October 04, 2018

Kenko 7x35mm 11°BL型超広角双眼鏡(大塚光学)

Dvc00214 Kenko 7x35mm 11°の超広角BLタイプ双眼鏡です。こちらは以前の光機舎製のKenko 7x35mm 11°超広角よりも年代的には新しく、製造はDia-Stoneブランドの大塚光学のOEM商品です。
 光機舎のものとスペックは同じもののデザインを含めてこちらはかなり近代的な双眼鏡で、それというのも筐体がこちらは金型による射出成型品になったようで、上下二分割の金型から成型品が抜けやすいように考えられた構成の設計になっており、おそらくは対物側と接眼側の二分割の金型が使用されているようで、筐体は内部が釣鐘状でがらんどうな印象を受けます。
 上下二分割の金型のためかストラップ吊りが本体に鋳込むことが出来ず、後付になっているのが特徴です。また型抜けを容易にするためか、はたまたデザイン上の特徴とするためか、筐体の接眼側の左右がななめ45°にすっぱり切り落とされており、その部分を覆うかたちで接眼側鏡板が回り込んでいます。そのため妙に左右が長くて大きいという印象がなく、ごろりとした感じはあるものの割とコンパクトにまとまっている双眼鏡です。
 また、これもデザイン上の特徴か焦点調節の輪が転輪が軸全体を覆っていて、両手で持った際に握りなおさずに右手の中指で焦点調節できるというメリットがあります。コーティングは薄いアンバー色の全面コートです。
Dvc00213 分解する前にいつもの通り遠くの送電線鉄塔の天辺を覗いてみるときれいに左右と上下がずれていましたのでオーバーホールついでに調整することにします。対物側から内部を光に透かしてみたところでは経年でプリズムの表面にやや曇りはありますが、カビのスポットなどはなさそうです。
 対物側のレンズの裏側は曇りも無くクリアだったので、今回は対物側を分解せず接眼側から分解。対物側から昇降軸ストッパーネジを抜き、転輪を回して接眼レンズアッセンブリーを抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて抜き、側面ネジ各1本を抜いて左右の鏡板を取り外すとプリズムアッセンブリーが現れます。このプリズムアッセンブリーの3本のスクリューを抜くとアッセンブリーごとプリズムを外すことが出来、プリズムを外して無水アルコールで洗浄。左右のアッセンブリーのプリズム洗浄後に筐体にアッセンブリーを戻した後、鏡板をつけずにガイドスリーブだけねじ込み、接眼レンズアッセンブリーを戻して視軸の確認をすると上下左右にずれており、対物レンズセルに仕込まれたエキセンリングでも修正しきれないため、プリズムアッセンブリーの3本のネジを僅かに緩め、その隣にあるマイナスのイモネジを調整し、遠くの送電線が一致するように調整していきますが、その際エキセンリングはニュートラルに戻しておくことを忘れないようにしないと最終的にエキセンリングの調整しろが無くなり、微調整できなくなります。
Dvc00212 また、視軸の調整は人間の視差ずれを脳内で一致させる能力により左右のずれがなかなか合っているのかどうかわからないことはありますが、その際は転輪を回してアウトフォーカスにした際に左右がずれているかどうかではっきりわかると思います。また、片側の視度をずらしてみても左右が一致してるかずれているのがわかるはずです。
 最終的にエキセンリングで微調整しなくともプリズムアッセンブリーの3本のイモネジの微調整で視軸は一致しました。この際にわかったことですが、この双眼鏡は三脚に固定する手段がまったくありません。ヒンジ部分のカバーをはずしても三脚ネジなどは存在しませんし、そもそもヒンジ軸全体を覆う転輪のためにこの部分にも三脚アダプターを噛ませる余地がないのです。そのため、BL型は三脚固定でプリズムアッセンブリーのイモネジを微調整して視軸調整するのですが、この双眼鏡は手持ちで調整するしかありませんでした。
 さて、同じくKenkoブランドの光機舎性7x35mm 11°との比較ですが、覗いてみると光機舎の双眼鏡のほうが視野が圧倒的に明るいのがわかります。どうも大塚光学のこの双眼鏡は時期が新しいということもあり、筐体内部の反射防止が手抜きされ、また対物側のプリズムカバーも省略されてしまい、内部反射が光機舎のものよりも多いのが原因でしょうか。しかし、視野周囲の像のゆがみは光機舎のものが超広角ゆえにかなり大きいのに比べ、こちらの大塚光学のほうはけっこう小さく許容できる範囲だという違いがあり、見ていて疲れないのは大塚光学のほうでしょう。中心部解像力に関しては光機舎のほうが良く、大塚光学のほうはやや見劣りするのですが、これは全像面の均一性を取るか、周辺部を捨てて中心解像力を取るかのコンセプトの違いでしょうか。
 重量は光機舎960gに対して大塚光学は920gです。筐体切り欠きの分だけ軽いのかもしれませんが実際の重量以上に軽く感じられます。
 また接眼レンズ外玉径は光機舎のほうが圧倒的に大きく、光機舎28mmに対して大塚光学22mmとなっており、後ろからの映り込みや逆光で接眼側から漏光し、コントラスト低下の原因にはなりにくいようです。J-B46のコードが筐体接眼側ブリッジに刻印されていました。
 さて、この大塚光学製7x35mm 11°双眼鏡の年代ですが、構造からすると金型の放電加工機の普及によって精密なダイキャストの成型品が手軽になった70年代末から80年代にかけての製品でしょうか。光機舎が輸出双眼鏡製造から退いた後に大塚光学に生産シフトされたカテゴリーの商品でしょうが、そこは大塚光学らしくただのBL型ではなくオリジナルデザインになったことは意義があったと思いますが、なんか筐体が平板で持った手によくフィットするかというと、どうもそうではないようです。ちょっと後のカメラの人間工学的な握りやすさとは同じ光学製品でも逆行してますね。
 接眼レンズのトリイの真ん中の陣笠部分にφ28mmのプラスチックのメダリオンが嵌っていたはずなのですが、これは欠落していてこれが実にマヌケに見えてしまい、なにか革シボ表面の黒い樹脂でも削ってはめ込んでおきたいところです(笑)

