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July 28, 2020

昭和期のDIETZ No.80 BLIZZARD ハリケーンランタン

Dvc00553 Dvc00552 Dvc00554   世の中は空前のキャンプブームだという話です。キャンプ芸人なるジャンルが出来て、それぞれそれだけでゴハンが食べられるくらいにキャンプというのが社会的にバズって来たようですが、当方はまったくのインドア派。
おまけに家の猫を放置して頻繁にキャンプに出かけられるような環境でもないのですが、それでも中学時代の昭和40年代後半には同好の志数人と光害の少ない所を求めてテントを張り、2泊3日くらいの日程でペルセウス流星群観測に出かけるのが恒例で、それくらいのキャンプ経験はあります。その時に購入したのが今は無きホープのLサイズのコッヘル。コンロはケロシンストーブなどを買う余裕もなく、缶入りのテムポの固形燃料を使用してご飯を炊き、おかずは缶詰かレトルトのカレーを食べながら、夜はもっぱら流星観測。そのため照明は赤いセロハンを張った懐中電灯と乾電池式のランタンくらいしか必要なく、マントル式のランタンなんか誰も使い方さえ知りませんから当然そんなものありません。なにせレジャー目的のキャンプではないわけですから(笑)
 それから20年くらい経過して当時のNIFTY酒フォーラムのメンバー有志に誘われて参加したキャンプはすでにテントや明かりも調理器具もコールマンに占領されていて、ホープやエバニューしか知らない当方には隔世の感がありました。調理はコールマンのツーバーナー2台、明かりもコールマンのツーバーナーマントルランタンが複数台で、灯油ランプしか知らない当方にとってはキャンプサイトが目が眩むほど明るい(笑)
そういう近代的なキャンプの洗礼を受けたものの、当方コールマンのガソリンランタンにはまったく興味がなく、明かりと言えばもっぱら明治大正昭和の吊りの石油ランプ及び炭鉱用安全燈に対する歴史資料的な興味しかわかなかったのです。
 そういうコールマンコレクションから始まるランプマニアとは一線を画す当方ですがどうしても欲しかったのが大型ハリケーンランタンのDIETZ No.80 BLIZZARD。それも無残にコストダウンされた現行品ではなく40年近く前のNo.80にしか興味が持てないのです。というのも米国本国のR.E.DIETZは1992年に廃業していますし、1956年に設立されたR.E.DIETZ in HONG KONGがすべてのDIETZランタンの製造を1971年以降、行っていますが、その香港DIETZは香港内での人件費高騰から1982年以降はDIETZランタンのすべてを中国国内の製造に移行させています。そのため、広州月華や上海光華牌などの安価なハリケーンランタンを作っていたメーカーがDIETZの商標がついたランタンも並行して製造するというようなことになり、安価なランタンを未だに製造し続けることが出来たというか、逆に言うとコストダウンと妥協の産物になってしまい、もはや同じ型番の製品ながら「DIETZの商標のついた中国製ランタン」でしかなく、道具として愛着が湧かず、単なる消耗品に近い存在に思えてしまうのです。
 DIETZきっての大型ハリケーンランタンNo.80にしても香港で製造していた時代のホヤはDIETZが陽刻ですし、ホヤの左右にガードにはまり込む突起が着けられていますが、今のすべてのDIETZランタンはDIETZマークはシルクスクリーン印刷で済まされて、No.80のホヤも突起のない単なるらっきょう型ホヤになってしまいました。また中国にありがちですが、正規品として香港DIETZを通さない形でヤミのDIETZが正規品以上に大量に出回っているような節があります。

 このNo.80を入手したのはもう15年も前で、それなりに使い込まれていてサビなどもあり、見てくれも悪いのですが古いDIETZのハリケーンランタンには違いありません。おそらくEVERNEWが輸入した時期の製品だと思うのですが本体にはMade in HongKongなどの刻印やシールはありませんでした。ビニールハウスの保温用に使用されていた個体だったらしいのですが、今はビニールハウス保温に特化したランプがありますからこんなものをわざわざ買って使う農家はいないでしょう。ちなみにEVERNEWは大小様々なハリケーンランタンを自社ブランドで発売していましたが、中身は香港DIETZあり、中国本土のランタンメーカーの製品ありで玉石混交でした。80年代初頭、すでにHOPEは廃業していましたがTOKYO TOPも同じように中国製ランタンを自社ブランドで輸入発売していたようです。

