November 08, 2021

成東商会ダウエル 7x50mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

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 久しぶりに駄双眼鏡を購入しました。とはいえ戦後に雨後の竹の子のように、というよりもキノコのように出現しては消えていった板橋の四畳半メーカーと異なり、いちおうは戦前から存在した東大そばの文京区西片の成東商会ダウエルブランドの双眼鏡です。扱う商品は天体望遠鏡から顕微鏡、双眼鏡に至るまで多種な光学製品と望遠鏡鏡自作のための部材など多種多様にわたり、カタログだけ見れば同じく戦前派の総合光学商社のカートンやエイコーあたりとかわりありませんが、その実体は一軒家のような社屋に部品の箱が山と積まれていて、注文があるたびに部品を組み立て調整して送り出すというような業務形態だったようで、決して大きな倉庫に完成品のダンボールが山と積まれていて出荷を待つという業態ではなかったようです。
というのもどうやら中間マージンをまったく廃して戦前から一貫してコンシューマーに直接通信販売という形態をとっており、そのため業者に中抜きされる輸出光学製品などは扱っておらず、一時期輸出双眼鏡に刻印を義務付けられていた輸出メーカーコードを取得した形跡もありません。また国内の光学製品問屋の扱いもなかったため、けっこう昔の天文少年たちにとっては一度は切手を送ってカタログを入手したものの、実際に購入した天体望遠鏡や双眼鏡はケンコー、ビクセン、カートン、エイコーなどを地元の眼鏡店でというケースばかりだったような気がします。というのもその時代はまた雑誌広告などの通信販売というのは親の世代にまだまだ拒否感があり、お年玉などを貯めて通販で現金書留送ろうとしたら「足りない分は出してあげるから地元の眼鏡店で買え」などと親ストップが掛かったというケースもけっこう多かったのではないでしょうか。ネットを見て製品の評判を調べてポチで完結する現代とは隔世の感があります。そのためか名前が知れている割には今に残っている製品はあまりないようで、天体望遠鏡に輪をかけてダウエルの双眼鏡は見たことがありません。数年前にたまたまダウエルのかなり古いIFの12x50mmのZタイプ双眼鏡を入手しましたが、分解しなければわからないもののなんと1.6mm径の針金をシム代わりに焦点調整している部品かき集めででっち上げた中身の実態にどん引きしたことがありましたが、それでも調整はちゃんと出来ていて下手な輸出双眼鏡よりもぜんぜんよく見えるというところにこのメーカーの実態がよくわかるような気がしますが、全般的には「割安だが部品の精度不足や調整不足もあって性能の個体差が激しく、買って後悔するメーカーの代表」のような評判が常につきまとっていたような。昔はこういうネガティブ情報がネット上を駆け巡るということもないのですが、やはり天文少年の直感で手を出したらいけないメーカーということを悟っていたような感じで、周りでダウエルの天体望遠鏡、双眼鏡を実際に購入した仲間はさすがにいません。
Dscf4258以前入手したダウエルの双眼鏡は時代的には昭和30年代くらいは遡ると思われるものでしたが、12x50mmの表示ながら実倍率が7倍しか無いというもので、ダウエルまで倍率詐称双眼鏡を普通に供給したというのがちょっと意外でした。今回の双眼鏡はずっと時代が下っておそらくは昭和40年代後半から50年代はじめくらいの製造と推測出来ます。というのもネジが黒染めのプラスネジになり、モノコートながらコーティングも厚くなったような至極まともな双眼鏡に変わったようですが、実態はどうなのでしょう。 静岡の熱海にあるリサイクルショップから届いたダウエルの7x50mm、7.1度のZタイプ双眼鏡はひどく黴びている様子は無いものの、接合部のグリスの油分が蒸発してプリズムや対物レンズの表面を曇らせていました。どっちみちフルオーバーホールするつもりで分解していったののですが、分解前に500mほど先にある送電線の鉄塔を見てみると左右は若干開いていたような気がしますが上下の視軸はぴったりと合ってました。分解してみてわかったことは、部品をかき集めてでっち上げたというものではなく、まともな板橋輸出双眼鏡レベルのもので、プリズム面はちゃんとコーティングされてますし遮光筒を備え、内部も黒塗装がされています。対物レンズは全面コートですが、接眼レンズは外側だけのコートでした。また外部ネジはプラスネジを使用しておりましたが、プリズムはタガネ打ちによる固定です。それから推測するとこの双眼鏡は昭和45年から50年くらいにかけてのものではないかということ。そして、おそらくは成東商会内部で組み立てられたものではなく、板橋のどこかの業者に製造を丸投げして納められた外注品だったのではないかと推測できるのです。ダイキャストはC-3とかいう陽刻が内部にあり、これは確かビクセンの7x50mmと同じもののような記憶があるのですが。考えるに昭和46年の火星大接近などをきっかけとして天体望遠鏡需要バブルが起きて天体望遠鏡の組立調整が一時的に忙しくなり、双眼鏡の組立まで手が回らなくなって板橋の業者に外注に出してしまったのでしょう。双眼鏡屋にしてみれば円の切り上げや変動相場制移行で輸出が立ち行かなくなり、一過性の事とはいえ天体望遠鏡需要バブルで双眼鏡の需要まで生まれたのはありがたいことだと思います。これ、注文取りに出かけたのが当時すでにブローカー的な役回りだった野口光学工業の野口社長だったら話は面白いのですが。
 それでクリーニングが終わって再組み立てし、エキセンリング調整で気持ちよく上下左右の画像が合ったダウエルの双眼鏡はコントラストは足りないものの解像力はそこそこの実力を発揮。さすが20mmの口径の違いだけで8x30mmの双眼鏡とは一線を画します。ただし、同年代のニコン7x50mm 7.3度のトロピカルと比べてみるとさすがに視野はニコンが圧倒的に明るくコントラストも解像度も段違いです。まあ比べる対象としてはフェアではないでしょうけど。 それにしても以前のダウエル12x50mmのように噴飯ものの裏技を期待していたのですが、今回は見事に裏切られました。これなら買って後悔するようなものではありませんが、子供時代にビクセンじゃなくてダウエルの双眼鏡なんか持って天文クラブの活動に参加していたら馬鹿にされたんじゃないか、なんて思ってしまいます。子供同士ってそういうのに敏感でしたし。