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September 25, 2018

日吉光学OCEAN 7x35mm 10°BLタイプ広角双眼鏡

Dvc00201 日吉光学のOCEAN 7x35mm 10°のBL型双眼鏡です。これが輸出用であれば相手先のブランドになるのでしょうが、国内向けということで、オリジナルのOCEANのトレードマークが付いてメーカーのコードもまったく付いていない製品です。年代的には昭和40年代初めくらいの製品でしょうか。
 以前にも書いたとおり昭和30年代になるとアメリカの消費者の嗜好から7倍もしくは8倍のBLタイプで広角の双眼鏡が作られるようになり、その中でも光機舎、大塚光学、日吉光学などは超広角双眼鏡を各種製造し、相手先ブランドで大量に輸出していました。
 市販輸出用超広角双眼鏡のレコードホルダーはLinetブランドの日吉光学製造視野角13°だそうですが、同じくこの日吉光学のBL型双眼鏡は視野角10°ながらさほど無理のない設計ゆえに実用的にはこれくらいが最適なのではないかと思わせる双眼鏡です。
 同じく日吉光学製造のSimourブランドの7x35mm 10°のZ型双眼鏡があり、その双眼鏡との見え方の比較なども面白いと思って手に入れたものです。さすがに落札額はごみ双眼鏡と次元が違いますが(笑)
Dvc00200 この日吉光学の7x35mmBL型は前回入手したKenkoブランドの光機舎7x35mmBL型と比べると視野角は1°狭いものの大きさは変わりません。ところが重量がかなり軽くなっており、光機舎が1000gに近い重さでとても常用できる重さではないのに対してこちらは780gとかなり軽く仕上がっているのが特徴です。そのため8x30mmクラスの双眼鏡に比べてしまうとかなり重いのですが、それでも7x50mmクラスの双眼鏡よりはだいぶマシというレベルです。
 おおよそ製造年が昭和40年前後らしく、各コーティングもシアンのモノコートですが、さほど視野の暗さというのも気になりません。BL型ですが、対物セルにエキセンリングが組み込まれており、最終的にはエキセンリングで視軸を微調整するタイプです。
 かなり長年タバコの煙に晒されていたようで、貼側の表面などがヤニでコーティングされており、中性洗剤を薄めたものをつけた歯ブラシで何度もこすっては拭きを繰り返すと今度は貼革の艶がなくなり、今度はシリコンの艶出しスプレーを布に染み込ませて塗布。
 対物レンズは裏側が若干曇っていた程度でカビのスポットはありませんでしたが、対物側から内部を覗いてみるとプリズムに若干カビのスポットが見受けられました。そのため、まず対物レンズを外して表裏を洗浄し、組み付けた後に接眼レンズアッセンブリーを抜いて接眼ガイドスリーブをベルトレンチで外し、鏡板のスクリューを抜き鏡板を外すとBL型特有のプリズムアッセンブリーが現れます。
 このプリズムアッセンブリー板をスクリュー3本を抜いて筐体から外し、対物側、接眼側のプリズムを外してプリズム面を磨きますが、対物側には遮光板は入れられており、こちらはちゃんと黒染めされています。プリズムにもちゃんとモノコートされていますが、カビによる変質で若干スポットが残ってしまいました。
 接眼レンズも曇りがありましたので分解洗浄しましたが構成は3群5枚構成で対物側と接眼側が2枚構成の張り合わせ、真ん中は単玉でした。各面にはちゃんとモノコートされています。
 再組み立てして遠くの送電線鉄塔の先端で視軸のずれを確認し、エキセンリングで修正を試みるも左右は合わせられるも上下のずれがどうしても合いません、そのため、一旦接眼レンズアッセンブリを抜いて鏡板を外し、プリズムアッセンブリ板の3本のネジで上下の視軸を調整することになりますが、この際は筐体に止めてある3本のスクリュウーを少し緩め、その隣にあるやや細いスクリュウを調整してあわせます。上のスクリュウーを僅かにねじ込むことで視軸の上下はピタリと合いました。
 実際に視軸を修正したこの日吉光学の7x35mm10°とKenkoブランドの光機舎の7x35mm11°と比較してみると、光機舎のような圧倒的な視界の広さに驚くという感動は日吉光学のほうにはありませんが、それでも視野が広々としており、コントラストもシャープネスもそこそこ不満も無く、視界の端のほうの視界のゆがみもそれほど気になることはありませんでした。
 殆ど光学系は同一で筐体形式の違いしかないSimorブランドの日吉光学7x35mm 10°のZタイプと比較してみると、視角や視野の明るさなどは殆ど変わりませんが、SimorブランドのZタイプのほうが視野周辺部のゆがみがやや大きく、解像力がやや落ちるような印象がありました。プリズムの大きさが影響しているのでしょうか。
 ただ、SimorブランドのZタイプのほうが重量が610gに対してOCEANブランドのBLタイプは780g。日常使いにこの重量差が許容できるかどうかがどちらを常用するべきかの分岐点になりますが、個人的にはこの重量差なら丈夫なOCEANブランドのBLタイプのほうを使うと思います。
 また冒頭でも書いたとおり、この日吉光学OCEAN双眼鏡は国内向けの出荷のためJ-BナンバーもJ-Eナンバーも最初から付いていません。

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September 01, 2018

Kenko マイクロズーム5.5-10x20mm Mタイプ双眼鏡(東亜光学)

Dvc00102 ケンコーのちょっと変わったマイクロズームという双眼鏡で、ツアイスタイプのような筐体の実はミクロン型でさらにズームという双眼鏡です。形態的にはエイコーのブルズアイがズームになってより一層不恰好になったような双眼鏡です。ミクロン型のズームが珍しいのではないかと思いましたら今のプラスチックの皮が被った小型ズーム双眼鏡はみなミクロン型ですからその今の小型ズーム双眼鏡を先取りしていたということでしょうか。
 この双眼鏡はケンコー自身が製造したものではなく当然のことOEMで作った会社は輝けるJBナンバーのファーストナンバーを獲得したJ-B1の東亜光学です。この会社は現在東京都の三鷹市で医療機器を製造している東亜光学と同一だと思われますが、その前身は戦時中に補助的に陸軍の13年制式6x24双眼鏡を製造していた東亜光学研究所で、戦後は昭和20年12月に発足した日本光学機器工業組合のメンバーに名前を連ねています。
 終戦後早いうちからミクロンタイプの双眼鏡を製造し、その殆どが海を渡りましたが昭和20年代から30年代前半は本家の日本光学だけではなくこの東亜光学のようにかなりの業者がミクロンタイプの製造に携わっていたようです。というのもZタイプの双眼鏡部品同様にミクロンタイプのパーツも分業体制が出来上がっていて、おそらくは部品ブローカーに何百台というよう発注をかけると過不足無くすべての部品が納品され、あとは組み立てて調整するだけの仕事だったのでしょう。
Dvc00100 この時代には基本はミクロン型ながら少しスタイリッシュな外殻を被せたニコンのルックのような小型双眼鏡が大流行し始めた時代にあえてツアイスタイプの外殻を持つミクロンタイプが意味があったかは知りませんが、この時代にズームのメカを格納するためにはまだ内部にも余裕があるこの形でなければいけなかったのでしょうか?ズーム連動機構はギアではなく鳥居の部分に溝が刻まれており、このスリットの中を左右を連動させるための細い金属のベルトが入るもので、ズームもレバーではなく視度調整のようにリングを回して変倍させるものです。
 某フリマサイトで購入したこのケンコーのマイクロズームは送料込みながら当方としてはやや高めの購入金額でした。まあこれを使用するという目的はまったく無かったのですが、分解前にいちおう覗いてみると遠くの送電線鉄塔がきれいに左右に分かれています。対物レンズは小口径ながらエキセンリングが仕込まれていてこれで視軸調整するらしいですが、はたしてこの口径の小さな対物レンズのエキセンリングだけで左右に離れた像を追い込むことができるのかどうか?
 対物レンズ筒を外し、対物レンズ枠を外してモノコート2枚合わせのレンズを磨きますが、取りきれないカビのスポットはありませんでした。エキセンリングにグリスアップして元に戻し、対物側鏡板を止めているネジを抜いてこれを外すと対物側のプリズムが現れます。このプリズムは対物径の小ささゆえにかわいらしい大きさですが頂点が平らに削られていて台形をしたプリズムです。プリズムにもシングルコートが施されていますが、迷光防止のための処置はまったくありませんでした。小口径ゆえにあまり心配ないものなのでしょうか?
Dvc00101 次に接眼レンズアッセンブリを抜くために対物側のビポット部分からマイナスドライバーで昇降軸抜け止めネジを外したのちにフォーカシングリングを回して接眼レンズ部分をすっぽりと抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、接眼側鏡板のネジを一本抜くと接眼側プリズムに達しますが、この双眼鏡はズームの連動メカニズムと視度調整双方ともに右の接眼部にあるため、左右の接眼筒の大きさが異なり、接眼スリーブガイドも右が太くて左が細いという違いがあります。接眼側のプリズムも対物側と同じく頂点がカットされた台形方プリズムです。
 接眼レンズ部分は曇りもカビも無く割と状態が良好だったため、分解はせず、左右の連動がややきつかったためにベルトの摺動部分に給油しただけでよしとしました。
 組み立てなおしたのですが、対物のエキセンリングだけでは左右の像を一致させることが出来ず、またプリズムは鏨で位置を固定され、殆ど動きしろがない状態のため、この鏨の打痕をミニルーターで削ってプリズムの位置をずらしたかったのですが、現在この筐体に入るような適当な工具が無くて、現状での視軸調整は断念しました。
 まあ、あまりこういう無骨な形のミクロンタイプ、さらにズームというのが無く、コレクター心をそそられる双眼鏡なのですが、実用的にはこのサイズでズームというのも不要で、単焦点のエイコーブルファイトのようなもののほうが多く残っていることを見てもまあ技術とコンセプトの先走り感が強い双眼鏡です。製造番号の捨て番から推察すると昭和41年の製造となるでしょうか?
 それで戦時中からの老舗双眼鏡メーカー東亜光学ですが、昭和46年12月に始まったドルショックおよび昭和48年からのオイルショックによる材料費高騰で双眼鏡の製造からは縁を切って業種転換に成功したようで、双眼鏡と縁を切ったことがいまだに命脈をつなぐ結果になった賢い選択だったようです。
 

