September 20, 2016

JEPPESEN CR-5 航法計算盤

Jeppsencr5  比較的に航法計算盤としては安価に売られているJEPPESENのフライトコンピュータ類ですが、このCR-5は元JALのクラシックジャンボに長く搭乗されていた航空機関士のSさんから譲っていただいたものです。自家用航空機のライセンス訓練生が使用していたものではなく、実際にジャンボジェット機のコックピットの中でSさんとともに歩んできたフライトコンピュータですから、いくら安価なフライトコンピュータとはいえ道具としての歴史が違います。しかし、クラシックジャンボが国内線から消えて久しく、またジャンボ自体も日本の航空会社から引退してしまう時代となりましたが、おそらく国土交通省のライセンス的にはいまだに航空通信士と航空機関士は残っているのでしょうか? このJEPPESEN という会社はコロラド州デンバーに存在する会社で1955年からフライトコンピュータやプロッターなどの航法計算用具を現在まで作り続けているようです。比較的に安価なプラスチック素材の物ばかりでその価格も30ドル以下の価格帯ですが、日本ではこういうものを必要とする人口がすくないため、どうしてもコンサイスのフライトコンピュータのような価格にならざるをえません。さすがに自家用車並みに自家用機があふれているアメリカだけのことはあります。
もっとも航法計算の世界でも基本教育はこういうアナログのものを使用するようですが、実践で使用するのはすでに電卓方式の航法計算機です。

Jeppsencr5_6 また大型機では航空会社のディスパッチャーが作成したフライトプランをブリーフィングでクルーと確認しあいますが、運行途中で何かの都合で変更が生じた場合には離陸地のディスパッチャーと連絡を取り、ディスパッチャーがはじき出したデータをコンピューターリンクで受け取って使用するようで、2人乗務員体制では機上で飛行経路と飛行高度変更、燃料の残計算や到着時間の算出などの計算からは一切開放されたようで、この省力化もあって航空機関士が要らなくなったことにもつながるのでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 19, 2016

フラー円筒計算尺

2_2 イギリスはロンドンのW.F.スタンレー社によるフラー円筒計算尺No.1です。カービック社のオーティス・キングス同様にらせん状に尺を巻いて有効基線長を高めた計算尺で基線長はなんと驚異の500インチで有効桁も4桁と格段の精度を誇ります。その分大きさも大きく、もはやポケットに入れて持ち運ぶようなものではなく、タイガー計算機なみの可搬性しかありません。同じように円筒形の計算尺としては同時代にサチャー円筒計算尺というものが作られていますが、こちらはらせん状の目盛りがあるものではなく、目盛りを分割した固定尺を星型に配置し、その中心を円筒の滑尺がスライドするという仕組みで、基本的に構造が異なります。またこのフラー円筒計算尺はオーティス・キングスの上下のC,D尺の円筒を伸縮させ、真ん中のカーソルになっている筒をスライドさせて計算するのではなく、対数目盛りは真ん中の円筒の一本だけで、真鍮の自由に動く2本のポインターをセットし円筒を回転させて計算するというオーティス・キングスとは真逆の方式の円筒計算尺です。
 このフラー円筒計算尺は北アイルランドのベルファスト市にあるクイーンカレッジの土木学の教授ジョージ・フラー博士が1878年に開発し1879年に特許を取得したものをロンドンのW.F.スタンレー社が商品化したものです。

 重厚な木箱に収納されており、真鍮製のスタンド金具を使用して木箱の片面から斜めにセット出来るようになっています。この箱と金具がセットになっていないと相当価値が落ちてしまうようです。

 このフラー円筒計算尺は特に計算精度を要求される研究部門などに限って使用されたようで、実際には内藤多仲博士がドイツ製の5インチポケット尺で殆どの建築の構造計算(実際は手回し計算機を併用)をおこなったくらいですので、一般の用途にはまったく必要ないものでした。そのため、製造は1878年あたりから1960年代まで牛の涎のように細々と続いたようですが、その間の製造総数たるやイギリスのコレクターの調査によると14,000本あまりにしか過ぎません。また製造終了後も1978年ころまで探せば店頭入手可能だったという話です。製造年数80年の長きにわたり14,000本の製造総数というと一年の出荷数でたったの175本です。需要もさることながら殆ど手作りだったという証拠でしょう。ありがたいことにすべての個体にシリアルナンバーが打たれており、末尾の二桁が製造年を現しているため、各個体の製造年の確認は容易です。

