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November 30, 2021

焼津からやってきたHEMMI No.266 電子用(QI)

 7MHzのトラップコイルの共振周波数を計算しているときに偶然新たに静岡の焼津から落札したHEMMIの電子用計算尺No.266です。焼津と言えば今も昔も遠洋漁業の街で無線の街であるということは周知の事実ですが、最近は漁業の幹部が冷凍マグロやカツオの漁獲を中抜きして横領し、自身の水産会社の冷凍倉庫に隠匿していたという負のニュースが伝わっていました。その焼津の漁業無線局は民間漁業無線局としては日本で最初の開局らしく、時期的には大正末のNHK東京のJOAKが放送開始した時期にほぼ一致します。当時の漁業無線局は瞬滅火花式の電信で減幅電波(B電波・ダンプ)と呼ばれるもの。それが持続電波のCWに変わったのはいつ頃でしょうか。コールサインはJFGで現在は静岡県内の清水・御前崎漁業無線局と統合して静岡県漁業無線局となりましたが、いまだに焼津の地に送信・受信設備を構えております。各地の漁業無線局から電信が無くなる中でここはA1Aの1kW設備が稼働中です。ただ、今の世の中。船舶も電信設備なども無く総合通信士ではなく海上無線通信士が乗船するご時世で電信の扱いがどれくらいあるのかわかりません。20年くらい前ならなニュースで公衆電信業務としての新年祝賀の電報取り扱いで大忙しの漁業無線局の映像などがニュースで流れていたのですが。
 また、焼津は日露戦争前に三浦半島との間で海軍の34式それの改良型36式の無線設備の通信実験を行うために別途送受信設備が設けられたそうで、その記念碑がどこかのお寺に設けられているそうです。その36式無線機とB電波の日本海海戦時の活躍は相当昔に記事に書きましたので割愛しますが、これだけ日本の無線の歴史と関わりが深かったのが焼津の街なのです。またビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸も焼津の所属で、無線長の久保山愛吉さんが被爆治療で仲間とともに東京に送られたときや、久保山愛吉さんが危篤になったときなどは焼津の無線局に仲間の船からの「久保山がんばれ」の電報が殺到したそうで、その模様は新藤兼人監督の映画「第5福竜丸」でも描かれています。所属の漁船が多いとなるとそれに関係する無線関係を生業とする業者も多く、これだけプロの無線屋が多い街はアマチュア無線も非常に盛んだと言う印象があります。というのも船を降りてからアマチュアを開局した人や無線関係の生業をしながら開局した人はその殆どが上級アマ局で、もちろんのこと無線に関する高いスキルやノウハウを持っていますから後から開局した人たちもその影響を受けて自然と地域全体のレベルアップがなされているような印象です。北海道では昔は根室や函館がそのような感じの街でした。でも今や漁船の通信士あがりのOMさんや漁業無線局OBの上級ハム局のOMさんもサイレントキーが増え、この法則はもはや薄れてしまいましたが。
 それで焼津からやってきた当方3本目のHEMMI No.266ですが、おそらくはプロの無線屋さんの持ち物だったのでしょう。通信士系か無線技術系かはわかりませんが、どういう職種のプロが使用したのかを想像するだけでも楽しいものですし、敬意を払わなければいけません。デートコードは「QI」ですから昭和41年の9月の製造。箱は紺帯箱です。厚木のOMさんから譲っていただいた米軍落ちのNo.266が「PK」で昭和40年の11月製の緑箱ですからこの間に緑箱から紺帯箱に変わったことがわかります。時代はウルトラQからウルトラマンに替わり、空前の怪獣ブームを巻き起こした時代のNo.266で、周波数の記号はまだMHzではなくMcの時代。No.266も3本目なのですが、いまだMHz表記に変わったNo.266には縁がないようです。

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November 28, 2021

トラップコイル?ローディングコイル?

Dvc00339  それで実際にこのトラップコイルのLを測定してみると相当大きな数値であることがわかりました。昔から使っている(主に電解コンデンサの容量チェックにしか使っていませんでしたが)LCRメーターが出てこないので、3年ほど前に購入したオートマチックのトランジスタチェッカーを使用しました。レンジなと切り換えること無くLCRも自動判別され、そこに表示された値はなんと0.8mH。普通に自作する7MHzトラップコイルではこんなに大きな値は使わないはずです。それでHEMMIのNo.266を大昔に厚木のオリジナルJA1コールのOMさんから譲っていただいた本来の目的通りに7MHzに同調するLが0.8mHのときのCがどれくらいかとまず滑尺の右端を7MHzに合わせた後、カーソルを移動して下固定尺のLを0.8mHに合わせ。滑尺上のCの値を読み取るとなんと1pFよりも小さい値の0.65よりもやや右寄りなので0.64pFくらいに読めるのですが、実際に1/(2π√LC)で計算機を叩くと単位換算が面倒くさいのですが7.08MHzに同調する切れの良い数字で0.63pFと出ました。計算尺侮ることなかれですが、0.64と0.63の差なんて実際のキャパシタの誤差からしたら意味のない違いです。
Dvc00345  そもそも7MHzのトラップコイルを自作しようとしたらLは1μHくらいに設定してCは50pFくらいに設定するのではないでしょうか?0.8mHのコイルを7MHzに同調させようとしてもLが大きい分だけCの値が少し狂っただけで同調周波数が大きく狂ってしまうのです。やはりこの呪われたアンテナのコイルはトラップコイルにあらず、単なる3.5MHzダイポールアンテナのローディングコイルであり、7MHzに同調させてコイルより先を遮断するのではなく、常に3.5MHzのアンテナとして動作し、また2倍波の7MHzもちゃんと同調するように設計されているということらしいです。そうなるとSWRが怪しいのはエレメントの断線や接触不良、さらにはバラン内部で巻線が焼ききれていないかなどのチェックですが、もう雪が積もったり解けたりを繰り返す季節になり、とてもこれから屋根に登って降りての作業をする気にもなりません。こいつは春までダメそうだ。しかし残念なのは今回もディップメーターの出番がなかったこと…。材料ありますからこないだ階段脇から発見した塩ビの排水管の切れ端使って7MHzのトラップコイルを冬ごもり中に実際に自作してみましょう。

