October 17, 2022

SCI DUH RULES M.CO.(四達計算尺工廠)No.1309 10"マンハイムタイプ

 10インチの逆尺もないマンハイム型片面計算尺で、竹製のようなのにHEMMIでもRelayでもない特徴をもつ計算尺。強いて言えばA.W.Faberにこのようなものがあったのではないかと思い、カーソルがないのにもかかわらず購入した計算尺です。実は非常に興味深い来歴をもった計算尺だったのです。その正体は戦前の上海で作られた四達計算尺No.1309というもの。製造は昭和でいうと一桁からおそらくは15年位までの製造だと思われますが、それがちゃんと日本に渡って実際に日本人によって使用されていたというのは本体に刻まれた所持者名が証明してくれています。戦前の上海はアヘン戦争によって欧米列強に租借されており、租界という治外法権地域が存在していました。租界の外では軍閥、国民党軍、八路軍が入り乱れて騒乱を繰り返していたのに、租界の中は西洋文化が花開き、ヨーロッパ式の建物が立ち並び、銀行、百貨店、ホテル、ダンスホールなど、欧州と米国の文化が溢れた街に発展しましたが、そこには外国人や中国人資本家がアジアのマーケットをターゲットに軽工業を始めています。メインは繊維関係の工場だったようですが、中には文房具、パーカー万年筆なども上海に進出していたようです。しかし昭和16年12月8日の日本の開戦に伴い、外国人資本家は資産を中国人に売り払い帰国。さらに日本の敗戦後の中国内戦で国民党軍の本土撤収時に外国人・中国人資本家や技術者、熟練工や文化人に至るまで共産党支配を恐れて数十万人が香港に流出したというお話。それまでアジアの商業製造業の中心だった上海から香港がその地位を奪う結果になってしまったということです。四達計算尺のマークである「Ruyi」というのは中国仏具の「如意」というものであり、本来は背中を掻くための孫の手を模したものなのですが、それが権威の象徴のようなものになり、民間では「力と幸福を象徴する印」として目出度いマークなのだそうで。また、四達は星を意味する言葉でもあるようです。この四達計算尺の歴史は古く、1920年代半ばにはすでに製造されていたらしいのです。初期は片面尺はFaber Castelの模倣、両面尺はK&Eの模倣から始まった竹製計算尺です。これもHEMMI計算尺同様ですが、HEMMIの竹製計算尺の特許は内戦状態の中国では出願するすべもなかったのか竹を組み合わせた構造がそのまま使用されていたようです。入手した四達No.1309はA.W.FaberのNr.55/99あたりのデザインをコピーしており、本体も木製です。ただ本家が西洋梨材なのに対してこちらは白樫材を使用しています。白樫といえばハンマーの柄にも使用されるほどの固くて緻密でさらにリーズナブルな木材ですが、三味線の世界でも小唄の5厘大胴の三味線に限って使用される棹の材料なのでこちらも馴染みがあり間違いありません。その固定尺には表面に対して直角に、滑尺は表面に対して平行に金属の板の補強が入っており、反りを防ぐ構造になっています。この構造もA.W.Faberのパクり。尺度はシンプルな表面A,{B,C,]D,で滑尺裏がS,L,T,の7尺。また裏面には10インチと25センチメートルのスケールが刻まれています。滑尺溝とケースにはSCE DUH RULES M.CO. MADE IN CHINAとあり、戦後の中共時代のShanghai Si Da Rule Factory表記とは異なります。おそらくは工場は租界から日本支配、国民党支配から中共支配という変遷を経ながらも工場自体は上海に残ったものの、国営の公企業化されたのち、同じく上海にあった計算尺工房とともにに上海飛魚ブランドの上海計算尺廠に統合されたのでしょう。なお、四達には星という意味もあると書きましたが、太田スター計算尺の太田粂太郎が大正末に会社を潰した後に上海に渡り、四達計算尺に関わったなんて「義経が大陸に渡りジンギス汗になった」的な伝聞があれば、話はもっと面白いのですが(笑)なぜならば滑尺の金属板補強構造の特許は彼が持っていた…。それにしても所持者名は日本人ですが「友愛」なんてキラキラネームが戦前にあったのでしょうか?(^_^;) おそらくは明治末の社会的な考えの人達がそのまま「ゆうあい」と読ませる名前を男子につけたのでしょう。決して女の子キラキラネームの「ゆあ」ちゃんとは読まないはず(笑)

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(カーソルはHEMMIからの借り物です)

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October 06, 2022

WORLD No.58 10インチ片面技術用(日本文具製造?)