アメリカではK&EがOEM先として1895年から販売され、当初のモデルナンバーはNo.1742でしたが1901年よりNo.4015に改番されます。1895年のNo.1742のカタログプライスは28ドル、1901年のNo4015のプライスは30ドル、時代が下った1925年のプライスは42ドルと年々価格は上がっています。しかしK&Eは自社で製造したサシャー円筒計算尺No.4012のほうが力を入れて販売していたのは当然で、こちらのほうが若干値段が高く1892年版のカタログプライスは30ドル、1913年版のプライスは35ドルです。3_2 また後の年代にNo.2というLog計算に特化したフラー円筒計算尺が発売され、こちらのほうは円筒にある500インチのC尺はそのままですが、内円にプラスとマイナスのべき乗尺が刻まれ、対数計算が精密に行なうことができるというものです。1941年発行の説明書には追加でNo.2のべき乗尺の解説が載せられています。しかし、WEB上でNo.2の存在を詳細に解説してあるところが見つからず、いつから追加になったのか、シリアルナンバーがNo.1に含められているのか、それども独立しているかはよくわかりません。少なくとも昭和の始めくらいの年代にはNo.2はすでに作られていたようでシリアルナンバーもNo.1と連番だったようです。

入手先は同じく道内の旭川で、なぜ東京や京都ではなく地方のそれも旭川というところからこのフラー円筒計算尺が出てきたのか、計算尺そのものよりその出自のほうに大いに興味があり、自分としてはかなり高額で入手したものなのですが、出品者の言によるとさるアンティークコレクターからの買い取り品とのことで、それ以上のことはわからないとのことでした。旭川という土地柄、旧陸軍第七師団や大手の炭鉱などの備品が流れてきたものかと妄想をめぐらせていたのですが、届いた品物の製造番号は8千番台で製造年を見たらなんと第二次大戦中の1943年の品物でした。交戦国イギリスの計算尺が日本に入ってきたわけがありませんし、シンガポールから鹵獲したとしても年代が合いません。敗戦国日本が戦後すぐにこういうものを輸入できたはずもなく、おそらくはそのアンティークコレクターが海外から買い付けたものということが言えそうです。その事実がわかってちょっとだけ興味が失せてしまいました。入手した業者はよくデパートなどの骨董フェアなどを回っている業者で、そういうイベントでの換金に失敗してオクに出したようですが、ケースに貼られていた値札には28万円となっていました。e-bayなんかの落札相場を無視するといつまで経っても不良在庫です。入手価格はe-bayの落札平均相場より若干安い程度でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 18, 2016

K1型金利スケール/不動産スケール

K1  東京新橋の新製品開発センターという少々怪しげな会社が発売した一種のアイデア商品で、おおまかに金利シリーズのK型、レジャーシリーズのY型G型および実務シリーズのS型B型が説明書に記載されていますが、果たしてすべてのものが製造され発売にいたったのかは不明です。また特許出願中とありますが、この手の換算尺は明治末期から昭和にかけてありとあらゆるものが特許申請されあえなく討ち死にしてますので、はたして実際に特許申請したのかどうかも怪しいところです。
 それで金利スケールは表面が共通で裏面が異なるK1からK4までの4種類、Y型はレジャーシリーズとされる外貨換算尺でY1とY2型2種類とG1型は競馬専用、S型はビジネス用とされる仕入れ用のS1型と建築板金スケースのB2型がカタログ上に記載され、それぞれ定価が940円となっています。大昔の銀行通帳入れのように粗末で薄いビニールシースに入っています。
 おそらく発売は昭和40年代後半ごろでしょうか?というのも説明書きにこの会社で出版した非常に高い月刊誌の広告が載っていて、その「月刊世界のアイデア」という雑誌が昭和41年創刊で別の「月刊世界の新商売」という雑誌は昭和46年創刊ということになっています。前者が12ヶ月で45,000円、後者が12ヶ月で16,000円となっていますが、もしかしたら総会屋が各企業から利益誘導を受けるような形で各企業に何口か購読させる雑誌で一般の書店にはもちろん並ぶような雑誌ではないでしょう。
 キャッチフレーズが「どなたにも使える頭脳兵器シリーズ」とは人を食ったようなキャッチフレーズです。このK1型金利スケールは表面が元金と年利をあわせると期日が何日でどれくらいの利息が掛かるかということが一目でわかるような換算尺になっており、年利18%が上限とは昔のグレーゾーン金利時代のサラ金や闇金では使えませんね(笑) 
 裏側の不動産スケールは坪と平米の換算と坪単価をあわせて何坪でいくらかの総額がわかるようになっていますが坪単価の最小単位が30万円です。まあ位取りを変えて換算すればいいわけですが、表示の最小単位が坪30万円というと主に東京の不動産屋を対象にしたということでしょう。 監修は東京工大名誉教授の川下研介、製作は横浜国大助教授松本久志となっています。
 故川下研介名誉教授は東工大の主に熱学・熱力学の専門家。松本久志教授は同姓同名のマンガ家のほうが有名ですが横浜国大の科学教育・美学、美術史の専門家です。しかしなぜこの人たちがこのような計算尺に係わったのかがわかりません。もしかしてお金だけもらって名前だけ使わせたとか? 入手先は確か愛知県の西尾市だったと記憶しています。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