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August 31, 2018

アース光学スーペリアオペラグラス(2.5x25mm?)

Dvc00110 アース光学という会社は戦前に広く普及品のオペラグラスを多数発売していた会社ですが、どちらかというと昭和13年発売のグッチという豆カメラのほうが有名かもしれません。このグッチは20mmx20mmの画面を持つ裏紙式の独自のフィルムを使用するもので、特に少年向きのおもちゃカメラ的なものだったようですが、オペラグラスのほうも少年が小遣いを貯めれば購入できる程度の普及品が多かったようです。それでも中には対物レンズが2枚合わせの色消しになったものも存在したようです。
 その普及品の製造に徹したアース光学ですが、戦時中は民生品の製造が禁止になり、海軍の艦載用大型双眼鏡や陸軍13年制式似の6x24mmのIFおよびCFの双眼鏡をGELBONの商標で製造していたりしたようですが、昭和20年3月の空襲で灰燼に廃してしまったのか、戦後にそのアース光学の直系の会社は存在していないようですし、終戦直後の昭和20年12月に設立された日本光学機器工業会15社の中にも名前を連ねてはいませんでした。
 また豆カメラのグッチのほうも部品のプレス型を持っている会社は無事だったようで、戦後すぐに別な名前でアース光学以外の会社により再発売されたようです。
 そのアース光学の戦前発売のおそらく2.5倍25mmくらいのオペラグラスですが、アース光学のオペラグラスとしてはアンダーラインに属するような普及品で小型のものであり、対物レンズも接眼レンズも単玉レンズのような構造のオペラグラスです。それでも戦前の余裕のある時代の製品か革巻きも本物のシボ皮ですし、付属のケースも分厚い牛革ケースです。光学的には極小サイズのトーコープライドあたりのオペラグラスと変わりないのですが、それでもヨーロッパ発信のオペラグラスのコピーですから優雅な趣があり、今出来のプラスチックの成型品でレンズもプラスチック製のオペラグラスとは一線を画します。
Dvc00109 また現在ではどんな複雑精密な金型を作ることが出来ても、すでにこういうものの部品を全てプレス加工で作る技術というのは絶えてしまったようで、二度とこういうもを作るノウハウが無くなってしまったというのは何か寂しいような。
 何せ製造後に80年近く経過した製品ですので元はどうだか知りませんが、今は遠くの送電線がきれいに分かれて見えてしまいます。特にこの時代のオペラグラスには視軸を調整するようなネジの類は存在しないので、おそらくは木の中子のようなものをはめ込んで、木槌で叩いて直接鏡筒の視軸を変えてしまうのではないかと思ってます。まあ低倍率ですが、そういう視軸調整は勘と経験が要るかなりの名人芸だったでしょう。
 それで対物も接眼も色消しのない単玉だとしましたが、鏡筒内部に遮光絞が入っており、これによって迷光を防止してコントラストを確保し、色収差も目立たなくしているのでしょうか?筐体内部には丁寧な黒塗りが施されていました。

