November 30, 2021

焼津からやってきたHEMMI No.266 電子用(QI)

 7MHzのトラップコイルの共振周波数を計算しているときに偶然新たに静岡の焼津から落札したHEMMIの電子用計算尺No.266です。焼津と言えば今も昔も遠洋漁業の街で無線の街であるということは周知の事実ですが、最近は漁業の幹部が冷凍マグロやカツオの漁獲を中抜きして横領し、自身の水産会社の冷凍倉庫に隠匿していたという負のニュースが伝わっていました。その焼津の漁業無線局は民間漁業無線局としては日本で最初の開局らしく、時期的には大正末のNHK東京のJOAKが放送開始した時期にほぼ一致します。当時の漁業無線局は瞬滅火花式の電信で減幅電波(B電波・ダンプ)と呼ばれるもの。それが持続電波のCWに変わったのはいつ頃でしょうか。コールサインはJFGで現在は静岡県内の清水・御前崎漁業無線局と統合して静岡県漁業無線局となりましたが、いまだに焼津の地に送信・受信設備を構えております。各地の漁業無線局から電信が無くなる中でここはA1Aの1kW設備が稼働中です。ただ、今の世の中。船舶も電信設備なども無く総合通信士ではなく海上無線通信士が乗船するご時世で電信の扱いがどれくらいあるのかわかりません。20年くらい前ならなニュースで公衆電信業務としての新年祝賀の電報取り扱いで大忙しの漁業無線局の映像などがニュースで流れていたのですが。
 また、焼津は日露戦争前に三浦半島との間で海軍の34式それの改良型36式の無線設備の通信実験を行うために別途送受信設備が設けられたそうで、その記念碑がどこかのお寺に設けられているそうです。その36式無線機とB電波の日本海海戦時の活躍は相当昔に記事に書きましたので割愛しますが、これだけ日本の無線の歴史と関わりが深かったのが焼津の街なのです。またビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸も焼津の所属で、無線長の久保山愛吉さんが被爆治療で仲間とともに東京に送られたときや、久保山愛吉さんが危篤になったときなどは焼津の無線局に仲間の船からの「久保山がんばれ」の電報が殺到したそうで、その模様は新藤兼人監督の映画「第5福竜丸」でも描かれています。所属の漁船が多いとなるとそれに関係する無線関係を生業とする業者も多く、これだけプロの無線屋が多い街はアマチュア無線も非常に盛んだと言う印象があります。というのも船を降りてからアマチュアを開局した人や無線関係の生業をしながら開局した人はその殆どが上級アマ局で、もちろんのこと無線に関する高いスキルやノウハウを持っていますから後から開局した人たちもその影響を受けて自然と地域全体のレベルアップがなされているような印象です。北海道では昔は根室や函館がそのような感じの街でした。でも今や漁船の通信士あがりのOMさんや漁業無線局OBの上級ハム局のOMさんもサイレントキーが増え、この法則はもはや薄れてしまいましたが。
 それで焼津からやってきた当方3本目のHEMMI No.266ですが、おそらくはプロの無線屋さんの持ち物だったのでしょう。通信士系か無線技術系かはわかりませんが、どういう職種のプロが使用したのかを想像するだけでも楽しいものですし、敬意を払わなければいけません。デートコードは「QI」ですから昭和41年の9月の製造。箱は紺帯箱です。厚木のOMさんから譲っていただいた米軍落ちのNo.266が「PK」で昭和40年の11月製の緑箱ですからこの間に緑箱から紺帯箱に変わったことがわかります。時代はウルトラQからウルトラマンに替わり、空前の怪獣ブームを巻き起こした時代のNo.266で、周波数の記号はまだMHzではなくMcの時代。No.266も3本目なのですが、いまだMHz表記に変わったNo.266には縁がないようです。

