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February 08, 2021

リコー計算尺の歩みとNo.116の系譜

RICOH/Relayの計算尺は昭和10年に後のリコーグループ創業者となる市村清氏が個人で東京のKAWAI 計算尺を製造していた河井精造の計算尺工場を買収し、大日本文具という会社を設立たのが始まりです。リコー創業者市村清は理研感光紙の一代理店経営者の身から理化学研究所の総帥大河内所長のたっての希望で理研の特許を製品化して理研の研究費に充当するための企業である理化学興業入りしたものの、理研生え抜きではなく、大した学歴もない佐賀の田舎者である市村の理研入社は古参の社員や幹部から相当反発をくらったらしく、市村は職務をボイコットして無為無策を決め込んだなどという話を聞いています。結局は大河内所長の英断により理化学興業の感光紙部門を独立させ、理研感光紙工業という新会社を設立して専務に収まったのが昭和11年2月のことで、このときがリコー三愛グループの創立とされているのですが、市村の個人会社である日本文具の設立がそれをさかのぼること半年あまり前であり、この会社が理研とはまったくかかわりがなく、リコー三愛グループの歴史から黙殺されているのはこのあたりの経緯にあるのかもしれません。
 理研感光紙工業はオリンピックカメラを買収して昭和13年に理研光学工業と名前が変わります。この理研光学工業が今に続く世界のリコーとなるわけです。話は河井式計算尺の工房を買収で設立された日本文具に戻りますが、当初この日本文具に移行した当初は河井式計算尺そのままのラインナップで「ストロング印計算尺」という商標で売られたらしく、昭和12年の玉屋商品目録に特徴的な河井式のカーソルが着いた姿でイラストが載せられています。しかし、いまだにストロング印の計算尺の現物は目にしたことが無く、河井式計算尺の工房買収は計算尺作りのノウハウを得ることが目的で、ストロング印の計算尺は河井式計算尺の仕掛品を捌くための臨時の商標で、仕掛品がなくなったと同時に消滅してしまったのかもしれません。
 昭和15年ころにIdeal-Relayの商標の計算尺が、市村の故郷佐賀で設立された東洋特専興業で製造され、発売されるまでストロング印の計算尺が製造し続けられていたとすると、現物が何種類か発掘されてもよさそうな気がします。また日本文具はシャープペンシルや万年筆の製造も行っており、佐賀に本格的な計算尺製造設備が稼動する以前は、売り上げの主体はそちらのほうだったようで、河井式計算尺の仕掛品が尽きてから佐賀で本格的にRelay計算尺の製造が始まるまで、日本文具では一時的に計算尺の製造は途絶えていたのかもしれません。
 その東洋特専興業の計算尺ですが、この会社は市村の個人会社であり、理研コンツェルンの基本理念である理研の特許により製造されたものを研究費に還元するということにはまったく寄与していないのにも関わらず、販売はれっきとした理研グループである理研光学の販売ルートを使用して販売したらしく、初期の計算尺は理研光学マークと理研の商標、のちには理研光学発売の刻印で売られるものが多くあります。この市村の公私混同とも思える姿勢は後になっても理研生え抜きの幹部とは軋轢を生んだようで、「市村は理研を私物化している」や「市村は原料仕入れ先から現金を受け取っている」などの文書が大河内理事長のもとに届くようなこともあったようです。そもそも佐賀の東洋特専興業の工場自体がれっきとした理研グループの飛行機特殊部品の佐賀工場に寄生していたようで。というのも佐賀に飛行機特殊部品の工場を建設したこと自体が佐賀出身の市村の意向が強く表れているわけですし、この点でも公私混同のそしりを受けてもしかたがありません。
 その市村清は大河内理事長と他の役員との間で昭和17年の新年会の席で意見の相違から対立し、理研グループ12社の社長・役員の席のすべての辞表を大河内理事長に提出します。しかし冷静になった大河内理事長は市村の才覚と今までの実績を惜しみ、理研グループの理研光学、旭無線、飛行機特殊部品の3社を市村に託して理研グループから独立させることで、市村は理研の意向に左右されることなく、また理研に研究費名目での利益を提供することなく独自に商売することが可能になったことで、結果的に戦後の理研系企業の財閥解体の影響を受けなかったことが終戦後いち早く商売を拡大できたのでしょう。

