June 12, 2021

HEMMI 星座早見盤

Dscf4251  我が家には物心がつく頃から星座早見盤というものがあり、幼稚園に入る以前からおもちゃとしていじくり回していたような気がしますが、その星座早見というのは金属の円盤の上に赤いビニールに透明楕円窓が色抜きされていたものでした。おそらくは三省堂が発売した天文学会編新星座早見という星座早見盤だったと思います。これは後に学研の科学を購読する学年あたりから本来の使い方を覚え、天文少年時代の重要なツールとして円盤が反って透明部分がすだれ状に傷が入るまで酷使されました。街の青少年科学センターで開催される天文クラブの美品はお椀型の星座早見盤だったのですが、その早見盤より大きくて、より暗い(?)恒星まで描かれているというのが使い勝手がよく、全天恒星図を買ってもらうまで、星図代わりにも使っていました。その三省堂の新星座早見がなぜ家にあったかというと、どうやら父親の蔵書の中に野尻抱影氏のものが何冊かあり、その著作を理解するために本屋に並んでいたものを衝動買いしたのではないかと思いますが、真相はわかりません。
 その星座早見盤ですが、一般向けとしては明治末期の1907年に三省堂から発売された日本天文学会編の星座早見が嚆矢らしいのです。それまでは舶来の星座早見があったとしても、その緯度が当該国の標準であるため、北緯35度基準の日本では使いづらく、日本独自の星座早見が必要だったからではないかと思います。しかしその星座早見は長らく天体に興味のある学生や研究者のものであり、一般大衆に普及するものではありませんでした。その星座早見盤があまり天体に縁のない人たちにも爆発的に普及したのは、どうやら昭和30年代になってスプートニク打ち上げ成功をきっかけとした人工衛星や有人宇宙船などがつぎつぎに打ち上げられたことや池谷関彗星などの日本人アマチュア天文家の新天体発見などの活躍により、一種の天文ブームが到来した事ではないかと思います。そのため、昭和35年ころからこの星座早見に参入する業者が増えました。その星座早見盤の代表格が明治末から製造し続ける三省堂と戦後参入組の渡辺教具製作所で、特にお椀型の渡辺教具製作所は地球儀メーカーらしく全天を半球に見立てたお椀型の星座早見盤を製作しはじめたのは昭和30年あたりとのこと。当初渡辺教具は天体望遠鏡メーカーへのOEMも多く、地元の天文クラブで使用していた半球形星座早見盤もエイコーブランドだったような気がします。この半球お椀型星座早見盤は渡辺教具製作所が特許を取得したとのこと。
 その昭和30年代の天文ブーム以前にヘンミ計算尺が星座早見盤を作っていたのはあまり知られていません。というのも天文関係には関わりのないヘンミ計算尺が昭和30年代の天文ブームに乗って新たな製品展開を考えたというのなら話はわかるのですが、どうも昭和23年にはHEMMI星座早見盤が完成していたようで、それを証明するようにヘンミ計算尺株式会社の会の字が「會」になっていたり、本体表記のあちらこちらに旧字体が存在するのです。すでに市場で発売されていた星座早見の本体は紙製であったのに、ヘンミ製星座早見は本体は白色セルロイド盤の印刷で、楕円に透明抜きされた円形セルロイド盤が回転するという現在総ての星座早見が等しく備えている特徴があり、その構造で実用新案を申請したようです。大きさがコンサイス円形計算尺のような直径12cmというポケットサイズですが、もしかして日付の基線長が10インチということにこだわったのか、いかにも小さくて使いづらいもの。