January 18, 2022

☆Relay☆ No.R-816 8"学生用計算尺

 ダブルスター時代のRelay No.R-816 学生用です。このアルファベットが頭につく品番はアメリカへの輸出品番と言われていますが、この昭和20年代末期から30年代には国内にも広く出回っており、必ずしも輸出専用というわけではないようです。この「R」が練習用とか生徒用を表し、800番台は8インチの片面計算尺を表します。ただ、アメリカでは昔から生徒用も10インチの片面計算尺が主流でしたので、この一連のR800番台8インチ尺が輸出されていたのかというと2、3のOEMブランドがあったのみで、さすがに8インチ計算尺はオフサイズ扱いだったようです。この8インチというサイズの計算尺はアメリカのほうが出現が早かったのですが戦前に早くも淘汰されてしまいました。
 日本では戦時中、旧制中学での教育のために作られたHEMMIのNo.2640が標準になったため、学生用計算尺というと8インチ片面尺というのが標準化してしまいましたが、この8インチというのは当時の教科書を開いたときにはみ出さないサイズということになっています。ただ、戦時中ということもあり、材料を節約するために2インチ短い計算尺を標準にしたという動機のほうが大きかったはずです。
 そのような8インチ学生用計算尺に√10切断ずらしが採用されたのは昭和25年頃にリリースされたHEMMIのNo.45だと思われますが、RelayではHEMMIに遅れてR-806とR-816という2種類の計算尺がほぼ同時にリリースされています。R-806はおそらく当時各社でよく作られた表面しかなく裏側に三角関数はおろかセルロイドも貼られていないというチープな初心者用ですが、このR-816はHEMMIのNo.45に対して表面にK尺まで加わった豪華版。当然のことながら裏面にも三角関数もL尺もあるのは昭和36年リリースのHEMMI No.45の改良版No.45Kよりもかなり早かったということになります。ただ、HEMMIのNo.45は相当な数が残っているのにも関わらず、このRelay R-816は珍尺に近いくらい数が少ないことからもわかる通り、HEMMI No.456の競争相手にはならなかったようです。また、滋賀のKIM氏も言われている通り、このR-816も例外ではなくセルロイドの経年劣化で左右の基線が一致しないのです。というのも剥がれかけたセルロイドをめくってみると、HEMMIでは竹の表面を接着剤の食いつきを良くするために加工してあるのにRelayは表面がつるつるのまま。それがどうやらセルロイドの収縮防止には何の配慮もなかったために、65年以上の経年で縮んでしまったということなのでしょう。また、このR-816は竹は組み合わせられておらず、単純に切ってみぞを加工しセルロイドを張っただけです。そのため、ある程度のエージングもなしに市場に出されたことも容易に想像されます。これも目盛のズレに影響しているはずです。表面はK,DF,[CF,CI,C,]D,A,の7尺で滑尺裏はS1,L,T1の3尺ですが三角関数はインバースではなく順尺です。ポケット計算尺のように携帯を意識した豚革製サックケースが標準で付属しているところが学生尺としては珍しいのですが、こちらも輸出を意識してのことでしょうか?当時のダブルスターリレー独特の弁当箱にような黄色いアルマイト処理がされた裏板で、表面セルロイドも光沢仕上げというのが目を引きますが、本当に計算尺として品質が上がるのはRelay末期のNo.84を待たなければいけなかったのかもしれません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製。発掘場所は愛知県内からでした。

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January 17, 2022

HEMMI No.254W-S Stadia 10"両面別製学生用(工業高校土木科向)

