COSSET DUBRULLEミュゼラー式安全燈(炭鉱用カンテラ)
フランスの北部、ベルギーとの国境を接するノール=バ・ド・カレー地域圏は古くから石炭資源に支えられた重工業が発展してきました。その重工業の発展とベルギーに隣接するという地理的な要因で両大戦ともにドイツ軍の侵攻ルートとなり、第一次世界大戦では一帯が主戦場となってしまうという不幸な歴史も抱えています。そのベルギー国境をまたいだ炭鉱地帯はイギリスの炭鉱と比べてメタンガスの量が多く、古くからガス爆発事故が多発していましたが、そのためイギリスに先駆けて安全燈の改良が進み、クラニー燈を改良したミュゼラー型安全燈やマルソー型安全燈、ガス検知燈としてのセノー型ガス検定燈などはすべてフランスで開発され、それがイギリスでも普及していたものです。しかし、ドイツで考案されたウルフ揮発油燈の登場によってフランスでも1910年代以降は油燈から揮発油燈に変化してゆき、その後蓄電池式安全燈に世代交代していったのは諸外国同様です。
以前、札幌から入手したARRAS製の揮発油燈はフランスからのアンティーク雑貨類に混じっていたということでしたが、明治時代からの文献をいろいろ調べてみてもフランス製の安全燈を輸入しようとした動きはありませんでした。思うに安全燈の導入初期がちょうど三国干渉の時期と重なり、三国干渉に中立だった米国や英国から調達できる物品をわざわざ三国干渉の当事国であるフランスからも選択する必要を認めなかったということだったのかもしれません。もっとも臥薪嘗胆のスローガンの矛先は、遼東半島を獲得して極東艦隊を旅順港に送り込み、日本ののど元に飛び出しナイフをちらつかせた帝政ロシアに向けられることになりましたが。そのため、安全燈に関する明治期からの技術書や試験などの記録をいろいろ探してもミュゼラーやマルソーならびにセノーがフランスで開発されたことは記されているものの、実際のフランス製安全燈を扱ったものは見当たりませんでした。
今回入手したちょっと変わった形の油壷を持つ安全燈はフランスからの雑貨に混じって日本にやってきたCOSSET DUBRULLEというノール=バ・ド・カレー地域圏の工業都市リールに存在した会社の製品で、形態的には初期のミュゼラータイプの安全燈になります。
ガーゼメッシュが一重で、その中に金属製のチムニーが入っている構造の典型的なミュゼラー式安全燈で、年代はおそらく1870年代から1880年代にわたって使用された大変に古い安全燈です。焼き物ではありませんが高台付きの油壷で、その真ん中に芯をネジ式に上下するためのノブが鎮座しています。下からロックボルトをねじ込んで施錠するタイプのロックシステムが付いていたらしいのですが、プレス製のガードピラーリングの中身のメカが欠損していてその構造がどうなっていたか確認できません。また油壷と結合できないためにカーゴピラーリングからネジで仮止めになっていました。そして腰硝子はえらい気泡のたくさん入ったものが装着されていましたが、割と早い時代に廃品になった腰硝子の欠損したランプの体裁を整えるために何かのビンをカットしてはめ込んだものらしいです。唯一フランス的だと思ったのは芯押さえの金具が鰐口状になっていて、そのギザギザで平芯を押されているため、芯の交換が簡単だということくらいでしょうか?芯は底のつまみを回して繰り出す方式になっています。普通切られているは油壷とカードピラーリングの双方にまったくネジが切られていないため、おそらくはカードピラーリングの中身と油壷をロックボルトで結合し、それがロックシステムを兼ねるというような構造だったのかもしれません。まあ欠損だらけで資料にもなりませんが、ここまで古い安全燈に、しかもフランス製にお目にかかることもそうはないので、いちおうコレクション入りだけはしてしまいました。形態的にもフランス以外では見かけない特徴のある安全燈です。そのデザインはルノー・4やシトローエン・2CVにつながるようなフランスのインダストリアルデザインの粋を感じさせます。
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