当時は一般的な緯度は北緯35度用で、日付の目盛は一月が3等分。時間は一時間が二等分する目盛しか施されていないというもので、昭和30年代の天文ブーム以降に発売されていたものと比べるといかにも簡易的な感が否めません。また昭和30年代の三省堂赤盤新星座早見は緯度の補正のためのサークルが印刷されていて北緯42度のうちの地方では非常に重宝しましたが、そういう配慮もまったく見られないのです。そのため、昭和30年代になったときには他に新しい星座早見が色々出来てきて時代遅れとなり、そのうち本業の計算尺製造販売が最盛期を迎えたため、本業以外のものをあっさりと切り捨てたということでしょうか?まあ考えようによっては戦前すでにこのHEMMI星座早見盤は組み立て前のパーツの状態で出来てはいたものの、戦争で不要不急の商品として発売することが出来ず、戦後の社会がやや落ち着いた頃に戦前すでに完成していた部品を組み立て、換金目的で発売した、というのかもしれません。戦後になって新製品として製造したのなら、もっと数が多く残っていて然るべきですし、改良版も一度くらい出てもいいような気もします。おそらくは昭和30年代に差し掛かり、三省堂から大幅な改訂版の赤版新星座早見や渡辺教具のお椀型が発売に至り、市場での存在価値がないと製造を止めてしまったのでしょうか?
 そういえば、昔の星座で気になっていたことがあったので、検証してみるとその予想は的中しました。このHEMMIの星座早見盤はなんとアルゴ座が分割されずにそのまま印刷されているのです。アルゴ座は領域が広いために国際天文学連合の取り決めで3分割し、それぞれほ座、りゅうこつ座、とも座になったというのは小学生のときにすでに知っていたのですが、このヘンミの星座早見盤はそのままアルゴー座表記になっています。このアルゴ座分割の取り決めは第一次大戦後で世界に落ち着きが戻った1922年にイタリアのローマで開催された第一回国際天文学連合の総会で決議されたことだそうです。このときに星座の境界線などの国際基準も規定されたそうです。日本でいつ頃からアルゴ座が消えてほ座、りゅうこつ座、とも座の表記が一般的にも認知されたのかはわからないのですが、少なくとも昭和30年以降の出版物や星座早見盤などでアルゴ座の表記は見たことがありません。また星座の表記も旧字体の漢字表記が多く現在のインディアン座が印度人表記だったり、そのため、何かコピー元になるような古い星座早見があって、それをそのまま縮小サイズに設計し直したものの、もともと設計者があまり最新の天文情報などに通じてはおらず、アルゴ座が分割されていない表示が古いなどという考えもなかったのかもしれません。それを戦後そのまま売り出したものの、改訂版を作ろうという人材も意欲もなくて、本業に専念するため切り捨てたというのが真相でしょう。
 でも、個人的にはポケットサイズの星座早見盤もありだと思うのですが。ただし、薄いセルロイド製星座早見は学習雑誌の付録なみのクオリティでいただけません。直径12cmの星座早見盤はいかにも小さいような気がしますが、以前新宿のヨドバシカメラで購入したシチズンの2代目コスモサインと比べれば、実用度は上だと思います。ただ、コスモサインは自動的に23時間56分で星座部分が一回転し、常にその日月のその時間の星座を表示してくれるという先進性がありましたが。

