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March 13, 2022

ザイペル式揮発油安全灯 WILHELM SEIPPEL Z.L.630A(炭鉱用カンテラ)

Dvc00486  最近のキャンプブーム到来でキャンパー人口が激増したからか当然のことながらキャンプギアの人気も高まっています。そのキャンプギアの中でもコレクターズアイテムとしてプレミアムが付くのがキャンプングストーブとランプのようで、特に人気のあるものがコールマンのオールドガソリンシングルバーナーストーブやオールドガソリンマントルランタンでしょうか。当方、キャンピングストーブにはあまり興味はないものの、叔父の形見でコールマンの502とホエーブスの旧タイプ625を所持していましたが、アルミのコンテナ付き502は向かいに引っ越してきたキャンプ好きの若夫婦に進呈してしまいました。さすがはキャンプギアマニアでコールマン好きとあり、夫婦でものすごく喜んでくれましたので、こういうものは死蔵させておくよりも好きな人に受け継いでもらったほうがいいような。502も625もパッキンやグラファイトなんかの消耗品は交換済みでちゃんと使えるように整備済みでしたが、なにせインドア派にはキャンピングストーブなんか利用価値がありません(笑)というキャンピングブームによるキャンピングギアマニア人口の増加もあって、ここ2-3年はキャンピングギア的には変化球ながらアメリカ本国からケーラーやアメリカンウルフの炭鉱用揮発油安全灯が多数日本国内に持ち込まれるようになり、それらがキャンプギアマニアの手に渡るようになってケーラーやウルフはすでに日本では珍しくなくなりましたが、ヨーロッパの炭鉱用安全灯はアメリカ物の安全灯と比べるとタマ数も情報もまだまだ少なく一般的ではありません。
 そんなヨーロッパの炭鉱用安全灯を久々に入手しました。通算3台目のドイツ製SEIPPEL揮発油安全灯です。以前、このザイペル式安全灯に関してはあまりにも情報がなかったため、未確定情報しか書くことが出来ませんでしたが、今回オランダからもたらされたかなり詳しい情報によりより詳細なヒストリーを書くことが出来ました。Dvc00488
 WILHELM SEIPPEL GmbHは創業者WILHELM SEIPPELが1858年にルール工業地帯にあるウエストファーレン州ボーフムに開店した金物屋にルーツを持ちます。1841年に開鉱した炭鉱から産出させる石炭がルール工業地帯の鉄鋼産業を支えたことからボーフムの町は年々発展を遂げ、ウィルヘルム・ザイペルは小さな工場を建設して最初は炭鉱用の金物類やオープンタイプの灯油のカンテラ。まもなく炭鉱用安全灯などの製造に乗り出しました。安全灯としてはザイペルの工場には取り立てて有能な設計者も技術者も存在しなかったようで、ベルギーあたりのクラニータイプ安全灯を参考にしたような油灯式クラニー安全灯なのですが、ベインブリッジのように下のリングに蜂の巣状に穴を開けて吸気効率を高めた安全灯が見受けられます。ただ、この吸気リングの裏側にはベインブリッジ同様に金網も張っていないので、メタンガスへの引火の安全性には少々疑問ながらガス気の少ない亜炭がメインのドイツの炭鉱ではこれでも通用したのかも知れません。またドイツの安全灯に共通の特徴。すなわちメタンガスの通気にさらされるリスクが少ないためか金網部分に風よけのボンネットがないというのは終始一貫していました。まあ国内で必要のないものを着けないというのはドイツの合理性ですが、そういう事情を理解できない商社が明治の末期に日本に輸入したサイペル式安全灯と称するものにもボンネットがなく、構造的にもクラニー灯を揮発油灯にしただけのものということもあり、すでに輸入されていたウルフ安全灯に取って代わるようなものではありませんでした。ただしザイペル式でもベルギーあたりのガス気の多い炭鉱用にはちゃんとボンネット付きの安全灯を輸出していたようです。Dvc00489
