« August 2022 | Main

October 17, 2022

SCI DUH RULES M.CO.(四達計算尺工廠)No.1309 10"マンハイムタイプ

 10インチの逆尺もないマンハイム型片面計算尺で、竹製のようなのにHEMMIでもRelayでもない特徴をもつ計算尺。強いて言えばA.W.Faberにこのようなものがあったのではないかと思い、カーソルがないのにもかかわらず購入した計算尺です。実は非常に興味深い来歴をもった計算尺だったのです。その正体は戦前の上海で作られた四達計算尺No.1309というもの。製造は昭和でいうと一桁からおそらくは15年位までの製造だと思われますが、それがちゃんと日本に渡って実際に日本人によって使用されていたというのは本体に刻まれた所持者名が証明してくれています。戦前の上海はアヘン戦争によって欧米列強に租借されており、租界という治外法権地域が存在していました。租界の外では軍閥、国民党軍、八路軍が入り乱れて騒乱を繰り返していたのに、租界の中は西洋文化が花開き、ヨーロッパ式の建物が立ち並び、銀行、百貨店、ホテル、ダンスホールなど、欧州と米国の文化が溢れた街に発展しましたが、そこには外国人や中国人資本家がアジアのマーケットをターゲットに軽工業を始めています。メインは繊維関係の工場だったようですが、中には文房具、パーカー万年筆なども上海に進出していたようです。しかし昭和16年12月8日の日本の開戦に伴い、外国人資本家は資産を中国人に売り払い帰国。さらに日本の敗戦後の中国内戦で国民党軍の本土撤収時に外国人・中国人資本家や技術者、熟練工や文化人に至るまで共産党支配を恐れて数十万人が香港に流出したというお話。それまでアジアの商業製造業の中心だった上海から香港がその地位を奪う結果になってしまったということです。四達計算尺のマークである「Ruyi」というのは中国仏具の「如意」というものであり、本来は背中を掻くための孫の手を模したものなのですが、それが権威の象徴のようなものになり、民間では「力と幸福を象徴する印」として目出度いマークなのだそうで。また、四達は星を意味する言葉でもあるようです。この四達計算尺の歴史は古く、1920年代半ばにはすでに製造されていたらしいのです。初期は片面尺はFaber Castelの模倣、両面尺はK&Eの模倣から始まった竹製計算尺です。これもHEMMI計算尺同様ですが、HEMMIの竹製計算尺の特許は内戦状態の中国では出願するすべもなかったのか竹を組み合わせた構造がそのまま使用されていたようです。入手した四達No.1309はA.W.FaberのNr.55/99あたりのデザインをコピーしており、本体も木製です。ただ本家が西洋梨材なのに対してこちらは白樫材を使用しています。白樫といえばハンマーの柄にも使用されるほどの固くて緻密でさらにリーズナブルな木材ですが、三味線の世界でも小唄の5厘大胴の三味線に限って使用される棹の材料なのでこちらも馴染みがあり間違いありません。その固定尺には表面に対して直角に、滑尺は表面に対して平行に金属の板の補強が入っており、反りを防ぐ構造になっています。この構造もA.W.Faberのパクり。尺度はシンプルな表面A,{B,C,]D,で滑尺裏がS,L,T,の7尺。また裏面には10インチと25センチメートルのスケールが刻まれています。滑尺溝とケースにはSCE DUH RULES M.CO. MADE IN CHINAとあり、戦後の中共時代のShanghai Si Da Rule Factory表記とは異なります。おそらくは工場は租界から日本支配、国民党支配から中共支配という変遷を経ながらも工場自体は上海に残ったものの、国営の公企業化されたのち、同じく上海にあった計算尺工房とともにに上海飛魚ブランドの上海計算尺廠に統合されたのでしょう。なお、四達には星という意味もあると書きましたが、太田スター計算尺の太田粂太郎が大正末に会社を潰した後に上海に渡り、四達計算尺に関わったなんて「義経が大陸に渡りジンギス汗になった」的な伝聞があれば、話はもっと面白いのですが(笑)なぜならば滑尺の金属板補強構造の特許は彼が持っていた…。それにしても所持者名は日本人ですが「友愛」なんてキラキラネームが戦前にあったのでしょうか?(^_^;) おそらくは明治末の社会的な考えの人達がそのまま「ゆうあい」と読ませる名前を男子につけたのでしょう。決して女の子キラキラネームの「ゆあ」ちゃんとは読まないはず(笑)

Sceduh1309
Sceduh1309_20221017121701
Sceduh1309_20221017121702
Sceduh1309_20221017121703
(カーソルはHEMMIからの借り物です)

| | | Comments (0)

October 06, 2022

WORLD No.58 10インチ片面技術用(日本文具製造?)