おそらく戦前Ideal-Relay No.100

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 その戦前のIdeal-Relay時代の計算尺ですが、両面計算尺は今のところ見当たらず、100系の10インチ片面計算尺、400系5インチ片面計算尺、500系4インチ、600系の6インチ片面計算尺がラインナップされています。そのうち100系の計算尺は戦前戦中にNo.100からNo.109まで発売されていたようですが、どれもヘンミ計算尺の亜流で取り立ててどうのこうの評価に値するものではないのですが、No.106の坑道通気計算尺とNo.109の航空計算尺が戦後に継承されなかった計算尺のようです。またNo.108はその存在自体、未だ確認していません。
戦後に東洋特専興業は日本計算尺に名称を変更したのち、旧飛行機特殊部品に併合されてリレー産業に改組されたのが昭和25年のことだそうです。日本計算尺という会社は昭和20年代から30年代にかけて東京の世田谷に同名の会社が存在し、独特の構造をした片面計算尺と、どういうことかHEMMIに自社のマーク(日本水産の旧社章と同一)を付けたOEMの両面計算尺を輸出していますが、この東洋特専興業母体の会社とはまったく別の会社です。リレー産業に改編された頃から☆Relay☆のダブルスターリレーの商標とともに本格的な対米輸出を開始。ほぼ輸出で外貨を稼ぐことに専念していたようで、ヘンミ計算尺が戦前から特定の代理店を総代理店としていたのに対してダブルスターリレーはありとあらゆる業者のOEM製造元として多数の相手先を持っていたことが特筆されます。またヘンミ計算尺が相手先の要求で設計したのはNo.258のバーサログだけでしょうが、ダブルスターリレーは相手先の要求で設計した独自のものが多く、それを基にして輸出用型番では先頭にDが付くものが両面用、Tが付くものは技術用、Bが付くものが事務用、Rが付くものが学生用などの区別があり、国内では戦前から継承された100番台の一部と戦後新系列の110番台が10インチ片面計算尺、150番台が10インチ両面計算尺、400番台が4インチ片面計算尺、500番台が5インチ片面計算尺、550番台が5インチ両面計算尺、80番台が8インチ学生用計算尺という命名の法則が出来上がった頃です。リレー産業は昭和33年に三愛計器に、昭和38年にリコー計器に社名が変更になっています。リコー計器に社名変更された時点で計算尺もRelayからRICOHに変更になりました。
 ただ、これは1957年ごろにダブルスターリレーブランドからリレーブランドに変化するとともにこの形式番号は数字のみに統合され、以後リコーブランドになるまで継承されています。
 ここでNo.116の話に入ることができるのですが、この116以前に☆Relay☆B-1006とRelay No.114というものがあり、こちらが直接のルーツとなります。そのB-1006とNo.114というのはHEMMIでいうとNo.2664に相当する√10切断ずらし系の初めての10インチ片面計算尺です。しかしNo.2664が戦時中のものより三角関数が逆数のインバースだったのにもかかわらず、こちらは三角関数は順尺という違いがあります。この三角関数の逆尺はヘンミ研究部部長の平野英明氏の考案と宮崎治助氏が記述していますが、先に米国でこの三角関数逆尺を採用する計算尺があったものの元の順尺に戻されて以後三角関数逆尺の採用がなかったとあり、どうやら輸出主体のリレー計算尺はπ切断ずらしのNo.112も同様に米国での習慣を覆して三角関数を逆尺にする理由がなかったということなのでしょう。そのNo.114にCIF尺を追加することになったのは昭和32年にHEMMIがNo.2664をモデルチェンジし、No.2664Sを発売したことによるのでしょうが、このときNo.114にCIF尺を追加しただけでは解決できない問題が生じます。というのもこのころ盛んになってきた計算尺競技大会のようなスピードレースにおいて連続計算においては連続計算手順でNo.2664Sに敵いません。というのも三角関数の逆尺というのはその使用手順も含めて平野英明氏のトータルプロデュースの成果なのですが、それと同じような使用手順を三角関数逆尺を採用しないで達成するため、No.114にCIF尺を追加するだけではなくDI尺を追加してしまった新しい計算尺がNo.116です。
 そのためにNo.2664Sが8尺だったものが、No.116はDI尺分が増え、表面9尺となりました。そういうわけでHEMMIのNo.2664S-Sに先んじてDI尺を追加したというわけではなく、逆尺を採用せずにNo.2664Sと同じ連続操作を実現するための苦肉の策で1尺増えたというのが実情のようです。以前は逆尺の特許回避の手段と思っていたものの、平野氏の考案であれば当然特許はすでに失効していたでしょうから、作ろうと思えば逆尺も採用できたでしょうし、そこにDI尺まで付けたらNo.2664S-S相当物が出来上がったはずです。でもこのNo.116の発売がHEMMIのNo.2664S-SPECIALの発売に繋がったきっかけになったことは否めませんが。
 そのNo.116ですが、赤蓋黒ケース時代のものが見当たらず、緑一色の貼箱のものが初回製造分のようです。逆にNo.114は緑箱以降の物が見当たらないので、No.2664からNo.2664Sへのモデルチェンジ同様にある時点で円滑に生産が切り替わったということなのでしょう。
実は手持ちのNo.116及びNo.114、B-1006を探したところ、No.116としてはもっとも古いRelay時代の緑箱のものが無いことがわかり、そうなるとこの企画は頓挫してしまいそうだったものの、なんと運良く緑箱のNo.116が出てきて入手出来たため、辛うじてこの企画が継続できることになりました。
 まずはHEMMIのNo.2664をコピーしたNo.114およびB-1006ですが、リレー産業時代の☆Relay☆時代のものと三愛計器時代のRelayのものとはそのデザインが微妙に異なります。☆Relay☆時代のものはDF,CF尺の末端が√10ですっぱりカットされているのにも関わらず、三愛Relayはそれぞれ延長部分が付き、左が3、右が3.3まで延長されています。また☆Relay☆時代のものはCI尺が数字だけ赤で入るのに対し、三愛RelayのCI尺は目盛も数字も赤です。なお、☆Relay☆時代のB-1006とNo.114とはC尺D尺の1から2の間の目盛のデザインに差があり、なぜ差別化したのがの理由がよくわかりません。双方とも缶詰缶の内側のような黄色い表面処理がされています。

