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August 31, 2015

うちにネコを入れてしまった!16ラグドールまで加わった我が家

150829_112246  突然ですがうちに2匹目の猫をいれてしまいました。
2歳10ヶ月のメスの猫で、市内の方から里子に迎えました。その猫種というのがラグドールというメインクーンに勝るとも劣らない大猫になる種類で、避妊手術を済ませてからウエイトコントロールがうまくいかなかったのか、それともこれくらいの体重で適切なのか、すでの6キロ超の堂々たるラグドールです 。前飼い主が転職で入寮ということになり、泣く泣く手放されたということでしたが。

 同じ市内だったということもあって、里親を申し込んでからとんとん拍子に話がまとまり、早くもその日の夜には我が家につれてくることになりました。キャリアケースを車に入れて走り出したとたんに鳴き出し、おしっこまで漏らすしまう始末で先が思いやられる感じでしたが何とか我が家に入れて先住猫との対面となりました。ところが予想通りそんなに簡単になれてくれる訳がなく、う~という威嚇の声を出してテーブルの下に入ってしまう始末です。翌日も先住猫にはまったく慣れる様子がないため、二段ケージを買ってきて何日かは先住猫に邪魔されない環境で過ごしてもらうことにしたのですが、どうも様子がおかしいのです。フードが合わないと下痢をする以外はまったくの健康体だという話だったのですが、どうも常にお尻が濡れていて尿臭が漂い、あまつさえ何度も何度もトイレに座ってもおしっこが出ないということを繰り返していました。翌日も先住猫が興味を持って近寄ってきても迷惑そうに威嚇するという状態は変わらず、確証はなかったのですがどうやら体の具合が悪そうで、おそらく尿路系疾患、特に膀胱炎疑いですぐに先住猫を同じ週の月曜に虚勢手術してもらったばかりの近所の動物病院に持ち込むと案の定、膀胱炎症状だといわれました。そこで膀胱カテーテルを入れられて尿を採取したのち膀胱洗浄ということになり殺されるかのような断末魔の悲鳴を上げ、その後エコーで膀胱周囲を観察すると、膀胱壁にストルバイトの塊、おそらく砂状の塊があり、これが原因で膀胱壁に細菌感染して膀胱炎になっているとの診断です。また洗浄した液の中からもストルバイトの四角い結晶が見つかりました。
 治療のため、毎日しばらくは抗生物質の点滴と投薬に通うことになりました。さらに療法食に切り替えるように厳命を受けたのですが、サンプルにいただいたヒルズはそのままではまったく受けつけず、1/4混入からはじめる療法食切り替えトレーニングを始めています。
150825_183925  また点滴2日目以降から急速に体調が改善したためか、本来のべた甘気質が最大限に発揮されるようになり、先住猫のちょっかいにも余裕で相手ができるようになりました。いまでも微妙な距離感はありますが、キャットタワーの最上段と二段目にいっしょに長くなっているというくらいの関係までには持ってこれたようです。まあこれから家族として長く一緒にすごせるように、具合が悪くなった猫の症状をすぐに察知してただちに動物病院に連れて行くのは飼い主の義務ですが、何か前飼い主のツケを全部払わされているような気分です。前の飼い主の方は仕事で一緒にすごせる時間が短いとはいえ、アンダーコートにオーバーコートが絡み付いて一瞬肉の塊かと思わせるような毛玉が何箇所も出来ていて、耳の穴は手入れをした様子が無く、足の裏の毛は伸び放題、おまけに餌のやり方を気にせず膀胱結石が主因で一週間手入れ不要のトイレから尿道を伝わって細菌感染して起こった膀胱炎を見落としていたわけですからお世辞にも大切に育ててきたとは胸を張れないでしょうし、まして健康な猫であったわけではありません。
 膀胱炎ラグドール、4日抗生物質の点滴に通ってすっかり体調が戻ったようで、先住猫ともすっかり折り合いがついて距離感もまったくなくなってしまいました。うちに来た当初はう~とばかりうなって、まったく関わろうとしなかったのですが…

