半纏・線路工手(箱根登山鉄道:小田原市)
この線路工手と半纏襟に染め抜きされた半纏は国鉄ではなく、おそらくは中京・近畿方面の私鉄で保線に使用された半纏だとの思い込みで、その正体解明でどつぼに入り込み、なんとそのマークがどこの鉄道会社か確証を得るのに10年も掛かってしまったものです。
確か愛知から入手したということもあり、最初は名鉄に買収された小規模の電鉄会社を。つぎに近鉄に買収された小規模の電鉄会社の社章をしらみつぶしに探したのですがまったく手がかりがつかめず、さらに名鉄系以外の中京地区の廃止鉄道を当たったのですが、らちがあきませんでした。
そこで学習したのは社名を図案化してレールマークで囲ったという鉄道の社章が多いということで、たとえば東武鉄道などの旧マークは東の図案化。西武鉄道の旧マークは西の字の図案化。京王帝都の旧マークは京の字の図案化です。そして今回半纏コレクションのアップにあたり、冷静にこの半纏の背に染め抜かれた社章を観察すると、何とカタカナの「ハコネ」の文字が浮かび上がり、これがヒントになって正体が判明しました。その鉄道会社は「箱根登山鉄道」です。
私鉄史ハンドブックに現存私鉄の社章掲載されていたのに、ピント外れの検索をしていたのと掲載されているマークと半纏裏の社章の印象がまったく異なるため、気がつきませんでした。
線路工手という職名からおそらくは戦前くらいまで時代が遡る作業系半纏です。平地と違い、高低差の激しい箱根登山鉄道の保線工事はさぞかし大変な職場環境だったと思われます。平地では桜が咲き始めているのに箱根の山ではまだ雪がちらつくということもあったでしょうし、戦前ということもあり、重い保線工事の道具を人力で引き上げながら日々事故がないように鉄路のメンテナンスを行うというのは並大抵なことではなかったと思われます。
何せ標高のある場所での作業でしょうから気候的にも環境は厳しかったことを裏付けられるように、本来一重の半纏に手作りで子供用着物の端切れかなにかで裏地が施されています。生地自体も戦前の半纏に共通して紺の割と厚めの生地が使用されています。
| Permalink | 0
Comments