  ☆Relay☆B-1006(デートコードなし)



Relayb1006
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☆Relay☆ No.114(BS-2)
Relay114
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 そこでやっとのことRelay No.116の登場です。それ以前の三愛計器製Relay片面計算尺が赤蓋黒胴の配色だったものが、この時代のNo.116や両面尺のNo.252などから蓋も胴も緑の貼り箱に変わりました。このRelay No.116はデートコードが(J.S-4)と昭和36年4月の佐賀製。あまりRelayブランドのNo.116はお目にかかったことがないので、初回生産分が昭和35年まで遡るのかどうかは確認していませんが、少なくともデートコード「L.S-*」の時代にはすでにRicohブランドに変わってますので、Relay時代のNo.116はほんの2年ほどの間にしか存在しなかったということになります。No.2664Sならこの時代のものは一番数が多いくらいの生産数だった時期なので、後発とはいえ生産数は比べるとかなり少なかったであろうことが伺えます。 このNo.116になり初めてCIF尺が加わり、さらに操作の連続性でNo.2664Sに劣らないようにDI尺を追加しましたので、やや下固定尺の尺度が込み入りすぎたきらいがあります。基本的には直前のNo.114とCIF尺DI尺追加以外には変わらないのですが、No.114がDF尺CF尺に√10の記号がなく、延長部分も同じ黒目盛だったものをNo.116はちゃんと√10を刻み、延長部分は赤目盛になります。また滑尺裏のT1、T2尺の順序が逆になりました。あとSの微小角部分の目盛が6分割から12分割とより細密に刻まれています。構造がHEMMIと異なりポケット尺のように薄いプラスチックシートとアルミ板を組み合わせ、上下の固定尺と鋲で留める構造で、鋲の数は片側10本。両端の鋲の間隔が狭いのは透明セルロイド副カーソル線を止めるためのものです。換算表はNo.116のために新たに起こされたものですが、それ以前の片面計算尺同様脱落防止の突起がプレスで裏板に設けられているもののあまり効果はないようです。この基本構造は最終生産品まで変更はなかったようです。
Relay No.114(H.S-1)

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Relay No.116(J.S-4)

Relay116
滑尺裏の比較(上:Relay No.116、下: HEMMI No.2664S)

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 次のNo.116はリコー計器に社名も変わるデートコード「L.S-3」で、昭和38年4月の佐賀製。この時代は当然ブランド名もRicohに変わり、箱も丹頂クリーム貼箱になります。このケースの配色は旧国鉄151系こだま型特急電車かなと思ったのですが。もしかしたら昔の丹頂型電話ボックスの配色からヒントを得たのかもしれません。しかし、のちの青蓋プラケースが新幹線カラーなので、鉄道つながりというのも無いとは言い切れない。時を戻そう、なのです。基本的にはメーカー刻印とデートコードの位置が右から左に変わり、黒の色入れがなくなったくらいで、尺度などは同一金型継続中のためまったく変化はありません。
Ricoh No.116(L.S-3)

Ricoh116_20210208140201
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 次のNo.116、デートコード「M.S-1」ですがこちらは昭和39年1月の佐賀製。なんとこの個体から下固定尺側面のインチ目盛がなくなり、上部の25cmフルスケールのセンチ目盛だけになりました。この時代以降のNo.116系列は下固定尺側面が終末期までブランクです。ある意味青蓋ポリエチレンケース時代のNo.2664Sに先駆けること5年前からすでに退化が始まったとも言えます。その他尺度などに変更は見当たりません。
Ricoh No.116(M.S-1)

