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December 31, 2020

戦時中HEMMI No.2664の構造分析

 HEMMI計算尺のNo.2664は同時期に中等学校生徒用として誕生した8インチのNo.2640同様に、上級学校の旧制高等学校や工業高等学校生徒の教育用を目指して作られた計算尺です。しかし、学校教育の垣根を超えて事務用ビジネス用としての用途が広がり需要が高まりますが、戦争が激しくなるとともにアルミなどの金属資源が枯渇し、さらにバージンセルロイドではなく再生セルロイドなどを使用せざるを得なくなり、終戦を迎えるまで様々に構造を変えていった苦労が伺われる構造変更のパターンがいろいろ見受けられます。現在所持しているもの以外に末期のタイプが2パターンほど存在するようですが、備忘録的に手持ちのNo.2664でその変遷を記録しておきます。さすがにIdeal-Relayの戦争末期のような竹枠カーソルのものは見つかっていません。それは軍納、政府納のものがあったために軍需用として金属の特配があったのかもしれませんが、もしかしたら竹枠カーソルも用意しておきながら使用しないまま終戦になってしまったのかもしれません。

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 まずこちらが発売当初のオリジナルだと思われるNo.2664で便宜的にNo.1を振っておきます。L尺がハーフレングスの折返しで下固定尺のA尺に沿う形で設けられている、滑尺裏にL尺がなく、Tl尺SI尺が二分割というのは戦前からOCCUPIED JAPANになるまでの期間共通ですが、発売当初のNo.2664(No.1)はアルミの総裏板で副カーソル線窓はハーフオーバルの切り欠き。これは戦後のNo.2664からNo.2664Sに至るまでの共通仕様です。逆尺のCI尺記号とCI尺の数字すべてが赤文字で入っています。ケースは戦時中ですからすでにボール紙に黒の疑革紙を貼ったサックケースで、これが使用されているのが戦時尺の特徴でしょうか。裏側の真ん中に"SUN" HEMMI No.2664が刻まれています。裏板と尺をつなぐ鋲の数は片側6本です。 おそらく裏板はアルマイト処理が省略され、そのおかげで金属鋲による電位差で腐食することなく残っています。それは戦時中のNo.2664に共通しています。推定製造年度は昭和18年というところでしょうか。
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  次のパターン、No.2664(No.2)は同じくハーフオーバル副カーソル線窓は同じなものの裏側には"SUN" HEMMIという商標しか刻印が入っていないもの。カーソル枠は鉄に変更になり、粗末なメッキ処理のためややサビが浮いているような状態です。でもまだこの時期にはアルミの総裏でCI尺とその数字は赤で入れるという余裕がまだあった時代です。ケースは漆黒ではなくやや紺色掛かったボール紙製サックケースに入っていました。固定尺と裏板をつなぐ鋲の数は片側6本と変更ありません。これも昭和18年あたりの製造だと思います。
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 次のパターン、No.2664(No.3)はそろそろ工程数も材料も減らしに掛かってきた次期のパターンで、構造的にはポケット尺同様に裏板のセルロイド厚板を挟む構造を止めて、副カーソル線窓兼用の全長に及ぶ透明セルロイドとオーバル窓を打ち抜いたアルミ薄板の組み合わせのパターンです。このころから手間のかかる逆尺への朱入れもやめて尺も数字も真っ黒になり、いかにも戦時尺の様相を呈してきています。セルロイドの裏板が省略されたためか構造上やや細い鋲が増えて、片側13本になりました。このNo.2664(No.3)は後の時代のカーソルに交換されていましたが、当然鉄枠メッキカーソルが付属していのがオリジナルでしょう。ケースは戦前革サックケースに入っていました。下固定尺側面の左に"SUN"HEMMIの商標、右にNo.2664と形式が入れられたタイプです。製造は昭和19年に入ってからでしょうか。
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 次のパターンNo.2664(No.4)ですが、こちらもオーバル副カーソル線窓のタイプですが、鋲が増えて結果的に工程が少なくならなかったことをあらため、アルミ板側から鋲を打つ形式に改めたもの。そのためかどうかはわかりませんが、アルミのセンター部分にパンチングで中抜きされています。鋲の数は片側7本に減りました。カーソルは鉄枠メッキカーソルです。No.3同様に下固定尺側面左右に商標と形式名が入れられるパターンです。このあたりからかなり表面に貼られたセルロイドが薄くなっていて、裏側の接着剤が波打って見えるほどに。実際に剥がしてノギスで厚さをしらべてみたいくらいですが、この個体かなり程度がいいのでもったいなくてそんな気になれません(笑)
こちらも製造は昭和19年頃だと思われます。
Hemmi
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 次のパターンは裏板に使用するアルミの板も枯渇し、苦労して作り上げた末期型の構造なのですが、今の所手元にこのパターンのNo.2664が無いので同時期のHEMMI苗頭計算尺で代用します。裏側はセルロイドのオーバル窓が開いただけの裏板で固定尺をつないでいるのですが、これでは滑尺ギャップの調整が出来ないので、この個体は三ヶ所にハガネの帯を入れてバネのテンションを掛けている構造です。ただし、このハガネの板は固定尺と鋲で止まっているわけではなく、単に挟み込まれているだけのようです。カーソルは鉄枠メッキ。鋲の数は片側たったの4本と必要最低限で、まさにここまで追い込まれても計算尺を作り必続けなければいけないのかと痛々しさをひしひしと感じる構造です。
これはおそらく製造年が昭和19年末から終戦の昭和20年あたりの製品ではないでしょうか。