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November 27, 2021

呪われたダイポールアンテナのコイル修復

 先日、雪が来る前にとりあえず上げてしまった7/3.5のダイポールアンテナはやはり呪われてました。なんとなくおかしいなとは思っていたのですが、上げてからSWRなんか測ればいいやと思っていたものの、トラップはLCで構成されていなければいけないのに経年劣化かそれとも出品者に知識がなくて見栄えが悪いから取ってしまったのか、それともそもそも受信用にしていただけのアンテナだったのか。それで手動式のアンテナチューナーを使うにしても7MHzはとんでもなく離調したポイントでなんとかSWRが落ちるものの、3.5MHzはまったくダメ。なんとコイルに「C」に該当する物がありませんでした。コイルのL巻線が切れてはいないと思うのですが(わかりませんが)、C分を追加して7MHzに同調させるようにしないとダメです。そのため、アンテナを一旦降ろしてトラップコイル部分のLを測定して、7MHzに同調するようなCの容量を計算しなければいけないわけで。同調周波数を求める計算は1/(2π√LC)というのは上級ハム試験の無線工学でも基本中の基本公式なので知らない人はいないと思うのですが、これがLをどう動かしたらCがどう変わるのかというのをいちいち数値を当てはめながら計算するというのは非常に面倒くさいものです。その同調周波数を設定してしまえばLとCの組み合わせが連続して直読出来るというのは計算尺に限ります。それも何ら単位の読み換えなし値が読めるのはHEMMI計算尺のNo.266の独壇場です。(ただ大体の目安にしかならないので、ピンポイントな目的周波数に対するLCの組み合わせの正確な数値は実際に計算機を叩いてみる必要があります。)
 その操作というのも滑尺を引いて右端f0を7MHz(うちのNo.266は2本ともMcですが)に合わせ、滑尺上のCfと固定尺のLにそれぞれの値が読み取れるというもの。そのため、コイルのLを測定器で測定さえすれば計算尺上にそれに合致したCの値が読み取れ、同軸ケーブルを使ったキャパシタでそれを製作するということ。おおよその目安として5D2Vが1cmあたり容量1pFらしいので、大体の長さを切り出して芯線と網線間の容量をカットアンドトライで測定し、目標値のCを得ればよいわけです。それでLCが組み合わさればあとはディップメーターを使って同調周波数を測定するというプロセスですが、そもそもこのNo.266を厚木のJA1コールのOMさんの好意で譲ってもらったのも、ディップメーターを入手したものそもそもは自作のトラップコイルを作りたかったゆえなのです。しかし、いつのまにやら計算尺のほうが面白くなってしまって本末転倒、今まで本来の目的のトラップコイル作りを放り出してしまっていたわけなのですが、呪いのアンテナのおかげで今になってトラップコイルに手を出さなければいけなくなったというのは夏休みの最終日になって宿題が終わらなくてバタバタしている要領の悪い小学生のようなものでしょう(笑)それでどうも市販のトラップコイルだと同軸コンデンサーくらいでは間に合わなさそう。というのもLは予め決まっているので、同調を取るにはCで調整しなければいけません。セラミックコンデンサを使用するにしてもかなりの耐圧を要求され、並3の同調バリコンは入手難ですし、防水性にも問題があります。そうなると同軸コンデンサ頼みになるのですが、まさか何十センチも必要になるとなると、それにも問題があります。
 さらにもうすでに雪がちらつくようになった陽気の中で、また屋根に登ってアンテナ下ろすのが面倒なこと。どうせ最近はHFなんざちっとも使わないのだから春になって暖かくなってから、なんていうズボラな気持ちが出かかっていますが。ところで最近は安い中国製のマルチメータでさえLCRの測定もトランジスタのhFE測定も出来たような気がするのですが、肝心な我が家のLCRメータ、最近使わないからどこへ入ってしまったかわからない(笑)

 えっ!市販の2バンドワイヤーダイポールアンテナのトラップコイルって設計上L成分しかなくて共振回路を形成していないんですか?なにせ市販品って見たこと無いので、当然LCで共振回路を形成してそれがトラップだと思っていたのに。そうなったらまた別な問題化かあ。こいつは春に雪が解けるまでダメそうだ。

