ウルフ揮発油安全燈整備風景
明治末から大正に掛けての時代にはよく炭鉱や鉱山が写真館を手配して事業所のあれこれを撮影させ、それを何枚組かの絵はがきにしたものが多く残っています。ちょうど初期のオフセット印刷が普及してきたこともあり、写真印刷が簡単になった時代背景もありますが、この組み物の絵はがきは今で言う所の一種の会社案内のパンフレットみたいなものでしょう。その多くは鉱山の機械設備や運搬設備を始め、採掘現場や福利厚生施設なども網羅しているものがあり、これが郵便物として世の中に出回る事により会社のイメージアップはおろか、就職先としての宣伝効果も意図していたのかもしれません。
その炭鉱鉱山の企業ものの絵はがきの中でも当方が注目しているのは炭鉱用安全燈の整備風景に関するもの。一枚はけっこう数が出回っている北海道炭鉱汽船の夕張一坑の安全燈室におけるウルフ揮発油安全燈の整備風景と称するものの一枚です。この安全燈室では3カット分の絵はがきが存在していて、その中でもこちらは奥の方の整備卓から給油卓側を望む様子。時代は大正中期から末期のようで、夥しく並んでいるウルフ安全燈はすべてボンネットスリットが4列の本多製鎧型ウルフ揮発油安全燈です。ガス検定用としてではなく明かりとして坑内で使用していた時代のウルフ燈のため、ゴム球を接続するシャッター式吸気リングの付く後のガス検定燈タイプのウルフ燈とは異なります。
もう一枚は他ではまったく見た事が無かった北海道炭鉱汽船の幌内炭鉱安全燈室のウルフ揮発油安全燈整備の様子で、作業台の左右に取り付けられているのがベンチマグネットという大型の馬蹄形磁石です。これに磁気ロック部分を押し当てて油壷を解錠するのですが、こちらのウルフ安全燈もボンネットスリット4列の本多製鎧型ウルフ揮発油安全燈です。
夕張一坑安全燈室の原版がカメラのあおりを駆使して手前から奥まできっちりピントが来ているのに対して、幌内炭鉱安全燈室の原版はレンズの性能もあるのか窓側からの光線でややハロを引いて描写も甘くなっています。ただ、この幌内炭鉱安全燈室の絵はがきは他に見た事が無く、あとどういうカットが存在していたのかも不明です。
ちなみに夕張炭鉱にエジソン型蓄電池安全燈が導入されたのは大正9年末から10年にかけてで、その後逐次明かりとしてのウルフ揮発油安全灯は姿を消して行きます。
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