 そのザイペル社は1906年に息子のロベルト・ザイペルの時代になってウルフ式安全灯の特許喪失部分も応用した改良型の揮発油安全灯を作りますが、同時にカルシウムカーバイドを燃料とした安全灯も発売。第一次世界大戦後の1919年に会社を売却し、以後の事業はザイペル家の手を離れ、戦勝国英国の蓄電池式安全灯の雄であるCEAG(シーグ)社に買収されます。営業拠点はボーフムから南西の鉄鋼の街であるドルトムントに移転してしまったようです。この揮発油安全灯がドイツでいつ頃まで使われたのかという話はよくわからなくて1925年に蓄電池灯以外禁止になったという話もあれば、1960年に炭鉱研修生として渡った日本人(その実、西ドイツの労働力補間)の話では「日本ではもう見かけなくなった旧式の揮発油安全灯を持たされて坑内に入り、歩くときは腰に下げ、それを適当なところに吊るしての作業に驚いた」などという話もありますので、戦後にもかなり長い間使われていたということは確実のようです。
 今回神奈川から入手したザイペル揮発油安全灯は構造的には前回入手した無刻印のものと変わりありませんが、社名とZL630Aの形式名が残ってました。前回のもとと異なる点は安全灯のトッププレートとガードピラーが真鍮ではなく鉄製であること。また油壺もウルフ灯なんかと同様に真鍮の中子に鉄を被せたものです。まあ、真鍮製というとレプリカ臭が強くて敬遠してしまいがちですが、カンブリアンランタンと違ってザイペルまでレプリカを大量に作ったかどうかは知りません。ただしこちらの方も1985年に開催された何らかの技術会議の記念品だったようです。それで、以前入手したSEIPPEL式安全灯との比較で気がついたのですが、このSEIPPEL式揮発油安全灯は後にウルフ式揮発油安全灯の形式を踏襲して下部の空気吸入口から金属メッシュを通して取り入れた空気により燃焼し、上部のカーゼメッシュを通過して筒外に出るというドラフトではなく、上部のカーゼメッシュを通して取り入れた空気が燃焼し、カーゼメッシュ上部を通して筒外に抜けるという「非ウルフ形式」の揮発油安全灯で、言うなればマルソー形式の揮発油安全灯だということです。その形式というのは20世紀に入った頃から安全灯の終末期まで変わらなかったということになります。また特徴的なの再着火装置(Relighter)のメカニズムがウルフ式とまったく異なり、真ん中に棒芯のガイドステムが出る穴の空いた懐中時計のような円盤にすべてのメカニズムが収められており、給油の際はこの再着火装置の円盤をすっぽり外し、ガイドステムをカニ目で緩めて外すことにより油壺に注油するというものです。この再着火装置の円盤は油壺を貫通するシャフトとはまり込み、底のツマミを回すことによってメカニズムが動作するようになっています。またロッキングシステムはケーラーあたりと同様のマグネットロックです。Dvc00487
その炭鉱の町ボーフムですが、1943年3月に始まったルール工業地帯爆撃の標的になりました。というのもエッセンにあったクルップ社の鉄鋼工場が最重要目標だったものの、そこに石炭を供給するボーフムも例外ではなく1943年の3月5日のエッセン初空襲に続き、早くも3月29日に初空襲を受けています。それから5月6月と定期的に爆撃の目標になり、連合軍の空爆で市街の40%が被害を受けたそうです。戦後のボーフムは炭鉱の閉山が相次ぎ、1970年までにすべての炭鉱が操業を停止したとのことですが、その炭鉱跡地に1962年から自動車のオペルが工場を開設し、第一工場から第三工場までのすべてが炭鉱跡地に設けられたものだったとか。そのボーフムにはドイツ炭鉱博物館と鉄道博物館があるそうで、どういう経緯かは知りませんが茨城のつくば市と姉妹都市を締結しているのだそうな。またこのボーフムはザイペル以外にも同程度の規模の安全灯製造メーカーが複数存在したようですが、日本にはザイペル以外は研究用にしても輸入されたことがないのでまったく馴染みのないメーカーばかりでした。

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