World58  リコー創業者の市村清が理化学研究所の大河原理事長に請われて理研感光紙の一代理店経営者から理研グループ入りしたわけですが、学閥主義的な空気が支配する理研グループでは単なる商売人で大した学歴もない市村は社内では浮いた存在で、徹底的に無視をされ、そのため会社でもう何もしないことを決め込み、次の商売を模索していたようです。その段階で東京の河井精造の計算尺工作所を買い取り、日本文具製造という会社を設立しています。理研から給料を貰いながら堂々と副業を始めてしまったわけですがこの大日本文具はリコー三愛グループの歴史には一切触れられておらず、理研光学の社長に市村が就任した日がリコー三愛グループの創業記念日となっているようです。逆に考えるとさすがに市村が理研から給料を貰いながら別会社の社長に就任するのを憚ったのか、日本文具製造のオーナーとなったものの社長は別人を立てていたのかもしれません。また、河井精造が理研の関係者だったため、誰かが市村清と河井精造を結びつけたフィクサーがいたはずですが、今となってはそれを示すような記述も資料も今のところ見つかっていません。
 その日本文具製造時代の計算尺は河井精造のKAWAI計算尺と全く変わらない特徴のあるカーソルがつけられ固定尺滑尺に剥がれ止めのスタッドがある計算尺をSTRONG印計算尺と改名して売り出したラインナップが昭和12年版の玉屋の目録に載っているのですが、そのストロング印計算尺は未だかつて遭遇したこともなく、どうしたものかと思いきや、どうやら輸出を意識してか、すぐにWORLD計算尺に改名され、あまつさえアメリカに輸出までされたようで、某日本製計算尺をまとめたサイトに2種類のWORLD計算尺が掲載されています。それを見ると初期のワールド計算尺は河井式計算尺の「裏板の切り欠きに目安線を意味する山形突起がある」構造で、さらに上下固定尺及び滑尺に剥がれ止めのスタッドがあるWORLD計算尺と後のIdeal Relay計算尺同様に片側のみ副カーソル線が刻まれた透明セルロイド窓が開いているものの2種類があります。おそらくは当初は河井式の構造を引きずっていたものの、輸出を意識したコストダウンでHEMMIの模倣に落ち着いたということなのでしょう。又、サイトに掲載されていた5インチのポケット尺は尺度や数字の特徴も後のIdeal Relay計算尺とほぼ同じものです。昭和16年の前半くらいまでアメリカに輸出が成り立っていたもののその後アメリカとの関係が険悪になり輸出が中断。国内向けにIdeal Relayというブランドを創設して国内専用に計算尺を供給したのでしょうが、WORLD計算尺にあってIdeal Relay計算尺にないもの。それは本体の「Japan」表記の有無です。またRelayの商標は当時の東洋特専興業が航空機用の継電器、すなわちリレーが営業収益の大半だったからということらしいです。
 入手先は兵庫県内からです。以前にも一度オク上に出品がありましたが、カーソルが後のHEMMI 45Kの樹脂一体型に付け替えられていたため、スルーしてしまった人が多かったのではないでしょうか。特徴的なのは後のIdeal Relay時代にはなかった馬の歯型目盛が刻まれているポリフェーズドマンハイム型で、HEMMIでいうと大正15年型計算尺の仕様です。この10インチのポリフェーズドマンハイム尺の目盛が馬の歯型なのは河井式計算尺を踏襲しており(但し、河井式でも5インチ尺は当初からものさし型目盛)後のIdeal Relay計算尺は当初から10インチ尺も5インチ尺もものさし型目盛という違いがあります。おそらくは少々異形の河井式計算尺から目盛も仕様も標準的な、HEMMIでいうとNo.50/1に進化する過程を示している計算尺ということが出来ると思います。さらに河井式計算尺は終始一貫して戦前のHEMMI片面計算尺に存在した左右の位取り記号がありません。それがIdeal Relay計算尺になると新たに刻まれることになるのですから進化なのか退化なのか(笑) ケースは戦前のHEMMI片面尺同様に皮シボ模様の貼箱ですがメーカー名などのエンボスはありません。奇跡的に形式名を表すシールが残っていました。そこには「No.58」とありますので、おそらくWORLD No.58というのが正式名で間違いないようです。どういうわけかIdeal Relay時代の計算尺は別な形式名付与ルールに変わるのですが、本家のHEMMIは50番代はポリフェーズドマンハイム計算尺のカテゴリーながら同じNo.58というのは存在しません。
まあ、違和感バリバリのプラスチック一体型カーソルは戦前のHEMMI No.40からでもトレードしておきましょう。たぶん、この計算尺が生産されていた頃には特許の河井式カーソルはすでにつけられておらず、HEMMIの改良A型カーソル相当の金属枠カーソルがつけられていたようです。また、本体は竹製で反りは見られないものの目盛の起点と終点が上下の固定尺のセルがやや縮んだために一致しません。ダブルスターRelay時代の計算尺にもよくあることですからそれをもって批判するわけにもいきませんが、さすがにHEMMIの計算尺は当時物でもあまりお目に掛からない現象です。まだまだ技術的にはHEMMIには及ばなかったことの証明でしょうね。

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August 17, 2022

Royal ロイヤル計算尺 10"ダルムスタット型技術用?(内田洋行輸出用?)

Royal Plastics Slide Ruleというお目に掛かるのは初めてのプラスチック製計算尺なのですが、国内にはまったくこのロイヤル計算尺の情報はなく、辛うじてアメリカから「内田洋行のUK向け輸出用ブランド名」という情報があるだけです。考えてみれば内田洋行といえば戦後にわざわざ計算尺課という部署を作り上げ、HEMMI計算尺の最有力なディストリビューターとして全国の教育機関にHEMMI計算尺を売るだけではなく、計算尺普及のための教育や指導、ならびに文部省検定の制定などに多大な貢献を行った会社ですが、こと輸出に関しては欧米には個人商店時代からのHEMMIの代理店が存在し、HEMMI計算尺を輸出品として扱うことが出来ないというジレンマがあったのではないかと想像してます。
 そのためかどうかはわかりませんが、山梨のプラ尺メーカーの輸出向け既製計算尺を、自社から輸出するためのブランドとして使用したのがこのRoyalというブランドではないかと思われます。それで今回入手したRoyalブランドの計算尺は構造的にはHEMMIのP45Dなどと共通ですので、おそらくはFUJI計算尺のOEMではないかと思われますが、ケースはある時期の技研計算尺にも似ています。時期的には昭和40年代中頃よりも古いのではないかと思われますので、もしかしたらFUJIからOEM専業になっていた技研工業のほうに回された仕事かもしれません。
 ケースにはRoyal Plastics Slide Ruleの表示はあるものの、本体にはメーカー名も形式名もまったくありません。それで、FUJIの輸出用計算尺にも同尺度のものがあるだろうと調べてみるとFUJIのNo.201Pがそっくりです。カーソルの形状もFUJIのNo.2125Dあたりと同じカマボコ状のものです。ただし、No.201PはDI尺がP尺に変わってますが。このRoyalはFUJI計算尺の滑尺が薄いグリーンに着色される以前のものらしく、のちのFUJI No.201Pは滑尺がグリーンです。ケースも紙製ですからのちのポリエチレンケース一辺倒になったFUJI計算尺よりも年代的には古そうな。尺度はLL1,LL2,LL3,A,[B,BI,CI,C,]D,DI,K,LL0の12尺。滑尺裏がT2,T,L,S,の4尺の合計16尺ですが、裏側に副カーソル線窓が空いていないため、三角関数の計算は滑尺を裏返さないと計算できません。この裏側に副カーソル線窓がないFUJI製輸出向き計算尺は割りに種類があるようですが、単に単価を下げるためのコストダウンの産物なのでしょう。それだけ輸出用計算尺ともなると仕切価格が厳しかったのでしょうがこれだけ尺を詰め込んで副カーソル線窓も開いていない計算尺は国内では受け入れられなかったでしょう。またUK向けのブランドと言う情報ですが、自由貿易港香港を拠点にした代理店により、東南アジア方面にこのロイヤル計算尺は出回っていたかもしれません。同じくFUJI計算尺がOEMで製造に関わった輸出ブランドHOPEと同様に。入手先は大分県内からですが、輸出先の都合か何かでキャンセルになったものが換金のためHOPE同様に国内に出回った例もあったのでしょうか?まあ天下の内田洋行の販売網からすれば、販売報奨金代わりにHEMMIの学校納入用計算尺のバーターで末端の教材問屋に配ったという可能性もありますが、今までまったく姿も形も国内からは見つからない計算尺というのがHOPE同様に不思議な感じがします。入手先は大分県内ですが都内からなら余剰品換金説も成り立つものの、大分から発掘されたという事実が何となくバーター説というのもありうる話。おそらくは既製品のFUJI No.201Pを無刻印の状態で輸出用に手当したものの、なんらかの理由で余剰になったものが国内に出回ったのは確定的のようです。もちろん国内用の説明書の用意なんかなかったでしょうから中箱と本体だけで出てきたものですが、中身は未使用品でした。入手先は大分市内です。それでまたそっくりさんを発見したのですが、それは件のHOPEの輸出用No.65-Gというもの。こちらのほうは尺度もほぼ同じですが、表面A,B,尺とC,D,尺が印刷でグリーンに着色されています。RoyalにしてもHOPEにしても輸出用なのに国内からひょっこり出現するという怪しさは共通かも(笑)