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 このパターンNo.2664(No.5)は本当の物資枯渇期、おそらくは終戦直前くらいのもので、苗頭計算尺同様に裏側セルロイド板と鋼の板の組み合わせですが、鋼の板は裏側に回り、両端の2枚のみ。さらにセルロイドが極薄になり、接着剤の食いつきをよくするために竹の表面に施した鑢目がしっかり見えてしまうほどの物です。この鋼の板が後ろに回ったことも影響するのか、相当の握力の持ち主でもないと滑尺溝のギャップ調整は無理というもの。せめてセルロイド裏板の真ん中に溝でも施してくれればと思うのですが、すぐに裏板内側真ん中に溝が彫られたものが出たところで終戦を迎えたようです。なお、正規の長さのセルロイドが揃わないためか、セルロイドの裏板が左右2分割というものも存在します。カーソルは後年のものに付け替えられています。メーカー名及び型番は下固定尺側面左右に刻まれています。
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 おまけは通称兵学校計算尺と呼ばれるNo.2664の簡易型。おそらくは政府関係官公庁専用だった感じで、それが軍の教育機関にも流れたのでしょう。ただし、陸軍の学校関係では砲兵以外の一般兵科に計算尺教育があった節はなく、そんな暇があったら地雷抱えて敵の戦車に飛び込む訓練にでも勤しんでいたのでしょうが、海軍はちゃんと兵学校にこの√10切断の新計算尺の教本が独自に作られていたのですから、海軍兵学校計算尺と呼んでも差し支えは無いと思います。こちらはオーバル副カーソル線窓のアルミ総裏で、固定尺側から鋲を打ち込むNo.3のパターンに近い構造の計算尺です。鋲の数も片側7本でそれはNo.4のパターンに近いようで、セルロイドもかなり薄くなって波打って見えるのもNo.4に近い感じです。ケースは黒のサックケースでカーソルは後年のものに換えられていましたが、オリジナルは鉄枠カーソルでしょう。こちらは製造が昭和19年末だと思われます