 今の測量というと急速に発展したレーザー測距とマイクロコンピュータと無線LANを内蔵したトータルステーションの取って代わられて久しく、今や測量現場は一人で行うことができるものですが、30年ほど前までは助手が持った標尺をトランシットもしくはセオドライトと呼ばれる三脚の上に乗った望遠鏡で覗き、2本の線の間に見える標尺の目盛り長さや角度を割り出して距離を測るということが街の中でも当たり前に行われたのです。その角度と距離の関係はスタジア表と呼ばれる数表や計算機を叩いて求めるのですが、以前はスタジア計算尺というものがあり、これにより数値を求めることも行われたのです。ただ、目視による測定は当然のこと誤差があり、さらに目視で角度目盛りを読むときにも誤差が生じ、さらに計算尺で数値を読み取るのにも誤差があるアナログ的な測量法なわけですから、GPS衛星が地球の周りをカバーしている時代には基本的な測量法ではあるものの正確さを担保しきれなくなってしまいました。そのため、この目視によるスタジア測量法というのは土木科目の基本的な測量実習と測量士補や測量士の試験問題の中でしかお目にかからなくなりました。
 当方、まったく土木分野には縁がなく、トランシットは覗かせてもらったくらいなのですが、相当昔に航空写真測量の基本が知りたくて測量士補の教科書を入手したことがあります。まあ、スタジア測量の項目はすっかり忘れてしまいましたが、大学の工学部土木専攻の男が測量事務所のアルバイトに出かけ、夏の炎天下の中で標尺抱えて熱中症になりかけたとか、標尺抱えてふと横を見るとマムシに注意の看板があってゾッとしたとかそんな話が伝わってましたが、大学で測量実習の単位をもらい、卒業して測量士補かなにかの資格がもらえたのだったかどうかはうろ覚えです。そんな土木では必須の基本技術のスタジア測量は現場の土木技師を養成する工業高校の土木科でも当然のこと行われており、実習で単位を取得すれば卒業時に測量士補の資格要件が与えられたはずですが、今や工業高校の工業化学科あたりでも完全週休二日制の通常授業だけでは単位が足りないのか、昔は卒業時にもらえた一般毒劇物取扱責任者資格も補習を受けないともらえないという話も聞きますので、今はどうなのでしょうか?そんな工業高校土木科の先生の要求でNo.254Wにスタジア目盛を追加した別注品バージョンのNo.254W-Sです。おそらくは各学校に営業を掛けていた内田洋行のみの扱いだと思います。数ある工業高校科目別別注品No.254W-Sの中でも土木科専用スタジアというのは土木科以外には必要なかったわけで、全国の工業高校土木科、しかもある一部の先生の要求だけで作られた計算尺だけに数は少ないと思われます。個人的な感覚としてはこの工業高校科目別の別注品No.254W-Sは東日本よりも西日本、特に大阪、兵庫、京都あたりから出てくる例が非常に大きいような気がするのですが、どうやら関西圏では戦前からの老舗教材社と各学校とのつながりが深く、内田洋行とのつながりの深いHEMMIよりもRICOHの取り扱いが大きかったような気がします。そのため、関西圏に食い込みたかった内田洋行が高校の担当教諭の「こんなものがあったらいいのに」を具現化しものが科目別No.254W-Sなのではないか、なんて考えたりもするのです。それだったらNo.269という選択肢だってあるのでしょうが、さすがに土木科全生徒に購入させるということから価格的なしばりもあったのでしょうか。いつのタイミングか工業高校の計算尺もポケコンに様変わりしました。「子供が工業高校に入学したので購入させられたが、2ヶ月で退学したので不要になった」などという親が出品したポケコンをオクで見ると、なんか「親の心子知らず」を実感させられます(笑)
 このNo.254W-Sのスタジアは出現数がここ15年ほどで両手の数よりも少ないほどだと思うのですが、それだけNo.254Wのスタジアのバリアントを要求するような先生が少なかったのでしょうか?入手先もやはり関西圏の神戸市でした。
このNo.254W-Sスタジアのの表面は普通のNo.254Wと共通でLL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1ですが、裏面がK,A,[SIN,COS,COS^2,TI,SI,C,]D,DL,L,となります。デートコードは「TB」と「UB」の実は2本まとめてで、それぞれ昭和44年2月と昭和45年2月のものです。どういうわけで一年違いのものが2本まとめて出てきたのか理由はわからないのですが、年子の兄弟が一年違いで同じ高校の土木科に入学したのだったら話はわかります。一年違いじゃお下がりというわけにはいきませんものね(笑)またこのスタジアバリアントは上下滑尺が同長のヨーロピアンスタイルのものがなく、K&E型のスタンダードスタイルのものしか見つからないようです。時代が下るに従い、わざわざ同長型を用意する意味と手間を失ったのでしょうね。次世代のフルログログ化したNo.254WNは当然のことK&Eスタイルオンリーです。

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Hemmi254wsstad

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December 31, 2021

NESTLER Nr.11M  5"マンハイム型計算尺

 ドイツのAlbert Nestler社はA.W.Faber社とArist社と並ぶドイツ計算尺3大巨頭の一角を担う歴史のある会社です。第二次大戦前は世界の60カ国に輸出しておりましたが、その輸出先には日本は含まれておらず。というのも大正末期から日本は計算尺を輸入するのではなく輸出する側の国になってしまったため、明治の末期ならともかく日本にドイツ製計算尺が入る余地はありませんでした。そのNestler社はシステムリッツやダルムスタットの計算尺を最初に市販した会社です。第一次大戦前のNestler計算尺はドイツが英国のように植民地からマホガニー材を入手するわけにはいかず、西洋梨という固くて緻密な木材を使用しているため、かえって丈夫で狂いのない計算尺を作ることが出来たようで、大正初めころにシーメンス社が海軍の送信施設の受注を狙って日本支社を設立し、ノベルティーとして関係者に配ったシーメンスシュケルトマーク入りのNestler5インチポケット尺は100年間日本の高温多湿の環境下にさらされてもまったく狂いはありませんでした。
 そのNestler社ですが、ドイツの南西部、ライン川沿いのラールという街に大工場を構えていたものの、連合軍の空襲被害により尽く破壊されてしまったとのこと。戦後、焼け残った建物に移転して生産を再開させたものの、新たな工場の再建は11年後の1956年まで待たなければいけなかったとのこと。そのときにはすでにほぼプラスチック製計算尺製造の方にシフトしていたようです。これは3社共通なのですが、最初にプラ尺に手を付けたのがAristだったそうで、それはすでに第二次大戦中のことだったという話です。
 戦前の西洋梨製のNestler計算尺の良さを知っているだけになんともチープで情けない計算尺ですが、それはそのはずで、これは裏側に宣伝用の社名などを入れるために作ったプラ製計算尺なのです。日本でいうと興洋商事の計算尺のように名入れギフト業者で扱う計算尺なのですが、ケースだけはやたらに立派な革製だということでまだ救われています。尺度も逆尺もないA,B,C,D尺に滑尺裏S,L,Tのみ。この形式番号Nr.11Mというのは末尾の記号で電気やリッツなどの頭文字でバリアントがあるようで、MはおそらくはマンハイムのMでしょう。入手先は愛知県の知多市近辺からでした。このNestlrtは1978年に計算尺の生産を終えましたが、晩年は山梨の富士計算尺か技研のOEMのプラ尺に移行していたようです。この工場は今では一部が記念館になって貴重な資料の展示場になっているそうな。