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November 17, 2021

7/3.5の逆Vワイヤーダイポールアンテナに張り替える

 貧乏無線局ゆえにHF増設時に合わせてHFマルチバンドのGPアンテナをオークションで落札したものの、あとが続かずバランを自作してワイヤーダイポールアンテナを作ったり50MHzの2エレHB9CVをトマトの支柱を使用し同軸ケーブルをコンデンサかわりにマッチングに使用したものを自作したりしたのですが、このトマトアンテナのエレメントは紫外線劣化で外皮にヒビが入り、そこから錆びだして導通が悪くなってほぼ2年毎に作り直さなければいけないというのが煩わしくて4回ほど作り直した後に市販のHB9CVを上げてしまいました。それでもこのトマト支柱アンテナのみで50MHzでJCCの500市を達成したのですからたいしたもの(笑) それで現在まで残っていた自作アンテナは7MHzモノバンドのダイポールアンテナのみ。それもおおよそ18年位上げっぱなしだと思うのですが、この自作アンテナレポートは当時のCQ誌の読者サロンのようなコラムに掲載されて図書券500円ほど頂いた記憶があります。徹底的に廃品を使用して作ったアンテナでバランに使用したのは手持ちのトロイダルコアと掃除機のモーターを分解して取り出したエナメル線を使用して100均で3個くくりで売られているタッパーの防水容器とし、道端で拾った塩ビの水道管と組み合わせて自作したもの。エレメントは盆栽などに使用する1.6mm径の裸銅線。碍子は同じく拾った塩ビ管を切ったもので、当初は両側からテンションかけるとどんどん伸びるため、落ち着くまで苦労してマッチングを繰り返し、SWRも1.1くらいにまで追い込んだものでした。屋根から東西に逆Vに張ったのですが、固定先は庭のイチイの植木でした。自作のエンテナ故に本当に電波が飛ぶのかどうかというのが当初ドキドキで、たまたま1エリアから強い電波で入感していた局が一局しかなかったので、試しに呼んだら一発でとってもらった初交信局が当時7メガの有名局のセブロン氏。すでにこのアンテナは永久に呪われたかどうかは知りませんが、その後バランの防水ケースが紫外線劣化でバラバラになってコアがむき出しになっても動作は問題なく18年の間上げっぱなしでした。その間7MHz帯が倍に拡張されてもフルサイズゆえのブロードさで新たにマッチングの必要もなかったということもありましたが。また10MHzが飛びはともかくそのまま乗るため、21MHzで交信していたOMから10MHzのCWの要求があって、このアンテナで交信したこともありました。実はこのアンテナは当初から拡張計画があり、7MHzのトラップコイルを自作して7MHzと3.5MHzのデュアルバンドのダイポールにすることです。というのも垂直系のアンテナで3.5MHzは短縮率が大きすぎてまったく飛ばず、交信したのは同一エリアのみ。アンテナチューナーで7MHzダイポールで電波を出しても似たようなものだったので、3.5MHzのダイポールはローバンドの課題だったのです。そのため、2.2mm径のPEW線をリールごと一巻き(たぶん340mくらいの残)を購入したり、ディップメータを譲ってもらったり、水道管を購入して7MHzのトラップの材料は揃えたものの、急に意欲を失ってしまったものだったのがほぼ15年くらいそのまま。先日、階段脇に塩ビの排水管を切ったものが転がっていたのに、なぜこんなものがあるのか全く覚えがなく、いまになってトラップコイルの材料だったことを思い出しました。こういうのは情熱があるときに一気にやってしまわないと永久にそのままという見本のようなものです。自作アンテナ時代の話なのですが、実は以前から顔しか存じ上げなかったものの亡くなった父親のキリスト教集会のお仲間にNさんという方がいて、この方に父親の葬儀の司会なんかをお願いしたのですが、実は父親の葬儀の際にこの方が元JA8CWさんという大OMだったことがわかりました。このNさん、元NTTのOBで、若い頃は名寄、北見、落石など何年かおきに転勤を繰り返し、転居先で知り合った2桁コールの方たちのアンテナやシャックなどの様子を克明に写真にしたものをアルバムにしており、後日ご自宅にご挨拶に伺った際に見せていただきました。今はもうサイレントキーになられた2桁OMさんのほうが圧倒的に多いのですが、その中でも有名なのがJA8AAの濱OM。確か電設関係の会社の2代目とかなんとかというお話で、当時北海道電力の送電線の鉄塔を改造したアンテナタワーに自作のビームアンテナを上げている昭和30年代の写真がありました。しかし、当時一般的に自作されていたのがNさんを含めて丸太を組んだ骨組みのキュービカルクワッドアンテナを木製のはしごタワーに上げたもの。防風雪で壊れたりするので2年に一度は新しく作りなおしたなんて話でしたが、そういえばうちの近所にも丸太をバッテンに組んだ木製のキュービカルクワッドを上げた家が2軒ほどありました。しかし、その後既製品のスプレッダーを使用して半自作のキュービカルクワッドを上げる時代をへて、既製品のタワーやビームアンテナといえば既製品の八木アンテナの時代になって久しく木製や竹製のスプレッダーを組んでキュービカルクワッドを上げたという話は半ば伝説の世界でしょうか。JA8CWのNさん、開局当時はもちろん自作のリグを製作し、落成検査を経てようやくコールサインをもらったのが昭和31年だというお話でしたが、現役時代は長くドレークの愛用者だったそうです。現在は岩見沢の幌向から雪の少なく娘さんの嫁ぎ先でもあるウチの街に移住してきて高層アパートの住人になり、住環境重視で無線環境には恵まれないため、無線局復活はないようです。それでもデジタルモードには興味があるようなのですが。
 話は変わって某フリマサイトで詳細がまったく記されていないため、何メガのアンテナかもわからない市販品の中古ダイポールアンテナを入手。それは蛇の道は蛇でトラップコイルが着いているため2バンドであることもわかりますし、トラップコイルの大きさを見れば何メガのトラップコイルかも見当がつきます。それでこれは7/3.5MHzの2バンドダイポールアンテナと思ったらもちろんこれはビンゴ。バランの上の部分の紐などで吊るす穴が経年劣化で脱落していて紐で吊るすようになっているため、もしかしたら当方で3オーナー目くらいの古さはありそうですが、ものは昔のコメットの2バンドダイポールアンテナのようです。とりあえずは卸っぱなしで整合もとれているだろうと判断し、18年経過した自作のダイポールアンテナを撤去し、さっそくこちらを上げてしまいました。それに先立ちエレメントの伸びる方向に蔓延る蔓などを徹底的に刈り取るなどの作業を行い、これが結構な手間だったのですがなんとか経路を確保。西側はまだ余裕があったのですが、東側は3.5MHzのエレメントが延長になった分従来のイチイの木に縛り付けるわけには行かず、敷地ギリギリのアオモリヒバの2.5m高の部分に縛り付けました。まだ詳しい整合状態はチェックしていないものの、バンドをワッチしてみたところ、7MHzは自作アンテナと変わらないものの、3.5MHzは垂直系の短縮率が高いアンテナではノイズにまみれてまったく受信できない信号がさすがにノイズもなく浮き上がって聞こえてくるのには驚かされました。整合チェックや送信に関する飛びのチェックなどはこれからですが、卸っぱなしを再度上げただだけだからそれほど問題ないんじゃないかとは思いますが。この品物、いつまでも荷物の番号が登録にならないのでおかしいと思ったら同一市内の東の営業所から西の営業所に回っただけの同一市内配達。もしかしたら市内でサイレントになった局のものを某OMが撤去して片付けてそれをフリマに出したのを当方が購入したのかも?しかし、某OMの出品物だったらアンテナのバンドの詳細くらい絶対に記載するでしょうし、これは一種の謎。でもアマチュアのアンテナは天下の周りものとはいえまた「呪われたアンテナ」だけは嫌かもしれない。しかし、新品アンテナ買う気にはぜったいにならないのが貧乏無線局ゆえの思想です(笑)

