May 29, 2022

HEMMI No.257 10インチ化学工学用「TJ」

 最近入手した2本目のHEMMI No.257、化学工学用計算尺です。化学工学用計算尺はすでにNo.257とNo.257Lの2種類を所持しているのですが、No.257のほうは製造が昭和30年代の前半の「GD」(昭和31.4月)と早く、昭和40年代に入ってからの、出来ればNo.257Lに切り替わる直前の末期型No.257とゲージマークの書体などの違いを詳細に観察してみたいという欲からつい「ポチッとな」してしまったのです。ケースが紺帯時代のものなので、昭和41年から昭和45年あたりのものだと思っていたのですが…。届いたNo.257はデートコード「TJ」だったので昭和44年の10月生産品です。昨年入手したNo.257Lがデートコード「VC」の昭和46年3月生産品」で、紺帯箱入りでしたからその年代差は一年半以内ということになり、目論見通りNo.257としてはマイナーチェンジ直前の最終仕様ということが出来ると思います。
 基本的には尺度などの差はないもののはやり単位の書体などに些細な差は認められます。まず、GDのL尺の数字はそのままですが、TJのほうは数字の前に小数点が存在すること。よくあるπゲージマークの違いは双方にほとんど差はないように見えます。裏面単位系の書体などにはけっこう見かけ上の差があり、ますGDのCh尺のhの末端が跳ねているのにTJは下がったまま。また、GDがαtmという単位に対してTJは素直にatmgとあり、さらにGDがLbs/in2 Gage(ポンド/スクエアインチ)に対してTJはlb/in2 gageになっていました。そして一番気になっていたのが物質名の追加が無かったかどうかでしたが、TJのほうにはMo(モリブデン)のあとにさり気なくI(ヨウ素)が追加されているようです。入手先は兵庫県に姫路市で、ビニール袋は開封されていたもののまったく使用した跡のない未使用品でした。
実は昨年、HEMMI No.257Lを落札した際に発送時は無事だったカーソル枠が破断して届き、ありがちなことなのでいちおう売り主に話だけして、昭和30年代中頃のNo.259のジャンクからカーソル枠だけトレードして交換したのですが、たまたまケースを逆さまにしたら蓋がゆるくて本体が30cmくらいの高さから絨毯に落下。それだけでカーソル枠の同じ箇所が破断してしまいました。10年くらい古いカーソル枠でも同じ箇所が破断したとなると、もう寸法公差がプラスに傾いているカーソル硝子のせいだとしか思えません。カーソル硝子が標準よりも縦か横の寸法が大きくて常にカーソル枠を押し広げている状態になっていて、温度低下の金属収縮と衝撃でカーソル枠が破断してしまうのが原因と結論付けました。
 このNo.257も届いた当初は何でもなかったのに、数時間後に見てみると同じくカーソル枠上部左端が破断。30年代のカーソル枠には起きない現象が昭和40年代中頃のカーソルには起きているということは、カーソル枠自体の寸法誤差ではなく、どうもこの時代にカーソル枠を破断させるカーソル硝子が混じっているとしか思えないのです。念のためノギスで寸法を測ってみるとどうやら1/10mmくらいのプラスの誤差で仕上がっているものがありこれが怪しいのです。たとえカーソル枠をハンダ付けしたところでこのカーソル硝子をはめるといつかはハンダ付け部分が取れることは目に見えているので、まずはカーソルグラスをオイルストーンなどで砥いで硝子の寸法を誤差の範囲内に収める作業から開始。そしてカーソル枠は0.6mm直径の表面実装部品用共晶ハンダで100Wクラスの板金用ハンダゴテを使用し、フラックスも銅板などの専用フラックスを使用しました。なにせ接着面積が極小で、ハンダ付け向きの作業ではないのですが、カーソルグラスを削ったことでカーソル枠に負担をかけなくなって、何とか納まりがついた感じです。カーソル枠を破断させた人は、カーソル硝子を砥石で砥いで正寸に整形することがマストです。それをやらないとハンダ付け部分はいつか必ず剥がれます。また、ハンダを盛りすぎるとカーソル硝子が嵌らなくなりますからハンダの量は必要最低限で手早くハンダ付けしなけばいけません。まあ、日常ハンダ付けに慣れている人じゃないと難しい作業なのは確かです。

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HEMMI No.257(TJ)

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HEMMI No.257(GD)

 