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December 30, 2020

戦前HEMMI No.152 両面電気技術者用

 HEMMIの最初の両面型計算尺として昭和4年に発表されたユニバーサル型両面計算尺3種類(No.150,No.152,No.154)中の一つ、No.152電気技術電気技術者用計算尺です。どうもその2年後くらいに発売されたNo.153が2尺多くなり、そちらのほうがスタンダードな電気技術者用計算尺となってしまったために、2年で一気に影が薄くなってしまった気の毒な存在のユニバーサル型計算尺ですが、それでもNo.153と同様に終戦時まで併売されていたようです。製造された数はNo.153のほうが圧倒的に多いため、このNo.152は滅多に見つからない両面計算尺の一つです。No.153の方は昭和40年代末期の青蓋ポリエチレンケース時代まで発売され続けていたわけですからやはりNo.153に比べて2尺少ないという同じ用途の計算尺は定価の設定をやや安くするという以外に存在価値を失ったということでしょうか。その価格差というもの当時で50銭にも満たないくらいだと思いますが、その差だったら誰もがNo.153を買ってしまったのでしょうね。このNo.152はNo.150同様に発売当初はフレームレスカーソル付きで発売されていたようですが、破損が多いためかまもなく金属フレームタイプのカーソルに変更になったようです。
No.152の尺度は表面 K,A,[B,CI,C,]D,T,の7尺、裏面はNo.153と共通のθ,Re,P,[Q,Q',C,]LL3,LL2,LL1,の9尺の合計16尺です。No.153と比べて表面のL尺とGθ尺の2尺が無いということもあり、ややレイアウト的に余裕があったためか、No.153はA尺より下の尺種に刻まれる数字はすべて級数が同じなのですが、No.152のT尺の数字は特別に大きな級数が使用されています、またT尺下に余裕があるため、その余白に"SUN" HEMMI U.S.PATENT NO.1459857 MADE IN JAPANが刻まれていますが、No.153はレイアウト的に余裕なく尺が詰まったため、トレードマークや社名、パテントナンバーが右端に移動してしまいました。
 またゲージマークは後発のNo.153のほうが豊富で、No.152の方はC尺D尺上にC,π,C1,2πがあるのみ。A尺B尺上にはπ,Mの2つしかなく、いささか寂しい感じですが、No.153のほうは分秒の微小角計算のためのゲージやR,G,などのゲージまで新たに加わりました。裏側は数字の級数や目盛の刻み方にも差異がないので、目盛を刻む原版は共通だと思われます。
 このNo.152とNo.153の二乗尺目盛ですが、日本ではヘンミ計算尺大倉龜(ひさし)名義で出願され、日本では特許は降りたもののアメリカに輸出するにあたって、アメリカ国内に先にパテントが出願されており、そのままではアメリカで販売できないので、そのアメリカ特許の出願者から特許権自体か特許の独占的実施権を買い取ったのだそうです。
 その二乗尺目盛の考案者とされている宮崎治助氏は、自身の考案がすべて会社名義で取得されることについて、社長の大倉龜には言わずともけっこう不満が溜まっていたようで、宮崎卯之助氏の家族に「龜(カメ)にぜんぶ取られた」としばしば愚痴をこぼしていたそうです。宮崎治助氏考案の特許は計算尺よりも後の大倉電気の関連のもののほうが多数に上るようですが、やはりそのアイデアが金銭面にあまり反映されなかったのが不満だったのか、昭和7年頃に大倉電気の仕事ばかりになって計算尺考案に関われなくなったのが不満だったのか、どちらだったのかはよくわかりません。ヘンミ計算尺研究部の部長は昭和10年に宮崎治助氏から平野英明氏に交代になっていたのは周知のことですが、それは大倉龜が宮崎治助を計算尺考案に専従させるよりも計算尺詳解などの解説書を書かせ、教職だった平野英明氏を計算尺設計に専従させるための人事処置だったのかもしれません。当時、宮崎治助は電気式計算機のアイデアを持っており、それは戦争のためと非常に高価になったため商品化することはありませんでしたが、こちらの方向性を探るために設立した別会社が大倉電気だといわれています。ここにNo.152とNo.153に関する宮崎治助氏が昭和39年に記した「想像と偶然」というコラム記事のなかに興味深い記述があったので、引用させていただきます

