October 20, 2010

Greco BW-600 ブローラ

Bw600
 俳優の山崎大輔がさんま御殿に出てきて「妻はジューシーフルーツのイリア」っておそらく五回は叫んでいたので、急に思い出したようにGrecoのBW-600 ブローラを出してきてしまいました。ジューシー時代のイリアさんと同じブロンドカラーのブローラです。ただし当方のブローラはメイプル指板で、イリアさんのブローラはローズウッド指板でしたが。このBW-600はフルオリジナルのワンオーナーもので、当方が千歳烏山時代に三鷹楽器烏山店から新品で買ったものなので、当然のことながら部品などは一切変えられていません。しかし、購入したのは昭和58年の12月で、製造から5年を経ていましたので、おそらく神田商会の倉庫あたりからデッドストックを穿り出してきたのでしょう。当時三鷹楽器の烏山店にはこういう怪しげな掘り出し物がけっこうありました。しかもプレミアが着くようなご時勢ではなく、円高ドル安で輸出産業も不況にあえいでいた頃だったのか、28000円という放出価格で入手しました。また当時グレコのオリジナルシリーズというのは、まだまだ価値を見出す人間も少なく、そろそろ富士弦母体のフェンダージャパンが台頭しはじめる頃でした。とはいえ、ボーナスも出ないような不況の時期に遭遇し、現金28000円というのは清水の舞台から飛び降りるような覚悟が必要だったのは言うまでもありません。
 このブローラを最初に構えたときの印象は、ネックが短いなぁというものでした。実際にはレスポールあたりのミディアムスケール相当だと思いますが、ストラトのネックに長い間慣れ親しんでいたたため、扁平な指板と共に弾きにくいと感じてました。そういえば以前、トーカイの処分セールを見に行ったヤマハ渋谷店の店員に「ストラトばっかり弾いていたら他のギターが弾けなくなる(笑)」と嘲笑されたことがありましたが、ストラトのスケールとネック形状に慣れ親しんだ感覚で一時ムスタングに宗旨替えしたときは「ショートスケールのフェンダーはなんて弾きやすいんだろう」と感激したものでした。
 閑話休題、このGreco BW-600 ブローラは20年ほど前から急に欲しがる人間が増えたようで、さらにギターグラフィックの第5号のグレコ特集が火をつけた形になり、今でも探している人の多いギターではないでしょうか。かの野村のよっちゃんがブローラを欲しがっていたので、結婚祝いに野村輪業経由であげようかと思っていたのだけど、けっきょく今でも手元にあります。一説によると100本しか作らなかったという話ですが、本当にそんなに少ない製造数だったのでしょうか?製造は昭和53年の10,11,12月の3ヶ月に集中していてそれ以後の製造ものは見当たりません。当方の製造番号もL78です。フロイトローズ全盛期に入手したブローラのTSビブラートは「なんじゃこれ」と思いましたが、確かフォルクスワーゲンのサスペンションシステムを見て思いついたって話だったかなぁ。ボディはシカモアのトップにアッシュを組み合わせた構造で薄く木目が見えています。ネックはメイプルらしく構造をローズウッド指板と共通にするため、貼りメイプル指板になっているようで、ストラトのようにネック裏からトラスロッドを入れるような構造ではないため、貼りメイプル指板であることは確かでしょう。メイプル指板仕様のインレイは確かメキシコあわびだったような。ハイポジションも弾きやすい24フレット仕様なのですが、ネックの形状が自分の好みではなかったため、またヘッドの傾斜によるストリングスのテンションがきつく、ヘビーボトムのアーニーボールを常用する当方のメインのギターになったことはありませんでした。一度、このギターを背負ってオートバイに乗っていたときに右折の車が飛び込んできて衝突、転倒しましたがギターは無事でした。しかし我がカワサキの2ストローク3気筒KH-400は哀れインナーチューブと三叉をひん曲げて修理工場行きに。このとき以来キカイダーじゃありませんがギターを背負ってオートバイに乗ることだけはやめておきました。いろいろと思い出深いブローラですから売れといわれても売りませんぞ。