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May 26, 2022

HEMMI No.P267 10インチ構造設計用「ヘWJ」

 実に14年ぶり2本目のHEMMI No.P267構造設計用計算尺です。No.P270の大気汚染用計算尺とほぼ同時代の昭和46年以降に発売された新系列の計算尺で、当時すでに製造はHEMMIが直接関わらず山梨の技研系列のメーカーに丸投げOEMで製造されたもので、当時のFUJIの計算尺などと同様に着色されて発売されました。ただ、FUJIの計算尺の滑尺はFABER CASTELLがそうであったように緑色(FABER CASTELLのシンボルカラー)だったことを世界のHEMMIが嫌がったためか、薄いブルーに着色されており、このブルーの滑尺は学生尺のP45SやP45Dなどにも採用されていて、後期のHEMMIプラ尺のアイデンティティーになったような感があります。中にはこの時代まで製造されたNo.P261のようにブリッジとカーソルバーが緑で滑尺が白のものがブリッジ、カーソルバー、滑尺まですべてブルーにマイナーチェンジし、全く違う印象の計算尺になったものもあります。当時はすでにHEMMIに特殊計算尺を設計する人材がおらず、400番代の特殊計算尺はすべてヘンミ計算尺自身で設計されたものではなく外部の技術者の考案によるものです。また昭和30年代から盛んにヘンミサークル誌を通して計算尺論文等を募集しており、その中から計算尺のアイデアをもつ人材を探していたのでしょう。そんな投稿者の一人が当時不二サッシ工業設計部強度計算係勤務の伊藤次朗氏で、このNo.P267は氏の考案が製品になったものです。当時、伊藤次朗氏はカーテンウォールの構造設計の第一人者で、氏のおかげもありその後霞が関ビルを始めとする高層ビル群が誕生するきっかけになりました。氏は「朝、会社に着いてまっさきに計算尺に触れると全身に血が巡るような気がする」などということも言っていたほどの計算尺ヲタクで、日頃から自分なりの計算尺の設計アイデアを練っていたその情熱は大正末期に猿楽町の逸見の事務所にさまざまな考案・意匠を持ち込んで入り浸っていた往年の計算尺ヲタクたちと何ら変わりません。しかし、その構造設計計算尺のアイデア発表から発売に至るまで数年のインターバルがあり、大手ゼネコンでも構造計算はIBMか富士通のコンピュータが急速に普及しました。以前No.269を譲っていただいた昭和42年入社の大手ゼネコン地方支社社員の方でさえ「No.269を買ったけど、数回使用しただけであとは計算機叩いていた」という時代の変換期に発売された計算尺だったのです。説明書におそらくは伊藤氏の言葉で「最近、コンピュータや電子式卓上計算機などの進歩、普及はめざましいばかりです。ややもすると計算尺は軽視されがちですが、計算尺にはそれなりの長所があります。とくに、構造設計の場合は、計算尺の精度で十分であることと、ファクターとファクターの乗除計算をする場合が多いので、計算尺が非常に適当しています。コンピュータと共にご愛用下さい」などと書かれていましたが、当時のモーレツサラリーマンが仕事に追われ、特殊な新しい計算尺を習得する時間もなく、わざわざ後発の専用計算尺を使おうという人も少なかったのでしょう。用途が限られるということもあって発売したはいいけれども「売れなかった計算尺」の代表みたいなものです。追加生産分は在庫が積み上がっていたようで、実に西暦2000年になる直前まで注文すると入手可能だったという話も聞いています。同じようにNo.269の土木用も21世紀に入るまで在庫があったそうですから、機械設計や電気技術以上に建築や土木はコンピューター化で計算尺の引退が早かったのでしょうね。実はこのNoP267のあとに同じく伊藤氏の設計のサッシデザイン/カーテンウォール構造計算尺も出来ていたものの試作のみで、一般向けに市販されなかったのはNo.P267の在庫の山に懲りたからでしょうか?長野の塩尻市からやってきたNo.P267はデートコードが「ヘWJ」で昭和47年10月製。頭のへの字は製造委託先が当時ドイツ製プラ尺なども製造していた関係で発注先を区別するためヘンミのヘの字を付けたのでしょう。ちなみに最初に入手したものはデートコード「UL」昭和45年12月製。おそらくはP267の初回生産ロット品だと思われます。尺度や特徴に関しては14年前に詳しく書きましたのでそちらを参照ください。