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August 25, 2018

東京光学機械陸軍89式7x50mm7.1°双眼鏡

Dvc00104 日本の軍用双眼鏡はコアなマニアがいるためにオクでも当方が首を突っ込むような落札価格ではないのですが、こちらは希望落札額が付いていたためにタイミングよくゲットした物件です。出品者はどちらが本命と思ったのかは知りませんがミノルタ版EOS KISSのようなプラボディのオートフォーカスフイルムSRLカメラと交換レンズ2本の抱き合わせでしたが、この時代のプラスチックカメラにはまったく興味が無くレンズも内部カビ玉だったためこちらは完全放置状態。
 いわゆる陸軍の監視用双眼鏡である89式7x50mm7.1°ですが、兵庫県内の対空監視所もしくは高射砲部隊で使用されたらしく、ボール紙にカーキ色のキャンバス地を被せた布ケースが付属していました。このケースは以前入手した88式7.5cm高射砲の付属物である砲金製弾道計算尺のケースと作りと同じです。
 この東京光学機械製89式双眼鏡は日本光学のノバーの光学系を採用しながら対物筒などにアレンジが加えられ、当時のツアイスの双眼鏡のように対物筒が二重になっています。そのため、海軍用のノバーよりは衝撃などに対して丈夫なのでしょうがやや重い双眼鏡です。これを手持ちで敵機の来襲を監視していた兵はさぞかし大変だったと思います。陸軍の砲隊鏡などと同様に右の接眼部に十字のMILスケールが刻まれています。
 東京光学機械、後のトプコンは昭和の7年に陸軍の要請で服部時計店の資本で昭和8年に板橋区の志村に設立された光学会社です。それというのも日本光学は海軍主体の海軍色の強い会社だったため、非常時に光学兵器を滞りなく入手するためには日本光学とは別の会社が必要だということだったのでしょう。これが後に陸軍の御用光学会社集まりである八紘会に繫がってゆくようです。
Dvc00103 戦時中は東京光学機械では捌ききれない受注を抱え、この八紘会の光学会社が補助的に13年制式6x24mmなどの双眼鏡を生産してゆくのですが、板橋の志村周辺にはそれらの双眼鏡の部品の外注業者が数多く集まり、戦後はそれらの外注業者が輸出用双眼鏡の生産を始めるという歴史がありました。
 その東京光学機械製89式7x50mm双眼鏡ですが、多くの戦前戦中双眼鏡と同じくグッダペルカ(天然樹脂)で作られた貼革がほんの僅かしか残っていません。まあ少しでも残っているだけマシなんでしょうが、この素材は代替品がないので困ってしまいます。今出来の酢酸ビニール製の皮もどきは厚みが薄すぎて本体の重厚感に負けてしまいます。鏡板などのプレスパーツは肉厚の真鍮製で少々のことでは凹みそうもないのはさすがに陸軍用だけのことはありそうです。
 この双眼鏡、対物筒の外筒が斜めに無理やりねじ込まれていて内筒がなかなか抜けず、構造も理解していなかったため苦労しましたがとりあえず対物側のプリズムを取り出せるまで分解することに成功。戦時中の双眼鏡なのでレンズにはまだコーティングがなく、少しでも内面反射を抑えてコントラストを高めるために内部は丁寧な反射防止塗装がなされ、プリズムには遮光カバーが被さります。コーティングがないおかげでレンズもプリズムもきれいに拭きあげることができましたが、日本光学のノバーのようにバルサム切れはありませんでした。このバルサムはカナダバルサムで戦前に輸入したものを消費していたらしいですが、本当の戦争末期になると代替品として国産の松脂から精製したバルサムでも使用していたのでしょうか?それを考えるとまだ物資が枯渇し切る前の製品かもしれません。グッダペルカも分厚い革シボ模様の入るものでしたし。
 プリズムポケットは対物側も接眼側も工作精度は良好でした。接眼レンズは外側が2枚貼り合わせの2群3枚のケルナータイプで右側の接眼筒に十字のスケールが刻まれた硝子がはめ込まれています。
 実際に遠くの送電線鉄塔の先端を見ながらエキセンリングで視軸はピタリとあわせることが出来ました。ノーコートのレンズ・プリズムの組み合わせですから反射ロスで視野が暗いのは仕方がありませんし、日中のコントラストも低いのですが、シャープネスはその割りに高くて解像力もある感じはあります。
 まあ光学兵器の類ですからこの双眼鏡で敵機を見落として空襲警報が遅れるわけにはいかないため、押さえる部分は押さえてあるという感じでしょうか。これ、レンズすべてとプリズム類を今出来のものと取り替えてしまうことも可能ですが、それをやってしまうと戦時資料としての価値が無くなるので、これはそのままにしておいたほうが利口でしょう。
 それで今回気が付いたことなのですが、この89式双眼鏡の見口はベークライト素材でネジ部分は金属が埋め込んであるなどとても手間の掛かった作りなのですが、どの見口も合わなかったダウエルのIF双眼鏡にぴったりでした。微妙にネジのピッチが合わなかったのですが、実はダウエルの成東商会は戦前双眼鏡の部品などを貯めこんでいて注文があるたびにそれを引っ張り出して使用していたのでしょうか?プリズムカバーなども戦前双眼鏡の手法ですし、貼革も妙にごつごつな感触なので本物のグッダペルカかもしれません。もしかしたらこのダウエルの双眼鏡は戦時中の部品をどこからかかき集めてきてそれを組み立てていたのかもしれませんな(笑)

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August 20, 2018

Copitar 8x35mm 10度 Z型広角双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00091 コピターの双眼鏡は国内でも多数出回っているブランドの一つですが、そもそもは昭和29年5月に荒川区日暮里で創業した高久光学工業が名称変更となった会社です。当初、輸出向けの双眼鏡の製造会社でしたが、いつのころからか商社化し、アメリカあたりにもコピターの名前でかなりの双眼鏡を輸出していました。昭和40年代末のドルショックを乗り切り、昭和50年代には内需の拡大にシフトして雑誌などでズーム双眼鏡の広告まで出していましたが、このコピターは現在コピタージャパンとして輸入双眼鏡のネット販売などで存続しています。
そのコピターですが昭和40年代から50年代にかけては板橋のかなり特徴のある会社にOEM生産させた双眼鏡を国内外にコピターブランドで発売しており、けっこうこの中にはOEM製造業者の中では優秀な双眼鏡もあるし、よく名前もしらないような製造業者の双眼鏡もあるという玉石混合状態であることが面白く、コピターブランドの中から玉石の玉を探し出すというのもけっこう面白いと思います。
そのコピターは昭和40年代中ごろから50年代に掛けてはやはりズームタイプの双眼鏡が主流だったようで、当初光機舎あたりがOEM先だったものの50年代には何か写真レンズのように対物レンズ内側に刻印の飾りリングがある特徴的なズーム双眼鏡に変わったと思ったらこれはJ-B56の遠州光学のOEMだったようです。
Dvc00090 中には超広角双眼鏡として各社のOEMがある光機舎のBL型8x35mm11°という玉もあれば凡庸なZタイプ板橋輸出双眼鏡の石っころもあるので、同じコピターの双眼鏡群でもいかに玉を掴むかという面白さがあります。
 このコピター8x35mm10°の広角双眼鏡は先日オクで入札していて、これだけでは送料がもったいないとテルスター2台まとめてと一緒に入札したら、このコピターだけ高値更新され余計なテルスターだけが手元に届いたという因縁の双眼鏡です。そしてこちらは某フリマサイトで660円で購入しました。というのも直前に扱ったLinetのFIELDMASTERそっくりの外見だったので名前はコピターでも中身は某社製ということいを確認したかったということもあります。
 届いたコピターの7x35mm10度の双眼鏡は取り説こそありませんでしたが外箱にソフトケース、キャップ一式にシリコンクロスと接眼レンズに嵌めるタイプの黄色いフィルターまでそろっています。対物レンズの内側が若干曇っているだけのシロモノでしたが、全体的にタバコのヤニでコーティングされているような状態で、外箱は拭くわけにはいきませんが、ソフトケースや本体はまずマジックリンと歯ブラシでヤニのクリーニングから始めなければいけませんでした。
 そしてとりあえず表の送電線鉄塔を覗こうと思ったらフォーカスリングがまったく動きません。多条ネジの部分のグリースが固着しているのかと思い、下陣笠を外してここからチューブを差し込んでCRC-556を少し吹き込んで少し時間を置いてもフォーカスリングはまったく回らず、最後の手段と上陣笠を外してそこから接眼レンズ部分を分解しようと思って真鍮のストッパーネジを外しにかかったら何と昇降軸がぽろりと折れてしまいました。昇降軸は金属の挽きものではなく、何と亜鉛ダイキャストにユニクロメッキかなにかを掛けただけのもので長年湿気にさらされたことによる経年劣化で内側に止めねじを嵌めるためのネジ穴加工された多条ネジ部分が加水分解して膨張し固着。さらに材質自体が湿気の進入で砂を糊で固めたような状態になってしまったためペンチ挟もうとすると崩れてしまうように劣化してしまっています。
 普通だったらここであきらめて送料分含めて大損だったと後悔するのでしょうが、そういうときに部品取りで使えるようにストックしてある本当のジャンクの双眼鏡の中から昇降軸とフォーカスリングを流用してしまえば何とかなりそうだとひらめいて、取り出したのがプリズムの端が欠けていてプリズムが平行に置けないテルスターのSports 120GXとかいう茶テルスターの12x30mmでフォーカスリングの色は違えどもデザインはまったく一緒。昇降軸もこちらは金属の引き物なので寸法さえ合えば流用が可能だと思ったのですが、実際にやってみたらこれがビンゴでした。元の接眼レンズアームビボット部分に残っていたダイキャストの残骸が固着していて抜き出すのが大変でしたがテルスターの昇降軸の寸法は寸部の狂いも無く取り付けることができ、一件落着です。 ただ、昇降軸の受けの部分のスリーブに若干の寸法誤差があるためか、ややガタがある感じがしますが、同寸で加工されていてもメーカーの違いで誤差が生ずるのは仕方が無いでしょう。でもやはり双眼鏡折りたたみ動作のときのバックラッシュは気になります。
 それでこの双眼鏡の製造元はLinet同様に鎌倉光機で間違いないと思います。ただ、対物レンズはまったく同じ濃いパープルとマゼンダのコーティングの組み合わせでしたが接眼レンズのコーティングが異なり、Linetは対物レンズと同じマルチコート風のコーティング。こちらは薄いシアンのシングルコートでした。ただ、Linetが7x35mmの10.5°でこのコピターが8x35mm 10°という違いがありますが、見え方や見える範囲などは双方に違いは殆どありません。何かLinetよりも空が若干狭くなった気がするのですが、それは実視角よりも倍率によるものでしょうか。
 真ん中の解像力はそこそこですが、やはり周辺部は直線が曲線になるのは仕方がありません。
 このコピターは付属品が充実していて接眼部に被せる黄色のフィルターや角付きのゴムアイカップは透明なビニールケースに入れられたままの未使用でした。また両方の接眼部を覆う長円型ゴムの接眼覆いも小雨に遭遇したときなどには重宝しそうですが、こういう細かい付属品をそろえて割りと定価が高めで実売価格はそこそこというビジネスだったのでしょうか。
 コピターは雑誌広告なども行っており、箱のデザインなんかも凝っていますが、いまひとつブランドとしての地位が確立しなかったのは仕入先がバラバラで「これ」という商品イメージがなかったことで高級品になりきれなかったことが大きいかもしれません。何か一つ業界を驚かすような超高級なアポクロマートの天体観測専用双眼鏡などというものが一つでもあったらもっとメーカーとしてのステータスはあがっていたでしょう。企業にとってはこういう企業を代表するイメージリーダー的な商品は必要です。

