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June 18, 2022

HEMMI No.269 10"両面高級土木技術用「SK」

 おそらく10年ぶりになりますが、3本目のHEMMI 土木用計算尺のNo.269を入手しました。奇しくも最初のNo.269同様に福岡県内から出たものですが、決め手としては3本目にして初めて説明書が付属したものだったからです。電気とか電子に関してはある程度の資格持ちなので、その専用計算尺は尺度の意味するところはある程度は分かるのですが、土木分野はまったくの素人なので、いままで2本のNo.269の操作に関しては皆目わかりませんでした。まあ、スタジア測量に関する尺度は測量士補の教科書を入手したのでそれだけはかろうじて理解出来ます。そのHEMMIの高級土木工学用と記されるNo.269ですが、実に21世紀を迎えた2000年代になってもNo.251とともに2種類だけ普通にHEMMI本社に在庫があり、伊東屋などを通じて入手出来た両面計算尺です。逆にいうと、それだけ売れ残りが多く生じた両面計算尺だったということですがNo.P267同様に土木建築の分野にはかなり急速に電算機が普及し、昭和40年代中期から末期にかけてオワコンになるのが早かったという事情があったような気がします。それで説明書の能書きによると従来の土木用計算尺のNo.2690を両面に拡張して全面改良したものということで、なるほどそれで型番のNo.269という数字の言われというのもわかるというもの。No.2690は戦前のNo.90系同様にスタジア測量に特化した片面計算尺でしたが、No.269は特徴として1.簡単な曲線敷設(curve setting)用の特殊目盛を備えている。2.スタジア測量の目盛(sin cos cos^2尺)を備えている。3.マニング(Manning)の流量公式を処理するためのに滑尺上のK'尺及びF尺を備えている。またこの目盛は立方関係、4乗関係の計算にも便利に使用できる。以上のほかNo.2690になかった目盛としてK尺、B尺、DI尺および範囲1.01~2200のLL尺を備えており、その用途は広く検定試験の一般受験も可能である、などということが記されています。このマニングの流量公式というのは土木の基本である水路や道路の側溝、下水道などの水を通す溝の敷設に関する重要なファクターの公式です。まあ、当方はこの言葉だけしか知らなかったのですが、簡単に言うと溝の横幅が狭ければ同じ量の水の流速は早くなり、広くすると遅くなる。水路の勾配が急であれば流速は早くなり、緩慢であれば遅くなる。水路底の形状がなめらかだと流速は早まり、ゴツゴツした抵抗があれば遅くなるという3要素の関係を公式にしたものです。このマニングの公式による計算というのは単純に2乗3乗4乗の関係する計算故にこのNo.269では表面のA尺B尺に加えて3乗尺K尺と4乗尺のF尺があれば事足り、ゆえにこの計算は電卓でも簡単に叩けますし、数値を当てはめれば答えが出てくるという単純なプログラミングで事足りるということもあって、昭和40年代なかば以降には現場から急速に姿を消したのではないかと。