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December 28, 2005

加藤紀子も…

 年末は芸能記者から追いかけられる心配がなく、ワイドショー番組も年始まで休業状態になるためか、例年芸能人の結婚・離婚が狙ったように多発するようです。しかし、加藤紀子ちゃんまで年上のおっさんにさらわれてしまって、篠原涼子に続いて「加藤紀子よ、おまえもか…」状態なんですが、篠原涼子は東京パフォーマンスドール時代から、紀子ちゃんは桜っ子クラブ時代から知っているわけですから、何か胸中は複雑ですね。フジテレビの乙女塾出身者に比べると、桜っ子クラブ出身者は小粒のような気がしましたが、でも現在TVで活躍するのは桜っ子クラブ出身者のほうが多いようで、代表選手は菅野美穂と中谷美紀でしょう。井上晴美や持田真樹、中條かな子や加藤紀子らもいて芸能界では活躍した方だったんですが、大山アンザや中山博子はどうなった?(^_^;)
 しかし、中谷美紀はキーウエストクラブという2人組ユニットでの歌手デビューだったんですがこの中では一番大化けしましたね。今じゃ知らない人はいない電車男のエルメスさんです(笑)「恋をしよう」で歌手デビューだった菅野美穂も久しぶりに見たこないだの玉置浩二とのドラマはよかったぞい(^_^;) 菅野美穂のシングルCDも3枚目まで買ったんだけど、知り合いの大学英語講師のロバートがフアンだっていうから上げちゃった。
 ところで話は加藤紀子に戻りますが、県立鈴鹿高校を卒業してからのデビューなんで、桜っ子クラブの中では割と年輩だった気が。確か事務所が森高千里と同じアップフロントエージェンシーで、事務所で経理なんかやってた娘が知り合いだったんで、デビューの話はよく知ってますが、森高「今度私どこかに連れていって下さいよ」なんて長いタイトルの曲でのデビューでした。もらったデビュー告知ポスター、まだ持ってるよ(^_^;) 
 んで、桜っ子クラブの番組でピンで歌う加藤紀子の印象は「ハスキーボイスのミス眉毛」(笑)細く剃らずに眉毛のたくましい娘に悪い子はいないかどうかは知りませんが、当方割と声の第一印象に惚れるたちなもんで、三浦理恵子ちゃん同様にすぐにCD買ってってしまったな(^_^;) その後すぐに番組は終わってしまい、桜っ子クラブメンバーもそれぞれバラバラに仕事をするわけですが、2枚目のCDが出るのに1年くらい間があったような気がします。確かTV東京のゲーム番組か何かのタイアップだったはずですが、TVでもラジオでもその曲は耳にしたことはありませんでした。そのうち、何とJR東日本の車内吊りポスターで加藤紀子を見かけるようになり、TVでもJR東日本のCMで加藤紀子の歌がひっきりなしに流れるようになって、やっとメディアでの認知度もあがってきました。そしてあの日テレ・マジカル頭脳パワーでは驚異的な才能を発揮し、北野大教授とともに番組に欠かすことの出来ないレギュラーになり、ドラマでは靴職人の佐野史郎の妹役の安藤夏としてワンクール主役もこなしました。その後マジカル頭脳パワーの終了とともに、加藤紀子の才能を発揮させる場所が他にあるのかどうか危惧してました。2年間のフランス語学留学のために芸能界を休業し、その後はマイペースで仕事をこなしていたようです。しかしそこにはもうあの歌手加藤紀子はいませんでしたが。そして本日の結婚発表と。
 たぶんJR東日本CMタイアップの最後の曲だったと思うのですが「元気でいるよ」という曲がありまして、これ編曲がムーンライダースの江戸前ギタリスト奇才白井良明氏の手になる唯一の加藤紀子への提供曲なんですね。白井良明氏アレンジのアイドルポップスっていうのはとにかく一度聞いたら耳から離れないような独特な世界の白井節で、そのリズムに乗りきれないへたくそなアイドルを翻弄するのを楽しんでいるような(堀ちえみのWaショイ!等、その数知れず)アレンジの数々なんですが、その白井ワールドをしっかり加藤紀子が自分の物にしている「元気でいるよ」は、自分の曲にはかならずギターで出演する白井良明氏のギュイーンというギター演奏と共に自分的には「名盤」の一つです(笑)そういえば白井良明氏、新年から始まる新しい仮面ライダーの悪役としてブラウン管に登場ですか?ああ、最近はブラウン管に登場っていうのも死語になりつつありますから「液晶画面に登場」ですな(笑)