 うちの先住猫ではあたりまえのことでしたが、「飼い猫はちゃんとしたエサを食べさせて水をたくさん飲ませ、それらの量のチェックを欠かさず、定期的に体重の増減を調べる。またトイレは手入れ不要のものを使わず、毎回ごと汚れた砂の部分は取り除き、新しい砂を補充し、定期的に砂の総入れ替えを行う。」が猫の健康を保つための最低限のケアです。

 結局、8日間点滴と抗生物質の注射に通い、最後に2週間の持続抗生物質(一本4500円)を投与して通院終了となりました。今では先住のベルクを押しのけて一番いいポジションに居座り、人間に対してはおなかを見せて甘えてくる媚にゃんこに変身してしまいました。アンダーコートが密になりすぎて腰まわりに毛玉が出来やすく、抜け毛も大変だったのですが、ファーミネーターのおかげでアンダーコートをかなり梳いたことで、抜け毛も落ち着いてきました。見掛けがデブなので、運動能力がそれなりかと思いましたら、走り回る能力はベルクに劣るものの上下にジャンプする能力は遜色なく、猫タワーの2段目まで一気に飛び上がれるくらいの筋力はあるみたいです。

 エサは現在ヒルズのc/dが100%ですが、油断しているとベルクのロイカナのキトンを食いたがるため、キトンに手をつけたらさっとヒルズのc/dの皿に差し替えることをしています。またウェットは好きではないという話でしたのに、ベルクのウエットまで手を出す始末で、c/dだけしか食べさせないというのもなかなか猫の好みがありますから大変です。でもまあ、当初まったく口をつけなかったヒルスのc/dをトレーニングの結果、短時間で100%切り替えられたのは良かったですが、前田先生によると100%の療法食に切り替えるのに3週間以上掛かった猫もいるそうで、やはり好みのエサから必要な療法食に切り替えるのは大変なことだと感じました。

 もとの名前が「ウニ」という名前なのですが、見かけがサンダーバード2号みたいなので、影で「サンダーバード2号」といわれています(笑)

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August 18, 2015

うちにネコを入れてしまった!15 メインクーンの去勢時期は?

