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November 10, 2019

高田式揮発油安全燈(炭鉱用カンテラ)Type Takada Flame Safety Lamp

Dvc00063-2    この見慣れない安全燈は札幌の白石区から出てきたものです。今ではスーパーBIG HOUSEになってしまったようですが、JRの白石駅と12号線の間に昔、石炭坑爆発予防試験場というものがありました。ここは大正時代初期に設置された福岡県の直方安全燈試験場改め直方石炭坑爆発予防試験場に続いて国内で2箇所目の試験場として昭和13年に開設されたものです。この試験場では実際にメタンガスを発生させて防爆実験を行っていたそうで、その危険性や爆発音が周囲に影響を与えないように当時は駅の南側が未開の土地だった札幌郡白石村に誘致されたものだそうです。その後この施設は昭和23年に北海道炭鉱保安技術研究所に変わったのち、北海道石炭鉱山技術試験センターという名称に最終的に変わり、平成13年度末で廃止されたとのこと。この白石区はそのような経緯もあり、炭鉱技術とは縁が深いのですが、よもやこんなものが出てくるとは夢にも思いませんでした。
 安全燈の名称は高田式安全燈、発売元は東京の東洋工業社とあります。形式的にはライター式の再着火装置が付属している普通型のウルフ揮発油安全燈で、下部リング部分に設けられたメッシュから吸気して上部の二重メッシュから排気するというのもウルフ揮発油安全燈のセオリー通り。最大の特徴は油壷やボンネットを含めた総アルミ製の安全燈で、紛れもなく坑内測量時に磁気コンパスを狂わせないという目的で製造されたものだと思われます。
 同時に空で1.6kgもある鎧型ウルフ安全燈に対して軽量化という目的を持っていたであろうことが見受けられ、なんとアルミ製の油壷部分には鋳造時からの肉抜き部分があって、一部は前後に丸棒が通るくらいの穴が貫通しています。当初この肉抜きは爆発予防試験場での構造試験のためにカットアウトされたものではないかと思ったのですが、ダイキャストの砂型成形時からこの部分の肉抜きが行われていたことがわかります。
  そこまでして軽量化した揮発油安全燈にはお目にかかったことがなく、そこまでするか?というのが正直な感想ですが、素材がアルミということもあって、燃料が入らない空の状態で鎧型ウルフ安全燈よりもなんと500gも軽量な1100gに過ぎません。ロッキングシステムはマグネットロックで、100均で売られているような強力磁石で簡単に解錠できました。給油リッドはカニ目ではなくマイナスドライバーで開けることが出来、芯の繰り出し方式や再着火装置はウルフ燈コピーの繰り出し式です。
 安全燈のボンネットにまるでモーターの銘板のような色気のない四角い銘板が貼り付けられていて、そこには歯車のなかに十字のあるマークと「専売特許・新案登録 高田式安全燈 発売元株式会社東洋工業社 東京」とあります。この発売元の東洋工業社はマツダの旧社名東洋工業とは何ら関係がないようで、マツダの東洋工業は大正末から昭和のはじめはコルクの製造を手掛ける会社だったとのこと。あといくつかの東洋工業を名乗る会社を検索してみたのですが、戦前からの会社は少ないようでした。
Dvc00054-2  また発売元とあるので、江戸商会の横田式安全燈のように製造はどこか別なところが行い、あくまでも販売代理店的な存在だったのかもしれません。表面が白いアルマイト処理を施しているようで、少なくとも製造してから80年ほど経過した現在でも表面に腐食などはまったく見受けられません。これが黄色いアルマイト処理だったら思わずヤカンと感じてしまい、ブサイクな安全燈に見えてしまったでしょう。