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August 15, 2022

☆Relay☆ E-1001 10インチ電気技術用

 ☆Relay☆E-1001というダブルスターリレー時代の輸出品番電気用計算尺です。RelayとRicoh時代の電気用計算尺No.107は所持しているのですが、昭和30年前後の輸出用電気尺には初めてお目にかかりました。当時のリレー産業時代のRelay計算尺はほどんど輸出で成り立っていたことが伺え、かなりの仕向け先ブランドを抱えていたのは国別の有力な代理店1社に絞って計算尺を輸出していたヘンミ計算尺とは異なります。また、仕向け先からの要求で作り上げた国内には出回っていない尺度の計算尺も多く、その点でも興味は尽きないのですが、ことRelayブランドの計算尺にあっては日本国内向けと同様のものが輸出用品番を付番して自社ブランドで輸出されたものが多いのです。それも後のRelayやRicohの同型式のものと比べると微妙に尺度のレイアウトが異なっていたりして、そういう差異をほじくり出すのも面白いのです。
そもそもRelayの100番代片面計算尺は戦前のIdeal Relayブランドの時代には成立していて、おそらくはNo.107も軍需産業用の用途として戦時中にすでに発売されていたとは思うのですが、Ideal Relay時代の一般のマンハイムタイプの計算尺は珍しくないものの用途別計算尺は航空用計算尺のNo.109を2本所持しているだけで戦前モノのNo.104のスタジアやNo.106の坑道通気、No.107の電気などは過去オークション上に登場したかどうかも定かではありません。特筆すべきは戦争終末期にいよいよ金属の枯渇により計算尺のカーソル枠まで代用品の竹で作ったのはRelayだけで、HEMMIは軍納があったためかカーソルのバネをハーフサイズにして金属節約したものはあったものの、最後まで学生用のNo.2640でさえ金属製カーソル枠で作り続けられています。まあ戦後になってさすがに耐久性に劣る竹枠カーソルは新しい金属枠のカーソルに交換されたようで、確認できたものはいままで3点ほどしかありません。残っていないのではなくて残らないというのが正確なような。
 そのダブルスターブランド時代のNo.E-1001ですが、尺度のコンテンツはのちのRelay No.107やRicohのNo.107と同じものの、レイアウトが全く異なります。No.107はべき乗尺をすべて滑尺裏に集めたのに、このE-1001はべき乗尺が表面にあります。どちらもダルムスタット型の片面尺なのですが、ここまで見た目が異なるというのは全く知りませんでした。E-1001は表面がE,LL2,A,[B,K,CI,C,]D,LL3,V,の10尺、滑尺裏がS,L,T,の3尺で、合計13尺です。これに対してNo.107は表面がE,V,A,[B,K,Ci,C,]D,S,Tの10尺で、滑尺裏がLL3,LL2,LL1,L,の4尺の合計14尺とL尺が増えています。べき乗尺が滑尺裏に集められて、より利便性が増したような気がします。、このダブルスターブランド時代のNo.107や、未だ現物がない戦時中のアイデアルリレーブランドのNo.107のレイアウトが果たしてこのE-1001と同じなのか、それとものちのNo.107のほうと同じなのかはいまのところわかりません。ところが今回のE-1001よりも新しいGK-2刻印の国内向けNo.107の情報があり、こちらはE-1001とまったく同じでした。そうすると他のRelay計算尺にもありがちですが、同一型番なのにいつのまにやらまったく見かけの異なる計算尺にマイナーチェンジしてしまったようです。その境目はやはり昭和33年から昭和34年に掛けてでしょうか?そうなると、おそらく戦時中に発売されたと思われるIdeal Relay時代のNo.107はこのE-1001とまったく同じものであったことが推測出来ると思います。戦時中、HEMMIのNo.80が両面尺のNo.153同様に電気技術を離れて広く軍事産業分野で多用されたのはべき乗尺があったからではないかと思うのですが、おそらくIdeal RelayのNo.107も当初からそのあたりの需要を狙ったのかもしれません。ただ、当初から3本線カーソルは用意されていなかったようです。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製。ダブルスターリレー計算尺時代にありがちの象牙色っぽい光沢表面のセルロイドと黄色いアルマイトの裏板が使用された計算尺です。入手先は都内からでした。

☆Relay☆ E-1001 電気技術用(CS-3)

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Relay No.107 電気技術用(J.S-3)