Nestler11m
Nestler11m2

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December 30, 2021

Keuffel & Esser No.4081-3 LogLog Duplex Decitrig 10"両面技術用

 久々のアメリカはK&Eの両面計算尺No.4081-3 Log Log Duplex Decitrigです。おそらくは戦前に入手したものがずっと日本の家庭のタンスの中に眠っていたようで(と思っていたのですが)、何年かに一度くらいこういう国内の埋蔵輸入計算尺にいきあたります。K&EのNo.4081-3はK&Eとしては初めてのログログデュープレックスで、1937年の発売ですから昭和12年。当時はまだヘンミ計算尺にはまだこういうタイプの両面計算尺がなかったために機械技術者にも電気尺のNo.153などが多用されている時代でしたが、元のオーナーがアメリカ帰りだったのかそれとアメリカ帰りの方からのいただきものだったのかその真相はわかりませんが、当時物のK&Eのケースや本体に日本人名が刻まれたものがまれに発掘されることがあります。このNo.4081-3はバリアントのNo.4080-3とともに戦争を挟んで十数年という決して長くはないモデルイヤーの後、1955年あたりまで続いたのですが、戦争というあらゆる産業が軍需という名のもとに人が駆り出された時代でしたからかなりの数が製造され、アメリカ国内に残っているようです。そのため、些細な違いだけでコレクターに4種類の分類が確定されているようですが、日本ではヘンミ計算尺さえも同一モデルの年代別分類が確定していないところがなんとももどかしいところです。
 このK&E No.4080-3とNo.4081-3のようなπ切断系両面計算尺に関してはかの宮崎治助氏が自著の計算尺発達史の中にも項目を設けてπ切断尺の非合理性に触れられているのですが、氏によるとNo.4080-3は三角関数が60分割の分・秒で刻み、No.4081-3が10分割のデシマルなんだそうで、当初から用途別で2種類用意しているところがさすがはアメリカの国力ということなのですが、誰の話だったか1939年頃からアメリカ本土では計算尺と計算機などが市場から一斉に姿を消したという話があります。ヨーロッパでの戦争と太平洋での戦争によって軍需産業が拡大することをすでに予測して密かに政府が確保に走ったのかも知れません。そのため、戦前のNo.4080-3及びNo.4081-3には兵器や軍需品開発に多用された、なにやら戦争の匂いが染み付いているような気もします。日本でいうと戦時尺のNo.153やNo.64みたいなものでしょうか。 実は相当昔にK&Eの4081-3を入手していたのですが、ケースからしておそらくは戦後のものらしく上質な茶皮のケースが付属していました。ところが例のK&Eカーソルバー腐れ症候群に罹っており、カーソルバーは粘土を固めたもののようにばらばらに砕けてしまい、便宜的にHEMMIのNo.251のカーソルを取り付けた段階でそのままダンボール箱行となってしまったため、その型番すら忘れていていました。
内容的にはHEMMIのNo.251以上No.259未満ですが、このNo.4080-3は基本が同じながら三角関数が分割されて細密計算できるものや、双曲線関数を備えるような型番違いが複数存在し、軍需産業でもジャンル別に対応できるようになっていたのが戦時中不要不急計算尺をどんどん減らしていった日本とは異なりますが、戦後もこの路線の延長で行き、新たな両面計算尺を出さなかったところにPIKETの各種両面計算尺やPOST No.1460 Versalogの市場での台頭を許してしまったのでしょうね。特に技術用として戦後は金属製でさらに多くの尺度を詰め込んだPIKETTに完全に取って変わられたという感があります。もちろんPIKETTはK&Eのシェアを奪うため、K&Eの両面尺をかなり研究して金属製というで多尺度詰め込みという独自の両面尺を作り上げたのでしょう。アポロ計画で月に行ったのも歴史のあるK&Eの計算尺ではなくPIKETTの計算尺でしたし。
 今回入手したK&E No.4081-3は前回のものと異なり皮もどきのケースが付属しており刻印の分類も1939年から1948年までのセカンドモデルです。シリアルナンバーは207162なのでまさに戦時中モデルということになり、そうなると戦前入手というよりも戦後進駐軍の払い下げ物資のなかに混じっていた一種のアメジャンの可能性が高いようですが。というのも入手先が八王子市近辺なので「16号線沿線アメジャン説」が成り立つような(笑)当然のことカーソルバーが腐れ症候群に罹っていてバラバラになりかけているのでネジを外さずそのままにしておきます。また以前入手した国内モノの4088-3もそうでしたが、カーソルバネが抜け落ちて喪失しやすいのかこの4081-3も皮シムが隙間にはめ込まれてバネの代わりにされていました。誰か3DプリンターでK&Eのカーソルバー作った人いませんか?