そういう事情もあって21世紀を跨いでもまだ注文すれば在庫が出てくるという理由になったのではないかと思われます。また、単曲線敷設の計算として裏面上段のCL,SL,TL,及び滑尺上のR尺を使用し、単純なカーブの起点終点の距離を算出するのに使用するのですが、曲線敷設でも鉄道や高速道路などの高い精度を必要とするものには使用できず、林道や農道の計算や検算、すでに敷設しているカーブの検算に使用するとあります。まあ、それこそ単純に曲線半径250mで線路を90度角度を変えるのにどれくらいの距離が必要かということになると、まあ考えただけでも内側と外側では距離が異なるわけですし、そこにカントをどれくらい取るかなどという要素が絡むともう計算尺の精度ではお手上げということなのでしょう。まあ、機械設計や電気・電子などの分野と比べると土木の世界は伝統的なスタジア計算を除くとあまり相性が良くなく、「これがないと仕事にならない」などと内藤多仲博士のドイツ製5"ポケット尺のようにNo.269を使い潰すほど多用したという人の話は聞いたことがありません。逆に最初のNo.269を譲っていただいた福岡の大手ゼネコン支社に昭和42年に入社した方のように「No.269を買ったけど、数回使用しただけで机の引き出しにしまい込み、あとは計算機を叩いていた」というのが実情だったのではないでしょうか?そのため、あまり酷使されたようなものは少なく、ケースはボロボロでも中身はそこそこきれいという個体が多いような気がします。表面からL,F,A,[B,K',CI,C,]D,LL3,LL2,LL1,の11尺で、A尺はマニング公式の流速V(m/s)、F尺は勾配I、Bはマニングの粗度係数n、K'尺は径と深さのSARにアサインされています。裏面はCL,SL,M,TL,[R,ST,T,S,C,]D,DI,SIN,COS,の13尺で主に単曲線敷設に関する計算とスタジアに関する計算に使用します。デートコードは「SK」なので昭和43年11月製の説明書は冊子型で6904Yのコードが付いていたため、おそらくこの個体は昭和44年4月以降に発売されたもの。ケースは紺帯箱でした。入手先は最初の一本と同じく福岡県の那珂川市。ところで特徴的な「Civil」の赤いデザインロゴが入れられていますが、単純にCivilだけだと「民間の」とか「市民の」を意味するのでこれだけだと軍用や政府用に対する民間用の意味。土木だとすると「Civil engineering」と入れないと通じないのではないかと思うのですがどうなんでしょう?「Civil WAR」を土木戦争なんて訳す人はいないでしょうし(笑)ちなみに軍隊の土木や敷設などを担当するのは工兵科ですが英語ではEngeneering CorpでCivil Engineeringと区別するためかMilitary Engineeringとする例もあるようです。その違いは武装の有無?もっとも日清・日露戦争のときの工兵は銃装させてもらえず、砲兵や輜重兵なんかと同じく剣(砲兵刀:30年式銃剣とは別物)しか持たせてもらえなかったのだとか…