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August 19, 2018

Kenko 8x30mm 10°Z型広角双眼鏡(大塚光学)

Dvc00093 ケンコーの8x30mm 10°のZタイプ広角双眼鏡です。これ、ケースや説明書、シリコンクロスや説明書・保証書まで揃っているものを某フリマサイトで送料込み1500円で購入したものの、覗いた像が2つに分かれて見えるのとレンズの内側がやや曇っているとのことでしたが、それくらいならオーバーホールと調整で元の状態に戻りそうです。
 そもそもケンコーは光学総合商社のためにさまざまなOEM先からケンコーブランドの光学製品を仕入れており、年代によって仕入先もいろいろと変遷しているために、実際に何を掴んでしまうのかという楽しみがあります。しかし、ケンコーも昭和60年代にはフィリピンの現地工場からの仕入れがメインで、こういう何を掴むかというわくわく感はうせてしまいました。
 そして届いたケンコーブランドの8x30mm 10°の双眼鏡は製造メーカーコードが残っておりそれによるとJ-B46の大塚光学製でした。大塚光学というと自社ブランドDiaStoneで海外でも有名ですが、どうもBLタイプの双眼鏡のイメージが強くてこういうZタイプの双眼鏡は影が薄い感じがします。
 それでも広角10°という双眼鏡は限られたメーカーでしか作れないため、見掛けは平凡ながら秘めた実力のある「羊の皮を被った狼」的な双眼鏡です。
Dvc00092 まず分解を始めてわかったことは、すでに対物セルがプラスチック製でエキセンリングを仕込めないため、筐体に仕込まれたイモネジで視軸調整するタイプの割と新し目の双眼鏡だったことです。それでも保証書の用紙の印刷年が昭和49年1月なのでおそらくは50年代初期の双眼鏡ではないかと思います。オイルショックを経過して原材料高騰のためにコストダウンの工夫が入り込んだことが伺える構造の双眼鏡ですが、いまだ主要部品は金属製のため、妙に安っぽさはなく、重量も550gと普通の8x30mm双眼鏡と変わりません。
 イモネジ部分の貼り革を穿り出してネジを緩めプリズムを外しますが、曇りはあるものの醜いカビ跡はありませんでした。イモネジで視軸を修正するタイプなのでプリズムは弾性のあるゴム系の接着剤で固定されていますが、プリズムを洗浄するためこれを半割り状態にしてしまうため、再度取り付けても元の弾性を失って、なかなかイモネジで視軸を追いきれないことがあります。その場合はイモネジを緩めてもう一度プリズムを取り出し、再度位置決めしてからやり直すとうまくいく場合がありますが、これは上下が追い込めなくて苦労した物件です。
 実際に覗いてみると薄いアンバーコーティングのこともあり、やや視野は青に傾くカラーバランスですがおおむね良好。ただし8倍ということもあり視野角が10度でもさほど空が広いと感じる感動はありません。それでも並みの7.5°の双眼鏡よりは広々していますが、当然のこと視野周辺は直線がぐにゃりと曲がって見える渦巻き収差があるのは仕方がありません。
 中心部ももう少し解像力があればいいのですが、それは35mmと30mmの微妙な違いも影響しているのでしょうか。

