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July 31, 2018

Telstar Sports 18ex(18x35mm)Zタイプ双眼鏡

Dvc00019 テルスターの通称茶テルスターSPORTS18GXです。実質的には18x35mmの黒テルスターと同一スペックで実倍率が7.29倍の倍率詐称双眼鏡です。
これもカメラ店や眼鏡店でニコンやフジノンの双眼鏡といっしょに並んでいた双眼鏡ではなくどちらかというと家電量販店やディスカウントショップ系のルートで売られていた双眼鏡なのでしょう。そのため大手光学メーカーの双眼鏡と同等の定価設定で実質販売価格がその1/3から1/4などの売価で売られていた商品なのでしょうか。
 そうなると他の双眼鏡と比べていかに商品としてのアピールが重要で、そのために金属部分が茶色の塗装で貼り革がグレーがかった茶という見てくれの良い双眼鏡になっています。
 黒のテルスターと茶色のテルスターは同時期に売られていてノーマルな黒とファンシーな茶をチョイスできたのかどうかはわかりませんが、製造元は明らかに別で描写も微妙に違っているようです。
 実際の茶テルスターを分解してみた感じではスペック的には殆ど同一ながらややプリズムポケットなどの加工が甘いような感じで黒テルスターよりも精密度が落ちる感じがします。 Dvc00020 見え方もコントラストやシャープネスも黒テルスターと同じで中央部は良いもの周辺部はだいぶ画質が落ち、特に周辺部の渦巻き収差が黒テルスターよりやや大きい感じがします。
まあこの茶テルスターの場合であって製造期間も長く、部品の調達場所も組み立ての会社も時期によって異なるテルスターブランドの双眼鏡は筐体内部の反射防止処置の有無をはじめ、ロットでかなりの見え方の違いがあってもおかしくはありません。
 そのため、一つの個体をサンプリングして総論にするわけにはいかないでしょう。入手した茶テルスターは双眼鏡としてはまだましなものだったことは確かです。

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July 29, 2018

TELSTER(黒) 18x35mm 7°Zタイプ双眼鏡

Dvc00022 通称黒テルスターの18x35mm 7°です。茶テルスターSports 18ex双眼鏡といっしょに入手しましたが、実質的に同口径同倍率の双眼鏡です。
 テルスターはスーパーゼニス同様に日本中に出回っていた廉価版の双眼鏡で、眼鏡店やカメラ店の店頭でニコンやフジノンの双眼鏡と一緒にならぶのではく、どちらかというとホームセンターやディスカウントストアのようなルートで売られていた双眼鏡なのでしょう。
 流通させた業者も製造した業者もよくわからない双眼鏡ですが、ボディタイプがどうやら30mm/35mmレンズ用と50mmレンズ用の2タイプですべてのバリエーションを作っていたようです。
 よく「手を掛けると見違えるほどよく見えるようになる」などといわれ、内面反射やプリズム迷光防止処置を施す入門用双眼鏡などとされていますが、果たしてノーマルのままではどうなのでしょうか?

 実はこの双眼鏡、これが主目的で入手したものではなかったのですが、コピターの8x35mm超広角を入手しようとして、これだけでは送料がもったいないのでその抱き合わせで一緒に入札したら、コピターを落札しそこないテルスターの2台だけ498円で落ちたというものです。送料のほうが落札金額の3倍も高かったのはいうまでもありません。 でもまあ、いままで真剣に向き合ってきたことがなかったテルスターの本質を探るのにはいい機会です。

Dvc00021 よく言われるのがテルスターは内部に反射防止塗料も施されておらず、ダイキャストの地肌が見えているということが前提で反射防止塗装入門機のような言われ方をしますが、今回の黒テルスター茶テルスターともに内部はやや艶が気になるもののちゃんと反射防止塗装は施されていました。
 対物レンズ筒にはちゃんとブラスチックの反射防止筒も装着されていますし、おそらくは時代がさかのぼったテルスターは徹底的なコストダウンの洗礼も受けず、それなりにまじめに作られた双眼鏡だということを感じました。ただ黒テルスターは18x35mmのところ、実倍率は約7.29倍、茶テルスターのほうも実倍率同じく7.29倍しかありません。結局は倍率詐称双眼鏡に過ぎないのです。
 またこの実倍率からしても実視界がかなり狭い双眼鏡で、その点でも性能的には「並以下」のスペックの双眼鏡です。さらに視界の中の良像面も中心部周辺に限られ、中心部はかなり良い結像ながら周辺部は像もゆがむようです。
 このくらいの画角の双眼鏡ならせめて均一の視界を保って欲しいのですが、価格からするとまあ仕方がないということでしょうか。
 まあ鳥を見る用途にも星を見る用途にも中途半端な双眼鏡ですが、古いテルスターだけにしっかり作られているとこだけは好印象です。また刻印はシルクスクリーンじゃなくてちゃんとした彫刻ですし。

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July 28, 2018

Kenko 8x25mm6° Zタイプ双眼鏡

Dvc00024 ケンコーの8x25mm 6度というZタイプの双眼鏡です。実質的なZタイプのミニマムサイズとなった8x30mm双眼鏡よりも一回り小さな双眼鏡でどちらかというと旧陸軍の13年制式6x25mm双眼鏡に近い双眼鏡です。
時代的には昭和30年代末期から昭和40年代中ごろまでに存在した双眼鏡ですが、前期はケンコーのメーカー名が筆記体、後期はこのようなおなじみのケンコー社名のシルクスクリーン印刷になってます。
外装の接眼側と対物側の鏡板および対物筒リングが黒塗装という当時としては珍しい仕上げの双眼鏡ですがスタンダードから外れたオフサイズの双眼鏡ゆえか有名メーカーの商品にしては世の中に出回っている数が少ないような感じでオフでもあまり見かけません。
数が少ないのにブルファイトのように値段はあまりつかずこちらも100円で落札した双眼鏡です。
 覗いた第一印象が何か像が8x30mmの双眼鏡にくらべて遠くに見えることが気になって射出瞳径を測定したら4.75ミリで口径の25mmを割ると実質倍率5.26倍しかありませんでした。どうりで結像が小さいわけです。また視界も狭いので何かオペラグラスを覗いている感があります。
また30mm口径と25mm口径の解像力の差もあり解像力にも不満が残ります。まあ利点としは小さくて取り回しがいいということがありますが、それならミクロンタイプやダハプリズムタイプのほうに軍配が上がります。
 この中途半端さが数がはけなかった理由でしょうか。でも個人的には小さなZタイプのかわいらしい双眼鏡は大好きです。
Dvc00023 J-E11のダイキャストメーカーの刻印がありますが、J-Bナンバーは入っていません。もっともケンコー自体J-Bナンバーを取得していますし、こちらは国内向けの双眼鏡なので、別に入っていなくともかまわないわけです。
 ケンコー自体は研光社のスタートが双眼鏡の組み立てでしたが、倒産したワルツのレンズ用フィルターに参入したあたりから業態が拡大し、総合光学製品商社になってしまい、製品はすべてが関係業者からの納入品になっています。そのため、時代時代でかなり雑多な商品構成となっており、この商品も果たしてどこの会社のOEM製造なのかもわかりません。
 また同じケンコーの製品でも請け負った製造メーカーの違いにより出来不出来があるようです。
 

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July 26, 2018

GINGA 8x35mm 9°Zタイプ双眼鏡

Dvc00014_2  GINGAという商標の8x35mm 9°の広角双眼鏡です。ちょっと形の変わった変形Zタイプ双眼鏡とでもいうべきもので、昭和30年代後半から徐々にアメリカ向けに増えてきた35mmの広角双眼鏡の一種です。
 アメリカでは日中使用に最適な双眼鏡は7倍30mmだというような消費者意識があったそうで、どうもこれは軍隊の双眼鏡がこの規格でそれを使った軍隊経験者がそう言うからそうなのだろうというようなものだったのでしょう。それでその規格に近く実視界をワイドにするため口径を35mmにして倍率が7-8倍、実視界が8.5度乃至9度以上という双眼鏡が要望されたとのことです。
 そのため8x30mm双眼鏡では8.5度以上、8x35mm双眼鏡では9度以上という双眼鏡が作られるようになり、中には実視界10度以上、最高で13度という双眼鏡も出現したようです。
  輸出の双眼鏡は厳密に検査が通ったのでしょうから普通の双眼鏡なのに広角をうたったものは不合格ではねられたのでしょうが、国内向けは倍率詐称が横行していましたので、実視界もノーマルの双眼鏡と変わらない広角双眼鏡がありそうなので注意が必要です。

 Galaxyなら日本では製造元を隠して販売する某SAMSUNのスマホですが、このGINGAというブランドはまったく知りません。GINGAといっても別に天体観測用に作られたわけではないのでしょうが、8x35mmで9°という使い勝手が良さそうな広角双眼鏡です。
 この特徴的な筐体を作ったのはどこかわからないのですがHunterブランドをはじめいろいろな名前で売られていたようです。ポロプリズムの組み合わせに外皮をかぶせたらこうなったというZ型やM型双眼鏡と比べるとデザイン優先の双眼鏡でプリズム収納部分には無駄な空間が多いのですが50年代60年代のアメ車デザインのようにアメリカ受けしたデザインの双眼鏡だったのでしょう。
Dvc00013_2 内部の作りこみはつや消し塗装されているものの対物筒に迷光防止の筒はありません。プリズム部の加工はわりとまともでしっかり収まりました。これがだめな双眼鏡は左右のプリズムで水平度さえ出すのがとんでもなく手間だったりどちらかの鏡筒だけとんでもない角度に画像を結ぶものがあります。コーティングはごくオーソドックスなシアン色コーティングで珍しくも焦点調節輪と接眼外枠はダイキャストの金属製でした。
 肝心の見え方はそこそこワイドな視界を持ちますし、周辺部のゆがみのそれほど気になりません。しかし、シャープネスとコントラストおよび視界の明るさなども不足しています。また、通常の8x30mm双眼鏡が500g前後なのに対し650gとやや重いのも気になりました。形がスタイリッシュでも重くなって機動性が悪くなる。まさにアメ車のスタイル優先テールフイン時代みたいな双眼鏡です。
 ダイキャスト業者のJEコードも組み立て調整業者のJBコードもありませんでした。名前の違う兄弟はたくさん居そうなのですが、個性的なゆえか正体のよくわからない双眼鏡です。