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May 10, 2021

Kenko 7x18mmミクロンタイプ双眼鏡(東亜光学)

 Dscf4229 ミクロン型双眼鏡の元祖は戦前日本光学の6x15mmですが、この双眼鏡はオペラグラスほどの大きさながら視野角や倍率などもオペラグラスの比ではなく、戦前戦後を通じて貴重な外貨獲得手段となりました。しかし、戦後は7x50mm7.1°のノバー型同様に日本光学の設計を元に色々な会社が製造に参画し、板橋双眼鏡生産の拡大に貢献するとともに、本来はポケットに入るほどの小型双眼鏡であることからミクロン型だったはずなのに口径や倍率なども年々拡大して後には口径50mmで18倍というような大型のものまで登場するようになりました。
 しかし、このミクロン型の双眼鏡も円の変動相場制後の円高とオイルショックにおける材料費高騰による板橋輸出双眼鏡の業者淘汰により衰退し、昭和の末期にミクロン型専業の栃原オプチカル製作所の製造撤退とともに日本での製造は途絶えました。だた、今世紀に入ってからニコンが6x15mmのミクロンタイプを限定生産したことがありましたが、そのころはカメラのS3やSPの再生産で大いに話題をさらったニコンも2021年に国内でのカメラ生産を終了させるとのこと。そりゃ今や半導体露光装置のほうが売上が大きいでしょうし。
 久々に入手したkenkoのミクロンタイプ7x18mmですが、これは以前入手した東亜光学Cometの7x18mmと同倍率です。ただ、以前のものが昭和30年代製造と推定されるミクロンタイプの双眼鏡で、鏡筒なども真鍮を削り出したものにメッキを掛けてある作りで、かなりのコストが掛かっていることが伺われました。さすがは1ドル360円時代の双眼鏡で、コストダウンの気配は微塵もありません。それに比べて今回のKenko7x18mmミクロンタイプは鏡胴が軽合金の引き抜きにメッキを掛けたもので、プリスムのカバーなどの軽合金プレスにメッキを掛けたもの。全体的にコストダウンが明らかでそのため妙に軽く、東亜光学Comet7x18mmが重量250gもあるのに対してこちらの方は190gしかありません。まあ、見え方自体は差がさるわけではないのですが、30年代生産ものがある意味見事に手間が掛けられているのにそれを知ってしまうとこちらの方は少々情けなく思えてくるのです。ビクセンの斎藤氏の言葉を借りれば「ミクロン型生産継続のための涙ぐましい努力」なのだそうですが、「金属の軍艦部だとばかり思っていたカメラが実はプラスチックにメッキを掛けていた軍艦部だった」並のがっかり度は否定できません。フォーカシングは対物レンズ側を動かして焦点調整するニコンタイプで、本体に製造メーカーを表す刻印も見当たらなかったため、栃原オプチカルのOEM製造でKenkoの名前が付けられたものだとばかり思っていたのですが、今回再度虱潰しに観察すると、鏡筒根本の黒い部分JAPAN刻印の上にうっすらと「J-B001」のメーカー刻印があり、なんと栃原のOEMではなく前回と同じ東亜光学のものであることはわかりました。東亜光学でもかなり後までミクロン型の製造が続いていたことがわかりました。現在の東亜光学は双眼鏡からは撤退して久しく、医療光学機器関連部品の製造にシフトしているようです。


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April 05, 2019

Kenko 8x30mm7.5°Z型双眼鏡(Orient Co.)

