半纏・登鶴(登鶴酒造:旭川市)
登鶴酒造は旭川にかつて存在した酒蔵の一つです。北海道内におけるシェアはかなりあったようで、広く北海道内に製品が出荷されていましたが、昭和61年に廃業し、商標は栗山の小林酒造に譲渡されました。うちの近所の酒屋さんの表にも未だに登鶴と北の錦の看板が掲げられています。登鶴の醸造元は旭川で米穀商・肥料商などを営んでいた京都出身の世木澤藤三郎が、大正7年に地元の瀬古太郎助の酒造場(明治37年創業)を買収した酒造会社で、おそらくは事業を継いだ長男の世木澤登の名前にちなんだのが登鶴ではないかと思います。
軍都旭川の旺盛な日本酒需要に支えられ、隆盛を極めますが、戦前の石高総量規制、統制経済による原料米の制限などを経て昭和19年には北の誉の野口酒造を存続会社とした旭川酒類株式会社に戦時統合されてしまいます。戦後の昭和24年に旭川酒類から分離独立して登鶴酒造になりました。昭和40年頃には北の誉などと同様にTVのCMが頻繁に流れるほどだったのですが、アルコールの嗜好変化による日本酒離れには抗しがたく廃業となってしまった由。レンガの酒蔵は移築され確かお菓子の会社のお店になっているらしく、またレンガ造りの蔵のある世木澤家の本宅はいまだそのままの姿で残っているそうです。
このめくら縞半纏もざっくりと分厚いもので、仙台青山染工場の「青山製」の染め抜きが半纏襟裏にあるものです。背模様はありません。
ちなみに登鶴はその音読みで「とうかく」から選挙には欠かせなかった酒だそうです。現在では酒を振る舞うのは当然ダメとして、選挙事務所に陣中見舞いとして酒を送るのもはばかられるのかこういう酒の姿も減りました。 なお、商標を受け継いだ小林酒造では業務用、宴会用などの一合瓶に登鶴の名称を使用したものが作られています。よほどおめでたい酒名と認識されているのでしょうか。
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