テクノス カイザーシグナルへのこだわり
30年ほど前、何せ貧乏だったので使用している時計は数千円のセイコーのサブブランドであるAlLBAのデジタルでした。時計というものは何個持っていても所詮一個しか身につけられないので、気に入ったものを一個持っていればそれでいいというのは正論だとは思いますが、タキシードにダイバーズウォッチではさすがにセンスを疑われます。というわけで、その後少々自由なお金が出来たときに何個か時計を買ったのですが、すべて特殊な時計ばかりで、ダイバーズのほかにはクォーツのムーンフェイズ付きクロノグラフ、出始めたばかりの気圧・高度計付きで気圧の変化がメモリーできるデジタル、機械式ムーンフェイズ付き手巻きのクロノグラフ、デジタル式のヨットタイマー、星座早見表付きシチズンのコスモサインなどでしたが、人にあげてしまったり売ったりしまい込んだりして、結局29年間の長きにわたって欠かさず毎日身につけているのはROLEXのサブマリーナ#16800なのです。サブマリーナの中身の機械は年々進化していますが見かけはまったく変わっていません。そのため、古い時計をいつまでも身につけているとは傍から見てもまったくわからず、おまけに他の時計が欲しいなどとは思わなくなってしまったため、一時ブームになったカシオGショックの限定モデルなどにもまったく興味がなく25年間は中古を含めて時計を新しく購入したことがありませんでした。
ところが、その間も一個だけ気になった時計がありました。それが今は商標権が売られてしまい中華安時計ブランドに成り果ててしまった感がありますが、当時はスイス製舶来時計の代表的メーカーで、日本では平和堂貿易が扱っていたテクノスの70年代後半に発売されたある特殊なメカが仕込まれた時計だったのです。実は正確な時計の名前は知らなかったのですが、中学校のある先生がこのテクノスをはめてきて、見せてもらうと丸い窓から赤い光がチカチカと光る(ように見えた)のです。当時の中学の先生の給料でスイス製の時計というのも考えられませんが、この先生は実家が塾を経営していて夜はそこの講師もしているらしくかなりの副収入があったのでしょう。車も実家のクラウンの黒塗り4ドアか白いクラウンの2ドアを気分によって乗り換えてきており、通常身につけている時計はオメガでした。まあ、今と比べると子供の数が多く、塾も今のような進学塾というよりももう少しで公立高に引っかかるように通う補習塾的な意味合いが強いものでしたが、アルバイトが禁止された今と違って当時の先生たちは学習塾講師もさることながら個人の家庭教師などの副業が盛んに行われていたものだったのです。また音楽の先生はピアノ教室、美術の先生は絵画教室なども普通におこなっていたのです。それでそのテクノスの赤く光る腕時計は長い間電気式の時計だと思っており、それもボラゾンという名前だと思っていました。地元の時計屋の新聞広告でその名前を見たような記憶があったからです。実は機械式時計で中の赤い光が電気で光るのではなく赤く塗装したパドルのようなものが間欠的に回転している仕組みで、名前がテクノスのカイザーシグナルというものだったことを知ったのは比較的最近のことです。
しかし、当時の中学生が時計としての興味の中心はセイコーまたはシチズンのストップウオッチ付き時計、いわゆるクロノグラフです。通常の自動巻き腕時計が一万円台前半が多かったときにこれらは一万円台後半から二万円台前半くらいしました。
今のように時計が100円ショップに普通に置いてある時代と異なり、地方では時計というのは地元の時計眼鏡店で進学などをきっかけに買ってもらうもので、そのため地元の時計眼鏡店では3月くらいに新作の時計のチラシを配るのが普通で、それを見て志望校に合格したらストップウォッチ付きの腕時計を買ってもらうことを夢に見ていたのです。結局は高校進学するときにセイコーのファイブスポーツスピートタイマーの30分計付きクロノの青文字盤のものを買ってもらったのですが、ちょうど液晶のデジタルクォーツウォッチの勃興期にあたり、そのときのデジタルクォーツウォッチは舶来のスイス製時計くらいの値段だったので、当然購入の選択肢にはありませんでした。高校では10人中半分はセイコーかシチズンのクロノをはめていたと思います。その生産の多数を中学高校生の需要でまかなっていたのではないかと思うほどです。さすがに高校の中ではスイス製の腕時計をはめている人間はあまりおらず、わずかにブラスバンドの一年後輩がラドーのごついカットガラスの風防がついた時計をはめていたのしか覚えがありません。当時、国産の普及品腕時計が1万円台で買えたのに同じ機能のスイスの時計が4万円台でしたが、関税や物品税を考えるとレベル的には国産の時計とそう変わりがないはずです。それなのにわざわざ舶来腕時計を買い与える親は相当見栄っ張りなんだと思ってしまいました。しかし、そのセイコーの機械式クロノを使用していた数年間にデジタルウォッチの価格は劇的に低下し、結局4年ほど使用したのちセイコーのサブブランドALBAのデジタルクロノを買って使うようになりました。その数千円台の普及品デジタルウォッチの出現で時計というものは進学などの節目に買って貰う特別なものではなくなり、幼稚園児や小学生が普通にしているものになってしまたのです。そのあたりからスイス製の機械式時計の凋落が決定的になったのではないでしょうか。