150817_193119  オス猫の去勢はいつするべきかという時期に関してはいろいろな説があるようです。未避妊のメス猫といっしょに飼っている場合は早めにしなければならない事は当然ですが、単独飼いのオスの場合となると話は別で、あまり早く去勢をしてしまうと尿路形成の関係で良くないという話もありますし、成長途中で去勢することによって体が大きくなりにくくなるとか、顔が子供のように小さいままで成長し、見かけが貧弱にになるとか、未確認情報ばかりで混乱してきます。
 2回目のワクチンを接種してもらったうちの近所の獣医は7ヶ月過ぎを勧めてきましたが、メインクーンは一般の猫と比べて成熟がゆるやかで、体を十分に成長させるには10ヶ月目くらいの去勢が適当ではないかとブリーダーさんにも相談しました。ブリーダーさんの話では7ヶ月を過ぎてくらいの去勢で成長が止まるという経験はなく、自分のところの繁殖メインクーンは10ヶ月を過ぎてもスプレーに及ぶオス猫の話は聞かないとのことで、去勢の時期に関してはなんとも言えないといわれ、ますます混乱してきました。果たしてメインクーンのオスは7ヶ月で去勢するべきか10ヶ月すぎて去勢するべきか。ただ、去勢を遅らせると尿臭がきつくなるそうで、これも室内飼いの猫としては決定的にいやです。
 結局は獣医の勧めどおり7ヶ月過ぎて去勢することになったのですが、そのきっかけとして6ヶ月過ぎからときおり飼い主の腕にまたがって手首を噛み腰を使うという擬似性行為が見られるようになったことと、あいかわらず食が細くて他のメインクーンよりも成長が遅く、去勢することによって食欲が出てくると成長の遅れの挽回、特に体重が増加につながってくれるのではないかということからです。普通の猫は約10ヶ月で成長がほぼ止まるといわれますが、メインクーンは体格で14ヶ月、体重は5年近くかけて成長が続くといわれます。しかし、うちの猫のように急激な成長期にあまり食が細くて食べないのも困ってしまいます。
 歯が永久歯に生え変わったばかりで、ペニスにまだトゲトゲが立ってない7ヶ月目の若猫のタマを抜くのはまだかわいそうな気もしますが、今後人間とずっと一緒に暮らしていくためにはやむを得ません。
 お盆明け翌日9時に手術の予約を先月からいれてあった近所の動物病院に猫を持ち込み、院長(高校の一年先輩で獣医学博士)の指示でキャリングケースを開けて洗濯ネットに猫を押し込みました。うちの猫は洗濯ネットになどいれられたことはないのですがまったく抵抗せずあっさり網の中に納まり、診察台にしこまれた体重計で体重を量ると朝に家で量ったと同じ4.1キロと出ました、昨日朝は4.2キロもあったのですが、昨夕以降の絶食と水止めが影響したのか100gのマイナスです。ここで飼い主の用事は終わり、受付で手術の同意書(ようするにどうやって死んでも絶対に文句は言わないという誓約書)書いて、あとは夕方5時過ぎに手術費用の清算をして猫を受け取るように言われて動物病院を離れました。お盆期間中休みだったこともあって犬の患畜で混雑していましたが、猫は去勢の予約を入れてあるうちのと、もう一匹お盆期間中に体調を崩して食欲がなくなったという若い猫だけでした。午後5時すぎに猫を連れ帰るように指示され、キャリングケースだけ持って動物病院を後にしました。
 夕方5時ちょうどに再度動物病院に出かけると朝とは打って変わって患畜だらけで猫の患畜も4匹おり、ウサギの患畜もあとから一匹やってきました。30分くらい待たされたのち、タマなしになった猫と対面。患部をなめないようにエリザベスカラーを巻かれて見事なパラボラアンテナ猫になっていました。そこで獣医からの注意事項を聞きましたが、まず、気管から全身麻酔をかけたため、まだ麻酔の影響は残っているのであと3時間から4時間は絶食水止めを継続し、まず水を飲ませた一時間後から少量の食事をさせること。麻酔の影響で体温の調整機能が低下しているので、低体温にならないように注意すること。メインクーンは胴体も首も長いのでエリザベスカラーが首元までずれると患部をなめる可能性があるので、エリザベスカラーの根元にバンダナでも巻いて首元までずれないように処置する。エリザベスカラーは2週間はそのまま巻いておくこと。縫合糸は融けて吸収されるものを使用しているが、いちおう2週間後に経過を見るため受診することをすすめる、などのことでした。
 家に帰ったうちの猫は慣れないパラボラアンテナに四苦八苦しているようで、水が飲みたくて電源が切られた給水器にがちがちとパラボラをぶつけるも当然水を飲むことが出来ず、ほぼ24時間の飲まず食わずの状況でかわいそうで仕方がありませんでしたが心を鬼にして要求を無視。時間が来て給水器の電源を入れるもなかなかうまく飲めません。さらに時間がたってカリカリをだしてやりましたが、パラボラがじゃまで皿から大量に餌をこぼすは、挙句の果てはパラボラのふちで皿をひっくり返すはで、見ていられません。このエリザベスカラーと折り合いがつくのにまだまだ時間がかかりそうですが、なれたときにはもう2週間くらい経って取ってもいい時期に来ているかもしれません。