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November 10, 2021

日本計算尺 NIKKEI No.250 8インチ学生用

Nikkei 10年以上ぶり3本目の日本計算尺のNIKKEI No.250です。8インチの学生用と思われる計算尺です。よくRelay計算尺の東洋特専興業が戦後の一時期に名乗った日本計算尺と混同されるケースも多く、外国人コレクターが頓珍漢な説明を加えていることもあるのですが、この日本計算尺は東京の世田谷に存在したまったくの別会社です。それは宮崎治助氏の計算尺発達史中に戦後に製作を始めたメーカーとして出てきますのでこれはファクトでしょう。また、この日本計算尺は自社ブランドで輸出も行っていたようで、なぜかHEMMIの両面計算尺に自社のNIKKEIブランドを付したものの対米輸出もあったことがわかっています。この経緯は良くはわからないのですが、おそらくフレデリックポストに戦前から独占されていた対米輸出をポストの影響力なしに行うため、HEMMIがNIKKEIを利用して風穴を開けようとしたのかもしれません。そのNIKKEI計算尺のトレードマークが漢字の「日」をかたどった太陽マークで、これは旧日本水産の戦前からの社紋と同じ。今のネット社会では一発でクレームが入りそうなものですが、当時にしても缶詰やソーセージと計算尺を同一メーカーと誤認するようなことはなかったでしょう。
 このNIKKEI計算尺は国内向けには5インチと8インチのバックプレートが一体金属で厚みが比較的に薄いものと、HEMMIのNo.45と同様の構造の学生用8インチ計算尺に限られています。両面計算尺の生産が出来なかったというのがこの会社の技術力を物語っていると思います。金属の一体バックプレートを持つ構造は合理的なアイデアでパテントを取得しているようですが、一つ問題があって、裏側にS,L,T,尺を持ってきた場合に副カーソル線窓の移動で最終調整するわけにはいかず、さらに金属の温度変化の伸び縮みで精度が損なわれるのではないかということです。その問題を指摘されないために5インチと8インチという短い計算尺しかないのかと疑ってしまうのですが、さらにそのあたりの事情からか当時ではよくある三角関数尺とL尺を廃して裏側がブランクのものがあるようです。そのため滑尺裏に三角関数があるNo.200は構造的にはHEMMIのNo.45Kあたりとかわらないごく普通の竹製8インチ学生尺です。
 今回入手したのがNo.250という8インチの√10切断の機種です。この時代には5インチのポケット尺が一種類、8インチの学生尺が3種類記載されていますが、すべて√10切断のずらし尺を備えたもの。後にマンハイムタイプのA,B,C,D尺を備えるNo.260が加わったようです。普通は逆だと思うのですが。さらに4尺ですから1.2mの教授用のライナップがあるようで、それだけ学校教育用に食い込もうと試みていた様子。その教授用計算尺のおかげもあったのか、文部省、日本国有鉄道、東京都教育庁からの推薦を受けているということです。
 このNo.250の尺度は表面がK,DF,(CF,CI,C,)D,A,の7尺で裏側は竹の表面むき出しのブランク。それでもちゃんと竹を組み張り合わせている構造のため、反ってしまって抜き差しもままならないということはありません。このNIKKEIブランドの日本計算尺は世田谷区の上北沢1丁目というと今はこれといって特徴もない住宅街ですが昭和20年代から30年代はというと、近所の都立松沢病院を望む畑と雑木林が点在する場所で、近くの桜上水や赤堤にはまだ牛を飼っていた酪農牧場があったようです。以前、朝はさんざん千歳烏山から甲州街道の渋滞を避けて赤堤通りから環七の淡島通りに入り、大橋から旧山手通りに入り、鎗ヶ崎交差点で左折して恵比寿に至るルートを毎日走っていたはずなので、上北沢1丁目は毎朝通過していたもののまったく印象がないのです。昭和30年当時としても都内では割と辺鄙なところですから、単にどこかに計算尺を外注で作らせていたわけではなくて、ちゃんと小規模な製造工場を構えていたのかもしれません。入手先は埼玉の川口市で、ぼろぼろな一枚ペラの長尺折りたたみの説明書きが残ってました。

追記:当時の上北沢1丁目は現在の桜上水4丁目だそうで、昭和30年代は閑静な住宅街だったようです。おそらく現在の上北沢1丁目は当時完全な農業地帯で農家が点在するだけの場所だったのでしょう。なぜこのように地名が移動したのかは不明ですが桜上水には三井財閥の酪農牧場が存在し、後にその跡地が桜上水団地に化けたという話だけは知っています。元京王沿線の世田谷区民なもんで(笑)