UTO No.930U Poly-e

Img_0698 デンマーク製の計算尺は日本では直接輸入されたことがないため、DIWAくらいしか知られていないと思いますが、今回入手したものは同じくデンマークのUTOというメーカーのNo.930Uという計算尺だと思われます。このUTOというメーカーは品物自体日本でまったく見たことが無く、予備知識はぜんぜんありませんでしたが、DIWAが計算尺の終末期まで特殊な計算尺がほとんど無かったのに対し、このUTOではHEMMIを上回るほどの特殊計算尺をリリースし、おもに北米市場に流していたということが特筆されます。
 またこの計算尺はアメリカの化学繊維大手だったCHEMSTRAND社の特別なノベルティーになっており、ROLEXの腕時計ケースのような緑の表皮をあしらった木製クラムシェルケースに収められ、さらに計算尺本体のブリッジに金メッキが施され、カーソルバーにも金のメタルが埋め込まれているという「特別仕様の別注品?」です。得意先に配ったのか、それとも懸賞の景品にでもしたのかはわかりませんが、ケースにまで会社のキャッチフレーズと社名が金色で入れられているような状態で、とても実用にするようなものではなかったためか、まったく使われた形跡の無い計算尺でした。

 通常型番が刻印されている滑尺端にCHEMSTAND社のマークが入っているため、型番がわかりませんでしたがどうやらNo.930の一族であることはわかりました。しかしこのNo.930は同一型番で尺のレイアウトがかなり細かく異なるバリアントがたくさんあるようで、そのものズバリの型番がよくわかりませんがおそらくはNo.930Uなのでしょう。尺種類は表面がLL03,LL02,LL01,DF,[CF,CIF,CI.C,]D,LL3,LL2,LL1の12尺、裏面がL,K,A,[B,T,ST,S,]D,D1,Pの10尺の合計22尺です。いちおうシステムリッツということになるのでしょう。表面はほぼノーマルなのに裏面はS尺とD尺が相対していたり同一固定尺上にD尺,DI尺とP尺が並んでいたり、意図することは良くわかりますが、日本の計算尺になれてしまうと何か妙な違和感があります。このあたりの尺配置で同一型番で年代によっていろいろなバリアントが存在するようです。製造年代は1950年代後半から1960年代初頭にかけてでしょうか?
 このUTO社はアメリカのニュージャージー州にHOFFMAN PRODUCTSという代理店が存在したようで、そこを通じていろいろな計算尺が輸出されたようですが、それはすべて第二次大戦後のことのようで、すでにプラスチックの計算尺のみのアメリカ輸出だったようです。
 またこのUTOのプラスチック製計算尺の終末期は日本のFUJIあたりの構造がそっくりな計算尺も存在したようですが、やはり計算尺終末期には日本の山梨でOEM製造された事実もあったのでしょうか?日本で入手できる個体がないのでその追跡は困難ですが今後の研究が必要です。
 入手先は横浜市の神奈川区だと記憶してます。しかしなぜ日本にこういうものが手付かずで残っていたのかが不思議です。
Uto930
Uto930_2