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July 24, 2018

ZUIHO 8-20x50mm ズーム双眼鏡(光機舎)

Dvc00016 たぶん国内に出回っていなかったであろう双眼鏡だったので1円で落とした双眼鏡です。1円でも送料がバカにならないので他の出品商品のジャンク双眼鏡とまとめて送ってもらいました。
一応は瑞宝光学の双眼鏡ですがこの形からわかるとおり瑞宝光学で生産したものではなく一時期この手のズーム双眼鏡をOEMでかなりの量を製造した光機舎の双眼鏡です。
 アメリカのコレクターの話ではZUIHOの商標はすでに昭和40年代他社に売却され、それ以降の製品はすでに瑞宝光学の製造ではなくOEMということですが、何かそれを裏付けるようなOEM商品です。
 光機舎は昭和27年5月に大田区田園調布で設立された会社。ボシュロム型双眼鏡専業という珍しい双眼鏡組み立て会社ですが、どうやら朝鮮戦争で大量に使用された軍用のBL型双眼鏡の修理メンテナンスの下請けから製造業者に進出したらしいです。そのため、旧来日本では製造経験がなかったBL型が得意で、のちに連動型ズーム双眼鏡に発展させ、これがありとあらゆる会社のネームで欧米に大量に輸出されています。
 大きいところではペンタックスやチノンなどのカメラメーカーのOEMもありました。初期のズーム双眼鏡としてはザイカやハミカとともにベストセラーだったのですが、その左右の連動方式がギア連動式で大塚光学あたりのズーム双眼鏡が台頭してから淘汰されたようです。

Dvc00015 この瑞宝光学ネームの光機舎製造の双眼鏡は変倍レバーが固着し、分解してみると左右の連動のための金属のベルトが外れているか切れているかの状態でした。そのために最低倍率の8倍にズームのカムを固定。現在8x50双眼鏡になっています。
 世の中いい加減な倍率のズーム双眼鏡が溢れかえっているなかで、さすがに輸出品らしく9-20倍というのは実倍率のようです。ペンタックスのアメリカ向け双眼鏡がそうであったようにやたらと濃いアンバーというか殆ど黄色のコーティングが施されていますが、これはヘイズカットの意味合いがあるそうで、なるほど覗いてみると茶色っぽい曇り空が青っぽく見えます。でもどれくらい霧の中で効果があるものか。
 BL型ゆえにやたらと筐体が大きくて重い双眼鏡でボディに三脚雲台に固定できる穴が開いているのが特徴です。

 覗いた感じは光学系に余裕のある作りゆえなのかズーム双眼鏡特有のなにか省略したような見え方ではなく、意外にかっちりと見えるズーム双眼鏡でした。もっともこれは最低倍率の8倍でのことですが。

 それにしてもまったく軽量化に配慮されていない巨大なボディは日常首からぶら下げる重さではなく、重さと大きさはニコンのトロピカル級というところでしょうか。

 輸出双眼鏡だけに光機舎J-B21の刻印がしっかり刻まれています。

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July 23, 2018

成東商会DAUER 12x50mm IF Zタイプ双眼鏡

Dvc00005 ダウエル光学の成東商会というと昭和40年代から50年代の天文マニアでは知らない人はいないでしょう。
天文ガイドなどの広告におびただしい商品を載せていましたが、その成東商会のカタログ冊子は中学生時代の当方も切手をいくらかか送って入手しました。
そのカタログ冊子が今残っていればいい話のネタにはなるのですが、けっこう物持ちが良い我が家でもさすがに捨てられてしまって探しても出てこないでしょう。

 そのダウエル光学の製品ですが、少なくとも当方の周りではいくら他の光学メーカーよりも割安な製品群だとしても現実に手を出す人間は皆無で、そのためダウエルの製品を実際に手にしたことはありません。
 成東商会に関してはそのスタートは大変早く、戦前から営業していたようなのですが、どういうわけか戦前の光学製品卸から戦後はメーカー化したカートンやエイコー、戦後のケンコーのような名の知れたメーカーに発展することなく、旧態依然の家内工業で光学製品組み立て小売に徹していた会社でした。
 場所は文京区本郷の東大赤門のそばというような話ですが、一般家屋のようなところに部品の箱が山積みになっていて、注文が入るとその部品を組み立てて発送するなどという営業形態で、決して箱に詰め込まれた完成品が幾種類も並んでいるというようなそういう場所ではなかったようです。
 そのダウエル商品ですが、屈折式反射式の天体望遠鏡はもちろんのこと顕微鏡や双眼鏡、そのほか天体望遠鏡の自作に必要な部品類、特に反射鏡を磨くための素材や材料などの用意は相当細かく扱っているようでした。その扱っている商品の豊富さからするととても一軒屋で細々と営業しているような4畳半メーカーには思えないのですが、そこは子供ながらの本質を見抜く感というか、やはり初心者は手を出してはいけないメーカーだということを匂いで嗅ぎ取ったようです。
Dvc00011 成東商会の存在は忘れてはいませんでしたがダウエルの商標名は40年くらい忘れ去っていました。ここしばらく板橋の輸出用の双眼鏡をいじってきて、そこで徐々に気になったのが成東商会のダウエルブランドの双眼鏡です。板橋双眼鏡でもけっこういい加減なものがあるというオメガブランドの双眼鏡と比べてもどれくらいおかしい作りの双眼鏡かということに興味があったのです。それでしばらく探していたのですがさすがにゴミ双眼鏡でこれがなかなか見つからないのです。
 そしてやっと見つかったのがダウエルの12x50mm双眼鏡。それもけっこう古そうなIF(単独繰り出し)のZタイプ双眼鏡で落札額は他の双眼鏡含めて1円でした。もっとも最近1円双眼鏡ばかり集めてますが(笑)
 分解前にいつもの送電線の鉄塔を覗いて見ますと、少しカビてはいるもののまったく見えないというほどもものではなくちゃんと像は1つにまとまってみえるので視軸も合っているようでした。
 とりあえず今回は接眼側から分解し、プリズムを磨くことにしますが、驚いたことに接眼側鏡板の内側に1.6φの針金をループにしてスペーサーとして噛ませてます。たぶん集めてきた部品がすべてマイナス側の誤差になったため、スペーサーとして調整用にかませたもののようです。どんな板橋の双眼鏡にも見られない「針金入り」の双眼鏡に早くもドン引き状態(笑)
 おまけに接眼側のプリズムは左右で角のカットが異なるもの。片方は頂点の片サイドを斜めに削り落としてあるのですが、片側はなぜか両方に削り落としがあります。対物レンズには両面にコーティングがあるようですが、接眼レンズには外側のレンズにしかコーティングは施されていないようです。
 対物レンズ筒がやたらと硬くて本体から外れず、どこかに隠しねじでもあるのかと探したのですが見当たりません。渾身の力を込めてベルトレンチで回すとやっとのことで回ってくれましたがねじ部分に油分がまったくありませんでした。対物レンズをはめ込んでいる枠には黒染めがあるのですが、それを支えているエキセンリングやレンズを抑えるリングは鍍金も黒染めもないもの。これも板橋双眼鏡超えのコストダウンの結果でしょうか。対物遮光筒がない代わりにプリズムに反射防止カバーが装着されていましたが、こちらもブリキの抜きっぱなしで黒染めもありません。やや反射が気になりますが、ちゃんと筐体内部は塗装され、プリズムポケットの加工は意外にというと失礼なことにプリズムがまったく動きもしないほど見事に加工されており、ここだけはニコン並み?
 左側の対物鏡筒がねじ込まれている鏡板にも針金が仕込まれており、接眼側とあわせてこちらは合計3.2mmのプラス焦点調整、右側は接眼部分のみでプラス1.6mmの焦点調整です。
Dvc00010 とりあえずすべての光学系を洗浄してすべてのねじ類をグリスアップし、視軸調整してみると、これが意外によく見えるのです。快晴のアウトドアではコントラストの低下は否めないのでしょうが、解像度はなかなかのもの。ただし、実倍率は7倍しかありません。12x50mm双眼鏡なのですが実は7x50mmなのです。わざわざ7x50mmと12x50mmの双眼鏡を注文したら名板だけ異なる中身が同じ双眼鏡が届けられるのでしょうか?

