October 22, 2018

HEMMI No.P35 新幹線開業記念見本品

 新幹線開業記念品として現場の国鉄職員や建設などに関わった建設会社の職員などの関係者に対して配られたのが開業日やJNRマークが入ったNo.2634の5"ポケット計算尺ですが、出て来る数からしてもおそらく相当な数が配られたのではないかと思われます。たぶん数百という単位ではなく2-3000本くらいは作られないとオークション上に何本も出てこないと思われます。
 そして今回出て来ましたのが何と新幹線開業記念品としてヘンミ計算尺が国鉄本社に提案したのにも関わらず、見事に不採用になったP35です。まあこんな物が出てこなければP35も開業記念品としてヘンミから提案されていたなどということも知りませんでしたし、おそらくは見本品として数本もしくは多くても1ダースくらいしか作らなかったのではないでしょうか。もちろん物品税の課税対象外とするためかSAMPLEの赤文字がしっかり刻まれています。
 P35というとそのほとんどは企業のノベルティーとして裏側に社名やマークなどをスタンプするのに適しているためか、昭和40年代前半から半ばくらいにかけて企業向けの物がオークションでも結構な種類、出回っています。コレクション対象にはその種類を集めるのはいいのですが、使うほうにしてみれば三角関数がばっさりと省略されているため、技術計算用としてポケットに忍ばせるというわけにもいかず、それが新幹線開業記念品として不採用になった理由だとも考えています。No.2634のほうがP35なんかよりもけっこう割高だったはずですが、そこは当時新幹線計画をリーダーシップで推し進め、新幹線や国鉄の質の改善の最大の功労者だったのにも係らず、三河島事故で引責して辞任し、新幹線開業式に招待もされなかった十河信二国鉄総裁の職員に対する親心だったかもしれません。三井物産出身の新総裁石田礼助は当時新幹線に関しては懐疑的だったと言われていますが、彼なら紅白饅頭でも配ればそれで良いなどと言い出したかもしれません。
 そして開業記念品として配られたNo.2634は赤いJNRマークに東海道新幹線開業記念1964.10.1の文字が入り、皮ケースにもJNRマークが打たれた品物です。
Hemmip35
Hemmip35_2


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October 21, 2018

ACU MATH No.1240 5"ポケット計算尺

 アメリカの計算尺メーカーACU MATHのNo.1240、5インチのプラスチック製片面計算尺です。
ACU MATHは社名がACU MATHに変わる以前からチープな木製計算尺を製造する会社でしたが、経営母体が何度か変わり、このNo.1240を製造した1965年ころにはスターリングプラスチックという会社の実質的な傘下にあったと思いました。その後スターリングプラスチックの完全子会社になり、ACU MATHの名前も消滅してStarlingの商標に変わってしまうのですが、1969年に再度ボーデンに身売りされた後1972年迄計算尺の製造が続いたという話です。
 メーカーとしてのACU MATHは全期間を通じて初心者用、学生用の計算尺生産に徹していたところがあり、特殊計算尺の製造なども見あたりませんが、1940年代後半から1950年代後半までに製造していたマグネシウム芯にプラスチックを貼付けた構造の両面計算尺が唯一特色のある見るべき計算尺です。
ACU MATHの商標はスターリングプラスチックの傘下に入ったのちに消滅し、以後はスターリングの商標でチープな学生用計算尺の生産が続きます。
 このACU MATH No.1240は片面7尺を持つ計算尺で、上からK,A,[B,CI,C,}D,Lの内容で裏面はなし。三角関数絡みの計算はすっぱりと切り捨ててしまった内容はいくら初心者用としても日本では受け入れられなかった内容かもしれません。このような薄くてチープなプラ製計算尺ですが、さすがにアメリカ製だと思うのは薄いながらも本物の牛革シースタイプのケースが付いていることでしょうか。日本だったら絶対にビニールのサックケースになってしまいます。似たようなプラ製の計算尺にHEMMIのP35がありますが、P35よりこちらのほうが薄くてへなへなした感じで有り難みもあまり感じません。こちらもHEMMIのP35同様に企業のノベルティー需要を狙って作られたものだたのでしょうか?
Acumath1240
Acumath1240_2


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October 20, 2018

CPU-26A/P 米軍航法計算盤(フライトコンピュータ)