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December 18, 2005

ディア・オールド・ストックホルム

 最近、故大塚博堂氏の名曲「ダスティンホフマンになれなかったよ」の歌詞によく似たことを知り、少しだけ自分の周りの「時の流れ」だけが遅すぎたような感覚に陥って、さらに雪に閉じ込められるような冬の季節を迎えて少しだけ心の弱気にかかってしまいました。普段の自分じゃあんまりコンプレックスの持ち主だとは思わないんですが、季節的にも何か心に弱気の虫が走り、こんな時酒でも飲んでわいわい騒ぎ、気分転換を図ろうにも酒とはすっぱり縁を切って間もなく4年ですから、酒で気分転換を図ることも出来ません。そうなったら徹底的にセンチメンタルな曲を聴いて徹底的に落ち込むことによっての逆療法です。こういうときは演歌じゃいけません。もっとも日本のソウルミュージック・都はるみを除き、大部分の演歌はどれもこれもパターン化されていてみな同じ曲に聞こえますし、自分はまったく演歌という柄じゃありません。冬の雪に閉ざされた夜に聴くにはジャズが一番。それも明るいメジャー調のスタンダードじゃなくてマイナー調のスタンダード曲が良く似合います。編成はトリオ以下に限ります。クインテット以上だとそれぞれの楽器が主張し合ってうざい。となるとピアノトリオの中から思いっきりセンチメンタルな曲を捜しますが、スタンダードの曲解釈によっても様々に印象が違ってくるので難しいところですが。「枯葉」は季節的に遅すぎますし、エバンスもウイントン・ケリーの演奏でもちょっと落ち込めない。徹底的にセンチメンタルな曲というと、レイ・ブライアントによる「ゴールデン・イアリングス」あたりがいい線を行っていると思いますが、昔からあんまり聴きすぎて耳に馴染んでしまってダメ。マイ・ファニー・バレンタインはチェット・ベーカーを始めとして取り上げられた事も多いのですが季節が早すぎるし、中にはアート・ペッパーみたいなセンチメンタルに陥れないマイ・ファニー・バレンタインもあります。モンクのラウンドミッドナイトは神々し過ぎという事で、しばらくぶりで聴いた曲は「ディア・オールド・ストックホルム」というスタンダード曲。この曲は原曲はスウェーデンの民謡のようですが、季節的にも雪に閉ざされた今の「全ての物の色彩が白一色に変えられた季節」に聴くのにぴったりです。どこか頭の奥に染みついているメロディだと思ったら、スメタナの「モルダウ」の原型にもなったほど昔から伝わる曲なんですな。ジャズ界でもスタンゲッツを始めマイルス・デイビスやポール・チェンバースのBN1569、コルトレーンからエディ・ヒギンズあたりにまで取り上げられていますが、少し弱気になった自分の心に見事にはまってしまったのは、アケタの店でも有名な明田川荘之氏の「室蘭・アサイ・センチメンタル」の中の2曲目のディア・オールド・ストックホルムでした。これ、いつ頃買ったのかまったく覚えていませんし、日本のジャズメン自体、山下洋輔氏以外のCDはあまり買ったこともないはずでしたが(考えてみたら日野皓正のハイノロジーとか藤、渡辺貞夫なんかの昔のLPがどこかに30年も放りだしてあるはず)。この16分近くに渡るピアノトリオの演奏でディア・オールド・ストックホルムという曲のテーマが頭脳に焼き付いてしまい、どこまでも白い雪景色を想像すると、このテーマが頭の中に流れて来るのですからかなりはまりました。アケタのCDはなかなか扱っているところが少ないのですが、今ではネットで入手可能ですし、なによりアケタの「ディア・オールド・ストックホルム」だけ音楽配信でダウンロード出来るんですから時代は変わった。とはいえ、うちの音楽環境自体もiTunesを作動させたMacintoshとアナログオーディオをデジタルオーディオプロセッサ介して結んでいるだけで、3500曲ほどのコンテンツをジュークボックス状態で再生しているだけですが、Macのファンの作動音が気になるので、出来ればファンレスのMacが専用で欲しいところです。何か巨大なiPod状態といえば話が早い(笑)
 しかしジャズはやっぱりスタンダードに限ります。去年の「SWING・GIRLS」という山形の女子高校生達のジャズビッグバンドの映画があり、最近TVで放映されましたが、朝ドラの「ファイト」にも出ていた本仮屋ユイカちゃんが、交差点で盲人用信号音のスコットランド民謡「故郷の空」を聴いて「これってジャズ?」って上野樹里達に尋ねるシーンがありましたが、あれはリズムの話ですが、どんな曲でもジャズのテーマとしてスタンダードになる可能性は山下洋輔氏の「仙波山」でも証明されていますよね(笑)何回もディア・オールド・ストックホルムを聞き直して、急にジャズピアノを弾いてみたくなりましたが、肝心のピアノは30年近くも調律もされず、物とか本とかが積まれているような状態ですから、寒いピアノ部屋でピアノと格闘するよりは、KORGのX2でも自室で弾けるようにセットアップでもしてみましょうか。

