November 26, 2013

ゆるキャラグランプリ2013で独断で選んだきもキャラ不気味キャラ

 ゆるキャラグランプリ2013も24日に埼玉羽生市で無事に終了し、我が苫小牧市の公式キャラクターとまチョップも昨年14位から順位を落としたものの、メディア選抜ぎりぎりの20位を確保し、まずはめでたいというところです
 一ヶ月前の最終公表ランキングが21位で、20位以内と21位以下とでは、まず一般紙には順位が出てこなかったり扱いがまったく異なるので、こちらも毎日かならず投票してたのですが、普段まったく使わないメールアドレスで登録したら、そこにむけてスパムメールがくるわくるはで、いったいどういうセキュリティーの管理をしてるのか知りませんが、いまだ一日50通近いスパムに見舞われてます

 ところで、今年も気になったゆるキャラならぬきもキャラもしくは不気味キャラを何点かピックアップしました。

うどん脳  (香川県)総合262位 ゆるキャラならぬツルキャラを自称、うどんを食べ過ぎて脳がうどんになってしまったそうですが、その脳が露出した姿は往年の「ハカイダー」を思わせます

巨人くん (東京都) 総合510位 進撃の巨人がなんでゆるキャラグランプリになんか登場したんでしょう?見た目で往年の科学くんという先輩がいますが、さらに顔がコワい ふさわしいのは鍼灸院もしくは理科室でしょう

ハニワこうてい (大阪府) 総合563位 もはやゴレンジャーなんかの戦隊モノのかたき役です

だるだる (和歌山県) 総合756位 熊野古道に生息する由緒正しい妖怪なんだそうで、水木しげるの妖怪のようなゆるさがないのがコワさに通じてます でも足元だけはゆるい(笑)

うささま (茨城県) 総合823位 モチーフはうさぎなんでしょうが、もはやそれをまったく感じさせないような、製作者の意図なのかその適当さが相当ブキミなキャラクターです

きもおか君 (栃木県) 総合856位 真岡市のキャラクターなんでキモと真岡の合体で出来上がったきもキャラ。ブキミ度けっこう高いですが、適度なゆるがあってまだ救われているかも

金光メイカ (岡山) 総合930位 顔がオヤキみたいな「銘菓」をもじったキャラクターのようですが、顔とコスチュームがチープすぎて、これもゴレンジャーに出てきそうなカタキ役です

シスト男爵 (北海道) 総合1033位 となり町むかわ町穂別で産出するアンモナイトをモチーフにした意図せずに不気味キャラ化したキャラクター こちらはショッカーの大幹部が変身した後の姿みたい

やっさくん (千葉) 総合1229位 ちょっとアレンジを誤ってきもキャラ化してしまった吉田戦車の漫画にありそうなキモきゃら

ゾンベア (北海道) 総合1277位 これはヤバす 捨てられたぬいぐるみの熊が持ち主の男の子を探して彷徨っている姿なんだどか コワすぎでしょう 何でこんな大会に出てくるの?