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December 16, 2021

技研計算尺 No.250S 10インチ片面高級検定用

 計算尺検定試験用に特化して各学校の先生たちの意見を取り入れて「検定用計算尺」を各種取り揃えていた山梨は技研工業の片面高級検定用計算尺の最終進化型、技研No.250Sです。No.250の滑尺上にB尺を追加してA尺B尺相互の計算が可能になっただけで、内容的にはまったくかわらないのですが、個人的にはNo.250は未使用新品で所持しているため、1尺追加の違いだけのNo.250Sに手を出すのは忸怩たるものがありました。それでもNo.250Sにしてもその残存数は非常に少なく、ここ15年ほどでオークションに出てきたものは両手の指の数にも満たないものがあります。ただ、つい最近オークション上に技研計算尺の未開封品デッドストックが次々に出品されていますので、やや有り難みは少なくなりました。そのオークションとはどうやら同じ鉱脈の出らしいのですが別ルートで入手したものです。技研計算尺の考査は以前、No.250のときに書き尽くしましたのでばっさりとカットしますが、昭和38年を境に旧型番と新型番が存在し、同形式番号でも違う計算尺が存在すること。昭和38年版の冊子型説明書に「大正計算尺」の記述の箇所に二重横線をして「技研計算尺」にスタンプを押したものが後に活字を「技研計算尺」に組み替えた改訂版が存在すること。昭和40年頃に一旦会社を清算させ、東京の富士計算尺の販売会社主導で設立された新会社富士計器工業に乗っかって新会社「技研産業」を設立し、以後は独自ブランドの販売をやめてFUJI計算尺やHEMMIの学生尺などのOEM製造専業になったという流れがあるようです。昭和46年にはドラフターなどの製図用品ムトウの傘下に入り、ドラフタースケールなどを製造しながら今に至りますが、20年ほど前まで会社には以前製造したものの納品しそこなったのかFUJIやHEMMIはおろか、技研ブランドの計算尺まで倉庫に転がっていたらしいというmyukiさん情報もあるのですが…。ただ最近、技研産業の情報が流れてこないので、もしかしたらこのコロナ禍もあってプレートなどの精密彫刻の需要も減り、開店休業状態かと心配しているのですが、その際、残留物が換金のため今回市場に流れたものであったら悲しいものがあります。富士計器工業の系統だったフジコロナ精器も中国製環境家電の輸入会社に業態変更したものの10年以上前に廃業に至ったようですし、山梨の計算尺に関わった会社の最後の牙城として存続していてほしいものです。
250s この技研No.250Sは高級検定用計算尺として発売していたNo.250の発展型でSはHEMMIの型番末尾のSを真似して「SPECIAL」のSなのでしょう。別にNo.250の別製で高校からの特注品というわけではなく、単なるNo.250のマイナーチェンジ版だと思うのですが、表面の滑尺上にB尺が加わっただけではなく、滑尺裏の三角関数尺の配置が変わり、さらにC尺が加わったことで滑尺を裏返してD尺DI尺と三角関数絡みの計算の利便性をより高めたということなのでしょう。尺度が表面L,K,A,DF,[CF,CIF,B,CI,C,]D,DI,LL3,LL2,LL1,の14尺。滑尺裏がST,T2,T1,S,C,の5尺で合計19尺に対し、No.250はL,K,A,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,DI,LL3,LL2,LL1,の13尺で滑尺裏がT2,T1,ST,S,の4尺ですからNo.250Sが2尺増えて合計19尺に対してNo.250は合計17尺です。上下の固定尺側の尺度に差はなく、滑尺の表裏だけ新しい目盛金型を起こしただけのことですが、19尺といえばRICOHの高校生用両面計算尺No.1051Sあたりと同じコンテンツなので、ここまで片面計算尺に詰め込む必要があるのかどうかははなはだ疑問です。まあ、追随して同様の計算尺を作ったメーカーもなく、FUJIにしてもNo.2125を高校生用として継承した程度ですから技研に生まれて進化を極め、技研で絶滅した片面計算尺の恐竜のようなものなのかもしれません。幅も5cmと両面計算尺のFUJI No.1280-T並の片面計算尺としては異例の幅広計算尺です。また、No.250は普通の蓋付きの貼り箱に入っていたものの、このNo.250Sだけは昔の筆入れのようなボール紙を芯にしたビニール製ケースに入っています。このケースのデザインは誰が設計したのか計算尺のケースとしては秀逸で、ケースのフラップを開けると上面下面に同じ形の窓が空いていて、この窓で計算尺の本体を親指と人差指でつまんで少し引き出してやれば楽にサックケースから本体を引き抜くことができるのです。逆さにしただけで蓋ごと本体が落下してカーソルを破損させたりしない細かいアイデアがすごいと思うのですが、このケースの形状はどのメーカーも継承しなかったのはなんとも残念なことで。製造年代は昭和39年に入ってからだと思うのですが、取説の巻末価格表は昭和38年1月1日現在のもの。ピンク色っぽい入山形の表紙で大正計算尺表記を技研計算尺表記に活字を組み替えた版のものなのですが、No.250Sの価格は掲載されておらず、マイナーチェンジ前のNo.250が高級検定用計算尺として掲載されていました。入手先は甲州街道沿いの府中市から。以前に技研計算尺が多く発掘されたのが同じく甲州街道沿いの千歳烏山だったので、もしかしたら甲府から東京に至る20号線沿線に技研計算尺のデッドストック鉱脈が未だに存在するかも(笑)

