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May 29, 2022

HEMMI No.257 10インチ化学工学用「TJ」

 最近入手した2本目のHEMMI No.257、化学工学用計算尺です。化学工学用計算尺はすでにNo.257とNo.257Lの2種類を所持しているのですが、No.257のほうは製造が昭和30年代の前半の「GD」(昭和31.4月)と早く、昭和40年代に入ってからの、出来ればNo.257Lに切り替わる直前の末期型No.257とゲージマークの書体などの違いを詳細に観察してみたいという欲からつい「ポチッとな」してしまったのです。ケースが紺帯時代のものなので、昭和41年から昭和45年あたりのものだと思っていたのですが…。届いたNo.257はデートコード「TJ」だったので昭和44年の10月生産品です。昨年入手したNo.257Lがデートコード「VC」の昭和46年3月生産品」で、紺帯箱入りでしたからその年代差は一年半以内ということになり、目論見通りNo.257としてはマイナーチェンジ直前の最終仕様ということが出来ると思います。
 基本的には尺度などの差はないもののはやり単位の書体などに些細な差は認められます。まず、GDのL尺の数字はそのままですが、TJのほうは数字の前に小数点が存在すること。よくあるπゲージマークの違いは双方にほとんど差はないように見えます。裏面単位系の書体などにはけっこう見かけ上の差があり、ますGDのCh尺のhの末端が跳ねているのにTJは下がったまま。また、GDがαtmという単位に対してTJは素直にatmgとあり、さらにGDがLbs/in2 Gage(ポンド/スクエアインチ)に対してTJはlb/in2 gageになっていました。そして一番気になっていたのが物質名の追加が無かったかどうかでしたが、TJのほうにはMo(モリブデン)のあとにさり気なくI(ヨウ素)が追加されているようです。入手先は兵庫県に姫路市で、ビニール袋は開封されていたもののまったく使用した跡のない未使用品でした。
実は昨年、HEMMI No.257Lを落札した際に発送時は無事だったカーソル枠が破断して届き、ありがちなことなのでいちおう売り主に話だけして、昭和30年代中頃のNo.259のジャンクからカーソル枠だけトレードして交換したのですが、たまたまケースを逆さまにしたら蓋がゆるくて本体が30cmくらいの高さから絨毯に落下。それだけでカーソル枠の同じ箇所が破断してしまいました。10年くらい古いカーソル枠でも同じ箇所が破断したとなると、もう寸法公差がプラスに傾いているカーソル硝子のせいだとしか思えません。カーソル硝子が標準よりも縦か横の寸法が大きくて常にカーソル枠を押し広げている状態になっていて、温度低下の金属収縮と衝撃でカーソル枠が破断してしまうのが原因と結論付けました。
 このNo.257も届いた当初は何でもなかったのに、数時間後に見てみると同じくカーソル枠上部左端が破断。30年代のカーソル枠には起きない現象が昭和40年代中頃のカーソルには起きているということは、カーソル枠自体の寸法誤差ではなく、どうもこの時代にカーソル枠を破断させるカーソル硝子が混じっているとしか思えないのです。念のためノギスで寸法を測ってみるとどうやら1/10mmくらいのプラスの誤差で仕上がっているものがありこれが怪しいのです。たとえカーソル枠をハンダ付けしたところでこのカーソル硝子をはめるといつかはハンダ付け部分が取れることは目に見えているので、まずはカーソルグラスをオイルストーンなどで砥いで硝子の寸法を誤差の範囲内に収める作業から開始。そしてカーソル枠は0.6mm直径の表面実装部品用共晶ハンダで100Wクラスの板金用ハンダゴテを使用し、フラックスも銅板などの専用フラックスを使用しました。なにせ接着面積が極小で、ハンダ付け向きの作業ではないのですが、カーソルグラスを削ったことでカーソル枠に負担をかけなくなって、何とか納まりがついた感じです。カーソル枠を破断させた人は、カーソル硝子を砥石で砥いで正寸に整形することがマストです。それをやらないとハンダ付け部分はいつか必ず剥がれます。また、ハンダを盛りすぎるとカーソル硝子が嵌らなくなりますからハンダの量は必要最低限で手早くハンダ付けしなけばいけません。まあ、日常ハンダ付けに慣れている人じゃないと難しい作業なのは確かです。