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 17, 2016

竹内改良計算尺

Photo_7
 大田スター計算尺同様に国産計算尺の黎明期に発売されたものの逸見式計算尺のように後に実を残さず歴史のなかに埋もれてしまったのがこの竹内計算尺です。過去にオークション上で出品されたのが数本というレアな計算尺で現在知られているのは5インチと10インチのマンハイム型2種だけです。10インチのものはKimさんのコレクションに納まっておりまして本体はおそらくマホガニーと思しき木製の計算尺でした。それで5インチのポケット型も木製には違いないと思っていたのですがやはりマホガニー材が使用された木製計算尺です。裏側が寸、英インチ、米インチの換算尺になっている表面4尺滑尺裏4尺のマンハイム型ポケット尺です。尺種は表がA,[B,C,]Dの4尺で滑尺裏がS,L,T,の3尺で副カーソル線窓は開いておらず三角関数などを計算する場合は滑尺を裏返す方式です。
 面白いのは裏の単位換算テーブルを使用するときはカーソルを反対側にはめ込むことが出来るような構造になっており、そのために通常のポケット尺のように上面にスケールを持たない練習用計算尺のような上下が平らな上下対称系の計算尺です。
目盛りはJ.HEMMIのように刻まれたものではなく、おそらくセルロイドの上から目盛りを印刷したもののようです。そのため一部消えかかっている部分があり、またおそらく磨くと確実に目盛りが消えそうできれいにすることも出来ません。英国系木製尺のようにその上から薄い透明セルロイドシートでも被せてあれば目盛りも消えることがないのでしょうがこのあたりの細工はJ.HEMMI計算尺の敵ではありません。

 カーソルはJ.HEMMI初期のもの同様にA.W.FABERのコピーでアルミフルフレームのものが付いていますが、これは実にJ.HEMMIのNo.1のものとまったく同一のものです。以前当方はめまぐるしくカーソルのフレームが変わるJ.HEMMI計算尺を見て、おそらくカーソルはJ.HEMMIが自社製造していたのではなく、どこか別の金属加工屋に作らせていたのではないかと推測していましたが、どうやらそれはあながち間違いではなかったようです。このカーソル製造元がどこであるかは知りませんが、少なくともここではフルフレームのカーソルと位取り付きのカーソルの2種類を製造し、J.HEMMIだけではなく大田スター計算尺と竹内計算尺にも供給していたことになります。そしてなぜかそれらのカーソルを大正14年以前に何らかの理由で供給できなくなりJ.HEMMIでは大正15年式計算尺からカーソルの供給元でなぜか迷走して短期間でいろんなカーソルが出現し、大田スター計算尺は独自のフレームレスカーソルを付けざるを得なかったということなのでしょうか?

 表面刻印はC.TAKEUCHI'S IMPROVED SLIDE RULEとなっており、竹内改良計算尺となりますが何に対してどこが改良されたのかがわかりません。Cは当然名前の頭文字なのですがそうなると頭がCHA,CHU,CHOで始まる名前なのでしょうか?CHAは加藤茶のCHAくらいしか思い当たりませんがCHUなら忠一、忠太郎などいくらでも考えられますし、CHOならいかりや長介をはじめとし長一、長一郎など長男を連想させる名前はたくさんあります。さてこの竹内さんの名前はいったい何でどういう人だったのでしょうか?
 また表面にAPART OF USED PATENT 21257とありますが、この明治の末のパテントナンバーを記してわざわざそれを使用していないと記する理由と意図がわかりません。
 裏面の単位換算尺部分に大阪竹内製とあり、この計算尺が東京で作られたものでなく関西は大阪で製造されたということがわかりました。ケースにはY.T.SLIDE RULEとありおそらくはYさんとTさんのダブルネームだなんて想像していますがTは当然竹内さんでしょうがYさんはいったい誰?

 この竹内計算尺に関しては異論もあるでしょうが、製造年代が大正初年あたりから大正10年代までのごくわずかな期間の製造だったのではないかと推測しています。おそらく第一次大戦の混乱で欧米でHEMMI同様に輸出主体で製造していたものの大戦終了でドイツ計算尺の為替安による輸出復活台頭で欧米への輸出が立ち行かなくなり、あわてて国内に販売をシフトしたのでしょうか。しかし、この竹内計算尺はHEMMIのように目盛りを刻むという技術が無く、目盛りが印刷のため使用しているうちに消えてしまうという重大な欠点があり、またマホガニーの複雑な形状加工ということもあって大田スター計算尺同様にポリフェーズトマンハイム尺に改良されることもなく早々に淘汰されてしまったのでしょう。大阪竹内製と漢字で印刷が入っているのと換算尺が寸と吋なことからこの個体は国内向けの製造のものということになります。
 ただ幸いなことは形状とその厚みから大田スター計算尺のように反ってしまって滑尺も動かないということもなく、さほど狂いも無く未だに可動することでしょうか。
 入手先は和歌山県の橋本市は高野口からです。いかにも古いものが残りそうな場所ですが、こういうところでいったい何の用途で使ったのでしょうか?
Photo_5
Photo_6


