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December 23, 2018

SUPER FUJI 7x35mm11°BL型双眼鏡(大塚光学?)

Dvc00384 珍しいSUPER FUJIブランドのBL型7x35mm 11°の超広角タイプの双眼鏡です。SUPER FUJIの双眼鏡製造元は2流の輸出用双眼鏡メーカーと認識していましたが、こんなりっぱな双眼鏡まで作っていたのかと一瞬感心してしまいました。
 ところがこのメーカーは通常30mmと50mmのZタイプの双眼鏡しか作っておらず、既成の部品を集めて組み立てることしかしていなかったため、怪しいと思ったら案の定この双眼鏡はどうやらその形状からして大塚光学もしくは鎌倉光機のOEMのようです。どちらかというと大塚光学の方が近いような感じで、このままDia Stoneの商標が付いてもおかしくないような双眼鏡ですが。
 それでSUPER FUJIの製造元ですが、今の所は大宮に工場を構えていたJB19のコードを持つ不二工芸社が怪しいのではないかと思っています。不二工芸社は昭和28年8月に渋谷区内で創業し、後に大宮に工場を構えるのですが、昭和40年初期には従業員100名以上を抱える双眼鏡組立業の会社としてはかなり大きな会社だったようです。昭和40年の従業員規模からすると鎌倉光機や大塚光学の1.5倍、日吉光学の実に3倍程の規模の会社でしたが、双眼鏡だけではなくレンズシャッタ−式カメラの組み立ての外注でも請け負っていたのでしょうか?
Dvc00383 国内向けのSUPER FUJIブランドの双眼鏡はいうに及ばず、アメリカにもかなりの数が出回っているようなのですが、面白いことに輸出向けの双眼鏡は正直なスペック表示なのですが、国内向けの双眼鏡は一貫して倍率詐称双眼鏡だったようです。たとえば8x30mmの双眼鏡はすべて12x30mmに、9x35mmの双眼鏡は15x35mmに、7x50mmは12x50mmにという感じです。また国内向けのOEM生産させたものにまでこの基準を要求していた節があり鎌倉光機のOEMらしきBL型9x35mmが15x35mmの6.5°表示になっていたものもあるようです。いったい15倍の双眼鏡で見かけ視界が90°ってどんな双眼鏡でしょう(笑)
 そういうポリシーの会社ですが、さすがに超広角双眼鏡の倍率を水増しするのは違うとでも思ったのか、このBL型はSUPER FUJIにしてはまともなスペック表示です。また、高級品イメージを印象づけるためか、普通は白のロゴですがこの双眼鏡には金色で色埋めされています。おそらくSUPER FUJIではBL型の自社生産は行われなかったようで、こちらはJBナンバーこそ未発見ながらパーツ構成からして鎌倉光機ではなく大塚光学のOEMだと思われます。時代は昭和40年代半ばくらいに遡ると思われ、その根拠としては段ボール芯に革もどきの擬皮紙を貼付けたものながら飯盒型のケースが付属していたこと。接眼レンズが後の大塚光学製超広角双眼鏡のものと異なり純粋なエルフレタイプらしく、光機舎の昭和40年代の超広角双眼鏡同様に極端にアイリリーフが短い大目玉の接眼レンズが付いていたことによります。この接眼レンズは真ん中が3枚合わせの3群3枚構成ですが、後の超広角双眼鏡は鎌倉光機にしても大塚光学にしても両端が2枚合わせで真ん中が単レンズの3群3枚構成の接眼レンスに変わり、ここまで大目玉の接眼レンスは使用されなくなります。それに伴い視界周囲の収差もだいぶ軽減され、像面解像度も均一化されたと思いますが、この双眼鏡はKenkoブランドの光機舎7x35mm 11°BLタイプに近い見え方でした。
Dvc00382 北海道札幌からやってきたこのSUPER FUJIは経年で内部のグリースの揮発性分が蒸発し、ややプリズム面に曇りがある以外はカビも視軸の狂いも無くそのままでも使用に耐えないことはないレベルの商品でした。そのためまだ分解はしていないものの、対物側から内部を見た感じではややテカリが気になるもののちゃんと反射防止塗装が施され、対物レンズ筒には割りと長めの遮光筒がはめ込まれています。ただし光機舎の同タイプのようなプリズムの遮光カバーは使用されておらず、これは遮光筒で済ませてしまたようですが、一概にどちらがいいのかはわかりません。コーティングは全ての面がシアンのモノコートのようです。重量はストラップ抜きで840gと光機舎の同タイプよりも100g以上軽量ですが、世代の新しい鎌倉光機のFocalブランド7x35mm11°の700gにはかないません。
 遠くの送電線鉄塔を覗いてみた感じではエルフレ独特のコントラストがやや甘い感じながら中心部の解像力はさほど悪くなく、しかし周囲に行くに従い収差で像が湾曲するという同時代の光機舎の超広角双眼鏡に近い見え方で、同じ7X35mm11°の双眼鏡でも時代が下った大塚光学や鎌倉光機のものとは見え方が異なります。
 なんかDia Stoneの商標が付いた7x35mm 11°の双眼鏡のほうがうれしいような気もしますが、二流メーカーの商標が付いた実は一流品ということで、レア度は確かに大きいようです。でもTOYOTAの車にHYUNDAIのバッジが付いていてもちっともうれしくありませんが(笑)
 SUPER FUJIの双眼鏡は昭和50年代以降のプラスチック多用双眼鏡やズームの双眼鏡も見あたらない事からおそらくはドルの変動相場制移行による円高やオイルショックによる資材高騰により不二工芸社の企業活動停止かなにかで昭和40年代末まで残っていなかったのではないでしょうか?