Hemmi269sk
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June 10, 2022

秋田の鉱山で使用された鉄製燈火器(鉱山用カンテラ)

Photo_20220610104101  これはかなり以前に弘前の古道具屋から落札したもので、その古道具屋の話では秋田のほうから仕入れたという急須型の鉄製カンテラです。正式な標準和名は知りません。紛れもなくカーバイドランプが出てくる明治末まで秋田のどこかの鉱山で実際に使われていたカンテラで、その証拠としてどこかの鍛冶屋がこしらえた坑木に打ち付けて吊るすのに使うひあかし棒という鈎がついています。かなり使いつくされたカンテラで、本来あるべき鉄製の蓋は失われて単なる木の栓で蓋がされ、錆止めのため漆を塗られた表面もサビだらけ。木栓を開けて中を覗くと乾いた種油のテカリがまだ残っていました。こういう吊りの急須型カンテラは幕末から明治の初期までにあっては真鍮製と鋳物製の二種類が見られますが、新品同様のきれいな欠品などもちろんなく、芯挟みもちゃんと残っている完品がいいのか。それとも実際に鉱山で使用されたことが明白なものの、他人から見たら小汚い欠品だらけのものが良いのか。資料価値としては断然後者のほうが勝っていると思います。
 秋田ということもあり、おそらくは弘前と峠を挟んだ大館の近所には小坂鉱山や花岡鉱山。もっと内陸に入れば江戸時代には一時期、日本で一番銅の産出量が多かった阿仁鉱山などがあり、その周囲にも明治時代には稼働していた小鉱山も星の数ほどは大げさにしてもたくさんあったのが秋田ですから、どこの鉱山で使用されていたのかはこのカンテラにしかわからないこと。この急須型のカンテラはおそらく文化文政期あたりの幕末に長崎を通じてもたらされたヨーロッパ製の燈火器を日本でデッドコピーしたもので、そのときに「カンテラ」という外来語も入ってきて、今でも携帯用の燈火器を意味する普通に通じる外来語になりました。そもそもはラテン語のろうそくを意味し、英語のキャンドルも同意語ですが、ポルトガルやオランダでは手持ちの燈火器も意味したようで、その言葉がそのまま日本語にもなったものです。以前から存在した李朝鉄製燈火器よりも鋳物技術が向上して肉薄で軽い燈火器で、使い勝手も良かったため明治に入ってからもしばらく使われたようですが、明治時代には新しく西洋からもたらされたブリキの板を板金加工した安価なブリキ製のカンテラに取って代わられたようです。そして明治の末から鉱山用燈火器にはカーバイド燈の出現という一大革命がおき、大手の経営する鉱山から光度が高くて立ち消えしにくいカーバイド燈に一気に取って代わられたのは、日本国内で電気分解法によるカルシウムカーバイドの工業的生産が可能になったからこそに違いありません。それで一気にお役御免になった油燈のカンテラですが、坑木に打ち付けてカンテラを吊るすために使われた鉄製の鈎、通称ひあかし棒のみカーバイド燈に付け替えられて使われている例が多く見られます。鉱山でも炭鉱同様に蓄電池式の帽上灯が普及し始めてからもカーバイド燈は一部使われていて、これは金属鉱山は炭鉱と違ってメタンガスなどの可燃性ガスの爆発という危険はないものの、坑道内にはところどころ酸素の欠乏空間があり、危険なのでカーバイド燈の炎が小さくなったら直ちに退避するという酸欠事故防止のための検知器として使用されたのだとか。それにしても本来あるべき蓋や芯ハサミもなくなっているわ、種油の燃え残った不純物がタール状になってかたまっているはで、本来だったらきれいにして漆もカシューで代用して塗り直てきれいにしたほうが万人受けするのでしょうが、実際に秋田の鉱山で使用されていたという史実と過酷な労働を物語る証人としてもこのままにしておくことにします。さて、この燈火器の産地ですがすでに江戸時代から鉄器の製造が盛んだった南部地方や羽前山形もしくは仙台近辺の作という線が強そうです。まあ上方で作られたものが北前船で運ばれてきた可能性も大いにありますが、鉄器類の見立てはまったくの門外漢です(笑)

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June 09, 2022

幕末江戸時代鉱山用鉄製カンテラ(一名:李朝鉄製燈火器)