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 16, 2016

中央計器製作所標準速算器

Photo_2 日本における円形計算尺で古くからよく知られたものは玉屋商店から発売された藤野式計算尺だと思います。この藤野式は乗除用と金属重量計算用のほかにスタジアと切削時間計算器などが揃っていましたが、どうやら戦時中の金属統制で姿を消し、戦後になってからコンサイス円形計算尺としてよみがえり、今に至るのは周知の事実です。
 その他の円形計算尺といえば大正末期から昭和の初期にかけてメートル法の施行により度量衡の単位換算尺で円形のものが多く作られた以外には目新しいものがなく、わずかに単位換算機能に簡単な対数尺をつけたようなものが存在するくらいでしょうか?

 この標準速算器というのは大阪の斉藤喜代治という人が昭和10年くらいに発売したものを戦後になって中央計器製作所という会社が発売した円形計算尺です。昭和10年の発売当初はA号B号C号に特号の4種類があったようで、A号は直径3寸5分、B号は3寸、C号は2寸9分なのに対して特号は8寸5分というまるで通称「円盤」と呼ばれるラリー用計算尺ほどの大きさがあるもののようです。A型で定価2円だったのに対して特号は8円の定価がついていたようです。ヘンミの標準的な10インチ片面尺が当時8円前後ですから特号でやっとヘンミの10インチ片面尺の価格相当で他のものはポケット用や練習用にも届かないような価格の廉価な計算尺ということになります。それというのもブリキの円形盤に薄いセルロイドの円盤を重ねて鳩目でカーソルと一緒に止めてあるというような簡単な構造なためです。それはおそらくA号という2円のバージョンでB号はセルロイドのみの構造、C号は紙にコートをかけただけの構造と推定されます。その材質別の3種類は中央計器製作所の発売となっても継続し、今回入手したのは紙にコートだけ掛けた一番安いバージョンです。
 しかし戦後になって斉藤喜代治の標準速算器がなぜ再登場したのかはわかりませんが、この中央計器製作所の説明書によると説明書の著作兼発行人が斉藤喜代治で製造発売元が中央計器製作所というようになっています。そのため、戦前は考案発売は斉藤喜代治だったものの製造は中央計器製作所が行っており、戦後は製造も販売が中央計器に移ったということかもしれません。
 手元にあるものはコートされたボール紙製のもので発売価格が250円となっています。他に500円と1000円のものがありますので、おそらく内容は同じながらセルロイド製、ブリキのプレス製などの材質違いで内容はまったく同じものだったのでしょう。裏面はまったくのブランクです。高いものには単位換算の早見表くらいついていたのでしょうか?


| | Comments (0) | TrackBack (0)

不明金属重量計算器(藤野式コピー)

Photo 円形の金属重量計算器というものは国内では大正時代に作られた藤野式計算器に始まり、戦時中の金属枯渇時代に一旦姿を消した後、戦後はコンサイス金属重量計算器として若干の改良を施した上で発売されたことはコンサイスの説明書にもわざわざ書かれていることなので明白ですが、実は藤野式金属重量計算器の丸々コピーのイミテーションが出回っていたことは意外と知られていません。
 このコピー品の金属重量計算器は一度しかオク上で見かけたことがありませんが、それは単なる茶封筒に入れられ、半紙一枚分の使用説明書のペラが一枚入っているという実に簡単なものです。その藤野式コピーを今回見つけてしまいましたので捕獲しておきました。

 今回入手したものは当然のこと茶封筒も説明書きも失われて酷使されたものですが、出所が広島の呉なのでまた根拠のない仮説を立ててみました。そもそも呉は海軍工廠もあった日本海軍の中では横須賀を上回る最重要の軍港です。かの戦艦大和をはじめ、数々の軍艦が設計・製造された場所ですが、以前から呉から出たドイツ製の計算尺を複数入手しています。それだけ計算用具が重要で各種使用されていたことがわかりますが、軍艦は当然のこと金属の塊ですから船体設計だけではなく造船の現場などでも材料や加工品の重量計算のため、藤野式重量計算器が使用されていたことだと想像しています。藤野式計算尺は一般計算用よりも金属重量計算器のほうが数がはけているようで、その証拠として現在オクに出てくる藤野式計算尺は一般計算用よりも金属重量計算器のほうが多いように思えます。それだけ原材料の重量計算では現場で重宝されていたのでしょう。

