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December 06, 2017

輸出双眼鏡製造の野口光学工業TOKUTATARONICA 8x30mm双眼鏡

Dvc00627_2  今から30年ほど前の夜の新宿西口路上のこと。にわかに色とりどりに着色されたプリズムを並べた露店が並んだことがありました。それは円高不況で輸出専業業者が大打撃を被り、倒産廃業が相次いだあとだったため、直感的に輸出用の双眼鏡をやっているところが倒産してバッタものとして流れたものだと思いました。
それでも一個一個は換金性に乏しい双眼鏡部品ですからせめてプリズムくらいは着色すれば幾ばくかは売れると思ったのでしょうか。1個300円ほどで売られていた双眼鏡用のプリズムは見た目はたいへんにきれいなのですが、それを買ってどういう用途に使用するかということを買い手に丸投げしてもペーパーウエイトくらいにか使いようもなく、売れているところをついにぞ一度も見たことがなく、しばらくしたのちそのプリズム売り自体見かけなくなりました。
Dvc00628_2  戦後、輸出産業の花形のひとつだった光学機器、特に双眼鏡は外貨獲得の手段として重要な輸出商品でした。 その殆どは東京都の板橋区の零細光学部品屋とそれを統括する組立調整屋によるものでした。最盛期の昭和40年前後にはそういう双眼鏡関連部品や組立調整屋が板橋区内だけでも二百数十軒存在していたそうですが、昭和46年12月のスミソニアン合意による円の切り上げならびに昭和48年4月の円完全変動相場制移行により円の対ドルレートが一年半の間に100円も下がったことにより輸出に大打撃を被り、さらにその後のオイルショックによる部材の高騰によって産業自体が成り立たなくなったために零細の双眼鏡関連業者は廃業を余儀なくされたのです。
 その後も円高不況は続き、昭和60年のプラザ合意により円が250円から200円に高騰したことで日本の双眼鏡輸出は止めを刺され、倒産した部品屋からプリズムがバッタに出回り、新宿西口の露天に並ぶことになるのです。
Dvc00629_2 その少しあとのことですが、当時勤めていた玩具製造メーカーに板橋の双眼鏡屋と称する人から売込みがありました。その人は野口光学工業の野口さんという方でした。その野口さんが少々パンチパーマっぽい髪型にイタカジ風のいでたちで、当時まだ狂乱バブルも訪れていなかった時期にBMWを乗り回すというおおよそカタギっぽくない方でしたが、話を聞くと板橋でも老舗の双眼鏡屋だということでした。
 ところがその名刺に書かれてあるTOKUTATARONIKAという登録商標が冠された双眼鏡というのは見たことも聞いたこともありません。それでAR-18とAR15用の特殊なマウントのライフルスコープをオファーしたのですが、これをアメリカに輸出したのが野口さんだということです。このそれぞれ特殊なスコープマウントも仲間の部品屋の手になるものなので、1ヵ月少々あれば完成品として納品できるとのこと。
 それで高価なものなので1ロット200個で発注したと思いますが、意に反してすぐに売り切れてしまいました。
 その後他のメーカーや問屋にも通常のライフルスコープの売り込みに成功したようで、今残っていてオークションに出てくるTOKUTATARONICAの商標の光学製品はこの当時エアガン用に売り込まれたライフルスコープが殆どです。また、話によるとどうもこの野口さんは現在自社組立は行っておらず、仲間の光学部品屋に仕事を取ってくるというブローカー的な仕事を専業にしているようでした。
  その野口光学工業の野口さんとは主にうちの工場のほうに納品となったために2度ほどしか接触がなかったのですが、工場のほうでは若いのが「モロボシ・ダン隊長」などとすぐに陰でニックネームをつけられたくらいの見かけが個性的な人でした。当方、あまり森次晃嗣に似ていらしたとは思わないのですが(笑)

 そんなことも忘れかけて30年も経過しましたが、オークションでTOKUTATARONICAネームの入った双眼鏡を入手してしまいました。普通このクラスの板橋輸出双眼鏡というと500円程度が相場なのですが、陣笠が一部欠けているのにもかかわらず2000円もしました。届いた8x30 7.5°のZタイプの双眼鏡は典型的な板橋クオリティーのもので、対物レンズも接眼レンズもシアンのモノコートながらBK7のプリズムの一応はコートされていました。鏡体内部は黒メッキをかけたようで、反射防止としては手間もコストも掛かっていないものです。鏡体のプリズムが納まる部分の加工精度はあまり正確に出ていなかったようでプリズムとの接触面に錫箔により修正箇所がありました。しかし、たがね打ち込まれプリズムが踊らないように加工されたプリズムポケットはしっかりしています。後の怪しげな海外製品とは異なりニコンやフジノンなどに及びもしないながらちゃんとまじめに作られた製品です。ただし実用的には迷光防止処置が甘いのでそれがコントラストなどに影響して少々コントラストとシャープネスに不満はありますが、一般的な水準の板橋クオリティーの双眼鏡です。
 野口光学工業は輸出双眼鏡製造業者としてJB-171の識別コードが割り当てられていましたが、この個体には組立業者を表すJBコードも鏡体を製造した業者を表すJEコードも打たれていなかったことや、接眼見口が眼鏡用に折込が可能なゴム見口ではなかったことなどから昭和40年代半ばの製品だと思われます。野口光学工業の商標が打たれた双眼鏡を殆ど見たことが無いため、おそらくは輸出用として製造したもののキャンセルを食ったとかそういう理由で自社ブランド品として国内に流したような事情があったのでしょう。
ケースはこの当時に8x30双眼鏡などに一般的だったビニールのソフトケースですが、ピカピカの安っぽい黒ビニールではなく革もどきのシボが入ったポシェット型ケースでした。

 その野口光学工業ですが、最近調べたところによると創業は何と昭和の6年で板橋ではトプコンの東京光学機械より古い会社です。全盛期の昭和40年には板橋に200坪の組立工場と従業員20人を抱えた板橋の零細双眼鏡組立調整工場にしては中堅以上の規模を誇っていたようです。他の組立調整業工場は八百屋のような建物の一階が資材倉庫兼機械置き場、階段を上がった二階が調整場で300mほど先の風呂屋の煙突の先端を見ながら光軸修正を行うなどという規模の工場が殆どだったようです。それも親方と奥さんに職人2人から4人という4人から6人というのが普通でした。またこれらの工場はいちおう独自の商標は持っていたものの自分のところの商標を使った双眼鏡を製造するということはごく一部を除いては稀で、納入先や貿易商社の指定する商標を冠したOEM製造が殆どでした。
 このあたりの板橋双眼鏡産業事情に関してはビクセン光学にいらした斉藤氏が詳しく書かれていますが、クラウンやセドリックはおろか、外車を乗り回すほど羽振りの良かった双眼鏡屋さんたちも円の切り上げや完全変動相場性以降で輸出が立ち行かなくなったあたりで廃業が相次ぎ、野口光学工業さんも昭和47年ころには早くもブローカー専業となったようです。 早くから自社の建物を建てたところは未だに会社は存続しているものの40年以上不動産賃貸業としての実態しかないような会社があるようです。すなわち板橋輸出双眼鏡組立屋の勝者というのは輸出双眼鏡組立で得た儲けで自社ビルでも建て光学製品から足を洗い、不動産賃貸業に転業した組立屋さんだということです。

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