半纏・北の錦(小林酒造:夕張郡栗山町)
北海道の栗山町で現在も盛業中の小林酒造、北の錦の半纏です。
栗山町の表玄関のJR室蘭本線栗山駅というのはその昔、大変ににぎわっていた駅で、それというのも炭都で最盛期は12万人の人口を誇った夕張市への短絡路線である夕張鉄道の接続駅だったのです。夕陽に照らされた3両編成の珍しい夕張鉄道湘南フェイスの気動車。額からは長いタイフォンのラッパが飛び出しているその姿は目に焼き付いています。
その炭都夕張の炭鉱従事者人口の需要で隆盛を極めていたのがこの小林酒造でした。
小林酒造の創業は何と明治11年だそうで、江戸時代から続く酒蔵が普通にある内地と比べるとせいぜい140年程ではありますが、北海道でいまだに続いている酒蔵としてはもっとも古い日本清酒の前身柴田酒造店(明治5年)に続くものです。日露戦争直前の明治33年に栗山町に移転、以後順調に規模を拡大し、旺盛な炭鉱関係の需要に応えて来たようです。昭和18年の企業調整法によっても札幌市内の酒造メーカーなどと統合されず、逆に陸軍指定工場になって原料の確保が出来、単独の経営が可能だったとのこと。
戦後、炭都夕張の凋落と人口減少により大幅に石高を減らしてゆくものの、いち早く道産酒造米に注目し、前蔵元と前社員杜氏の脇田征也氏(苫小牧工業高校OB)の二人三脚によって酒質を高め、本州産山田錦と協会9号に頼らず、道産米だけで鑑評会金賞を受賞するまでになったというのは画期的なことでした。以後道内酒造メーカーのほとんどが道内産酒造米を使用して高品質な酒を作出すること北海道全体の日本酒の評判を上げる結果になっています。また、この小林酒造はプライベートブランドが非常に多く、旅館やホテルの名前のラベルの酒があったかと思ったら北の錦だったり、各地の酒屋などの協同組合が自分の土地の水をわざわざ持ち込んで特別に仕込んでもらうような事に広く対応しているようです。
この北の錦、株式会社小林酒造のめくら縞半纏は比較的に新しい昭和の末期頃のものだと思います。というのも背中の清酒王北の錦のロゴがベルベットのような起毛印刷になっており、これは今出来の化学繊維の酒屋半纏でもよく使われている印刷法だからです。半纏襟は○田株式会社小林酒造の染め抜きで、半纏襟裏にひょうたん型の記名部分の染め抜きがあり、おそらくは君が袖と同じ仙台の業者の半纏でしょう。
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