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November 13, 2021

ボタンが反応しないケンウッドTH-F7の修理

 このKENWOODのTH-F7は4アマ取得直後にとりあえず開局してコールサインを取得するための手段としてうちの貧乏無線局としては唯一新品で購入したものです。とりあえず局免を取得してしまえばあとは中古の安い無線機をオークションで落札し、保証認定を受けて段階的に出られるバンドを増やしていこうという目論見でした。しかしこのTH-F7は購入したものの1アマを取得するまで電波を出すことを封印してしまいました。というのも運用にうつつをぬかすと勉強とモールス受信練習が疎かになって上級免許を取るモチベーションが上がらなくなるということを信じていたからなのですが。それで4アマ取得後1年かけてモールス受信スキルをなんとか獲得し、3アマを取得後さらに3ヶ月で2アマを取得したころには今と同じQRVバンドが整備されたものの、相変わらず各バンドをワッチすることしかしませんでした。その間もTH-F7の役目と言うと専らラジオと消防波受信としての用途がメインで、当時バーアンテナ内臓でAMラジオの感度も良いというハンディ機は唯一ということもあり毎日充電放電を繰り返した結果、3年ほどで充電能力が低下してしまい、乾電池ケースもあったもののこれだと最大500mwしか出ないこともあり、一線を退きました。充電池を上京の際に秋葉原で購入したのはそれから5年の後。電池を交換した後もめったに使われることはありませんでした。というのも消防波がデジタル化したのが大きかったかもしれません。というかハンディ機自体がかんたんな修理調整で直す事自体にしか興味が無くなってしまったからなのですが。
 それで家に増殖したハンディ機のうち一部のものがボタンの反応が鈍くなったり効かなくなってしまったものが出てきたのはわかっていたのですが、触りもせずに今まで放置していました。ところが先日久々にハンディ機どうしで交信したことと、IC-μ3の分解をしたことがきっかけでこちらの方にも手を付けることになりました。そのなかでTH-F7も各ボタンの反応がにぶいことは数年前には感じていたので、分解してボタンの接点と基板の接点を洗浄し、復活させる作業に着手しました。
 TH-F7の分解は比較的に簡単です。電池パックを外し、アンテナ基部とボリュームスケルチ基部のナットを外し、電池パックを外したときにあわわれる本体裏側下部のネジ2本を外して本体前面のプラスチック部分とダイキャスト部分をこじると基板と前面パネルの部分が分離しますが、スピーカー部分のコネクターを外すのを忘れないようにしなければいけません。ポタンは裏側に導電ゴムのチップが付いた一体型のゴムシートで、このチップ部分と基板側の接点をエレクトロクリーナーを染み込ませた綿棒で十分洗浄し、さらにボタン部分の接点はグラスファイバー芯を束ねたコンタクトクリーナーで擦っておきます。そしてもとに組み立て直したTH-F7はすべてのボタン操作がスムースに行われることを確認して一件落着。
 ところが翌日、電源ボタンを入れようとしたらまったく反応しなくなりました。もしかしてしばらく放っておいたリチウム電池パックがもう充電能力が無くなったのかと思いきや、満充電状態で8.4V出ているのでどうも電源のせいではないよう。それならばと、前面だけ外した状態で電池パックを装着し、ピンセットのお尻でで電源スイッチ部分の基板を短絡させるといきなり起動しました。どうも一番使った電源スイッチ部分の3mm径の導電ゴムだけが寿命だったようです。ここの部分はどう洗浄してもダメでした。通常のメーカー修理ならばボタンのゴムシートをまるごと交換しなければいけないのですが、こういうゴムスイッチの交換用ゴムのタブレットもちゃんと市販されているので、これを接着することで部分補修出来るものの、こんなもので密林(amazon)を使うのももったいない。それで素材として使ったのが単なる台所用のアルミホイル。これを円形に切り抜いて瞬間接着剤で導電ゴムの上から貼り付け、瞬間接着剤が乾いたところでもとに組み立て直し、電源ボタンを入れるとあっさりと起動しました。この導電ゴム補修にアルミホイルを貼り付ける修理法は他のボタンの反応が鈍くなったリモコンの補修にも広く使えそうな裏技的なものでしょうか。