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October 07, 2021

HEMMI No.130 (BK) 10"片面技術用(ダルムスタット)初期型再び入手

 ここ数ヶ月の間は何かHEMMIのNo.130に縁が続き、2度あることは3度あるということで、今年3本目のNo.130ダルムスタットを捕獲しました。それも前回と同じ最初期型の延長尺が長く、逆尺が赤いという戦後発売されてからほんの2年少々しか製造されなかった希少種です。画像が表面の半分しかなかったので、延長尺が長いというだけで落札してしまったNo.130です。前回入手したNo.130がデートコード「BK」でしたからそれより古いものを期待していたのに届いてみればまったく同一のデートコード「BK」で昭和26年11月製の御年まもなく70歳のロートル(ってほぼ死語ですが)。おまけにその70年の間をわずかに使用されただけでずっとタンスに仕舞い込まれていたようで、ケースも本体も非常にきれいなもの、裏板の一部が戦前尺のように高温多湿が原因で腐食しかけていて、端のほうの溝を押し上げ、やや変形しているほど。それでもごく初期型の希少種ですし、送料込みでかなり安かったので文句は言いません。本音からすると製造月が一月くらいずれていてくれればという思いもありますが…。ケースがきれいなだけに定価のラベルが残っていて\1,450の値段が付いています。入手先は東京都の小平市でした。

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October 06, 2021

コンサイス No.27N 円形計算尺(東陽通商ノベルティー)

 久しぶりに捕獲した企業ノベルティーもののコンサイスNo.27Nです。昭和40年代中期に入りHEMMIの計算尺も、たとえプラ尺とはいえコストがジワジワと上がり、展示会や見本市で配るには負担が大きくなってきたときに、一気にこの需要のシェアを奪ったのがコンサイスのA型単位換算器やこのNo.27Nでした。計算尺を企業の宣伝に配るような見本市や展示会と言うと科学や工業分野で使用される測定器や実験器具、機械工具などの製品を扱うものが多かったようで、そこに集まるのも研究者や技術者と相場が決まっています。そのため、今の世に残るこれらのコンサイス円形計算尺のノベルティーものの殆どは測定器や実験器具、機械工具などのメーカーや商社のものです。また、実験器具や測定器のメーカーは一般消費者向けの商品ではないものの企業や教育機関などの一定の需要があり、さらに技術の進歩に従って買い換え需要もあるため、その社名は一般の人には馴染みがないものの、いままでずっと商売を続けている会社が多いのも特筆されます。家電メーカーだとそういうわけにはいきません。
 今回入手したNo.27Nは東陽通商という会社で、類似の東陽や東洋がつく会社は古今東西掃いて捨てるほどありますが、この東陽通商という会社は昭和28年に機械工具輸入を目的に設立され、後に測定器などの総合商社として現在は東証一部上場の東陽テクニカです。その東陽テクニカが東陽通商時代のおそらくは昭和40年代後半くらいのアナログ測定器時代に参加した展示会見本市で配られたものなのでしょう。こういう展示会は貴名受けという名刺のポストなんか置いてあって、名刺と引き換えにこういうノベルティーがもらえて、企業側はどんな会社のどんな担当者が来場していたかを把握し、営業の対象を定めるという仕組みでしたが、うちの会社あたりでも当然決裁権のある管理職の顔は事前に把握していて、ヒラの参加者はボールペンあたりでごまかしても役付きの大物用には特別な来場記念品を用意するという差別ではなく区別は当然行ってました(笑) 今のデジタル時代の展示会見本市の来場記念品はどういう形態に変わっているのでしょうか?一時期は企業の名入りUSBメモリーなどが多かったようですが…。
 展示会見本市の性格上、海外からのバイヤーなど集まるせいか、このNo.27Nは裏面の換算表が国内ものは日本語表記なのに対して英語表記で、さらにメトリックではなくポンドヤードインチ表記がメインになっているところが特徴です。入手先は神奈川の横須賀からでした。

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October 04, 2021

☆Relay☆ No.DB-808 8"両面型事務用?