 「針金を使ってでもちゃんと見える双眼鏡に仕上げる」技術は認めますが、これをつかまされたユーザーはたまったもんではありません。焦点調整といっても対物筒に薄いシムを一枚かませる程度が限度でプラスの3.2mmの調整というのも空前絶後です。

 かなり古い時代の双眼鏡にもかかわらず筐体を作った業者のJEコードは見つからず、成東商会自体輸出業者ではないのでJBコード自体取得されていません。そのため、部品の調達先は不明。

 撮影用にテルスターから見口をトレードしてかぶせてありますが、おそらく見口の材質が悪かったのか両方とも欠損していて、IFの双眼鏡からいろいろ付け替えてみたもののどれも合いませんでした。

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July 20, 2018

東京光学機械TOKO Pride x2.5 オペラグラス

Dvc00008 東京光学機械のトーコープライドという昭和20年代に輸出で外貨を稼ぎまくったありがたい逆ガリレオタイプのオペラグラスです。
このトーコープライドは戦後第一号のアメリカ輸出商品として日本光学のノバーなどとともに承認を受けた輸出第一号名誉の双眼鏡で、その後は鏡筒部分の貼り革の色を変えたり素材を鰐皮やトカゲ革風のものなどのパターンモデルをたくさん生み出し、おびただしい数が海を渡ったものと思われます。
 当然のこと、当時会社として1000人近い従業員を抱えていた東京光学機械としても他の双眼鏡や戦後復興に欠かせない測量機械、さらにはもっと高収益なカメラ開発の部署の要員まで投入するわけにはいかず、戦前に軍用の双眼鏡の部品を製造させていた周囲の光学関係事業者に図面を渡してレンズやプレス部品の製造をさせたり組み立てをさせたりの仕事を外注として出したことで、それ以降これらの業者がこの形式のオペラグラスを独自に製造して輸出するようになるようです。
 というのもこのトーコープライドの原型はツアイスあたりで、それがイギリスでコピーされ、戦前の日本でもすでに手を付けられていたらしく、東京光学機械のオリジナルというわけではなかったことも一因でしょうが、当時の知的財産権なんかなきに等しかった日本では「これと同じものを作ってくれ」と見本を渡せば一月半もあればまったく同じものが2千個ほど箱詰めされて納品されるという時代だったと思います。
Dvc00007_2 そのため、雑多な商標でいろいろなトーコープライドコピーが存在しますので、本家のバリアントを集めるだけではなく、そのコピーモデルまで手を広げるとけっこうなコレクションになりそうな。おまけにオークションの落札金額が1000円以下ですから手を付けやすいという利点もあるかたわら、いつまでも落札されないで残ってしまいがちで、結局は落札者もなく不燃物で捨てられてしまうことも多そうで、最近はあまり掘り出し物が少なくなったような気もします。 また各モデルでケースが異なるので、これもコレクター心をそそられます。
 眼幅固定で調整できないという難点がありますが、折りたたみのオペラグラスを始めとしてプレス製のものは眼幅固定タイプが主流ですからそれは気にはなりません。プレスタイプのオペラグラスと違い、このトーコープライドには視軸の調整があり、対物レンズ側ではなく接眼レンズがエキセンリングを介して固定されているため、ちゃんとこれを調整すればけっこうまともに見えるオペラグラスになるのです。もっともコピーモデルはこれを省略してしまったものもあるかもしれません。
 トーコープライドは輸出が始まった昭和22年からサンフランシスコ平和条約発効の昭和27年4月まではmade in occupied Japan刻印、その後はmade in Japan刻印が付されていますが、実際のトーコーブランドのプライドは昭和30年代くらいで製造を終了し、あとはコピーモデルだけが市場に出回り、昭和60年代前半くらいまでは市場に見られたようです。
 現在ではこのようなコストのかかるオペラグラスは市場に皆無で、数百円で買えるようなものはレンズもボディもプラスチックの一体成型品で視軸も合わせられないようなものが殆どです。

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July 19, 2018

Precision 8x21mm CF Zタイプ双眼鏡

Dvc00001 Precisionという商標の付く古い双眼鏡です。プレシジョンというと我々「鉄」にとっては通称19SEIKOと呼ばれる鉄道用懐中時計のほうが馴染みが深いのですが、現在光学系でPrecisionを検索するとアメリカの医療系光学機器の会社が出てきます。
どうやらこの医療系光学機器の会社は過去に日本から双眼鏡を輸入してアメリカで販売したことはないようです。
 このPrescisionブランドの双眼鏡は8x21mmと8x24mmおよびTOKO Prideコピーのオペラグラスしか見たことがありません。すべてノーコートの双眼鏡ですし、設計が戦前の小さな筐体の双眼鏡を無理してCFにし、8倍に設計変更したような双眼鏡のことからPRINCEなどと同様にどうやら戦後すぐにデパートなどで扱われた光学製品の問屋系ブランド名ではないかと推測しています。
 というのも妙におもちゃっぽいところがあり、たとえば左右の視度調整は右側の接眼レンズを鳥居から筒ごとねじで繰り出すとか、何か眼鏡店などの店頭に並ぶよりもデパートのおもちゃ売り場の片隅に科学教材としてプリンス光学の顕微鏡や天体望遠鏡などといっしょに並んでいたほうが似合いそうな双眼鏡です。まあ作っていた会社というのは4畳半規模の会社だったのは間違いないのでしょうが、その後Precisionの商標を捨てて輸出用双眼鏡のOEM元として設けてビルでも建てたのか、それともこの双眼鏡だけで事業に行き詰まって廃業したのかはわかりません。
 それでもZタイプのポロプリズム双眼鏡としてはミニマムサイズに近い双眼鏡で、何か言うこともできないかわいらしさのようなものがあるコレクター心をくすぐる双眼鏡です。
Dvc01001 筐体は13年制式双眼鏡の流用かと思ったのですが、筐体をふさぐ鏡板は3本のビスで留められるまるで軍用。板の材質も真鍮板の黒塗りです。内部のプリズムも小さなノーコートのプリズムですが、射出瞳径はちゃんと真円でした。カビや曇りを落とし、再組み立て後に苦労して調整したこの双眼鏡の見え方は口径が小さくノーコートだから期待はしていなかったのですが、コントラストも低く解像力もいまひとつながら像は意外に均一な描写で端のほうでも激しく像がゆがむということもありません。
 ただ、機械的部分の精度、特に中央繰り出しのねじの精度などが余り良くなくバックラッシュが大きかったり鳥居のガタが大きくて引っかかり感があったりして、そのをあたりがおもちゃ感を大きくしている理由でしょうか。

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July 18, 2018

SUPER FUJI 12x30mm 5°Zタイプ双眼鏡

Dvc01000  噂どおりにどれだけお粗末な双眼鏡かという興味だけで400円で落札したスーパーフジブランドの双眼鏡です。
名前だけは富士写真光機を超えているのですがそれほど酷い双眼鏡なのでしょうか?
 実は昭和30年代の輸出双眼鏡組み立て業者が板橋に雨後の筍のように設立された時代、フイルム・カメラ・光学製品の総合メーカーの富士写真光機にあやかったのか、それともあたかも富士写真光機の製品と混同されることを意図的に狙ったのか社名に富士の付く会社が4社くらい存在しました。
 ブランドとして今残されてるのはFUJICON、FUJI、SUPER FUJIの3つくらいでしょうか?実際にJBコードを取得している富士ネームの会社は不二という名前も含めて6社存在します。そのうち双眼鏡などを実際に組み立てていた会社は4社ほどでJB8が本家の富士写真光機のほかには本社が渋谷で工場が大宮にあったJB19の不二工芸社、JB28の富士精密機器製作所、JB185の富士光学という会社があります。その他の2社はプリズム製作やプレス部品等の製作がメインだったので除外。そうなると富士写真光機を除く3社がそれぞれFUJICON、FUJI、SUPER FUJIノ製造元だったということなのでしょうか?
 このなかで一番長期間にわたって何種類かの双眼鏡を市場にだし続けていたのは3ブランドの中ではスーパーフジブランドの双眼鏡のようで、輸出にそのままのブランド名で回っていた双眼鏡もスーパーフジだけのようです。
  千葉から届いたスーパーフジの12x30mm5°表記の双眼鏡は対物レンズ裏にカビのスポットやプリズムにも若干のカビと曇りがありましたがそのまままでも使えないこともないようなコンディションでした。
 そのまま遠くの送電線の鉄塔の先端を覗いてみても視軸はぴたりと合ってました。実際に覗いた感じでもそれほどとんでもない双眼鏡には思えませんでした。
Dvc00999 しかし、驚いたことにというか案の定というか12x30mmというのは大嘘で、実際に覗いた視界は他の8x30mm双眼鏡とまったく変わりません。この手の製造元がよくわからない双眼鏡にありがちな倍率詐称双眼鏡です。
そのまま双眼鏡の片方ずつ対物レンズ筒を外し、対物側のプリズムの抜いてカビと曇りを取り除きます。プリズムポケットの精度があまり出ていないのか小さな紙片でプリズムの角度調整が入っています。おまけにプリズムポケットの加工精度が良くなくゆるゆるで、どちら側に追い込んであるかはチェックしておいたものの再組み立てしたのちは像が斜めに結像してました(笑)
プリズムの表面はコーティングもなく、なんと対物レンズは表と裏のレンズのコーティングの色が異なります。表面がアンバーで裏面がシアンコーティングでした。意図的なのかかき集めてきたレンズがたまたまそうだったのかは不明。やや艶が気になるものの筐体内部は黒塗りされています。
接眼レンズ群は表面も内部もまったくコーティングがありませんでした。

 筐体の加工精度がダメでプリズムポケットがゆるゆる。プリズムの微調整で錫箔ならぬ紙片が使用され、レンズは余剰品らしきものをかき集めて8x30mmの部品で12x30mmの倍率詐称双眼鏡を作り上げるなぞ、板橋零細双眼鏡組み立て業者の余剰品換金方そのまままのですが、いちおうスーパーフジブランドの双眼鏡はそのまま米国や英国に輸出されていたようです。
 しかしさすがに倍率詐称は輸出検査に引っかかるようで、30x50mm双眼鏡は7x50mmに、15x35mm双眼鏡は9x35mmに、12x30mm双眼鏡は8x30mmとちゃんと正規の
倍率になっているところが笑えますが、これは日本のユーザーの高倍率イコール高性能という神話がまかり通っていたことにも原因があります。

 実質的には同じ双眼鏡なのに8x30mmと12x30mmが並んでいたら12倍のほうを買うのが心理だったのでしょうから(笑)

 それで苦労してプリズムの位置を何度も修正し、エキセンリングで完全に像を一致させたスーパーフジの双眼鏡の見え方はそんなにコントラストも解像度も悪いというものでもなく、ごく普通の板橋輸出用双眼鏡レベルでしたが、さすがに岡谷のビスタのほうがはるかに良く見えます。

