれた子供がアレルギー持ちでやむを得ず新たな飼い主を探します」や「結婚相手がアレルギー持ちで一緒に暮らせなくなりました」などはまだ汲むべき事情が少しはありますが、「飼ったはいいが家族がアレルギーになったからいらなくなった」は理由になりません。また不要になったペットは最近の保健所では引き取らないところが多くなり、家族のアレルギーを理由にした「飼育放棄」が激増してきたのではないかと思います。それならなぜ買ったのか、引き取ったのかと問い詰めたいところでが、引き取り手がなければ、車で遠いところに運んで放逐してしまうのでしょうか?


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July 25, 2015

うちにネコを入れてしまった13 猫にエビオスをあたえる

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 猫の毛玉の体内滞留対策として猫草を置いておくのが一般的です。この猫草がえん麦であることは最近知りましたが、当方の知識としてはえん麦というとオートミールやグラノーラの原料というよりも、戦前の北海道で馬の飼料として植えられていた一面のえん麦畑をイメージしてしまいます。もちろん戦後は軍馬や馬車馬などの使役馬がいなくなって、馬の生産といえばほとんど競走馬需要だけということになり、北海道の一面のえん麦畑の風景というのは過去のものになりました。当然ながら当方もえん麦というものは実物を見たことがなかったのです。
 親戚の米俵のように大きなメインクーン2匹は一週間に一度、この猫草の新しいのを与えられてすぐに丸坊主にしてしまうらしいのですが、これは毛玉対策というよりも、部屋の中の鉢物にいたずらをされないための対策だといいます。うちの猫は生後2ヶ月少々でうちに来たときからエビオスをかじらせていました。

 エビオスは戦前から販売されているビール酵母を利用した胃腸薬ですが、けっこう独特な香りがして当方は子供のときから苦手で乳酸菌製剤のビオフェルミンしか家にはなかったのですが、このくせのある香りが猫が大好きだという話は昔から聞いていました。またエビオスを猫に飲ませると毛玉をスムーズに排出して便も固くなり、結果として体全体の調子を整えるということで、うちのも、うちに来た2ヶ月少々のときから毎食後1錠かじらせることにしたのです。ところがこの月齢では一日3錠は胃に負担を与えたわけではないのでしょうが、かえって便がゆるい状態が続いてしまい。餌もロイヤルカナンのマザー&ベビーからニュートロのキトンに変え、缶詰もササミ缶をやめたのですが、なかなか新しい餌の組み合わせになれてくれず、ちっとも食べてくれないは、便はゆるいまんまでなかなか固くならず、けっこう心配しました。そしてエビオスはこの猫の体質にあわないのではないかと思い切ってしばらく投与を中止。4ヶ月齢くらいにロイヤルカナンのキトンに餌を代えるころには便の固さも安定してきましたが、エビオス投与はそのまま中止してきました。

 5ヶ月齢くらいからに上半身を激しく横にスイングしたかと思ったら床に餌を吐き戻すことが始まり、いよいよ消化器にヘアボールが滞留したのが影響を始めたようでした。それでもエビオスを再度投与するのをためらっていたのですが、最近週一くらいに吐き戻しがあるため、エビオスの再投与を開始しました。今回は一日1錠投与として様子を見ていますが特に便には影響がないようで、一日3錠まで増量するかどうか検討中です。ちなみにうちの猫もエビオスは大好きで、瓶をかちゃかちゃと振って音を立てただけでエビオス欲しさに飛んで来ます。ただ気になるのはビール酵母以外の添加物で、人間に影響がなくても猫の尿路系に影響を与えないかどうかが心配です。動物用のエビオスが無くなってからは人間用のエビオスを与えるか、ペット用ビール酵母として販売されているものを与えるしかありませんが、こちらは添加物情報がありませんのでちょっとためらってしまいます。

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July 18, 2015

うちにネコを入れてしまった12メインクーンの乳歯生え変わり

150711_064120 ネット上で猫の乳歯が生え変わるタイミングを調べてみると、一般的には早い猫で生後3ヶ月過ぎから永久歯が生え始めて乳歯が抜け、殆どの猫が生後半年くらいで永久歯が生え揃うということが語られているようですが、どうもメインクーンという猫は成長速度がほかの猫より遅いらしく生後5ヶ月たってもまったく永久歯が生えてくる様子がありませんでした。
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 うちの猫だけ特別に成長が遅いのかもしれませんが、それでも生後6ヶ月に達する直前にやっと左右上の犬歯の歯茎が赤くなり始め、生後6ヶ月目に上左右犬歯が乳歯と永久歯が同時に生えている二重歯の状態になりました。この二重歯の状態でじゃれられて噛まれると痛いの何の(笑)まあ猫の成長過程で二重歯で噛まれるのはその時期だけですから貴重な経験だと思って噛まれてましたが、生後190日目くらいにいよいよ乳歯がぐらつき始め、乳歯の回収体制に入っていたのですがいつのまにか、まず左上犬歯が抜けているのに気がついて抜けた乳歯を探すもどうやら飲み込んでしまったのかみつけることが出来ませんでした。抜けた乳歯は全部回収して記念に保管しようと思っていたのですが一本目から早くもロスト!翌朝、いつもより余計にじゃれつくようなので、乳歯の様子を調べると右上の犬歯も抜けていました。部屋の中から出ていないのであたりを探すと胸の毛に抜けたての乳歯がぶら下がっていたため、やっと一本目の回収成功となりました。

 猫の種類による差もあるのでしょうが、歯が生え変わる順番というのは下の歯からだと思っていたのですが、うちのは上左右の犬歯というのが意外な気がしました。次は下左右の犬歯のような気がしますが、今のところ永久歯の頭が歯茎から顔を見せる様子がまだないようです。また歯が抜けた後は歯茎が赤くはなっていますが抜けたときに出血があっった様子はありませんでした。またメインクーンも個体差があるのでしょうが、一般的には成長が緩やかなだけ、乳歯から永久歯への生え変わりも一般の猫より遅いような気がします。


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July 16, 2015

うちにネコを入れてしまった!11 メインクーンの毛色の変化

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 うちのメインクーンはメインクーンとしてはスタンダードな毛色であるブラウンで、さらにクラシックタビーという左右の胴体にアメリカンショートヘアで日本でも認知されるようになった渦巻紋のあるキジトラ猫です。 これは日本の猫にはなかった縞模様だったはずなのですが、一時のアメリカンショートヘアブームで遺伝子が交雑してしまい、いまやノラネコでこの縞模様を持つ猫なんぞ珍しくもなくなりました。今や日本猫としてのはっきりした特長を持つサバトラ白や白黒の牛模様で尻尾の短いボブテイルの猫なんざほぼ絶滅品種です。