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August 11, 2015

テクノス カイザーシグナルへのこだわり

150810_134131_2   30年ほど前、何せ貧乏だったので使用している時計は数千円のセイコーのサブブランドであるAlLBAのデジタルでした。時計というものは何個持っていても所詮一個しか身につけられないので、気に入ったものを一個持っていればそれでいいというのは正論だとは思いますが、タキシードにダイバーズウォッチではさすがにセンスを疑われます。というわけで、その後少々自由なお金が出来たときに何個か時計を買ったのですが、すべて特殊な時計ばかりで、ダイバーズのほかにはクォーツのムーンフェイズ付きクロノグラフ、出始めたばかりの気圧・高度計付きで気圧の変化がメモリーできるデジタル、機械式ムーンフェイズ付き手巻きのクロノグラフ、デジタル式のヨットタイマー、星座早見表付きシチズンのコスモサインなどでしたが、人にあげてしまったり売ったりしまい込んだりして、結局29年間の長きにわたって欠かさず毎日身につけているのはROLEXのサブマリーナ#16800なのです。サブマリーナの中身の機械は年々進化していますが見かけはまったく変わっていません。そのため、古い時計をいつまでも身につけているとは傍から見てもまったくわからず、おまけに他の時計が欲しいなどとは思わなくなってしまったため、一時ブームになったカシオGショックの限定モデルなどにもまったく興味がなく25年間は中古を含めて時計を新しく購入したことがありませんでした。