 藤野式計算尺は大正6年ころから戦時中の金属調達ができなくなったころまで30年近く販売されたようですが、いざ製造中止になったところで困ったのは軍の工廠、兵器廠だったのではないでしょうか?軍艦や飛行機製造のため、民需用の金属製品の製造を禁止したら、今度は製造に必要な金属重量計算器が調達できなくなったなんてお笑いもいいところですが、それはさすがに軍隊で、おそらく軍需用に材料を藤野式の製造元に送って軍需品として特納させたのかもしれません。戦時中ということもあり、包装は単なる茶封筒で説明書も藁半紙一枚というのも説明がつくと思います。さらに製造元の刻印などがないのも軍特納品ということで説明が付くはずです。
 それで藤野式の鋼・鋳物・砲金用金属重量計算器には寸法と重量単位により2554~2556号の三種類存在しましたが、この藤野式コピーには長さがメトリック、重量がキログラムのNo.2555号に相当するものしか現在見つかっていません。当時の設計はヤード・ポンドから完全にメトリックに移行してましたので、軍需品として1種類しか無いというのも納得出来ます。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 15, 2016

中岸式万能図形計算器

Photo  戦前の円形計算尺の有名どころはしっかりした工作と別途の解説書などか充実した藤野式計算器ですが、大正末から昭和の初期にかけて度量衡の尺貫法からメートル法への移行に沿ったかたちで単位換算に便利な円形計算尺がいくつか出現しています・
 代表的なところは昭和2年のイソメ式円形計算器ですが、やや遅れて昭和4年ごろから発売されたのがこの中岸式計算器です。

 実はイソメ式計算器も中岸式計算器もそれほど高価な計算用具ではなかったからか、発売された数に比較して
残存している数が少なく、オークションに登場してくるもののみでその全貌を推測しようとするのも困難です。それでもいままで判明したことは東京製作所と称する会社で発売された円形計算器はまったく同じものでイソメ式と中岸式の両方の名前が存在することと、そののちこのA,B尺のみの単位換算系円形計算器は昭和4年に新しい版を起こして中岸製作所名でP.N.242591を冠して発売されていること。その他中岸式には一歩踏み込んだセルロイドのカーソルが付き、表面にA,B,C,D,尺の4尺を備える「万能図形計算器」とタイトルの付いた円形計算尺が存在する、のたったこれだけしか判明していません。こちらの中岸式のほうもP.N.242591が印刷されていますので、おそらくこのプレスで製作されたブリキ製計算尺の構造的な特許を取得していたのではないかと想像しています。
 富山から入手した中岸式の万能図形計算器は戦前の製品でその証拠に奇跡的に残っている中岸製作所の所在地が東京市浅草区千束町1-85というように記載されていますので、昭和18年以前であることは間違いありません。いちおう製造販売元ではなく発売元となっていますので、製作所を名乗りながらも別な下請工場で作らせていたのでしょうか?

 プレスのブリキ円盤塗装をかけてメモリを印刷というのはイソメ式の時代と変わりありませんが、おそらくはこんなブリキ細工の計算尺でも金属枯渇で民生品の製造禁止を受けて戦争が激しくなる前に製造中止となってしまったのでしょう。

 A,B,C,D,の4尺と書きましたがこれは尺の種類ではなく説明上の位置を示すだけのものでありイソメ式の尺種がイ、ロと表記されていたことと同様です。A,B,尺は実質的なC,D,尺でこの部分だけ可動し計算することができますが、Cは二乗尺、Dは三乗尺でお互いには可動しません図形計算器のタイトルだけあって平方立方計算に特化した使い勝手を考えてのことだと思います。
Photo_2


| | Comments (1) | TrackBack (0)