 黒や白などのソリッドカラーの猫は生まれたときから毛色が変わることが無いと思いますが、うちのはブリーダーさんから我が家にやってきてから一月くらい、ちょうど生後3ヶ月齢のベビーコートが生え変わって短毛種のように変身したときに毛色が変わり始めました。
 もともと明るい茶色が顔周りから背中にかけて分布していて、この明るい茶色のメインクーンを見かけなかったために、一種の一目ぼれして導入した猫だったのですが、だんだん顔周りの茶色の毛先がだんだんシルバーっぽいベージュに変化してしまい、いまでは赤ちゃん猫時代の茶色でふさふさした印象がまったくなくなり、くすんだベージュに濃い茶色の縞模様の猫という感じです。見かけが変化したといって別に愛情が薄れるわけではありませんがソリッドカラー以外の猫は毛色が子供のときと大人のときにはがらりと変化することはあらかじめ理解しておいたほうがよさそうです。

 ところが生後6ヶ月を過ぎてまた毛色が変化してきたようで、背中の明るい茶色が戻ってきて心なしか顔周りの毛にも微妙に茶色が戻ってきたような感じがします。抜けた毛を観察すると一本の毛が層に分かれて毛が伸びると毛先の色が別な色に変化してゆくようで、最終的には元の明るい茶色に戻るのかもしれません。まあ、これは今後の楽しみではありますが、ひげもうちに来た当初は真っ白だったのですが、だんだんと一本の毛の一部がブラウンに変化していき、今は白いひげと根元茶色真ん中白先端また茶色のまだらなひげが混在しているという感じです。また尻尾の毛も当初は濃いブラウンに微妙に明るいベージュが縞になっている状態だったのですが、4ヶ月目くらいからだんだんと尻尾がのびて毛がふさふさになるにしたがって尻尾の上面が濃い茶色、裏面が明るいベージュの縞模様というように変化してきました。

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July 14, 2015

うちにネコを入れてしまった!10 メインクーンに水を飲ませる

Img_0103  飼い猫は本来リビア山猫が祖先といわれていますが、そのリビア山猫は砂漠の周辺部分が生活の場だったためか、生活上さほど水には恵まれない生活環境で、水が乏しいゆえに濃い尿を出すなどという話を聞いたことがあります。それが原因なのか飼い猫になったのちも腎臓や尿路の病気はつきもので、以前の同居猫のオスは2匹とも尿路結石で病院のお世話になりました。そのため、水をあまり飲みたがらない猫はロクなことにならないという頭があり、とにかく水を飲ませることには神経を使い、猫を迎え入れる前に電動の循環式給水器を購入したほどです。

 ブリーダーさんに水のことを尋ねると、そこでは大きな容器に新鮮な水を常に入れておくだけで、とくに電動の水やり器は使ったことがないということだったので、慣れない給水器をいきなり用意するよりも最初はステンレスの容器を置きえさと同じ餌台に並べて置いておくということにしました。当初これで問題はなかったのですが、家にもなれてくるとこの水の容器に足を突っ込んだり、挙句の果てにはひっくり返すなどの暴挙に出たため、生後4ヶ月過ぎくらいに一階の水やり環境を電動循環式給水器ピュアクリスタルというものに変えてしまいました。これはなかなかの優れもので、水を満たすと重量もあってひっくり返ることは考えられない理想のものでしたが、すぐにこいつに慣れてしまい、水の摂取量も格段に増えた感じです。この容器は熱帯魚などの水槽で使うような水中ポンプで水槽から水をくみ上げ、平たいキノコ型の上皿の中心から放出し、フィルターと活性炭を通してろ過して水槽に戻すというもので、月に一度のフィルター交換が指定されていました。やはり猫がどう水を飲むのかよく考えられたシロモノなのですが、うちのは本体に両手を掛けて、手前ではなくて常にいちばん奥のほうから飲むという飲み方に固執するため、胸の毛や首輪が濡れてしまうのですが、本人ならぬ本猫はいっこうに気にしていないようです。

 メインクーンと水との関わりはよく言われていますが、うちのは他家のメインクーンのように蛇口から流れる水に興味を持つということも、餌を水につけて洗ってしまうということもありませんでしたが、容器の中に実際に水があるのかどうか前足を突っ込んで確かめないといけない性分らしく、何度も水に浸してはそれを振ってあたりに水を散らすというような行動があります。2階ではペットボトルをさかさまに取り付けるプラスチックの給水器を使っていましたが、ペットボトルの根元を前足でいじくって倒そうとするので、何でかと思いましたら、ぺットボトルの蓋が大好きで、どうやらキャップを取ったボトルの飲み口の部分がさかさまに取り付けるとキャップに見えて、どうしてもそれを取り出したくてはずそうはずそうとする行動のようです。しかたがなくペットボトルをはずしてしまい、水が少なくなったら別なペットボトルから補充するというやりかたに変えています。(続く)

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July 13, 2015

うちにネコを入れてしまった!9 しゃべるメインクーン

Img_0081  メインクーンという猫はほどんど鳴かない猫だといわれていますが、なるほど普通の猫がなにかを要求するときににゃあにゃあと鳴いて訴えるのに、メインクーンは遊んでほしいときも黙って遊びの道具を飼い主の目の前にポロリと落とすとか、後ろに迫って前足でとんとん叩くというような猫です。それでも鳴かないわけではなく、「ルー」や「グッ」というような短い鳴き声は出しますし、足を踏まれたときなんかには普通の猫同様に「フギャー」という声も出しますが、「にゃあ」という声は声帯の構造からして出せないのではないかと思います。また実物大獣毛マウスのおもちゃを出したときに本気で「フー」という威嚇の声を出しましたが、この声を聞いたのはこの時を含めて2回だけで、普段おとなしいメインクーンが威嚇の声を出すとちょっと怖かったです。

 生後4ヶ月を過ぎたころ、人間用の夕食の準備をしていたときにとつぜん「ワン」と鳴かれました。なんだこいつは犬の鳴き声も出せるのかと思ったら「グーワン」と鳴いてなにかを訴えているのです。よく考えたら「ごはん」が欲しいと人間に意思を伝えているようで、考えてみればベルクはうちに来たときからずっと、もしかしたらごはんという言葉をしゃべるかもしれないという淡い期待を持って毎回缶詰をあたえるときに「ベルク、ごはん食べるのごはん、ごはん」を繰り返したことがこんなに早く成果が出てごはんとしゃべって缶詰を要求するようになったのです。普通の猫は「にゃあ」の変形でいろんな言葉をしゃべるのがいるようですが、メインクーンはにゃあと鳴けないのでグーという声にうまくワンと鳴いてつけたし、「グワン」というようにしゃべるようになったようです。しかし、言葉で人間との意思の疎通ができるようになったとはすばらしいことですが、最初からごはんという言葉しか教えていないので、ほかの言葉をいまさら教えてしゃべる可能性はほとんどありません。でもひとつの言葉だけでも「しゃべる猫」認定です。またかりかりをごはんというものだとは認識しておらず、あくまでも缶詰のことがグワンだと思っているようです。それ以降、食事の時間が近づいて人間が動き出したのを察知し、近寄ってきて「グワン、グワン」を連発しています。「クララが立った!」ではありませんが、「うちの猫がしゃべった!」と親戚に言ったら「飼い主はそう聞こえるものなのよ」なんていわれましたが、ちゃんと自分の意思で缶詰が食いたくて「グワン」と話しかけてくるのです。(続く)