 「昭和6・7年頃のことではあるが、その当時、日本独自の非対数尺度を中心としたヘンミNo.152は、新しい目盛配列のものとしてアメリカなどでもかなり評判になったのであるが、欲を言えば、この計算尺で双曲線関数を簡単にすることが出来ない。どうにかして、この問題を打開する策がないかと、日夜考え詰めた時代が相当長く続いたことがある。この2・3年前の1929年にはアメリカのK&E社から発売されたロッグロッグヴェクトル計算尺には双曲線関数の対数尺度ShやThがつけられていることを知ってはいたが、悲しいことにヘンミNo.152にはこれをつけるほどのスペースがない。つけられる目盛はせいぜい1本が限度である。これは実に筆者にとっては相当こたえた難問題であった。この救済策は不図したことから、いとも簡単に解決されることになった。それは昭和6年にマサチューセッツ工科大学(MIT)のケネリー教授が来朝し(当方補足:アーサー・エドウィン・ケネリー、当方でもその名は知る1861年インドの南ムンバイ生まれの著名な電気学者で電離層ケネリーヘビサイド層(E層)などにも名を遺す1939年マサチューセッツ州ボストンで没)、早稲田講堂で「交流工学に対する双曲線関数の応用」という講演をしたのであるが、その講演の中で言われたグーテルマンの角の話が電撃的にわたしのアタマに響いたのである。飛ぶようにして家に帰ったわたしは、その日からこの面積角の尺度化に没頭しつづけた結果としてGθ尺度の考えにたどりつき、この尺度をNo.152に添加するだけで円関数と双曲線関数の交流を可能とするヘンミNo.153の創造に成功することになったのである。今にして思えば、あの日、ケネリー教授の講演をきく機会がなかったならば、この工夫は永久にわたしの頭脳に湧いてくることがなかったのではないか。Gθ尺度は偶然の所産ということができるかもしれない。」

 以上で分かる通り、No.152は宮崎治助氏が苦労してGθ尺を考案したNo.153が出来た時点ですでにオワコン化してしまい、どうでもいい存在になってしまったため、その後はもしかしたら在庫分だけ牛の涎のように出荷し続けていただけの計算尺だったのかもしれません。実際にNo.153との価格差は2円50銭くらいあったようですが、この金額でわざわざ安いNo.152を選ぶか、No.153を選ぶかは微妙なところです。今でいうアルバイトの一日分の賃金は50銭くらいだったそうですから。

 このHEMMI No.152は北陸富山の魚津市からの入手で、糸魚川のNo.153同様に水力発電所関連で使用されたものだったのでしょうか?

追記:「二乗目盛、反数目盛及び角目盛を併用する計算尺」の特許は大正14年8月29日付で特許65414号が宮崎治助個人で取得されていますが、宮崎敏雄氏によるとこのアイデアは秋田の荒川鉱山から岡山の吉岡鉱山に転勤後、こちら岡山時代に考案したものだそうです。岡山内陸部の夏の猛暑には秋田人の治助氏の体が合わなかったのかどうか、その後三菱鉱山を退職、上京し、東京で短期間電気関係の仕事に就いたのち、つてで三菱電機に職を得たとのこと。特許取得後にこのアイデアを持って渋谷町猿楽町の逸見計算尺工場事務所を訪ねたそうなのですが、その時にはすでに何人か自分の考案した計算尺のアイデアを持ち込む今でいう計算尺ヲラクが何人もいたそうで、その中には宮崎達男氏、本田織平氏、別宮貞俊博士、平野英明氏などの後に計算尺界に名前を残す方もいたそうです。ところでこの宮崎治助氏が苦労して考案したGθ目盛は「グーデルマニアン目盛」として昭和8年6月19日付で特許101458号が大倉龜名義で取得されています。このことに関して宮崎卯之助氏の家族に「カメに取られた」の愚痴が出ていたのでしょうか?それまでのヘンミ計算尺の特許は考案者が誰にも関わらず「逸見治郎」名義で取得されています。しかし、大倉龜と宮崎治助の関係は晩年まで良好だったようです。片や帝大出身の元官僚、片や秋田の工業学校出の鉱山電気技師ながら同じ明治24年生まれでなぜか馬が合ったということもあったのでしょうか。宮崎敏雄氏によると昭和35年に大倉龜が亡くなったとき、宮崎治助氏は心身ともに憔悴してしまったのだとか。