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November 10, 2021

日本計算尺 NIKKEI No.250 8インチ学生用

Nikkei 10年以上ぶり3本目の日本計算尺のNIKKEI No.250です。8インチの学生用と思われる計算尺です。よくRelay計算尺の東洋特専興業が戦後の一時期に名乗った日本計算尺と混同されるケースも多く、外国人コレクターが頓珍漢な説明を加えていることもあるのですが、この日本計算尺は東京の世田谷に存在したまったくの別会社です。それは宮崎治助氏の計算尺発達史中に戦後に製作を始めたメーカーとして出てきますのでこれはファクトでしょう。また、この日本計算尺は自社ブランドで輸出も行っていたようで、なぜかHEMMIの両面計算尺に自社のNIKKEIブランドを付したものの対米輸出もあったことがわかっています。この経緯は良くはわからないのですが、おそらくフレデリックポストに戦前から独占されていた対米輸出をポストの影響力なしに行うため、HEMMIがNIKKEIを利用して風穴を開けようとしたのかもしれません。そのNIKKEI計算尺のトレードマークが漢字の「日」をかたどった太陽マークで、これは旧日本水産の戦前からの社紋と同じ。今のネット社会では一発でクレームが入りそうなものですが、当時にしても缶詰やソーセージと計算尺を同一メーカーと誤認するようなことはなかったでしょう。
 このNIKKEI計算尺は国内向けには5インチと8インチのバックプレートが一体金属で厚みが比較的に薄いものと、HEMMIのNo.45と同様の構造の学生用8インチ計算尺に限られています。両面計算尺の生産が出来なかったというのがこの会社の技術力を物語っていると思います。金属の一体バックプレートを持つ構造は合理的なアイデアでパテントを取得しているようですが、一つ問題があって、裏側にS,L,T,尺を持ってきた場合に副カーソル線窓の移動で最終調整するわけにはいかず、さらに金属の温度変化の伸び縮みで精度が損なわれるのではないかということです。その問題を指摘されないために5インチと8インチという短い計算尺しかないのかと疑ってしまうのですが、さらにそのあたりの事情からか当時ではよくある三角関数尺とL尺を廃して裏側がブランクのものがあるようです。そのため滑尺裏に三角関数があるNo.200は構造的にはHEMMIのNo.45Kあたりとかわらないごく普通の竹製8インチ学生尺です。
 今回入手したのがNo.250という8インチの√10切断の機種です。この時代には5インチのポケット尺が一種類、8インチの学生尺が3種類記載されていますが、すべて√10切断のずらし尺を備えたもの。後にマンハイムタイプのA,B,C,D尺を備えるNo.260が加わったようです。普通は逆だと思うのですが。さらに4尺ですから1.2mの教授用のライナップがあるようで、それだけ学校教育用に食い込もうと試みていた様子。その教授用計算尺のおかげもあったのか、文部省、日本国有鉄道、東京都教育庁からの推薦を受けているということです。
 このNo.250の尺度は表面がK,DF,(CF,CI,C,)D,A,の7尺で裏側は竹の表面むき出しのブランク。それでもちゃんと竹を組み張り合わせている構造のため、反ってしまって抜き差しもままならないということはありません。このNIKKEIブランドの日本計算尺は世田谷区の上北沢1丁目というと今はこれといって特徴もない住宅街ですが昭和20年代から30年代はというと、近所の都立松沢病院を望む畑と雑木林が点在する場所で、近くの桜上水や赤堤にはまだ牛を飼っていた酪農牧場があったようです。以前、朝はさんざん千歳烏山から甲州街道の渋滞を避けて赤堤通りから環七の淡島通りに入り、大橋から旧山手通りに入り、鎗ヶ崎交差点で左折して恵比寿に至るルートを毎日走っていたはずなので、上北沢1丁目は毎朝通過していたもののまったく印象がないのです。昭和30年当時としても都内では割と辺鄙なところですから、単にどこかに計算尺を外注で作らせていたわけではなくて、ちゃんと小規模な製造工場を構えていたのかもしれません。入手先は埼玉の川口市で、ぼろぼろな一枚ペラの長尺折りたたみの説明書きが残ってました。