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July 12, 2015

うちにネコを入れてしまった!8

Img_0079  メインクーンという猫種で一般的に言われるのが、「犬のような性格で賢く、人間の後を常について歩いて人間のそばにいることが大好きだけど、抱かれたりなでられたりするのは好きではない」というように解説されています。昔、飼い猫相性占いというのがあって、それによると当方との相性が一番いいのがアメリカンショートヘアで、一番相性がよくないのがメインクーンだとありました。妙なことに最近のどこかの猫相性占いでは一番相性がいいのがメインクーンで、相性が悪いのがアビシニアンだというのですからこんなものはあてになりません。しかし当初は猫と同居するのあたり、猫とちょっと距離をおいた生活になるのかと思ってましたが実際はかなりベタベタな生活になりました。平気でひざの上に乗ってきますし、そのまま寝てしまうこともあります。猫との距離を縮めたのは、やはり最初から拒絶せずに甘噛みとベロベロを猫の親愛の情だとしてすべて受け入れたことで、寝ていて鼻の頭まであのやすりのような舌でベロベロ舐められるのを甘受してきたことで、いちおう猫の仲間としての信頼を得たのではないかと思っています。これがいきなりの兄弟2頭飼いだったらこれほど短期間に人間との距離を縮めることはできなかったでしょう。子猫のうちに飼い主と十分触れ合える時間があるのだったらやはり単独飼いが一番です。逆に外出が多くて日中触れ合うことが不可能なら兄弟で飼わないとかわいそうかもしれません。

 慣れたとはいえ、それでもいまだに猫が変わったように噛んだり引っかいたり蹴ったりすることもあるので、猫が何かのきっかけで豹変ならぬ猫変するのは仕方がないと諦めつつ、最近は暴れすぎるとキャリングケースの中に禁固刑に処す処置をとってアドレナリンの値が下がるのを待つ始末です。おかげで以前は手の甲が引っかき傷だらけでしたが、最近はさほどあたらしい傷は増えません。2ヶ月までは兄弟姉妹や異母兄弟たちといっしょの生活だったため、社会性は勉強できていたと思います。またねこじゃらしや小ネズミのおもちゃを使って狩猟本能を満たすような遊びを徹底的にやりました。ねこじゃらしで座布団の上をぐるぐると何十回転させ、まるでちび黒サンボのトラのように回る遊びが好きでした。小ねずみのおもちゃはじゃれて遊んでいるうちにそれを人に見せにくるようになりました。どうやら飼い猫が取ったねすみやすずめを飼い主に自慢げに見せに来る行動と似ているので、徹底的に褒めてなでてやったらいつのまにか投げたねずみを回収して持ってくるという遊びに発展し、今度は子ねずみがペットボトルの蓋になりました。そして生後4ヶ月ごろにはペットボトルの蓋やねこじゃらしをどこかから持ってきて飼い主の目の前にポロリと落とし、遊びを要求するようになったのです。

 画像は生後3ヶ月のもので、まだベビーコートが抜けきらず体重も1.5kg前後でした。その後、ベビーコートが抜けるとまるで短毛種の猫みたいになり、何か顔の丸くないアメショーのブラウンクラシックタビーのようになります。また濃い茶色の色がほとんど抜けて、シルバーベージュとでも言うような毛色に変化してます。現在生後6ヶ月で3.7kgの状態ですが、妙に3ヶ月齢のときが懐かしい(笑)
(続く)

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July 11, 2015

うちにネコを入れてしまった!7

150430_175855  ブリーダーさんに少しビビリですと言われてしまったうちのベルクでしたが、ポジティブに考えるとそれは思慮深くて賢いというように考えるようにしました。それは意外にも当たったようで、まず音に驚いて飛び上がって逃げていくようなそういう臆病という意味でのビビリではないようです。確かに知らない人がいるとテーブルの下に入ってゆくような感じで、2階から降ろすときも抱いて階段を下りようとしたら鳴くので最初の2ヶ月間はわざわざキャリーケースに入れて階段の上り下りをしたものです。さらに知らない部屋には絶対に自分から探検しようという気が無く、2ヶ月の間は1階のリビングと2階の寝室以外入ったことがありませんでした。よく言えば思慮深い猫ということも出来、身に危険が及ぶような危ないことは絶対にしないし近づかないということは人間にとって実に扱いやすい猫でした。また、雷や地震になってもまったく動じるふしもありませんが、別に鈍感なわけでもなく、妙に度胸が据わったところもありそうです。

 人間の言うことはよく聴いて決してテーブルには上がりませんし、人間の食べ物にちょっかいを出すことも無く、お菓子の袋をテーブルの上に置いて外出しても平気です。そういう性格ですからあまりあぶない目に遭遇したことはなく、いつも行方を確かめておかないと何をするかわからないような、手間を取らせるような猫ではありませんでしたが、鳴き声を立てないので存在が目立たず、少しでも動いたら鈴の音でわかるように100円ショップで買った首輪を装着しました。それでもさほど抵抗しませんでしたが、これが成猫だと殺されるがごとく首輪を嫌がって抵抗するやつがいます。音がするのでだいぶ所在がわかるようになりましたが、まだ猫のほうが人間との間合いがわからず、後ろに下がったら思い切り子猫の足を踏んでしまい、聞いたことのないような悲鳴を上げられました。いまでは人間との間合いを学習して人間に足を踏まれるような間抜けなことはしません。

 うちにきてから一週間後の日曜日に簡易トイレを持って知り合いの家に連れて行きました。ここには1.7キロほどのトイプードルがいるので、その反応を見てみたいというのがあったのです。おそらく生まれてこのかた猫以外の生物は人間しか見たことがなかったはずで、トイプーが興味深々で近寄ってきてさかんに臭いを嗅ごうとしてくるのに怖がるそぶりもまったくなく、犬との遭遇体験を無事に済ませてしまいました。もっとも自分の大きさとさほど変わらない犬を見ても猫だと思っていたふしがないわけではありませんが。今ではベルクのほうが倍以上に大きくなってしまって、ここんちのトイプードルのほうがちょっと怖がるくらいです(笑)

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July 10, 2015

うちにネコを入れてしまった!6

 猫を連れて帰った翌日、向かいに住んでいた叔母が急死し、いきなり不幸を呼び込む猫と化してしまったベルクですが、翌日から途端に親戚関係の出入りが激しくなりました。親戚関係は猫を飼っているもしくは飼っていた家が多く、猫扱いに長けた親戚に抱かれたりなでられたりしましたが、別に抵抗もせず相変わらず鳴き声もたてずにされるがままになり、隙を見て猫ちぐらのなかに逃げ込むという具合でした。お通夜とお葬式で1匹だけ残してくことにしましたが、ケージが無くともいたずらされる心配が少なく、そのまま1階に残してゆくことにしましたが、案の定なにもせずにおとなしく1階の猫ちぐらのなかで寝ていてくれたようです。親戚の猫好きご老女たちからかわいい、これ以上大きくならないでほしいなどと評判だったべルクですが、飼い主にとっては早く大きくなってほしく、このまま小さかったらとても困ると思ってしまいました。しかし、うちに来て3ヶ月半経ち、日本猫の成猫くらいの重さになってみると、半年くらいは子猫の1kgサイズのままでいくれたほうがよかった、なんて思ってしまうから勝手な物です。