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December 24, 2020

HEMMI No.2664S SPECIAL

 HEMMIの永遠のスタンダード片面計算尺のNo.2664SにDI尺が加わり、A尺を上固定尺のK尺の下に移動させたレイアウトの片面計算尺がNo.2664S-Sです。もともとNo.2664にグリーンのCIF尺を追加したため、別製No.2664という意味合いでSPECIALのSの意味合いだったはずなのですがNo.2664S-Sは発売当初の初期型のみNo.2664S SPECIAL名で発売されていますので、No.2664S-SはNo.2664に対してNo.2664SPECIAL-SPECIALの二重のSPECIALが被ってしまうためか、いつのまにかNo.2664S SPECIALを止めてNo.2664S-Sにネームチェンジしたようです。このNo.2664S-SはオリジナルのNo.2664Sと比較すると圧倒的に少なかったようで、オークション上に登場する点数からするとNo.2664Sが30本あったら1本出てくるようなそれくらいの数の違いがあるような感じですが、果たして生産数はどれくらいの違いがあるのでしょうか?特筆されるのはNo.2664S-SはHEMMIと内田洋行の商標KENTのダブルネームの物が存在し、このKENTとのダブルネームはこのNo.2664S-SとNo.254WNの2種類しか知られていません。No.2664S-Sの年代による差異というのはNo.2664Sとまったく同じで、ケースは登場時の緑貼り箱ラージロゴ、緑帯貼り箱、青蓋ポリエチレンケースの3種類。換算表が2パターン。下固定尺側面がフルスケールのセンチもしくはインチ目盛、0-13-0の目盛と無地の3パターン。形式名は裏面中央から表面下固定尺右に移動などです。
 このNo.2664S-SにDI尺が加わった理由ですが、RelayやRicohのNo.116と異なり、滑尺裏の三角関数が逆尺になっているため、表面のD尺で直読出来るのでNo.116には必要でもNo.2664S-Sには不要なのです。ただ、連続計算のための利便性のためのDI尺追加で、それは昭和36年辺りから急に全国的に盛んになった計算尺競技会に対する競技用用途というのが大きいような気がします。その競技用計算尺の流れというのは、時代とともにNo.651からNo.640Sを経てNo.641に至りますが、ある程度No.2664S系で計算尺競技に慣れてしまうとかえって新しいタイプの計算尺に変えることはできなくともNo.2664S-Sだったら大丈夫だろうなという感じもします。個人的にはA尺がK尺の下に来たNo.2664S-SのほうがNo.2664Sより直感的に取り扱えるような気がします。
 そのNo.2664S-Sはかなり長い間専用の説明書がなく、No.2664Sの説明書に補足説明のペラが一枚加えられた状態でしたが、後にNo.2664SSのタイトルで専用説明書が出来ています。
 今回のNo.2664S SPECIAL刻印のNo.2664S-Sは緑箱時代だけに存在し、さほど珍しいものではないものの絶対数が少ないからか、のちの緑帯時代のNo.2664S-Sや青蓋ポリエチレンケースのNo.2664S-Sと、比べると極端に数が少ない印象です。形式名が表面に移った緑帯箱時代のものが製造の期間としては長かったからか数が多い印象ですが、意外に青蓋ポリエチレンケースのものも数が多く、これは昭和47年新学期の高校入学に合わせて購入させられたという話がけっこうあるので、学校用需要というところが大きいのでしょう。KENTダブルネームのNo.2664S-Sは「高校生用」というラベルがあったような。
 ところで当方は裏側にNo.2664S SPECIALではなくNo.2664S-S刻印のものにはいまだお目にかかったことがないのですが、もしそのようなものが存在するのであれば、それこそレアモノなのかもしれません。
 今回入手した緑箱のNo.2664S SPECIALは神奈川の箱根町から入手したもので送料込み1.2k円でした。デートコードは「MA」ですから昭和37年の1月製。前年のデートコード「L」のものを確認していますので、その頃に製造・仕込みされたものが最初期にあたるもののようです。