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June 18, 2022

HEMMI No.269 10"両面高級土木技術用「SK」

 おそらく10年ぶりになりますが、3本目のHEMMI 土木用計算尺のNo.269を入手しました。奇しくも最初のNo.269同様に福岡県内から出たものですが、決め手としては3本目にして初めて説明書が付属したものだったからです。電気とか電子に関してはある程度の資格持ちなので、その専用計算尺は尺度の意味するところはある程度は分かるのですが、土木分野はまったくの素人なので、いままで2本のNo.269の操作に関しては皆目わかりませんでした。まあ、スタジア測量に関する尺度は測量士補の教科書を入手したのでそれだけはかろうじて理解出来ます。そのHEMMIの高級土木工学用と記されるNo.269ですが、実に21世紀を迎えた2000年代になってもNo.251とともに2種類だけ普通にHEMMI本社に在庫があり、伊東屋などを通じて入手出来た両面計算尺です。逆にいうと、それだけ売れ残りが多く生じた両面計算尺だったということですがNo.P267同様に土木建築の分野にはかなり急速に電算機が普及し、昭和40年代中期から末期にかけてオワコンになるのが早かったという事情があったような気がします。それで説明書の能書きによると従来の土木用計算尺のNo.2690を両面に拡張して全面改良したものということで、なるほどそれで型番のNo.269という数字の言われというのもわかるというもの。No.2690は戦前のNo.90系同様にスタジア測量に特化した片面計算尺でしたが、No.269は特徴として1.簡単な曲線敷設(curve setting)用の特殊目盛を備えている。2.スタジア測量の目盛(sin cos cos^2尺)を備えている。3.マニング(Manning)の流量公式を処理するためのに滑尺上のK'尺及びF尺を備えている。またこの目盛は立方関係、4乗関係の計算にも便利に使用できる。以上のほかNo.2690になかった目盛としてK尺、B尺、DI尺および範囲1.01~2200のLL尺を備えており、その用途は広く検定試験の一般受験も可能である、などということが記されています。このマニングの流量公式というのは土木の基本である水路や道路の側溝、下水道などの水を通す溝の敷設に関する重要なファクターの公式です。まあ、当方はこの言葉だけしか知らなかったのですが、簡単に言うと溝の横幅が狭ければ同じ量の水の流速は早くなり、広くすると遅くなる。水路の勾配が急であれば流速は早くなり、緩慢であれば遅くなる。水路底の形状がなめらかだと流速は早まり、ゴツゴツした抵抗があれば遅くなるという3要素の関係を公式にしたものです。このマニングの公式による計算というのは単純に2乗3乗4乗の関係する計算故にこのNo.269では表面のA尺B尺に加えて3乗尺K尺と4乗尺のF尺があれば事足り、ゆえにこの計算は電卓でも簡単に叩けますし、数値を当てはめれば答えが出てくるという単純なプログラミングで事足りるということもあって、昭和40年代なかば以降には現場から急速に姿を消したのではないかと。そういう事情もあって21世紀を跨いでもまだ注文すれば在庫が出てくるという理由になったのではないかと思われます。また、単曲線敷設の計算として裏面上段のCL,SL,TL,及び滑尺上のR尺を使用し、単純なカーブの起点終点の距離を算出するのに使用するのですが、曲線敷設でも鉄道や高速道路などの高い精度を必要とするものには使用できず、林道や農道の計算や検算、すでに敷設しているカーブの検算に使用するとあります。まあ、それこそ単純に曲線半径250mで線路を90度角度を変えるのにどれくらいの距離が必要かということになると、まあ考えただけでも内側と外側では距離が異なるわけですし、そこにカントをどれくらい取るかなどという要素が絡むともう計算尺の精度ではお手上げということなのでしょう。まあ、機械設計や電気・電子などの分野と比べると土木の世界は伝統的なスタジア計算を除くとあまり相性が良くなく、「これがないと仕事にならない」などと内藤多仲博士のドイツ製5"ポケット尺のようにNo.269を使い潰すほど多用したという人の話は聞いたことがありません。逆に最初のNo.269を譲っていただいた福岡の大手ゼネコン支社に昭和42年に入社した方のように「No.269を買ったけど、数回使用しただけで机の引き出しにしまい込み、あとは計算機を叩いていた」というのが実情だったのではないでしょうか?そのため、あまり酷使されたようなものは少なく、ケースはボロボロでも中身はそこそこきれいという個体が多いような気がします。表面からL,F,A,[B,K',CI,C,]D,LL3,LL2,LL1,の11尺で、A尺はマニング公式の流速V(m/s)、F尺は勾配I、Bはマニングの粗度係数n、K'尺は径と深さのSARにアサインされています。裏面はCL,SL,M,TL,[R,ST,T,S,C,]D,DI,SIN,COS,の13尺で主に単曲線敷設に関する計算とスタジアに関する計算に使用します。デートコードは「SK」なので昭和43年11月製の説明書は冊子型で6904Yのコードが付いていたため、おそらくこの個体は昭和44年4月以降に発売されたもの。ケースは紺帯箱でした。入手先は最初の一本と同じく福岡県の那珂川市。ところで特徴的な「Civil」の赤いデザインロゴが入れられていますが、単純にCivilだけだと「民間の」とか「市民の」を意味するのでこれだけだと軍用や政府用に対する民間用の意味。土木だとすると「Civil engineering」と入れないと通じないのではないかと思うのですがどうなんでしょう?「Civil WAR」を土木戦争なんて訳す人はいないでしょうし(笑)ちなみに軍隊の土木や敷設などを担当するのは工兵科ですが英語ではEngeneering CorpでCivil Engineeringと区別するためかMilitary Engineeringとする例もあるようです。その違いは武装の有無?もっとも日清・日露戦争のときの工兵は銃装させてもらえず、砲兵や輜重兵なんかと同じく剣(砲兵刀:30年式銃剣とは別物)しか持たせてもらえなかったのだとか…

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June 02, 2022

CONCISE No.300とSTAR No.1660円形計算尺を徹底比較!