 うちに来たときから食が細くておとなしく、まさに借りてきたネコとはこのことだろうかと思いました。ロイヤルカナンのマザー&ベイビーは置きえさにして1階でも2階でもいつでも食べられるようにしておいたのですが、食べている姿を見たことがなく、1日朝昼晩与えるささみ系の缶詰だけ少しは食べるという状態で、魚系の缶詰はまったく口をつけようとはしません。かなりの偏食のようでしたが、とりあえず命をつなぐためにささみ缶だけ食べさせていました。今考えるとあまり食欲が無かったのは環境の変化と偏食だけではなく、引渡しの2日前に摂取された第一回目の3種混合ワクチンの影響が大きかったと思います。ブリーダーさんによっては第一回目のワクチン接種から一週間は様子を見てその後引き渡しというところもあるようですが、何せ今回はブリーダーさん一ヶ月入院不在で退院翌日の引渡しということで時間的にはやむを得ない処置だったと思います。予防接種はブリーダー仲間にお願いしたようです。そのワクチンの影響というのは2回目も同じで、このときは体重1.7kgくらいにはなっていましたが、午前中ワクチンを接種して15分動物病院の待合室で安静にしてから再度診察して以上がないかどうかチェックしてもらいました。家に帰るとどうも普段と様子が異なり、食欲が途端になくなって夕方までキャットタワーの上でうとうと寝てばかりいたというような様子です。

 家に来て一週間もすぎるとワクチンの影響も抜け、環境にも慣れたようで、カリカリも少しずつ食べてくれるようになりましたが、最初は好調だったうんちの硬さがあまり消化がよくなかったササミばかり食べていたのが原因か途端にゆるくなってしまいました。子猫のゲリ便のくさいことくさいこと。部屋の中ににおいが充満して死にそうなくらいです(笑) おまけに足にうんちがついたままベッドの上に飛び乗ってきて、このときには怒るわけにも行かず、次回から猫が柔らかいうんちをしたあとは、トイレから出る前に手足とお尻を猫用ウエットティッシュで拭くというのが習慣になりました。
 おなかがゆるくなったらニュートラルチョイスのキトンチキンのほうがいいと言われてサンプルもいただいたのですが、これはまったく食べなくて、しばらくの間おなかがゆるくならないえさのやり方を試行錯誤していましたが、ときどきおなかのゆるくなることをしばらく繰り返していました。(続く)

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July 09, 2015

うちにネコを入れてしまった!5

  猫の名前はかねてからそう名づけようと決めていたベルク・カッツェ(山猫)を考えていました。ブラウンの縞猫なので、山猫らしい風情はあるのですが、しかしそれではあのガッチャマンの敵役のイメージが強すぎるので、ミドルネームをいれてベルク・フリードリッヒ・カッツェで通称ベルクとしました。本当は飼い主でも忘れてしまいそうな長い名前、たとえば寿限無とかピカソのフルネームとかそういうのにあこがれるのですが、飼い主が忘れてしまっても間抜けでミドルネームひとつ入れるのにとどめてしまいました。普段はベルクとしか呼ばないので何の意味もありません。

 猫を飼うにあたって、これからいろいろとイタズラをしてくれるでしょうから、そうならないうちに考えられる予防策はいろいろしておいたつもりです。家具で爪を研がないようにダンボールの爪研ぎ器を置いておくようなものですが、性格がビビリというだけあって自分の知らない物に手を出そうという気はまったくなく、2階と1階リビングから他の部屋に出て行くという気もまったくなかったようです。また、生後2ヶ月少々で、まだ体重も1kg弱というような手のひらに納まるような幼猫ですからまだ家具の上に上がって物を落としまくるという悪さも出来ません。しかし早晩高い所によじ登って物を落としまくり、被害をこうむることは目に見えているので、猫タワーを導入するしかなさそうです。

 昼間は1階で、夜は2階につれて行くということにしたのですが、第1日目の明け方にトイレに行くために1階におりて戻ったあとに子猫が跡形もなく消え去ってしまいました。表立ったところはすべてもぐりこまないように100円ショップのネットや新聞紙で塞いであったのですが、このありさまです。なにせまだ名前を呼んでも返事をするわけではなく、まだ腹が減ったといって表に出てくる年齢でもありません。ふと思い出してベッドのマットレスを剥がしてベッドの敷板を開けてみると、ベッドの隙間から中にもぐりこんだ子猫が見つかりました。キャリーケースに入れて部屋を出ればよかったのですが、こんなところにもぐりこむとは思いもよらず油断していました。翌日ホームセンターに走ってベッドと壁の間に発泡スチロールで作られたブロックを挟み込んでベッドの下にもぐりこめなくしたの言うまでもありません。(続く)

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July 08, 2015

うちにネコを入れてしまった!4

150315_200534  途中のホームセンターでササミ系の缶詰を何種類か購入したのちブリーダーさん宅から約一時間半で帰宅。キャリアケースをリビングに持ち込み、使用済みの砂を猫トイレのあたらしい砂に混ぜ、ロイヤルカナンのカリカリと水の容器を餌台におき、いざキャリアケースの上蓋をあけて猫を初めて部屋の中に放ちました。猫は自分の置かれた環境がどうなったのかよく理解できないのは当然で、何か固まってしまいましたので、とりあえずは暗くて安心できそうな猫ちぐらならぬニセちぐらの中に放り込んだら、そこが自分の場所だと理解したようで、しばらく日中はもっぱらそこで生活するようになりました。まあ当所から予想してきたことですが、環境が急激に変わったせいか時間になってもカリカリはおろか猫缶も一切口にせず、水も飲んでくれません。当然トイレにも入りませんでした。以後どうやって食事をさせるか、あの手この手を使いましたがしばらくの間けっこう苦労しました。夜、あまりにもニセちぐらの中から出てこないので、もふもふ攻撃を加えて強制的にスキンシップを計りましたが嫌がらず少なからず警戒心を解いたようでした。
 夜中は1階に一匹で置いておくのも心配なので2階の自室に連れて行きました。そこにも猫トイレと餌皿、水入れは置いてあります。ちゃんと布団の中に入ってくるくらい警戒心が薄れたものの、相変わらず餌を食べてくれず、やっと夜中の3時半くらいになって空腹に耐えかねたのか、人の指をやすりのような舌で舐め始めたので、前夜の缶詰をちょっと温めて与えてやったら初めて食事をしてくれました。そこでつかさず砂の上に乗せてやったらおしっこもしてくれましたのでちょっとだけ安心しました。でも翌日からも餌の食いつきが極端に細くて一週間くらいあの手この手で苦労することになります。そうでなくとも少々小ぶりの猫だったのですが、えさの食いつきが悪かっただけにいまだに他の猫より成長が20日間くらい出遅れた感じです。(続く)

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July 07, 2015

教材だったクラニー安全燈(炭鉱用カンテラ)