 年代的には白石に試験場が開設されたのが昭和13年ですからそれ以降に試験場に持ち込まれた試作品なのか、それとも研究用に直方の試験場から分けられたサンプルだったのかは判然としません。ただ、この普通型ウルフ安全燈というのは鎧型ウルフ安全燈に比べてやや気流に対して炎の動揺が激しいという直方試験場の試験結果から大正時代末には淘汰されてしまった形態のウルフ安全燈です。アルミの板を鎧型にプレス成形するのは当時としては難しかったとはいえ、普通型の安全燈を昭和に入ってから作る必要があったのかどうかというのが甚だ疑問であり、また大正末期から蓄電池式のキャップランプが大手炭鉱をメインに急速に普及し、坑内用の灯火器としての揮発油安全燈は昭和5年ころまでにその役目を終え、以後は鎧型のウルフ安全燈で吸気リングが付いたものが簡易メタンガス検知器としての用途で坑内で使われるだけでした。
 坑内測量もアルミの安全燈を使用せずともキャップランプは磁気コンパスに影響を与えないでしょうし、昭和に入ってさらに昭和10年代にこんな総アルミの軽量揮発油安全燈を作っても需要がなかったことは確かでしょう。しかし、市販されなかったであろう試作品が試験場に保管されてきたことでこのように日の目を見たわけですが、そうなるとまだ白石近辺にはまだこんな安全燈の埋蔵品がまだまだ転がっているかもしれません。ちなみにこの安全燈はリサイクル業を営む売り主の元に個人から持ち込まれたものだそうです。
Dvc00061  二重メッシュカーゼとオリジナルの腰ガラスが失われていて戦前ドイツのイエナ時代のショット社の腰ガラスが取り付けられていました。おそらくは実験中にオリジナル腰ガラスが破損したので、試験場に腰ガラスの強度試験サンプルとして転がっていた高価な舶来腰ガラスを間に合わせではめられていたようです。フランスの安全燈にはバカラ社の腰ガラス、ドイツの安全燈にはショット社の腰ガラスが使用されている例が多いのですが、ガラスの品質や加工精度など到底国産品が叶うようなシロモノではありません。この腰ガラスは初期の国産クラニー燈や初期の国産普通型ウルフ安全燈のようにガードピラーリング部分にバヨネット式に固定されるタイプでこの構造は本多商店製普通型ウルフ安全燈とまったく同じですが、「油壷との結合部分の気密性に難があり」という試験結果がすでに大正初期に出てますから、今更こんな構造で試験に出されても結果が芳しくないことはわかりそうなものですが。実際に実験に供された証拠としてボンネット裏側は煤煙で黒く煤けていました。
 腰ガラスから上の部分が欠品でボンネットと腰ガラスの間に隙間が開いて見栄えが悪かったので戦後の本多製ウルフ燈から部品を調達し、なんとか安全燈の体裁を整えましたが、本多のウルフ燈とガーゼメッシュ押さえのバネの形状が合わず、ここだけ流用不可でした。
 これがもし大正年間に直方試験場に提出された試験サンプルだとしたらまだ理解できるのですが、何せ銘板が左から右への箇条書きですから時代がぐっと下ったものであることがわかるというもの。
Dvc00060  ただ、この高田式安全燈というものが当初から船舶搭載用の備品としての防爆燈として開発したのであれば、アルマイトの防錆性もあり、海事用としてその存在価値は昭和10年代でも失われてはいなかったと思います。ただ、日中戦争が泥沼状態に突入し、太平洋戦争に向かっていったこの時代に民間需要用の軽合金の確保は難しかったでしょうし、それならば船舶用備品として逓信省から形式認定を受けた本多商店製ウルフ安全燈で事足りるわけですから、船舶用防爆燈としても商品として日の目を見なかったというのは想像できます。

 追記:夕張石炭の歴史村の資料館にこの高田式揮発油安全燈が陳列されています。ただ、いつの間にかピラー式ガス検定燈にプレートがすり替わってしまって展示されているようです。実際に坑内で使用されたようで、3番のペイント書きが油壺にほどこされていますが、そうすると製造年は昭和初期くらいまで遡るのでしょうか。ただ、油壺との結合に旧タイプの揮発油安全燈同様の問題があり、本多のウルフ検定燈の牙城を崩せず淘汰されてしまったのかもしれません。ただ、坑内測量で磁気コンパスを狂わせないという利点は否定できないため、帽上蓄電池灯が普及するまでのほんの短い間だけ試験的に使用されたのでしょう。そのため、やはり製造数は非常に少ないため、今に残っている数も少ないはずです。

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