 ところで、KENTとのダブルネームのNo.2664S-SとNo.254WNの2種がなぜ存在したかの問題ですが、確信はないものの内田洋行扱いでこの2種類だけ理科教育振興法の指定機種として登録されていたのではないかと推測しています。理科教育振興法というのは戦後の昭和28年に制定された法律で、理科数学の教育を後押しして国家の産業基盤をささえる人材を育むために各学校に理科数学教具実験器具備品などの購入予算を振り分けたものです。その購入備品は理科教育振興法の指定商品であればその購入はある程度各学校の裁量で決められることになっており、けっこう年に一度くらいしか使わない顕微鏡や昼間の授業中は使わない天体望遠鏡などが理科準備室にホコリを被っているような例はよくありました(笑) 顕微鏡なども光学会社のブランドではなくKENTブランドで入っていましたので、そういう理振法のからみで数学教具としてまとまった数量を学校の備品として納入する指定機種にKENTのブランドを刻んだのかもしれません。KENTブランドの計算尺は市販されてはおらず、個人持ちの計算尺と区別するためのダブルネームだったのかもしれません。そう考えるのが合理的なような気がします。

追記:No.2664Sの製造年代別解析をしていて改めて気がついたことなのですが、このNo.2664S SPECIALとNo.2664S-Sは滑尺裏の三角関数目盛(TI2,TI1,SI)の細密度に相違があります。それはこの時代のNo.2664S,No,2662,No.2664S-Sの緑帯箱ものに共通する仕様変更です。

 

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December 12, 2020

Concise No.27 (SONY ノベルティー)

 コンサイス円形計算尺のアンダーラインの片面計算尺の27シリーズですが、これはNがつかないオリジナルのNo.27です。No.27Nとの違いは内側のディスクがNo.27Nと異なって分厚く、外周が斜めに落とされてそこまで目盛が回り込んでいるため、そこが手がかりとなって内側ディスクが非常に回しやすくなっていることと、カーソルがディスクをまたいでいて、その頂点にカーソルバネが仕込まれているということでしょうか。そのため、アンダーラインの製品にしてはコストが掛かりすぎていてNo.27Nにモデルチェンジしたのでしょう。尺度は双方ともに変わりはなく、外周からD,[C,CI,A,K,]の5尺で裏側は換算表。No.27Nはノベルティー商品として使われることが多く、このNo.27も同様でこれは昔のソニーのノベルティー商品です。ところがその度合が半端なく、表側に当時のオールトランジスタの主力商品のテレビジョン、テープレコーダー、ラジオの文字が入り、カーソルに赤字でSONYのロゴが。ビニールケースにはSONYの金箔押しで、驚いたことに説明書の半ページに「RESARCH MAKES THE DIFFERENCE SONY」の広告が入るという徹底ぶりで、これくらい徹底した企業ノベルティーものの計算尺は今だかつて見たことがありません。
 先日なんか革ケースにNKK(日本鋼管)マークが入ったHEMMIのNo.30を入手したのですが、計算尺本体裏側にもなにか特別なマークが入っているかと思って期待していたら、中身はノーマルのNo.30ということがありました。かなり以前に入手したケースに日本板硝子のマークが入ったNo.30も本体はノーマルでしたし、企業ものノベルティーはケースだけ特別というのもが多い中でコンサイスがここまで徹底的に相手の要望を取り入れることが出来たというのも画期的なのかもしれません。HEMMIのノベルティー用に多く使われたライバル商品はNo.P35あたりでしょう。実際に本体に企業名やマークを入れた特注商品としてどちらのほうが安かったのでしょうか?
 思い出したのですが確か以前に東芝真空管、半導体とケースに箔押しされたNo.27を入手していて、これ今回どこに入り込んでしまったのか出てこなかったのですが、こちらのほうはカーソルこそディスクを跨ぐタイプながら、内側と外側のディスクは段差のない同一面でこれは後のNo.27Nに近いのです。そうするとどうもNo.27な内側ディスクの違いで前期型と後期型の2種類が存在することになります。まあアンダーラインの片面円形計算尺ということもあり、当方を含めてまったく注目されたことは無いと思いますけど、出てきた限りは分類するしか仕方がありません(笑)
 それで初期型の内側ディスクの形状と尺度は同じくコンサイスのA型換算尺に似ています。同然直径は異なりますが。

Concisesony27
Concise27

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