  Dvc00639Dvc00641このKenko 8x30mm7.5度のZタイプの双眼鏡はいつ購入したのかもまったく記憶がありません。当時のKenkoのことですからどこかのメーカーにOEM製造させたものには違いないのですがそこに打たれたメーカーコードは組立メーカーがJ-B277でダイキャストがJ-B22となっています。JーB277のメーカーコードはかなりの末番で一覧によるとオリエントという表記しかわからず、これはおそらく双眼鏡輸出を手がけていた昭和23年創立のオリエント商事だと思われますが、オリエンタル貿易J-B138というメーカーコードもあり、こちらとの関連性もよくわかりません。ただ昭和23年創業のオリエント商事は現在では金属建材などの輸入製造卸売りの商社として盛業中です。おそらくはオリエント商事のOEM元が資金的にオリエント商事に組み入れられ、そこからKenkoにOEMで製品が出回ったということなのでしょうか。JBナンバーもJEナンバーも揃っているところから昭和44年以前の双眼鏡かと思いきや、対物レンズセルにはエキセンリングがあるものの、プリズムはそれぞれ弾性の接着剤で止められ、鏡体からイモネジで視軸調整するという方式のおそらくは昭和40年代後半から50年代初期に掛けての製造のようです。モノコートながらプリズムを含めてフルコーティングの双眼鏡です。またやや艶が気になるものの鏡体内部は丁寧に黒塗りされており、それがコントラスト上昇につながっているようです。見え方は視野の周囲がやや収差が気になるものの中心部は解像力もよくきわめてシャープな見え方をする双眼鏡です。同じKenkoのOEMでもJ-B114の新井光学の比ではありません。新井光学の製品よりももっと見え方が良い双眼鏡で、見た目だけではJBナンバーがなければ鎌倉光機のOEMだといっても通用するかもしれませんが、特に画像に何か立体感を感じさせるのが岡谷光学のVistaを連想させる双眼鏡でなかなか良いレベルの双眼鏡だと思います。しかし、スタンダードな視野の双眼鏡にしては周囲の収差がやや目立つことと、中心部は良いものの周囲に行くに従い解像力がやや物足りないのが欠点で、この視角の双眼鏡であれば全視野均一な画質であってもおかしくはないはずでしょう。それが所詮パーツ外注で組立だけ行う双眼鏡組立調整業のメーカーの製品の限界点でしょうか。

 

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January 30, 2019

アストロ光学8x30mm7.5°Z型双眼鏡(パルス光学)

Dvc00463 アストロ光学は現在こそ天体観測施設の設計施工の仕事しかしていませんが、我々が天体少年だったころは間違いなく一流の天体望遠鏡メーカーでした。地元の眼鏡店でビクセン、エイコー、カートン、ケンコー、ミザールあたりしか並んでいない時にアストロの屈折赤道儀は日本光学の8cm屈折赤道儀とはいかないものの医者や土建屋の息子でなければ決して手の届かない存在だったことは確かです。またポータブルではなくドーム据え付け型が主力だったのも敷居が高かった原因でしょうか。そのアストロ光学ですが、総合光学メーカーとして天体望遠鏡のほかに双眼鏡も提供していましたが、双眼鏡は自社では生産せずに外部調達で済ませていたようです。 そのアストロ光学ブランドの双眼鏡ですが、あまり数量的には出回っていなかったようで、おそらくはロット2-300個くらいの数量で作らせたものが在庫になりそれを求めに応じて少しずつ出荷していったという程度の数量しか生産されていなかったのかもしれません。ただし天体観測の主流だった7x50mmは見かけの異なるタイプを見かけますので時間を置いて追加発注された節があります。
Dvc00462 それにしても天体望遠鏡は有名なのにアストロ光学の双眼鏡は情報も現物も少なく、昨年に7x50mmを入手しましたがその後まったく現物にはお目にかからず、今回やっと8x30mmの双眼鏡が久しぶりに見つかって入手した次第でした。
 外観は以前入手した7x50mmほぼそのままで、一見大塚光学製のようにも見えますが7x50mmと同じくパルス光学の製品でしょう。光学設計としても戦時中に設計され、戦後にその設計図が共有されたために板橋輸出用双眼鏡としてスタンダードになった8x30mm7.5°と凡庸なスペックの双眼鏡です。この時代、8x30mmは広角化が進み、すでに8.5°がスタンダードになりつつある時代に旧態依然の7.5°とは天体観測用としても少々物足りない感じですが、製造のパルス光学自体スタンダードな8x30mmの部品を自社製造出来るわけでもなくスタンダードな部品しか外部調達できなかったということでしょうか。
 東京杉並のリサイクル業者から1k円で入手したアストロの8x30mmでしたが、さほど酷使された様子も無く本体の程度は悪くありませんでした。さらに内部の状態も対物レンズ裏が若干曇っていた以外にフルオーバーホールの必要もありませんでしたが、視軸は縦横に若干ずれており、対物レンズをセルごと外してクリーニングしたついでにエキセンリングで視軸調整実施。
Dvc00461 視軸がきれいに合った状態でいつもの送電線鉄塔先端を観察してみたところ、視野がスタンダードな7.5度なのに周辺部のゆがみが若干大きいような感じがします。分厚いフルコーティングのおかげもあって視界は標準的な板橋輸出双眼鏡と比べるとやや明るいながらコントラストが物足りないのは標準的な板橋輸出双眼鏡と変わりありません。ただ解像力は意外に高く、線も細い描写を見せてくれるような気がしました。夜間、天体観測用に使用するのであればまた別な見え方をしてくれる期待度が高い双眼鏡です。
 以前入手したアストロ光学7x50mm7.1°の双眼鏡はJ-B230のパルス光学の刻印がありましたが、この8x30mm7.5°には今の所J-B230刻印は確認していません。しかし、細部の作り込みやデザインの共通性からしてもパルス光学でOEM製造されたことは間違いないでしょう。このパルス光学ですが、JBナンバーもかなり末番で、おそらくは厚木光学やオパル光学あたりと創業が近いような感じがしますが、いろいろと資料を探してみても工場がどこに存在していたかさえわかりません。しかし、このパルス光学は例の東栄光学樹脂環訴訟の被告の一社になり、500万円の賠償金が確定したようですが、その際会社を解散して損害賠償金を逃れたか、それともまともに払ったのかは定かではありません。この訴訟の控訴審判決が出た昭和の末期までは存続していたことは確実です。