 それでこの双眼鏡の製造元ですが、個人的には作られた期間の長さや輸出の数からしてもおそらくは渋谷区内で創業し、大宮に工場のあったJ-B19の不二工芸社あたりが怪しいような気がします。昭和28年設立の不二工芸社は昭和40年当時でも従業員100名以上を抱える一大OEM双眼鏡業者でした。
 しかし、それほどの規模の会社でも国内向けは倍率詐称するのかと半ばあきれる気もしますが。


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July 16, 2018

東京光学機械EXTRA MONARCH 8x25mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00997 東京光学機械がおそらく戦後昭和20年代末に製作したエクストラモナーク8x25mm双眼鏡です。
おそらくは旧陸軍の将校用双眼鏡13年制式6x24mmの設計を8x25mmにスケールアップした双眼鏡だと思います。そのためにモナークにエクストラの冠詞がついているのでしょうか?
 当時すでに輸出用Zタイプの双眼鏡は8x30mmに移行していましたし、6x24mmクラスの双眼鏡はミクロンタイプが輸出の花形でしたから、この旧軍将校型双眼鏡は輸出には回らず国内にしか出回らなかった双眼鏡でしょう。
 終戦直後はこの手の双眼鏡の未組み立ての残存部材があり、それを組み立てて米軍のPX向けに出荷したことはありましたが、昭和20年代も半ばに達すると残存部材の活用ともいかず、おそらくは本体ダイキャスト等新規で生産したものなのでしょう。
 戦前のTOKO双眼鏡のように本体の鏡板は対物側も接眼側も3本のビス止めで材質は真鍮板で、内部に湿気の侵入を防ぐためか黒のパテで隙間を塞ぐようになっています。対物リングは銅板プレスの黒染めでした。
Dvc00996 対物レンズ接眼レンズおよびプリズムにもコーティングが施されていましたが、ケースに入れたまま何十年も放置状態だったためか内部のカビが酷く、特にプリズムの表面のコーティングがカビで変質してしまい、いくら磨いてもカビ跡は取れませんでした。
 また、東京光学機械には有るまじきような筐体精度でプリズムの位置決めがゆるゆるで、一度バラしたあとはどうやっても左右の像を真ん中に追い込めません。あれこれ何度も行ったものの諦めて現在放置状態です。
 対物レンズの口径も小さく倍率が8倍ということもあり視界はおそらく6°そこそこと今の8倍双眼鏡と比べると視界の狭さは否めません。
 さらにカビ跡などの影響でいまひとつ抜けが良くなく解像力も物足りません。返っておそらく同時代のZ型でミニマムサイズに近いPrecisionの8X21mmのほうが良く見える気がするのですが(笑)

 まあ、この13年制式双眼鏡のサイズ感を懐かしみ、この双眼鏡が戦後少し作られただけでディスコンになったことを惜しむファンも多いのですが、この筐体を使用して高倍率広視角の双眼鏡への発展性がなく、消えてしまったのは当然のことでしょう。

 ケースは牛革の飯盒型でストラップも牛革製。驚いたことに説明書と未開封の小さなシリコンクロスが残ってました。説明書はカタログ的なものではなくごく簡単な双眼鏡の調整と手入れ法の小さな紙片でした。

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July 14, 2018

日本光学NIKKO ノバー7x49mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

Dvc00957  今年はニコン双眼鏡100年だそうで歴代の双眼鏡を集めた展示会が行われたそうです。当時の日本光学というと軍用光学品の国策会社という意味合いが強く、それでも戦前までは当然のこと民生用の光学製品もありました。
 そのニコン、当時の日本光学ですが、終戦後は業態を縮小して完全な民生品の会社となり、存続することをGHQから許可され、大井町の工場でまず外貨獲得のために双眼鏡の生産から始め、のちに35mmカメラの生産に乗り出し、今のニコンに至るという歴史があるようです。
 これは以前、横須賀から入手した戦後すぐの生産の日本光学ノバー7x49mm7.1°の双眼鏡です。
 この50mmではなく49mm表記のノバーは非常に珍しく、というのも戦争末期にバルサム切れした対物レンズがカシメで固定されている対物レンズ枠から外せなく修理できないというクレームから対物レンズを後ろに抜くような改良を施した急拵えの対物枠がわずかに1mmほどレンズを覆ってしまったために49mmなんだそうで、終戦まで有効径49mmになっても50mm表記は変わらなかった(?)ものの、いざ終戦直後に戦時中の残存物をかき集めて輸出用のノバーを組み立てたときにこのままではまずいということで正直に49mmの表記となったらしいのです。その後すぐにエキセンリング付の対物枠に変わって正真正銘の50mmとなってまもなくノバーは光学系が改良され視野が7.1°から7.3°になり今に至るわけです。  Dvc00956 その視野角7.3°のノバーおよび防水型のトロピカルはトレードマークがNIKKO表記からNIKONに変わっていました。
 そんな経緯もあり、さらに戦時中の残存部品をかき集めて作ったノバーはほとんどが米軍のPXで売られた関係もあって国内に残っているシロモノは戦時中のノバーなどに比べても非常に少ないのではないかと思います。おそらくは横須賀から出てきたということからも元は米軍関係者が購入したものかもしれません。米軍のPX向けの商品としてGHQからmade in Occupied Japan表記を追加することが要求され、この双眼鏡もmade in Occupied Japan表記です。

 戦時中の残存部品をかき集めて組み立てたノバーですから各レンズ面はノーコートで対物レンズ鏡筒には遮光筒はない代わりに対物側プリズムに遮光カバーが付きます。鏡筒の貼革、天然樹脂のグッダペルカは皮シボ模様ではなく戦争末期の砂目のようなタイプで、グッタペルカの量を少なく済ますためにごく薄く仕上げてあり、そのために今でははがれて丸裸になった戦時双眼鏡も多いのですが、この固体はヒビと部分的な欠落はあったものほぼきれいな状態を保っていました。しかし、グッダペルカの真ん中付近に経年劣化による縮みで裂け目が出来ており、このままだとこの裂け目からグッダペルカが大きくはがれる危険があります。

Dvc00955 そのグッタペルカの補修をどうしようかと考えたのですが、靴底補修用に黒のチューブ入り樹脂を買ってきて、これを裂け目に沿って塗りこむことで、これ以上裂け目が広がらないように、ここからグッダペルカがはがれないように処置しましたが、この靴底補修財がもともとはゴム系素材との親和性が高くなるように作られており、天然樹脂のグッダペルカとも相性が悪いはずも無く、意外にきれいに補修できました。
 ただ、いつまでたってもべたつき感が残るのと艶が合わないのが難点ですが。それ以後は酢酸ビニール樹脂製の革シボもどきでも貼り革の部分補修にはこの靴底修理剤を使用しています。

 付属していたケースは戦争末期のボール紙芯にキャンバス地を組み合わせたものではなく、ちゃんとした牛革の飯盒型ケースが付属していました。

 戦前のノバーにありがちな対物レンズ貼り合わせのバルサムが一部はがれるバルサム切れを起こしていますが、いまのところさほど見え方には影響がないようです。昔はカナダバルサムを接着剤として使用し、貼り合わせたあとに芯出し加工をしていたそうなので、一度バルサム切れすると再度貼り合わせるときの芯出しが難しいらしいです。現在はバルサムを使用せずに紫外線硬化型の樹脂を使ってレンズ同士を貼り合わせるそうですが、まあ機会があればバルサム切れレンズの再貼り合わせにも一度挑戦してみましょう。

 このノバーはエキセンリングで光軸修正出来るタイプではないようで、さりとてプリズムの可動調整域があるわけではなく、今のところ左右の像を真ん中に追い込めていないのですがこの点は東京光学機械の7x50mmのほうが光軸修正は簡単です。実際に見た像はさすがにまったくのノーコートの双眼鏡ですから視野が暗くコントラストも低いのですが、意外にシャープな結像だと思いました。
 東京光学機械の7x50と比べるとTOKOのほうは対物筒がツアイスを模して二重なこともあり重いのですが、光軸の修正が容易。日本光学のノバーはTOKOよりも軍用としては頑丈さが落ちるものの、軽くて持ち歩くには負担が軽いという違いがあります。やはり陸軍と海軍の仕向け先のニーズの違いが大きかったのでしょうか?

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帝北光学工業TEIKO 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡

Dvc00989 こちらも帝北光学工業の製品で8x30mm 7.5°の双眼鏡ですが、前出の7x50mmよりも若干古いらしく、ケースは失われていましたが茶色い牛革のストラップが付いていました。
 帝北光学工業に関しては前回の7x50mmで詳しく書いたため省略しますが、東京は板橋区の中仙道(R17)と環七が交わる大和町交差点の脇で、主に輸出用の双眼鏡組み立てを行っていた会社です。
 設立は昭和28年ですから当時の大和町交差点は交通量も少なく、当然平面交差だったのでしょうが、現在では中仙道と交差する環七が中仙道を跨ぐ形で立体交差し、さらにその上を首都高速5号線が通り、さらに交差点周囲のビル群によって半閉鎖的な空間になってしまったため、2001年度と2002年度は日本一大気汚染の厳しい交差点という汚名を頂戴したそうです。
 我々子供のときは新宿区の大久保通り牛込柳町交差点というのが大気汚染日本一だったような気がしますが。

 そのような大和町交差点脇に位置していた帝北光学工業ですが、現在でも会社は存続し続けているものの光学製品には係わっていないようで、実質的には自社ビルの不動産管理のための会社でしょうか。
Dvc00988 前回入手したTEIKOの7x50mm双眼鏡よりも年代が若干さかのぼると思われる8x30mm 7.5°の双眼鏡ですが、7x50mmが単独繰り出しだったのにこちらはその当時は標準的になった中央繰り出しです。作りこみは中まで丁寧に黒塗りされており筐体のダイキャストはJ-E7コードのメーカー。7x50mmはJ-E92だったので仕入先が異なるようですが筐体の精度は十分です。
 プリズムもシングルーコートされていますが光学系全面コートではなく接眼レンズの一部にコーティングが省略されているような。
 プリズムを外して曇りを取り除き、対物レンズ裏も無水アルコールで磨いた後、700メートル先の送電線のてっぺんを覗きながらエキセンリングで光軸修正を行いました。ダイキャストの精度が出ているため、光軸の修正はエキセンリングのみで簡単にできました。
 完全調整が終わった後に実際に送電線鉄塔を両目で見た感じは特に不可もなく標準的な画像の結び方をします。しかし、岡谷光学のVISTA8x30mmと比べると、なぜかVISTAのほうは視野が若干黄色っぽいのですが、明るさやシャープネスはVISTAのほうに軍配が上がります。

 ところで帝北光学工業のTEIKOブランドの双眼鏡はこれで7x50mmと8x30mmの二種類が見つかったわけですが、その他の種類がいまだに見つかりません。組み立てていたのが輸出用のこの種類だけで、製品が余剰になったらこの二種類を国内向けに流していたというわけなのでしょうか?