技研工業No.250S高級検定用(昭39年ころ)

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技研工業No.250高級検定用(昭和38年ころ)

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December 08, 2021

HEMMI No.257L 10"両面化学工学用

 当方、化学系の専門教育を受けているわけではなく、化学系の資格としてはたぶん一番下位の化学屋資格である一般毒物劇物取扱責任者しか所持していませんが、資格試験の勉強にあたっては改めて有機化学の勉強を1からやり直しました。まずベンゼン環にどういう物質がどう結合したらどうなるのかという分子式の問題や分子量、さらに濃度の問題などはかなり手こずりました。まあなんとか一度の試験で合格出来ましたが、その時の合格率は22%くらいだと思います。受験した当時にしても計算尺も計算機も持ち込みは出来ませんでしたが、確かそのあとでHEMMIの化学用計算尺のNo.257を入手しています。このNo.257は分子量の計算などに便利かというとさほどでもなく、電子用のNo.266よりも実用性は???という感じでした。そういえば高校時代2年間化学を担当していた先生が教頭先生で、さらに東大出身であり化学の分子量やモル濃度の計算などは生徒にやらせる時間を惜しんでHEMMIの片面計算尺を使って自分で計算してしまう先生で、よくその口癖の「計算はまかせといてちょうだい」や、計算尺を使って答えを導き出したときの「こんなもんだね」が生徒に真似されてました。「答え一発カシオミニ」ではありませんが、計算尺で導き出す数値が「こんなもんだね」というアナログ感は今の子はわからないでしょう(笑)その最初に入手したNo.257は「GD」刻印ですから昭和31年4月製という大変に古いもので、スモールロゴ時代の緑箱に入っていました。そんなNo.257は日本では唯一の化学用計算尺としてそこそこの数が出回っていましたが、なぜか計算尺末期の昭和40年代半ば頃になってNo.257Lにモデルチェンジしています。 このNo.257Lは計算尺衰退期に差し掛かった時期の新製品でもあり、No.257に比較するとかなり数も少なく、中古品よりも文房具店で売れ残った未開封新品のほうが出回ることが多い印象があるものの、かなり高額で取引される計算尺です。そのため、No.257を入手してから16年も経過して入手したのがこのNo.257Lです。しかし、K尺が加わったのになぜ末尾にLが付いたのかを今までずっと理解していなかったのです(笑)No.257とNo.257Lの何が違うのかというと、表面に2乗尺のK尺が加わり、裏面の尺度の配置が僅かに変わった意外には差がないものの、新たに加熱体と受熱体の対数平均温度差を求める対数平均(logarithmic mean)の尺度が加わり、その頭文字のLが元からの形式名No.257の末尾に付いてNo.257Lになったというのが今回始めて理解しました。ただ、初級ボイラー資格持ちでしかない当方は、いまだかつて対数平均温度差なる言葉にも行き当たった経験はありませんが(笑) 
 しかし、もう計算尺も400本近いはずですが、よくもまあ今までコレクションに入らなかったというのはNo.257と比べて高額落札になるのに比べて魅力に乏しいの一言に尽きます。それほど熱心なコレクターではないので、どうしても入手しなければならないという気もなく、16年の歳月が経過してしまいました。ところで、いったいいつぐらいにNo.257からNo.257Lにモデルチェンジが行われたかという問題ですが、一応紺帯箱と青蓋のポリエチレンケースが存在することから、おそらくは昭和45年あたりと考えています。ただ、今回入手したものが初物ですから比較検討も出来ず、証明することが出来ませんが、今回のものは紺帯の紙貼り箱でした。また、長らくアメリカで代理店をしていたFREDERIC POSTが昭和42年末に当時マイクロエレクトロニクスと制御システムの優秀な会社を次々に買収して巨大なコングロマリットを形成しつつあったTELEDYNE社に買収されてTELEDYNE POSTブランドに変わるまではHEMMIのNo.257はPOST No.1491としての扱いはあったものの、TELEDYNE POST時代には計算尺の種類も大幅に整理され、No.1460 Varsalog II 以外はほぼ安物のプラ尺ばかりになっていたようで、モデルチェンジしたNo.257Lは見当たりません。海外OEMブランドとしてはフィリピンのODELCO No.257Lがおそらくは唯一の存在のようです。ちなみにこのODELCOというのはフィリピンのDE LEON IMPORT & EXPORT Co.という貿易商社のトレードマークで、1952年以来フィリピン国内の教育機関等に欧米から優秀な文具や教育機器などを輸入して供給した日本で言えば戦前の内田洋行的な(規模はまったく異なりますが)会社らしく、会社の沿革には特に日本のHEMMIから計算尺の供給を受けてフィリピン国内に供給したことがはっきり記載されています。それだけHEMMIとの独占代理店契約はこの会社にとっては重要な意味合いを持つ事柄だったのでしょう。No.257の尺度は表面L,K,A,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1で、裏面が二分割のCh(アルファベット順列)M1,[M2,華氏F度,摂氏C度,絶対温度K度,LM,]mmHg,Kg/cm2,in.Hg Vac,tω、が刻まれます。このNo257Lの入手先は兵庫の西宮市でデートコードは「VC」ですから昭和46年3月の製造。取説は「7109Y」で、これも昭和46年9月の印刷のようです。