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May 22, 2022

HEMMI No.149A 5インチ両面機械技術用

 Dvc00553_20220522133001 HEMMIの代表的なポケットタイプの両面計算尺、HEMMI No.149Aですが、今まで3本入手しているもののたまたま3本とも未開封品だったため、恐れ多くて開封することを憚り、安心して使用できる中古品を探していたものの、No.149Aはそれなりに落札額が高いのです。それだけ計算尺に関わる人間ならば高周波素人でも欲しがる電子工学用No.266同様に誰もが最初のコレクション段階で少々金額が張ったとしても入手する計算尺ということが出来ます。以前は何か計算尺の精密度を鑑賞するという妙な人間がいて、その人達は尺度の数が多いほどその計算尺は「偉い」んだそうで、そういう人たちはNo.266を崇め奉り、No.250などは「あの何もない空間に腹が立つ」などと軽んずる輩も出てくる始末(笑) そういう計算尺鑑賞派にとっては最高の愛玩物がこのNo.149Aで、結果的に高額取引されることは否めません。それでなんとか今回、中古品で心置きなく使用できるNo.149Aを1本入手できました。1.5K円でドイツ製のポケットタイプ金属三スケが3本おまけで付いてきました。
 No.149Aは機械技術用計算尺のNo.259のサブセットの両面計算尺で、No.279Dが20インチ、No.259Dが10インチ、No.149Aが5インチのそれぞれ両面計算尺という存在です。この両面計算尺で3種類の長さが揃うのはこのシリーズのみで、あと3種類揃うのは片面計算尺のNo.72、No.2664S、No.2634。4種類あるのがNo.70、No.64、No.66、No.74と2シリーズしか無いのではないでしょうか?
 10インチと5インチがあるのは数多くの組み合わせがあるのですが、5インチで両面計算尺のNo.259DシリーズサブセットというのはNo.149Aが唯一です。それだけポケットタイプの計算尺としてのユティリティーが高かったために数多く作られて残っている数も多いはずなのですが、それにしても落札額は未だにけっこう高額です。
 戦後の日本で5インチ6インチの両面計算尺を最初に作ったのはどうやらダブルスター時代のRelayNo.550やNo.650だったようですが、その形状はK&Eタイプの10インチ両面計算尺をそのままスケールダウンした形状でした。ポケットタイプの両面なりにLL尺などが省略された必要最小限の両面計算尺だったものにHEMMIがぶつけて来たのがNo.149で、DI尺のない当時のNo.259と比較するとST尺が無い22尺、No.259及びDI尺が加わったNo.259Dは三角関数が順尺なのに比べるとNo.149は三角関数が逆尺です。DI尺がない分の工夫なのでしょう。このNo.149は上下の固定尺が同長のファーバーカステルスタイルで、当時まだこれだけの薄い竹にセルロイドを被せる技術が確立していなかったためか、セルロイドはサンドイッチ構造で上下は竹が見えています。そのNo.149が市場に投入されたのがおおよそ昭和34年と推定しています。というのも上下に竹がむき出しのNo.149は残存数が少なく、というよりも当時の経済事情でポケット尺の両面計算尺を買うのだったらまず10インチの両面計算尺のほうが優先という事情もあったようで、そのためかNo.149まで手が出ないということもあったのでしょう。東京オリンピックに向けたインフラ整備などもあった高度成長期の昭和30年代後半にはすでにNo.149Aにモデルチェンジしており、給与事情も好転したためかこちらのほうが圧倒的に残存数も多いですし、未開封新品のデッドストックも各地の鉱脈から豊富に発掘されます。そのため、希少性は全く無いのに落札額が高額になる計算尺の代表です。
Dvc00542-2  説明書は短冊型と冊子型があり、もちろん冊子型のほうが新しいのですが、その冊子型を2つ折にして革ケースに入った計算尺本体といっしょに外箱に納めるため、外箱の厚みが増しています。説明書は手持ちのものはデートコードが6807Yと6907Yがまだ短冊型で、7112Yが冊子型となっており、この間に変更があったようです。今回入手したものは本体のみで説明書はもちろんありませんでしたが、本体のデートコードが「VE」(昭46.5月)のため、どちらの説明書が付属していたかが微妙な境目にあるようです。それでいつNo.149からNo.149Aにモデルチェンジしたのかというと、おおよそ昭和37年から38年の間ではないかと考えているのですが、なぜセルロイドをエッジにかぶせただけで律儀に「A」の記号を追加して別物にしたのかというのも謎です。Relay/RICOHあたりなら同じ型番なのにまったく違う計算尺なんかけっこうあるのですが、Aの意味はAdvancedあたりの、日本語でいうと単なる「改」くらいの意味合いでしょうか?よく軍用機にあるマイナーチェンジごとに末尾にAから順番に付番していくような乗りだったのかもしれません。HEMMIのNo.149はRelay/RICOHでいうとNo.149にやや遅れて発売されたNo.551ですが、こちらはNo.149を2尺上回る24尺装備です。これは三角関数が順尺のため、DI尺を入れざるを得なかったのと、差別化のためにP尺を追加したためです。こちらもアメリカの業者のOEMブランドで相当数を売ったようですが、計算尺の出来栄えとしてはやはりNo.149/149Aのほうに分があるようで、カーソルグラスがアクリルかガラスかの質感の違いも大きいようです。
ちなみに今回のNo.149A(VE)は本体のみで革ケースもなかったのですが、たまたま以前にRICOHのNo.550Sの2本目を入手したときにそれが入っていた何故かHEMMI刻印の革サックケースがジャストフィットしました。ところがHEMMIにはこの形状の5インチ両面用ケースは無く、カーソル部分まで覆って保護するタイプの革ケースが普通なのですが、いったいこのケースは何用に作られたものでしょう?ちゃんと149Aのブリッジの跡が付いているし、素人がハサミでフラップ部分をちょん切ったという感じではないのです。ポケットから落下してカーソルグラスを割るリスクはあるものの、本体を取り出すのには非常に使い勝手がいいのです。どなたか何用のケースなのか教えて下さい(笑)