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August 16, 2018

Linet FIELDMASTER 7x35mm 10.5°Z型広角双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00078 Linetというのはアメリカの仕向け先ブランドの一つで特に広角双眼鏡のFIELDMASTERという名前で日本製の双眼鏡を昭和30年代初期からアメリカ国内で売り出していた商社です。
 そのため、同じLinetネームでもかなりいろいろな製造メーカーの双眼鏡が入っており、画像を見るだけでも光機舎あり、日吉光学あり、そして大塚光学もありという感じで、広角双眼鏡を作れるところからとにかくかき集めたという感があります。
 そして広角はZ型ですむもののやはり超広角ともなるとBL型ではなくてはダメで両方作ることの出来る会社ではないと取引が出来なかったのではないかと思われるような商社ブランドです。
 その中には日吉光学製BL型7x35mm 13.5°という市販手持ち双眼鏡史上一番とも思える超広角双眼鏡もあったそうですが、現物を見たことが無いのでちょっと興味があります。
 そういえばネット上の質問欄にLinetという双眼鏡についてという問い合わせがあり、それに「世界あまたの有名光学メーカーにLinetという会社はなく、ライカのマークに類似しているので登録商標は日本を含めた欧米では取得できないので中国製の安物だ」と自分の思い込みで断定している回答があり、噴出してしまいました。この方、日本の有名双眼鏡メーカーが数多の相手先ブランドのOEMで海外に渡り、貴重な外貨を稼いできたことはご存知ないようで、すべての双眼鏡はNikonみたいに独自の商標で輸出されていたと思われているようです。日吉光学にしても日本の双眼鏡業界ではビッグネームですが,誰がOceanのブランド名を知っているでしょうか?
Dvc00077 その広角専業アメリカブランドのLinet FIELDMASTER 7x35mm 10.5°というZタイプの双眼鏡ですが、なぜこれが日本に出回ったのかはわからないものの、たまにLinetの双眼鏡は国内からも見つかるようです。画角10.5度はプリズムの大きさに制約のあるZタイプでは限界値かもしれず、Linetでもこれ以上の超広角双眼鏡はBLタイプのようです。先日入手したKenkoブランドのBL型7x35mm 11°があまりにも重くてとても日常使いできないことから軽くて使い勝手が良さそうなことから落札したものですが、果たして実用的にはどうなのでしょう。Linetの双眼鏡は広角、超広角という特徴から板橋でも技術のある上級メーカーのOEMが多く、変なものはつかまないと思いますが、はたしてどうでしょう。
 届いたLinet FIELDMASTER 7X35mm 10.5°の双眼鏡は対物側プリズムの端に明らかなカビのスポットがある以外はおおむね殆ど使用もされていない双眼鏡でした。VIOLET COATEDという表記がありましたが、これ先日どこぞのメーカーの双眼鏡で見たばかりですね。その対物レンズのコーティングは濃いパープルとアンバーコーティングを組み合わせた複雑な色合いのコートで昭和40年代末のマルチコートの写真レンズを見ているよう。後玉が大きな接眼レンズもこのマルチコート風のものが使用されています。接眼レンズはエルフレに間違いないと思うのですがややアイレリーフが長いのでレンズ構成を若干アレンジしたものなのでしょうか。
 この手のZタイプの分解はなれたものなので、まず対物筒から分解し対物側のプリズムを外して無水アルコールで洗浄しましたが、筐体内部は丁寧な反射防止塗装が施され、プリズムのポケットは微動だにしないほど加工精度はいいようです。ただし調整のための錫箔が施されていました。対物レンズはエキセンリングで視軸調整するタイプなので対物筒からレンズを外してレンズ洗浄ついでにエキセンリング部分にグリスアップしておきます。
 つぎに接眼側のプリズムを洗浄するために対物側から昇降軸ストッパーのネジを外して焦点調節リングを回して接眼レンズアッセンブリーを抜居た状態から鏡板のスクリュウ左右で一本ずつ抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、鏡板を外して左右ともにプリズムの洗浄を実施。こちらのプリズムポケットの加工精度良好でしたが、こちらも一箇所錫箔で修正が入ってました。プリズムポケットの加工精度が良いため、エキセンリングのみの小調整で簡単に遠くの送電線鉄塔の天辺を一致させることが出来ましたが、その見え方はKenkoの7x35mm 11°ほどの感動はなく、左右は広くなったのに上下が少々窮屈な感じがします。日吉光学製Simor 7x35mm 10°と比べても0.5°の差などというものは殆どありませんでした。
 肝心の見え方ですが、やはりエルフレを使った双眼鏡がどれも同じようにコントラストとシャープネスがいまひとつながら真ん中の解像力はなかなかのもので、並みの板橋双眼鏡をはるかにしのぎます。端に行くにしたがって像が甘く渦巻き収差がきつくなるのはエルフレの超広角双眼鏡に共通します。まあ像の均一性はありませんが、やはり圧倒的な視野の広さは魅力的です。コーティングのせいでUVとブルーライトがカットされるようで、視野がやや茶色っぽく見えます。
 それで肝心のこの双眼鏡の製造元ですが、鎌倉光機製に間違いありません。なぜならばOEM先に関係ないCAT'S EYEのマークが小さく入っています。鎌倉光機は自社の名前は絶対に入れない代わり、先日のBL型ズーム双眼鏡のようにプリズムプレートのネジを外して取り出したら中にJ-B133の刻印があったり、トリポッドカバーにJ-B133の刻印があったり、必ずどこかに鎌倉光機が作ったことの証明みたいな証拠が隠されているような気がします。筐体内部の加工精度などをみても超広角双眼鏡を作れる技術力を見ても並の板橋双眼鏡組み立て業者に出来るような仕事ではなく、やはり選ばれた双眼鏡製造メーカーの仕事です。製造はシリアルナンバーの捨て番からすると昭和48年製でしょうか?
 しかし、これを中国製の双眼鏡と断定してしまった人は鎌倉光機の製品だなんて想像も出来なかったのしょうが、もしかしてニコン、ビクセン、ケンコーあたりは知っていてもそれをOEMで支える影武者的な鎌倉光機のような会社があること自体知らなかったのでしょうね。

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August 14, 2018

Vision 15x40mm 5°広角M型双眼鏡(成和光学工業)