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HEMMI No.257(TJ)

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HEMMI No.257(GD)

 

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May 26, 2022

HEMMI No.P267 10インチ構造設計用「ヘWJ」

 実に14年ぶり2本目のHEMMI No.P267構造設計用計算尺です。No.P270の大気汚染用計算尺とほぼ同時代の昭和46年以降に発売された新系列の計算尺で、当時すでに製造はHEMMIが直接関わらず山梨の技研系列のメーカーに丸投げOEMで製造されたもので、当時のFUJIの計算尺などと同様に着色されて発売されました。ただ、FUJIの計算尺の滑尺はFABER CASTELLがそうであったように緑色(FABER CASTELLのシンボルカラー)だったことを世界のHEMMIが嫌がったためか、薄いブルーに着色されており、このブルーの滑尺は学生尺のP45SやP45Dなどにも採用されていて、後期のHEMMIプラ尺のアイデンティティーになったような感があります。中にはこの時代まで製造されたNo.P261のようにブリッジとカーソルバーが緑で滑尺が白のものがブリッジ、カーソルバー、滑尺まですべてブルーにマイナーチェンジし、全く違う印象の計算尺になったものもあります。当時はすでにHEMMIに特殊計算尺を設計する人材がおらず、400番代の特殊計算尺はすべてヘンミ計算尺自身で設計されたものではなく外部の技術者の考案によるものです。また昭和30年代から盛んにヘンミサークル誌を通して計算尺論文等を募集しており、その中から計算尺のアイデアをもつ人材を探していたのでしょう。そんな投稿者の一人が当時不二サッシ工業設計部強度計算係勤務の伊藤次朗氏で、このNo.P267は氏の考案が製品になったものです。当時、伊藤次朗氏はカーテンウォールの構造設計の第一人者で、氏のおかげもありその後霞が関ビルを始めとする高層ビル群が誕生するきっかけになりました。氏は「朝、会社に着いてまっさきに計算尺に触れると全身に血が巡るような気がする」などということも言っていたほどの計算尺ヲタクで、日頃から自分なりの計算尺の設計アイデアを練っていたその情熱は大正末期に猿楽町の逸見の事務所にさまざまな考案・意匠を持ち込んで入り浸っていた往年の計算尺ヲタクたちと何ら変わりません。しかし、その構造設計計算尺のアイデア発表から発売に至るまで数年のインターバルがあり、大手ゼネコンでも構造計算はIBMか富士通のコンピュータが急速に普及しました。以前No.269を譲っていただいた昭和42年入社の大手ゼネコン地方支社社員の方でさえ「No.269を買ったけど、数回使用しただけであとは計算機叩いていた」という時代の変換期に発売された計算尺だったのです。説明書におそらくは伊藤氏の言葉で「最近、コンピュータや電子式卓上計算機などの進歩、普及はめざましいばかりです。ややもすると計算尺は軽視されがちですが、計算尺にはそれなりの長所があります。とくに、構造設計の場合は、計算尺の精度で十分であることと、ファクターとファクターの乗除計算をする場合が多いので、計算尺が非常に適当しています。コンピュータと共にご愛用下さい」などと書かれていましたが、当時のモーレツサラリーマンが仕事に追われ、特殊な新しい計算尺を習得する時間もなく、わざわざ後発の専用計算尺を使おうという人も少なかったのでしょう。用途が限られるということもあって発売したはいいけれども「売れなかった計算尺」の代表みたいなものです。追加生産分は在庫が積み上がっていたようで、実に西暦2000年になる直前まで注文すると入手可能だったという話も聞いています。同じようにNo.269の土木用も21世紀に入るまで在庫があったそうですから、機械設計や電気技術以上に建築や土木はコンピューター化で計算尺の引退が早かったのでしょうね。実はこのNoP267のあとに同じく伊藤氏の設計のサッシデザイン/カーテンウォール構造計算尺も出来ていたものの試作のみで、一般向けに市販されなかったのはNo.P267の在庫の山に懲りたからでしょうか?長野の塩尻市からやってきたNo.P267はデートコードが「ヘWJ」で昭和47年10月製。頭のへの字は製造委託先が当時ドイツ製プラ尺なども製造していた関係で発注先を区別するためヘンミのヘの字を付けたのでしょう。ちなみに最初に入手したものはデートコード「UL」昭和45年12月製。おそらくはP267の初回生産ロット品だと思われます。尺度や特徴に関しては14年前に詳しく書きましたのでそちらを参照ください。