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April 03, 2022

HEMMI No.80K 10"電気用初期型「HD」

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 HEMMIの電気用計算尺No.80KのルーツはJ.HEMMI時代のNo.3にまで遡りますが、No.3自体はA.W.FABERのNr.368 Elektroのまるまるデッドコピーでした。というのもHEMMIの創業者の逸見治郎はあくまでも目盛職人で計算尺の原理原則などわかるはずもなく、あくまでも渡された見本を忠実に作ってみせることには長けていたものの、それ以外のことは不得手で、あるとき西洋の文字で書かれた手紙が猿楽町の逸見治郎の作業場に舞い込んだとき、彼は学校の先生なら何が書かれているかわかるだろうとさっそく近所の小学校にくだんの手紙を持ち込み助力を求めると発送先はイギリスのロンドンからで、サンプルを至急3本送られたいという内容だったということがわかったとのこと。当時のイギリスは第一次大戦でドイツからの計算尺供給が途絶え、新たな計算尺の供給元が早急に必要だったのでしょう。その後、どのような手段でロンドンの会社とやり取りしたのかは知りませんが、おそらくその会社から同じものを作ってほしいと送られてきたサンプルがこのA.W.FABERのNo.368だった可能性もあります。そして大正時代の前半にはマンハイムタイプの計算尺しかなかったところにいきなり加わったのがNo.3なわけなのです。ちなみにこのロンドンの会社が逸見治郎の猿楽町の工場に手紙を出さなければ。また逸見治郎が近くの小学校に駆け込まなければ。そしてロンドンとの取引が始まらなければ、そのロンドンでヘンミの計算尺を後のヘンミ製作所社長となる大倉龜が見つけることもなく、おそらくヘンミ計算尺は大正14年の工場火災とともに途絶えてしまったかもしれません。そしてヘンミ計算尺は大田スター計算尺や竹内式計算尺同様に時代の徒花となり、以後の日本の計算尺は河井精造が正式に理化学研究所の資本投下をうけて会社化した「理研計算尺」というものが設立され、戦前戦後の日本の計算尺界をリードしていた可能性だってあるのです。逸見治郎が英語がわからないからとその手紙を放置せず、取引の始まったロンドンでその製品を目の当たりにした大倉龜が経営参加を申し出、いろいろな人材が自分のアイデアを猿楽町の事務所に持ち込むために集まり、結果として次々に新しい計算尺が発売されていったのです。
 そのHEMMI No.3電気用ですが、コピー元のA.W.FABERがNr.398にモデルチェンジしたことでいささか陳腐化し、べき乗尺、逆尺などを備えたNr.398コピーがHEMMIのNo.80です。発売当初はNo.3同様のナローボディだったという話を聞きますが、その後すぐにNo.64同様のワイドボディ化し、両端にセル剥がれどめの鋲が無くなったと同時に延長尺を備えるようになったのが戦前から戦後の昭和27年頃まで続いたNo.80になります。その戦前のNo.80ですが、べき乗尺を備える片面尺が他になかったためNo.153と同様に電気関係者だけではなく、機械技術関係者にまで広く使われたためか、今でもかなりの数が残っており、決して珍しい存在ではありません。No.50系統を除き、技術用の計算尺としてはリッツのNo.64に次いで多用された片面計算尺かもしれません。そのNo.80の滑尺溝内のモーター・ダイナモ効率尺度を廃し、表面に持ってくることにより特殊な構造の滑尺インジケータをやめ、No.2664などと共通化したボディを使用し、さらに二乗尺のK尺を下固定尺側面にあらたに追加したのがNo.80Kになります。そのNo.80K電気用ですが、他の延長尺を持つNo.64やNo.130等と同様に延長尺の始点の違いで初期型と後期型に分類されるのはあまり気にはされていないと思います。というのもNo.80系統は戦後に多種多様な計算尺が発売されたおかげで戦前に比べるとNo.64同様に相対的に重要度が下がったため、さほど数がさばけなくなったのか数が少ないため、目にする機会も少ないためだと思います。現にNo.130の初期型でさえ昨年立て続けに2本入手しましたが、それまでは現物を目にすることさえ出来なかったのですから。この延長尺の始点が旧タイプはA,B尺C,D尺それぞれ0.785と0.890だったものが0.8と0.9に短縮されています。旧タイプはなぜ、このように半端な数値の始点だったかというと、コピー元のA.W.FABERがそうだったからということしか言いようがありません。同じドイツのNESTLERあたりも似たような延長尺始点なので、おそらくは意味のある数値であったとは思うのですが、当方はよく理解していません。後に0.8と0.9にしてしまったわけですから最初からあまり意味のなかった数値かもしれません。HEMMIの延長尺トリオNo.64、No.80K、No.130のうちで延長尺が一番長かったのはNo.130初期型のそれぞれ0.7と0.84で、後期型とは見た目ですぐに違和感がわかるのですが、No.64とNo.80Kは言われなければわからない人が多いのではないでしょうか。その初期型No.80Kですが、開始価格1000円スタートで出品されたものの送料一律1500円を嫌がったのか誰も入札者がなく、開始価格が下げられて出品され続け、400円になり送付方法もメール便210円に下げられたところで落札したものです。入手先は東京都内です。
 デートコード「HD」ですから昭和32年4月製なので、この初期型では最後の製造年度になると思います。最初期型のHコードのNo.2664S等と同様に裏側固定尺真ん中にSUN HEMMI のトレードマークとデートコード、右の端に形式名が入っているのがこの年までのHEMMI片面計算尺の共通仕様です。手元にあるデートコード「OH」の後期型との違いは構造的には裏板のネジ止めの有無くらいなものですが、あとは表面延長尺部分の数字の色、D尺上にCおよびC1ゲージマークが無くなったくらいしか変更はありません。πマークも釣り針足形で変更がありません。ただ、D尺のCとC1ゲージマーク廃止は後期型でも中途の変更だったらしく昭和36年製造年の「L」にはちゃんと残っているのです。

