HEMMI No.34RK 5インチ片面技術用 富士電機ノベルティー
富士電機はドイツのシーメンスシュケルト社と古河財閥の古川電気工業が合弁で昭和3年に設立した会社で、変圧器や発電機などの重電部門と電話機などの通信機器を製造するための会社でした。そののち昭和10年頃に電話機などの製造部門を富士通信機として独立させますが、現在でも富士電機は国内重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、日新電機、ダイヘン、東光高岳)の一つで、業界内では4位の営業規模を誇っているそうです。
シーメンス社は現在でも電力、通信、交通、医用機器などの国際的な大企業ですが、もともと電信などの通信インフラの会社シーメンス・ハルトゲが重電のシュケルト社と1892年に合併し、シーメンスウントシュケルト社となったことで通信と重電などを合わせた電気機器の大メーカーとなったわけです。世界で初めて電気機関車を作ったのはシーメンス・ハルトゲです。日本では明治時代から通信・電力で進出してきましたが、明治33年にシーメンスウントシュケルトの日本支社を設立。各地に発電・変電設備や通信インフラを売り込みました。古河財閥とのつながりはまず明治中期に足尾銅山の運搬用電気設備を納入したことに始まり、電気精錬用の日光発電所の受注などに続きますが、シーメンスウントシュケルト日本支社は大正8年の海軍の船橋通信所のテレフンケン式無線設備納入に絡む海軍高官への贈収賄事件発覚。その後の第一次大戦勃発での交戦国となったこともあり「シーメンス」の名前がマイナスイメージとして日本人の頭に刻み込まれたイメージダウンのため、単独では商売がやりにくくなって古河財閥との合弁企業設立に動いたのでしょうか。
今でこそ英語読みのシーメンス社というのが日本でも通り名になってますが、昔の日本では「ジーメンス」と濁ることが普通で、うちの父親世代の技術者も普通にジーメンスと呼んでました。本国読みでも「ズィーメンス」の濁るのが普通でした。その富士電機のフジは古河のふとジーメンスのジの合成語だそうです。旧富士電機のマークも丸に小文字のfとsを組み合わせたもので、さらにスピンアウトした富士通信機はそこにTの字が加わるというわかりやすさ(笑)
その富士電機の旧マーク付HEMMI No.34RKです。デートコードはTLで昭和44年の12月のもの。旧マーク廃止してロゴマークに変更する直前のものになりますが、もうこの時代だったらノベルティー用のものだったらP35などの系統が主流で、あえてコストの高いNo.34RKを採用したってところが点数高いですね。
入手先はたぶん見たこともない34RKもどきとともに静岡県の函南町からやってきましたが、以前この函南からはOHTA STAR計算尺などという大珍品が発掘された場所です。
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