Cpu26p 主に固定翼機で比較的に小型の単座複座の米軍機で使用されたCPU-28A/Pという形式の付いた航法計算盤です。形体と内容は第二次大戦中に開発されたE6Bという航法計算盤の改良版ですが、狭い機体の中でも使用できるように小型化されているのが特徴です。ちなみにE6B系統の円盤部分の直径が5インチなのに対してCPU-26A/Pの円盤部分の直径は3,1/4インチほどしかありません。計算尺にしていうと10インチ尺に対する5インチポケット尺という位置づけでしょうか。s
 おそらくはクラムシェル式に蓋が開いて物が収納できるニークリップボードに合わせたサイズなのだと想像しています。また黒いプラスチックのアイレットが設けられていますが、機体の機動でGが掛かってどこかに飛んでいかないように、また胸のポケットからすぐ取り出せるように首からランヤードでも掛けていたのでしょうか?軍用ゆえに簡単なブラスチック製というわけではなく総金属製の航法計算盤です。 
Cpu26p_2
 使われた期間も長く、数も多かったためか製造メーカーは何社かあるようで、この個体はFELSENTHAL INSTRUMENTS Co.という会社が米軍に納めたものであり、MIL.SPEC.No.MIL-C-27216AとCONTRACT No.AF36(600)-16489 FEDERAL STD.No.FSN6605-064-6911、ならびにちゃんと官有物を表すU.S.PROPERTYの刻印が打たれています。メーカーによってビニール製のシースの形状色合いが微妙に異なっているようです。
 E6Bで出来る事はすべて網羅していると思われます。AIRスピードの表示によって固定翼機用と回転翼機用があるらしいのですが、詳しくはないので同種の回転翼機用の形式名はわかりません。
 これは以前大阪の軍装品屋から入手したもので、おそらくは中古のフライトジャケットのポケットあたりから出てきた余禄だと思われます。昔、学生時代のアルバイトで払い下げ品の仕分けしていた経験があるので、こういう衣料品関係からガムやキャンデーはもちろんのことポケットナイフやライターなどの小物が出てくることは何度かありました。PORNO雑誌の頁を切ったものなんていうのもありましたね(笑)