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May 22, 2022

HEMMI No.149A 5インチ両面機械技術用

 Dvc00553_20220522133001 HEMMIの代表的なポケットタイプの両面計算尺、HEMMI No.149Aですが、今まで3本入手しているもののたまたま3本とも未開封品だったため、恐れ多くて開封することを憚り、安心して使用できる中古品を探していたものの、No.149Aはそれなりに落札額が高いのです。それだけ計算尺に関わる人間ならば高周波素人でも欲しがる電子工学用No.266同様に誰もが最初のコレクション段階で少々金額が張ったとしても入手する計算尺ということが出来ます。以前は何か計算尺の精密度を鑑賞するという妙な人間がいて、その人達は尺度の数が多いほどその計算尺は「偉い」んだそうで、そういう人たちはNo.266を崇め奉り、No.250などは「あの何もない空間に腹が立つ」などと軽んずる輩も出てくる始末(笑) そういう計算尺鑑賞派にとっては最高の愛玩物がこのNo.149Aで、結果的に高額取引されることは否めません。それでなんとか今回、中古品で心置きなく使用できるNo.149Aを1本入手できました。1.5K円でドイツ製のポケットタイプ金属三スケが3本おまけで付いてきました。
 No.149Aは機械技術用計算尺のNo.259のサブセットの両面計算尺で、No.279Dが20インチ、No.259Dが10インチ、No.149Aが5インチのそれぞれ両面計算尺という存在です。この両面計算尺で3種類の長さが揃うのはこのシリーズのみで、あと3種類揃うのは片面計算尺のNo.72、No.2664S、No.2634。4種類あるのがNo.70、No.64、No.66、No.74と2シリーズしか無いのではないでしょうか?
 10インチと5インチがあるのは数多くの組み合わせがあるのですが、5インチで両面計算尺のNo.259DシリーズサブセットというのはNo.149Aが唯一です。それだけポケットタイプの計算尺としてのユティリティーが高かったために数多く作られて残っている数も多いはずなのですが、それにしても落札額は未だにけっこう高額です。
 戦後の日本で5インチ6インチの両面計算尺を最初に作ったのはどうやらダブルスター時代のRelayNo.550やNo.650だったようですが、その形状はK&Eタイプの10インチ両面計算尺をそのままスケールダウンした形状でした。ポケットタイプの両面なりにLL尺などが省略された必要最小限の両面計算尺だったものにHEMMIがぶつけて来たのがNo.149で、DI尺のない当時のNo.259と比較するとST尺が無い22尺、No.259及びDI尺が加わったNo.259Dは三角関数が順尺なのに比べるとNo.149は三角関数が逆尺です。DI尺がない分の工夫なのでしょう。このNo.149は上下の固定尺が同長のファーバーカステルスタイルで、当時まだこれだけの薄い竹にセルロイドを被せる技術が確立していなかったためか、セルロイドはサンドイッチ構造で上下は竹が見えています。そのNo.149が市場に投入されたのがおおよそ昭和34年と推定しています。というのも上下に竹がむき出しのNo.149は残存数が少なく、というよりも当時の経済事情でポケット尺の両面計算尺を買うのだったらまず10インチの両面計算尺のほうが優先という事情もあったようで、そのためかNo.149まで手が出ないということもあったのでしょう。東京オリンピックに向けたインフラ整備などもあった高度成長期の昭和30年代後半にはすでにNo.149Aにモデルチェンジしており、給与事情も好転したためかこちらのほうが圧倒的に残存数も多いですし、未開封新品のデッドストックも各地の鉱脈から豊富に発掘されます。そのため、希少性は全く無いのに落札額が高額になる計算尺の代表です。
Dvc00542-2  説明書は短冊型と冊子型があり、もちろん冊子型のほうが新しいのですが、その冊子型を2つ折にして革ケースに入った計算尺本体といっしょに外箱に納めるため、外箱の厚みが増しています。説明書は手持ちのものはデートコードが6807Yと6907Yがまだ短冊型で、7112Yが冊子型となっており、この間に変更があったようです。今回入手したものは本体のみで説明書はもちろんありませんでしたが、本体のデートコードが「VE」(昭46.5月)のため、どちらの説明書が付属していたかが微妙な境目にあるようです。それでいつNo.149からNo.149Aにモデルチェンジしたのかというと、おおよそ昭和37年から38年の間ではないかと考えているのですが、なぜセルロイドをエッジにかぶせただけで律儀に「A」の記号を追加して別物にしたのかというのも謎です。Relay/RICOHあたりなら同じ型番なのにまったく違う計算尺なんかけっこうあるのですが、Aの意味はAdvancedあたりの、日本語でいうと単なる「改」くらいの意味合いでしょうか?よく軍用機にあるマイナーチェンジごとに末尾にAから順番に付番していくような乗りだったのかもしれません。HEMMIのNo.149はRelay/RICOHでいうとNo.149にやや遅れて発売されたNo.551ですが、こちらはNo.149を2尺上回る24尺装備です。これは三角関数が順尺のため、DI尺を入れざるを得なかったのと、差別化のためにP尺を追加したためです。こちらもアメリカの業者のOEMブランドで相当数を売ったようですが、計算尺の出来栄えとしてはやはりNo.149/149Aのほうに分があるようで、カーソルグラスがアクリルかガラスかの質感の違いも大きいようです。
ちなみに今回のNo.149A(VE)は本体のみで革ケースもなかったのですが、たまたま以前にRICOHのNo.550Sの2本目を入手したときにそれが入っていた何故かHEMMI刻印の革サックケースがジャストフィットしました。ところがHEMMIにはこの形状の5インチ両面用ケースは無く、カーソル部分まで覆って保護するタイプの革ケースが普通なのですが、いったいこのケースは何用に作られたものでしょう?ちゃんと149Aのブリッジの跡が付いているし、素人がハサミでフラップ部分をちょん切ったという感じではないのです。ポケットから落下してカーソルグラスを割るリスクはあるものの、本体を取り出すのには非常に使い勝手がいいのです。どなたか何用のケースなのか教えて下さい(笑)