 コンサイスNo.300は今でも継続して作り続けられているのか、それとも以前の在庫が残っているのかいまだに普通に購入できる計算尺なのですが、当方は円形計算尺があまり好きではありません。というのも目ハズレがない、同じ基線長の棒状計算尺よりもコンパクトで携帯に便利である利点は認めるものの、指の摩擦で内円を回転させて動作する以上計算速度では棒状計算尺に遥かに劣り、外周と内周の基線長が異なる宿命上、中心に近づくほど精度が劣ること。そして棒状の計算尺は慣れると滑尺を引いた全体のフォルムである程度、置数やどこに目盛が一致しているかという見当がつくものの、円形計算尺はそれがわかりにくくてどうしても一致点を目で追わなければならず、目盛の速読性に欠けるというのもどうも円形計算尺に馴染めない理由です。そのため、現行品ということもありコンサイスのNo.300は今まで入手したことはなく、コンサイスの興味としては展示会などで来場記念品として配られた測定器などの企業ものノベルティーや、企業が自社や関係各社のために特注した特殊用途の計算尺に限られています。
 そこで今回、このコンサイスとしては一番尺度の多いNo.300と往年の星円盤計算尺STAR No.1660のフラグシップ計算尺同士を無謀にも比較検討するためにNo.300を入手しました。片や全国ブランドの現行品。片や地方発の絶滅商品で、さらに計算尺界においてもその実態はほとんど語られたことがないという円形計算尺です。
コンサイスのNo.300はコンサイスの円形計算尺としては大型で直径は約11.2cm、これに対してSTAR No.1660はさらに一回り大きい直径約12.8cmもあります。コンサイスのNo.300は表面も裏面も独立して内円が回転する唯一のコンサイスで、そのため表面裏面が単独で計算することが可能なのに対してSTAR No.1660は表面の内円のみ回転可能です。コンサイス No.300は塩化ビニール素材ですが STAR No.1660は金属板をサンドイッチしたセルロイドの円盤です。コンサイスは中心軸のフリクションでカーソルの動きを止めているものの、STAR No.1660はカーソルバーが独立していてカーソルバー内側のフェルトのフリクションでカーソルの動きを止めています。またSTAR No.1660のカーソルには尺度記号が印刷されています。重要な点ですがC尺D尺の部分の直径が双方ともに約8.2cmで、基線長がともに約26cm相当で精度的には10インチの計算尺に合致。しかし、それより内周の尺度は当然のこと基線長が短くなるために、そこに配置された三角関数はコンサイス No.300がT尺2分割でNo.1660がS尺2分割でT尺はなんと3分割で精度を補完し、ともにST尺を備えるというものです。大きさは異なるもののC,D,尺の基線長が同一のため、精度的には何ら変わらず、STAR No.1660はCD尺の外周にLL尺を重ねていったために大きさがコンサイスのNo.300よりも一回り大きくなっているのです。コンサイスNo.300は表面が外周からK,A,D,[C,CI,B,L,] の7尺。裏面がLL3,LL2,D,[C,S,T1,T2,ST,] の8尺で合計15尺。STAR No.1660は表面がLL3,LL2,LL1,LL0,K,A,D,[C,CI,EI,E,]の11尺。裏面が-LL3,-LL2,-LL1,-LL0,L,DI,D,T,S,T,S,T,ST,の13尺の計24尺となっているいわゆるフルログログ計算尺です。HEMMIの両面計算尺でいうと、尺度は一致するわけではないものの用途と機能からするとコンサイスのNo.300はHEMMI No.P253やRICOH No.1051S相当。STAR No.1660はHEMMIのNo.259相当というのが言えるのではないでしょうか。双方とも目外れのない円形計算尺ゆえにCIF尺をあえて入れないのは当然です。また、他ではあまり見たことがない尺度のSTAR No.1660のE尺EI尺は√10から10までの順尺逆尺なのですが、説明書がないためどういう用途でどの尺に対応させて使用するのか当方はわかりません。
 コンサイスは戦前に玉屋が発売元だった藤野式計算尺が改良・発展していったもので、特に金属製だったゆえに戦時中製造が絶えた金属重量計算器をいち早く改良・発売し、産業の活性化とともに相当数を売ったようで、昭和30年代には一般用の計算尺やノベルティー物、企業からの特殊用途計算尺の特注も受ける余裕も生まれ、HEMMIやRICOHに次ぐ計算尺メーカーに発展しました。それに比べるとSTAR計算尺は北陸富山市の稲垣測量機械店という個人商店が開発・販売した地方ローカルの計算尺です。それゆえ片や全国ブランドで広く出回ったコンサイスに比べるとSTAR計算尺は北陸3県を中心に新潟、長野あたりまでしか出回っていなかったため、全国的にはまったく知られなかった計算尺です。資本力と宣伝力、販売網のないSTAR計算尺は昭和30年代末には会社とともに消滅してしまったようで、これを昭和40年頃に工業高校進学と同時に購入した富山市内の元設計エンジニアの方は稲垣測量機械店のこともSTAR計算尺が富山市内で生まれたこともご存知ありませんでした。いくら優秀なものを作ったとしても資本力と宣伝力の差で勝ち組、負け組が明確になってしまうのはまさに経済原理ですが、それゆえ負け組の製品が高機能で優秀だっただけに人知れず消えてしまったのは惜しい気がするのです。