 ところが、その間も一個だけ気になった時計がありました。それが今は商標権が売られてしまい中華安時計ブランドに成り果ててしまった感がありますが、当時はスイス製舶来時計の代表的メーカーで、日本では平和堂貿易が扱っていたテクノスの70年代後半に発売されたある特殊なメカが仕込まれた時計だったのです。実は正確な時計の名前は知らなかったのですが、中学校のある先生がこのテクノスをはめてきて、見せてもらうと丸い窓から赤い光がチカチカと光る(ように見えた)のです。当時の中学の先生の給料でスイス製の時計というのも考えられませんが、この先生は実家が塾を経営していて夜はそこの講師もしているらしくかなりの副収入があったのでしょう。車も実家のクラウンの黒塗り4ドアか白いクラウンの2ドアを気分によって乗り換えてきており、通常身につけている時計はオメガでした。まあ、今と比べると子供の数が多く、塾も今のような進学塾というよりももう少しで公立高に引っかかるように通う補習塾的な意味合いが強いものでしたが、アルバイトが禁止された今と違って当時の先生たちは学習塾講師もさることながら個人の家庭教師などの副業が盛んに行われていたものだったのです。また音楽の先生はピアノ教室、美術の先生は絵画教室なども普通におこなっていたのです。それでそのテクノスの赤く光る腕時計は長い間電気式の時計だと思っており、それもボラゾンという名前だと思っていました。地元の時計屋の新聞広告でその名前を見たような記憶があったからです。実は機械式時計で中の赤い光が電気で光るのではなく赤く塗装したパドルのようなものが間欠的に回転している仕組みで、名前がテクノスのカイザーシグナルというものだったことを知ったのは比較的最近のことです。
 しかし、当時の中学生が時計としての興味の中心はセイコーまたはシチズンのストップウオッチ付き時計、いわゆるクロノグラフです。通常の自動巻き腕時計が一万円台前半が多かったときにこれらは一万円台後半から二万円台前半くらいしました。
 今のように時計が100円ショップに普通に置いてある時代と異なり、地方では時計というのは地元の時計眼鏡店で進学などをきっかけに買ってもらうもので、そのため地元の時計眼鏡店では3月くらいに新作の時計のチラシを配るのが普通で、それを見て志望校に合格したらストップウォッチ付きの腕時計を買ってもらうことを夢に見ていたのです。結局は高校進学するときにセイコーのファイブスポーツスピートタイマーの30分計付きクロノの青文字盤のものを買ってもらったのですが、ちょうど液晶のデジタルクォーツウォッチの勃興期にあたり、そのときのデジタルクォーツウォッチは舶来のスイス製時計くらいの値段だったので、当然購入の選択肢にはありませんでした。高校では10人中半分はセイコーかシチズンのクロノをはめていたと思います。その生産の多数を中学高校生の需要でまかなっていたのではないかと思うほどです。さすがに高校の中ではスイス製の腕時計をはめている人間はあまりおらず、わずかにブラスバンドの一年後輩がラドーのごついカットガラスの風防がついた時計をはめていたのしか覚えがありません。当時、国産の普及品腕時計が1万円台で買えたのに同じ機能のスイスの時計が4万円台でしたが、関税や物品税を考えるとレベル的には国産の時計とそう変わりがないはずです。それなのにわざわざ舶来腕時計を買い与える親は相当見栄っ張りなんだと思ってしまいました。しかし、そのセイコーの機械式クロノを使用していた数年間にデジタルウォッチの価格は劇的に低下し、結局4年ほど使用したのちセイコーのサブブランドALBAのデジタルクロノを買って使うようになりました。その数千円台の普及品デジタルウォッチの出現で時計というものは進学などの節目に買って貰う特別なものではなくなり、幼稚園児や小学生が普通にしているものになってしまたのです。そのあたりからスイス製の機械式時計の凋落が決定的になったのではないでしょうか。
 ロレックスやオメガなどと比べて素人目線からもスイスの普及クラスのイメージだったテクノスやラドーは一時は相当幅を利かしたスイス製腕時計ですが、当時からまったく欲しいと思ったことがありませんでした。それから幾星霜、平和堂貿易はテクノスを見限って久しく、ラドーの酒田時計貿易は会社自体がなくなってしまいました。そんな時代に唯一懐かしいのが中学の先生がしていたテクノスの赤いシグナルが点滅する時計です。調べるとボラゾンだと思っていた時計がカイザーという時計の仲間のカイザーシグナルだということがわかり、電気式だと思っていたものが実は機械式の自動巻きで、赤く光っていると思っていたシグナルも赤いローターの間欠回転であったことを知ってしまいました。
 そうなったら中古で程度のいいものをオークションで落として分解掃除に出して現役復帰させようといろいろ見てみるものの、ごついカットガラスが飛び出している関係でカットガラスの角に打ち傷が入ってしまっているものがほとんどでした。まあだらだらと2年ほど出物がないか探していたのですが、今年になって以前人にあげてしまったシチズンのウインドジャックというデジタル式ヨットタイマーを2年前に買い戻した名古屋の業者からパープルグラデーション文字盤のテクノスカイザーシグナルを6800円ほどで落札しました。ここの業者は遺失物関係の払い下げ品から価値のありそうなものを大量にオークションで裁いているような業者です。ジャンク扱いですから当然動作の保障もありませんが、ガラスのエッジに殆ど傷が見当たらない、いうなればあまり使用せずにしまい込まれた様子が伺われ、部品の交換なしに分解掃除だけで完動品になりそうでした。届いたカイザーシグナルは思ったよりもガラスの程度が抜群で、エッジに何箇所か微細な欠けがあるものの、このまま使用してまったく差し支えないレベルです。文字盤は何色かあるなかで一番数が少ないパープルグラデーションで、文字盤にしみもなく、針のメッキにもまったく曇りもありません。ただし、相当以前にそのまましまい込まれてしまったらしく、鎖バンドの駒が固着してしまっており、竜頭も巻くことは出来ますが、引いて時刻を合わせることができません。竜頭を巻き上げると秒針がちゃんと動くため、大きな部品欠損とかはないはずですが、時計の姿勢を変えると止まってしまうようです。どっちみちオーバーホール対象としてそのまま数ヶ月しまいこんでしまいました。中身は多くのスイス時計メーカーがそうであったように自社で作ったものではなく、1978年にETA社に合併したムーブメント専業メーカーのAS(アドルフ・シルト)社のものをそのまま詰め込んだらしいのです。このムーブメントは日付のクイックチェンジはロレックス並みで0時を過ぎるとチッと日付が変わります。竜頭も同様に二段引きで一段目で回して日にちをセットするというようなクィックセットですが、竜頭を引ききったところで秒針が止まるハック機構がありません。機械式の時計の精度などたかが知れていますので、厳密に合わせる意味がなかった時代かもしれませんが、今となっては違和感があります。また同世代の日本製ムーブメントが竜頭のプッシュで日付の曜日も、そして曜日は日英が切り替えられるのが当たり前だった当時と比べても見劣りがするものです。しばらく放り出してしまったテクノスカイザーシグナルですが、ふと思い出して手動で竜頭をいっぱいに巻き上げると姿勢に関係なく止まらない動くようになりました。さらに竜頭も引くことが出来るようになりましたが日付のクイックセットが出来ません。しかし時刻は合わせられるようになり日付のクイックチェンジも快調なので、日付が変わったところで4時間戻してまた0時で日付が変われば4時間戻すということを繰り返して日付も合わせました。こうなったら実用上差し支えがないので分解掃除に出さずにこのまま様子を見ることにします。しかし、昔の機械は部品取りが最低1点ほどないと部品の食い合わせなどが心配で、最近3600円でブルーグラデーションでガラスの傷もまだ我慢できるコンディションのカイザーシグナルを入手。こちらはシグナルのローターが全回転しておらず、さらにカレンダーがまったくチェンジしないというジャンクでしたが、竜頭の一段引きでちゃんと日付が早送りできて時計としても機能しているというものです。蓋を開けると20数年前の分解掃除を示す年号がマジック書きされていましたが、あんまりこのメカを知らない時計屋がこのシグナルローターの組み立てを間違えて基部のギアもろともローター回転不良とカレンダー不良を来しているのかもしれません。

