前川合名会社教材用クラニー灯
これは炭鉱とはまず縁の無い岡山の津山から手に入れたクラニー灯ですが、実は最初から炭鉱用として作られたものではなく、学校教材用として作られた種類のクラニー灯と目論んで入手した代物です。学校教材と炭鉱用安全灯とは関連性がよくは浮かびませんが、物理化学の分野で網のなかの炎に外部の可燃性ガスが引火しないというハンフリー・デイヴィーの実験成果の検証でもしていたのかもしれません。もっとも過去に入手した学校教材用と思われる本多のデーヴィー灯は実際に火をつけた形跡も無く、富山の統合されて今はない高校の備品ラベルが付いていた本多のクラニー灯にも火をつけた形跡も無いため、おそらくは教科書だけではなく現物がこうであるという「形あるもの」を見せて実際には実証実験をしないで終わってしまったのではないかと思われます。
本多製のデーヴィー灯もクラニー灯も一度は明治時代に実際に炭鉱の坑内で使用するために作られた本物ですが、世の中には教材用として作られた実際の坑内ではあぶなくてとても使用に耐えないような安全灯が存在します。おもに大阪の教材メーカーが大阪市内の安治川あたりの船燈製作所に作らせたもので、確認しているところでは大阪寶文館(ほうぶんかん)機械店とこの前川合名会社の2社です。
寶文館機械店は現在大阪の北区大淀中に宝文館機械株式会社として盛業中ですが、この前川合名会社は戦前の南区塩町通(現中央区南船場)に存在した総合教材商社だったものの戦後の情報がないため、おそらく戦災で廃業したものと思われます。他にも教材用の安全灯を製作していたところもあったかもしれませんが、関東のほうでは本多商店製作のちゃんとまともな旧型デービー灯やクラニー灯が教材用として出回っているのに対し、なぜ大阪がこういう教材用の安全灯モドキをわざわざ作らせていたのかが謎です。
考えるに昭和に入ってからは本多商店あたりでも明治の安全灯をわざわざ小ロットの発注には応じてくれなくなり、防爆性能は怪しくとも学校の実験程度には使用できる安価な安全灯を安治川近辺の船灯業者に作らせたということなのでしょう。その教材用安全灯が一種類だけではなく今のところ異なる教材会社による二種類が存在し、仕様も構造も共通ではないという事も特筆されます。おそらく別々の船灯製造所で作られたものなのでしょう。
この前川合資会社というのは戦前昭和13年ごろに発行した学校向け教材の目録をネット上で目にすることが出来ますが、ありとあらゆる理科実験器具や運動用具とともに学校教練用の歩兵銃や機関銃などというものもあり、実際に軍から払い下げられた廃銃のサンパチ式のほかに教練用にわざわざ作られた銃などもあったようで、サンパチ式の教練銃が30円の値段をつけているのが目を引きました。それ以上の情報はネット上でもうかがい知れず、大阪空襲後にどうなったかのかも判然としません。塩町通が南船場のどの辺りに位置するのかはよくはわからないのですが、昔の取引先が松屋町筋にあって何度か心斎橋の駅から松屋町筋まで歩きましたので、その道すがらだったのでしょうか?資料によると戦前塩町通には名前どおりの塩屋ではなくなぜか砂糖問屋が多かったとのこと。いろいろ塩町通を調べてみましたが、やはりこの界隈は昭和20年3月13から14日の大阪大空襲で殆どの建物が壊滅してしまい、古い建物は鉄筋コンクリートの一部のものしか残っていないそうです。このときの空襲の模様はNHK朝ドラの「ごちそうさん」の中で地下鉄心斎橋の駅に逃げ込んで地下鉄電車で梅田に避難し難を逃れるというエピソードで見たことがあります。
この前川の教材用クラニー灯は腰ガラスに部分が寸詰まりでメッシュガーゼ部分が長いために一見して不恰好です。通常の本多クラニー灯の腰ガラスが外国のものの寸法を踏襲しているため約5.8センチ超の高さがあるのにくらべてわずか3.8センチしかないのが原因です。またガーゼメッシュの部分のガードピラーが3本なのはまだ許せますが、腰ガラスのガードピラーも3本しかなく、どのクラニー灯でもこの部分は5本のガードピラーを使用しているため、教材用とはいえ実用のクラニー灯とは異なります。また、本来分解されないための安全灯なのに外に露出したナットを外すことによって分解可能で、またロック機構がありません。ガーゼメッシュは二重ですが吸気は一枚メッシュのところから内部に入り、排気はミュゼラー式のような金属のチムニーではなくメッシュのチムニーを通って二枚のメッシュを通して抜けるというマルソーでもない変な方式です。芯の繰り出しはウルフ灯のように丸いノブが付いているので繰り出し式かと思いきや、ウィックピッカーで引っ掛けて芯を上げ下げする前時代的な方式です。時代が下っているだけに本多のデーヴィー灯やクラニー灯のように種油を使用するものではなく灯油が使えるタイプだと思います。
学校では実験器具扱いだったようで、実験器具にふさわしく総クローム鍍金仕上げになっています。元はおそらく顕微鏡のように個別の木箱にでも入れられていたのでしょうか。
内陸の津山市から出てきたものですが、この手の安全灯は考案者ハンフリー・デービーの発明として教科書で扱われていたためか底に備品名「デーヴィー氏安全灯」と書かれたラベルが貼付けられていました。
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