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July 13, 2018

Light 8x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00991  Lightという商標の昭和30年代半ば過ぎくらいに作られた8x30mm双眼鏡です。これ、送料が安いだろうと札幌のリサイクル屋さんから購入したものですが、面白いと思ったのはトレードマークが菱形にFSKというものだったことです。
 トレードマークというのは輸出用商品の荷印という意味で商品にもパッケージにも付されるものですが、双眼鏡に関しては古くからの輸出商品だったこともあり、ブランドが相手向けのOEMでも製造元がわかるというわけです。 例を挙げればI.O.C.は板橋光学、K.O.C.は黒木光学というように3文字アルファベットで表されます。
 それでFSKはもしかしたら富士写真工業でLightは明眸(メイボー)の明かと思ったのですが、それは期待が大きすぎたというものでした。

 届いた双眼鏡はいちおうまともな豚革飯盒型ケースに入っていました。本体にはダイキャストを製作したメーカーコードJ-E11が入っているものの組み立て業者コードが入っていないのでおかしいと思ったら対物レンズの色が違う?
Dvc00990


 何と左はシアン色コーティングながら右側はノーコートレンズがはまっています。接眼レンズ側はノーコートのようでした。これから察するにこの双眼鏡は換金目的でブランドをでっち上げた部品寄せ集め双眼鏡らしいことがわかりました。

 それにしてもJ-E11がどこのダイキャスト屋さんのコードかは知りませんが、この筐体だけは非常にかっちりと良く出来ていて内部の黒塗りは丁寧だしプリズム装着部分の精度も良く、プリズムもはまる込むと微動だにしません。何かこの筐体だけ使って別なもっと良いレンズを移植してしまいたいほどです。
 ダイキャストの精度が良く出来ていることもあり、レンズもプリズムも洗浄したのちの光軸出しは容易でした。
 覗いてみた感じは周辺部はけっこうゆがむものの中心部は意外にシャープな結像をします。まあ部品寄せ集めの双眼鏡ながらダイキャストの精度が良いだけにさほど箸にも棒にもかからないような粗悪な双眼鏡ではないようでした。

 板橋に双眼鏡組み立て業者が雨後の筍のように次々に設立された結果、大手の富士写真工業にあやかったようなFUJIを商標とする業者が数社ありました。中にはSUPER FUJIのように富士写真工業を超越させるようなネーミングの双眼鏡もありましたが、FUJIあやかりネームの双眼鏡はおしなべて本家には足元も及ばないシロモノです。その点、この富士の判じ物みたいなこの双眼鏡は寄せ集めの換金もののなかにあっては筐体の精度のおかげでまあ使えるレベルのものでした。
 ちなみに本家富士のトレードマークはF.P.I.(富士フォトインダストリー)だった由。

 それで後からしつこくあれこれ調べてみたらFSKに該当する会社は昭和22年6月に渋谷区池尻で設立されたJ-B28の輸出業者コードを持つ富士精密機器製作所がかなり怪しいことがわかりました。富士精密機器でFSK。古くから輸出もあったようですからトレードマークとしてFSKはありえないことはなさそうな。この富士精密機器は双眼鏡/オペラグラスの組立が本業の会社だったようですが、その後どうなったのかの資料はまったく見つかりませんでした。当時の商業統計調査などを調べてみる必要がありますね。

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July 12, 2018

ビクセン7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡

Dvc00985 ビクセンの7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡ですが、こちらは昔、当方がお年玉とお小遣いをかき集めて市内の眼鏡店で購入したものです。
昭和48年の1月のことで、購入価格は10,500円だったと思います。確か前年に9,500円から値上げになったと思いました。

 購入のきっかけというのは当時市内の青少年科学センターが開催する天文クラブというのに所属していて毎週土曜日の夜に観察会を開催するのですが、そこに何台か配置されていたのがビクセンの7x50mmだったのです。
 それまで天体観測というと天体望遠鏡以外の道具なんて考えられませんでしたが、実際に望遠鏡を向ける前、肉眼では見つけられない外合間近の金星を見つけたり、肉眼では良く見えない散光星雲や星団を観察するなどの用途に大活躍でした。
 そのため、青少年科学センターの備品以外に自由に使える7x50mmが欲しくて購入したのがこのビクセンの双眼鏡です。さすがにニコンは手が出ませんでしたが普及品クラスの双眼鏡としてはカートンやエイコーの選択肢もあったものの前年に購入した天体望遠鏡が同じくビクセンの名機エータカスタムだったため、選択の余地はありませんでした。
 また、ビクセンは双眼鏡が主力でカタログが充実していたという理由も多少はあったかもしれません。

Dvc00984 購入後は専らの天体観測専用で肉眼では良く見えない星雲星団の観察がメインでしたが、夜中に自転車で家の周りよりも空の暗い場所に出かけ、草原に寝転んで視野いっぱいに広がるアンドロメダを見て、その星の一つ一つが見えるような気がして感動していたものでした。またさそり座いて座方向の銀河に浮かぶ肉眼ではぼんやりとしか見えない散光星雲群が双眼鏡だとたくさ見つけることが出来、夏が来るのが楽しみでもありました。
 
 そんな天体観測も高校進学と同時に天文クラブも卒業ということになり双眼鏡での観測もまったくしなくなってしまい、もっぱらコンサートに持ち出すための双眼鏡に成り果ててしまいましたが。

 それから約四半世紀以上ケースに入ったまま実家にぶら下げられていたのですが、案の定対物レンズ内側にスポット的にカビが発生。グリスの油分が蒸発したのかプリズム表面も曇ってしまったため、あるときフルオーバーホールするjことを決意。
 レンズもプリズムもきれいに洗浄して元に戻したのですが、何と遠くの像が斜めに分解して見えるという。このときプリズムを分解したのちにエキセンリングで視軸を調整するという作業を知らなかったのです。
 しかし、この経験がガラクタ双眼鏡分解調整に入り込むきっかけになりました。

 昔からこればかり使っていたということもあり、当方のすべての双眼鏡の性能の基準はこのビクセンの7x50mmより良いか悪いかということになります。
 以前海上自衛隊観艦式に便乗するために購入したニコンのマルチコート7x35mm 7.3°、これ実に20年ぶりに購入した新しい双眼鏡だったのですが、さすがにマルチコートだけに抜けと視野の明るさはあるものの35mmと50mmの口径の違いによる解像力が物足りないなんて、すべてビクセンの7x50mm基準です。

 このビクセン7x50mm 7.1°の双眼鏡ですが、昭和48年1月購入なので製造は昭和47年。この前年に光友社からビクセンに社名が変わったことを受けてか双眼鏡のロゴデザインが逆アローVixenのものから楕円にVixenに変わり、白だけではなく赤や黄色を使用したカラフルなものになりましたが、スタンダードな双眼鏡はかなり長い間このデザインのままだったような気がします。
 また価格が値上がりしたためではないでしょうが、付属品としてゴムの折込見口が添付になったのもこのころです。

 肝心の性能のほうですが、当時の天文ガイドの双眼鏡性能レポートのような記事が連載されていてニコン、コーワ、フジなどに並んでビクセンも取り上げられていたと思いますが、評価的にはけっこう厳しいものだったと思います。
 プリズム面の反射が多いためか瞳径が真円ではなく周囲に青くケラレがある、筐体内部も黒塗りではなく鍍金かアルマイトの半艶仕上げで内面反射のためコントラストが物足りないなどいろいろの問題が指摘されていたような気がしますが、きちんと調整されたビクセンの双眼鏡の見え方には当時まったく不満はありまんでしたし、今になって比較する板橋輸出用双眼鏡の中になっても上位のクラスに位置する双眼鏡だと思います。

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July 11, 2018

ATLAS 7x50 7.1°Zタイプ双眼鏡(山ノ井光学)

Dvc00987 アトラスというブランドの7x50mm 7.1°Zタイプの双眼鏡です。おそらくは昭和30年代後半から40年代初めのものでしょう。アトラスといってもビクセン製品の製造のために設立された第二工場のアトラス光学とは関係なく、また、新宿区内で双眼鏡組み立てから8mmカメラの製造に手を出したアトラス光学とも異なる、単にブランド名がアトラスということだけの双眼鏡のようです。主にアメリカに輸出されていたようで、アトラスブランドの双眼鏡は何種類か、それも複数のOEM先から納入されていたようです。

 入手したこのアトラスブランドの双眼鏡はJ-B131とJ-E36の二つのコードが打たれていました。それで組み立てを行ったのは昭和23年10月設立の山ノ井光学ということがわかります。もとは鎌倉の大船で設立され、板橋の氷川町に移転してきたという歴史からおそらくは会社設立の前から海軍横須賀工廠の仕事や大船光学の仕事などにも係わっていたのかもしれません。
 ただ、この山ノ井光学に関してはその後どうなったかなどの情報や会社規模などもまったくわかりませんでした。組み立て業者コードによって製品だけはこのように残されているということがわかります。