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March 29, 2022

技研 No.206 8"検定試験初級用(朝日新聞ノベルティー)

 かつて山梨の甲府でプラスチック計算尺を主にOEM生産していた技研工業の8インチ検定試験初級用計算尺とタイトルが付いているNo.206は以前に未使用新品を入手していますが、今回は入手済みのNo.206と内容的には変わらないものの、裏側の成型色が違うという興味だけで入手したものです。おまけに朝日新聞のノベルティーもしくは優秀新聞配達少年への表彰の賞品として発注でもされたものか、朝日新聞・ASAHI EVENING NEWS・科学朝日のロゴが赤で入れられたノベルティー品でした。そしてケースは以前のものと同様に今回も昭和38年以前の技研計算尺に多い黒の貼り箱です。内容的にはHEMMIの8"学生用計算尺のNo.45Kと尺度その他変わりのない√10切断ずらしの計算尺ですが、プラスチック製ということでNo.45Kと比べると竹を使わないだけコストダウン出来たのでしょう。しかし、技研計算尺は自社ブランドとしての計算尺販売期間も短いこともあり、計算尺研究会参加記念とか競技会参加記念などのものは見かけますが、コマーシャルなノベルティーもしくは名入れのものというのは見たことがありませんでした。
 ところで、当初は気がついていませんでしたが、以前入手した技研の検定初級用No.206と今回の朝日新聞ノベルティーのNo.206は尺度こそ同じながらデザインはまったく異なります。以前のNo.206は技研のマークも形式名も通常の技研のデザインと異なり、裏側に申し訳程度、目立たないようにスタンプされています。また、デザイン的にはHEMMIの8インチ学生尺No.45Kのような印象です。今回のものは表面に技研マークと形式名が入る標準的なデザインですが、広告入りということもあるのか裏面が白です。カーソルも微妙に異なります。時期的には今回の朝日新聞ノベルティーのほうが早いような気がしますが、なぜデザインがこうも異なるのかは一つの謎。まあ技研計算尺末期の混乱が伺われるような2種類の計算尺でした。

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February 25, 2022

HEMMI No.66 6"システムリッツ技術用

 ありそうであまり出てこない6インチのシステムリッツHEMMI No.66ですが、これはDELTA計算尺の抱合せで足利市から入手したものです。残念ながらカーソル割れなのでカーソル裏面からテープ補修していますが、この6インチ専用3本線カーソルの入手の可能性は限りなく「永遠のゼロ」なので、久しぶりにポリカーボネイト板を使ってカーソルグラスを作らなければいけません。幸いにも他にも健全なNo.66が2本あるので、寸法出しと3本線カーソルの再現は可能でしょう。このNo.66は滑尺を抜いた内側に目盛が刻まれており、この部分に"SUN" HEMMI MADE IN JAPANが刻まれているNo.66としては戦争前の輸出にも供された改良型ファーストモデルとでも言うべきものです。A型カーソルからA型改良カーソルに変更になり、さらにセルロイドの貼り方が変更になったためか金属のスタッドが廃止されています。それ以外にはゲージマークを含めて変更点は見当たらないようです。ただし、双方ともに馬の歯型目盛なのですが、これが昭和15年以降のいつ頃からか物差し型目盛りに変更になり、滑尺溝のスケール目盛が廃止され、一時的に尺度記号が入ったセカンドモデルに変更になります。ただ、この尺度記号も戦時型から廃止され、以後は踏襲されなくなったようです。こちらの物差し型目盛のセカンドモデルも随分昔に入手しているのですが、どこに入り込んでしまったのか肝心なときに出てこない(笑)ファーストモデルセカンドモデル共に革のサックケースに入っているのですが、スタッド付きのほうはフラップに「BAMBOO SLIDE RULE "SUN"HEMMI」の金箔押しがあるのにこちらのモデルはコストダウンのためかのっぺらぼうです。セカンドモデルは標準で黒疑革紙貼りの黒紙ケースでした。
 同じくポケット型の5"サイズのシステムリッツにNo.74があるのですが、情報的には戦前から作られていることがPAUL ROSS氏のカタログに書かれているものの、今まで見た一番古いものはMADE IN OCCUPIED JAPAN時代のものです。おそらくはNo.2634同様に戦後になって初めてラインナップに加わり、戦前のポケットタイプとしてはNo.66が携帯用としては標準だったということでしょうか。