World58  リコー創業者の市村清が理化学研究所の大河原理事長に請われて理研感光紙の一代理店経営者から理研グループ入りしたわけですが、学閥主義的な空気が支配する理研グループでは単なる商売人で大した学歴もない市村は社内では浮いた存在で、徹底的に無視をされ、そのため会社でもう何もしないことを決め込み、次の商売を模索していたようです。その段階で東京の河井精造の計算尺工作所を買い取り、日本文具製造という会社を設立しています。理研から給料を貰いながら堂々と副業を始めてしまったわけですがこの大日本文具はリコー三愛グループの歴史には一切触れられておらず、理研光学の社長に市村が就任した日がリコー三愛グループの創業記念日となっているようです。逆に考えるとさすがに市村が理研から給料を貰いながら別会社の社長に就任するのを憚ったのか、日本文具製造のオーナーとなったものの社長は別人を立てていたのかもしれません。また、河井精造が理研の関係者だったため、誰かが市村清と河井精造を結びつけたフィクサーがいたはずですが、今となってはそれを示すような記述も資料も今のところ見つかっていません。
 その日本文具製造時代の計算尺は河井精造のKAWAI計算尺と全く変わらない特徴のあるカーソルがつけられ固定尺滑尺に剥がれ止めのスタッドがある計算尺をSTRONG印計算尺と改名して売り出したラインナップが昭和12年版の玉屋の目録に載っているのですが、そのストロング印計算尺は未だかつて遭遇したこともなく、どうしたものかと思いきや、どうやら輸出を意識してか、すぐにWORLD計算尺に改名され、あまつさえアメリカに輸出までされたようで、某日本製計算尺をまとめたサイトに2種類のWORLD計算尺が掲載されています。それを見ると初期のワールド計算尺は河井式計算尺の「裏板の切り欠きに目安線を意味する山形突起がある」構造で、さらに上下固定尺及び滑尺に剥がれ止めのスタッドがあるWORLD計算尺と後のIdeal Relay計算尺同様に片側のみ副カーソル線が刻まれた透明セルロイド窓が開いているものの2種類があります。おそらくは当初は河井式の構造を引きずっていたものの、輸出を意識したコストダウンでHEMMIの模倣に落ち着いたということなのでしょう。又、サイトに掲載されていた5インチのポケット尺は尺度や数字の特徴も後のIdeal Relay計算尺とほぼ同じものです。昭和16年の前半くらいまでアメリカに輸出が成り立っていたもののその後アメリカとの関係が険悪になり輸出が中断。国内向けにIdeal Relayというブランドを創設して国内専用に計算尺を供給したのでしょうが、WORLD計算尺にあってIdeal Relay計算尺にないもの。それは本体の「Japan」表記の有無です。またRelayの商標は当時の東洋特専興業が航空機用の継電器、すなわちリレーが営業収益の大半だったからということらしいです。
 入手先は兵庫県内からです。以前にも一度オク上に出品がありましたが、カーソルが後のHEMMI 45Kの樹脂一体型に付け替えられていたため、スルーしてしまった人が多かったのではないでしょうか。特徴的なのは後のIdeal Relay時代にはなかった馬の歯型目盛が刻まれているポリフェーズドマンハイム型で、HEMMIでいうと大正15年型計算尺の仕様です。この10インチのポリフェーズドマンハイム尺の目盛が馬の歯型なのは河井式計算尺を踏襲しており(但し、河井式でも5インチ尺は当初からものさし型目盛)後のIdeal Relay計算尺は当初から10インチ尺も5インチ尺もものさし型目盛という違いがあります。おそらくは少々異形の河井式計算尺から目盛も仕様も標準的な、HEMMIでいうとNo.50/1に進化する過程を示している計算尺ということが出来ると思います。さらに河井式計算尺は終始一貫して戦前のHEMMI片面計算尺に存在した左右の位取り記号がありません。それがIdeal Relay計算尺になると新たに刻まれることになるのですから進化なのか退化なのか(笑) ケースは戦前のHEMMI片面尺同様に皮シボ模様の貼箱ですがメーカー名などのエンボスはありません。奇跡的に形式名を表すシールが残っていました。そこには「No.58」とありますので、おそらくWORLD No.58というのが正式名で間違いないようです。どういうわけかIdeal Relay時代の計算尺は別な形式名付与ルールに変わるのですが、本家のHEMMIは50番代はポリフェーズドマンハイム計算尺のカテゴリーながら同じNo.58というのは存在しません。
まあ、違和感バリバリのプラスチック一体型カーソルは戦前のHEMMI No.40からでもトレードしておきましょう。たぶん、この計算尺が生産されていた頃には特許の河井式カーソルはすでにつけられておらず、HEMMIの改良A型カーソル相当の金属枠カーソルがつけられていたようです。また、本体は竹製で反りは見られないものの目盛の起点と終点が上下の固定尺のセルがやや縮んだために一致しません。ダブルスターRelay時代の計算尺にもよくあることですからそれをもって批判するわけにもいきませんが、さすがにHEMMIの計算尺は当時物でもあまりお目に掛からない現象です。まだまだ技術的にはHEMMIには及ばなかったことの証明でしょうね。

World58_20221006133901
World58_20221006133902
World58_20221006133903

| | | Comments (0)

« August 2022 | Main