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October 19, 2018

HALDEN'S CALCULEX 懐中時計型計算尺

Halden HALDEN'S CALCULEXという英国製の懐中時計型円形計算尺です。こちらは正真正銘日本に昔からあった品物で、東京の某所旧家の片付けの際に出て来た品物だということですが、売り主に何か計算用具らしきものという認識しかなかったので、苦もなく1.5k円で入手したものです。
 5年程前ですがオークションで旧ソ連時代のKL-1という懐中時計型の円形計算尺が多数出回ったことがありましたが世界的にはこの懐中時計型計算尺は1900年代初めから1915年あたりまでに流行し、多くの国で作られたものの、1920年代後半には廃れてしまった計算尺の1ジャンルです。
 さすがにこの時代、まだ精密にこれだけのメモリを実用に堪えるだけ正確に刻むのは無理だったとみえて、日本ではこの懐中時計型計算尺を作ろうとしたり、実際に売り出されたという話は聞いた事がありません。この懐中時計型計算尺は銀座の玉屋商店や中村浅吉商店などの測量用品などの輸入を手がける会社が少数輸入しただけです。明治43年の玉屋商店商品取扱目録中にAW.FABERの計算尺などとともにHALDEN CALCLEXが出ていますので、興味のある方は国会図書館を検索してみましょう。
 それほど暇ではない方に玉屋の目録を当用漢字に直してみると「専売特許円形計算尺 Patent Circular Slide Rule :本器は金属板の両面に対数の尺度を目盛し、縁は輪状の金属製にして指線を有する硝子を以て金属板の側面を覆い而して尺度金属板は蛇目型の板と其板の内縁に接する円形板とより成り蛇目型金属板円形金属板とは普通の計算尺の本尺と滑尺との如き関係を有し此所に掲げたる円は即ち本器の表面並びに側面を原寸にて顕わしたるものなり。
Halden_5
表面には5種の尺度を有し、外辺に接して第一は対数の尺度にして第二及び第三は普通計算尺のA及びB尺に該当するするものなり。内辺の第四及び第五はB尺の平方根なり。
裏面には六種の尺度を有し、外辺に臨みて第六は角度にして第七及び第八は計算尺の尺度即ちA尺B尺なり。内辺に位して彫まれたる第九第十及び第十一はB尺に対しての立方根なり。
 前述の如く本器は他の計算尺には見る事を得ざる立方根の目盛を有するを以て普通の計算尺に於いて不便を感ずる立方根の計算に際して本器を用ゆる時は直ちに算出する事を得るべし。
X計算尺は最も有要なるものにして且つ叉だ信頼す可き器具なりとは世人の等しく認識する所なれども未だ一二の不便なる点を有するに至っては実に遺憾とする所なり。即ち吾人の懐中用として携帯に不便なると且つ叉た其使用に対し如意活用せしむる事を知るの難事とるとの二点なり。
 然るに本器は図に示すが如き小型なるを以て前者の不便を補い且つ叉た此後者とる難事を除去せんが為に特に此円形計算尺の袋中に納め得る形状寸度に調製せられたる土木、建築、機械、電気、工学上必要となる諸公式より銀行、会社、消火に於いて日常使用する諸計算の表に至る迄で網羅する約二寸角にして厚一分位の小冊子を添え共にチョッキのポケットに入れて携帯し、必要に応じて取り出し何時にでも本器と個小冊子とを合わせて活用する事を得るの便利なるは実に他の計算尺に於いて見るを得ざる独特の長所にして、一度本器を此小冊子と共に併用し其携帯に便なると此小冊子の有益なる事との妙味を感じ給わば恐らく一日も携帯せざるを得ざるに至るべし。故に試しに一器購い使用せられん事を切に希望する所なり。小型円形計算尺 P`atent Circular Slide Rule ,wity little use full table and fomular book in morocco case  8.000円(明治43年)」
Halden_4
 まあ明治の文語調の言い回しは回りくどくてわかりにくいのですが計算尺マニアなら言っている事はすべて理解出来るでしょう。しかし、他の掲載商品に比べてこの懐中時計型計算尺の説明はまるまる一頁を使用していて、玉屋商店のなみなみならぬ販売意欲を感じてしまいます。発注単位としてワンロット数百個も押し付けられたのでしょうか?(笑)
 懐中時計型の円形計算尺ですがこの文章の通り持ち運びに便利でかさばらないため、いつでも携帯出来るというのが最大の利点なのですが、小型ゆえに基線長が稼げず精度が見込めないことと、それこそハズキルーペでもないと誤認しそうな細かい目盛間隔、スピード計算・連続計算にに向かないなどのこともあり、学術計算分野では棒状の10インチ計算尺に押されて廃れてしまったのでしょう。
 その懐中時計型計算尺を80年代前半くらいまで作っていた旧ソ連もすごい国ですが、そのソ連のKL-1はいったいどんな職業の人が使用していたのでしょう?
 メーカーはJ.Halden & Co. 1900年に製造が始まり製造中止は1925年だということを聞いています。


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July 05, 2018

HEMMI製ボーリングピン2種

Dvc00954 今の人たちは信じられないでしょうが昭和45年あたりから日本国中で空前のボーリングブームというのが起こり、日本中にというよりもかなりの田舎でも36レーンから40レーンなどという大きなボーリング場が次々に建設され、おもに団塊世代の人を中心に盛んにボーリングが行われていました。地方のラジオなんかでは交通情報よろしくボーリング場の混雑状況などというのが定時に放送され、何処の何とかボールは2時間半待ちなどというのが流れていたのも隔世の感があります。
当時ワンゲーム350円くらいだと思いましたがワンゲームで終わるはずはなく、デートコースとして出掛けるレジャーにしてはかなり高額なお遊びだったと思います。

 我々は子供でしたからボーリングブームといっても本物のボーリングには縁が無く、ボーリングブームに便乗しておもちゃメーカー各社が発売したボーリングゲームで遊ぶくらいでしたが、これも安いものでも5千円はしたはずでそのような高価なおもちゃは買ってもらえなかった当方はもっぱら友人の家に出掛けてボーリングゲームで対戦させてもらい、そこでスコアの付け方を覚えたようなものです。
ボーリングブームで一番いけなかったのは、なぜかボーリング場が空に向かってサーチライトを照らすことで、当時天体観測をやっていた仲間内でも空を無用に明るくするボーリング場は目の仇のようなところもありました。それがオイルショックの節電でサーチライト点灯などを真っ先に止め、それ以上に進行が早かったボーリングブームの衰退でボーリング場自体の廃業が相次いだことで日本中の空に僅かながら暗さが戻ったことを歓迎してました。