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May 29, 2022

HEMMI No.257 10インチ化学工学用「TJ」

 最近入手した2本目のHEMMI No.257、化学工学用計算尺です。化学工学用計算尺はすでにNo.257とNo.257Lの2種類を所持しているのですが、No.257のほうは製造が昭和30年代の前半の「GD」(昭和31.4月)と早く、昭和40年代に入ってからの、出来ればNo.257Lに切り替わる直前の末期型No.257とゲージマークの書体などの違いを詳細に観察してみたいという欲からつい「ポチッとな」してしまったのです。ケースが紺帯時代のものなので、昭和41年から昭和45年あたりのものだと思っていたのですが…。届いたNo.257はデートコード「TJ」だったので昭和44年の10月生産品です。昨年入手したNo.257Lがデートコード「VC」の昭和46年3月生産品」で、紺帯箱入りでしたからその年代差は一年半以内ということになり、目論見通りNo.257としてはマイナーチェンジ直前の最終仕様ということが出来ると思います。
 基本的には尺度などの差はないもののはやり単位の書体などに些細な差は認められます。まず、GDのL尺の数字はそのままですが、TJのほうは数字の前に小数点が存在すること。よくあるπゲージマークの違いは双方にほとんど差はないように見えます。裏面単位系の書体などにはけっこう見かけ上の差があり、ますGDのCh尺のhの末端が跳ねているのにTJは下がったまま。また、GDがαtmという単位に対してTJは素直にatmgとあり、さらにGDがLbs/in2 Gage(ポンド/スクエアインチ)に対してTJはlb/in2 gageになっていました。そして一番気になっていたのが物質名の追加が無かったかどうかでしたが、TJのほうにはMo(モリブデン)のあとにさり気なくI(ヨウ素)が追加されているようです。入手先は兵庫県に姫路市で、ビニール袋は開封されていたもののまったく使用した跡のない未使用品でした。
実は昨年、HEMMI No.257Lを落札した際に発送時は無事だったカーソル枠が破断して届き、ありがちなことなのでいちおう売り主に話だけして、昭和30年代中頃のNo.259のジャンクからカーソル枠だけトレードして交換したのですが、たまたまケースを逆さまにしたら蓋がゆるくて本体が30cmくらいの高さから絨毯に落下。それだけでカーソル枠の同じ箇所が破断してしまいました。10年くらい古いカーソル枠でも同じ箇所が破断したとなると、もう寸法公差がプラスに傾いているカーソル硝子のせいだとしか思えません。カーソル硝子が標準よりも縦か横の寸法が大きくて常にカーソル枠を押し広げている状態になっていて、温度低下の金属収縮と衝撃でカーソル枠が破断してしまうのが原因と結論付けました。
 このNo.257も届いた当初は何でもなかったのに、数時間後に見てみると同じくカーソル枠上部左端が破断。30年代のカーソル枠には起きない現象が昭和40年代中頃のカーソルには起きているということは、カーソル枠自体の寸法誤差ではなく、どうもこの時代にカーソル枠を破断させるカーソル硝子が混じっているとしか思えないのです。念のためノギスで寸法を測ってみるとどうやら1/10mmくらいのプラスの誤差で仕上がっているものがありこれが怪しいのです。たとえカーソル枠をハンダ付けしたところでこのカーソル硝子をはめるといつかはハンダ付け部分が取れることは目に見えているので、まずはカーソルグラスをオイルストーンなどで砥いで硝子の寸法を誤差の範囲内に収める作業から開始。そしてカーソル枠は0.6mm直径の表面実装部品用共晶ハンダで100Wクラスの板金用ハンダゴテを使用し、フラックスも銅板などの専用フラックスを使用しました。なにせ接着面積が極小で、ハンダ付け向きの作業ではないのですが、カーソルグラスを削ったことでカーソル枠に負担をかけなくなって、何とか納まりがついた感じです。カーソル枠を破断させた人は、カーソル硝子を砥石で砥いで正寸に整形することがマストです。それをやらないとハンダ付け部分はいつか必ず剥がれます。また、ハンダを盛りすぎるとカーソル硝子が嵌らなくなりますからハンダの量は必要最低限で手早くハンダ付けしなけばいけません。まあ、日常ハンダ付けに慣れている人じゃないと難しい作業なのは確かです。

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HEMMI No.257(TJ)

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HEMMI No.257(GD)

 

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May 26, 2022

HEMMI No.P267 10インチ構造設計用「ヘWJ」

 実に14年ぶり2本目のHEMMI No.P267構造設計用計算尺です。No.P270の大気汚染用計算尺とほぼ同時代の昭和46年以降に発売された新系列の計算尺で、当時すでに製造はHEMMIが直接関わらず山梨の技研系列のメーカーに丸投げOEMで製造されたもので、当時のFUJIの計算尺などと同様に着色されて発売されました。ただ、FUJIの計算尺の滑尺はFABER CASTELLがそうであったように緑色(FABER CASTELLのシンボルカラー)だったことを世界のHEMMIが嫌がったためか、薄いブルーに着色されており、このブルーの滑尺は学生尺のP45SやP45Dなどにも採用されていて、後期のHEMMIプラ尺のアイデンティティーになったような感があります。中にはこの時代まで製造されたNo.P261のようにブリッジとカーソルバーが緑で滑尺が白のものがブリッジ、カーソルバー、滑尺まですべてブルーにマイナーチェンジし、全く違う印象の計算尺になったものもあります。当時はすでにHEMMIに特殊計算尺を設計する人材がおらず、400番代の特殊計算尺はすべてヘンミ計算尺自身で設計されたものではなく外部の技術者の考案によるものです。また昭和30年代から盛んにヘンミサークル誌を通して計算尺論文等を募集しており、その中から計算尺のアイデアをもつ人材を探していたのでしょう。そんな投稿者の一人が当時不二サッシ工業設計部強度計算係勤務の伊藤次朗氏で、このNo.P267は氏の考案が製品になったものです。当時、伊藤次朗氏はカーテンウォールの構造設計の第一人者で、氏のおかげもありその後霞が関ビルを始めとする高層ビル群が誕生するきっかけになりました。氏は「朝、会社に着いてまっさきに計算尺に触れると全身に血が巡るような気がする」などということも言っていたほどの計算尺ヲタクで、日頃から自分なりの計算尺の設計アイデアを練っていたその情熱は大正末期に猿楽町の逸見の事務所にさまざまな考案・意匠を持ち込んで入り浸っていた往年の計算尺ヲタクたちと何ら変わりません。しかし、その構造設計計算尺のアイデア発表から発売に至るまで数年のインターバルがあり、大手ゼネコンでも構造計算はIBMか富士通のコンピュータが急速に普及しました。以前No.269を譲っていただいた昭和42年入社の大手ゼネコン地方支社社員の方でさえ「No.269を買ったけど、数回使用しただけであとは計算機叩いていた」という時代の変換期に発売された計算尺だったのです。説明書におそらくは伊藤氏の言葉で「最近、コンピュータや電子式卓上計算機などの進歩、普及はめざましいばかりです。ややもすると計算尺は軽視されがちですが、計算尺にはそれなりの長所があります。とくに、構造設計の場合は、計算尺の精度で十分であることと、ファクターとファクターの乗除計算をする場合が多いので、計算尺が非常に適当しています。コンピュータと共にご愛用下さい」などと書かれていましたが、当時のモーレツサラリーマンが仕事に追われ、特殊な新しい計算尺を習得する時間もなく、わざわざ後発の専用計算尺を使おうという人も少なかったのでしょう。用途が限られるということもあって発売したはいいけれども「売れなかった計算尺」の代表みたいなものです。追加生産分は在庫が積み上がっていたようで、実に西暦2000年になる直前まで注文すると入手可能だったという話も聞いています。同じようにNo.269の土木用も21世紀に入るまで在庫があったそうですから、機械設計や電気技術以上に建築や土木はコンピューター化で計算尺の引退が早かったのでしょうね。実はこのNoP267のあとに同じく伊藤氏の設計のサッシデザイン/カーテンウォール構造計算尺も出来ていたものの試作のみで、一般向けに市販されなかったのはNo.P267の在庫の山に懲りたからでしょうか?長野の塩尻市からやってきたNo.P267はデートコードが「ヘWJ」で昭和47年10月製。頭のへの字は製造委託先が当時ドイツ製プラ尺なども製造していた関係で発注先を区別するためヘンミのヘの字を付けたのでしょう。ちなみに最初に入手したものはデートコード「UL」昭和45年12月製。おそらくはP267の初回生産ロット品だと思われます。尺度や特徴に関しては14年前に詳しく書きましたのでそちらを参照ください。

