ドイツ製ウルフNo.856鉱山用カーバイドランプ
日本で工業的にカーバイドの大量生産を開始したのは最近アビガンのマロン酸ジエチル原料再生産でも名前が出てきた化学メーカー「デンカ」の母体になった会社で場所は北海道の苫小牧市でした。時は明治の末期、木材資源や水力発電の好立地が近く、鉄道もつながっていた苫小牧市に王子製紙の苫小牧工場が建設されますが、その水力発電の余剰電力と王子製紙の工場内でも製薬に使用される石灰石が共同で購入でき、さらに日高方面から豊富に調達できる木炭があったため、この電力・石灰石・木炭を使用して北海カーバイド工場が設立されたことに始まります。アセチレン発生源としてのカーバイド生産というよりも炭化カルシウムと窒素を反応させて農業用肥料として生産がほとんどだったとは思いますが、この苫小牧におけるカーバイドの生産は大正末に王子製紙の拡張で余剰電力が得られなくなったために新潟の糸魚川に移転。そのカーバイド工場の社宅や職員以外の職工たちは王子製紙苫小牧工場に転職しました。
我々の世代はカーバイド工場があったことさえ年寄りからの又聞きでしかありませんが、昔は「元カーバイドにいた〇〇さんの息子が…」なんて会話が普通にあったものです。現在、王子紙業という回収紙から再生パルプを生産する会社の敷地内に「デンカ発祥の地」という小さな記念碑があります。
日本におけるカルシウムカーバイドを使用したカンテラですが、当初は灯具もカーバイドも輸入品で高価なものでしたが、取り扱いの容易さと旧来の油燈カンテラよりも光度があり、明治の末頃から主に金属鉱山を中心に普及してゆきます。明治末期にはカーバイドランプを専門に製造する会社も何社か出現し、どういう経緯か規格品24号とか言う真鍮製のカンテラを等しくどこのメーカーでも作り始め、全国の金属鉱山に急速に広まったという歴史があります。
それ以前に使用された輸入品のカーバイドカンテラは主にアメリカ製の真鍮プレス製のものが使用されていたようですが、日本では西欧諸国のように帽子を被る習慣がないため、米国のような小型のカーバイドキャップランプというものはなく、中型サイズ以上の取っ手付きのものが坑内巡視の職員の手によって使用されたという程度だったためか、今になって残る輸入品のカーバイドカンテラは大変希少な存在です。
このカーバイドカンテラは日本国内にあったもので、おそらくは明治の末期から大正初期にかけて国内に持ち込まれたものらしいのですが、正体がわからず、また炭鉱で使用されたカンテラではないため鈎の形状から旧ドイツ製ということはわかるものの入手以来3年ほど放り出していたものです。
今回、ドイツ製カーバイドランプで画像検索して得た結論は、なんとウルフ揮発油安全燈の製造元であるドイツはフリーマン・ウルフ商会で製造されたNo.856というカーバイドランプらしく製造は1910年から1920年らしいのです。得体のしれないカーバイドランプがウルフの名前を冠することがわかって俄然興味が湧いてきたとは我ながらお恥ずかしい限りですが。
形状は炭鉱用のウルフ揮発油安全燈と比べるといかにも無骨でデザインの美しさの微塵も感じさせませんが、そのメカニズムの秀逸さとして、本体タンク部分のロックシステムにあります。金具を引っ掛けて取っ手を起こせば本体とタンクが圧着して気密がたもたれる仕組みで、ネジで締め付けるものと比べるとその設計の巧みさはさすがはウルフ氏の手に掛かった灯火器という感じがします。この圧着システムは前製品のより効率的な改良システムです。
材質もウルフ揮発油安全燈同様にスチール外皮ですが、ウルフ揮発油安全燈のように真鍮の中子は必要がなく、タンク部分は単なるカーバイトを格納するスチールプレス製圧力容器です。。この辺りは真鍮のプレスや鋳物の加工でしかカーバイト燈を製造できなかった明治から大正期の日本とは基礎工業技術の差を感じさせます。
このウルフカーバイドランタンはアメリカに輸出されたものが日本に再輸出されたのではないかと思われますが、このNo.856の時代にはちょうど第1次世界大戦が勃発し、炭鉱用のウルフ揮発油安全燈もこのウルフカーバイドランタンもアメリカへの輸出が止まってしまいました。日本でもウルフ揮発油安全燈同様に輸入が止まってしまい、カーバイドカンテラ本体の国産化が推進されるきっかけになったのでしょう。それ以後外国製のカーバイドランタンが日本で輸入・使用された形跡は残念ながらありません。
入手先はたぶん群馬県内だったように記憶していますが、売主は舶来の油さし容器だと思っていたような。おそらくは防炎を兼ねた反射板を取り付けられるようになっていたのでしょうが、その取り付け金具のロウ付けがはがれて欠落してしまったようです。
ちなみにドイツのウルフ商会では炭坑用に揮発油ではなくカーバイドを使用するカーバイド式安全燈も製造していました。しかし、灯油などと違って灯火器用カーバイドの入手はまだまだ困難な国が多かったためかまったく普及しないで終わってしまったようです。
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