ロレックスやオメガなどと比べて素人目線からもスイスの普及クラスのイメージだったテクノスやラドーは一時は相当幅を利かしたスイス製腕時計ですが、当時からまったく欲しいと思ったことがありませんでした。それから幾星霜、平和堂貿易はテクノスを見限って久しく、ラドーの酒田時計貿易は会社自体がなくなってしまいました。そんな時代に唯一懐かしいのが中学の先生がしていたテクノスの赤いシグナルが点滅する時計です。調べるとボラゾンだと思っていた時計がカイザーという時計の仲間のカイザーシグナルだということがわかり、電気式だと思っていたものが実は機械式の自動巻きで、赤く光っていると思っていたシグナルも赤いローターの間欠回転であったことを知ってしまいました。
そうなったら中古で程度のいいものをオークションで落として分解掃除に出して現役復帰させようといろいろ見てみるものの、ごついカットガラスが飛び出している関係でカットガラスの角に打ち傷が入ってしまっているものがほとんどでした。まあだらだらと2年ほど出物がないか探していたのですが、今年になって以前人にあげてしまったシチズンのウインドジャックというデジタル式ヨットタイマーを2年前に買い戻した名古屋の業者からパープルグラデーション文字盤のテクノスカイザーシグナルを6800円ほどで落札しました。ここの業者は遺失物関係の払い下げ品から価値のありそうなものを大量にオークションで裁いているような業者です。ジャンク扱いですから当然動作の保障もありませんが、ガラスのエッジに殆ど傷が見当たらない、いうなればあまり使用せずにしまい込まれた様子が伺われ、部品の交換なしに分解掃除だけで完動品になりそうでした。届いたカイザーシグナルは思ったよりもガラスの程度が抜群で、エッジに何箇所か微細な欠けがあるものの、このまま使用してまったく差し支えないレベルです。文字盤は何色かあるなかで一番数が少ないパープルグラデーションで、文字盤にしみもなく、針のメッキにもまったく曇りもありません。ただし、相当以前にそのまましまい込まれてしまったらしく、鎖バンドの駒が固着してしまっており、竜頭も巻くことは出来ますが、引いて時刻を合わせることができません。竜頭を巻き上げると秒針がちゃんと動くため、大きな部品欠損とかはないはずですが、時計の姿勢を変えると止まってしまうようです。どっちみちオーバーホール対象としてそのまま数ヶ月しまいこんでしまいました。中身は多くのスイス時計メーカーがそうであったように自社で作ったものではなく、1978年にETA社に合併したムーブメント専業メーカーのAS(アドルフ・シルト)社のものをそのまま詰め込んだらしいのです。このムーブメントは日付のクイックチェンジはロレックス並みで0時を過ぎるとチッと日付が変わります。竜頭も同様に二段引きで一段目で回して日にちをセットするというようなクィックセットですが、竜頭を引ききったところで秒針が止まるハック機構がありません。機械式の時計の精度などたかが知れていますので、厳密に合わせる意味がなかった時代かもしれませんが、今となっては違和感があります。また同世代の日本製ムーブメントが竜頭のプッシュで日付の曜日も、そして曜日は日英が切り替えられるのが当たり前だった当時と比べても見劣りがするものです。しばらく放り出してしまったテクノスカイザーシグナルですが、ふと思い出して手動で竜頭をいっぱいに巻き上げると姿勢に関係なく止まらない動くようになりました。さらに竜頭も引くことが出来るようになりましたが日付のクイックセットが出来ません。しかし時刻は合わせられるようになり日付のクイックチェンジも快調なので、日付が変わったところで4時間戻してまた0時で日付が変われば4時間戻すということを繰り返して日付も合わせました。こうなったら実用上差し支えがないので分解掃除に出さずにこのまま様子を見ることにします。しかし、昔の機械は部品取りが最低1点ほどないと部品の食い合わせなどが心配で、最近3600円でブルーグラデーションでガラスの傷もまだ我慢できるコンディションのカイザーシグナルを入手。こちらはシグナルのローターが全回転しておらず、さらにカレンダーがまったくチェンジしないというジャンクでしたが、竜頭の一段引きでちゃんと日付が早送りできて時計としても機能しているというものです。蓋を開けると20数年前の分解掃除を示す年号がマジック書きされていましたが、あんまりこのメカを知らない時計屋がこのシグナルローターの組み立てを間違えて基部のギアもろともローター回転不良とカレンダー不良を来しているのかもしれません。
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