追記:当時の上北沢1丁目は現在の桜上水4丁目だそうで、昭和30年代は閑静な住宅街だったようです。おそらく現在の上北沢1丁目は当時完全な農業地帯で農家が点在するだけの場所だったのでしょう。なぜこのように地名が移動したのかは不明ですが桜上水には三井財閥の酪農牧場が存在し、後にその跡地が桜上水団地に化けたという話だけは知っています。元京王沿線の世田谷区民なもんで(笑)

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November 08, 2021

成東商会ダウエル 7x50mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

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 久しぶりに駄双眼鏡を購入しました。とはいえ戦後に雨後の竹の子のように、というよりもキノコのように出現しては消えていった板橋の四畳半メーカーと異なり、いちおうは戦前から存在した東大そばの文京区西片の成東商会ダウエルブランドの双眼鏡です。扱う商品は天体望遠鏡から顕微鏡、双眼鏡に至るまで多種な光学製品と望遠鏡鏡自作のための部材など多種多様にわたり、カタログだけ見れば同じく戦前派の総合光学商社のカートンやエイコーあたりとかわりありませんが、その実体は一軒家のような社屋に部品の箱が山と積まれていて、注文があるたびに部品を組み立て調整して送り出すというような業務形態だったようで、決して大きな倉庫に完成品のダンボールが山と積まれていて出荷を待つという業態ではなかったようです。
というのもどうやら中間マージンをまったく廃して戦前から一貫してコンシューマーに直接通信販売という形態をとっており、そのため業者に中抜きされる輸出光学製品などは扱っておらず、一時期輸出双眼鏡に刻印を義務付けられていた輸出メーカーコードを取得した形跡もありません。また国内の光学製品問屋の扱いもなかったため、けっこう昔の天文少年たちにとっては一度は切手を送ってカタログを入手したものの、実際に購入した天体望遠鏡や双眼鏡はケンコー、ビクセン、カートン、エイコーなどを地元の眼鏡店でというケースばかりだったような気がします。というのもその時代はまた雑誌広告などの通信販売というのは親の世代にまだまだ拒否感があり、お年玉などを貯めて通販で現金書留送ろうとしたら「足りない分は出してあげるから地元の眼鏡店で買え」などと親ストップが掛かったというケースもけっこう多かったのではないでしょうか。ネットを見て製品の評判を調べてポチで完結する現代とは隔世の感があります。そのためか名前が知れている割には今に残っている製品はあまりないようで、天体望遠鏡に輪をかけてダウエルの双眼鏡は見たことがありません。数年前にたまたまダウエルのかなり古いIFの12x50mmのZタイプ双眼鏡を入手しましたが、分解しなければわからないもののなんと1.6mm径の針金をシム代わりに焦点調整している部品かき集めででっち上げた中身の実態にどん引きしたことがありましたが、それでも調整はちゃんと出来ていて下手な輸出双眼鏡よりもぜんぜんよく見えるというところにこのメーカーの実態がよくわかるような気がしますが、全般的には「割安だが部品の精度不足や調整不足もあって性能の個体差が激しく、買って後悔するメーカーの代表」のような評判が常につきまとっていたような。昔はこういうネガティブ情報がネット上を駆け巡るということもないのですが、やはり天文少年の直感で手を出したらいけないメーカーということを悟っていたような感じで、周りでダウエルの天体望遠鏡、双眼鏡を実際に購入した仲間はさすがにいません。
Dscf4258以前入手したダウエルの双眼鏡は時代的には昭和30年代くらいは遡ると思われるものでしたが、12x50mmの表示ながら実倍率が7倍しか無いというもので、ダウエルまで倍率詐称双眼鏡を普通に供給したというのがちょっと意外でした。今回の双眼鏡はずっと時代が下っておそらくは昭和40年代後半から50年代はじめくらいの製造と推測出来ます。というのもネジが黒染めのプラスネジになり、モノコートながらコーティングも厚くなったような至極まともな双眼鏡に変わったようですが、実態はどうなのでしょう。 静岡の熱海にあるリサイクルショップから届いたダウエルの7x50mm、7.1度のZタイプ双眼鏡はひどく黴びている様子は無いものの、接合部のグリスの油分が蒸発してプリズムや対物レンズの表面を曇らせていました。どっちみちフルオーバーホールするつもりで分解していったののですが、分解前に500mほど先にある送電線の鉄塔を見てみると左右は若干開いていたような気がしますが上下の視軸はぴったりと合ってました。分解してみてわかったことは、部品をかき集めてでっち上げたというものではなく、まともな板橋輸出双眼鏡レベルのもので、プリズム面はちゃんとコーティングされてますし遮光筒を備え、内部も黒塗装がされています。対物レンズは全面コートですが、接眼レンズは外側だけのコートでした。また外部ネジはプラスネジを使用しておりましたが、プリズムはタガネ打ちによる固定です。それから推測するとこの双眼鏡は昭和45年から50年くらいにかけてのものではないかということ。そして、おそらくは成東商会内部で組み立てられたものではなく、板橋のどこかの業者に製造を丸投げして納められた外注品だったのではないかと推測できるのです。ダイキャストはC-3とかいう陽刻が内部にあり、これは確かビクセンの7x50mmと同じもののような記憶があるのですが。考えるに昭和46年の火星大接近などをきっかけとして天体望遠鏡需要バブルが起きて天体望遠鏡の組立調整が一時的に忙しくなり、双眼鏡の組立まで手が回らなくなって板橋の業者に外注に出してしまったのでしょう。双眼鏡屋にしてみれば円の切り上げや変動相場制移行で輸出が立ち行かなくなり、一過性の事とはいえ天体望遠鏡需要バブルで双眼鏡の需要まで生まれたのはありがたいことだと思います。これ、注文取りに出かけたのが当時すでにブローカー的な役回りだった野口光学工業の野口社長だったら話は面白いのですが。
 それでクリーニングが終わって再組み立てし、エキセンリング調整で気持ちよく上下左右の画像が合ったダウエルの双眼鏡はコントラストは足りないものの解像力はそこそこの実力を発揮。さすが20mmの口径の違いだけで8x30mmの双眼鏡とは一線を画します。ただし、同年代のニコン7x50mm 7.3度のトロピカルと比べてみるとさすがに視野はニコンが圧倒的に明るくコントラストも解像度も段違いです。まあ比べる対象としてはフェアではないでしょうけど。 それにしても以前のダウエル12x50mmのように噴飯ものの裏技を期待していたのですが、今回は見事に裏切られました。これなら買って後悔するようなものではありませんが、子供時代にビクセンじゃなくてダウエルの双眼鏡なんか持って天文クラブの活動に参加していたら馬鹿にされたんじゃないか、なんて思ってしまいます。子供同士ってそういうのに敏感でしたし。