HEMMI No.257L(VC)

Hemmi257l

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HEMMI No.257(GD)

Hemmi257
Hemmi257_20211208141601
 画像でもわかりますが、No.257Lは表面にK尺が加わった関係でスペースが無くなり、形式名が裏面に移動しました。そのため、表面に形式名があるのがNo.257。裏面に形式名があるのがNo.257Lという判別がつけられると思います。

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November 30, 2021

焼津からやってきたHEMMI No.266 電子用(QI)

 7MHzのトラップコイルの共振周波数を計算しているときに偶然新たに静岡の焼津から落札したHEMMIの電子用計算尺No.266です。焼津と言えば今も昔も遠洋漁業の街で無線の街であるということは周知の事実ですが、最近は漁業の幹部が冷凍マグロやカツオの漁獲を中抜きして横領し、自身の水産会社の冷凍倉庫に隠匿していたという負のニュースが伝わっていました。その焼津の漁業無線局は民間漁業無線局としては日本で最初の開局らしく、時期的には大正末のNHK東京のJOAKが放送開始した時期にほぼ一致します。当時の漁業無線局は瞬滅火花式の電信で減幅電波(B電波・ダンプ)と呼ばれるもの。それが持続電波のCWに変わったのはいつ頃でしょうか。コールサインはJFGで現在は静岡県内の清水・御前崎漁業無線局と統合して静岡県漁業無線局となりましたが、いまだに焼津の地に送信・受信設備を構えております。各地の漁業無線局から電信が無くなる中でここはA1Aの1kW設備が稼働中です。ただ、今の世の中。船舶も電信設備なども無く総合通信士ではなく海上無線通信士が乗船するご時世で電信の扱いがどれくらいあるのかわかりません。20年くらい前ならなニュースで公衆電信業務としての新年祝賀の電報取り扱いで大忙しの漁業無線局の映像などがニュースで流れていたのですが。
 また、焼津は日露戦争前に三浦半島との間で海軍の34式それの改良型36式の無線設備の通信実験を行うために別途送受信設備が設けられたそうで、その記念碑がどこかのお寺に設けられているそうです。その36式無線機とB電波の日本海海戦時の活躍は相当昔に記事に書きましたので割愛しますが、これだけ日本の無線の歴史と関わりが深かったのが焼津の街なのです。またビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸も焼津の所属で、無線長の久保山愛吉さんが被爆治療で仲間とともに東京に送られたときや、久保山愛吉さんが危篤になったときなどは焼津の無線局に仲間の船からの「久保山がんばれ」の電報が殺到したそうで、その模様は新藤兼人監督の映画「第5福竜丸」でも描かれています。所属の漁船が多いとなるとそれに関係する無線関係を生業とする業者も多く、これだけプロの無線屋が多い街はアマチュア無線も非常に盛んだと言う印象があります。というのも船を降りてからアマチュアを開局した人や無線関係の生業をしながら開局した人はその殆どが上級アマ局で、もちろんのこと無線に関する高いスキルやノウハウを持っていますから後から開局した人たちもその影響を受けて自然と地域全体のレベルアップがなされているような印象です。北海道では昔は根室や函館がそのような感じの街でした。でも今や漁船の通信士あがりのOMさんや漁業無線局OBの上級ハム局のOMさんもサイレントキーが増え、この法則はもはや薄れてしまいましたが。
 それで焼津からやってきた当方3本目のHEMMI No.266ですが、おそらくはプロの無線屋さんの持ち物だったのでしょう。通信士系か無線技術系かはわかりませんが、どういう職種のプロが使用したのかを想像するだけでも楽しいものですし、敬意を払わなければいけません。デートコードは「QI」ですから昭和41年の9月の製造。箱は紺帯箱です。厚木のOMさんから譲っていただいた米軍落ちのNo.266が「PK」で昭和40年の11月製の緑箱ですからこの間に緑箱から紺帯箱に変わったことがわかります。時代はウルトラQからウルトラマンに替わり、空前の怪獣ブームを巻き起こした時代のNo.266で、当然のこと周波数の記号はまだMHzではなくMcの時代。当方すでにNo.266も3本目なのですが、いまだMHz表記に変わったNo.266には縁がないようです。