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February 23, 2022

OZI SEISAKUSHO 「DELTA」5インチ 計算尺

 終戦後の昭和24年前後に出現し、他に発展することなく消えてしまった日本ではその類例を見ない全金属製計算尺のOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺ですが、いまだにその正体がまったくわからない計算尺です。15年ほどの間でも知っているだけで5本もオークションには出ていないと思いますが、その間でわかったことは基本は同一ながら裏側にdB尺があるバリアントが存在すること。また、「日本カーボン」の社名と電話番号が刻まれたおそらくはノベルティー商品ではなく会社備品が存在することの2点しかわかっていません。社名でさえも王子製作所なのか王寺製作所なのかもわかりませんし、その会社がどこに存在したのかさえもわからないのです。
 唯一つ言えることは町の零細業者が手掛けるようなシロモノではなく、おそらくは高度なプレスや機械加工の技術をもつ会社ではないと出来ない加工の製品であることから、たぶん戦時中に軍需品を手掛けた大手の工場の一つで、戦後の財閥解体で分社化され、一時期OZI SEISAKUSHOを名乗ってこのような民需品を手掛けていたものの、昭和20年代後半には元の大手の傘下に戻って社名が消滅した会社ではないかと思うのです。さらに「DELTA」というネーミングから旧三菱の関連会社か?などとも考えたわけですが、いままでそれに対するエビデンスは何一つ発掘できていません。
 ともあれ、戦後の物資不足から軍が本土決戦用に溜め込んでいた兵器用のジュラルミンが放出になり、様々な日用品の鍋や釜やパン焼き機、火鉢やバケツなどがジュラルミンで作られました。我が家にもジュラルミン製のバケツや電熱器、火鉢などが実際にありましたので、けっこう日本中にほんの一時期だけ広く出回ったようなのですが、このジュラルミン製品が溢れた昭和23-4年ごろを称して「ジュラ紀」などとも言うそうです。また戦時中に金属製品が供出され、瀬戸物の製品が代用品として出回った時代を「白亜紀」と称することもあるそうです(笑)
 その放出ジュラルミンを加工して元軍需品製造の会社が作り上げたのがこのDELTA計算尺ではないかと思われるのですが、その証拠としてこの計算尺はMade in Occupied Japanが刻まれており、そのジュラルミンは一年ほどで使いつくされたことや、朝鮮戦争が勃発してからは金属類の高騰でとてもこのような総金属製の計算尺は作ることが出来なかったため、朝鮮戦争以前のほんの短期間にだけ作られたとしか考えられないのです。また、おそらくは航空機用かなにかの薄板を巧みにスポット溶接で組み合わせ、薄板だけの構造でこれだけのものを作り上げた設計者は只者ではないはず。しかし、このような構造的には画期的な計算尺なのにも関わらず、宮崎治助氏の計算尺発達史の戦後の計算尺にも一切紹介されておらず、いままでオークション上に出てきた数からしても総数2000-3000本くらいの間で入手した放出ジュラルミン板の分だけしか製造されず、しかも市販はなく旧財閥グループ企業の間で社用に出回ったとしか考えられないのです。どうもこれだけ手の込んだ総金属製計算尺を市販しようとしても同じものを竹で作った計算尺と比べるとその定価が何倍になるかも想像がつかないほどで、絶対的に商業的には成功はしないはずですし、この計算尺の製造元もこれを発展させようという気はまったくなかったでしょう。それを考えるにつけ、この薄板のみを巧みに組み合わせた計算尺の構造を設計した人が後にどういうものを設計したのか興味が尽きないのです。
 そのOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺は最初に入手したものが裏面にdB尺がついていて、カーソルのポインターで目盛りを読むというものでしたが、今回栃木の足利市から入手したのがこのように裏面がなにもないもので、こちらのほうが一般的なOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺になります。2本の違いですが、以前入手した裏面にdB目盛があるものが改良品と仮定すると、今回のDELTA計算尺には表面にDELTAのブランド名とOZI SEISAKUSHOの文字ならびに上下の固定尺を繫ぐブリッジにPAT.PEND.NO.14015の打刻がありますが、裏側には一切刻印もありません。これに対して裏dB目盛付きのほうは、表面にはDELTAのブランド名だけで、メーカー名は裏に移動し新たにMADE IN OCCUPIED JAPAN表記が追加されました。さらに逆尺の尺度と数字ならびにDELTAのブランド名が赤入れになりました。裏dB目盛り付のほうは固定尺と滑尺ともに25の打刻があり、今回のものは35の打刻があります。ゲージマークは双方ともにπがあるだけで特に差異はありません。双方ともに滑尺はお互いに入れ替えても寸分の隙間も出来ないほど精密な加工精度があります。