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November 04, 2021

初めて実交信に使用したスタンダードのC520

 ここ一年半のコロナ自粛生活でのんきに移動運用で全国を回って歩くというのはさすがに憚られたようで、昨年夏と今年の夏の6m移動運用のおなじみさんたちも自分のローカルの外に出ることを自粛していたようで、伝搬コンディションもあり寂しい夏だったようです。しかし、ここへ来てのコロナの感染状況改善に伴い10月の末あたりから観光客の移動が急増し、苫小牧や小樽にフェリーで8エリア入りする他エリアコールサインのモービル局と交信する声もちらほらとワッチされるようになりました。また、このコロナ自粛の巣ごもりで無線局の再開局や新規開局が増えたそうで、JARL会員も減る一方だったのが減少に歯止めを掛けて増加に転じたそうで。そういえばうちのローカルでも2mのアクティブ局はコロナ禍で復活コールサインで再開局した人が何人かいます。
 そんな中で、以前机の上から猫が叩き落としたアイコムの430MHzモノバンドハンディ機IC-μ3の落ちどころが悪くて硬いものの角にあたったらしく、外装が大きく欠けてしまったのですが、これはちゃんとJARDのスプリアス認定保証も受けた個体だったため、ジャンク品から前面のプラスチック部分を交換するべくジャンク品を漁ることすでに2年。これ、液晶部分が液漏れして真っ黒になり、周波数表示が全く見えないものもけっこう高いのです。でも待てば海路の日和ありで、10月の頭に本体100円送料620円でIC-μ3を入手。このジャンクは動作も正常で液晶も端に黒染みは出ていたもののきれいな個体で、表面だけの外装取りするのはもったいないのですがPTTボタンや裏側に傷が多かったため、迷わず表の部分だけ交換用に使ってしまいました。交換はさほど難しくはなくバッテリーケースを外して底面のネジを4本外し、側面のネジを一本外してフロント部分を引き出し、スピーカーのリード線をはんだごてで外せば交換が可能です。
 どうもハンディ機を久しぶりに分解したことがきっかけになり、何台かキーの導電ゴムの接触不良で反応しないボタンのあるハンディ機を分解し、接点の洗浄と導電ゴム部分の表面をグラスファイバーの繊維を束ねて芯にし、繰り出し式のペンになっている接点クリーナーでまんべんなく擦ってやりました。これで問題なく元の状態に復活しましたが、当初は移動運用のためにTVの300Ω並行フィーダーを使ってJ型アンテナを作り、ハンディ機で少々高いところに登って電波を出してみようなんて思っていたものが、そもそもの出不精でおまけにでかい猫2匹が飼い主の外出を妨害するにいたり、ハンディ機は修理調整の対象でしかなくなってしまいました。それでも修理調整の完了した古い技適以前のハンディ機はすべてJARDの保証認定受けてJARD経由で相通局に無線機追加の変更申請を出し、さらにJARDのスプリアス確認保証も受けてますが、移動局の無線機の台数が第18無線機まで及び、そのスプリアス確認保証の保証料だけで昔JARDから頂いた4級アマチュア無線技士講習の講師料1日分がすべてちゃらになった計算でした(笑)そんなハンディ機の数々ですが、いちども交信したことのないものばかりで、そもそもハンディ機で交信したのは果たして何年前でしょうか。おそらくは10年以上前ではきかないかもしれません。
 そんなハンディ機群でしたが、何かの暗示でもあったのかたまたま前日に充電器にかけて久しぶりにフル充電したスタンダードのC520。電源を入れてみるとローカルのOMが千歳の局とラグチューしている声が聞こえ、他のチャンネルでもあまり聞き覚えのないコールサインの局がローカル同士でラグチューしているのがフルスケールで入ってきます。久しぶりにハンディ機の短いアンテナでも十分に聞こえるQSOをワッチできた感じでしたが、これも祝日前日の夜ということもあったのでしょうか。翌日、文化の日は午前中にたまに強い雨に見舞われ、祝日だと言うのにたまにモービル局が入って来るくらいでしたが、午後だいぶ遅くなって樽前山頂の東山1022mからハンディ機を使用して移動運用されていた函館からの移動局を確認しました。勝手知ったるローカル交信ポイントで、見通しも開けており過去何度もハンディ機同士のQRPで交信したこともあって、こりゃこちらも固定機を使うまでもないと前日フル充電したスタンダードのC520で自宅2階の北側の窓からコールを入れました。念の為純正の短いアンテナからよりゲインの高いダイアモンドのRH901というアンテナに交換してのコールで、C520の7.2V充電池の144MHzの出力は確か2.8Wほど。それでもお互いにフルスケールで入感するほどの良好な交信でしたが、考えてみれば直線距離で20kmほどしか離れておらず、さらに1022mと海抜6mの場所との交信とあらば当然の結果(笑)おそらくは500mW出力同士で交信したとしても十分だったでしょう。奇しくもこれが9年ほど前に修理しながらいままで一度も交信に使用したことのなかったスタンダードのC520の初交信になってしまったというお話。その後、駅裏側のマンションのリビングから同じくハンディ機で呼んでいる局があり、その局の信号はこちらでもフルスケールで入感するほど。最近のハンディ機はリチウム電池が携帯電話のおかげで進歩したため、標準で5W出るものが当たり前になりましたが、たとえ32年前のニッカド電池内臓のハンディ機といえども修理調整さえすれば十分役に立つわけで、いくらデジタル時代に突入したとしても新しいハンディ機は買う気にさえなれず、ただひたすらジャンク品の修理調整とたまにチャンスがあったら交信、しか興味が湧きそうにありません(笑)

