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June 05, 2021

HEMMI No.130 10"片面技術用 システムダルムスタット

 システムダルムスタットの片面計算尺であるNo.130は昭和40年代中頃にNo.130Wにモデルチェンジするまで唯一クラシカルな馬の歯型目盛で発売され続けた計算尺です。というのも昭和15年位に一度発売が予告されたものの、日中戦争拡大と太平洋戦争開戦により不要不急の新製品としてお蔵入りしたものを、戦後になってからそのまま発売したため、デザインは昭和15年以前のNo.80やNo.64と同一のドイツ尺を模した馬の歯型目盛であるということらしいのです。これはドイツの代表的なダルムスタット型片面計算尺Nestler No.21そのままです。ただ、軍需産業などで多用されたリッツのNo.64は戦時中すでに目盛の原版が消耗したのか新しい物差し型目盛に改修され、同じく戦時中に多用された電気尺のNo.80も戦後に目盛原版を物差し型目盛に改めたのに、まったく使用されなくて消耗していない目盛原版だったNo.130は戦前のままのデザインで新製品として売り出したということなのでしょう。ただ、このNo.130が爆発的に普及したのであれば早々に消耗した馬の歯型目盛原版を物差し型目盛り原版に差し替えることも出来たのでしょうが、時代はすでに両面のログログ尺も完成しており、片面尺は√10切断尺が主流となって、国内ではNo.130は「あってもなくてもどうでも良い目蒲線」状態になっていたのだと思います。そもそも片面計算尺のリッツやダルムスタットというのはA.Nestlerで発売されたのが最初のようですが、リッツはおおよそ1903年頃に対してダルムスタットは1925年頃ということで20年以上のタイムラグがありました。その新しい方のダルムスタットは宮崎治助氏によると欧州のある地域では教科書で取り扱われるほどの教育用標準計算尺として採用されるところもあったほど戦前の一時期隆盛を極めということです。1925年といえばすでに大正の末期。その一部欧州地域でのダルムスタットを輸出も念頭に15年余りで発売に漕ぎつけたものの、輸出先に見込んだ欧州はすでに戦乱の地となり、そもそもダルムスタットに縁がないアメリカに大量輸出が成り立つわけもなく、結局は太平洋戦争開戦で不要不急の新製品扱いで発売中止。そんな余裕があったら軍需産業や教育現場で定着したNo.64やNo.80、両面尺ではNo.153を増産するということだったのでしょう。
 そんなNo.130は10年のお蔵入り期間を経て昭和26年頃にめでたく再発売されるのですが、すでに流行期の過ぎたダルムスタット片面計算尺に需要がそれほどあるわけでもなく、輸出自体もどれほどの引き合いがあったのかもわかりません。その後も牛の涎のようにずるずると発売が続くのですが、側面三角関数尺があるために専用のカーソルが必要なため、昭和40年代も半ばを過ぎて三角関数尺を表面に持ってきて、物差し型目盛として近代化したNo.130Wにモデルチェンジします。小ロットながらも欧州向けの輸出があったのでしょうか?そのNo.130Wとほとんど同じ尺度のものがRicohによってNo.121というモデルで新たに発売されるのですから驚いてしまいますが。このNo.130WもNo.121も国内では本当に見つかりません。大半が輸出として外国に出回ってしまったのでしょう。16年ぶりくらいに愛知県の知立市から入手したNo.130はケース欠品ながらとてもきれいな個体で、デートコードは「OH」ですから昭和39年8月製で本来ならラージロゴの緑箱入りです。ヘンミ計算尺としては一番油が乗っていた時代の製品だけに工作・仕上げともに非の打ち所がありません。同時代のNo.2664Sと比べると目盛原版が消耗していないためなのか目盛の彫りもすっきりくっきり濃いように感じます。その後、マイナーチェンジで形式名メーカー名とSYSTEM DARMSTADTの文字が表面に移動したものが発売になります。

Hemmi130
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