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December 21, 2018

Vixen 6-12x32mm BL型ズーム双眼鏡(遠州光学機械)

Dvc00377
 これも1円で落札したビクセンの中型ズーム双眼鏡です。6-12x32mmというズーム比2倍の無理の無い設計のBL型ズーム双眼鏡で、メーカーコードらしきものが残っており、どこが製造してビクセンに納めたかという興味だけで入手したものです。結論からするとこの双眼鏡の製造元は板橋区の上板橋に存在したJB55の遠州光学機械という会社でした。遠州光学の設立は昭和23年の2月と古く、元は浜松と甲府に工場を構えていたそうで、そのことから推測するともともとはKOWAの興服産業同様に旧豊川海軍工廠の流れをくんでいる会社なのかもしれません。光機舎のなき後にもかなりいろいろな会社にズーム双眼鏡をOEM生産しており、その代表どころとしてはCOPITARが上げられます。その遠州光学製COPITARズーム双眼鏡は昭和50年代初期には雑誌広告に載るくらいでしたからよく売れたズーム双眼鏡の一つだったようで、この遠州光学製のCOPITARズーム双眼鏡はかなりの数が残っているようです。またいつ頃の出荷かはわかりませんがENSYUブランドを冠した遠州光学の自社製品も見つかっています。
Dvc00376 遠州光学の双眼鏡は平成初期頃までは生産されていたようですが、円高不況、プラザ合意による円高容認策後に輸出のコストが上昇し、1ドル80円台という急激な円高に見舞われた平成中期以降は双眼鏡製造にはかかわっていなさそうな感じです。現在同じく板橋区の前野町に遠州光学精機という会社がありますが、おそらくそこが旧遠州光学機械でしょう。板橋で遠州を名乗るのもいかにも不自然ですし、遠州光学精機でズーム双眼鏡の特許も申請していたようです。ただこれは20年前の情報なので、現在の遠州光学精機がどういう企業活動をしているかは不明です。板橋双眼鏡業者の勝ち組にあるように利益の上がった時に自社名義の不動産を次々に取得し、双眼鏡生産からの撤退後は自社名義の不動産管理業あたりに業態変化して存続しているかもしれません。
 この遠州光学製ビクセン6-12X32mmズーム双眼鏡は多くの古いズーム双眼鏡に多く見られるように変倍レバー側のズームカムガイド筒が固着してしまい、まったく動きません。それを無理に動かそうとしたらしく変倍レバーが折れてしまっているジャンクです。そのため、固着している最高倍率側での固定倍率でしか使用できないため、12x32mmのBL型双眼鏡になってしまっています。
Dvc00375_2 ズームの連動はギア式ですが、時代の新しい大塚光学や鎌倉光機のプラスチックを多用したズームメカと比べると時代が古いなりにカム筒押さえ冠などの部品点数がやたらと沢山あり、仕事は丁寧なのですがけっこうなコストが掛かっています。またコーティングもアンバーとマゼンダを組み合わせたカラーバランスもよさそうな多層膜っぽいコートで、なんか昭和40年代末期のカメラレンズのようです。接眼レンズのコーティングもまったく手抜きされておらず丁寧な仕上がりでした。
 最高倍率でしか見る事が出来ないためにズーム双眼鏡のテストとしてはちょっと酷ですが、やはりズーム特有の反射面の多さから来るコントラストの甘さと像面の解像力の甘さは否定出来ません。内部の反射防止塗装も丁寧に施されているのですが、やはりズームの双眼鏡はいらないなという印象です。これ、おそらくは昭和48年以降おそらくは昭和50年代初期くらいの製品だと思うのですが、ビクセンの双眼鏡としても単なる 8x30mmあたりと比べるとけっこうお高い双眼鏡だったのでしょう。それでもこの遠州光学製のOEMのズーム双眼鏡が日本から海外までかなりの数が残っているようで、昭和60年あたりまでは付加価値の付いた双眼鏡として大量に製造されていたことがわかります。