Dvc00575  江戸時代から明治の初期くらいまで使われてきた鉄製鉱山用燈火器です。この燈火器は骨董の世界では「李朝鉄製燈火器」などと言われることもあるようですが、李氏朝鮮時代に江戸時代の日本の金山や銅山のような本格的な坑内掘りの鉱山技術があったという話は聞いたことがありません。欧米の安全燈コレクターは「China」のランプとしているようで、鎖国して鉱山技術も、まして取り立てて重要な鉱山資源もなかった朝鮮の「李朝鉄製燈火器」とするのは一寸無理のような感じがします。ともあれ、この鉱山用燈火器は日本の各地から発見されているようですから簡単な作りと相まって幕末期には蝦夷地を除く全国に普及していたようです。この幕末期の鉱山用燈火器は一番安価で簡単なものはサザエの殻に灯芯を立てたもの。もっとましなものは陶器や磁器で出来た灯明皿や片口のようなもの。そして坑夫が持ち歩けるようないわゆるポータブルの燈火器がこのような鉄製燈火器となり、幕末期には急須のような形の鉄製、欧米でレンチキュラーランプと呼ばれる分厚い凸レンスのような胴体に火口と蓋を付けた鉄製、そしてこのカラスの頭のような鉄製燈火器のの三種類があったようです。どうやら最初の2種類は欧州がルーツで幕末に長崎から入ったものを日本で真似て作ったもの。カラス頭型鉄製燈火器はそれ以前にこれも長崎から入った支那渡りの燈火器を国産化したものなのでしょう。構造が一番簡単なので蝋で原型を作り砂型で鋳鉄を流し込んで一度に何個も作っていたようです。それにしても華やかな場所で使われた美しい灯火器というわけでもなく、地底で使われた無骨で地味な真っ黒い灯火器ということもあって、いつ頃どこから渡ってきて主にどこで作られたかという情報もまったくないのです。個人的には江戸時代からの鉱山技術を友子親について3年3ヶ月と10日を修行期間として技術を習得し、友子親から盃をもらい、坑夫自助組織の友子取り立て式を受けて晴れて友子になった坑夫のうち、各地の鉱山を渡り歩いた「渡り坑夫」たちが持ち歩いた道具の一つだったのではないかと考えています。鉱山労働供給元の飯場や納屋といういわゆるタコ部屋においても仕事の道具は自弁で、道具を持たない年季奉公の坑夫は食費から道具から何から何まで天引きされ、飯は立ったまま食わされたという話もありますが、技能者で渡りの坑夫の自友子は自前の道具は持っており、飯場での待遇も年季奉公の坑夫とはまったく違って酒も自由に飲めたし、外出もお構えなしだったとか。その独り者の渡りの自友子が亡くなるとその亡骸はその鉱山の共同墓地に友子同士の互助金で葬られ、道具は食費や宿泊費の精算分として飯場の所有になったのではないかと思うのですが、この灯火器も渡りの自友子の移動とともに全国に散らばり、そして明治の時代になっても一部は使用されたのか北海道からも出てきたことがありました。 しかし、地底で使われて文字通り日の目を見なかった道具ゆえか、どうもこの灯火器の正式名がわかりません。道具である限りはちゃんとした標準和名があるはずなのですが、古美術の範疇に入らず、長らく単なる汚い古道具扱いだったためでしょうか?それが「李朝鉄製灯火器」と名前が変わっただけで格付けされ、取引価格が一桁以上上がってしまうというのは解せません(笑) 発掘先は茨城県で、茨城は水戸藩以前の佐竹氏の時代まで遡り、後に日立鉱山と名前を変えた赤沢鉱山などの古くからの鉱山が点在しています。そのため、いにしえから渡りの友子が江戸の昔から集まっていたのでしょう。その渡り友子の忘れ形見だとしてもちっともおかしくないのです。もちろんのこと、本来は鉱山用目的に作られたわけではなく、携帯用の灯火器として作られたものを鉱山の坑内用として転用したものですが、なぜ坑内でロウソクが使われなかったかというのは江戸時代のロウソクは蜜蝋もしくは木蝋を使用した和蝋燭で、非常に高価なものであったためです。そのため、庶民は行灯などの燃料に種油を使用したものの、この種油も高価だったため、一部イワシなどから取られた魚油と混ぜて使われたりしたものの非常に臭くて盛大に油煙が生じたのだそうで。イメージ的にはもっと小ぶりで小さなものかと思ったのですが、意外に大きく一般的な急須型の燈火器よりもやや大きいほど。油壺の容量が極端に少なくて、作業の途中で火が消えてしまっては困りますし、ある程度のミニマムの容量があったのでしょう。さらに構造的に言うと作りがかなりプリミーティブな鋳物で、おそらくは蝋で上下2ピースの原型を作り、油壺部分をくり抜いて中に粘土を詰め込み、蝋の原型を一つにした後に外側を砂で覆って砂型を作り、湯口を作ってそこに溶けた鉄を流し込み、後から中子の粘土を掻き出すという奈良時代の大仏鋳造方法と何ら変わらない方法で作られたものですが、技術的に肉を薄くすることは無理だったようで、かなり肉厚で重い燈火器です。それに比べると急須型の灯火器は鉄瓶づくりの技術のフィードバックもあるのか肉薄で軽く仕上げっていることから時代的にはこちらのほうが断然古い、時代が遡った燈火器なのは確かのようです。