 そのボーリング場の設備ですが、当時殆どはアメリカからの輸入だったAMFかブランズウィックが主流だったと思います。国内メーカーのものも何社かあったようですがうちの近所ではAMFの機械しか見たことがなかったです。AMFの設備はどこが代理店だったかは知りませんが、ボーリング用品は大沢商会が扱っていたような。

 機械がアメリカ製だったのに比べると消耗品のボーリングピンはAMFとブランズウィックが日本国内でOEM製造させたもののほかにも国内メーカーのJCB(日本ボーリングコミッション)公認ボーリングピンが各種製造されていたようで、その製品ごとにJBCの公認ナンバーというのが設定され、公式戦では公認ピン以外使用しても記録にならないなどの規定があったはずです。もっともボーリングピンの規格は高さも太さも重さも決められていてその規格に合致しないとピンセッターに詰まってしまうなどの不具合が発生します。
 おそらくはAMFやブランズウィックなどでは自社以外のボーリングピンを使用させなかったでしょうから国内メーカーのボーリングピンは国産のピンセッターに限って使われたのでしょうか。そのためかボーリングピン製造に参画したもののボーリングブームの衰退によってすぐに撤退してしまったメーカーばかりです。もしかしたら空前のボーリングブームのさなかでAMFやブランズウィックからのボーリングピンが一時的な供給不足に陥り、ボーリングピンのみ自社以外のものを使用することを黙認されていたのでしょうか?
 現在JBC公認ボーリングピンは設定以来40数年で50何号かまで存在しているようです

 計算尺のヘンミがボーリングピンを一時製造していたというのはよく知られていて計算尺マニアでも必ず一本は持っているというヘンミ計算尺製のボーリングピンですが、実は2種類存在していることを知っていて実際に2種類持っている人は何人いらっしゃるでしょうか?一つ目はJCB認定第5号のHEMMIボーリングピンでどこかで昭和46年認定だとか見たような気がします。
もう一つはJBC認定番号第8号のHEMMI PERFECTで確か昭和48年認定だと思いました。おそらくヘンミ計算尺としても竹製計算尺の衰退で新たなビジネスを模索していたHEMMIがセルロイド竹貼り技術の応用でブームになってきたボーリングビジネスに参画しようとしたのでしょうが、意外にも急速に衰退したボーリングブームによって撤退を余儀なくされたということなのでしょう。
 まあおそらくは自社製造ではなく関連の会社にOEM製造させ、完成品を納めさせただけでしょうからそんなに設備投資なので損失は被らなかったはずです。

 構造は明らかに異なっていてHEMMIの5号は最中状の中がくりぬかれたハードメイプルの2枚をあわせてナイロンで補強し、レジン製のような底板を被せてプラスチックコーティングしたというような構造で、HEMMIパーフェクトの第8号は木工自動旋盤で楓材を削り、中もくりぬいて底板を嵌めるというような野球バットのような構造をしています。HEMMI 5号ピンのほうがヘッドの部分まで空洞で長く使用しているとそのうちボールが当たった瞬間にパカンと真っ二つに割れてしまうような気がします。ポールが当たってヘッドが折れてヘッドが飛んでゆくボーリングピンは珍しくありませんが、さすがに縦に真っ二つに割れるボーリングピンは見たことありません。そういうクレームが実際にあり、パーフェクトという改良ピンがリリースされたのでしょう。
 見た目でもHEMMI 5号はなんとなくでっぷりとした体型なのに対してパーフェクト8号はスリムなシルエットです。
 デカールのデザインは基本的に同じなのですが中がHEMMI 5号が日の丸なのに対してパーフェクト8号はギザギザの太陽です。

