米国ウルフ揮発油安全灯(ガス検定用)
アメリカ国内で使用されたウルフ揮発油安全灯のうちでもメタンガス簡易検定用に特化したタイプのバリアントです。こちらのウルフ揮発油安全灯の中でも第一次大戦以前にドイツ国内で製造されてアメリカ国内に輸入されていたものです。というのも第一次大戦までは特許の関係もありすべてのウルフ安全灯はドイツ国内で製造されたものがアメリカに輸入され、WOLF SAFETY LAMP OF AMERICA INC.のオーバルタイプの銘板が油壷に張られた状態で販売されていました。この時代のWOLF AMERICAの所在地はニューヨークですが、第一次大戦中は当然の事ウルフ安全灯の輸入は途絶えます。このときにMade in U.S.A.の揮発油安全灯としてアメリカの安全灯市場に登場したのがKOEHLER(ケーラー)揮発油安全灯です。おりしも1915年にアメリカ鉱山監督局(UNITED STATES BUREAU OF MINE)の保安規則が変わり、形式認定を出した安全灯しか坑道内で使用出来なくなり、当時第一次大戦で敵国ドイツのウルフ安全灯はアメリカで形式認定を取る事も製品を輸出することも出来なかったこともあり、市場でのケーラー安全灯の台頭を許すことになります。実際にウルフ安全灯がアメリカ鉱山監督局の形式認定を得たのが鉱山保安規則改正から5年後の1920年ということで、この時点で敗戦国ドイツでは未曾有の敗戦後インフレで部材の調達もままならず、このときからアメリカ国内でウルフ安全灯を製造することになり、本社もニューヨークからお隣のブルックリンに移転し、油壷に張られた銘板にも本社がブルックリンの住所に変わりました。この時までにアメリカ石炭鉱業監督局に形式認定を受けた安全灯を生産するメーカーはケーラー、英国アイクロイド&ベストとウルフの3社だけでその後50年間にわたり安全灯で新規の形式認定を取得したメーカーは無いそうです。ケーラー安全灯は構造的にはまったくのウルフ安全灯のコピーですが、その時点でウルフ安全灯の主要システムはすべてパテントが切れていたために合法でした。もしも第一次大戦の空白期がなければアメリカの炭鉱におけるケーラー安全灯はそれほどウルフ安全灯の牙城を崩す存在にはならなかったのでしょう。
参考までに鉱山監督局の形式認定番号と取得年月日は第一号のKOEHLERの最初のブラス製揮発油安全灯がU.S.B.M.No.201で1915年8月21日の取得。第二号が英国ACKROID & BESTのヘイルウッド電気着火式石油安全灯でNO.202を1917年1月8日で取得。第三号がKOEHLERのアルミタイプ揮発油安全灯でNo.203を1919年2月7日に取得。そしてウルフ揮発油安全灯は第四号のNo.204で1921年7月18日の取得ですからケーラーに遅れる事、実に6年も経過していました。
このメタンガス検知に特化したウルフ安全灯はこれもすでに入手から2年程経過したものです。うちの記念すべき第一号ウルフ安全灯と同じくオーバルタイプのWOLF SAFETY LAMP OF AMERICA INC.,NEW YORK U.S.Aの銘板があるものですが、構造がやや異なり、以前のものはトップがスチールなのにこちらは真鍮製です。またメタンガスを筒内に導くためのカップリングニップルが油壷から飛び出しています。このニップルには逆止弁が内蔵されているみたいで、ここにスクリュータイプの金具を介したゴム球付きホースを接続し、坑道の天井付近に溜まりやすいメタンガスを筒内に導入し、基準炎がどれだけ伸延するかを腰硝子に書き込まれた金線目盛により高さを測定し、おおよそのメタンガス濃度を測定するという代物です。また炎の高さを明瞭に確認するためのオプションのミラーを取り付けるマウントが下ガードピラーリングにあり、ロックシステムは以前から所持していたアメリカンウルフ同様にスクリューボルトロックです。また通常のウルフ安全灯が油壷上部のメッシュスリットを通して吸気するのに対し、こちらはガス検定専用になっているため油壷からの吸気をなくし、通常はマルソータイプと同じく上部ガーゼメッシュからの吸気で小さな基準炎を作り、そこにゴム球のポンプを繋いだカップラーを通して油壷下部から外気を導入するという仕組みに変わっています。そのため照明器具として使用されたことはなく、もっぱらメタンガス簡易測定のためのウルフ灯なので、激しく使用された打痕や大きな傷もまったくありませんでした。
入手は埼玉の川口からだったような気がしますが、その日本国内への来歴は不明です。しかし、日本の炭鉱では使われた形跡がないので、おそらくはアメリカからの雑貨品に混じって日本にやってきたのではないでしょうか。
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