150706_083836  一度も坑内に下がったことのない本多船燈製造所製のクラニー安全燈おおよそ明治30年代の製造品を入手しました。以前北海道の深川の4代100年以上続いた農家の納屋から出てきた同じく本多船燈製造所製のクラニー安全燈を入手していますが、そちらは実際に坑内で酷使されたのちに古道具屋経由で農家に入ったようで、農家に入ってからもすでに100年は経過してガーゼメッシュのトップが欠落しているような状態でしたが、今回の物はまったくの完全品で、すべてのパーツが揃っており、一度も坑内で使われていない証拠に本体に打ち傷ひとつありません。それもそのはず、学校の教材としてずっと保管された個体だったからなのです。以前にも本多船燈製造所製デービー安全燈を入手したときにまったく傷が無く新品のような状態だったために、学校の教材落ちを指摘していましたが、今回のものはさる富山県内の高等学校の備品管理シールが底に残っていました。この炭鉱用安全燈がどういう授業で使用されるために学校に入ったのかはよくわかりませんが、実際の安全燈製造メーカー以外に大阪の教材メーカーがどこか金属加工業者に製造させて自社の銘板を装着した構造的には坑内では使用するのが危険なほどの怪しげな教材用安全燈を見たことがあります。
 昔の資料をいろいろ読み解くとクラニー安全燈は明治25年くらいから国産化されたのをきっかけに各地の炭鉱に普及したようですが、日露戦争で石炭の生産が拡大したことで各地で安全燈が原因の重大事故が頻発し、これを契機に大手の炭鉱では早くも新型の揮発油安全燈を導入しクラニー安全燈はメタンガス引火の危険が大きい切羽から運搬坑道などの使用に限定されます。しかし中小零細の炭鉱ではコスト的に揮発油安全燈を導入することなく大手炭鉱でお役御免になったデービー安全燈やクラニー安全燈などを使用し続けますが、まだ裸火の灯油カンテラよりもマシだと思ったのでしょうか。デービー安全燈やクラニー安全燈が完全に炭鉱坑内から引退するのは大正初期に直方安全燈試験場の実験結果からメタンを含む気流にさらされた場合の危険度が証明されてからのようですが、その時期にはすでにほとんどの炭鉱で揮発油安全燈が普及していました。
 入手先は富山県の高岡市ですが、上記のとおり富山県内の統合されて無くなった高校の備品落ちです。以前の深川の古い農家から出たクラニー燈と異なり金網以外の全体にニッケルメッキがかけてありました。できた当初は高級感漂うなかなか華やいだ安全燈だったはずです。芯はロープをほぐしたようなもので、灯火用の棒芯とは異なります。これは神奈川から入手したこれも教材備品落ちらしい本多のデービー燈のものとも同じでした。この時代の安全燈全般がそうですが、使用するのは引火点の低い原油由来の灯油ではなく、植物性のともし油もしくは植物性油と灯油の混合物でしょう。


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うちにネコを入れてしまった!3

 今年は記憶にないほどの暖冬で、結局凍結防止のために水道を落とすということが一度もありませんでした。その暖冬のせいか普段の年は5月中旬にならないと芽吹かない若葉が4月の後半には芽吹いてしまうような暖かい年で、こういう年の冬に生まれた猫の成育にもきっといい影響があるはずです。そんな珍しくもほとんど雪が解けてしまった札幌に車で猫を迎えにいきました。その場所は札幌郊外の豊平川と石狩川の合流に近いあたりに存在するブリーダーさんで、札幌といえば中心部と昔、親戚のあった平岸周辺とその川を挟んで反対側しか土地勘がありません。カーナビがなかったら一旦中心部に出ないとたどり着けなかった場所だったかもしれません。それで前日に退院してきたばかりのブリーダーさん宅へ伺い、招きいれられた部屋が子猫部屋で、なんと1月2月に生まれたメインクーンの子猫たちが20匹近くもひしめいているのです。おそらくこれ以降もこんなにたくさんのメインクーンの子猫たちに足元に擦り寄られることはないのでしょうが、驚いてしまいました。活発な子猫は金網で作ったバリケードをよじ登って何とかほかの場所に脱出しようというのが何匹かいる中でほとんどの子猫はブールータビー&ホワイトやブルーソリッドなどの灰色のものが多く、ブラウンの子猫は今回お願いした子猫一匹だけでした。この子がそうですと抱かされた子猫はほとんど手のひらサイズで、成長のいい兄弟猫よりも少し小ぶりのようでした。1/8生まれの子猫は初産の子で、4匹兄弟のうちオス2匹メス2匹のうちの1匹とのこと。そしていわれたのが「ちょっとビビリな子です」という言葉で、とたんにマイナスイメージが頭を駆け巡りました。とかく猫を迎え入れるときは、大勢の中から一番人間に対して物怖じせずフレンドリーなやつを選び、人間にビビッて隅っこに固まっていうような猫は避けるべきという言葉です。猫扱い上級者ならビビリの猫をフレンドリーな猫に飼いならすことは訳ないのでしょうが、こちらはいちおう猫を飼うことは初めてみたいなものです。こちらに抱かれていても細かく震えているような状態でしたが、良いと思って選んだ猫ですし、乗りかかった船なのでそのまま連れて帰ることにし、書類に一通り署名していろいろなサンプルのプレミアムフードやおもちゃをいただいて帰宅の途につくことになりました。そのときにいわれたのが、カリカリは置き餌にして缶詰を毎回食べさせてほしいということと、ケージ飼いはせずに自由に歩きまわれるよう室内飼いしてほしいということ、当たり前のことですが具合が悪いようだったらすぐに病院に連れて行く、時期が来たら去勢して繁殖には絶対に使用しない、ワクチンを必ず接種させるなどの基本的なことです。第一回目の3種混合ワクチンは3日前に接種済みとのことで、証明書が付いていました。缶詰のことは頭にまったくなく用意していなかったのですが、帰りに何種類か買って帰ることにします。細かい手続きを終えていざ帰宅しようとブリーダーさん宅を出たところで臭いつきの猫砂をもらうのを忘れたため、ブリーダーさん宅に戻り、猫砂を少しいただいてきました。それはペーパーサンドで、木質の砂しか用意していませんが何とかなると思い、助手席の扉がこちら側になるようにキャリアケースにシートベルトをかけ、一路高速道路をつかわず一般道78kmの道を帰ることにします。ワクチン接種で一度は車に揺られたことはあるのでしょうが、猫にとって長距離移動は初めてで酔わないか心配です。でも案外平気で一言も鳴かずにじっとしていましたが、家まであと10キロというところで急にしきりに鳴き始めました。急にいつもと違う環境に連れて行かれることを悟って不安になったのでしょうか?(続く)