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January 29, 2019

東亜光学Comet7x18mm7°M型双眼鏡

Dvc00460 昭和20年代から小型のミクロンタイプを生産していたJ-B1のコードを持つ東亜光学の7x18mm7°Mタイプ双眼鏡です。Cometの商標がありますが、Comet名義では対米輸出はなかったようで、国内向けの東亜光学Mタイプ双眼鏡の商標なのでしょう。また国内向けのためかダイキャストメーカーのJ-E7の刻印はありますが、J-B1の刻印はありません。Mタイプの双眼鏡はニコン方式の対物レンズを移動させて焦点を調整する方式とVixsenなどのように接眼レンズを動かして焦点調節する2タイプがあります。この東亜のCometはニコン方式です。またM型双眼鏡専業メーカーの栃原光学はかなりのメーカーにOEM生産でM型双眼鏡を一手に供給していましたが、こちらも焦点調節はニコン方式だったために小型のM型双眼鏡といえば対物レンスを移動させる方式の方がポピュラーだったかもしれません。
 この東亜光学のMタイプ双眼鏡は札幌から入手したものでしたが、北海道の光学製品は季節による寒暖差が激しくて内部が結露してしまい、カビだらけのものが多いようなイメージがあったのですが、多湿で夏場が高温な地域や冬場に雪が多くて湿気がこもるような地方のものよりもコンディションがマシなものが多いような気がします。たとえプリズムやレンズの裏側にカビのスポットが見受けられてもクリーニングで取りきれるものが多いような感じがします。夏場はそれほどジメジメしておらず、冬場は気温が氷点下2桁にもなると空気中の水分も氷結して湿度が極端に低くなるというのも要因でしょう。
Dvc00459 この東亜光学のMタイプ双眼鏡も構造上埃の侵入こそありましたが内部まで分解クリーニングの必要も無く、外側から視軸の調整をしてそれで終わりでした。見え方としては口径が小さいだけに分解能に不満はありますが今出来の視軸もあっているのかどうか怪しいような輸入品プラスチック製Mタイプ双眼鏡と比べることが出来ないほどよく見えると感じました。東亜光学はこれより小型の6x15mmがミニマムサイズだと思いましたが、それよりも実用的な小型Mタイプ双眼鏡だと思います。

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December 23, 2018

SUPER FUJI 7x35mm11°BL型双眼鏡(大塚光学?)