 珍しいダブルスターリレー時代の何と8インチの両面計算尺☆Relay☆No.DB-808です。すでに手元にある計算尺は400本近くに及ぶと思いますが、8インチの両面計算尺というのはもちろん類似のものを含めて一本も所持していません。現物は見たことありませんが、確かリレーの時代には6インチの両面型計算尺No.650があったはずです。これらのちょっと存在意義が問われそうなオフサイズの両面計算尺は昭和30年代末のRICOH計算尺の時代には継承されなかったようですが、それは当然でしょう。外国の例からするとK&EのNo.4088-2などの例があるのですが、やはり10インチの両面計算尺に比べると少数派だったようで、遅くとも世界恐慌の時代に淘汰されて後には残らなかったようです。ちなみにK&Eの4088シリーズは4088-1が5"両面、4088-2が8"両面、4088-3が10"の両面で尺度は同じ。もちろん一番先にフェードアウトしてしまったのは8"の4088-2でした。
 昭和20年代のダブルスターリレー時代の計算尺は自社デザインと言うよりもアメリカのバイヤーからの要求でデザインされたような計算尺が大半です。どうもこのDB-808はOEM先ブランドでリリースはされていないようで、そのまま☆Relay☆No.DB-808として輸出主体で生産されたものなのでしょうか。DB-808の意味は輸出品番でDBはDuplex Businessで両面型事務用を意味し、800番台は8インチの計算尺を意味します。
 商品が届くまで裏側の尺度がまったくわからず、用途が特定出来なかったのですが、裏側は一年365日および730日までを2本に分割した日数計算尺となっており、表面には利率のような尺度が2分割されており、一般計算は√10切断の尺度を持つというものでした。さらに利率部分は割・分・厘。毛などの漢字が使用されているために、型番は輸出用品番なのにもかかわらず、このDB-808は国内専用計算尺ということになるようです。しかし、昭和の20年代に技術や研究以外にこのような事務用途の使用に特化した計算尺をわざわざ購入するという需要はまったくなかったようで、この計算尺も実用にはまったく供されなかったらしく、日焼けして色焼けしやすい紺色ケースもまったく退色しておらず、中身の計算尺も当時のダブルスターリレー時代の計算尺どおりにクリーム色がかった艶のあるセルロイドがそのまま残っていました。尺度としては表面がF1,DF,[CF,CI,C,]D,F2。裏面がN1,[d,]N2なのですが、裏面のN1は365日、N2は365日から730日までの2分割日数尺で、dはDと誤認されないようわざわざ小文字にしたdayを表し、31日を繰り返しているようですが、逆尺を含めて詳しい見方がわかりません。カーソルバネがこの時代はりん青銅ではなく当時の安全剃刀同様に鋼で、すっかり弾力を失っており、曲げようとしてあっさりと折れてしまいました。しばらくカーソルバネの再生を行っておらず、どこに材料が迷い込んだか出て来ないのですが、作り直さないといけません。幅がたったの2.8cmでおそらく両面尺としてはもっともナローな部類の計算尺で、5"のNo.550Sよりも幅が狭いのに厚みがあるというもの。サイズ感としては世の中に溢れかえっている8インチの片面学生用計算尺とほとんど変わりません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製です。ケースに型番ラベルが残っていて、そこに価格が印刷されており、1,150円という価格は学生尺が150円から300円くらいの時代にけっこう高価な計算尺です。ただ、汎用性がないばかりにほとんど使用された痕跡もなく、60数年経過して世の中に出てきたわけですが、これを最初に購入した人はよほど生活に余裕があった人は別にして後悔したことでしょう。まあ、普通は計算尺に詳しい友人知人に相談してその用途にふさわしい計算尺を一大決心の思いで購入したのでしょうから、このようなものを選ぶバクチに近い極端な選択はしなかったと思いますけど(笑) 入手先は東京都内からでした。