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December 16, 2018

Vixen 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡(厚木光学)

Dvc00365 懐かしい逆アローにVixenのロゴが入った光友社時代のビクセン8x30mm7.5°Zタイプの双眼鏡です。光友社が株式会社ビクセンに社名変更したのは昭和45年とのことですが、当時板橋区に工場を持っていたものの天体望遠鏡から双眼鏡、顕微鏡からルーペまで扱っていた総合光学商社として広く光学製品全般を扱っていた関係で、下請けの業者に製造させたOEM製品がかなりの割合を占めていたようです。それらOEM製品も自社でしっかり検品してから出荷する体制が整っていたのが信用につながったのか、未だにビクセンはケンコー・トキナーとならぶ総合光学商社として業界に君臨しているわけです。
 前にも書いていますが当方が一番最初に購入したのがビクセンのZタイプの7x50mmの双眼鏡で昭和48年1月のことです。まあ天体望遠鏡も前年に購入したビクセンのエータカスタムという6cmの経緯台だったため、よくも悪くもビクセンの製品が自分の基準になってしまい、それよりよく見えるか見えないかで双眼鏡の善し悪しを判断しているようなところが未だにあるかもしれません。
 とはいえ、今迄入手した双眼鏡はゆうに70台近くになり、ビクセンのセカンドブランドのFOKUSやVISIONなどの双眼鏡も混じっていますが、ビクセンブランドの双眼鏡はこれが二台目。というのも昭和47年以降のビクセンの双眼鏡はOEMで作った工場が単純によくわからないために氏素性を解明する興味に欠けるということがあると思います。まあ、製造部門のビクセン光学やアトラス光学製であれば OEM製品とはいえませんが、それでも昭和40年代前半くらいまでのビクセンの双眼鏡はどこのメーカーのOEMかということがはっきりわかるものがあります。そういうものには興味を引かれてしまうのですが。
Dvc00363 この札幌近郊の町から送ってもらった推定昭和40年代前半のビクセン8x30mmはJ-B272の組立業者コードとJ-E6のダイキャスト業者のコードが残る製品でそれによると製造元は厚木光学でした。厚木光学はJBナンバーも末番に近いくらいの後発メーカーらしく、どこに工場を構えていてどれくらいの人員を抱えていたのかという情報も一切ありませんがSPLENDERという商標のZタイプ30mmおよび50mmの双眼鏡を国内外に出荷していたようです。以前からこの厚木光学のSPLENDERに興味があり、狙っていたのですが思わずビクセンブランドの厚木光学製を入手したことになりました。
 厚木光学は昭和30年代後半から40年代初期のおそらくはオパル光学あたりと同時期の創業メーカーだと思われます。ビクセン以外にどういうメーカー・商社に製品を供給していたかはわかりませんがオパル光学同様に自社ブランドのSPLENDERで国内だけではなく海外にも製品を出荷していたようです。しかし、製品は30mmと50mmのZタイプの双眼鏡のみのようで、広角などの双眼鏡も見あたらず、技術的には取立ててどうのこうのいうようなメーカーではありません。多くの板橋双眼鏡メーカーがそうであったように、部品は同業部品屋からの供給を受けて組み立て調整業に徹した会社だったのでしょう。製品も昭和40年代らしきものしか見つかりませんし、もしかしたら円の切り上げやドルの変動相場制移行、オイルショックによる資材高騰を乗り切れずに廃業、もしくはビクセンに人員ごと吸収されて第二工場の母体になってしまったかもしれません。
Dvc00362 その厚木光学製ビクセン8x30mmですが、これはビクセンの仕様指示なのか使用しているパーツには高級感がないものの非常に丁寧に組み立てられた良品です。プリズムも各レンズ面もすべてわりと厚めにコートされたフルコーティングの双眼鏡で、鏡体内部もつや消し塗料で丁寧に塗り込まれています。しかも冬場と夏場の気温差が大きくレンズ内部の結露からカビに発展しやすい北海道の双眼鏡にしてはプリズムの光路周囲に若干のカビが見受けられたものの、光学系の狂いも無く外観的にも殆ど使用されていないようなシロモノでした。対物レンズの鏡筒を外し、綿棒に無水アルコールを浸して接眼側プリズムの光路周囲を拭いてやることのみで清掃終了でした。
 さて、実際に遠くの送電線鉄塔を覗いた感じではコントラストはやや足りないものの解像力はかなりあり視野周辺の像のゆがみなども気にならないレベルです。最近送電線などがやや太く見えがちな双眼鏡によく行き当たりますがこの双眼鏡は線の太さもノーマルに感じました。まあ岡谷のVISTAと比べると物足りないところはままありますが、双眼鏡としては至極まともなレベルだと思います。同年代Kenkoの新井光学製よりもこちらのほうがぜんぜん良い双眼鏡だと感じました。でも同じくKenkoのスカイメイト8x30mmの見え方には及びません。おそらくスカイメイト8x30mmは鎌倉光機製でしょう。しかし、ケースもポシェット型なのにシボの入った本革製でしたし、当時これが一家に一台あったらけっこうなものだったでしょうね。