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January 18, 2022

☆Relay☆ No.R-816 8"学生用計算尺

 ダブルスター時代のRelay No.R-816 学生用です。このアルファベットが頭につく品番はアメリカへの輸出品番と言われていますが、この昭和20年代末期から30年代には国内にも広く出回っており、必ずしも輸出専用というわけではないようです。この「R」が練習用とか生徒用を表し、800番台は8インチの片面計算尺を表します。ただ、アメリカでは昔から生徒用も10インチの片面計算尺が主流でしたので、この一連のR800番台8インチ尺が輸出されていたのかというと2、3のOEMブランドがあったのみで、さすがに8インチ計算尺はオフサイズ扱いだったようです。この8インチというサイズの計算尺はアメリカのほうが出現が早かったのですが戦前に早くも淘汰されてしまいました。
 日本では戦時中、旧制中学での教育のために作られたHEMMIのNo.2640が標準になったため、学生用計算尺というと8インチ片面尺というのが標準化してしまいましたが、この8インチというのは当時の教科書を開いたときにはみ出さないサイズということになっています。ただ、戦時中ということもあり、材料を節約するために2インチ短い計算尺を標準にしたという動機のほうが大きかったはずです。
 そのような8インチ学生用計算尺に√10切断ずらしが採用されたのは昭和25年頃にリリースされたHEMMIのNo.45だと思われますが、RelayではHEMMIに遅れてR-806とR-816という2種類の計算尺がほぼ同時にリリースされています。R-806はおそらく当時各社でよく作られた表面しかなく裏側に三角関数はおろかセルロイドも貼られていないというチープな初心者用ですが、このR-816はHEMMIのNo.45に対して表面にK尺まで加わった豪華版。当然のことながら裏面にも三角関数もL尺もあるのは昭和36年リリースのHEMMI No.45の改良版No.45Kよりもかなり早かったということになります。ただ、HEMMIのNo.45は相当な数が残っているのにも関わらず、このRelay R-816は珍尺に近いくらい数が少ないことからもわかる通り、HEMMI No.456の競争相手にはならなかったようです。また、滋賀のKIM氏も言われている通り、このR-816も例外ではなくセルロイドの経年劣化で左右の基線が一致しないのです。というのも剥がれかけたセルロイドをめくってみると、HEMMIでは竹の表面を接着剤の食いつきを良くするために加工してあるのにRelayは表面がつるつるのまま。それがどうやらセルロイドの収縮防止には何の配慮もなかったために、65年以上の経年で縮んでしまったということなのでしょう。また、このR-816は竹は組み合わせられておらず、単純に切ってみぞを加工しセルロイドを張っただけです。そのため、ある程度のエージングもなしに市場に出されたことも容易に想像されます。これも目盛のズレに影響しているはずです。表面はK,DF,[CF,CI,C,]D,A,の7尺で滑尺裏はS1,L,T1の3尺ですが三角関数はインバースではなく順尺です。ポケット計算尺のように携帯を意識した豚革製サックケースが標準で付属しているところが学生尺としては珍しいのですが、こちらも輸出を意識してのことでしょうか?当時のダブルスターリレー独特の弁当箱にような黄色いアルマイト処理がされた裏板で、表面セルロイドも光沢仕上げというのが目を引きますが、本当に計算尺として品質が上がるのはRelay末期のNo.84を待たなければいけなかったのかもしれません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製。発掘場所は愛知県内からでした。

Relayr816
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January 17, 2022

HEMMI No.254W-S Stadia 10"両面別製学生用(工業高校土木科向)

 今の測量というと急速に発展したレーザー測距とマイクロコンピュータと無線LANを内蔵したトータルステーションの取って代わられて久しく、今や測量現場は一人で行うことができるものですが、30年ほど前までは助手が持った標尺をトランシットもしくはセオドライトと呼ばれる三脚の上に乗った望遠鏡で覗き、2本の線の間に見える標尺の目盛り長さや角度を割り出して距離を測るということが街の中でも当たり前に行われたのです。その角度と距離の関係はスタジア表と呼ばれる数表や計算機を叩いて求めるのですが、以前はスタジア計算尺というものがあり、これにより数値を求めることも行われたのです。ただ、目視による測定は当然のこと誤差があり、さらに目視で角度目盛りを読むときにも誤差が生じ、さらに計算尺で数値を読み取るのにも誤差があるアナログ的な測量法なわけですから、GPS衛星が地球の周りをカバーしている時代には基本的な測量法ではあるものの正確さを担保しきれなくなってしまいました。そのため、この目視によるスタジア測量法というのは土木科目の基本的な測量実習と測量士補や測量士の試験問題の中でしかお目にかからなくなりました。
 当方、まったく土木分野には縁がなく、トランシットは覗かせてもらったくらいなのですが、相当昔に航空写真測量の基本が知りたくて測量士補の教科書を入手したことがあります。まあ、スタジア測量の項目はすっかり忘れてしまいましたが、大学の工学部土木専攻の男が測量事務所のアルバイトに出かけ、夏の炎天下の中で標尺抱えて熱中症になりかけたとか、標尺抱えてふと横を見るとマムシに注意の看板があってゾッとしたとかそんな話が伝わってましたが、大学で測量実習の単位をもらい、卒業して測量士補かなにかの資格がもらえたのだったかどうかはうろ覚えです。そんな土木では必須の基本技術のスタジア測量は現場の土木技師を養成する工業高校の土木科でも当然のこと行われており、実習で単位を取得すれば卒業時に測量士補の資格要件が与えられたはずですが、今や工業高校の工業化学科あたりでも完全週休二日制の通常授業だけでは単位が足りないのか、昔は卒業時にもらえた一般毒劇物取扱責任者資格も補習を受けないともらえないという話も聞きますので、今はどうなのでしょうか?そんな工業高校土木科の先生の要求でNo.254Wにスタジア目盛を追加した別注品バージョンのNo.254W-Sです。おそらくは各学校に営業を掛けていた内田洋行のみの扱いだと思います。数ある工業高校科目別別注品No.254W-Sの中でも土木科専用スタジアというのは土木科以外には必要なかったわけで、全国の工業高校土木科、しかもある一部の先生の要求だけで作られた計算尺だけに数は少ないと思われます。個人的な感覚としてはこの工業高校科目別の別注品No.254W-Sは東日本よりも西日本、特に大阪、兵庫、京都あたりから出てくる例が非常に大きいような気がするのですが、どうやら関西圏では戦前からの老舗教材社と各学校とのつながりが深く、内田洋行とのつながりの深いHEMMIよりもRICOHの取り扱いが大きかったような気がします。そのため、関西圏に食い込みたかった内田洋行が高校の担当教諭の「こんなものがあったらいいのに」を具現化しものが科目別No.254W-Sなのではないか、なんて考えたりもするのです。それだったらNo.269という選択肢だってあるのでしょうが、さすがに土木科全生徒に購入させるということから価格的なしばりもあったのでしょうか。いつのタイミングか工業高校の計算尺もポケコンに様変わりしました。「子供が工業高校に入学したので購入させられたが、2ヶ月で退学したので不要になった」などという親が出品したポケコンをオクで見ると、なんか「親の心子知らず」を実感させられます(笑)
 このNo.254W-Sのスタジアは出現数がここ15年ほどで両手の数よりも少ないほどだと思うのですが、それだけNo.254Wのスタジアのバリアントを要求するような先生が少なかったのでしょうか?入手先もやはり関西圏の神戸市でした。
このNo.254W-Sスタジアのの表面は普通のNo.254Wと共通でLL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1ですが、裏面がK,A,[SIN,COS,COS^2,TI,SI,C,]D,DL,L,となります。デートコードは「TB」と「UB」の実は2本まとめてで、それぞれ昭和44年2月と昭和45年2月のものです。どういうわけで一年違いのものが2本まとめて出てきたのか理由はわからないのですが、年子の兄弟が一年違いで同じ高校の土木科に入学したのだったら話はわかります。一年違いじゃお下がりというわけにはいきませんものね(笑)またこのスタジアバリアントは上下滑尺が同長のヨーロピアンスタイルのものがなく、K&E型のスタンダードスタイルのものしか見つからないようです。時代が下るに従い、わざわざ同長型を用意する意味と手間を失ったのでしょうね。次世代のフルログログ化したNo.254WNは当然のことK&Eスタイルオンリーです。