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October 03, 2021

HEMMI No.256(KK) 10”両面電気通信技術用

 15年ぶりくらいに電気通信技術用計算尺のHEMMI No.256を入手しました。このNo.256は昭和14年に芝浦製作所と合併直前の東京電気とHEMMIの研究部部長平野英明氏との共同開発で完成した通信用計算尺に若干の改良を加えて戦後になって一般向けに発売したものです。この発注元の東京電気というのは明治23年に国産初の白熱電球の製造も目指した藤岡市助の白熱舎が嚆矢で、後に米国のジェネラルエレクトリックの51%資本参加により東京電気となってから日本におけるジェネラルエレクトリックの特許や商標を使って電灯以外にもマツダブランドの真空管などの製造も始め、同じくウエスチングハウスと技術提携した三菱電機とともに大正末期から昭和初期にかけての通信放送機械部品製造の代表的な弱電製造会社となっていました。
 その東京電気が同じくジェネラルエレクトリックと提携関係にあった芝浦製作所と合併し、東京芝浦製作所(東芝)となったのは同じく昭和14年7月のことですから、計算尺が出来上がって主に使用開始となったのは東京芝浦製作所以降ということでしょうか。それでも弱電の東京電気、強電の芝浦製作所と技術陣は棲み分けが出来ていたでしょうから、この通信用計算尺は旧東京電気側の東京芝浦電気マツダ支社の技術陣で使用されたことは確かです。計算尺に刻まれている社名は「東京電気無線株式会社」ですが、これは昭和10年川崎市内に無線関係の事業を行う会社を分離設立したためで、こちらは後に東京電気株式会社に改称されています。この通信用計算尺は表面がL,X,[T2,S2,T1,S1,YI,Y,]Z,LL3,LL2,LL1で裏面がΓ,[R,F,]λとなっており、一般的な計算もこれ一本でこなす汎用性に乏しいため、戦後新たに表面をほぼ一般の計算などに特化させて裏面も尺度を整理したNo.256が一般発売されるわけですが、名前も高級電気通信用と何故か「高級」の接頭辞がついていた時代もあったような。この通信用計算尺の表面尺度はあまり見かけない記号ですが、Xは二乗尺でK尺に等しく、Y,ZはC尺D尺。YI尺はYの逆尺ですからCI尺に該当します。この尺度は社内のみで使われていた記号なのでしょうか?また電気的に言うと裏面Γは角度、Rはレジスタンス、Fは周波数、λは波長ですが現物を持っていないため、それぞれどういう組み合わせで使用するのか今一わかりません。
その戦前の通信用計算尺の改良型であるNo.256も昭和30年代に入ると通信機器が真空管からトランジスタの時代を迎え、通信も短波から超短波、極超短波そしてマイクロウエーブの多重無線が主流の時代を迎えます。そのため真空管時代のNo.256はいささか陳腐化し、新たにソニーと共同開発された電子用計算尺のNo.266が発売に至るわけですが…
 入手したNo.256はデートコード「KK」ですから昭和35年の11月製。以前入手したNo.256よりも2年ほど古い製造になりますが、この頃はまだNo.266は発売されておらず通信系計算尺というと唯一の存在です。同様な用途のRelay/RICOH No.156がすでに発売されていたかもしれませんけれども。

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September 06, 2021

HEMMI No.254WN(ZB) 10"両面高校生用

 HEMMIの高校生用両面計算尺のNo.254WNです。少し前に入手したのはKENTとのダブルネームのHEMMI No.254WNでしたが、今回入手したものはごくごく一般的なNo.254WNです。別に何ら他のNo.254WNと変わらないのですが、デートコードが「ZB」というところが最大の売りで。というのもHEMMIで一般的な計算尺の製造を止めた最終年である昭和50年2月の製造である「Z」コードの計算尺であるということです。
 それ以降に工業高校に特納された計算尺はこの「Z」のイヤーコードを持つものかイヤーコードさえないものが出回っていたらしいのですが、そういう意味でもAから始まってZで終了した最後の計算尺は同じ種類の計算尺でも何か特別感があります。とはいえ、このZ刻印の最終製造年を示すデートコードが付いた計算尺というものがすべての種類に存在するわけではなく、例えば市場在庫が多いNo.259DやNo.2664SなどのものにはおそらくはZコードが存在せず、計算尺末期にあっても一定の需要があった高校生用計算尺No.254WNやNo.274、No.641系の発売年が新しいプラ系計算尺や一部特別生産品の計算尺に限って存在するような気がします。数あるうちの計算尺の中でもZ刻印は他に一本くらいしかありません。ケースは青蓋角ケース、入手先は埼玉県内からでした。