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September 20, 2016

JEPPESEN CR-5 航法計算盤

Jeppsencr5  比較的に航法計算盤としては安価に売られているJEPPESENのフライトコンピュータ類ですが、このCR-5は元JALのクラシックジャンボに長く搭乗されていた航空機関士のSさんから譲っていただいたものです。自家用航空機のライセンス訓練生が使用していたものではなく、実際にジャンボジェット機のコックピットの中でSさんとともに歩んできたフライトコンピュータですから、いくら安価なフライトコンピュータとはいえ道具としての歴史が違います。しかし、クラシックジャンボが国内線から消えて久しく、またジャンボ自体も日本の航空会社から引退してしまう時代となりましたが、おそらく国土交通省のライセンス的にはいまだに航空通信士と航空機関士は残っているのでしょうか? このJEPPESEN という会社はコロラド州デンバーに存在する会社で1955年からフライトコンピュータやプロッターなどの航法計算用具を現在まで作り続けているようです。比較的に安価なプラスチック素材の物ばかりでその価格も30ドル以下の価格帯ですが、日本ではこういうものを必要とする人口がすくないため、どうしてもコンサイスのフライトコンピュータのような価格にならざるをえません。さすがに自家用車並みに自家用機があふれているアメリカだけのことはあります。
もっとも航法計算の世界でも基本教育はこういうアナログのものを使用するようですが、実践で使用するのはすでに電卓方式の航法計算機です。

Jeppsencr5_6 また大型機では航空会社のディスパッチャーが作成したフライトプランをブリーフィングでクルーと確認しあいますが、運行途中で何かの都合で変更が生じた場合には離陸地のディスパッチャーと連絡を取り、ディスパッチャーがはじき出したデータをコンピューターリンクで受け取って使用するようで、2人乗務員体制では機上で飛行経路と飛行高度変更、燃料の残計算や到着時間の算出などの計算からは一切開放されたようで、この省力化もあって航空機関士が要らなくなったことにもつながるのでしょう。

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September 19, 2016

フラー円筒計算尺

2_2 イギリスはロンドンのW.F.スタンレー社によるフラー円筒計算尺No.1です。カービック社のオーティス・キングス同様にらせん状に尺を巻いて有効基線長を高めた計算尺で基線長はなんと驚異の500インチで有効桁も4桁と格段の精度を誇ります。その分大きさも大きく、もはやポケットに入れて持ち運ぶようなものではなく、タイガー計算機なみの可搬性しかありません。同じように円筒形の計算尺としては同時代にサチャー円筒計算尺というものが作られていますが、こちらはらせん状の目盛りがあるものではなく、目盛りを分割した固定尺を星型に配置し、その中心を円筒の滑尺がスライドするという仕組みで、基本的に構造が異なります。またこのフラー円筒計算尺はオーティス・キングスの上下のC,D尺の円筒を伸縮させ、真ん中のカーソルになっている筒をスライドさせて計算するのではなく、対数目盛りは真ん中の円筒の一本だけで、真鍮の自由に動く2本のポインターをセットし円筒を回転させて計算するというオーティス・キングスとは真逆の方式の円筒計算尺です。
 このフラー円筒計算尺は北アイルランドのベルファスト市にあるクイーンカレッジの土木学の教授ジョージ・フラー博士が1878年に開発し1879年に特許を取得したものをロンドンのW.F.スタンレー社が商品化したものです。

 重厚な木箱に収納されており、真鍮製のスタンド金具を使用して木箱の片面から斜めにセット出来るようになっています。この箱と金具がセットになっていないと相当価値が落ちてしまうようです。

 このフラー円筒計算尺は特に計算精度を要求される研究部門などに限って使用されたようで、実際には内藤多仲博士がドイツ製の5インチポケット尺で殆どの建築の構造計算(実際は手回し計算機を併用)をおこなったくらいですので、一般の用途にはまったく必要ないものでした。そのため、製造は1878年あたりから1960年代まで牛の涎のように細々と続いたようですが、その間の製造総数たるやイギリスのコレクターの調査によると14,000本あまりにしか過ぎません。また製造終了後も1978年ころまで探せば店頭入手可能だったという話です。製造年数80年の長きにわたり14,000本の製造総数というと一年の出荷数でたったの175本です。需要もさることながら殆ど手作りだったという証拠でしょう。ありがたいことにすべての個体にシリアルナンバーが打たれており、末尾の二桁が製造年を現しているため、各個体の製造年の確認は容易です。