Dvc00384 珍しいSUPER FUJIブランドのBL型7x35mm 11°の超広角タイプの双眼鏡です。SUPER FUJIの双眼鏡製造元は2流の輸出用双眼鏡メーカーと認識していましたが、こんなりっぱな双眼鏡まで作っていたのかと一瞬感心してしまいました。
 ところがこのメーカーは通常30mmと50mmのZタイプの双眼鏡しか作っておらず、既成の部品を集めて組み立てることしかしていなかったため、怪しいと思ったら案の定この双眼鏡はどうやらその形状からして大塚光学もしくは鎌倉光機のOEMのようです。どちらかというと大塚光学の方が近いような感じで、このままDia Stoneの商標が付いてもおかしくないような双眼鏡ですが。
 それでSUPER FUJIの製造元ですが、今の所は大宮に工場を構えていたJB19のコードを持つ不二工芸社が怪しいのではないかと思っています。不二工芸社は昭和28年8月に渋谷区内で創業し、後に大宮に工場を構えるのですが、昭和40年初期には従業員100名以上を抱える双眼鏡組立業の会社としてはかなり大きな会社だったようです。昭和40年の従業員規模からすると鎌倉光機や大塚光学の1.5倍、日吉光学の実に3倍程の規模の会社でしたが、双眼鏡だけではなくレンズシャッタ−式カメラの組み立ての外注でも請け負っていたのでしょうか?
Dvc00383 国内向けのSUPER FUJIブランドの双眼鏡はいうに及ばず、アメリカにもかなりの数が出回っているようなのですが、面白いことに輸出向けの双眼鏡は正直なスペック表示なのですが、国内向けの双眼鏡は一貫して倍率詐称双眼鏡だったようです。たとえば8x30mmの双眼鏡はすべて12x30mmに、9x35mmの双眼鏡は15x35mmに、7x50mmは12x50mmにという感じです。また国内向けのOEM生産させたものにまでこの基準を要求していた節があり鎌倉光機のOEMらしきBL型9x35mmが15x35mmの6.5°表示になっていたものもあるようです。いったい15倍の双眼鏡で見かけ視界が90°ってどんな双眼鏡でしょう(笑)
 そういうポリシーの会社ですが、さすがに超広角双眼鏡の倍率を水増しするのは違うとでも思ったのか、このBL型はSUPER FUJIにしてはまともなスペック表示です。また、高級品イメージを印象づけるためか、普通は白のロゴですがこの双眼鏡には金色で色埋めされています。おそらくSUPER FUJIではBL型の自社生産は行われなかったようで、こちらはJBナンバーこそ未発見ながらパーツ構成からして鎌倉光機ではなく大塚光学のOEMだと思われます。時代は昭和40年代半ばくらいに遡ると思われ、その根拠としては段ボール芯に革もどきの擬皮紙を貼付けたものながら飯盒型のケースが付属していたこと。接眼レンズが後の大塚光学製超広角双眼鏡のものと異なり純粋なエルフレタイプらしく、光機舎の昭和40年代の超広角双眼鏡同様に極端にアイリリーフが短い大目玉の接眼レンズが付いていたことによります。この接眼レンズは真ん中が3枚合わせの3群3枚構成ですが、後の超広角双眼鏡は鎌倉光機にしても大塚光学にしても両端が2枚合わせで真ん中が単レンズの3群3枚構成の接眼レンスに変わり、ここまで大目玉の接眼レンスは使用されなくなります。それに伴い視界周囲の収差もだいぶ軽減され、像面解像度も均一化されたと思いますが、この双眼鏡はKenkoブランドの光機舎7x35mm 11°BLタイプに近い見え方でした。
Dvc00382 北海道札幌からやってきたこのSUPER FUJIは経年で内部のグリースの揮発性分が蒸発し、ややプリズム面に曇りがある以外はカビも視軸の狂いも無くそのままでも使用に耐えないことはないレベルの商品でした。そのためまだ分解はしていないものの、対物側から内部を見た感じではややテカリが気になるもののちゃんと反射防止塗装が施され、対物レンズ筒には割りと長めの遮光筒がはめ込まれています。ただし光機舎の同タイプのようなプリズムの遮光カバーは使用されておらず、これは遮光筒で済ませてしまたようですが、一概にどちらがいいのかはわかりません。コーティングは全ての面がシアンのモノコートのようです。重量はストラップ抜きで840gと光機舎の同タイプよりも100g以上軽量ですが、世代の新しい鎌倉光機のFocalブランド7x35mm11°の700gにはかないません。
 遠くの送電線鉄塔を覗いてみた感じではエルフレ独特のコントラストがやや甘い感じながら中心部の解像力はさほど悪くなく、しかし周囲に行くに従い収差で像が湾曲するという同時代の光機舎の超広角双眼鏡に近い見え方で、同じ7X35mm11°の双眼鏡でも時代が下った大塚光学や鎌倉光機のものとは見え方が異なります。
 なんかDia Stoneの商標が付いた7x35mm 11°の双眼鏡のほうがうれしいような気もしますが、二流メーカーの商標が付いた実は一流品ということで、レア度は確かに大きいようです。でもTOYOTAの車にHYUNDAIのバッジが付いていてもちっともうれしくありませんが(笑)
 SUPER FUJIの双眼鏡は昭和50年代以降のプラスチック多用双眼鏡やズームの双眼鏡も見あたらない事からおそらくはドルの変動相場制移行による円高やオイルショックによる資材高騰により不二工芸社の企業活動停止かなにかで昭和40年代末まで残っていなかったのではないでしょうか?

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December 21, 2018

Vixen 6-12x32mm BL型ズーム双眼鏡(遠州光学機械)

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 これも1円で落札したビクセンの中型ズーム双眼鏡です。6-12x32mmというズーム比2倍の無理の無い設計のBL型ズーム双眼鏡で、メーカーコードらしきものが残っており、どこが製造してビクセンに納めたかという興味だけで入手したものです。結論からするとこの双眼鏡の製造元は板橋区の上板橋に存在したJB55の遠州光学機械という会社でした。遠州光学の設立は昭和23年の2月と古く、元は浜松と甲府に工場を構えていたそうで、そのことから推測するともともとはKOWAの興服産業同様に旧豊川海軍工廠の流れをくんでいる会社なのかもしれません。光機舎のなき後にもかなりいろいろな会社にズーム双眼鏡をOEM生産しており、その代表どころとしてはCOPITARが上げられます。その遠州光学製COPITARズーム双眼鏡は昭和50年代初期には雑誌広告に載るくらいでしたからよく売れたズーム双眼鏡の一つだったようで、この遠州光学製のCOPITARズーム双眼鏡はかなりの数が残っているようです。またいつ頃の出荷かはわかりませんがENSYUブランドを冠した遠州光学の自社製品も見つかっています。
Dvc00376 遠州光学の双眼鏡は平成初期頃までは生産されていたようですが、円高不況、プラザ合意による円高容認策後に輸出のコストが上昇し、1ドル80円台という急激な円高に見舞われた平成中期以降は双眼鏡製造にはかかわっていなさそうな感じです。現在同じく板橋区の前野町に遠州光学精機という会社がありますが、おそらくそこが旧遠州光学機械でしょう。板橋で遠州を名乗るのもいかにも不自然ですし、遠州光学精機でズーム双眼鏡の特許も申請していたようです。ただこれは20年前の情報なので、現在の遠州光学精機がどういう企業活動をしているかは不明です。板橋双眼鏡業者の勝ち組にあるように利益の上がった時に自社名義の不動産を次々に取得し、双眼鏡生産からの撤退後は自社名義の不動産管理業あたりに業態変化して存続しているかもしれません。
 この遠州光学製ビクセン6-12X32mmズーム双眼鏡は多くの古いズーム双眼鏡に多く見られるように変倍レバー側のズームカムガイド筒が固着してしまい、まったく動きません。それを無理に動かそうとしたらしく変倍レバーが折れてしまっているジャンクです。そのため、固着している最高倍率側での固定倍率でしか使用できないため、12x32mmのBL型双眼鏡になってしまっています。
Dvc00375_2 ズームの連動はギア式ですが、時代の新しい大塚光学や鎌倉光機のプラスチックを多用したズームメカと比べると時代が古いなりにカム筒押さえ冠などの部品点数がやたらと沢山あり、仕事は丁寧なのですがけっこうなコストが掛かっています。またコーティングもアンバーとマゼンダを組み合わせたカラーバランスもよさそうな多層膜っぽいコートで、なんか昭和40年代末期のカメラレンズのようです。接眼レンズのコーティングもまったく手抜きされておらず丁寧な仕上がりでした。
 最高倍率でしか見る事が出来ないためにズーム双眼鏡のテストとしてはちょっと酷ですが、やはりズーム特有の反射面の多さから来るコントラストの甘さと像面の解像力の甘さは否定出来ません。内部の反射防止塗装も丁寧に施されているのですが、やはりズームの双眼鏡はいらないなという印象です。これ、おそらくは昭和48年以降おそらくは昭和50年代初期くらいの製品だと思うのですが、ビクセンの双眼鏡としても単なる 8x30mmあたりと比べるとけっこうお高い双眼鏡だったのでしょう。それでもこの遠州光学製のOEMのズーム双眼鏡が日本から海外までかなりの数が残っているようで、昭和60年あたりまでは付加価値の付いた双眼鏡として大量に製造されていたことがわかります。