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August 03, 2006

ケネリ・ヘビサイド層

 8月も過ぎて梅雨前線が何と北海道の北端あたりに掛かっているというのですから、日本列島沖縄から青森まで梅雨明けしたのがわかろうものですが、その影響かどうも今週はEs層によるハイバンド伝搬がはかばかしくありません。とはいえ、21メガ辺りは時間によって1エリア近辺が強力に開く時間があるものの、その時間も短くなり、8から聞くと6エリア九州の末端から3エリアあたりまでと韓国内がいっしょに聞こえることが多いみたいです。JAIAアワードのカードも追加がなさそうなので一応終了し、まもなくまた4アマ養成講習が巡ってくるので、一応復習がてら無線工学の見直しをやってましたが、しばらくやっていないとE層発生高度やF層発生高度、E層・F層の日変化・季節変化・サンスポ増減との相関関係なんかが曖昧になってしまいました(^_^;) 4アマの養成講習には電離層の性質を問う問題は見当たらず、2アマ試験あたりのB問題の穴埋めに出てきそうな問題ですが(笑)このうちD層に関しては1次減衰なんかで取り上げられるくらいで、アマチュアの短波帯伝搬に関係ないからか、あまりアマチュアの無線工学解説には出てきませんが、E層は「ケネリ・ヘビサイド層」F層は「アップルトン層」なんて呼ばれることがあるようです。
 この電離層の存在という概念は1902年にアメリカのケネリーとイギリスのヘビサイドの2人がほぼ同時に予言しその存在と高度を実験によって証明したのがイギリスのアップルトンなのです。そのためケネリ・ヘビサイド層として存在が仮定されていた電離層はアップルトンによってE層と名付けられましたが、これはアップルトンが上空に向かって垂直にいろいろと周波数の異なる電波を放射し、反射してくる電波の電界強度「E」を計算しているうちに自然にE層と命名したとアップルトンがデリンジャー現象の発見で名を残したアメリカの物理学者ジョン・ハワード・デリンジャーに送った手紙の中で明らかにしています。又、アップルトン層とも言われるF層はE層の外側にその存在を発見したためにF層と名付けられ、D層はE層の下に発見したためにD層とし、最初からA層〜C層はなかったということは以前にも書きました。
 さて、最初に電離層の存在を発見した1人であるオリバー・ヘビサイドはエジソン同様に正規の教育を受けていなかった一介の「電気技師」だったのにもかかわらず、電気の諸現象を数値計算によって証明しようとした能力がエジソンとは基本的に異なります。また、回路のインピーダンスの概念や、1アマの工学には係わってくる複素数「i(電気の世界ではj)」の使用、またラプラス変換による微分方程式の解法、ヘビサイド定理、ヘビサイドの階段関数など、すべて独学であみ出したようです。交流をベクトルという概念で解析したのはこのヘビサイドですぜ(^_^;) ヘビサイドがいなかったら1アマ試験に複素数もベクトルもなかったのでしょうが(笑)
 ホイートストンブリッジで有名な物理学者のチャールズ・ホイートストンの甥なのにもかかわらず、なぜ高等教育を受けられずに一介の電気技師として独学で電気物理を学ばなければいけなかったかは、エジソンと比べて殆ど伝記的な資料が見当たらないために当方もよくわかりません。ただ、1912年のノーベル賞候補にもノミネートされたのにも係わらず、イギリスでは「単なる1人の技師のたわごと」以上の評価を上司から受けずに、最後まで貧乏な技師で生涯を終えたことは、島津製作所の一介の技術者でありながらノーベル賞を受賞した田中さんとは正反対の人生だったようです。