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December 14, 2018

HEMMI 海軍兵学校計算尺(戦時No.2664簡易型)

 通称海軍兵学校計算尺と呼ばれる戦時中のNo.2664の簡易型です。別に材料が枯渇してNo.2664からスケール部分が省略されたのではなく必要最小限の仕様として公用に注文されたアメリカでいうところのGovernment Propertyとしての計算尺ではないかと想像しており、海軍兵学校が発注した特別仕様の計算尺という証拠はありません。ただし、海軍兵学校ではちゃんとこの新しいずらし尺の計算尺を使用するための教本を用意しており、新しいずらし尺用準拠の教本をわざわざ作成したのが海軍兵学校以外に見あたらないため、主に海軍兵学校で使われたというのは間違いないところです。
 その兵学校計算尺ですが、戦時中から他の官公庁にも出回ったらしく、こちらは旧電電公社、今のNTT関係の方から入手した計算尺です。その入手経緯というのは出品者のお父上が工業高校を卒業した昭和29年に北海道で電電公社に就職した際、個人の計算道具をまったく所持していなかったため、10歳程年上だった先輩がこれを使えと言ってくれた計算尺がこの兵学校計算尺だったそうです。その先輩とは2年程で転勤のため別れ別れになり、その後一度も一緒にならなかったため、どういう経緯でこの計算尺を所持していたのかはわからないそうですが、戦時中の海軍兵学校で使用された計算尺と同形のものと出品者からお父上に伝えていただくと驚かれていたそうです。計算機が出回りだす迄の十数年間、非常によく使いこなされた計算尺で、黒のサックケースがぼろぼろになり、それを中子に布の巾着ケースをかぶせたものの中に入っていました。
 その通称兵学校計算尺ですが、製造開始時はまだ材料にも余裕があったようで、裏側はちゃんとアルミの総裏でオーバル窓が開いていますが、その後にはさすがに材料にも余裕が無くなったと見えて裏側金属はオーバル窓の空いたアルミを両端だけに使い、中程は裏抜きされて樹脂のままというモデルも見つかっています。それからすると総裏金属兵学校計算尺は昭和18年頃、中抜きモデルは昭和19年あたりの製造でしょうか?本当にアルミ等の材料が枯渇した戦争末期の計算尺のようにカミソリの刃のような金属で上下の固定尺を繋いだモデルももしかしたら存在するのかもしれません。
 まだ総裏アルミ継ぎのモデルが存在する事から本当に材料が無くなってしまってこういう簡易型のNo.2664が出来たわけではないことがわかると思います。
Photo
Jpg


