HEMMI 8"片面砲兵計算尺
結構なレアモノのHEMMIの砲兵計算尺です。この計算尺は昭和17年にリリースされたと言われていますが、この計算尺に対して陸軍が独自で教本を製作した様子はなく、砲兵用計算尺の解説書は同じく昭和17年にHEMMIから大井勇という人による「砲兵計算尺教程」というものがリリースされており、砲兵計算尺という軍用分野の計算尺ながら、設計から教本まですべてHEMMIという民間主体で行われたことが特筆に値します。宮崎治助氏の記述によるとこの砲兵計算尺も後の苗頭計算尺もヘンミ計算尺研究部部長の平野英明氏の設計だということです。
ただ、この計算尺は内容を見てもわかると思いますが、ある程度の理論や数学的な素養のある旧制の中等学校を卒業してそれ以上の上級学校や砲術の専門教育を受けたもの対象だと思われる計算尺です。おそらくは下士官兵ではなく将校ではないと使いこなせないと思われる計算尺で、そのためのちに極力理論的なことは廃して、数字が振られた順番通りに使用するようになっている苗頭計算尺に取って代わられ、下士官兵でも使えるようなものに変わったのだと思います。
またこの砲兵計算尺は中等学校計算尺のNo.2640同様に8インチというオフサイズの計算尺です。これは陸軍の公式書類のB5が収納出来る革製の図嚢に収まるサイズということで8インチを採用したのでしょうが、No.2664と同じベースボディで8インチというオフサイズの計算尺を特別に用意するのは生産効率が悪いので、のちの苗頭計算尺はNo.2664と同じベースボディの10インチ計算尺になっています。
特徴的なのは三角関数の360度を6400分割するmil単位を使用していることで、これは1km先の1mの長さの見かけ角度に該当し、軍用の13年制式双眼鏡や89式双眼鏡、それにカニ目と呼ばれた砲隊鏡などに刻まれる十字のメモリの単位milと共通です。うちの陸軍対空監視所で使用されたという東京光学の89式や大戦末期の鈴木光学8x30mmの双眼鏡には十字形milメモリが。戦後の日本光学7x50mmのトロピカルにはL型のmil目盛が刻まれていますが、今の時代にはこの目盛はあまり利用価値もありませんが。
このHEMMI砲兵計算尺は昭和17年の製造ということであの薄いアルミの灰色アルマイトの裏板が使用されており、この灰色アルマイト板の表面と内部が金属の鋲で貫通することと、それに湿気が加わることにより一種の電池のようになり、電位差でどんどん酸化・腐食していき、ボロボロになって脱落するという重大な欠陥があります。これが戦争末期になるとこの灰色アルマイト処理もなくなるのでこのような電食酸化状態の裏板にはお目にかかりません。また悪いことに酸化で体積が膨張してしまい、裏板が嵌っていた溝を押し広げて変形させるということになり、入手した砲兵計算尺も例外ではありませんでした。おそらくは何十年もケースに入れたままタンスの奥にでも入っていたのでしょう。また割れた3本線カーソルは副カーソル線が8インチの基線長の専用品でNo.64などと共用することが出来ません。試してはいませんがNo.66用カーソルだったら交換は可能でしょうか?それってNo.66はNo.64をそのまま短縮したわけではないのでムリですね…
尺度はL1,DF,[CF,L2(L1),C(CI),]D,Aで裏面がT1,T2,S1,S2,とありますが、上面スケール部分に1-10,600-0の等間隔目盛、裏面固定尺部分に0-200の等間隔目盛と5-∞の対数目盛が存在します。さらに√10切断のずらし尺を供える計算尺としてはNo.2664よりも先行していますが、それはNo.2664にこの灰色アルマイトのものが見当たらないことからもわかると思います。しかし、果たしてHEMMIの√10切断ずらしの片面計算尺で一番最初にリリースされたものは何だったのでしょうか? 固定尺裏に「サツマ中イ」の彫り込みがありますから下士官ではなく将校の持ち物だったことが証明されますが、これが軍からの支給品なのか自弁で調達するようなものだったのかはわかりません。将校用の装備というのは被服から双眼鏡、軍刀や拳銃まですべて自前で購入しなければならず、拳銃はブローニングM1910が50円、コルト32オートが60円ほどに対し軍刀は80円から150円くらいしたそうです。そのような状態ですからおそらくこのHEMMI砲兵計算尺も軍からの支給品ではなく偕行社などを通じで自費で購入したものなのでしょう。それを証明するようにケースも当時の市販品と全く変わらない黒の蓋付き紙ケースです。おそらく苗頭計算尺は下士官に対する軍の支給品ということが砲術に関する2種類の計算尺が存在した理由なのでしょう。
| Permalink | 0
Comments