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December 16, 2018

Vixen 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡(厚木光学)

Dvc00365 懐かしい逆アローにVixenのロゴが入った光友社時代のビクセン8x30mm7.5°Zタイプの双眼鏡です。光友社が株式会社ビクセンに社名変更したのは昭和45年とのことですが、当時板橋区に工場を持っていたものの天体望遠鏡から双眼鏡、顕微鏡からルーペまで扱っていた総合光学商社として広く光学製品全般を扱っていた関係で、下請けの業者に製造させたOEM製品がかなりの割合を占めていたようです。それらOEM製品も自社でしっかり検品してから出荷する体制が整っていたのが信用につながったのか、未だにビクセンはケンコー・トキナーとならぶ総合光学商社として業界に君臨しているわけです。
 前にも書いていますが当方が一番最初に購入したのがビクセンのZタイプの7x50mmの双眼鏡で昭和48年1月のことです。まあ天体望遠鏡も前年に購入したビクセンのエータカスタムという6cmの経緯台だったため、よくも悪くもビクセンの製品が自分の基準になってしまい、それよりよく見えるか見えないかで双眼鏡の善し悪しを判断しているようなところが未だにあるかもしれません。
 とはいえ、今迄入手した双眼鏡はゆうに70台近くになり、ビクセンのセカンドブランドのFOKUSやVISIONなどの双眼鏡も混じっていますが、ビクセンブランドの双眼鏡はこれが二台目。というのも昭和47年以降のビクセンの双眼鏡はOEMで作った工場が単純によくわからないために氏素性を解明する興味に欠けるということがあると思います。まあ、製造部門のビクセン光学やアトラス光学製であれば OEM製品とはいえませんが、それでも昭和40年代前半くらいまでのビクセンの双眼鏡はどこのメーカーのOEMかということがはっきりわかるものがあります。そういうものには興味を引かれてしまうのですが。
Dvc00363 この札幌近郊の町から送ってもらった推定昭和40年代前半のビクセン8x30mmはJ-B272の組立業者コードとJ-E6のダイキャスト業者のコードが残る製品でそれによると製造元は厚木光学でした。厚木光学はJBナンバーも末番に近いくらいの後発メーカーらしく、どこに工場を構えていてどれくらいの人員を抱えていたのかという情報も一切ありませんがSPLENDERという商標のZタイプ30mmおよび50mmの双眼鏡を国内外に出荷していたようです。以前からこの厚木光学のSPLENDERに興味があり、狙っていたのですが思わずビクセンブランドの厚木光学製を入手したことになりました。
 厚木光学は昭和30年代後半から40年代初期のおそらくはオパル光学あたりと同時期の創業メーカーだと思われます。ビクセン以外にどういうメーカー・商社に製品を供給していたかはわかりませんがオパル光学同様に自社ブランドのSPLENDERで国内だけではなく海外にも製品を出荷していたようです。しかし、製品は30mmと50mmのZタイプの双眼鏡のみのようで、広角などの双眼鏡も見あたらず、技術的には取立ててどうのこうのいうようなメーカーではありません。多くの板橋双眼鏡メーカーがそうであったように、部品は同業部品屋からの供給を受けて組み立て調整業に徹した会社だったのでしょう。製品も昭和40年代らしきものしか見つかりませんし、もしかしたら円の切り上げやドルの変動相場制移行、オイルショックによる資材高騰を乗り切れずに廃業、もしくはビクセンに人員ごと吸収されて第二工場の母体になってしまったかもしれません。
Dvc00362 その厚木光学製ビクセン8x30mmですが、これはビクセンの仕様指示なのか使用しているパーツには高級感がないものの非常に丁寧に組み立てられた良品です。プリズムも各レンズ面もすべてわりと厚めにコートされたフルコーティングの双眼鏡で、鏡体内部もつや消し塗料で丁寧に塗り込まれています。しかも冬場と夏場の気温差が大きくレンズ内部の結露からカビに発展しやすい北海道の双眼鏡にしてはプリズムの光路周囲に若干のカビが見受けられたものの、光学系の狂いも無く外観的にも殆ど使用されていないようなシロモノでした。対物レンズの鏡筒を外し、綿棒に無水アルコールを浸して接眼側プリズムの光路周囲を拭いてやることのみで清掃終了でした。
 さて、実際に遠くの送電線鉄塔を覗いた感じではコントラストはやや足りないものの解像力はかなりあり視野周辺の像のゆがみなども気にならないレベルです。最近送電線などがやや太く見えがちな双眼鏡によく行き当たりますがこの双眼鏡は線の太さもノーマルに感じました。まあ岡谷のVISTAと比べると物足りないところはままありますが、双眼鏡としては至極まともなレベルだと思います。同年代Kenkoの新井光学製よりもこちらのほうがぜんぜん良い双眼鏡だと感じました。でも同じくKenkoのスカイメイト8x30mmの見え方には及びません。おそらくスカイメイト8x30mmは鎌倉光機製でしょう。しかし、ケースもポシェット型なのにシボの入った本革製でしたし、当時これが一家に一台あったらけっこうなものだったでしょうね。