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August 24, 2005

Moogシンセとアマチュア無線の関わり

 ロバート・モーグ氏の訃報が流れました。彼が世の中に送り出したモーグ・シンセサイザーは初期のアナログシンセサイザーの傑作として、音楽に革命を起こしたことのみならず、現代のデジタルシンセサイザーをしても絶対にあの太い音が出せないという電子楽器の傑作、というよりテルミン同様に「人間の血の通ったアナログの楽器」を感じさせる最後のものだったように感じます。惜しむべくは、コルピッツ発振回路か何かわかりませんがアナログ発振回路であるVCOの発振周波数が安定しないためにチューニングが不安定ということで、その点では後発のARPオデュッセイに負けていましたが、ARP以上に多くのミュージシャンに愛されたのは、その欠点を押してあまりある独創的な音が自分で作ることができるということではないでしょうか。作曲家富田勲氏がミニムーグ以前の巨大なモジュラー型ムーグシンセサイザー(楽器の方はモーグというより昔からのムーグという言い方じゃないと気分が出ません)をアメリカから個人輸入する際、税関で楽器である事を信じて貰えず、ウォルターカルロス(性同一障害を克服してウエンディーという女性になりましたが)のスイッチト・オン・バッハというレコードを持っていって、やっと楽器として通関してもらったなどという話もありました。
 アナログシンセサイザーというのは、実はVCOで発信させた波をオペアンプで増幅し、色々なモジュレーションを掛けたりフィルターを通したりして波形を加工し、それで色々な音を出すのが基本なんですが、始めにこの構造を見て、なんか単純に無線機みたいだと考えました。それでどうやらロバート・モーグのシンセサイザー発想の基礎になったのは、どうも無線工学の素養があったからだと考え、実は彼はアマチュア無線家だったのではないかという一つの妄想があったのです。まあ、こういうつまらないことから大胆な仮説まで展開するのはわたくしの悪い癖ですが、そんなことは忘れ去っていて10年以上経った今になって、ロバート・モーグ氏の訃報が流れ、そういえば「モーグ氏はコールサイン持ちだったか否か」という疑問を思い出したというわけです。いままで出てきたシンセサイザー関係の文献には氏と無線工学を結びつける記述はなかったと思いますが、10年前と違って、今ではネットでキーワード検索すると、大抵の疑問に答えてくれる世の中になりました。それで英語で「ロバート・モーグ アマチュア無線」の2語で検索すると1997年にロバート・モーグ氏が受けたインタビューが掲載されてあるものがヒットし、それによると、「父親がアマチュア無線無線家で、子供の時に無線機の構造とかそういう無線工学を父親からたたき込まれた」という記述に行き当たりました。やっぱり当たらずとも外れてはいなかったようで、これで昔年の「アナログシンセと無線機の関係」の疑問が氷解しましたが、「ロバート・モーグ氏自信はコールサイン持ちでなかったのにも係わらず、子供の時からアマチュア無線家の父親に無線工学をたたき込まれて、後年それがアナログシンセの開発に繋がった」ということは疑いのない事実でした。後に無線機もシンセサイザーもアナログを脱してPLLを使用したデジタルシンセの時代になって行きますが、なかなかチューニングの安定しないアナログシンセや無線機もその存在価値は未だに失われていないようです。アマチュア無線界に「TS-520サウンド」が存在するように、やっぱり音楽業界には「ミニムーグの音」「プロフェット5の音」っていう定番サウンドが未だに存在するんですから。