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May 16, 2007

NTT東日本・回線障害の影響

 昨日、18:35頃にフレッツADSL経由でnifのメールサーバをチェックし、風呂に入った後19:20分頃からインターネットにアクセスしようとしても回線が繋がりません。以前にも1度ありましたが、当初は下の階に置いてあるADSLモデムの電源が抜けたのかと思って点検しに行くとちゃんと電源が入ってます。それなら何かの拍子にアクセスの情報を飛ばしてしまったのかと思い、再度接続情報を入れ直してアクセスしても「接続に失敗しました」のアラートしか出てこないのです。もうこうなったら意地ですから窓機とMacのLANを組むために購入しながらしばらく放ってあったバッファローのブロードバンドルーターを用意して接続のウィザードに従って設定を行い、プロバイダにアクセスしようとしてもエラーが出てアクセス不能。結局ADSLモデムでの単独の接続に繋ぎ直して再度アクセスしても結局回線は繋がりませんでした。これはブロバイダ側のサーバーが何らかの理由でトラブルを起こしたのではないかと考え、電話回線でダイヤルアップにて接続し、情報を取ろうとしても今の時代、何処のプロバイダでもダイヤルアップサービスなんか終了してしまってます。結局1時間くらいすったもんだの末に20:30のNHKラジオで「東日本から東北・北海道の広範囲にわたり、NTT東日本のBフレッツと光電話・フレッツADSL・ISDNの回線に障害が発生し、接続しにくくなっている」という報道が流れ、始めて回線業者側のサーバトラブルか何かによる接続回線の障害と判明。むだに費やした1時間を返せ!!!<NTT東日本(−_−#)
 その後も15分おき位にそろそろ障害も回復したかと思ってアクセスするたびに繋がらず、オークションの終了時間のゴールデンタイム21時台にもまったく入札できず、嘘のようにインターネット回線に再度接続できたのは22:40頃でした。21時台から22時台にかけてのウオッチリストはすでにすべて終了してました。やはり入札不能に陥った人が多かったからか落札相場が1万円を超えるのが普通の物が開始価格の1,800円で終了などというものが目白押し。WEBでニュースなどを見ると回線数で実に数百万回線が不通になり、その間に光電話では当然の事ながら110番も119番も使用できなくなったと言うことです。まあ、ブロードバンド回線がダウンしても携帯電話網が生きていれば事足りるのでしょうが、やはりサーバートラブルなどを考えてしまうと光電話のサバイバビリティは普通の音声電話の回線に比べると「低い」としか言いようがありません。それなのに最近はADSL混在との解消を目指してかNTT直接もしくはNTTの代理店と称するところからのBフレッツへの変更の勧誘が続いています。
 しかし、契約上の免責事項に「回線不通の際に生ずる附帯的な損害を弁済しない」などという一文がどうせ入れられているのでしょうが、今回の数時間に渡るブロードバンド回線の普通は直接的、間接的にどれくらいの損害を生じたのでしょうか?

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May 02, 2006

アメリカンニューシネマな事件

 「4月30日、茨城の土浦市で浴場の2階の屋根に登って女湯をのぞき見していた男が、浴場主に発見され、逃走するも300メートルほど追跡されて、近くの橋の欄干を乗り越え、川に飛び込み、30分後に救急隊に救助されるも病院で死亡が確認された…。」
 う〜む、何とアメリカン・ニューシネマなストーリー展開でしょう(笑)
 きっと大槻ケンヂもそう思ったに違いない。
 アメリカがベトナム戦争の泥沼に突入し、先行きが見えない頃に作られた「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる暗い青春映画は、「やったぜ!」とはしゃいでいる直後に突然主人公が死んでしまわないと済まない結末の映画で、「明日に向かって撃て」「イージーライダー」「真夜中のカウボーイ」なんちゅうのが代表か? ストーリーの落ちがつかないので、主人公達を突然死させて話の落ちをつける手法が特徴的でして「ダーティメリーのクレージーラリー」なんていうのは、警察と追跡ごっごをやっていて、ついに警察をまいてしまい「やった!」なんてはしゃいでいるところで踏切で貨物列車に突っ込んでしまい衝突炎上、そこで終わってしまうなんていう映画でしたが、それを見たときには「アメリカの機関車は丈夫だなぁ」と思ってしまったのが鉄道マニアだった証拠(^_^;)
 さて、この水死出馬亀男の身元が確認されたかどうかの事後報道ははいっておらず、10代後半から20代半ばまでの年格好で身長170センチということしかわかりません。どういう人生を送って来たかはわかりませんが、女湯丸見えのポジションから心おきなく女湯をのぞき「やった!」と思った直後に浴場主に発見され逃走、300メートル逃げたところで逃げ切れないと思ったのか橋の欄干から川の中にダイブ。これで逃げ切る目論見がそのまま死んでしまったというバカバカしくてあほらしい死に様が、正にアメリカン・ニューシネマ的な展開です(笑)
 以前、権藤監督の横浜ベイスターズが優勝したとき、道頓堀ダイブのマネじゃありませんが酔った勢いで横浜の運河に飛び込むベイスターズファンがたくさん出て、その中の1人が水死し未だに身元不明なんだそうで。数十年ぶりのベイスターズ優勝で「やった!」とはしゃいでしこたま酒を飲み、気が大きくなって自分も運河に飛び込んだら死んでしまったという無意味でアホらしい死。さらに死んでも誰も困る者もいないのか、捜してももらえないという展開。これもまさしく「アメリカン・ニューシネマ」な人生じゃないかと大槻ケンヂが書いてましたけどね(笑)
 三河島事故における犠牲者の中で、今でも身元が判明しない人が1人います。戦後の混乱期で死亡扱いになっていたり、さらには周辺国から密入国し裏の商売もしくは工作活動に携わっていたのかもしれませんが、それは今となってはまったくの謎。聞いた話によるとこの身元不明遺体ナンバー88号氏は、同じ事故で亡くなった他人の服を上から下まで身につけており、第一の事故で亡くなった服の持ち主を見てラッキーと思い、混乱に乗じて服をはぎ取って身につけた途端に対向電車が突っ込んできて、その瞬間に再度の衝突で命を落としていたとすれば、これもまさしく「アメリカン・ニューシネマ」な無意味でアホらしい死だったのかもと言いつつ、三河島事故の時にはアメリカン・ニューシネマなんざ、まだ無かったね(^_^;)