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November 29, 2018

SUPER ZENITH 8x30mm 7.5°Z型双眼鏡(東栄光学?)

Dvc00322 ZENITHという双眼鏡は、もともとはフランスだったかイギリスにその名前のつく双眼鏡があったらしいのですが、どうも戦前か戦後すぐに日本でその名前をパクった双眼鏡が現れていたようです。戦後は一貫して輸出用の双眼鏡の商標だったようですが、その商標を持っていたところが輸出商社だったのか、それともどこかの製造メーカーだったのか判然としません。後にSUPER ZENITHの商標を有する双眼鏡も出て来ましたが、これはどこかの中核光学メーカーを中心としたグループのパブリックドメイン的な商標ではないかと想像してますが、そのグループ名が東京光学機器製造組合だったか輸出双眼鏡製造組合だったか詳しいことはよく知りませんが一応は協同組合的な名称を名乗っていたのではないかと思います。
 その中でもいち早くプラスチック鏡体のSUPER ZENITHにLIGHT WEIGHTのロゴを付けて国内外に大量に売っていたのがどうも埼玉県鳩ケ谷に工場を構えていたJB4の東栄光学のようです。この東栄光学という会社は対物レンズや接眼レンズをプラスチックのセルに歯車型の樹脂環を使用して高周波溶着するという技術で特許を取っており、類似の手法を使用した同業数社に対して特許権侵害でそれぞれ500万円の損害賠償を請求して民事訴訟を起こしたいわゆる東栄光学樹脂環訴訟の原告で、この特許が切れる迄はこのプラ製Zタイプ双眼鏡をほぼ独占的に製造していたようです。しかし、この特許が切れてからは中国製の類似プラ製双眼鏡が日本にも押し寄せ、現在望遠鏡工業界のメンバーには東栄光学名前はありません。訴えられた一社の鎌倉光機はいまだに世界各国の有名メーカーのOEMで盛業中なのですから皮肉な物です。
Dvc00321 そのおそらくは東栄光学製SUPER ZENITHの20x50mmZ型を持っていますが、件の樹脂環接着のおかげて接眼レンズが分解できないもののその構成はプラレンズを使用した2群2枚のラムスデンでした。レンズの張り合わせがないだけその分コストダウン出来ますが、そこまでするかという感じです。アメリカでの評判も「Toy Binoculars」的な指摘が多かったような。
 そのSUPER ZENITHですが、プラスチック化する以前の昭和40年代後半くらいまでのものは所々コストダウンされている安物的な部分はありますがそれでも割とまじめに作られている双眼鏡です。東栄光学以外にもいろんなところで製造されていたようで、昭和44年以前のいわゆる輸出双眼鏡血統制度時代にはいろいろなメーカーコ−ドが見受けられるようです。例としてはJ-B206の藤田光機、J-B256の新星光学を確認しています。
 それで4台まとめて落札した双眼鏡の中で3台のケンコーはそれぞれ1円だったのですが、こいつだけ10円で入札した主がいて結局は11円落札でした。それでも4台まとめて14円ですから文句はいえません。SUPER ZENITHとしては至極まともな双眼鏡で、プリズムも全面モノコートされていました。さほど内部も黴びたり曇ったりということもなく、オーバーホールは楽でしたが、プリズムポケットがぴたり決まるというわけではなく、やや調整に手間取った個体です。プリズムの固定は透明グルーでしたからおそらくは昭和40年代後半の製品として間違いないでしょう。そしていろいろ分解して行き気がついた事は、本来JBナンバーが打たれているところにOmcのようなマークが入っている事。また右側視度調整リングにディオブターの目盛や数字が無く+-で済ませている、という共通点のある双眼鏡は一つ思い当たりました。それはHUNTERの双眼鏡GOLDというやつで、このHUNTER GOLD 50mmというやつは接眼レンズが樹脂レンズで構成がラムスデンというのは後のSUPER ZENITHのプラ双眼鏡に共通します。またプラのSUPER ZENITHの視度調整環にも+-の表示しかないなどこの8X30mmのSUPER ZENITHを通じてHUNTERからプラスチックSUPER ZENITHまですべてつながっていくような気がします。確たる証拠はありませんが、もしかしたらこれはらすべて東栄光学の製品でしょうか?またプラ製SUPER ZENITHの12x50mmのケースにLENS CLUB HUNTERと印刷されたセミハードケースが付属していたのを見た事があります。本来ならば黒の無印もしくはSUPER ZENITHと印刷されたケースでなければいけないところ、員数合わせでHUNTERのケースを付けてしまうことが出来るのは両者が同じ会社で作られたことを暗に物語っているのではないでしょうか。
 このSUPER ZENITHの8x30mm 7.5°は双眼鏡としてはけっこうまともなほうで、コントラストは不満があるものの解像力は悪くありません。ただやや線が太めに見える事と周辺部の収差がやや気になるくらいです。内部の反射防止処置を丁寧に施せばそこそこ使える双眼鏡になりそうで、その面ではカスタムベースに最適などという評価。なにせ世の中に沢山ありますから(笑)