Dvc00074 盆の入りで今年の6月に亡くなったばかりの叔父の家に行き、釣り道具置き場兼作業場の物置から出てきたものを頂いてきたものがこのビクセンのサブブランドだったVisionのミクロン型双眼鏡です。
 我々が小中学生の時には小型から大型に至るまで多種のミクロン型双眼鏡が作られていましたが「立体視が肉眼よりも縮小される」という欠点から超小型のミクロン型ならまだしも大型のミクロン型は意味が無いと考えて、最初から7x50mmのツアイス型一本やりだったのですから友人のミクロン型は手にすることがあっても自分からミクロン型を選ぶということはありませんでした。
 主目的が天文用だったということもありましたが、プリズムむき出しの双眼鏡は落としたら絶対にダメージが大きいだろうなということは気がついていましたし。
 そのミクロン型をカタログに大量掲載していたのがビクセンです。そのビクセンのカタログに掲載されていたのが俳優川口浩からの感謝のはがきで、確か若くして馬主だった川口浩が調教の様子を確かめるために双眼鏡を常用していたものの、それを軽量のミクロンタイプに変えたところ、肩こりがなくなり、マッサージにも通うことが無くなったというような内容だったと思いますが、今考えたら板橋の出来のよくない視軸のずれた双眼鏡を常用していたからそんなことになったのではないかと思ってしまいますが(笑)
川口浩というと我々世代はキーハンター、もっと若い人は川口浩の探検隊で川口浩が亡くなって30年が経過するもいまだに嘉門達夫の歌のおかげで忘れ去られないという俳優さんでした。
 そのあまり興味が無かったミクロン型(以後M型と省略)ですが、そもそもは大正時代末に日本光学がオリオン(陸軍13年式6x24mm)やノバー(海軍7x50mm7.1°)などとともに設計した民生用双眼鏡です。戦前から輸出されていたようですが、戦時中の製造中止を経て戦後は外貨獲得のために日本光学以外の各社でも製造および輸出を始めましたが、本来超小型双眼鏡であるはずのM型が本家の日本光学以外の手により独自に拡張し始めたのです。まあM型双眼鏡にあまり興味が無かったので記憶があいまいなのですが、最大50x50mmくらいのものがあったような気がしますが、それというのも日本人の高倍率高性能神話によるものでしょう。
 実はこのM型、ワイドだと低倍率ほど光束が太くなるためか大きなプリズムを必要とし、大口径高倍率になるほど光束が細くなるので小さくても済むという性質から30mmタイプの10倍と40mmタイプの10倍のものでは本体の見かけがまったく異なります。ホールド感は低倍率タイプのもののほうが優れるのですが、見掛けは極小タイプに近い本体の40mmタイプのほうが美しい、と個人的には感じます。
 また、このM型双眼鏡は日本光学オリジナルの対物レンズ部を繰り出して焦点調整する方式と、この双眼鏡のように接眼レンズ部分を繰り出して焦点調整する二つの方式があり、どちらが優れているとはいえませんが大型化したM型では対物レンズ筒を固定して接眼レンズ部分を繰り出す方式のほうが強度的にも合理的です。
Dvc00073 このVisionのM型、亡くなった釣り好きの叔父が昔、釣りに持って行き、釣り場のポイントを見つけたり周りの釣果を確認するために使用していたようで、夥しい釣り道具の中にまぎれて出てきたものを頂いてきたものです。JBナンバーが残っておりJ-B93の製造工場の組み立てです。対物レンズ内部カビ少々、プリズム曇りでどっちみち全バラシのうえレンズとプリズムの洗浄が必要なのですが、いままでM型双眼鏡に無関心で、かつBL型でさえこの間初めて分解したというM型初心者です。まず対物筒を取り外し、対物レンズをカニ目で回して取り出しますが、当然のこのタイプにはエキセンリングが組み込まれてなく、単にレンズを前から押さえ込んでいるだけでした。対物筒のネジの切り具合で微妙に焦点が変わるのかレンズ後部に極薄のシム2枚が左右ともに敷かれていました。
接眼レンズアッセンブリは回転軸カバーのアルミキャップを回して外すと軸ストッパーのネジが現れ、焦点調節リングを回して繰り出していくのですが、通常のZタイプと回転が逆。そしてプリズムカバーのネジを外すと長辺方向の2本のイモネジで固定されているプリズムが現れます。イモネジは貼り革で隠されているので左右とも千切れないように慎重にはがして、片側のネジだけ緩めてプリズムを取り外すのかコツです。これ、両側緩めてプリズム外すと後の調整で酷い目に逢います。実際やってしまいました(笑)
また、このネジを外さないでプリズムをこじり出すとイモネジが当たっている部分が欠けて調整不能になるかもしれないので、まずプリズムカバーを空ける前に貼り革をはがしてネジ位置を確認することから始めた方が無難です。またこのイモネジは1.2mmくらいのマイナス精密ドライバーが要ります。プリズム洗浄の後元に戻しますが、このプリズムポケットは短辺にまったく動く幅がなく、縦方向にしか微調整できません。
接眼レンズもそのままでも良さそうなものでしたが分解して洗浄することにします。独立した接眼レンズ筒がなく接眼レンズアッセンブリーのまま後ろからカニ目で押さえのリングを抜くのですが、玉はワイドタイプらしく3群3枚。真ん中が三枚貼り合わせのエルフレではなく、前後のレンズが貼り合わせ、真ん中の玉が単レンズの3群3枚構成の接眼レンズで、これは何という形式なのでしょうか?そのレンズですが分解して洗浄したまでは良かったものの、元に戻して実際に像を見てみると像が斜めに流れていたり接眼レンズ部からカタカタレンズが踊っている音がしていたりという組み立てで非常に苦労した接眼レンズでした。一番外側のレンズが組み立て時にひっくり返ったり、それを押さえるスペーサーがなかなか奥まで入り込まなかったり結構再組み立てで時間を取られた感じです。
 さらに合計4本のイモネジのみで視軸の微調整をしなければいけないM型双眼鏡は大変でイモネジの両側を緩めて取り出したプリズムはどういうわけか像が微妙に傾いていたりして、これをあれこれ調整してピタリとあわせるまでに試行錯誤を繰り返し、何やかんやで2時間はたっぷり掛かったような。像の転倒、水平の不一致というのはZ型以上に調整するのが大変で、最後にエキセンで微調整がない分これを調整する人は一種の名人芸だったような。
 まあ、こういう生産性の悪さと部品のプラスチック化が不能で部品コスト上昇に耐えられなかったというのが今にM型双眼鏡が残らなかった最大の要因ですが。
 この双眼鏡にはJ-B93の刻印が残っていたことは気が付いていましたが、その組み立て工場は板橋区板橋で昭和30年9月に設立された成和光学工業です。栃原光学同様にマイクロ型双眼鏡専業の会社で、おそらくはその殆どがビクセンに収められていたのでしょう。いちおう長谷川シールの痕跡も残っていました。いつごろからビクセンのセカンドブランドのVision名で製品を発売することになったかはわかりませんがおそらくは成和が創業当時、ビクセンがまだ光友社の時代からM型双眼鏡をビクセンブランドで納めていた会社なのでしょう。そのM型双眼鏡ですが、プラスチックに置き換えてコストダウンするという部分がなく、組み立て調整および金属剥き出しの部品にキズが付かないように細心の注意を払わなければいけないなどの理由からビクセンでは昭和50年代中ごろ、栃原光学あたりでも平成に年号が変わるのを待たずして製造中止になり、日本光学のミクロン型誕生から数えて60年余りでM型双眼鏡は終焉を迎えました。その後韓国でミクロン型の生産がされたようですが、鏡筒がプラスチックなどM型の本質的な良さを理解しない劣化コピーぶりで、市場からすぐに消えてしまったようです。
その後ニコンが復刻版のM型オリジナルを技術の継承目的で再発売したのはご存知のとおりです。

 さて、調整の終わったVision M型15x40mm 5.0°ワイドの実力ですが、さすがに15倍ながら視野が広いことは認めますが、中心部解像力はそこそこながらコントラストとシャープネスはほめられたものではありません。また15倍の倍率というのは当方にとっては倍率が高すぎて何の目的に使用したらよいのかの用途がわからないのですが、叔父のように釣りに出かけて離れているところで何が釣れているかどれだけ掛かっているかなどの確認のための双眼鏡としては小型で使いやすくていい双眼鏡だったのでしょう。もしかしたら大手の釣具チェーンかなにかに並んでいたものを購入したのかもしれません。そういう販売ルートのためのサブブランドの存在だったのでしょうか。

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August 13, 2018

Kenko 7x35mm 11°BL型超広角双眼鏡(光機舎)