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April 08, 2006

岡田有希子自殺から20年

 そういえば今日が「あの日」からの20年目の節目の日にあたる。あの日とは、その後に若い子が不可解な後追い自殺を繰り返したために「ユッコシンドローム」などと言われる発端になったアイドルの岡田有希子が四ッ谷交差点のビルから飛び降り自殺した日なのだ。しかし、あれから20年も経つというのは我ながらムダに歳を重ねたものであるが、当時は玩具製造に参入するきっかけとなったフルオートガスガンの出始めのころで、土曜の21時頃に完成品が入荷し、その日のうちに梱包を済ませ、日曜には予約分を裁いて月曜には他社に出荷という週単位のスケジュールをもう何ヶ月も繰り返して、水曜日が休みというような勤務状況だった。その頃やっとパソコンが業務に入り始めて売り掛けが電算処理を始められた頃である。そんな休みの水曜日はいかに睡眠時間を確保するかが重要で、休みの日だけは千歳烏山駅近くの6畳一間の風呂無しトイレ共同の安アパートで昼まで寝ていて「笑っていいとも」と同時に起き出し、カップ麺で昼食を済ませた後、けだるい午後をワイドショーか何かを見て過ごし、4時に近くの銭湯が開いたらさっさと入りに行くというような、実に非生産的な休日の過ごし方をしていたのであったが。
 四月に入って陽気も良くなり、もうカレーの作りだめは出来ないな、などと思っていた休みの水曜日、春のうららかなよい天気だったのにも係わらずいつもの通り昼ごろに起き出して「笑っていいとも」を最後まで見ていた。どんなコーナーがあったかは覚えていないが、エンディングでタモリが回って来たメモを見て「えっ、岡田有希子ちゃんが飛び降りた?!」と叫んだのは今でもはっきりと覚えている。「飛び降りた」という客観的な事実に対して、なんで高校を卒業したての18歳がビルから飛び降りなければいけなかったのか自分でも整理がつかなく、出来ることならば生きていて欲しいという願いもむなしく、その後のワイドショー報道で死亡が確認されたという報道が流れた…。
 前月3月はおかしな陽気だった。桜が咲こうというときに東京では大雪が降り、交通網が1日遮断された。その大雪の1週間前、いつもの通り混雑する京王線の急行電車を避けて先発の各駅停車の新宿行き電車に乗る。最後尾の車輌に座って本を読んでいると上北沢停車中に車掌が急に「あっ、人が接触した」と大声を上げ、列車無線で運行指令に連絡を入れた後すぐさま救助のためにホームに走ったのだ。反対ホームを通過する快速電車に接触してホームを飛んだらしく、自分の乗っている車輌のすぐそばまで跳ね飛ばされたらしい。このときは接触だから大事に至らないという思いと、快速に跳ね飛ばされたのだから命はあるまいという両方の思いが交錯した。すぐに駅員・救急隊員・警察などが駆けつけたが車掌は列車無線で即死と伝えていた。こちらの電車は当事者ではないので15分遅れくらいで発車したが、ホームでは遺体にシートこそ掛けられていたものの、あちこちに豆腐を細かくしたような灰色の物体が散らばっているのを見てしまった。人間の頭が割れるとこのように脳が飛び散るのを目の当たりにして、それからしばらくメシが喉を通らず、スーパーでパック入りの鳥のモツの見ただけでしばらくは吐き気がした。
 歌番組を殆ど見ない自分が岡田有希子の姿を初めて見たのは事もあろうに民放深夜に流れる「歌う天気予報」という番組だったと思う。ファーストデートという曲を歌っている場面に天気予報のテロップが流れるというそれだけの番組だったが、日によっては「じょんがら天気予報」などというわけのわからんお天気番組に変わっていた。岡田有希子の歌う天気予報の前任は、何と「スターボー」だったと思う。チープなテクノのメロディでの歌う天気予報は、海岸でマスクを掛けたスターボーの3人が星の形の全身タイツみたいのをまとって、暴走族のようにメンチ切って見せるというような噴飯もののビデオクリップであった。まあ宇宙から来たインベーダだから仕方がない。そのスターボーの後の歌う天気予報抜擢だったので余計に岡田有希子という名前が印象づけられたのかも知れないが、アイドルマニアの友人がファーストアルバムのテープをくれ、そのテープをグアムに持っていったのを覚えている。
 四ッ谷交差点の大木戸ビル前には1週間後の水曜日にオートバイで出掛けた。出掛けたというよりついでに訪れたというのが正解だ。堆く積まれた花束の前にひれ伏すユッコファンさえすでに姿を消したが、花束の山はそのままだった。あの日の上北沢のホームのように、まだ若い脳の断片を散らした固いアスファルトはその染みさえ見つけることは困難だった。テープをくれた友人はその日のうちにこの現場を訪れ、「さらば青春」と涙を流しながらオートバイであてもなく走り回ったそうである。今も昔も自分はそこまで人にも物にも感情移入することは出来ない。でも岡田有希子のLPはいまでもすべて持ち続けている自分は一体…。この日を境に自分はアイドルとは絶縁しておニャン子クラブなどとも無縁の人生を歩むことになる。