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July 05, 2005

天野滋、「さようなら」で旅立つ

 天野滋の訃報が流れました。実は3日にNHKのBSで「おーい日本、今日はとことん岩手県」が放送されて、そういえば一ノ関出身の天野滋のことを思いだしていたのですが、そのときすでに帰らぬ人になっていて、おそらく近親の方の間で葬儀がおなわれていたであろうことを本日知ったのですから皮肉な物です。
 天野滋と言えば、我々中学生時代の末期に井上陽水に代わりフォーク小僧の間の神様的存在であったNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)のリーダーで、クラスの男女を問わず全員が「夕暮れ時はさびしそう…」の大合唱を行うというおぞましい風景を何回も見ております。こちらはフォークブームのムーヴメントに反発したい一心でハードロックしかやりませんでしたが、NSPのレコードもテープも持っていないのにもかかわらず、NSPライブの中のMC「一ノ関にはこんなでっけぇスズメがいてよ」とか「納豆・空豆・ピーナッツ」なんていうのは台詞は30年経っても覚えているんですから、一種のすり込みですな(^_^;)
 NSP活動中から他のアーティストに作詞家として作品を提供していたらしく、NSPメンバーがポニーキャニオンのディレクタに転身した関係か、ポニキャニのアイドル関係の楽曲に多数作品を提供しておりました。それも鳴り物入りのデビュー曲などというものは全くなく、ちょっとそのアイドルが勢いを失い掛けた3曲目に、秋本康と後藤次利コンビが手を引いてしまったような、そういう「会社としてはセールス的にどうでもよい」ようなレコードやCDに顔を出すのが常で、世間的にはまったく知られていないような作品が多いようです。ところが、そういう作品でもしっかり「天野ワールド」が出来上がっているんですねぇ。
 個人的に天野滋の作品を再認識したのは95年くらいの「メロディー」というアイドル3人組のアルバムに作詞者としてその名前を見つけた事でした。当時のニフティのアイドル系パティオに「メロディごときに天野滋の作品なんざ10年早い」なんて書き込んだらメロディ・ヲタから「そんなこと言わんでくれ」なんて泣き言がはいりましたけどね(笑)でもアルバム中の「ねぇ、ダーリン!」という曲が大好きになり、中年のおっさんがこういう若いカップルの、悪く言えば青くさい青春の1ページの心象描写がなぜ書けるのか感心しました。とてもわたくしにはマネできません。さすがは「外づらを良くしようと虚勢は張るが、内向的で性格が暗い」なんて言われることのある南部人の天野滋、強いて言えばそれを代表する宮沢賢治のような人たちにしか出来ない仕事なのかもしれません。NHKのフォーク大集合で、再結成後のNSPを何回か見ましたが、白糠で倒れ、釧路で客死した高田渡のように、その姿が永遠に見られなくなるのは残念です。あの曲どおり「さ〜よ〜なら〜」で天野滋は彼岸に旅立ちました。

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