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November 03, 2021

いつの間にやら無線局開局20周年経過

 まったく意識しなかったのですが、うちの無線局がコールサインをもらって今年で20年経っていました。というのも7月の末にスプリアス確認保証が唯一通らないIC-290を撤去して移動局の更新免許を申請し、変更申請受理の局免と更新申請受理の局免が届いたのが8月の初めで、局免の期限がいつだったのかも意識しないまま時間が過ぎてしまいましたが、いちおう10月の16日にあらたな5年の移動局免許が発行したため10月16日が20周年記念日だったようです。そんなこと、まったく知りませんでした(笑)
 というのもどうも2011年の東日本大震災のときに果たして悠長に無線なんかで遊んでいていいのだろうかという意識に苛まれてからアクティビティーがバリ下がりして、一年のうちでワッチを欠かさないのは6月から7月にかけての6mだけというのが何年も続きました。そしてお正月のニューイヤーパーティー後、夏場の交信が1件もなく、次の年のニューイヤーパーティーに突入という年も珍しくもない状態。たまに交信をすると15年ぶりとか10年ぶり2度めなんという交信が頻繁に。そんなアクティビティーですから古い真空管時代の無線機は使わないとリレーの接点が劣化したりして、何かと調子が悪くなってしまいます。本来は頻繁に使い続けて状態を常に把握して置かなければならないのですが。
 その開局当時に局免申請のために新品で購入したのが当時の最新機種にして広域帯受信機能を有したKENWOODのデュアルバンドハンディ機TH-F7です。なにせ4アマ講習会で取得した4アマでの開局でしたから当時の局免は144と430のF3のみ。とりあえずはコールサインもらうための局免だけだったような感じですが。一年半後に1アマを取得するまで交信は一切しないと自分に縛りを課していたため、初交信は1アマ取得後です。4アマ取得後1年かけてモールス受信をマスターし3アマ取得でHF機を導入。その後すぐに2アマを取得し14MHzを追加。その後も1アマ取得までひたすらワッチに徹し、初更新は1アマ取得後の局免取得から実に1年半ののち。周波数は上級アマしか割り当てられていないHFの14Mhz。相手は福岡の記念局でした。その後固定局免許を取得し、100W運用を始めたのは初交信から2ヶ月の後です。なにせ貧乏無線局でしたからオークションで相場が安い20年落ちの無線機をかき集めてQRVのバンドを増やしていった雑多な無線機群は今だに変わりません(笑)ただ、いいところもあって、オールバンドの無線機よりもモノバンドの無線機が専用アンテナにつながっている方が断然使いやすいのです。
 それで最近は主流になりつつあるデジタルモードですが、前回の免許更新直前にTS-690とパソコン装置によるデジタルモードをJARD経由で保証認定出して変更申請したものの、いまだにデジタルモードには馴染めずに交信回数はゼロ。またデジタルモードも年々そのエンコード技術が進歩していちいちそのたびに保証をJARD経由で申請しなくとも一度装置とモードが総通で受理されていればオンラインでモード追加の変更申請が可能になりましたが、それらの日々の進歩にまったくついていけないアナログ頭です。やはりいまだにアナログ電話か電信で交信したい保守派なのかもしれません(笑)

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