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June 05, 2022

超・久しぶりに430MHzで交信

 前回、430MHzで交信したのが何年前なのかもわからないくらい久しぶりに市外の局と交信してしまいました。というのもどうも430MHzはあまり相性が良くないみたいで、どちらかというと今の季節の興味は50MHzでEスポが開いているかどうかというほうに傾いてしまいます。そのため、430MHzのメインチャンネルをつけっぱなしにしていることなどまったくというほどなく、モービルこそ20W機ですが、シャックで使用している無線機は古い10WのFM専用モービル機のみ。そして430MHzは平日はトラックドライバーのコールサインを言わない無駄話の広場になり、休日は沈黙のバンドに思えるのはアンテナ等の原因で当方があんまり電波を拾えていないだけではありますまい。その「沈黙のメインチャンネル」の430MHzは現在では144MHz以上にこちらではアマチュア無線に常用されていない気がします。もっとも八木の4本スタックでも立ててダクト発生時の遠距離通信を狙うという楽しみ方もありますが、相変わらずの貧乏無線局向きの運用ではありません。ただ、モービルアンテナと変わらない利得の屋根上GPアンテナで9月から10月の始めころ、海水温と大気温度の逆転現象でダクトが発生した際に対岸7エリアの局とがんがん交信できた430MHzならではの経験もあり、こういう非日常が体験できる周波数帯としても面白いとは思うのですが。その430MHzで久しぶりに交信しました。というのも何年か前にNYPで2局くらい交信した事はあったものの、市外の比較的遠距離との交信は15年以上間が空いていると思います。というのもあまりにも使っていない無線機に火を入れてメインチャンネルワッチで一分もしないうちにCQの声が聞こえたのです。それもかなり遠くからのようだと思ったら道南は七飯町ポータブルと言っているので10Wで届くかどうかわかなかったもののコールバックを入れました。おそらくは道南エリア最高峰の横津岳山頂からのハンディ5Wの運用だそうで相手信号52。こちらの信号は57で交信成立。本格的に山頂に居座って運用というわけではなくハンディ機をお供に登山にやってきたという感じらしく数局と交信してQRTしてしまいましたが、さすがは道南で、ハンディ機で7エリアの青森市あたりとハンディのアンテナで交信できていたようです。まあ横津岳に登らないまでも函館郊外にはきじひき高原という移動局運用スポットがあり、50MHzあたりでGWが伸びれば7エリアのかなり奥まで電波が届いているらしく、平担地ばかりで市内の移動運用先に窮するうちの街とは大違い。この移動運用最適地の有無が函館エリアに無線人口数が多い一つの原因にもなっているようなのです。実に羨ましい(笑)

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June 02, 2022

CONCISE No.300とSTAR No.1660円形計算尺を徹底比較!