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May 22, 2022

HEMMI No.149A 5インチ両面機械技術用

 Dvc00553_20220522133001 HEMMIの代表的なポケットタイプの両面計算尺、HEMMI No.149Aですが、今まで3本入手しているもののたまたま3本とも未開封品だったため、恐れ多くて開封することを憚り、安心して使用できる中古品を探していたものの、No.149Aはそれなりに落札額が高いのです。それだけ計算尺に関わる人間ならば高周波素人でも欲しがる電子工学用No.266同様に誰もが最初のコレクション段階で少々金額が張ったとしても入手する計算尺ということが出来ます。以前は何か計算尺の精密度を鑑賞するという妙な人間がいて、その人達は尺度の数が多いほどその計算尺は「偉い」んだそうで、そういう人たちはNo.266を崇め奉り、No.250などは「あの何もない空間に腹が立つ」などと軽んずる輩も出てくる始末(笑) そういう計算尺鑑賞派にとっては最高の愛玩物がこのNo.149Aで、結果的に高額取引されることは否めません。それでなんとか今回、中古品で心置きなく使用できるNo.149Aを1本入手できました。1.5K円でドイツ製のポケットタイプ金属三スケが3本おまけで付いてきました。
 No.149Aは機械技術用計算尺のNo.259のサブセットの両面計算尺で、No.279Dが20インチ、No.259Dが10インチ、No.149Aが5インチのそれぞれ両面計算尺という存在です。この両面計算尺で3種類の長さが揃うのはこのシリーズのみで、あと3種類揃うのは片面計算尺のNo.72、No.2664S、No.2634。4種類あるのがNo.70、No.64、No.66、No.74と2シリーズしか無いのではないでしょうか?
 10インチと5インチがあるのは数多くの組み合わせがあるのですが、5インチで両面計算尺のNo.259DシリーズサブセットというのはNo.149Aが唯一です。それだけポケットタイプの計算尺としてのユティリティーが高かったために数多く作られて残っている数も多いはずなのですが、それにしても落札額は未だにけっこう高額です。
 戦後の日本で5インチ6インチの両面計算尺を最初に作ったのはどうやらダブルスター時代のRelayNo.550やNo.650だったようですが、その形状はK&Eタイプの10インチ両面計算尺をそのままスケールダウンした形状でした。ポケットタイプの両面なりにLL尺などが省略された必要最小限の両面計算尺だったものにHEMMIがぶつけて来たのがNo.149で、DI尺のない当時のNo.259と比較するとST尺が無い22尺、No.259及びDI尺が加わったNo.259Dは三角関数が順尺なのに比べるとNo.149は三角関数が逆尺です。DI尺がない分の工夫なのでしょう。このNo.149は上下の固定尺が同長のファーバーカステルスタイルで、当時まだこれだけの薄い竹にセルロイドを被せる技術が確立していなかったためか、セルロイドはサンドイッチ構造で上下は竹が見えています。そのNo.149が市場に投入されたのがおおよそ昭和34年と推定しています。というのも上下に竹がむき出しのNo.149は残存数が少なく、というよりも当時の経済事情でポケット尺の両面計算尺を買うのだったらまず10インチの両面計算尺のほうが優先という事情もあったようで、そのためかNo.149まで手が出ないということもあったのでしょう。東京オリンピックに向けたインフラ整備などもあった高度成長期の昭和30年代後半にはすでにNo.149Aにモデルチェンジしており、給与事情も好転したためかこちらのほうが圧倒的に残存数も多いですし、未開封新品のデッドストックも各地の鉱脈から豊富に発掘されます。そのため、希少性は全く無いのに落札額が高額になる計算尺の代表です。
Dvc00542-2  説明書は短冊型と冊子型があり、もちろん冊子型のほうが新しいのですが、その冊子型を2つ折にして革ケースに入った計算尺本体といっしょに外箱に納めるため、外箱の厚みが増しています。説明書は手持ちのものはデートコードが6807Yと6907Yがまだ短冊型で、7112Yが冊子型となっており、この間に変更があったようです。今回入手したものは本体のみで説明書はもちろんありませんでしたが、本体のデートコードが「VE」(昭46.5月)のため、どちらの説明書が付属していたかが微妙な境目にあるようです。それでいつNo.149からNo.149Aにモデルチェンジしたのかというと、おおよそ昭和37年から38年の間ではないかと考えているのですが、なぜセルロイドをエッジにかぶせただけで律儀に「A」の記号を追加して別物にしたのかというのも謎です。Relay/RICOHあたりなら同じ型番なのにまったく違う計算尺なんかけっこうあるのですが、Aの意味はAdvancedあたりの、日本語でいうと単なる「改」くらいの意味合いでしょうか?よく軍用機にあるマイナーチェンジごとに末尾にAから順番に付番していくような乗りだったのかもしれません。HEMMIのNo.149はRelay/RICOHでいうとNo.149にやや遅れて発売されたNo.551ですが、こちらはNo.149を2尺上回る24尺装備です。これは三角関数が順尺のため、DI尺を入れざるを得なかったのと、差別化のためにP尺を追加したためです。こちらもアメリカの業者のOEMブランドで相当数を売ったようですが、計算尺の出来栄えとしてはやはりNo.149/149Aのほうに分があるようで、カーソルグラスがアクリルかガラスかの質感の違いも大きいようです。
ちなみに今回のNo.149A(VE)は本体のみで革ケースもなかったのですが、たまたま以前にRICOHのNo.550Sの2本目を入手したときにそれが入っていた何故かHEMMI刻印の革サックケースがジャストフィットしました。ところがHEMMIにはこの形状の5インチ両面用ケースは無く、カーソル部分まで覆って保護するタイプの革ケースが普通なのですが、いったいこのケースは何用に作られたものでしょう?ちゃんと149Aのブリッジの跡が付いているし、素人がハサミでフラップ部分をちょん切ったという感じではないのです。ポケットから落下してカーソルグラスを割るリスクはあるものの、本体を取り出すのには非常に使い勝手がいいのです。どなたか何用のケースなのか教えて下さい(笑)