Dvc00986 なんの変哲もない双眼鏡ですが、ケースのほうが個性的で、珍しくも昔の水筒のキャップみたいにコンパスが取り付けられていました。コンパス付きの双眼鏡ケースというのは初めてお目にかかりました。実はこの双眼鏡、届いてみて初めてわかったのですが、外箱と説明書さえ欠落していましたがまったくの未使用デッドストックものでした。よくもまあ50年近くもこのようなものを放置していたものですが、新しい双眼鏡独特のグリスと貼り革のにおいがまったく失われていないのは驚きでした。まあ今のプラスチック双眼鏡はこのような匂いはしないのでしょうが。
 昔の水筒の蓋みたいなコンパスが付いた飯盒型ケースはボール紙芯に豚革張りの黒ケースで双眼鏡のストラップも黒の豚革製です。さほどちゃちな感じではありませんでした。

 肝心な双眼鏡本体の出来ですが割ときれいに筐体内部も黒塗りされていてプリズムの側面塗装はないもののプリズム面にもしっかりコーティングされているようです。そのためか板橋輸出用双眼鏡の中にあっては内面反射が少ないことを反映してシングルコートレンズにもかかわらず非常に視界が明るくて結像もシャープで見やすい双眼鏡に仕上がっています。昭和48年1月購入のビクセン7x50をはるかにしのぐ位の見え方ですが、そのビクセンの双眼鏡は筐体内部が反射防止の塗装が施されておらず、その違いが影響しているみたいです。

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July 10, 2018

AIKO STANDARD 7x50mm 7.1° Zタイプ双眼鏡

Dvc00972 AIKO STANDARDというおそらくは昭和40年代半ば過ぎくらいの7x50mmZタイプの双眼鏡です。製造元が気になって100円で落札した双眼鏡です。
 この双眼鏡、おそらくは板橋の輸出双眼鏡組み立て業者の手になるものには間違いないのでしょうが、手がかりがまるでありません。
 AIKOだから愛知光学とか相模光学とかそいういう線で探したのですが、見当はずれのようでした。プリズムの曇りを取り除くために対物筒を外してみると筐体内部にJ-78という陽刻があります.。
これが組み立て業者コードだとする根拠は薄いのですが、これが輸出組み立て業者は板橋の富士見町にあった栗林光学製作所という会社のものだということになります。

 この栗林光学製作所というのはペトリブランドの大衆向けカメラを作っていた栗林写真機工業とはまったく異なる板橋の四畳半メーカーです。ペトリの栗林写真機工業が明治時代末の創業なのに対し、こちら栗林光学は戦後の昭和28年の創業で、歴史自体がまったく異なります。板橋区の富士見町に会社を構えていたようなのですが、その規模というのもほんの数人という典型的な板橋輸出双眼鏡組み立て業者だったようです。この栗林光学製作所は残っていないようですが、カメラの栗林写真機製作所も昭和51年のキャノンAE1ショックで売り上げを低下させ、カメラの電子化の勢いについていけず昭和53年に倒産。以後組合管理でコンパクトカメラなどを製造していたものの、これもオートフォーカスの波について行けずカメラの製造を中止し、そのまま消えたのかと思いきや現在は埼玉の杉戸で双眼鏡組み立てをやっているそうです。
 これもまた同じ栗林を名乗るメーカーの不思議な取り合わせです。
Dvc00971_3 このAIKO STANDARD 7x50mmですが、つくりは可も不可もないノバータイプのCF双眼鏡です。モノコートのレンズにノーコートのBK7プリズムを持つこの双眼鏡は筐体内部も黒染めで見た感じもマルチコートの双眼鏡と比べると視野も暗く、像の先鋭度もコントラストも良くはありません。同時代に購入したビクセンの7x50mmのほうがはるかに良く見えるような気がしますが、それなりにまったく使えない双眼鏡ではないようです。

 それにしても栗林光学製作所の製品というのは確証がもてないままで何かもやもやした気分が抜けないのですが、日本でもアメリカでもWEB上にも殆ど画像さえ出回っていないことからしてどうも余剰品もしくは倒産品を換金目的でどこかが横流しした双眼鏡という可能性も捨て切れません。
 知られたメーカーの名前をそのまま流すと足が付くので、それらしいまったく知られていない名前をわざわざつけて出荷した。その当事者の奥さんの名前がアイコだったなんてオチがあるのかもしれません(笑)

 ただ、時代が遡った戦時中、補助的に13年制式双眼鏡を作っていたらしい興亜光機という会社があったらしくそこの双眼鏡の商標がAIKOだったようです。この興亜光機に関しては製品は残っているものの何ら情報は得られませんでした。

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July 08, 2018

Simor 7x35mm 10°Zタイプ双眼鏡(日吉光学)

Dvc00974 SIMORというまったく見たことも聞いたこともないブランドの双眼鏡ですが、輸出製造業者コードのJ-B207が打たれていましたので、これは日吉光学が製造したものでしょう。ただ、J-B207はアポロン光機、常陸光学がそれぞれ同一のコードを持っていて、さらに日吉光学もJ-B56を持っていますので、あとから日吉光学に統合されたのちもこのコードを使い続けていたということなのか、その辺りの経緯は不明です。
 SIMORが何を意味するかはわかりませんが、少なくともシムールと読ませる仏語ではないようです。もしかしたら東京光学機械を中心とした双眼鏡組み立ての中心地である板橋の志村をもじったのではないかと思ってしまいます。

 視角が10°という広角双眼鏡ですが、対物レンズ径30mmクラスの双眼鏡だと8.5°クラスが無理のない性能限界です。こちらは対物レンズ径35mmと若干広げて倍率を7倍に落とし、視角10°という広角双眼鏡にしたものです。
 ニコンにも昔から7x35mmという双眼鏡があり、当方も25年前に普段使い用にマルチコートのニコン7x35mmを新品購入したのですが、こちらはNEWノバーやトロピカルと同じ視角7.3°でしかありません。

年代的には昭和30年代末から昭和40年代初めくらいの製品のようで、ケースは豚革貼りボール紙芯の飯盒型ケース。本体ストラップも豚革製です。Dvc00973  これより年代が少しでも下るとケースはさらにコストダウンされ、ビニール製ボシェット型もしくはビニール貼りボール紙芯の四角いケースになるようです。双眼鏡よりも高級な光学製品の一眼レフでさえもケースは後々合成皮革製になって、今になっては経年劣化でひび割れて粉が吹いています。
 
 当初、製造メーカーが特定できなかったときには、板橋の無名双眼鏡にしてはなかなかのつくりだと思って感心していたのですが、あとから日吉光学の製品とわかってなんとなく納得しました。自社で光学系の設計能力を持たず、昔ながらの板橋クオリティーの双眼鏡を作り続けていたのだったらNIKONやVixenの高級機を初めとした世界中の著名光学メーカーの双眼鏡OEMメーカーとして現在も存続出来たがどうかはわかりません。

 中の反射防止塗装も手抜きはありませんし、プリズム側面の迷光防止の黒塗りこそありませんが、対物筒の遮光筒も当然のこと備えています。
 ニコンのマルチコートの7X35mmと比べるのはいささか酷なのですが、さすがにニコンのほうは視野が明るくクリアなのに対してこちらは視野が若干暗く、視界が広くて気持ちがいいのですが解像力およびシャープネスは物足りません。また視野周辺部はさすがに像がかなりゆがみます。
 視野が広い利点としては動きのある物体を捕らえるような用途には適しているかもしれません。

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July 07, 2018

CLEAR 8x30mm 9°Zタイプ双眼鏡

Dvc00967 大阪の光学製品販売卸の会社、クリアー光学のブランド名がついた双眼鏡です。
クリアー光学の設立は昭和51年とのことですので、それ以降に作られた双眼鏡であることは確かですが、当時急激な円高やオイルショックを経過してもまだ残っていた双眼鏡組み立てメーカーというのは何社くらいだったのでしょう。
 その円高・オイルショックを乗り切った国内メーカーのOEM商品です。

 光学製品卸専門会社で大阪にかつてあった会社にプリンス光学という会社があり、各地のデパートを中心に天体望遠鏡や顕微鏡の児童用普及機種を卸していた会社でしたが普及品のOEMゆえにその情報はネット上にもほとんど残っていません。デパートに口座を持っていたくらいの会社ですからそれなりに歴史も信用もある会社だったのでしょう。当方、小学校1年のときにデパートで買ってもらった顕微鏡がこのプリンスの商標がついた150倍の単眼顕微鏡で、形は本格的な顕微鏡ながら見え方は最悪。何か自分のまつ毛ばかり見えていたような記憶があります。
 Dvc00968 このクリアー光学ブランドの8x30mmの双眼鏡ですが、昭和50年代の双眼鏡のためか旧態依然の7.5°という視野から広角の9°の視野の双眼鏡になっています。確かに実視界は広いのですが、周辺像は当然のことゆがみ、中心部も周辺部も解像度とコントラストもあまり良くはありません
 対物レンズの遮光筒も省略され、内部の仕上げも半光沢の鍍金処理のようです。またプリズム表面はコーティングされていないような。このような仕上げの双眼鏡ですから所詮コストダウンの産物というような気がします。

 ところで、このクリアー8x30mmはアストロ光学の7x50mmにそっくりなのです。デザインもそうなのですが、貼り革が色も含めて同一の格子模様のもの。ピントリングのデザインだけ異なりますが、もしかしたらアストロ光学の双眼鏡同様にパルス光学の製品でしょうか?ただ、昭和50年代に突入してからの双眼鏡のため、双眼鏡のどこにも輸出業者コードの痕跡もありません。そのため、この双眼鏡を実際に組み立てた会社がどこなのか、特定する証拠はありませんでした。