Dvc00072 1円のゴミ双眼鏡の類ばかり覗いていたら目玉が曇りそうだったのでたまには当時の高性能双眼鏡として今でも人気のある超広角低倍率双眼鏡を入手。実はこの種の双眼鏡は狙っていたのですが、100円双眼鏡のほうが忙しく超広角双眼鏡一台とゴミ双眼鏡10台を計りにかけたらゴミ双眼鏡のほうが重かったということで後回しになってしまっていたのです。
 入手したのはケンコーのおそらくは昭和40年代初期の7x35mm 11°のBL型、いわゆる米軍が使用して進駐軍が日本に持ち込んだボシュロム型です。標準だと7.3°くらいが無理のないところ11°という超広角双眼鏡でこれがおそらく手持ちの双眼鏡の限界値かもしれません。
この手の広角双眼鏡は昭和30年代半ばころから輸出用として作られるようになり、Zタイプの7x35mm10°くらいが広角の限界だったものをBL型にしてプリズムを拡大し、光路を広げて11°まで高めた超広角双眼鏡が現れるようになったのが昭和30年代の末ごろでしょうか。その超広角のBLタイプの双眼鏡が得意だったのが光機舎と大塚光学だったようで、国内の光学各社へもこの2社の超広角双眼鏡がOEMで入り込んでいます。そもそもケンコー自体が光学総合商社として殆どの商品をOEMで国内各社に作らせていたために、種別や年代でいろいろな業者のものにお目にかかる可能性があります。ただ、そのために同じケンコーブランドでも年代種類により出来不出来の差があるようです。
 そのケンコー、現在はレンズメーカーとトキナーと経営統合し、ケンコートキナーになりましたが、そもそもの母体は昭和30年に輸出双眼鏡組立業として世田谷区北沢に設立された研光社(J-B108)なのです。ワルツカメラが倒産したことがきっかけで参入したカメラのフィルターが業界ナンバーワンのシェアを獲得したことを手始めに次々にカメラアクセサリー分野に積極的に進出し、短期間で光学総合商社として急成長した会社です。
 そういう雑多な混成軍の様相のあるケンコー製品ですからピンがくるかキリがくるかの楽しみがあるのですが、今回入手した7x35mm 11°の双眼鏡がキリのわけはなく、刻印されていたナンバーからJ-E25のダイキャストを使用したJ-B21の光機舎の製品であることがわかります。この超広角双眼鏡は他に大塚光学あたりも得意としており、たとえ仕向け先が変わってもだいたいこの光機舎もしくは大塚光学に当たる確立が高そうです。
 この双眼鏡は当時のケンコーの高級双眼鏡に共通した黒の牛革ケースに入った黒の牛革ストラップをまとったBL型双眼鏡で、35mm双眼鏡にしては横幅が大きく巨大な印象を受けます。また非常に重い双眼鏡で重さも960gと50mmのZタイプ双眼鏡よりもわずかに軽い程度の双眼鏡で35mmクラスの双眼鏡としては文句なしのナンバーワンでしょう。ちなみにニコンのマルチコート7x35mm 7.3度のZタイプは600g強しかありません。まだ大塚光学の超広角のBLタイプに行き当たっていませんが、他のズームタイプの双眼鏡の例からすると光機舎の双眼鏡よりも大塚光学の双眼鏡のほうが軽そうです。
この光機舎超広角双眼鏡の筐体は同社の8-15x35のズーム双眼鏡から流用しているようでどうりで大きくて重いわけです。専用のBL型筐体を用意すればもう少し小型化できそうなものの超広角ということから光路に余裕のある大きなプリズムが必要かつアイピースも太くなるため、ズーム双眼鏡と共通というのは必然性があったようです。
Dvc00071 革ケースを開けてびっくり金目鯛のような大目玉を持つ接眼レンズは対物レンズと見まごうほどの大きさ。見口のプラスチックも極端に短いということはアイレリーフが短いということで、これは正真正銘のエルフレが装着されているようです。エルフレというと往年のビクセン天体望遠鏡にエルフレ20mmが付いていたので、その性質はよくわかっていますが、真ん中の解像力はそこそこながら周囲の像は収差が大きく、コントラストが比較的に低いというようなことでしょうか。でも当時超広角というとエルフレあたりしかなく、その視界は驚異的に広かったものの、天体望遠鏡の接眼レンズにエルフレが必要だったかどうかは疑問でした。まあエルフレは低倍率の双眼鏡あたりのほうが使い勝手が良かったのでしょうが、こういう特殊どころの双眼鏡ではないと接眼レンズはケルナー止まり。こだわりの無いユーザー対象の双眼鏡はラムスデンで十分とディスカウント同眼鏡にはけっこう2枚玉のラムスデンが混じっていることがわかり始めましたが、このエルフレは真ん中のレンズが3枚貼り合わせの3群5枚構成です。当然接合面が多い事から光の損失が多く、ラムスデンなんかと比べるとヌケが悪く暗くなりそうな感じです。
 早速覗いてみたら遠くの送電線の鉄塔先端がわずかに分離して見えるのと、やはり長年の放置でグリス類の揮発成分が蒸発してプリズム表面を曇らせていたため、どっちみちオーバーホールです。
 まず、対物レンズ側から分解して対物レンズを取り出しますが、この対物レンズはBL型なのにエキセンリングで保持されていました。最終的には外側から視軸調整が可能なほうが生産性が向上するのですが、BL型のプリズム取り付けプレートのネジによる視軸調整の方法がいかに面倒くさいかということが今回も身にしみてわかりました。対物レンズを洗浄し、エキセンリングにグリスアップして元に戻し、今度は接眼側の分解に入りますが、こちらも通常のCFタイプのZ型同様に下陣笠を外してそこからマイナスドライバーを差込み、視軸シャフトの止めネジを外し焦点調整リングを回せばて接眼アッセンブリーが取り出せます。そして接眼ガイドスリーブをベルトレンチで外し、鏡板のネジ一本を抜いて鏡板を外すとプリズムプレートが現れます。このプリズムプレートの3本のネジを外すことで2つのプリズムが固定されたプリズムプレートを筐体から取り出すことが出来るのですが、このプレートを抜くのも嵌め込むのも少々コツが要り、特にはめ込む際はドツボに入り込んでしまい、なかなか嵌められないという現象に遭遇(笑)
 今回この2対のプリズムは底面も曇っていたためプレートから外して無水アルコールで洗浄することになります。プリズム表面はシングルコートされ、対物側のプリズムには遮光カバーが被せられているのですが、このカバーが黄色い光を放つ黒染めも無いブリキの板で、ダウエルの双眼鏡についていたものと大して変わりません。なぜ遮光カバーかというと広角の双眼鏡は視野がけられるので対物筒に遮光筒が装着できないのです。いままで「遮光筒も省略されているようなコストダウン」などと散々批判してきましたが、8x30mm双眼鏡なら視野角8.5°以上で遮光筒を逆に付けられないようです。これ誤解してました。
 それで洗浄して元の場所に収めたプリズムはプリズムポケットの加工も良好でポケットの端にたがねを入れてピタリとはまり込むようになっているため、それこそ一度外したところでさほど狂いは生じないと思ったのですが、一旦仮組みしてみると、何と左右の水平が無視することが出来ないほど狂っていました。こればかりはエキセンで修正するわけにいかず、けっこう数時間あれやこれやと試行錯誤繰り返したのですが、その間、プレートを再度外してプリズムを付け直してみたり、プレートがすんなり嵌めこめなくなったり問題解決まで本当に半日くらいの時間を費やしたことになります。
 結局はベースプレート上の1.5mmφくらいのイモネジ3本を対象物を観測しながら微妙に調整することで像の倒れと像の離れを解決。エキセンリングも併用して視軸の調整は完璧になりました。このネジ、もう少し調整しやすいように大きくして欲しいのですが、予めこう大掛かりに調整するのではなく、何らかの冶具上でプリズムベースプレートの水平か何かを出しておいてそのまま組み立て、あとはエキセンリングで最終調整するという方法を取っていたのかもしれません。
 調整の終わったこの双眼鏡の実際の見え方は周辺部は歪むののさけられないものの圧倒的に広い視野は大迫力でさすがは超広角というところですが、やはり接眼レンズの構成枚数が多い分だけ光の損失も多く、コントラストとシャープネスはあまり良くありません。真ん中付近の解像力ももう少し欲しいところですが、やはり解像力と像の均一性を求めるか、あくまでも広い視界を求めるかのコンセプトの違いでしょう。エルフレはアイレリーフが極端に短いので全視野を見るにはメガネを外すのは必須ですが、メガネを掛けたままでも並みの双眼鏡以上の視界で見えてしまいます。あと後玉の口径が大きく、曲線を描いているためためにもし後ろに太陽や明るい壁などを背負った場合、コントラストの更なる低下は避けられません。というよりそういう使い方は避けたほうが無難。
 それでも圧倒的に広い視野は星野や野鳥の観察、動きのあるスポーツ観戦や舞台鑑賞などに威力を発揮するのでしょうが、重さだけは避けようがありません。せめてこのクラスの双眼鏡が500gだったら常用しますが、プラスチック多用じゃ光学製品としての愛着は沸きそうもありませんしね。
 今NYヤンキーズで大活躍しているピッチャーの田中将大、駒大苫小牧高校2年のときに夏の北海道大会決勝で9回にリリーフで出て来たのをたまたまニコンの7x35mm7.3°で見ていました。そのときの相手の北照高校のバッターに投げた変化球が視野から消えてしまい、次の瞬間ライト側スタンドに入っていたというリリーフでホームランを打たれるシーンに遭遇しましたが、この双眼鏡ならボールをスタンドまで追い続けられたかもしれません(笑)

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