アメリカではK&EがOEM先として1895年から販売され、当初のモデルナンバーはNo.1742でしたが1901年よりNo.4015に改番されます。1895年のNo.1742のカタログプライスは28ドル、1901年のNo4015のプライスは30ドル、時代が下った1925年のプライスは42ドルと年々価格は上がっています。しかしK&Eは自社で製造したサシャー円筒計算尺No.4012のほうが力を入れて販売していたのは当然で、こちらのほうが若干値段が高く1892年版のカタログプライスは30ドル、1913年版のプライスは35ドルです。3_2 また後の年代にNo.2というLog計算に特化したフラー円筒計算尺が発売され、こちらのほうは円筒にある500インチのC尺はそのままですが、内円にプラスとマイナスのべき乗尺が刻まれ、対数計算が精密に行なうことができるというものです。1941年発行の説明書には追加でNo.2のべき乗尺の解説が載せられています。しかし、WEB上でNo.2の存在を詳細に解説してあるところが見つからず、いつから追加になったのか、シリアルナンバーがNo.1に含められているのか、それども独立しているかはよくわかりません。少なくとも昭和の始めくらいの年代にはNo.2はすでに作られていたようでシリアルナンバーもNo.1と連番だったようです。

入手先は同じく道内の旭川で、なぜ東京や京都ではなく地方のそれも旭川というところからこのフラー円筒計算尺が出てきたのか、計算尺そのものよりその出自のほうに大いに興味があり、自分としてはかなり高額で入手したものなのですが、出品者の言によるとさるアンティークコレクターからの買い取り品とのことで、それ以上のことはわからないとのことでした。旭川という土地柄、旧陸軍第七師団や大手の炭鉱などの備品が流れてきたものかと妄想をめぐらせていたのですが、届いた品物の製造番号は8千番台で製造年を見たらなんと第二次大戦中の1943年の品物でした。交戦国イギリスの計算尺が日本に入ってきたわけがありませんし、シンガポールから鹵獲したとしても年代が合いません。敗戦国日本が戦後すぐにこういうものを輸入できたはずもなく、おそらくはそのアンティークコレクターが海外から買い付けたものということが言えそうです。その事実がわかってちょっとだけ興味が失せてしまいました。入手した業者はよくデパートなどの骨董フェアなどを回っている業者で、そういうイベントでの換金に失敗してオクに出したようですが、ケースに貼られていた値札には28万円となっていました。e-bayなんかの落札相場を無視するといつまで経っても不良在庫です。入手価格はe-bayの落札平均相場より若干安い程度でした。

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September 18, 2016

K1型金利スケール/不動産スケール

K1  東京新橋の新製品開発センターという少々怪しげな会社が発売した一種のアイデア商品で、おおまかに金利シリーズのK型、レジャーシリーズのY型G型および実務シリーズのS型B型が説明書に記載されていますが、果たしてすべてのものが製造され発売にいたったのかは不明です。また特許出願中とありますが、この手の換算尺は明治末期から昭和にかけてありとあらゆるものが特許申請されあえなく討ち死にしてますので、はたして実際に特許申請したのかどうかも怪しいところです。
 それで金利スケールは表面が共通で裏面が異なるK1からK4までの4種類、Y型はレジャーシリーズとされる外貨換算尺でY1とY2型2種類とG1型は競馬専用、S型はビジネス用とされる仕入れ用のS1型と建築板金スケースのB2型がカタログ上に記載され、それぞれ定価が940円となっています。大昔の銀行通帳入れのように粗末で薄いビニールシースに入っています。
 おそらく発売は昭和40年代後半ごろでしょうか?というのも説明書きにこの会社で出版した非常に高い月刊誌の広告が載っていて、その「月刊世界のアイデア」という雑誌が昭和41年創刊で別の「月刊世界の新商売」という雑誌は昭和46年創刊ということになっています。前者が12ヶ月で45,000円、後者が12ヶ月で16,000円となっていますが、もしかしたら総会屋が各企業から利益誘導を受けるような形で各企業に何口か購読させる雑誌で一般の書店にはもちろん並ぶような雑誌ではないでしょう。
 キャッチフレーズが「どなたにも使える頭脳兵器シリーズ」とは人を食ったようなキャッチフレーズです。このK1型金利スケールは表面が元金と年利をあわせると期日が何日でどれくらいの利息が掛かるかということが一目でわかるような換算尺になっており、年利18%が上限とは昔のグレーゾーン金利時代のサラ金や闇金では使えませんね(笑) 
 裏側の不動産スケールは坪と平米の換算と坪単価をあわせて何坪でいくらかの総額がわかるようになっていますが坪単価の最小単位が30万円です。まあ位取りを変えて換算すればいいわけですが、表示の最小単位が坪30万円というと主に東京の不動産屋を対象にしたということでしょう。 監修は東京工大名誉教授の川下研介、製作は横浜国大助教授松本久志となっています。
 故川下研介名誉教授は東工大の主に熱学・熱力学の専門家。松本久志教授は同姓同名のマンガ家のほうが有名ですが横浜国大の科学教育・美学、美術史の専門家です。しかしなぜこの人たちがこのような計算尺に係わったのかがわかりません。もしかしてお金だけもらって名前だけ使わせたとか? 入手先は確か愛知県の西尾市だったと記憶しています。