August 10, 2015

オーティス・キングス円筒計算尺L型

150810_133912 計算尺の精度を高めるためには有効基線長を高める必要がありますが、通常の10インチの計算尺の読み取り精度を一桁あげるにはその二乗の長さ、すなわち100インチの計算尺が必要だということになります。そんな長さの計算尺を部屋の中で使うわけにもいかず、またそのような長さの計算尺に精密で狂いのない目盛りを刻むのも至難の技であるため、20インチの計算尺に80インチの基線長を4分割で目盛りを刻んだものが実質的な超精密計算尺として認知されているわけです。その計算尺の精度をより高める試みは古くから円筒に目盛りをスパイラルに刻んでゆくことは誰しも考えたことなのでしょうが、特許を取って実際に商品化したのは1878年にジョージ・フーラによって考案された円筒計算尺やエドウィン・サッチャーが1881年に特許を取得し、スイスのディモン・シュミットという会社が市販した円筒計算尺などがありましたが、どちらも研究室などで使用することを想定して、外に持ち歩くということは考慮されておらず、タイガー計算機なみの可搬性しかなかったと思います。その円筒計算尺を思い切って極小サイズにしてポケットに入れて持ち運びを可能にしたのがイギリスのカービックという会社から発売されたオーティス・キングスという円筒計算尺です。おそらく世界で一番成功した円筒計算尺でその販売期間は1921年から1972年という長きにわたり、基本構造がまったく変わらずに発売し続けられました。長期間にわたりかなりな数が出回っているため戦前から日本にも入ってきているようですが、一般の用途にはここまでの精度は要求されないので、おそらくは大学などの研究室や企業の設計開発部門などの業務用に使用されたのでしょう。また輸入品としてさぞかし高価な計算道具だったはずで、それゆえに国内にあったものが中古市場に出てくることはけっこうまれです。でも本国イギリスでは最終価格が4ポンド25ペンス少々とかなりお安い計算具であったため、電卓出現後も一定の需要があったようで、在庫分は1978年ごろまで売られていたというような情報もあります。おそらくは英国内ではヘンミの計算尺のほうがはるかに高価だったのでしょう。

 大阪から届いたオーティスキングスは形式Lと呼ばれる分類上TypeCという形状の戦後から終末期まで作られたもののようです。黒の皮もどきの貼り箱でぺらぺらの説明書とポンド・ペンス・シリングおよび反対側がインチの単位などでよく使用される分数をデシマルに換算する換算表が付属していました。箱の中はそれ以上のスペースがないのを見ると、この時代は皮ケースは別売りアクセサリーだったのでしょうか?元から日本にあったものらしいのですが、時代が下ったためかさほど使用されずにしまい込まれてしまったらしく、新品に近いほどの程度抜群の個体でした。形状が何かノーベルの特殊警棒そのままで、振ったら中子が出てきて長い警棒に変身しそうですが、このオーティス・キングを伸ばして見せても一般の人は警棒と勘違いするかもしれません。おそらく「金属の棍棒類」に該当として航空機機内持ち込み制限品に該当しそうです(笑) 売主は計算機の類だとはわかっていたようですが、円筒計算尺というものの存在は知らなかったようで、うまいタイトルで出品してくれたおかげで鵜の目鷹の目で珍品を漁っているライバル諸氏に発見されず、開始価格で難なく落札できたものです。とはいえその落札金額は当方の通常落札品の中ではかなりの高額でした。

 このオーティスキングスは収納長がちょうど6インチです。5インチのポケット計算尺の全長にほぼ等しくシャツのポケットに収まるくらいのサイズですが、基線長が60インチ(152.4cm)と20インチの計算尺を遥かにしのぎます。 しかし、印刷した紙のスケールを円筒に巻く構造のため、ある部分の精度が担保されていないらしく、精度に関しては80インチ4分割の20インチ計算尺に劣るようです。
 
オーティス・キングスの目盛りは初期が目盛りを印刷した紙にニスコーティングだったものがいろいろ材料の試行錯誤があって、末期は目盛りが印刷された紙のビニールコーティングラミネート構造のようです、金属の筒とこすらないように分厚いフェルトを介してカーソルおよび金属の筒が収縮するようになっており、古いオーティス・キングスでこの目盛りを刻んだ紙にダメージを受けているものはよほど酷使されたものです。この目盛り板には形式があってTypeCのLは上がLog尺を含むスケールNo.430、下がスケールNo.429です。TypeCのKはNo.423とNo.414の組み合わせです。オーティス・キングスには割と初期のTypeAのものからシリアルナンバーが打たれており、それはアルファベットと4桁の組み合わせて、例外として初期はアルファベットなしの1から始まって9999まで行くと次にA1というように続けられ、いつのまにかX0001のような空数字を入れるようになりました。そのシリアルナンバーによっておおよその製造年代が特定されるようです。またこのシリアルナンバーはKもLも関係なく連番になっているようで、末期にZ9999まで使い果たしたあとはA0001に戻って二順目のBXXXXまで使われたようです。今回入手したLはシリアルナンバーがY0314とかなり新しく、イギリスのコレクター情報ではおおよそ1965年前後の製造のようで、どうりであまり使用されていない個体なわけです。乗除に関しては高価でしたがすでに国産の電卓が出回ってきており、対数計算もまもなく電卓でカバー出来る時代がそこまで来ている時期で、多くの通常計算尺同様に急速に衰退してくるタイミングの生産だったため、殆ど使われていなかったために状態がいいのは当然でしょう。製造総数ですが、あまりこれに触れた資料がないため、判然とはしないのですがシリアルナンバーの頭に頭文字のない初期のもの9999本を含めてA0001からZ9999までが総数269,973本、二順目A9999とBが半分くらい作ったと仮定して5000本を足したとしても1921年から1972年まで総数284,972本で「おおよそ30万本が約50年間の総生産数」となり、これが多いと見るか少ないと見るか、判断に苦しむ数字です。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 04, 2014