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April 06, 2006

結婚詐欺師クヒオ大佐

 「結婚詐欺師クヒオ大佐」なる本が出ている。実はこの希代の結婚詐欺師にいささか縁があったためにネット経由でセブンイレブンに送らせたのだったが、本を読むとどうやらこの作者は84年に逮捕された以前のこいつの行状については又聞き以外の事実はご存じないらしい。逆にこちらは90年頃に明大前の駅構内でこいつを見かけ、以前のようにブランド品の着る物でも仕入れてきたのか紙袋を2つも抱えて、さすがにその時は軍服姿ではなかったが、相変わらずやってるなと思い、「この人有名な結婚詐欺師です」と大声でさけんだらこいつがどんな反応をするか見てみたい衝動に駆られながらも、あわただしい通勤時にてそのままになった時以来、その外国人とも日本人ともつかない整形で作られた独特の顔を見てはいない。
 この本を見るとどうやらその時に標的になったカモに訴えられてその後、何度目かの刑務所暮らしをしていたらしく、この本によってそれ以降のこやつの行状がわかり、20年が繋がったような感じがした。しかも驚いたことにこのクヒオ大佐は我が同郷の北海道出身だという…
 話は遡るが、82年から83年頃。社会は不況の最中にあり、常勤バイトとしての勤め先も例外ではなく換金出来ない不良在庫の山を抱えてただでさえ少ない正社員を半分にするしかなかった。そこで軍用品に強かった当方が中心になって非常勤役員(現役エアライン勤務)に何度もアメリカを往復してもらって、軍用品、特に燃えないノメックス(ポリアミド)のフライトジャケットをノースカロライナのメーカーからアトランタ経由で直接仕入れるというような、軍用のユニフォーム関係の仕入れルートを確立し、それを独占的に供給することによって売り上げ的にも一息ついたという状況にあった。もちろん軍用品マニアを対象にである。特に今では何でもないCWU-45/Pという米軍最新のノメックスフライトジャケットは岩国からの横流し(MAG-15) 以外では初めて日本にこれを持ち込み、ナイロンなんかの民生品MA-1フライトジャケットに比べると4倍近い値段だったのにも係わらず1シーズンで400着ほど売りさばいた。その売り上げを給料にせずに仕入れ資金とし、中古の航空装具類、特にジェット用ヘルメットなどを仕入れたが、そこにやって来たのが後に「希代の結婚詐欺師・クヒオ大佐」と呼ばれた男である。
 最初、こいつが店に現れたときのことは鮮明にいまでも覚えているが、何を買っていったのかは思い出せない。その時はいかにも高そうなスーツにエアラインパイロットが持ち歩きそうなアタッシュケース、短い赤毛でブランド物のサングラスという姿だったと思う。腕には高いのか安いのか判断に苦しむ金貨をあしらった時計をはめていた。そして英国空軍からアメリカ海軍に派遣されている現役の戦闘機パイロットで大佐であり、最近は英国大使館詰めであることなどを喋り始め、アタッシュケースからアメリカ海軍のスクランブルエッグ(鍔の金刺繍)付きの制帽を取り出した。その制帽を見て何かおかしいと思ったのは軍装品屋の直感であった。微妙に今の制帽帽章より一回り小さいのである。それに金糸の刺繍部分はその当時すでに「ノンターニッシュ」っていう腐食しない素材のものが出回っていたのに、スクランブルエッグもチンストラップも青く変色している。どうやらえらく古手のWWII当時の制帽を持ち歩いているようだった。さらに今度来るときに自分の羽毛入りのフライトスーツを持ってきて見せてやるなんて曰って帰っていったが、今どきというか今も昔も軍用機搭乗員が火のついたら危ない羽毛入りのフライトスーツなんか着るわけがなく、どうやらこのお人はノメックスという火のつかない素材のことをご存じないようだった。フライトブーツだという靴も我々が履いているいかついキャップトウのレースアップパイロットブーツと違ってサイドジッパーの単なるハーフブーツであったし、こんな物で射出したら爪先が切損する事だってある。国籍不明ではあるがパイロットか医者を騙るとなると常識的に考えて「職業結婚詐欺師」というのが、店に現れた初日にすでに噂になっていたのだが、後にこいつが数千万の金を複数の女性から巻き上げることになるわけである。さらに周囲の軍用品屋や横須賀のドブ板界隈でも目撃談がけっこうあり、「正体不明の自称大佐」「ニセネービー」ということで、業界筋でも酒の肴としての話題に上るようになった。