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August 10, 2015

オーティス・キングス円筒計算尺L型

150810_133912 計算尺の精度を高めるためには有効基線長を高める必要がありますが、通常の10インチの計算尺の読み取り精度を一桁あげるにはその二乗の長さ、すなわち100インチの計算尺が必要だということになります。そんな長さの計算尺を部屋の中で使うわけにもいかず、またそのような長さの計算尺に精密で狂いのない目盛りを刻むのも至難の技であるため、20インチの計算尺に80インチの基線長を4分割で目盛りを刻んだものが実質的な超精密計算尺として認知されているわけです。その計算尺の精度をより高める試みは古くから円筒に目盛りをスパイラルに刻んでゆくことは誰しも考えたことなのでしょうが、特許を取って実際に商品化したのは1878年にジョージ・フーラによって考案された円筒計算尺やエドウィン・サッチャーが1881年に特許を取得し、スイスのディモン・シュミットという会社が市販した円筒計算尺などがありましたが、どちらも研究室などで使用することを想定して、外に持ち歩くということは考慮されておらず、タイガー計算機なみの可搬性しかなかったと思います。その円筒計算尺を思い切って極小サイズにしてポケットに入れて持ち運びを可能にしたのがイギリスのカービックという会社から発売されたオーティス・キングスという円筒計算尺です。おそらく世界で一番成功した円筒計算尺でその販売期間は1921年から1972年という長きにわたり、基本構造がまったく変わらずに発売し続けられました。長期間にわたりかなりな数が出回っているため戦前から日本にも入ってきているようですが、一般の用途にはここまでの精度は要求されないので、おそらくは大学などの研究室や企業の設計開発部門などの業務用に使用されたのでしょう。また輸入品としてさぞかし高価な計算道具だったはずで、それゆえに国内にあったものが中古市場に出てくることはけっこうまれです。でも本国イギリスでは最終価格が4ポンド25ペンス少々とかなりお安い計算具であったため、電卓出現後も一定の需要があったようで、在庫分は1978年ごろまで売られていたというような情報もあります。おそらくは英国内ではヘンミの計算尺のほうがはるかに高価だったのでしょう。