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UTO No.930U Poly-e

Img_0698 デンマーク製の計算尺は日本では直接輸入されたことがないため、DIWAくらいしか知られていないと思いますが、今回入手したものは同じくデンマークのUTOというメーカーのNo.930Uという計算尺だと思われます。このUTOというメーカーは品物自体日本でまったく見たことが無く、予備知識はぜんぜんありませんでしたが、DIWAが計算尺の終末期まで特殊な計算尺がほとんど無かったのに対し、このUTOではHEMMIを上回るほどの特殊計算尺をリリースし、おもに北米市場に流していたということが特筆されます。
 またこの計算尺はアメリカの化学繊維大手だったCHEMSTRAND社の特別なノベルティーになっており、ROLEXの腕時計ケースのような緑の表皮をあしらった木製クラムシェルケースに収められ、さらに計算尺本体のブリッジに金メッキが施され、カーソルバーにも金のメタルが埋め込まれているという「特別仕様の別注品?」です。得意先に配ったのか、それとも懸賞の景品にでもしたのかはわかりませんが、ケースにまで会社のキャッチフレーズと社名が金色で入れられているような状態で、とても実用にするようなものではなかったためか、まったく使われた形跡の無い計算尺でした。

 通常型番が刻印されている滑尺端にCHEMSTAND社のマークが入っているため、型番がわかりませんでしたがどうやらNo.930の一族であることはわかりました。しかしこのNo.930は同一型番で尺のレイアウトがかなり細かく異なるバリアントがたくさんあるようで、そのものズバリの型番がよくわかりませんがおそらくはNo.930Uなのでしょう。尺種類は表面がLL03,LL02,LL01,DF,[CF,CIF,CI.C,]D,LL3,LL2,LL1の12尺、裏面がL,K,A,[B,T,ST,S,]D,D1,Pの10尺の合計22尺です。いちおうシステムリッツということになるのでしょう。表面はほぼノーマルなのに裏面はS尺とD尺が相対していたり同一固定尺上にD尺,DI尺とP尺が並んでいたり、意図することは良くわかりますが、日本の計算尺になれてしまうと何か妙な違和感があります。このあたりの尺配置で同一型番で年代によっていろいろなバリアントが存在するようです。製造年代は1950年代後半から1960年代初頭にかけてでしょうか?
 このUTO社はアメリカのニュージャージー州にHOFFMAN PRODUCTSという代理店が存在したようで、そこを通じていろいろな計算尺が輸出されたようですが、それはすべて第二次大戦後のことのようで、すでにプラスチックの計算尺のみのアメリカ輸出だったようです。
 またこのUTOのプラスチック製計算尺の終末期は日本のFUJIあたりの構造がそっくりな計算尺も存在したようですが、やはり計算尺終末期には日本の山梨でOEM製造された事実もあったのでしょうか?日本で入手できる個体がないのでその追跡は困難ですが今後の研究が必要です。
 入手先は横浜市の神奈川区だと記憶してます。しかしなぜ日本にこういうものが手付かずで残っていたのかが不思議です。
Uto930
Uto930_2