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アストロ光学 7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡

Dvc00963 アストロ光学の7x50mm 7.1度のZタイプ双眼鏡です
 アストロ光学というと現在は天体望遠鏡製造から撤退して、天体望遠鏡設置のためのドームなどの建設に特化した会社になってしまいましたが、もともとは五藤光学から独立した天体望遠鏡のメーカーでした。
 われわれ、小中学生を過ごした昭和40年代ではアストロ光学製の天体望遠鏡というと価格的にはニコンには及びもしないながらも我々の手が伸びるものではなく、アストロ製天体望遠鏡は買えない小中学生が最初に買ったのはケンコー、カートン、ビクセン、エイコーあたりだったでしょうか。そのうちミザールが10cmの反射赤道儀でヒットを飛ばし、高橋製作所がセミアポの屈折赤道儀を皮切りに業界を席巻していったのにつれて、アストロ光学の相対的な価値は低下していったような気がしますが、アストロ光学としてはアマチュア用というのは主力として力をいれていたわけではなく、どうも主軸を学校や公共機関の天文観測施設納入のほうにしていたような感じがありました。

 そのアストロ光学ですが、各天体望遠鏡メーカーと同じく自社ブランドの双眼鏡をリリースしていましたが、天体望遠鏡と異なり自社製造ではなく、外部委託で調達していたようです。価格的にもビクセンやカートンの同タイプの双眼鏡と比べると数千円高かったような気がします。アストロ光学にしても双眼鏡は天体望遠鏡メーカーとして他のメーカーの双眼鏡を買ってくれとも言えず、とりあえずOEMで調達したというだけで、販売にも力が入っていないようでした。
 そのためか、アストロ光学の双眼鏡に関してはWEB上にもほとんど情報がありません。断片的に拾った画像から見ると基本的なパーツ構成は同一ながら、貼革が黒の革シボタイプのものと、今回のややグレーがかった格子状の貼革、まるで30年代のオリンパスペンの貼革のような2種類が存在するようです。これどちらが新しいのかはわかりませんが、特殊なオリンパスペンタイプの貼革が調達できなくなって通常の黒革シボタイプに変更されたのでしょうか?
Dvc00962  今回入手したアストロ光学7x50mmの視野7.1度双眼鏡は多くの板橋製双眼鏡がそうであったように、旧軍の7x50mm双眼鏡の設計をそのまま踏襲するものです。全レンズおよび全プリズム面にコーティングされたフルコーティングの双眼鏡ですが、特別な光学ガラスなどを使用するようなものではありません。
 鏡体内部のつや消し塗装が省略されているためかコントラストはさほどよいわけではなく、また像も真ん中はそこそこなものの周辺部にいくに従って悪化していく感じです。どうもアストロ光学の名前を付すには物足りない双眼鏡ですが、J-B230というメーカーコードが残っていて、それによるとどうやらパルス光学という会社で委託製造されたものらしいことがわかりました。
 このパルス光学、後発だったこともあり情報が少なすぎてどういう規模のメーカーなのかも判然としませんが、手元にあるCLEARというブランドの8x30mmの双眼鏡が作りや使用している貼り革まで同一なので、おそらくはこのCLEARという双眼鏡もパルス光学製なのかもしれません。
 Dvc00961 アマチュア向きも製造している天体望遠鏡メーカーは双眼鏡は添え物みたいなもので当時自社製造していたのは日本光学ともともとは双眼鏡が主力のビクセンくらいなもので、光学総合商社のケンコー、エイコー、カートンは仕入れメーカーが発注のたびに異なる外部調達のようです。
アストロブランドの双眼鏡も外部発注ですが、どうしてもアストロではなくてはいけないというような指名買いというケースは少なかったようで、世に残っている数がけっこう少なく、もしかしたら一種類につきロット200から300位の発注単位で一回の発注をこなしていたのかもしれません。また、アストロ光学名での双眼鏡輸出は皆無でしょうからすべて国内向けということになります。

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July 06, 2018

帝北光学工業 TEIKO 7x50mm 7.1 IF 双眼鏡

Dvc00964  この双眼鏡は帝北光学工業という板橋は環七大和町交差点脇にある双眼鏡組み立てメーカーの製品です。ブランド名はTEIKOなのですが、おそらくこれば国内向けのみの製品名称でしょう。海外向けの双眼鏡もOEMでいろいろ製造していたはずですが、どういうブランドに化けていたのかは今のところ判然としませんでした。
 板橋区内の双眼鏡組み立て業の会社がことごとく消滅してしまったのに、驚いたことにこの帝北光学工業は現在でも会社として存続しています。実際には光学製品の製造組み立てというのははるか昔に終了していて、それ以降は自社ビルの管理・賃貸が主業務のようです。
 戦後雨後の筍のように多数設立された板橋の双眼鏡組み立て業者としては、儲かるときに自社ビルを建ててしまい、ドルショック・オイルショックで双眼鏡の組み立て調整事業が立ち行かなくなった後も不動産賃貸でなんとか会社が存続出来たいわゆる勝ち組の一社でしょう。
 輸出向けとしてはどういうブランドを手がけていたかはわかりませんが、輸出製造業者コードはJ-B103でした。また国内向けのTEIKO双眼鏡としてもまったく情報が少ないのですが、板橋中小組み立て業者の常で、輸出の余剰になったロットを自社ブランドで国内市場に放出したという程度の数しか出回っていなかったのかもしれません。
Dvc00965 おそらくは昭和30年代末くらいの製品だと推定するTEIKO 7x50mm 7.1°のZタイプ双眼鏡ですが、30年代には珍しくIF(単独繰り出し)の双眼鏡です。当時でも防水機能付の双眼鏡でもない限りIFは珍しい存在です。鏡筒にはプラスチックの遮光筒が嵌められており、プリズム面にもコーティングが施された鏡体内部は丁寧につや消し黒塗装されていますが、プリズムの迷光防止防止措置はありません。
 レンズはシアン色のモノコートです。
 実際に見てみた感じはシャープネス、コントラストともに不満がのこるものの、意外に視界の隅まで像は良好です。
 本体はコストダウンのしわ寄せが少ないもののケースやストラップは真っ先にコストダウンの洗礼を受けたようで、ケースは飯盒型なものの皮もどきの擬皮紙を貼ったボール紙製ケース。ストラップも中に繊維の芯も入っていないビニール紐です。

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July 05, 2018

HEMMI製ボーリングピン2種

Dvc00954 今の人たちは信じられないでしょうが昭和45年あたりから日本国中で空前のボーリングブームというのが起こり、日本中にというよりもかなりの田舎でも36レーンから40レーンなどという大きなボーリング場が次々に建設され、おもに団塊世代の人を中心に盛んにボーリングが行われていました。地方のラジオなんかでは交通情報よろしくボーリング場の混雑状況などというのが定時に放送され、何処の何とかボールは2時間半待ちなどというのが流れていたのも隔世の感があります。
当時ワンゲーム350円くらいだと思いましたがワンゲームで終わるはずはなく、デートコースとして出掛けるレジャーにしてはかなり高額なお遊びだったと思います。

 我々は子供でしたからボーリングブームといっても本物のボーリングには縁が無く、ボーリングブームに便乗しておもちゃメーカー各社が発売したボーリングゲームで遊ぶくらいでしたが、これも安いものでも5千円はしたはずでそのような高価なおもちゃは買ってもらえなかった当方はもっぱら友人の家に出掛けてボーリングゲームで対戦させてもらい、そこでスコアの付け方を覚えたようなものです。
ボーリングブームで一番いけなかったのは、なぜかボーリング場が空に向かってサーチライトを照らすことで、当時天体観測をやっていた仲間内でも空を無用に明るくするボーリング場は目の仇のようなところもありました。それがオイルショックの節電でサーチライト点灯などを真っ先に止め、それ以上に進行が早かったボーリングブームの衰退でボーリング場自体の廃業が相次いだことで日本中の空に僅かながら暗さが戻ったことを歓迎してました。

 そのボーリング場の設備ですが、当時殆どはアメリカからの輸入だったAMFかブランズウィックが主流だったと思います。国内メーカーのものも何社かあったようですがうちの近所ではAMFの機械しか見たことがなかったです。AMFの設備はどこが代理店だったかは知りませんが、ボーリング用品は大沢商会が扱っていたような。

 機械がアメリカ製だったのに比べると消耗品のボーリングピンはAMFとブランズウィックが日本国内でOEM製造させたもののほかにも国内メーカーのJCB(日本ボーリングコミッション)公認ボーリングピンが各種製造されていたようで、その製品ごとにJBCの公認ナンバーというのが設定され、公式戦では公認ピン以外使用しても記録にならないなどの規定があったはずです。もっともボーリングピンの規格は高さも太さも重さも決められていてその規格に合致しないとピンセッターに詰まってしまうなどの不具合が発生します。
 おそらくはAMFやブランズウィックなどでは自社以外のボーリングピンを使用させなかったでしょうから国内メーカーのボーリングピンは国産のピンセッターに限って使われたのでしょうか。そのためかボーリングピン製造に参画したもののボーリングブームの衰退によってすぐに撤退してしまったメーカーばかりです。もしかしたら空前のボーリングブームのさなかでAMFやブランズウィックからのボーリングピンが一時的な供給不足に陥り、ボーリングピンのみ自社以外のものを使用することを黙認されていたのでしょうか?
 現在JBC公認ボーリングピンは設定以来40数年で50何号かまで存在しているようです