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July 06, 2015

うちにネコを入れてしまった!2

1425105532530  実家に帰ってすでに10数年を経過し、母親はおろか親戚の叔父叔母がことごとく亡くなったことで我が歳を悟ったわけではありませんが、父親もすでに平均寿命を大幅に超えてしまったため、大かれ少なかれ独り身になることは目に見えています。さらに室内飼いの猫だと普通に20年くらいは生きてしまうようで、そうなると今飼ったとしても猫の寿命が尽きるころにはこちらだっていい老人です。それにペットショップの売りっぱなしと異なり、ブリーダーさんから猫をいただく場合には単身者や猫の寿命を考えて高齢者には渡さないというところも多いらしく、それなら猫を飼うなら今が最後のチャンスということで、猫探しが始まりました。
 実はしばらく前に我が家の向かいの家がご夫婦ともども介護施設で生活することとなって空き家になり、その空き家がしばらくの間、保護猫をあたらしい飼い主に斡旋する間に育成する団体の保護猫ハウスになっていたことがあって、成猫を貰い受けるという猫の飼い方もあったのですが、やはりどうしても一匹目の猫は子猫の段階から育成してちゃんと自分でしつけてみたいという気持ちが大きく、結局は長年の目標だったメインクーンの子猫を探しました。ラグドールという選択肢も捨てがたく、市内に割りと有名なキャッテリーも存在したのですが、2ヶ月探して札幌のメインクーン専門ブリーダーさんからブラウンクラシックタビーの♂(いわゆるキジトラ)を迎え入れることになりました。ところがブリーダーさんがアイスバーンで転倒して骨折入院し、退院してくるまで見学もままならず、結局は生後68日目の3/15に対面即連れ帰るということになりました。その間一ヶ月間が空いてしまうわけで、子猫の性格が固まり始める段階でブリーダーが不在なのは何かと心配で、迎え入れ希望の子猫がどういう性格なのかわからないまま引渡しの日を迎えたわけです。その間、家の中は床に転がっているものは極力片付け、家具の隙間などは丸めた新聞紙でふさいで人間の手の届かないところに子猫がもぐりこむのを防ぐ処置を施し、要所要所には100円ショップで購入した金属ネットを施し、棚に上がって物を落とさないように片付けたのはいうまでもありません。つぎに猫を飼うために必要な用具用品を何回にもわけで少しずつ購入していきました。一番悩んだのは飼育用のケージを購入するか否かだったのですが、これは一旦先送りし、トイレを1階と2階にそれぞれ1個ずつ計2台、餌の容器と餌台、餌はブリーダーさん指定のロイヤルカナンのマザー&ベイビーを2kg袋で、猫が安心して隠れていられるように猫ちぐらのようなもの、猫ベッド&ブランケット、爪とぎダンボール。そして、猫砂は先方で何を使用しているか聞き忘れたのですが、これがいいだろうと選んだのがアイリスオオヤマの固まる猫の砂ウッディーフレッシュ7リッター入りでした。猫を連れ帰るのに必要なキャリアはホームセンターでたまたま特売になっていたプラスチック製のもので、これは正面の金属製の扉だけではなく、上蓋も簡単に両方向からひらくという優れもので、何と1,480円というリーズナブルなプライスで購入したもの。一番悩んだのは猫用の給水器で、以前の猫があまり水分を取りこたがらず、餌が原因のこともあって尿管結石を患ってしまい、医者からアイムスの療法食を出されて以後はそればかり食わされていたという経験があるので、とにかく猫が水を飲まないとろくなことにならないという頭があって、結局は電動ポンプで常に水が循環する猫用ファンテンを飼ってしまいました。これは結局すぐに使用せず、しばらく後になって使用することになります。その他猫じゃらしや紐つきのネズミなどおもちゃやスリッカーブラシや金属製のコーム、猫の爪きり、消臭スプレーなどのこまごまとした物も猫を迎え入れる前にすべて準備しておきました。(続く)

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ザイペル式揮発油安全燈(炭鉱用カンテラ)

150705_091546  このいかにもドイツ製らしい姿をした揮発油安全燈は正真正銘北海道から出てきたものです。製造所の刻印はありませんでしたがおそらく明治末に輸入されたドイツはウイルヘルム・ザイペルのザイペル式揮発油安全燈です。ザイペルの揮発油安全燈は明治の後期にドイツから輸入されて三井系の炭鉱で使用された記録がありますが、すぐに構造が優れてより安全なウルフ安全燈やその国産コピーの本多式や横田式の揮発油安全燈に置き換えられ、「名前は知られていても現物にお目にかかることの出来ない」安全燈の代表でした。今回当時のザイペル揮発油燈が入手出来たことにより、ウルフ揮発油燈のパテントが生きていた時代のザイペル揮発油燈がどういう構造だったかということがよくわかりました。ザイペルの揮発油燈は戦後のものを一個所持していますが、こちらはまったくのウルフ揮発油燈で、下ガードピラーリングから金網のはまったホールを通して筒内に吸気して燃焼させ、上部の二重メッシュの金網から排気するというシステムでしたが、この初期のザイペル式揮発油燈は単純にクラニー燈を揮発油燈にしただけのものです。吸気も下から行うのではなく上部のガーゼメッシュを通して行い、排気もガーゼメッシュを通して行う効率の悪いものです。またガーゼメッシュも二重ではなくその構造からして十九世紀末の安全燈で、二十世紀初頭の安全燈事故防止に関する各国の保安基準には適合しない構造なのですが、その頃にはウルフ揮発油燈の基本パテントが切れてザイペルでもウルフタイプの揮発油燈が作られていたようです。それゆえにザイペル式などと呼ばれるような特徴的な構造は一切なく、旧型のクラニー燈を揮発油燈にしただけのものですが、なぜか後の直方安全燈試験場のサンプルにもザイペル式として記載されています。

 日本では明治30年代後半に主要炭鉱でドイツからの輸入のウルフ揮発油燈が使用されていた記録がありますが、なぜ同時期に構造的にはクラニー燈と変わらないザイペル式揮発油燈が輸入されたのかがわかりません。どうも三井系の炭鉱に最初に使用されたことから三井物産が係わったことが想像されます。同時期の三井系企業である王子製紙苫小牧工場の建設顛末と三井物産の干渉に関して調べたことがありますが、三井系企業に対する部材調達を三井物産が一手に支配したがり、他の商社からの部材のほうが優秀で価格が安くても、ときには三井物産が三井総本家まで告げ口をしてまで強引に部材調達を独占するということも多かったようです。おそらくフリードマン・ウルフ商会には実績のある日本国内の代理店がすでに存在し、三井物産がフリードマン・ウルフ商会と独占的な代理店契約を結べなかったために、利ざやが大きいが実は間に合わせ的なザイペル式揮発油燈に手を出してしまったのでしょうか。正にドイツの亜炭鉱と日本の瀝青炭鉱の違いもわからないような技術的な素人商社員が単純に商売優先で輸入し、「三井全体の利益」として三井系の炭鉱に押し付けたザイペル式揮発油燈ですが、案の定日本の炭鉱の実情には合わなくて、あまり使用されずに国産揮発油燈に置き換えられてしまったようです。かろうじて大正期の直方安全燈試験場の試験サンプルの中にザイペルの名前を見ることは可能でした。この三井物産とザイペルの係わりは想像の域を出ないので、今後新たなエビデンスが必要です。