Ricoh116_2
Ricoh116_2_20210208140201
 RicohのNo.116(デートコードN.S-4昭和40年4月佐賀製)ですが、なぜか同時代のNo.84などの8インチ学生尺のようなプラスチック一体型のカーソルが付属したものです。同様のプラスチックカーソル付きのものはほかに一点しか見たことがありませんが、おそらくは8インチ学生尺同様に10インチもプラ一体型カーソルにしようとしたものの、ヘンミがその傾向に追従しないため、元の金属フレームカーソル付属に戻してしまったのかもしれません。おそらく出回ったのは試作的にごく少数だったはずです。内容的には前年生産のものと変更点は見当たりません。
Ricoh No.116(N.S-4)

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 次はNo.116DとD記号が付いたNo.116バリアント(デートコード「N.S-2」昭和40年4月佐賀製)なのですが、このあたりから同じNo.116の名前を語っても独自の進化を遂げたものが現れるようになります。このNo.116Dは明らかにそのベクトルがHEMMIのNo.2664SからなんとNo.2662に向かいました。No.2662の目的どおりに滑尺を裏返すことで√10切断ずらし尺からA,B,C,D,の尺度に変更が可能で、1本で2本分の機能を持つことになります。そのため、L尺が滑尺裏から表面した固定尺に移動し、滑尺裏にB,C尺が加わったためT尺が1本にまとめられたという弊害もあります。また、目盛の方は当然新しいものが起こされ、No.2662同様に細かい数字が追加されるなど、No.116の形式にDが付いただけではない、まさに別物の計算尺になりました。Dはデシマルの意味で、角度が60進ではなく10進で刻まれていいることを意味します。電気や測量などの分野ではかえってデシマルは使いにくいかもしれません。この時代からケースが透明塩ビケースになりましたが、このケースが経年劣化でバリバリに割れてしまい、評判が悪かったと見えて後にブロー成形の青蓋ポリエチレンケースに変わります。確かこのNo.116Dがオークションで入手した第一号の計算尺だったはずです。
Ricoh No.116D(N.S-2)

Ricoh116d
Ricoh116d_20210208140501
 次のNo.116Sはさらに時代が下ってデートコード「SS-7」ですから昭和45年7月の佐賀製となります。このころからデートコードの間にピリオドがなくなったようです。No.116D同様にHEMMIのNo.2662に寄せた片面計算尺で、こちらも滑尺を裏返してA,B,C,D尺度の計算尺として使用する「片面計算尺で両面計算尺の機能を持つ」というコンセプトの片面計算尺ですが、Dと異なりSの三角関数は10進ではなく60進となっています。そのため、滑尺の裏面さえ変更すればNo.116DにもNo.116Sにもなるわけなのですが、双方ともにHEMMIのNo.2662以上に「無いわけではないけれどあまり見かけない」種類のNo.116バリアントです。この昭和45年というと万博の年ですがあの耐久性がなく評判の悪い透明塩ビケースを廃して両面尺も片面尺も青蓋のポリエチレンブロー成形ケースに変わりました。また、いつの間にか裏のアルミ板に施されていた換算表脱落防止の突起がなくなりました。あまり脱落防止には役立っていなかったので、あってもなくとも支障はないようです。
同じ型番のNo.116Sも昭和46年末から昭和47年初頭にグリーンCIF化と上部スケールの起点がかわりました。
                   Ricoh No.116S(SS-7)
Ricoh116s_20210208140501
Ricoh116s_20210208140502
 次はおそらくNo.116の終末期のもので、ここでやっとCIF尺がグリーンになりました。また上部のスケールのスタート位置が以前は各尺度の起点といっしょだったものの、ヘンミ同様にやや左よりからのスタートに変更され、おそらくはこの期に及んで新しい目盛の金型を起したか、No.116DやNo.116Sの原版流用のようです。デートコードは「WS-8」ですから昭和49年の8月。リコーの計算尺生産としても事業の整理期に入ったころの生産です。それで最終期に入り、以前のNo.116と比べて細かい数字などが刻まれる新しい金型にしたのに、相変わらず三角関数はインバースを採用せずに順尺のままです。ただ、同時期に逆尺付きのものも発売され、No.116-Iという新たなバリアントを生み出しています。残念ながら今の所、このNo.116-Iは所持していませんがこのNo.116-IもグリーンCIF化してますので、おそらくはこのNo.116もNo.116-Iも昭和47年あたりからごく短い間だけに生産された最終形態なのでしょう。なお、このNo.116は10インチの計算尺でありながらノベルティー品というかなり珍しいパターンのNo.116です。
Ricoh No.116(WS-8)

Ricoh116_20210208141001
Ricoh116_20210208141002

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