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August 03, 2021

RICOH No.1051S-I 10"両面高校生用

 三角関数が逆尺のRICOH No.1051S-I は割と早い段階で未開封品を入手していますが、今回はカーソル違いの開封品No.1051S-Iを入手しました。未開封品はデートコード「WS-3L」に対して今回は「US-2」ですから昭和47年2月の佐賀製。クリーンCIF尺で金属フレーム枠カーソル付きですが、この昭和47年内に金属フレームカーソルから小型プラ枠カーソルの最終形態に変化したようです。滑尺表に「47M162」の電車の編成番号のような刻印があるのが珍しいのですが、これはもしかして理振法準拠品の目録番号かなにかと思ったらケースにM47松田のマジックインキ書きがあるので、おそらくは昭和47年入学の学籍番号かなにかの刻印をわざわざ刻んであるようで、Mは工業高校機械科の略号でしょう。この学籍番号刻印入のRICOH計算尺は他にも持っていたような気がしますが、RICOHの学校納入計算尺には個人名がわざわざ刻印されたものも何本か持っていますので、おそらくはHEMMIしか扱わない内田洋行に対して在阪教材商社はRICOHを積極的に学校に売り込むため、「学籍番号刻印」や「個人名刻印」サービスという付加価値をつけて関西以西の学校に売り込んでいた事実があったのかもしれません。もちろん地元の教材店を通してですが、高校時代の吹奏楽部の後輩がその教材店の息子で、自分はあとを継がず大手銀行に就職し、弟が実家の商売を継いでいます。その教材店というのも昭和の時代と比べると少子化によって扱いは数の面では相当少なくなっているものの、どこかの番組ではありませんが、シーズンになると運動着を一手に学校に納入する地元のスポーツ用品店同様に「つぶれない店」の部類に入るようです。オクに出てくるRICOHの学校用計算尺は圧倒的に西日本からが多いのですが、こちらも島根県内から出たものです。このころはHEMMIの計算尺との整合性をとるためかRICOHの計算尺も高校納入品は三角関数逆尺が標準になりつつあるのがわかります。よくRICOHの計算尺の両端が茶色に変色しているものを見かけますが、これも例外ではなく変色部分はメラミンスポンジで落ちますが、原因が何かと思ったらRICOHの計算尺はケースの中で踊らないよう割と厚めのスポンジが蓋と底にはめ込まれており、長年ケースに入れっぱなしにしておくとこのスポンジが加水分解して発生したガスが計算尺の両端を茶色く変色させるということらしいです。RICOHにはあってもHEMMIにはない現象である理由はここにありそうです。


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August 02, 2021

HEMMI No.130 10”片面技術用(ダルムスタット)最初期型

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 6月に十数年ぶりに入手したNo.130でしたが、類は友を呼ぶという例えはたぶん意味が違うと思いますが、二度あることは三度あるの例えどおりに1ヶ月も経たないうちに3本目のNo.130を入手してしまいました。ところが今回入手したNo.130はいままでの2本と見かけが異なる不思議なNo.130です。何が異なるかというと、逆尺が赤くなっており、右の延長尺部分がA尺B尺が通常は0.8に対して0.7、CI尺が11.2に対して12、C尺D尺が0.9に対して0.84まで延長されています。というのも下固定尺側面の三角関数尺が5°からのスタートと延長されており、それに対応するために各尺の延長部分も拡張されているのです。この延長尺の起点違いというのはリッツのNo.64や電気尺のNo.80Kにもあり、変更年は不詳ながら昭和28年頃に右延長部分がA,B尺は0.785が0.8に、C,D尺が0.89から0.9に変更になっていますが、おそらくはこのNo.130もこのあたりでNo.64やNo.80Kに習って延長尺部分の起点と三角関数尺の起点を改めたのでしょう。ということは新たに目盛りの原盤を起こしたことになるのですが、戦前に発売を予告しながら不要不急の新製品としてお蔵入りしたNo.130が戦後やや落ち着きを取り戻した昭和25年頃に戦前用意した目盛り原盤を使用して新たに発売したものの、たった3年余りで新たな目盛り原盤を制作してリニューアル発売したということになります。

Hemmi130sintg_20210802143901  しかし、3年余りでまだ損耗もしていない目盛り金型を廃棄して新たに金型を作ったことと、そのときにNo.64やNo.80Kのように物差し型目盛にせず、なぜ馬の歯型目盛を踏襲したのかなど、まだまだ謎が多い存在のNo.130ですが、逆尺の赤入れをやめて延長尺部分を赤目盛、逆尺は数字だけ赤というのはNo.64やNo.80K同様の統一ルールにしたからだと思われます。