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September 17, 2016

竹内改良計算尺

Photo_7
 大田スター計算尺同様に国産計算尺の黎明期に発売されたものの逸見式計算尺のように後に実を残さず歴史のなかに埋もれてしまったのがこの竹内計算尺です。過去にオークション上で出品されたのが数本というレアな計算尺で現在知られているのは5インチと10インチのマンハイム型2種だけです。10インチのものはKimさんのコレクションに納まっておりまして本体はおそらくマホガニーと思しき木製の計算尺でした。それで5インチのポケット型も木製には違いないと思っていたのですがやはりマホガニー材が使用された木製計算尺です。裏側が寸、英インチ、米インチの換算尺になっている表面4尺滑尺裏4尺のマンハイム型ポケット尺です。尺種は表がA,[B,C,]Dの4尺で滑尺裏がS,L,T,の3尺で副カーソル線窓は開いておらず三角関数などを計算する場合は滑尺を裏返す方式です。
 面白いのは裏の単位換算テーブルを使用するときはカーソルを反対側にはめ込むことが出来るような構造になっており、そのために通常のポケット尺のように上面にスケールを持たない練習用計算尺のような上下が平らな上下対称系の計算尺です。
目盛りはJ.HEMMIのように刻まれたものではなく、おそらくセルロイドの上から目盛りを印刷したもののようです。そのため一部消えかかっている部分があり、またおそらく磨くと確実に目盛りが消えそうできれいにすることも出来ません。英国系木製尺のようにその上から薄い透明セルロイドシートでも被せてあれば目盛りも消えることがないのでしょうがこのあたりの細工はJ.HEMMI計算尺の敵ではありません。

 カーソルはJ.HEMMI初期のもの同様にA.W.FABERのコピーでアルミフルフレームのものが付いていますが、これは実にJ.HEMMIのNo.1のものとまったく同一のものです。以前当方はめまぐるしくカーソルのフレームが変わるJ.HEMMI計算尺を見て、おそらくカーソルはJ.HEMMIが自社製造していたのではなく、どこか別の金属加工屋に作らせていたのではないかと推測していましたが、どうやらそれはあながち間違いではなかったようです。このカーソル製造元がどこであるかは知りませんが、少なくともここではフルフレームのカーソルと位取り付きのカーソルの2種類を製造し、J.HEMMIだけではなく大田スター計算尺と竹内計算尺にも供給していたことになります。そしてなぜかそれらのカーソルを大正14年以前に何らかの理由で供給できなくなりJ.HEMMIでは大正15年式計算尺からカーソルの供給元でなぜか迷走して短期間でいろんなカーソルが出現し、大田スター計算尺は独自のフレームレスカーソルを付けざるを得なかったということなのでしょうか?

 表面刻印はC.TAKEUCHI'S IMPROVED SLIDE RULEとなっており、竹内改良計算尺となりますが何に対してどこが改良されたのかがわかりません。Cは当然名前の頭文字なのですがそうなると頭がCHA,CHU,CHOで始まる名前なのでしょうか?CHAは加藤茶のCHAくらいしか思い当たりませんがCHUなら忠一、忠太郎などいくらでも考えられますし、CHOならいかりや長介をはじめとし長一、長一郎など長男を連想させる名前はたくさんあります。さてこの竹内さんの名前はいったい何でどういう人だったのでしょうか?
 また表面にAPART OF USED PATENT 21257とありますが、この明治の末のパテントナンバーを記してわざわざそれを使用していないと記する理由と意図がわかりません。
 裏面の単位換算尺部分に大阪竹内製とあり、この計算尺が東京で作られたものでなく関西は大阪で製造されたということがわかりました。ケースにはY.T.SLIDE RULEとありおそらくはYさんとTさんのダブルネームだなんて想像していますがTは当然竹内さんでしょうがYさんはいったい誰?

 この竹内計算尺に関しては異論もあるでしょうが、製造年代が大正初年あたりから大正10年代までのごくわずかな期間の製造だったのではないかと推測しています。おそらく第一次大戦の混乱で欧米でHEMMI同様に輸出主体で製造していたものの大戦終了でドイツ計算尺の為替安による輸出復活台頭で欧米への輸出が立ち行かなくなり、あわてて国内に販売をシフトしたのでしょうか。しかし、この竹内計算尺はHEMMIのように目盛りを刻むという技術が無く、目盛りが印刷のため使用しているうちに消えてしまうという重大な欠点があり、またマホガニーの複雑な形状加工ということもあって大田スター計算尺同様にポリフェーズトマンハイム尺に改良されることもなく早々に淘汰されてしまったのでしょう。大阪竹内製と漢字で印刷が入っているのと換算尺が寸と吋なことからこの個体は国内向けの製造のものということになります。
 ただ幸いなことは形状とその厚みから大田スター計算尺のように反ってしまって滑尺も動かないということもなく、さほど狂いも無く未だに可動することでしょうか。
 入手先は和歌山県の橋本市は高野口からです。いかにも古いものが残りそうな場所ですが、こういうところでいったい何の用途で使ったのでしょうか?
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