 コンサイスNo.300は今でも継続して作り続けられているのか、それとも以前の在庫が残っているのかいまだに普通に購入できる計算尺なのですが、当方は円形計算尺があまり好きではありません。というのも目ハズレがない、同じ基線長の棒状計算尺よりもコンパクトで携帯に便利である利点は認めるものの、指の摩擦で内円を回転させて動作する以上計算速度では棒状計算尺に遥かに劣り、外周と内周の基線長が異なる宿命上、中心に近づくほど精度が劣ること。そして棒状の計算尺は慣れると滑尺を引いた全体のフォルムである程度、置数やどこに目盛が一致しているかという見当がつくものの、円形計算尺はそれがわかりにくくてどうしても一致点を目で追わなければならず、目盛の速読性に欠けるというのもどうも円形計算尺に馴染めない理由です。そのため、現行品ということもありコンサイスのNo.300は今まで入手したことはなく、コンサイスの興味としては展示会などで来場記念品として配られた測定器などの企業ものノベルティーや、企業が自社や関係各社のために特注した特殊用途の計算尺に限られています。
 そこで今回、このコンサイスとしては一番尺度の多いNo.300と往年の星円盤計算尺STAR No.1660のフラグシップ計算尺同士を無謀にも比較検討するためにNo.300を入手しました。片や全国ブランドの現行品。片や地方発の絶滅商品で、さらに計算尺界においてもその実態はほとんど語られたことがないという円形計算尺です。
コンサイスのNo.300はコンサイスの円形計算尺としては大型で直径は約11.2cm、これに対してSTAR No.1660はさらに一回り大きい直径約12.8cmもあります。コンサイスのNo.300は表面も裏面も独立して内円が回転する唯一のコンサイスで、そのため表面裏面が単独で計算することが可能なのに対してSTAR No.1660は表面の内円のみ回転可能です。コンサイス No.300は塩化ビニール素材ですが STAR No.1660は金属板をサンドイッチしたセルロイドの円盤です。コンサイスは中心軸のフリクションでカーソルの動きを止めているものの、STAR No.1660はカーソルバーが独立していてカーソルバー内側のフェルトのフリクションでカーソルの動きを止めています。またSTAR No.1660のカーソルには尺度記号が印刷されています。重要な点ですがC尺D尺の部分の直径が双方ともに約8.2cmで、基線長がともに約26cm相当で精度的には10インチの計算尺に合致。しかし、それより内周の尺度は当然のこと基線長が短くなるために、そこに配置された三角関数はコンサイス No.300がT尺2分割でNo.1660がS尺2分割でT尺はなんと3分割で精度を補完し、ともにST尺を備えるというものです。大きさは異なるもののC,D,尺の基線長が同一のため、精度的には何ら変わらず、STAR No.1660はCD尺の外周にLL尺を重ねていったために大きさがコンサイスのNo.300よりも一回り大きくなっているのです。コンサイスNo.300は表面が外周からK,A,D,[C,CI,B,L,] の7尺。裏面がLL3,LL2,D,[C,S,T1,T2,ST,] の8尺で合計15尺。STAR No.1660は表面がLL3,LL2,LL1,LL0,K,A,D,[C,CI,EI,E,]の11尺。裏面が-LL3,-LL2,-LL1,-LL0,L,DI,D,T,S,T,S,T,ST,の13尺の計24尺となっているいわゆるフルログログ計算尺です。HEMMIの両面計算尺でいうと、尺度は一致するわけではないものの用途と機能からするとコンサイスのNo.300はHEMMI No.P253やRICOH No.1051S相当。STAR No.1660はHEMMIのNo.259相当というのが言えるのではないでしょうか。双方とも目外れのない円形計算尺ゆえにCIF尺をあえて入れないのは当然です。また、他ではあまり見たことがない尺度のSTAR No.1660のE尺EI尺は√10から10までの順尺逆尺なのですが、説明書がないためどういう用途でどの尺に対応させて使用するのか当方はわかりません。
 コンサイスは戦前に玉屋が発売元だった藤野式計算尺が改良・発展していったもので、特に金属製だったゆえに戦時中製造が絶えた金属重量計算器をいち早く改良・発売し、産業の活性化とともに相当数を売ったようで、昭和30年代には一般用の計算尺やノベルティー物、企業からの特殊用途計算尺の特注も受ける余裕も生まれ、HEMMIやRICOHに次ぐ計算尺メーカーに発展しました。それに比べるとSTAR計算尺は北陸富山市の稲垣測量機械店という個人商店が開発・販売した地方ローカルの計算尺です。それゆえ片や全国ブランドで広く出回ったコンサイスに比べるとSTAR計算尺は北陸3県を中心に新潟、長野あたりまでしか出回っていなかったため、全国的にはまったく知られなかった計算尺です。資本力と宣伝力、販売網のないSTAR計算尺は昭和30年代末には会社とともに消滅してしまったようで、これを昭和40年頃に工業高校進学と同時に購入した富山市内の元設計エンジニアの方は稲垣測量機械店のこともSTAR計算尺が富山市内で生まれたこともご存知ありませんでした。いくら優秀なものを作ったとしても資本力と宣伝力の差で勝ち組、負け組が明確になってしまうのはまさに経済原理ですが、それゆえ負け組の製品が高機能で優秀だっただけに人知れず消えてしまったのは惜しい気がするのです。

Concise300
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