 それだけ延長尺部分が長く、逆尺の目盛が赤いNo.130は製造期間も短い激レアNo.130で、いままでにその存在に気がついていなかったということはよほど数も少ないということなのでしょう。あと細かいことですが新旧で逆尺の数字刻印が目盛に対して正反対に刻まれ、旧にだけ逆尺にπゲージが存在する。新No.130にはC尺上にC1ゲージマークが追加されるなどの違いがあります。刻印は同時代の片面計算尺同様に裏面右端に形式名のNo.130が刻まれ、真ん中にDARMSTADT SUN HEMMI JAPAN のあとにデートコードの「BK」が入れられており、昭和26年の11月製です。後のNo.130のようにSYSTEM DARMSTADT刻印ではなく単なるDARMSTADTです。今回改めて15年分のNo.130オークション出品歴を調べてみると、同様に延長尺の長い「BD」コードのものが一本、さらに黒ケース銀ロゴのmade in Occupied Japanものも一本ありましたので、さらに生産初年は遡りそうな感じでした。延長尺が短くなったのはやはり昭和28年頃で、形式名が右側にオフセットされていたものがNo.2664S同様に真ん中に移動し、デートコードが刻印になって左に小さく打刻されるようになったのは「ID」コード以後のようです。

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June 15, 2021

同番異尺のRICOH No.503 5インチ学生用?

 5インチのポケットタイプ計算尺のRICOH No.503ですが、このポケット計算尺は戦前IDEAL RELAY商標の東洋特専興業で製造されて理研光学から発売されていたものに遡ります。表面はA,[B,CI,C,]D,で、裏面はS,L,T,の尺度を持つポリフェーズドマンハイム型。戦前HEMMIのNo.34R相当のポケット尺なのですが、HEMMIあたりでも戦前すでに表面にK尺を追加したNo.34RKが主流となり、Relayブランドでもおそらく戦後にK尺追加のNo.505にモデルチェンジしていつの頃からかNo.503はフェードアウトしてしまったようなのです。そのため、戦後生産もののNo.503はなかなかお目にかからないものなのですが、今回入手したのは紛れもないRICOH時代のNo.503です。ところがこのNo.503は√10切断尺が採用され、さらに5インチのポケット尺の通常の形状とは異なり、No.84などの学生尺と同じくスケールがなくて本体は単なるスクエアの断面を持ち、裏側や側面も8インチ学生尺同様に竹の断面が露出したニス塗りのものです。さらに滑尺裏はセルロイドこそ貼られているものの三角関数尺などを持たない単なるブランク。そのため、尺度が表面のみのDF,[DF,CI,C,]D,A,のたった6尺しかない計算尺です。
 用途としてはやはり学生用なんでしょうね。ただ、5インチの学生用ポケット尺の存在意義があったのかどうかは甚だ疑問で、どうしても√10切断尺の5インチポケット尺が欲しければNo.512を購入すればいいと思うのですが。学生用でありながら8インチではないために500番台の型番を付けなければいけないということはわかるものの、新しい型番を付けずに欠番になった型番を踏襲するという意味もよくわかりませんが、Relay/RICOHの計算尺は往々にして同一品番ながら内容が異なるという計算尺が何種類か存在するので驚くにはあたらないかもしれません。
入手先は熊本の山鹿市鹿本町でしたが、この山鹿市は訪れたことさえないものの、同じ職場で数年間毎日顔を合わせていたデザイナーの二瀬氏の生まれ故郷。彼は父親の介護の都合で若妻とまだ物心つかない息子を連れて横浜から山鹿に引っ込んですでに音信不通30年ですが、そんな山鹿市からやってきた訳わからのNo.503。もしかしたら5インチの学生尺を作ったものの、売れる宛もなくて試作品だけ製造元の佐賀周辺県にばら撒いたなんてこともあったんのでしょうか?どっちにしても珍尺なことは確かです。なお、デートコードは刻印されていませんでした。また、赤いカーソルバーにカーソルの盤面が接着されているというプラカーソルも珍しいと思います。

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