 計算尺のヘンミがボーリングピンを一時製造していたというのはよく知られていて計算尺マニアでも必ず一本は持っているというヘンミ計算尺製のボーリングピンですが、実は2種類存在していることを知っていて実際に2種類持っている人は何人いらっしゃるでしょうか?一つ目はJCB認定第5号のHEMMIボーリングピンでどこかで昭和46年認定だとか見たような気がします。
もう一つはJBC認定番号第8号のHEMMI PERFECTで確か昭和48年認定だと思いました。おそらくヘンミ計算尺としても竹製計算尺の衰退で新たなビジネスを模索していたHEMMIがセルロイド竹貼り技術の応用でブームになってきたボーリングビジネスに参画しようとしたのでしょうが、意外にも急速に衰退したボーリングブームによって撤退を余儀なくされたということなのでしょう。
 まあおそらくは自社製造ではなく関連の会社にOEM製造させ、完成品を納めさせただけでしょうからそんなに設備投資なので損失は被らなかったはずです。

 構造は明らかに異なっていてHEMMIの5号は最中状の中がくりぬかれたハードメイプルの2枚をあわせてナイロンで補強し、レジン製のような底板を被せてプラスチックコーティングしたというような構造で、HEMMIパーフェクトの第8号は木工自動旋盤で楓材を削り、中もくりぬいて底板を嵌めるというような野球バットのような構造をしています。HEMMI 5号ピンのほうがヘッドの部分まで空洞で長く使用しているとそのうちボールが当たった瞬間にパカンと真っ二つに割れてしまうような気がします。ポールが当たってヘッドが折れてヘッドが飛んでゆくボーリングピンは珍しくありませんが、さすがに縦に真っ二つに割れるボーリングピンは見たことありません。そういうクレームが実際にあり、パーフェクトという改良ピンがリリースされたのでしょう。
 見た目でもHEMMI 5号はなんとなくでっぷりとした体型なのに対してパーフェクト8号はスリムなシルエットです。
 デカールのデザインは基本的に同じなのですが中がHEMMI 5号が日の丸なのに対してパーフェクト8号はギザギザの太陽です。

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July 04, 2018

エイコーBULL FIGHT 7x21mm M型双眼鏡

Dvc00953  ブルファイトというブランドの広角7x21のミクロン型双眼鏡です
 一応エイコーのE.O.C.ロゴが入っていますが、同型の双眼鏡がビクセンブランドでも売られていたようです。
 光学系は対物レンズの眼幅が対物側よりも狭いミクロン型なのに通常の形状をしている小型双眼鏡で、この手のミクロン型もどきは岡谷光学のVISTAブランドなどにもあるもののデザインの可愛さでもっとも人気のある双眼鏡のひとつです。
 製造はおおよそ昭和30年代末から40年代半ばごろまでだとは思いますが、輸出用の製造業者コードが入っていない双眼鏡です。たぶん国内向けロットと海外向けロットを完全に分けて製造していたのでしょうか?
 また、エイコーとビクセンの刻印違いでまったく同じ双眼鏡が出回っていましたので、おそらくは板橋区内の中小双眼鏡メーカーのOEM商品だったのでしょう。
 昭和30年代末の双眼鏡にしてはコストダウンされておらず、筐体内部はやや艶が目立つもののきれいに塗装を施されており、対物側のプリズムには遮光カバーが装着されています。ケースもこの時代にはもう珍しい分厚い牛皮飯盒型ケースでストラップも牛革です。
 Dvc00952光軸は接眼レンズ側の鏡板を外して内部のねじで調整します。

 7倍なのに視界が広い(10度)のために視野が広くて気持ちがいいのですが、さすがに良像面は真ん中に限られ、周辺部がけっこうゆがむのは仕方がありません。

 エイコーは地方の眼鏡店などでもカートンやビクセンと並んで普通に見かけるブランドでしたが、その前身は戦前の映光社までその歴史がさかのぼるようです。昭和30年代から40年代にかけての天文ブームの底辺を支えてきた光学総合商社でしたが、少子化による国内需要の低迷と円高による輸出の不振により屋台骨を支えきれず、ミザールブランドの日野金属に吸収されました。現在日野金属はミザールテックという社名で相変わらず光学製品をリリースしています。

 このブルファイトブランドの双眼鏡、実は隣町の方から譲っていただいたもので、もしかしらた元は知っている眼鏡店の店頭で売られていたものかもしれません。

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July 03, 2018

岡谷光学 VISTA 8x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00948 言わずと知れた岡谷光学のVISTA 8x30mmポロプリズム式双眼鏡です。 岡谷光学は服部精工舎のセイコー資本によって諏訪湖の畔に設立された会社ですが、現在は諏訪セイコー社が前進のエプソンの子会社になっているようです。

 戦前は同じく服部精工舎資本で設立された東京光学器械の下請けとして軍用の光学器械、戦後は民間用および輸出用の光学製品を製造しており、レンズシャッター式の小型35mmカメラのLordは服部時計店を代理店にして全国的にかなり売れたカメラでした
 双眼鏡も戦後いち早く輸出体制を整え、日本光学や東京光学器械と並んで大手6社の中の一社で、その製造品は一級品と認定され、板橋の四畳半メーカーの双眼鏡とは一線を画した輸出価格も割高の双眼鏡を製造していました。

 また、そもそもの設立が空襲被害からの疎開としての意味合いが強く、東京から遠く離れた地でレンズから筐体まですべて諏訪湖の近辺で調達出来たため、東京の地の利がなくとも部品調達には困りませんでした。
 Dvc00947_2 カメラの製造こそ昭和36年のキャノネット発売による、いわゆるカメラ業界のキャノネットショックでロードマーシャンを最後にすっぱりと撤退してしまいましたが、その後は諏訪精工舎の時計製造と平行して双眼鏡だけは製造が続いていたものの、昭和46年のドル切り下げから採算が悪化し、昭和48年4月のドルの完全変動相場制の以降とまもなく始まったオイルショックのあたりで双眼鏡製造からも撤退したようです

 意外と岡谷光学の双眼鏡はオークションでも安くは無いのですが、この8x30mmはケースなしが敬遠されたのか500円で落としたものです。
 プリズムはそこそこ曇っていたもののさほど酷使されていないシロモノでした。対物レンズをはずしてプリズムを外して見ると、その筐体の加工精度は抜群で、磨いて戻したプリズムは微動だにしません。接岸側のプリズムも同じで曇りを取り除いたのちに元に戻してあとは対物レンズのエキセンリングの調整だけで視軸調整が完了しました。
 各プリズムの表面にはコーティングが施されているものの、対物レンズの鏡筒に反射防止筒が省略され、プリズムの側面に迷光防止の塗装やプリズムに刻みが施されているわけではなく、中の塗装も簡易的に行われているためか、シャープネスはユニオン光学の同型双眼鏡をしのぐもののコントラストはそれほど良いわけではありません。それでも筐体の加工精度がきっちり出来ているためか、一度分解して組み立てたあとも視軸の調整は容易でした。
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 まあ昭和20年代30年代のVISTA双眼鏡と比べると、40年代の双眼鏡はコストダウンのしわ寄せがかなり来ているのでしょうから、そうなると初期のVISTA双眼鏡の実力が気になります。
 しかし、どう贔屓目に考えてもKOWAやFUJIの双眼鏡には肉薄しても昔のNIKONの妥協の無い双眼鏡の作りにはかないそうもありません。 重量は他の8x30mmの同タイプよりやや重く560gありました。

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日吉光学 OCEAN 8x30 Zタイプ双眼鏡

Dvc00945 OCEANというブランド名しかなく、JBコード表示義務以前の古い双眼鏡のため、メーカー特定が難しかった双眼鏡ですが、H.O.C.の表示のあるOCEANブランドの双眼鏡が存在するため、昭和25年12月創業の日吉光学のかなり古い時代の双眼鏡だと判明しました。

 日吉光学は現在でも鎌倉光学同様に自社ではもう双眼鏡製造ラインを持っていない大手光学メーカー(ビクセン・ニコン等)のOEM提供元として盛業中です
 また自社の商標OCEANはいまだに健在でトレードマークは当時と変わったものの日吉光学のホームページに堂々と掲げられています。

 その日吉光学ですが、創業当時神奈川の日吉に工場を構えたことが社名の由来となっているものの、日吉光学に社名が定まったのは昭和32年に本社を板橋の前野町に移転してからのことで、それ以前は別な社名を名乗っていたことが日吉光学のホームページ上の沿革で明らかになっています

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 そのことから推察するとOCEAN H.O.C.のトレードマークは昭和32年以降の製品に、H.O.C.の入らないOCEANのみのトレードマークは本社移転以前の日吉に事業所のあった昭和32年より前の製品ではないかと思われます。
 また、今回のH.O.C.の入らない双眼鏡は厳密に言うと後に日吉光学に社名が変わったメーカーの双眼鏡ということになります 推定昭和30年代初頭の製品のようで、まだコストダウンによるしわ寄せが来ていない製品ゆえにプリズム全面コーティングはもちろんのこと飯盒型牛革ケースに牛革ストラップなど付属品にもコストが掛かっている双眼鏡です ここは組立だけではなく鏡筒などの金属部品の製造を含む双眼鏡の一括生産が可能だったようで、これがいまだに双眼鏡製造が続いている理由のようですが、この双眼鏡も非常に丁寧に作られている印象を持ちました。そのような品質維持が可能でなければ世界的な双眼鏡OEMメーカーにはなれなかったでしょう。

 プリズムのエッジ付近に黴があったため、全プリズムの分解洗浄しましたが、コーティングがあるために黴取り跡が残ってしまいました・プリズムには迷光防止策は取られていないものの対物レンズ枠には金属製黒染めの遮光筒がねじ込まれており、鏡筒に丁寧に施された黒塗りによって逆光下以外ではなかなか鋭い見え方がすると感じられました。しかし古い時代の双眼鏡ゆえに一度外したプリズムの位置決めが難しかったのは同時代の双眼鏡同様です。重量はストラップ抜きでぴったり500gでした。
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 日吉光学が今でも双眼鏡を作り続けているわけですから、おそらくこれを整備調整してくれと送りつけたら応じてくれるのでしょうか?(笑)それとも「うちの製品ではありません」と送り返されるのかな?

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