Hemmi254wsstag
Hemmi254wsstad

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December 31, 2021

NESTLER Nr.11M  5"マンハイム型計算尺

 ドイツのAlbert Nestler社はA.W.Faber社とArist社と並ぶドイツ計算尺3大巨頭の一角を担う歴史のある会社です。第二次大戦前は世界の60カ国に輸出しておりましたが、その輸出先には日本は含まれておらず。というのも大正末期から日本は計算尺を輸入するのではなく輸出する側の国になってしまったため、明治の末期ならともかく日本にドイツ製計算尺が入る余地はありませんでした。そのNestler社はシステムリッツやダルムスタットの計算尺を最初に市販した会社です。第一次大戦前のNestler計算尺はドイツが英国のように植民地からマホガニー材を入手するわけにはいかず、西洋梨という固くて緻密な木材を使用しているため、かえって丈夫で狂いのない計算尺を作ることが出来たようで、大正初めころにシーメンス社が海軍の送信施設の受注を狙って日本支社を設立し、ノベルティーとして関係者に配ったシーメンスシュケルトマーク入りのNestler5インチポケット尺は100年間日本の高温多湿の環境下にさらされてもまったく狂いはありませんでした。
 そのNestler社ですが、ドイツの南西部、ライン川沿いのラールという街に大工場を構えていたものの、連合軍の空襲被害により尽く破壊されてしまったとのこと。戦後、焼け残った建物に移転して生産を再開させたものの、新たな工場の再建は11年後の1956年まで待たなければいけなかったとのこと。そのときにはすでにほぼプラスチック製計算尺製造の方にシフトしていたようです。これは3社共通なのですが、最初にプラ尺に手を付けたのがAristだったそうで、それはすでに第二次大戦中のことだったという話です。
 戦前の西洋梨製のNestler計算尺の良さを知っているだけになんともチープで情けない計算尺ですが、それはそのはずで、これは裏側に宣伝用の社名などを入れるために作ったプラ製計算尺なのです。日本でいうと興洋商事の計算尺のように名入れギフト業者で扱う計算尺なのですが、ケースだけはやたらに立派な革製だということでまだ救われています。尺度も逆尺もないA,B,C,D尺に滑尺裏S,L,Tのみ。この形式番号Nr.11Mというのは末尾の記号で電気やリッツなどの頭文字でバリアントがあるようで、MはおそらくはマンハイムのMでしょう。入手先は愛知県の知多市近辺からでした。このNestlrtは1978年に計算尺の生産を終えましたが、晩年は山梨の富士計算尺か技研のOEMのプラ尺に移行していたようです。この工場は今では一部が記念館になって貴重な資料の展示場になっているそうな。

Nestler11m
Nestler11m2

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