 構造的には棒芯を油壷底のネジで繰り出すタイプです。ロックシステムはサイドボルトを締めることでロックする簡単な方式ですが、輸入された当時はまだウルフの磁気ロックシステムのパテントが有効だったからでしょうか。油壷はウルフのようにスチールの外皮を持つ真鍮との二重構造ではなく一重の銅合金製です。ボンネットがないこともあって非常に軽い安全燈です。かんしゃく玉式の再着火装置があるはずなのですが、それを装着して出荷するとウルフのパテントに抵触してしまうため、これはオプション扱いだったふしがあり、この個体には再着火装置がついていませんでした。単純に大正初期に第二次大戦が勃発し、かんしゃく玉が輸入できなくなったときに再着火装置を装着できずに出荷された国産他機種に流用された可能性はありますが、輸入コストを抑えるため、再着火装置のオプションなしで輸入されたということも否定できません。(直方安全燈試験場のサンプルになったザイペルもわざわざ「着火装置なし」と注記があります) ドイツの亜炭鉱で使用されるため、メタンガスの気流にさらされるリスクが少なく、ボンネットがありません。その分小型軽量で吊り環までの高さは23.5cmほどです。サイズ的にはジュニアウルフ燈のサイズです。メッシュは一重でその高さは8cm程しかなくそれを保護するガードピラーは3本、腰ガラスのガードピラーも3本です。本多のクラニー燈でさえ腰ガラスのガードピラーは6本あります。跳ね上げ式の反射板を装着するであろうヒンジが一箇所ありました。重量は燃料と再着火装置抜きで800gと超軽量です。これが本多のウルフ燈だと倍の1.6kgもあります。ボンネットレスだということと、油壷が一重で肉薄なことが全体の重量に影響しているようです。ちなみに総アルミ製のヘイルウッド安全燈はさすがに950gと軽量です。

 入手先は北海道の岩見沢で、いにしえは石炭輸送の中継地として広大な操車場を抱える鉄道の町でした。近くには幌内や幾春別、美唄の大炭鉱、旧栗沢町に中小の炭鉱などが存在しますが、売主に入手先を尋ねるも知り合いから入手したもので、その出自は不明とのこと。輸入雑貨品に混じっていたというものではないので道内の炭鉱にもたらされたザイペル揮発油燈には間違いないのですが、どこの炭鉱が使用していたものかわからないのが玉に瑕です。時期的には鉄道国有の保証金を元手に開発により出した室蘭の製鋼所の建設資金繰りで三井の軍門に下った北海道炭鉱汽船の炭鉱に三井の手によって押し付けられたものなのでしょうか?当時すでに北炭では輸入のウルフ揮発油燈が切羽で使用されており、ザイペル式揮発油燈は運搬坑道などのガス気の少ないところでクラニー燈などから置き換えられた程度でほどなくお蔵入りしてしまったのでしょうか?

 この時代のウィルヘルム・ザイペルの揮発油燈には技術的な独自性がまったく感じられず、技術的にはフリードマン・ウルフ商会とは雲泥の差、英国のエイクロイド&ベストの足元にも及ばず、英国や米国の炭鉱地帯のブラスウェアの安全燈製造会社程度の技術力の会社です。しかし、ザイペルの揮発油燈はその後ウルフのパテントが切れたころに構造的にはウルフ安全燈の完全コピーを果たし、またドイツの炭鉱では1960年代まで揮発油安全燈が明かりとして使い続けられたことから、長期間にわたり揮発油安全燈製造会社として永らえたようです。ただ、第二次大戦後に戦争協力企業として解体されたというようなことを何かで読んだような気がするのですが、戦後は名前を変えて存続したのでしょうか?
 
 ところで、ウルフ揮発油安全燈ですが、どうも最初の市販品は平芯の油燈だったようです。これは日本にも入ってきており旧型ウルフ燈とされることもあるようですが、構造的にはのちのウルフ揮発油燈に共通なものの平芯油燈ですから再着火装置もありませんが、下部リングからメッシュを通して吸気するまぎれもなくウルフ式です。揮発油燈になるまでの間に合わせ的なものだったのか、イギリス国内では油燈が好まれ、また再着火装置が認められなかったことからイギリス国内向けと揮発油の供給が困難な地域向けに作られた代物だったのでしょうか?

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July 05, 2015

うちにネコを入れてしまった!

 実は意外にネコ好きなのです。とはいえ、うちの母親が大のネコ嫌いというか動物全般がイヤで、外で飼う犬だけは祖母が熊除けとして山に連れて行く目的で35年ほど前まで何代が絶えたことが無かったのですが、家の中にはうちの母親が嫁に来てからというもの一度もネコが家に上がったことが無かったのです。その前まではねずみ対策として我が家でも出入り自由の飼い猫がいたということですが、ある日外で猫いらずを食ったねずみを食べて死んでしまったとのこと。それ以来60年に近いほど我が家にはネコがいなかったわけですが、あれだけネコ嫌いだった母親も亡くなって7年ほど経ち、そろそろこちらもいい歳になって子猫から育てるのは最後のチャンスということで、ついに我が家にネコを一匹入れてしまいました。実はネコとの同居は初めてというわけではなく、20年以上前に世田谷から千葉の奥地に引っ越すとき一軒家を会社の同僚とシェアし、その同僚が連れてきた3匹の猫と同じ屋根の下で暮らした経験があります。その3匹というのが純血種のシャムのオス、雑種の灰色メス、拾われたまだ子供の尻尾の短いサバトラの3匹です。このときにそれぞれまったく性格の異なる3匹と付き合ったことで、自分自身はネコを飼ったことが無いのにもかかわらずネコの扱いの経験が少しは付いたと思っています。純血のシャムのオスは非常におっとりした性格ながら非常にいたずらが激しく、なんでも噛んでみないとすなまいようなネコでした。ところがえさにあまり執着しないので、自分の餌を他にの2匹に食べられてしまって、仕舞いにはやせ細って毛艶が悪くなってしまったために別の部屋で一匹だけゆっくり自分のペースで餌を食べさせなくてはならなくなりました。他の2匹はこと餌を食うのには貪欲で、野良上がりのサバトラ子猫は特にがっついていて、両後ろ足を持ち上げて逆さまにしても餌を食べ続けている野良のDNAを確実に継承しているようなネコで、あっという間に他の二匹より大きく成長してしまったのは言うまでもありません。メスの灰色猫は臆病者で、人にかまわれるのを嫌がるような猫だったため、フレンドリーなオス猫たちと比べて飼い主にもあまりかわいがられていないような猫でしたが、このメス猫は個人的に手なずけてみようと思い、単独で部屋に入れておやつを与えることで信頼関係を築き、夜中に部屋のドアをかりかりと引っかいて甘えに来るような猫になってしまいました。その後、下が店舗になっている共同住宅に引っ越して猫との同居は解消しましたが、それ以来20年ほど猫とのかかわりがありません。その当時はアメリカンショートヘアが大流行で、どこのペットショップへ行っても猫といえばアメショーばかりだったのは、一時期の町の中がシベリアンハスキーだらけの状況と似たようなものでしたが、そのとき新聞で見た大型でタテガミのようなもののある猫のニューカマーがメインクーンだったのです。その当時はまだ日本での繁殖がさほど盛んでなかったためか(ブームに乗ったにわかブリーダーがお金になるアメショーの繁殖に走っていた)そこいらのペットショップで見かけることもなく、ブリーダーから譲り受けたとしてもペットタイプで40万くらいの価格がしたと記憶してます。ペット不可の共同住宅で猫を飼うことも出来ず、いつか猫を飼うのだったらメインクーンだと思って世界の猫カタログだけは4年くらい買い続けていました。
 そのうち実家に帰ることになり猫嫌いの母親と同居ということになって猫を育てる時間と暇は出来たものの、メインクーンはおろか捨て猫も拾って来られない生活になってしまったのです。(続く)