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April 03, 2022

HEMMI No.80K 10"電気用初期型「HD」

Hemmi80k

 HEMMIの電気用計算尺No.80KのルーツはJ.HEMMI時代のNo.3にまで遡りますが、No.3自体はA.W.FABERのNr.368 Elektroのまるまるデッドコピーでした。というのもHEMMIの創業者の逸見治郎はあくまでも目盛職人で計算尺の原理原則などわかるはずもなく、あくまでも渡された見本を忠実に作ってみせることには長けていたものの、それ以外のことは不得手で、あるとき西洋の文字で書かれた手紙が猿楽町の逸見治郎の作業場に舞い込んだとき、彼は学校の先生なら何が書かれているかわかるだろうとさっそく近所の小学校にくだんの手紙を持ち込み助力を求めると発送先はイギリスのロンドンからで、サンプルを至急3本送られたいという内容だったということがわかったとのこと。当時のイギリスは第一次大戦でドイツからの計算尺供給が途絶え、新たな計算尺の供給元が早急に必要だったのでしょう。その後、どのような手段でロンドンの会社とやり取りしたのかは知りませんが、おそらくその会社から同じものを作ってほしいと送られてきたサンプルがこのA.W.FABERのNo.368だった可能性もあります。そして大正時代の前半にはマンハイムタイプの計算尺しかなかったところにいきなり加わったのがNo.3なわけなのです。ちなみにこのロンドンの会社が逸見治郎の猿楽町の工場に手紙を出さなければ。また逸見治郎が近くの小学校に駆け込まなければ。そしてロンドンとの取引が始まらなければ、そのロンドンでヘンミの計算尺を後のヘンミ製作所社長となる大倉龜が見つけることもなく、おそらくヘンミ計算尺は大正14年の工場火災とともに途絶えてしまったかもしれません。そしてヘンミ計算尺は大田スター計算尺や竹内式計算尺同様に時代の徒花となり、以後の日本の計算尺は河井精造が正式に理化学研究所の資本投下をうけて会社化した「理研計算尺」というものが設立され、戦前戦後の日本の計算尺界をリードしていた可能性だってあるのです。逸見治郎が英語がわからないからとその手紙を放置せず、取引の始まったロンドンでその製品を目の当たりにした大倉龜が経営参加を申し出、いろいろな人材が自分のアイデアを猿楽町の事務所に持ち込むために集まり、結果として次々に新しい計算尺が発売されていったのです。
 そのHEMMI No.3電気用ですが、コピー元のA.W.FABERがNr.398にモデルチェンジしたことでいささか陳腐化し、べき乗尺、逆尺などを備えたNr.398コピーがHEMMIのNo.80です。発売当初はNo.3同様のナローボディだったという話を聞きますが、その後すぐにNo.64同様のワイドボディ化し、両端にセル剥がれどめの鋲が無くなったと同時に延長尺を備えるようになったのが戦前から戦後の昭和27年頃まで続いたNo.80になります。その戦前のNo.80ですが、べき乗尺を備える片面尺が他になかったためNo.153と同様に電気関係者だけではなく、機械技術関係者にまで広く使われたためか、今でもかなりの数が残っており、決して珍しい存在ではありません。No.50系統を除き、技術用の計算尺としてはリッツのNo.64に次いで多用された片面計算尺かもしれません。そのNo.80の滑尺溝内のモーター・ダイナモ効率尺度を廃し、表面に持ってくることにより特殊な構造の滑尺インジケータをやめ、No.2664などと共通化したボディを使用し、さらに二乗尺のK尺を下固定尺側面にあらたに追加したのがNo.80Kになります。そのNo.80K電気用ですが、他の延長尺を持つNo.64やNo.130等と同様に延長尺の始点の違いで初期型と後期型に分類されるのはあまり気にはされていないと思います。というのもNo.80系統は戦後に多種多様な計算尺が発売されたおかげで戦前に比べるとNo.64同様に相対的に重要度が下がったため、さほど数がさばけなくなったのか数が少ないため、目にする機会も少ないためだと思います。現にNo.130の初期型でさえ昨年立て続けに2本入手しましたが、それまでは現物を目にすることさえ出来なかったのですから。この延長尺の始点が旧タイプはA,B尺C,D尺それぞれ0.785と0.890だったものが0.8と0.9に短縮されています。旧タイプはなぜ、このように半端な数値の始点だったかというと、コピー元のA.W.FABERがそうだったからということしか言いようがありません。同じドイツのNESTLERあたりも似たような延長尺始点なので、おそらくは意味のある数値であったとは思うのですが、当方はよく理解していません。後に0.8と0.9にしてしまったわけですから最初からあまり意味のなかった数値かもしれません。HEMMIの延長尺トリオNo.64、No.80K、No.130のうちで延長尺が一番長かったのはNo.130初期型のそれぞれ0.7と0.84で、後期型とは見た目ですぐに違和感がわかるのですが、No.64とNo.80Kは言われなければわからない人が多いのではないでしょうか。その初期型No.80Kですが、開始価格1000円スタートで出品されたものの送料一律1500円を嫌がったのか誰も入札者がなく、開始価格が下げられて出品され続け、400円になり送付方法もメール便210円に下げられたところで落札したものです。入手先は東京都内です。
 デートコード「HD」ですから昭和32年4月製なので、この初期型では最後の製造年度になると思います。最初期型のHコードのNo.2664S等と同様に裏側固定尺真ん中にSUN HEMMI のトレードマークとデートコード、右の端に形式名が入っているのがこの年までのHEMMI片面計算尺の共通仕様です。手元にあるデートコード「OH」の後期型との違いは構造的には裏板のネジ止めの有無くらいなものですが、あとは表面延長尺部分の数字の色、D尺上にCおよびC1ゲージマークが無くなったくらいしか変更はありません。πマークも釣り針足形で変更がありません。ただ、D尺のCとC1ゲージマーク廃止は後期型でも中途の変更だったらしく昭和36年製造年の「L」にはちゃんと残っているのです。

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