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February 25, 2006

寄生虫さん、こんにちは

 料理好きを自認する限りは包丁が使えなくてはいけませんし、魚を一匹出されておろす事も出来ないと「料理が出来る」なんて恥ずかしくていえません。さらにまともに魚をおろそうとするとステンレスの包丁ではだめで、最低鋼の出刃、刺身、鰺切り包丁の3つくらいのマイ包丁を持っていたいものです。ところが最近出刃包丁の出番が無くて、しばらく使わなかったら刃先にうっすらと錆が(^_^;) もっと使わないといけませんが、釣り師ではないので普段は魚の切り身しか買いませんからねぇ(笑)
 日ごろ出番が無い出刃包丁でしたが、スケトウダラを10匹以上もらい、久しぶりに裁くことになりました。どうやら200海里すれすれの所で操業していたロシアと韓国の大型底引き網漁船が姿を消して、昔のようにスケトウダラの資源が戻ってきたようです。こんなにスケトウダラをもらっても消費のしようがないのですが、今の季節、蝦夷の国では昔から棒ダラ作りが行われ、頭と内臓を落としたスケトウダラの尻尾をひもで結んで野外の竿に掛け、凍る融けるを繰り返すことで寒天作りのようにフリーズドライとなって水分が抜け、保存に耐えるものになるのです。いにしえは米の取れない蝦夷の国の重要な交易品で、北前船によって昆布などと共に関西に送られ、関西では棒ダラは昆布同様に欠くことの出来ない食材の一つなのでしょうが、北海道では棒ダラ作りはすれども戻して煮付けて食べるなどということは、よっぼど山奥で生魚が流通しなかった開拓地は別として、あまり聞いたことがありません(^_^;) 身欠きニシンはそこらじゅうに生えている蕗といっしょに煮て開拓地のごく普通のおかずだったので、かえって身欠きニシンの消費は多かったようです。棒ダラはカチカチに乾いたヤツを金槌で叩きほぐして、マヨネーズに七味を振りかけ醤油を落として混ぜたやつにつけながら食べるのはけっこう珍味ですが(笑)
 ということで、13匹あったスケトウダラを全部さばくのも大変ですが、覚悟を決めて出刃包丁を振るい頭を落とし、腹を割いて内臓を取り、腹を流水で洗って尻尾の部分にひもを通す穴を開けます。マダラと違ってスケトウダラのタチはさほど大きくないのですが、いわゆるタラコはスケトウダラのメスの卵巣で、福岡名産の辛子明太子もすべて北海道産もしくは輸入物のスケトウダラの卵巣です。5匹ほど裁いたときにどうも腹腔内と肝臓に米粒ほどの白い物体が多数付いているのを見つけました。最初はタチが千切れてこぼれたのかと思ってよく見たら背筋が凍り着きました。なんと引っぱるともぞもぞ動くんです(@_@) 名前は知りませんが、魚に寄生する寄生虫に間違いない。しかし、ここまで大量に寄生虫にたかられた魚にあたったのは初めてです。25倍のルーペで覗きながらピンセットで剥がそうとすると、頭に棘というかそういうものがある口でしっかり食いついていて、なかなか剥がれようとしません。急いで内臓を取って腹腔内の米粒ほどの寄生虫をピンセットで剥がし、水道で腹腔内をよく洗いますが、この米粒みたいな寄生虫は調べるとニベリニアという名前の寄生虫らしいですな。このニベリニアだらけのスケトウダラにはアニサキスもいて、さらにまな板の上にこぼれた内臓片に混じってエノキ茸のような長さ3センチくらいの白い物体がこぼれていたので、ルーペで観察すると、何と生きたサナダムシちゃん(^_^;) アニーちゃんにはよく巡り会うけど、生きたサナダムシちゃんに遭遇するのは初めてです。ルーペで覗いてわかりましたが本当に節に分かれているんですねぇ。この魚に寄生するサナダムシは日本海裂頭条虫というものらしいです。日本人のサナダムシちゃん感染例としては一番多いもののようですが、元東京医科歯科大の藤田紘一郎せんせによるとあまり人間の体内に入っても非道い悪さをするものではなく、サナダムシの抗体が体内に入ることによってかえって花粉症などにかかりにくいなどという研究成果があるようですが、藤田せんせみたいにこのサナダムシちゃんを飲み込む勇気はあたしにはありません(笑)この魚にいる3センチくらいの幼生の状態をプレロセルコイドというらしく、これが人間の体内に入ると2メートルから9メートルまで成長するそうです。どちらにしてもこれらの寄生虫は本来クジラやイルカという海棲ほ乳類や鮫などを終宿主とし、それらの小腸に寄生するもので、寄生虫卵がこれらの糞とともに水中に放出され、それを取り込んだプランクトンを小型の魚が補食し、その小魚をより大きな魚が補食し、その魚をクジラやイルカが食べるというサイクルを繰り返しているのです。そのサイクルの途中で人間が魚を横取りすることによって人間も感染するわけですが、それらの寄生虫は人間の体内で繁殖出来るわけではないために、寄生虫にとっても人間の体内に取り込まれることは迷惑な話なのでしょう。さて、米粒ほどのニベリニアですが、腹腔外にこぼれ落ちたニベリニアがスケトウダラの鱗の付いた皮膚に食らいつき、ピンセットで剥がそうとすると、カギのような口吻で鱗をくわえ込んだまま離れようとしないそのしたたかさを見て、こいつらはもしかしたら、元々地球外生命体だったんじゃないかと思えてきました(^_^;)

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