 No.80は芯の幅が約21mmあまりのいわゆる7分芯で、昔の一般家庭では5分芯の吊りランプの下で家族が生活していたことを考えればそれなりに明るいランプです。それにしても一般のキャンプで使われるような300CPや500CPのマントルランプの光に比べたら豆電球並の明るさの感覚しかありません。
 ゆえに今更キャンプでメインの明かりとして活躍することはなく、単なるノスタルジーに浸るための小道具の一つでしかないと言えるのかもしれませんが、そのありがたみと有効性を改めて感じたのは胆振東部地震による「ブラックアウト」と呼ばれた北海道全道停電事故でした。
 実は地震前日に本州、特に近畿地方で暴風被害が大きかった台風が夜中に通過するということを知り、停電に備えてハリケーンランタン2個に給油して置いたのですが、台風による停電被害はなく、翌日夜中に起きたのが隣の厚真町で震度7を記録した胆振東部地震でした。
 うちの街では震度5強の記録でしたが寝室は落下物で瓦礫の山を築き、ドアが開かないので屋根伝いに脱出して階下に降りるとまだ水道も電気も通じていたのでありったけの容器に水を確保し、風呂桶にも水を貯めました。そのうちに停電で真っ暗になり、マグライトを探し出してリビングにぶら下がっていたDIETZのNo.80に火を入れましたが、その間も余震が収まらずそのNo.80を持って逆のルートで猫二匹が待つ2階の寝室まで戻りました。
 しかし、街全体がブラックアウトしているときにNo.80の光はなんと明るいことだったでしょうか。朝を迎えて明るくなるまで一時間半あまり、余震に怯える猫どもをなだめながらNo.80ハリケーンランタンの光で電池の残量を気にすること無く過ごしたのです。
 翌日、ホームセンターなどでは乾電池やカセットガスボンベ、飲料水を求めて長蛇の列が出来ましたが、当方灯油ランプは売るほどの数を所持していますし、そもそも家がプロパンガスのままなので明かりと煮炊きにはまったく心配がありませんでした。
「空き缶とアルミ箔、ティッシュの芯で即席のサラダ油ランタンを作る」くらいだったら万が一に備えてハリケーンランタンを一個購入し、給油したままどこかに吊るしておくのがいかに有効であるか、一度は考えてみましょう。
 うちの町内は地震後11時間で停電が復旧し、暗い夜を再びNo.80とともに過ごすことはありませんでしたが、うちの市の半分以上は翌朝まで、札幌は場所により4晩くらいまっ暗な夜を過ごさなければいけなかったところもあったようです。当方は余震を警戒して一週間近く、リビングに簡易ベッドを広げて再度の停電に備えランタン吊りっぱなしで寝てました。




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July 13, 2020

Patterson HCP炭鉱用高輝度安全燈(炭鉱用カンテラ)

Dvc00536 Dvc00535  Dvc00534イギリスはニューカッスルに存在したパターソン社のミュゼラータイプの安全燈A3型は当方が入手した2番めの安全燈でした。このパターソンA3型は二重ガーゼメッシュの中にチムニーが存在するマルソー型とミュゼラー型のいいとこ取りのような存在の安全燈で、英国の鉱山監督局の検定を通った近代型の安全燈のはしりのような製品でした。しかし、アーネスト・ヘイルウッドが設計した一連の安全燈と比べると目新しい仕組みなどもなく、ロックシステムは旧態依然のリードリベットロック。芯の繰り出しも先が曲がった針金で平芯を引っ掛けて上下させるというウィックピッカー式などと取り立てて工夫のない油燈安全燈です。
 それから何年か経過して突然登場したのがこのパターソンHCPというランプです。HCPの意味はHIGH CANDLER POWERの略で、高輝度安全燈を意味します。というのも1915年頃を境に英国内の炭鉱でも手提げの蓄電池安全燈であるシーグやオルダム、ニッフェなどが普及しはじめ、その明るさは旧態依然の油燈式安全燈がかなうようなものではなく、そのため油燈式安全燈で蓄電池式安全燈には及ばずとも明るい高輝度の安全燈を作ろうという試みから生み出されたものです。

 光量はウルフ燈のような棒芯燈よりも平芯燈のほうが炎が大きい分単純に明るいのですが、同時に発熱量も多く、さらに棒芯などよりも燃焼により多くの空気流入量が必要なため、さらなる高輝度のためには根本的に空気の流入なども含めた安全燈の再設計が必要でした。そのため、ガラスのインナーチムニーを用いて空気の流入経路を一方通行にし、よくはわかりませんがボンネット内部で一種のホットブラスト化して外部からの吸気を高め、燃焼効率を上げてより多くの光量を得たのがこのPatterson HCPランプのようです。

 ただ、小型の石油ストーブ並みにボンネット部分が高熱になり、石炭採掘現場の坑内員の半裸の作業環境では肌に触れると即火傷という事故を免れることが出来ず、外側に放熱を兼ねたコルゲート状のシールドが取り付けられているのですが、それがいかにも頭でっかちというか不自然で、おそらくは当初の設計にはなく後付で追加されたものなのでしょう。この高熱問題は後々まで後を引き、温度を多少和らげたHCP9という改良版が最終版なのですが、その間にもインナーチムニーの保持などを変更した改良が次々にほどこされていったようです。年代的には1920年代後半から1930年ころまでの製品らしいのですが、設計がそもそも誰だったのかなど、詳しいことはよくわかりません。
 着火は据え置き型の蓄電池とイグニッションコイルを使用した再着火装置を接続し、火花を発生させて着火させる「電パチ」です。このリライターのパテントはアーネスト・ヘイルウッドが取得していたと思いますが、その当時はすでにパテントも失効し、自由に使用できたものだと思われ、各メーカーでも普通にこの電気式リライターシステムを使用しています。古い時代の安全燈と同様にガードピラーが一本だけ長くて油壷を取り付けるとボンネット下部にはまり込む仕組みのボンネットロックが着いています。また油壷のロックは取り去られていましたが、おそらくはヘイルウッドがパテントを取った油壷下部からのプランジャーが腰ガラス下部のガードピラーリングの内側のギザギザに噛み込む仕組みで、油壷下部に磁石を当ててプランジャーを引っ込めて解錠する磁気ロックシステムだったのでしょう。

 それでこのパターソンHCPは日本にあったものではなく、英国で使用されていたものを日本に輸入した方から入手したものです。年代的にも1930年というと昭和の5年ですから日本の炭鉱でも明かりとしての揮発油安全燈はまだ数は残っていたもののほぼ用済みで、よほど小さな石炭鉱山でもない限り帽上蓄電池燈にほぼ切り替えが完了しつつあったころです。そのためこの手の油燈の高輝度安全燈を試験名目でも輸入したことはありません。
 よく外国船の備品として搭載された安全燈と思しきものが神戸や横浜の古い港町から発掘されることもありますが、このパターソンHCPは船舶搭載用の防爆燈としては少々使いにくく、そのルートから日本に入ってきたこともなさそうです。

 

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