 大阪から届いたオーティスキングスは形式Lと呼ばれる分類上TypeCという形状の戦後から終末期まで作られたもののようです。黒の皮もどきの貼り箱でぺらぺらの説明書とポンド・ペンス・シリングおよび反対側がインチの単位などでよく使用される分数をデシマルに換算する換算表が付属していました。箱の中はそれ以上のスペースがないのを見ると、この時代は皮ケースは別売りアクセサリーだったのでしょうか?元から日本にあったものらしいのですが、時代が下ったためかさほど使用されずにしまい込まれてしまったらしく、新品に近いほどの程度抜群の個体でした。形状が何かノーベルの特殊警棒そのままで、振ったら中子が出てきて長い警棒に変身しそうですが、このオーティス・キングを伸ばして見せても一般の人は警棒と勘違いするかもしれません。おそらく「金属の棍棒類」に該当として航空機機内持ち込み制限品に該当しそうです(笑) 売主は計算機の類だとはわかっていたようですが、円筒計算尺というものの存在は知らなかったようで、うまいタイトルで出品してくれたおかげで鵜の目鷹の目で珍品を漁っているライバル諸氏に発見されず、開始価格で難なく落札できたものです。とはいえその落札金額は当方の通常落札品の中ではかなりの高額でした。

 このオーティスキングスは収納長がちょうど6インチです。5インチのポケット計算尺の全長にほぼ等しくシャツのポケットに収まるくらいのサイズですが、基線長が60インチ(152.4cm)と20インチの計算尺を遥かにしのぎます。 しかし、印刷した紙のスケールを円筒に巻く構造のため、ある部分の精度が担保されていないらしく、精度に関しては80インチ4分割の20インチ計算尺に劣るようです。
 
オーティス・キングスの目盛りは初期が目盛りを印刷した紙にニスコーティングだったものがいろいろ材料の試行錯誤があって、末期は目盛りが印刷された紙のビニールコーティングラミネート構造のようです、金属の筒とこすらないように分厚いフェルトを介してカーソルおよび金属の筒が収縮するようになっており、古いオーティス・キングスでこの目盛りを刻んだ紙にダメージを受けているものはよほど酷使されたものです。この目盛り板には形式があってTypeCのLは上がLog尺を含むスケールNo.430、下がスケールNo.429です。TypeCのKはNo.423とNo.414の組み合わせです。オーティス・キングスには割と初期のTypeAのものからシリアルナンバーが打たれており、それはアルファベットと4桁の組み合わせて、例外として初期はアルファベットなしの1から始まって9999まで行くと次にA1というように続けられ、いつのまにかX0001のような空数字を入れるようになりました。そのシリアルナンバーによっておおよその製造年代が特定されるようです。またこのシリアルナンバーはKもLも関係なく連番になっているようで、末期にZ9999まで使い果たしたあとはA0001に戻って二順目のBXXXXまで使われたようです。今回入手したLはシリアルナンバーがY0314とかなり新しく、イギリスのコレクター情報ではおおよそ1965年前後の製造のようで、どうりであまり使用されていない個体なわけです。乗除に関しては高価でしたがすでに国産の電卓が出回ってきており、対数計算もまもなく電卓でカバー出来る時代がそこまで来ている時期で、多くの通常計算尺同様に急速に衰退してくるタイミングの生産だったため、殆ど使われていなかったために状態がいいのは当然でしょう。製造総数ですが、あまりこれに触れた資料がないため、判然とはしないのですがシリアルナンバーの頭に頭文字のない初期のもの9999本を含めてA0001からZ9999までが総数269,973本、二順目A9999とBが半分くらい作ったと仮定して5000本を足したとしても1921年から1972年まで総数284,972本で「おおよそ30万本が約50年間の総生産数」となり、これが多いと見るか少ないと見るか、判断に苦しむ数字です。

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