 その後、こいつは年に何回か店を訪れるようになる。いつの間にか赤毛が金髪に変わっていた。どんな客にもへらへらしながら調子を合わせる当方はこのニセ大佐に気に入られたのか「自分はハワイ王室に嫁いだエリザベス女王の妹(だったか従姉妹だったか忘れた)の子供で、英国空軍からアメリカ海軍に派遣されて戦闘機に乗っている」その他の常套句を一通り聞かされたのであったが、話のつじつまが合わない(海軍の軍人がなんで横田のF-15に乗っているのか、そもそも横田にはF-15の部隊はいないぞ)所を突っ込んでやりたいところだったが、結局は調子を合わせてしまった。その国籍人種不明の姿(明らかに鼻筋を整形していると思われる)や、けっこう英語の会話に乗ってくるということから案外「本物ではないか?」という話も上がったのであったが、決定的に「こいつは日本人で意外に年輩」であるということを確信したのは「員数」事件であった。
 「員数」なんていう言葉は我々だって滅多に使わない特殊な日本語だ。その員数という言葉がハワイ出身の英国空軍派遣アメリカ海軍大佐の口から思わず漏れたのは、うちで扱っていた海軍関係のユニフォームを購入しようとした時だった。いつもこのニセ大佐は「買う」と言わずに「買ってやろうか?」と、こちらの売り上げ具合を見透かすように持ちかけて来るのである。思わず「こういうの必要なんですか?」と、口を滑らせたら、基地のストックを持ち出したから「員数を合わせるために」必要なんだと言って、制服制帽などを持っていったと思った。それも「給料を貰ったばかりだからドルと日本円があるがどっちがいい?」などと聞くのである。もちろん日本円キャッシュでお支払いいただいたが、その「員数を合わせる」という軍隊用語を耳にして「こいつは正真正銘の日本人」であることを確信した。でも旧海軍は「たいさ」じゃなくて「だいさ」、「たいい」ではなく「だいい」と呼ぶのが正しいのだが、こやつは「かいぐんたいさ」と自称していた。「ワンスターはネイビーでは准将ではなくて代将(だいしょう)ね」なんて我々にレクチャーするくせに、コモドアーの意味も平時の海軍は大佐からツースターの少将に昇進することも、海軍少将には厳密にアッパーハーフとロアーハーフの2階級がネイビーリスト上にもペイグレード上でも存在するのもご存じなかったらしい。そういえば、我々が元米軍軍人を自称する本物とニセモノを見分ける方法に「ペイグレードはいくつだったか?」との質問に的確に答えられるかどうかというのがある。もちろんジョナ・クヒオ大佐にそういう質問をぶつけたことはないが。
 その後もニセ大佐の買い物はしばらく続いたが、今となっては「詐欺の小道具の供給元」の一部になっていたわけである。しかし、詐欺に使われるとわかっていて売ったわけではないが、薄々は「結婚詐欺の小道具」に使われるのではないかという一抹の不安は持ち合わせていた。
 そういえば、このニセ大佐は頭が小さくて、新品だがサイズが合わなくて誰も被れなかったMサイズのHGU-26/Pというデュアルバイザーのジェットヘルをするりと被ってしまい、又「買ってやろうか?」の一言で20万円のキャッシュを払って持っていってしまった。ジェット用ヘルメットの被り方の基本がなっていなく、オートバイのヘルメットを被るようにまっすぐ被ってしまうのを見て「おやおや」と思ったが、その時のヘルメットを被って沖縄のKING城よろず屋のF-104Jに乗り込んで片手を突き上げている写真を逮捕後の週刊誌で見てひっくり返ってしまった。
 その後このニセ大佐、軍人であるという事を最もらしく見せるために本物の拳銃を持ち歩いていたのである。本人「日米の合同捜査の時以外は本当は持ち歩いてはいけないんだ」と言いながら、他の客が居るのにも係わらず「見せてやろうか?」といってショーケースの上に出した拳銃がワルサーの25口径ベストポケット。実弾も50発箱ごとである。この珍しいシングルアクションのワルサー、護身用の拳銃で軍用銃ではない。もちろん完全にヤバいので触りもしなかったのは当然だが、おそらく巻き上げた金で闇市場から入手したのであろう。この一件でそろそろこいつも捕まるだろうということを薄々感じていた。その後「セクレタリー」と称する美人女性にユニフォームを着せて連れ歩いて居たりしたが、ある日の朝刊の週間写真誌の広告でこのニセ大佐逮捕のニュースを知った。逮捕された時に警察で証拠品として着させられた「愛と青春の旅立ち」同様な白のチョーカー(米海軍白詰め襟)の写真もうちから持っていった制服であった。
 その後「希代の結婚詐欺師」「こんなのに引っかかる訳がわからない」など色々マスコミで取り上げられたりもし、出所後はもう結婚詐欺で食っていけないだろうと思っていたのだが、5年くらいして明大前駅構内でブランド品の紙袋を二つも抱えているのを見て「またやっているな」ということがわかり、何となく懐かしさがこみ上げたとともに、結婚詐欺師でしか生きていけないこのニセ大佐の姿を哀れに思う気さえ起きたのである。