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船舶用ボンネッテッドクラニー安全燈

150705_091446  炭鉱用安全燈として製作されたものは船舶用の灯火として使用するために海事用として転用されたものがありますが、これは炭鉱同様に密閉された空間に可燃性ガス(ボイラーが損傷して燃焼中の石炭に缶水が触れて一酸化炭素が発生したり、揮発油の気化等によるもの)や粉塵(船倉内に舞い上がった積荷の粉体など)が引火点に達する濃度となった場合に引火爆発する可能性があり、また船倉内には酸素欠乏箇所もあって酸素濃度を検知する必要もあり、あるトン数を超える船舶は逓信省(戦後には運輸省)の形式認定を受けた防爆燈を備える義務があったようです。実際に昭和の初期には米国本国などから石油製品を輸入するタンカーなどで気化した可燃性ガス引火事故が発生したということですし、現在でも船倉内の点検や清掃に入って有毒ガスや酸欠で命を落としたという事故があります。当方の知る限りでは戦前戦後を通して唯一本多電気(本多船燈製造所の後身)が炭鉱用に供給していたウルフ安全燈コピーの本多式簡易ガス検定燈が逓信省と運輸省の双方とも形式認定を取った唯一の揮発油燈タイプの防爆安全燈だと思いますが、双方とも形式名・製造メーカー・検定番号・製造年月・製造番号などが刻まれた大型の銘板が油壷に付されることで、逓信省と運輸省の銘板の無い炭鉱用簡易ガス検定燈と区別することが出来ます。この海事用の防爆安全燈は昭和30年代にはバッテリー式の防爆ハンドランプに完全に換わってしまいましたが、実際には相当以前から備え付け義務があったものの使われることのない備品(船舶用の銅鑼やふいご式の霧笛同様に)だったのかもしれません。というのも常時メタンガスの危険と隣り合わせの炭鉱よりも、船舶では安全燈を使用しなければいけない状況というのは酸素欠乏箇所検知を除いて少なく、また揮発油安全燈は蓋の開いたオイルライターのように充填したオイルは蒸発してしまうため、いざ使用する段に燃料充填の手間がかかり、現実には火気使用制限エリアで手あぶり程度の暖房代わりに使われたというのが正しいのでしょうか。船舶用としては昭和30年代に日本船灯によって販売された本多電気製のウルフ燈を見たことがあり、ちゃんと日本船灯の銘板が装着されていましたが、運輸省の形式番号や製造年月が記載された銘板には本多電気と記載されていました。
 今回入手した安全燈は日本製であることは疑いの無い代物なのですが、イギリス在住の安全燈コレクターが所有しているもの以外にまったく見かけたことがなく、製造所を含めて謎の安全燈でした。そのコレクター所有の刻印から得られた情報が唯一「SENTO」だったことから船燈であることを想像し、日本船燈あたりの製造ではないかとを疑いましたが、日本船燈は昭和10年代からの会社なのでこのような燈火を製造していたことは考えられず、本多船灯製造所の刻印は「T.HONDA TOKYO」でのちには松葉の菱形にHの文字の社紋となり「Sento」の刻印は一度も使用しておらず、どうやら本多製でもなさそうです。また明治時代から「船燈製造及販売規則」という法律によって船舶で使用される燈火はプレートに船燈というタイトルとともに製品種類、製造年月、製造番号、製造場所、製造会社(多くは個人商店名)が付されていて、「船燈」がすべてのプレートのタイトルとなると正体を特定するのは困難を極めます。唯一亀甲にNKのマークが確認できますが旧日本鋼管はNKKですし、こんなものに手を出すはずはありませんが、どうやら大阪に存在する中村重政の中村船燈製造所が製造した可能性が高いです。実際に届いた代物にはペイントが塗り込められたトップハットにエッジング銘板が装着されていました。剥離剤でペイントをはがして銘板の判読を試みましたが判読できた文字は「月製…株式会社…東京大阪」の結局わずかな情報しか得られませんでした。しかし、銘板の感じからするとやはり船舶用の安全燈と判断してよさそうです。あまり大きな商船で使用されたものではなく、往年の木造機帆船あたりの規模の船舶で使用されたものなのでしょうか。
 安全燈としての構造はやはりボンネッテッドクラニー燈なのですが、日本の炭鉱坑内で使用された国産のデービー燈やクラニー燈が種油などの石油由来以外の燃料専用で、精製度の高い灯油を使用するとバーナーステムから炎が燃え上がってしまうのに対してこれはさすがにクラニー燈といえども石油専用になっているようで、逆火がバーナーステムに開いたホールに引火しないようバーナーが改良されています。また空気の流入経路が根本的に改良されていて、ガードピラー下部リング側面の二箇所に網が張られてそこからピンホール3個が内部に貫通していてそこから吸い込んだ空気で燃焼して排気がカーゼメッシュを通して上部から逃げるというウルフ燈に近い空気の経路となっています。芯の上げ下げもウルフ燈同様に油壷下部のネジで繰り出すようになっています。またロックシステムも簡単なサイドボルトロックでした。また炭鉱坑内で使用するものではないため上部の吊り環は鉤ではなく直径も細い環となっていました。ところがカーゼメッシュのところが金属の円筒で囲われた明らかに国産のボンネッテッドクラニー燈がほかにも存在し、一度目にしたことのあるものは明らかに坑道内で使用された形跡のある傷だらけの安全燈でした。それは銅山が多く操業していた秋田から出たものだったのでガス爆発防止のためではなく、発破直後の坑道内で粉塵爆発防止のために試用されたものだったのでしょうか?これは油壷などの形状からして本多船燈製に間違いないようでした。
この手の安全燈に共通する構造として油壷本体は真鍮を旋盤加工してくり抜き、鉄板もしくは真鍮板製の円形底板をロウ付けするものなのですが、打撃により油壷の変形や経年劣化によって、今では灯油を注ぐと底板のロウ付け部分やウイックピッカーステムのロウ付け部分から灯油がじわじわと漏れ出してくるものがほとんどです。逆に揮発油燈はベンジンを油壷の綿にしみこませる構造なので、液体の漏れのリスクは少ないです。そのため、症状の軽いものはガストーチで半田付け部分を炙り直す程度で漏れが止まることもあるのですが、今回の安全燈は複数個所から液漏れしていたので、瞬間接着剤を何層も重ねて埋めなおしてしまいました。構造上灯油を充填するたびに芯上下のためのネジをはずさなければならなく、非常に面倒くさい構造です。また炭鉱用安全燈の腰硝子は熱処理された分厚いものなのにくらべて、この安全燈の腰硝子はそれにくらべると2/3くらいの薄いものが着いています。

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