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November 26, 2018

Kenko Skymate 8x30mm 7.5°Z型双眼鏡

Dvc00324 3台のKenko 8x30mm 7.5°のZ型双眼鏡の一台で、こちらはSkymateという機種名が付いています。おおよそ昭和40年代の後半の製品らしく、すでにJBコードもJEコードも刻印されていない双眼鏡ですが、前出2台の新井光学の双眼鏡とは明らかに作りも見え方も異なり、けっこう名のある双眼鏡OEMメーカーの製品は確かでしょう。
 スカイメイトと名前がついているくらいですからおそらくは昭和46年の火星大接近による天文ブームにあやかった天体観測用を連想させるネーミングですがどうなのでしょう?当時、なりたての天文マニアで、望遠鏡も双眼鏡もビクセンを購入してしまい、あまりケンコーには注目していなかったためか記憶がありません。
 しかしまあ、カートンにしてもケンコーにしても当時はメーカーだと思っていたのは当然ですが、実のところ光学商社でいろいろな会社に望遠鏡双眼鏡を作らせ、それを自社ブランドとして売っていたなんてまったく知りませんでしたし、よくカタログの写真と店頭に並んでいる同じスペックの双眼鏡が外観がまったく違うということが不思議だったのです。

 

Dvc00323 そのケンコースカイメイト8x30mmですが、見かけは昭和40年代末期の鎌倉光機のZ型双眼鏡にそっくりです。それでも鎌倉光機にしても大塚光学にしてもどこかにメーカーコードがさりげなく打たれているのが普通なので、鎌倉光機の製品の可能性も高いながらその確証はありません。また対物セルのカバーと鏡筒の間に飾りリングが入れられる手法というのが当時同じく鎌倉光機からOEMで双眼鏡を受けていたコピターのZ型双眼鏡にもよく似ているような感じもしますが、内部まで探ってみたもののその出自を証明するような証拠はなにもありませんでした。
 それでも実際に覗いた感じも解像力、コントラストもけっこう高く、視野の周辺部の収差もよく押さえられており、OEMの双眼鏡としては一流どころの製品に匹敵する双眼鏡だと思いました。新井光学のOEM双眼鏡とは比べ物にならないくらいのいい双眼鏡です。対物接眼レンズともにシアンのモノコートで、ブリズムは当時のことですからBK7材のプリズムですが、射出瞳径も真円でした。プリズムも新井光学のようなタガネ固定ではなく透明なグルーを使用した固定法です。視軸の調整はさすがにエキセンリングでした。このあとすぐの時代の大塚光学製Kenko 8x30mmは対物レンズセルもプラスチック化して視軸の調整も鏡体2カ所に設けられた芋ネジでプリズムを微動させる手法に変わりましたが。
 何かスカイメイトと名付けられているくらいですから一応は光学性能にうるさい天文マニア用に材料、メーカー共に吟味した結果なのかと想像してしまいます。実はこの双眼鏡、まったくレンズもプリズムも曇っておらず、視軸も狂っていなかったためレンズの表面だけ拭いただけの双眼鏡で、古い中古の双眼鏡としては珍しい個体でした。
 まあ一般的にはKenkoの双眼鏡として片がついてしまう双眼鏡なのですが、板橋輸出双眼鏡の底なし沼に入り込んでしまうとそれがどこのOEM製品か気になって仕方が無いのです(笑)

追記:このKenko Skymateの同じ8x30mm双眼鏡にJ-B30刻印の興富光学工業製のものが見つかりました。おそらくはこのSkymateも同じ興富光学工業製なのでしょう。興富光学工業は板橋製輸出双眼鏡のなかでも至極まともな双眼鏡を作っていたようです。この双眼鏡も噂に違わずなかなかの良い製品でした。





 

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