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Hemmi149

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May 05, 2022

俳優渡辺裕之氏との思い出

 今から37-8年ほど前のことですが、結婚詐欺師クヒオ大佐も出入りしていた当時勤めていた渋谷のお店に何度も来ていただきました。見た感じは少々威圧感はあったものの、腰が低くてかっこよくて気さくで明るいナイスガイ。当時代々木2丁目近辺のマンションにお住まいで、そこからハーレーダビッドソンでやってきて、たまに電車の中吊りのパルコ系ポスターで見かける外人モデルさんを後ろに乗せて同伴で来店されてました。実は当方は当時テレビを持っていなくてラジオばかり聞いていた関係で渡辺裕之さんという名前は存じ上げなかったのですが、他のお客に「勝野洋とリポビタンDのファイト一発やってる人」と教えてもらい、そんな俳優さんらしくない人柄に驚いてしまったものでした。「今度勝野さん連れてきますよ」と何度か言われていたのですが、あるとき本当に勝野洋さんを連れて店に現れたのにも驚きました。勝野さん当時としても超有名人でしたし、忙しいなかでわざわざ連れてきていただけるなんて思ってもいなかったものですから渡辺さんのその信義の厚さ、誠実さにも驚かされました。その渡辺裕之氏も俳優として忙しくなり、当方も店先に出ることもなくなり、没交渉になってしまったのですが、その後何年かして原日出子さんとの結婚報道を聞き、あの外人モデル乗せてハーレー転がしていた渡辺さんが変われば変わるものだと思ってしまったのです。その後、奥さんが映画で相手の俳優さんとそういうシーンを演じるに当たり、相手の俳優さんから許諾の電話がないと怒るほどの愛妻ぶりを聞いて、そういう人なんだなぁと妙に納得したものです。なぜ亡くならなければいけなかったのか、これを書いている時点でまだはっきりしたことはわかりませんが、また縁のあったお方が一人亡くなって寂しい思いをするとともに故人様のご冥福を深くお祈り申し上げます。

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