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December 08, 2018

RICOH No.121 10"機械技術用計算尺

 RICOHの片面計算尺の中では比較的に新しい計算尺なのにも関わらず今迄オークションで見かけた数は十数年間で片手にも満たないというNo.121です。一応は機械技術用とのことですがその内容はHEMMIのNo.130同様にダルムスタット式の片面計算尺になります。
 ダルムスタットの計算尺はドイツのA.W.Faberなどではおなじみでリッツ式同様に戦前には世界に蔓延った時代がありましたが、両面計算尺の普及に従い、戦後はFaberでも両面計算尺を作るようになって急速にその存在感を失ったような気がします。片面計算尺でべき乗計算が出来るように特化したものですが、HEMMIではリッツの片面計算尺の60番台シリーズは昭和一桁の登場と早かった物のダルムスタットのNo.130は昭和15年頃に一度発売が発表されたものの日中戦争激化と太平洋戦争の開戦でお蔵入りし、戦後の昭和20年代中頃になって初めて商品化されたものです。
 そのため、戦時中も使用され、目盛が馬の歯形から物差し型に進化していったNo.64に比べ昭和20年代の発売にも関わらず目盛が馬の歯形という旧態依然さが疑問でしたが、これは戦前に完成していたダルムスタットの目盛の型をそのまま使用したためと理解しています。
 そんな少々時代のニーズから外れたダルムスタットの片面計算尺をなぜRICOHで新しくつくらなければいけなかったというのがわかりません。しかも品番も110番台から飛んで120番台というのも驚きですが、この120番台の計算尺は当方このNo.121の存在しか知りません。
 このNo.121は今迄見た数本はすべて透明塩ビケース入りの昭和40年代前半の製造らしきもので、それもすべてデッドストックの新品でした。今回初めて青蓋のポリエチレン製ケースの物が出て来たわけなので、昭和45年以降も継続してリリースされ続けたことになります。
 この個体の記号はUS-5ですので昭和47年5月の佐賀製、RICOHの計算尺としてもかなり末期に製造になりますが、それにしてもこの時期にダルムスタットの計算尺なんか需要があったのかはなはだ疑問ですし、一般的にもある種の業務用途を除いてはほとんどが高校生用の用途で種類を絞りつつあた時代の生産です。おそらくはHEMMIでもNo.130はその時点で製造はされていなかったでしょう。
 内容的にはHEMMI No.130の側面に刻まれたS,T尺を上固定尺に移動させ、L尺を滑尺裏に移したもので、尺のレイアウトは異なる物の尺種類と数はまったく同じです。尺レイアウトは表面がS,T,A,[B,K,CI,C,]D,Pの9尺、滑尺裏がL,LL1,LL2,LL3,の4尺です。カーソルはC,D尺側に副カーソル線を有するプラスチックの一体型で、このNo.121の専用品になります。
 計算尺末期の製品でもあり、その特殊性もあって開封品で外箱などもありませんでしたが表面のざらつきも残るほぼ未使用品でした。最近匿名配送が多くなり、詳しい発送場所はわかりませんが大阪方面から出た計算尺のようです。
Ricoh121
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