意外に気がつかないHEMMI No.2664Sのインチスケール

 日本国内における計算尺の永遠のスタンダードと言えるのがHEMMIのNo.2664Sだということは誰もが認めるところです。本命計算尺のバーターという形で自分の意思に係わらずいつの間にかコレクションにHEMMIのNo.2664Sが増殖してしまい、古くはH刻印の極初期型からX刻印の末期方までありとあらゆるバリエーションが揃ってしまいました。そのため過去にケース、刻印、スケール等の変遷もまとめて発表済みです。今回また新たにバーターでNo.2664Sがやってきたのですが、普通ならそのままバルクのダンボール行きになってしまうところ、たまたま刻印のチェックだけしようと中身を確かめてみたところ、なにかおかしいと感じました。よくよく見ると上部のスケールがインチで刻まれてます。No.2664の上面インチスケールは当たり前のように存在しますが、No.2664Sに限っていえば、上面にインチスケールがあるのはいままで相当な数をチェックしてきたはずですが、今回までまったく気がついたことがありません。それで初期から末期まで手持ちのNo.2664Sを調べてみたのですが、下固定尺側面には年代ごとにパターンが異なるものが存在するものの、上面は十数本すべてメトリックの27cmスケールで相違ありませんでした。
 HEMMIの計算尺はJ.HEMMIの時代から仕向け先などによって上部スケールがインチとメトリックの両方あるのが普通で、国内にはその両方が出回っていたのにもかかわらず、その区別を明確にして販売していた節はまったく感じられません。原則、国内ではメトリックのスケール付きのものを販売して、数が足りなくなったとか輸出向けに準備していたものがキャンセルになって余剰が生じたなどの際は輸出用のインチスケールのものも流していたのではないかと考えていますが、これは製品の中でもフレデリック・ポストなどのOEMで対米輸出用がある計算尺に限られ、学生用などの国内向けで対米向け輸出の無い計算尺には原則インチスケールのバリエーションが存在しないと思ってました。すなわちNo.64やNo.50Wなどには戦後のものであっても国内向けにインチスケールとメトリックスケールが混在し、欧米ではポピュラーではなく、輸出用OEMのない√10切断ずらしのNo.2664Sはインチスケールのものが最初から存在しないと思っていたのです。ところが、No.2664にはスケールがメトリックとインチのものが戦時中を含めて全製造期間を通じて混在(昭和20年代製造のものは返ってインチスケールのもののほうが多い?)しますので、国内専用にインチスケールなしの原則には合致しません。というよりまったくそのあたりの疑問にはいままで深入りしていなかったのでした。HEMMI No.2664Sに関してはあまりにもスタンダードすぎて、過去のオークション落札品チェックなどほとんどしていないのですが、このインチスケール付きのNo.2664Sの存在にはまったく気づかされていなかったというのが本音です。製造刻印は「JG」なので昭和34年7月。下固定尺の側面にはメトリックで27cmまでのスケールが刻まれているパターンのNo.2664Sです。このNo.2664Sも昭和40年代半ばを過ぎると上面にメトリックのスケールが刻まれるのみで下固定尺側面はブランクになりますので、おそらくインチスケール付きのNo.2664Sは昭和30年代半ばまでの初期タイプのNo.2664Sにしかないパターンなのかもしれません。そう思ってよく調べたら表面下固定尺の右下に形式名刻印が移動した昭和40年代初期のNo.2664Sにもインチスケールのものの存在を確認しました。「上面インチスケール付きNo.2664S」をお持ちの方はぜひ製造刻印をお知らせください。
また、昭和34年製造の片面計算尺だけに存在するまるでダブルスターリレー時代の片面尺のような特殊な黄色いアルマイト処理の裏板ですが、このインチスケールのNo.2664Sは通常のものが装着されていて、以前入手した昭和34年もののNo.64や40RKのような完璧なアルミのなべのような黄色い裏板ではありませんでした。
Hemmi2664s


| | Comments (4) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