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November 10, 2021

日本計算尺 NIKKEI No.250 8インチ学生用

Nikkei 10年以上ぶり3本目の日本計算尺のNIKKEI No.250です。8インチの学生用と思われる計算尺です。よくRelay計算尺の東洋特専興業が戦後の一時期に名乗った日本計算尺と混同されるケースも多く、外国人コレクターが頓珍漢な説明を加えていることもあるのですが、この日本計算尺は東京の世田谷に存在したまったくの別会社です。それは宮崎治助氏の計算尺発達史中に戦後に製作を始めたメーカーとして出てきますのでこれはファクトでしょう。また、この日本計算尺は自社ブランドで輸出も行っていたようで、なぜかHEMMIの両面計算尺に自社のNIKKEIブランドを付したものの対米輸出もあったことがわかっています。この経緯は良くはわからないのですが、おそらくフレデリックポストに戦前から独占されていた対米輸出をポストの影響力なしに行うため、HEMMIがNIKKEIを利用して風穴を開けようとしたのかもしれません。そのNIKKEI計算尺のトレードマークが漢字の「日」をかたどった太陽マークで、これは旧日本水産の戦前からの社紋と同じ。今のネット社会では一発でクレームが入りそうなものですが、当時にしても缶詰やソーセージと計算尺を同一メーカーと誤認するようなことはなかったでしょう。
 このNIKKEI計算尺は国内向けには5インチと8インチのバックプレートが一体金属で厚みが比較的に薄いものと、HEMMIのNo.45と同様の構造の学生用8インチ計算尺に限られています。両面計算尺の生産が出来なかったというのがこの会社の技術力を物語っていると思います。金属の一体バックプレートを持つ構造は合理的なアイデアでパテントを取得しているようですが、一つ問題があって、裏側にS,L,T,尺を持ってきた場合に副カーソル線窓の移動で最終調整するわけにはいかず、さらに金属の温度変化の伸び縮みで精度が損なわれるのではないかということです。その問題を指摘されないために5インチと8インチという短い計算尺しかないのかと疑ってしまうのですが、さらにそのあたりの事情からか当時ではよくある三角関数尺とL尺を廃して裏側がブランクのものがあるようです。そのため滑尺裏に三角関数があるNo.200は構造的にはHEMMIのNo.45Kあたりとかわらないごく普通の竹製8インチ学生尺です。
 今回入手したのがNo.250という8インチの√10切断の機種です。この時代には5インチのポケット尺が一種類、8インチの学生尺が3種類記載されていますが、すべて√10切断のずらし尺を備えたもの。後にマンハイムタイプのA,B,C,D尺を備えるNo.260が加わったようです。普通は逆だと思うのですが。さらに4尺ですから1.2mの教授用のライナップがあるようで、それだけ学校教育用に食い込もうと試みていた様子。その教授用計算尺のおかげもあったのか、文部省、日本国有鉄道、東京都教育庁からの推薦を受けているということです。
 このNo.250の尺度は表面がK,DF,(CF,CI,C,)D,A,の7尺で裏側は竹の表面むき出しのブランク。それでもちゃんと竹を組み張り合わせている構造のため、反ってしまって抜き差しもままならないということはありません。このNIKKEIブランドの日本計算尺は世田谷区の上北沢1丁目というと今はこれといって特徴もない住宅街ですが昭和20年代から30年代はというと、近所の都立松沢病院を望む畑と雑木林が点在する場所で、近くの桜上水や赤堤にはまだ牛を飼っていた酪農牧場があったようです。以前、朝はさんざん千歳烏山から甲州街道の渋滞を避けて赤堤通りから環七の淡島通りに入り、大橋から旧山手通りに入り、鎗ヶ崎交差点で左折して恵比寿に至るルートを毎日走っていたはずなので、上北沢1丁目は毎朝通過していたもののまったく印象がないのです。昭和30年当時としても都内では割と辺鄙なところですから、単にどこかに計算尺を外注で作らせていたわけではなくて、ちゃんと小規模な製造工場を構えていたのかもしれません。入手先は埼玉の川口市で、ぼろぼろな一枚ペラの長尺折りたたみの説明書きが残ってました。