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March 25, 2006

エメロン石鹸の円右師匠

客「ご主人は?」
猫「いにゃ〜い」
客「お歳暮で」
猫「いらにゃ〜い」
客「エメロンで」
猫「それだったらいるにゃ〜」
のエメロン石鹸CMやバラエティ番組で、一時期、TVではその顔を見ないことはなかった三遊亭円右師匠が亡くなったことを新聞で知りました。とはいっても本業は落語家さんですからTVで顔を見られなくなってから物心がついた今の若い人は馴染みがないかもしれません。柳家金語楼の上を行くその独特なつるつる頭でなんか年齢不詳な感じがし、「この人はぜったいにこれ以上年を取らないのではないか」なんて思っていましたが、最近の高座の写真を見るとさすがに80を超えたお歳だけあって、年相応に老いた様子がうかがわれました。しかし、あれだけTVの出演が多くてお茶の間では知られた顔だったのに(それに比べて落語を語っている姿は見たことがない)20年ほど前からぷっつりと姿が見られなくなったので、実は知らないうちにもう亡くなったのではないかとか、柳橋や先代痴楽みたいに倒れて長患いし、療養中だったのかと思っていたので、最近まで高座に上がっていた事を知って、こっちのほうが驚いてしまいましたが。
 この円右師匠、おばあさん落語の名人古今亭今輔の弟子で、師匠の後を継いでおばあさん物と新作をやっていたようでしたが、ついに話を聞けないまま亡くなってしまいましたが、円右師匠の落語のCDっていうのがそもそも出ているんですか?(^_^;)
 円右師匠、そのはげ頭にすぐ傷が付くので、寝るときはヨットパーカのフードをすっぽり被って寝るなんて言っていたのが思い出されます。

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