追記:当時の上北沢1丁目は現在の桜上水4丁目だそうで、昭和30年代は閑静な住宅街だったようです。おそらく現在の上北沢1丁目は当時完全な農業地帯で農家が点在するだけの場所だったのでしょう。なぜこのように地名が移動したのかは不明ですが桜上水には三井財閥の酪農牧場が存在し、後にその跡地が桜上水団地に化けたという話だけは知っています。元京王沿線の世田谷区民なもんで(笑)更に良く調べましたら実は以前NIKKEI No.250は福岡から入手済でした。そのNIKKEI No.250は裏側にセルが貼っていない滑尺はおろか、固定尺まで反りまくって抜き差しもままならない状態だったので、「狂い絶無・破損しないカーソル・断然値段が安い」のキャッチフレーズは偽りだろうと文句を言いながらそのままどこかのコレクションボックスに放り込んでしまったため、特に印象が薄かったらしいので仕方がないかも(笑)


Nikkei250
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October 07, 2021

HEMMI No.130 (BK) 10"片面技術用(ダルムスタット)初期型再び入手

 ここ数ヶ月の間は何かHEMMIのNo.130に縁が続き、2度あることは3度あるということで、今年3本目のNo.130ダルムスタットを捕獲しました。それも前回と同じ最初期型の延長尺が長く、逆尺が赤いという戦後発売されてからほんの2年少々しか製造されなかった希少種です。画像が表面の半分しかなかったので、延長尺が長いというだけで落札してしまったNo.130です。前回入手したNo.130がデートコード「BK」でしたからそれより古いものを期待していたのに届いてみればまったく同一のデートコード「BK」で昭和26年11月製の御年まもなく70歳のロートル(ってほぼ死語ですが)。おまけにその70年の間をわずかに使用されただけでずっとタンスに仕舞い込まれていたようで、ケースも本体も非常にきれいなもの、裏板の一部が戦前尺のように高温多湿が原因で腐食しかけていて、端のほうの溝を押し上げ、やや変形しているほど。それでもごく初期型の希少種ですし、送料込みでかなり安かったので文句は言いません。本音からすると製造月が一月くらいずれていてくれればという思いもありますが…。ケースがきれいなだけに定価のラベルが残っていて\1,450の値段が付いています。入手先は東京都の小平市でした。

Hemmi130bk2
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October 06, 2021

コンサイス No.27N 円形計算尺(東陽通商ノベルティー)

 久しぶりに捕獲した企業ノベルティーもののコンサイスNo.27Nです。昭和40年代中期に入りHEMMIの計算尺も、たとえプラ尺とはいえコストがジワジワと上がり、展示会や見本市で配るには負担が大きくなってきたときに、一気にこの需要のシェアを奪ったのがコンサイスのA型単位換算器やこのNo.27Nでした。計算尺を企業の宣伝に配るような見本市や展示会と言うと科学や工業分野で使用される測定器や実験器具、機械工具などの製品を扱うものが多かったようで、そこに集まるのも研究者や技術者と相場が決まっています。そのため、今の世に残るこれらのコンサイス円形計算尺のノベルティーものの殆どは測定器や実験器具、機械工具などのメーカーや商社のものです。また、実験器具や測定器のメーカーは一般消費者向けの商品ではないものの企業や教育機関などの一定の需要があり、さらに技術の進歩に従って買い換え需要もあるため、その社名は一般の人には馴染みがないものの、いままでずっと商売を続けている会社が多いのも特筆されます。家電メーカーだとそういうわけにはいきません。
 今回入手したNo.27Nは東陽通商という会社で、類似の東陽や東洋がつく会社は古今東西掃いて捨てるほどありますが、この東陽通商という会社は昭和28年に機械工具輸入を目的に設立され、後に測定器などの総合商社として現在は東証一部上場の東陽テクニカです。その東陽テクニカが東陽通商時代のおそらくは昭和40年代後半くらいのアナログ測定器時代に参加した展示会見本市で配られたものなのでしょう。こういう展示会は貴名受けという名刺のポストなんか置いてあって、名刺と引き換えにこういうノベルティーがもらえて、企業側はどんな会社のどんな担当者が来場していたかを把握し、営業の対象を定めるという仕組みでしたが、うちの会社あたりでも当然決裁権のある管理職の顔は事前に把握していて、ヒラの参加者はボールペンあたりでごまかしても役付きの大物用には特別な来場記念品を用意するという差別ではなく区別は当然行ってました(笑) 今のデジタル時代の展示会見本市の来場記念品はどういう形態に変わっているのでしょうか?一時期は企業の名入りUSBメモリーなどが多かったようですが…。
 展示会見本市の性格上、海外からのバイヤーなど集まるせいか、このNo.27Nは裏面の換算表が国内ものは日本語表記なのに対して英語表記で、さらにメトリックではなくポンドヤードインチ表記がメインになっているところが特徴です。入手先は神奈川の横須賀からでした。

Concise27n

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