May 05, 2022

俳優渡辺裕之氏との思い出

 今から37-8年ほど前のことですが、結婚詐欺師クヒオ大佐も出入りしていた当時勤めていた渋谷のお店に何度も来ていただきました。見た感じは少々威圧感はあったものの、腰が低くてかっこよくて気さくで明るいナイスガイ。当時代々木2丁目近辺のマンションにお住まいで、そこからハーレーダビッドソンでやってきて、たまに電車の中吊りのパルコ系ポスターで見かける外人モデルさんを後ろに乗せて同伴で来店されてました。実は当方は当時テレビを持っていなくてラジオばかり聞いていた関係で渡辺裕之さんという名前は存じ上げなかったのですが、他のお客に「勝野洋とリポビタンDのファイト一発やってる人」と教えてもらい、そんな俳優さんらしくない人柄に驚いてしまったものでした。「今度勝野さん連れてきますよ」と何度か言われていたのですが、あるとき本当に勝野洋さんを連れて店に現れたのにも驚きました。勝野さん当時としても超有名人でしたし、忙しいなかでわざわざ連れてきていただけるなんて思ってもいなかったものですから渡辺さんのその信義の厚さ、誠実さにも驚かされました。その渡辺裕之氏も俳優として忙しくなり、当方も店先に出ることもなくなり、没交渉になってしまったのですが、その後何年かして原日出子さんとの結婚報道を聞き、あの外人モデル乗せてハーレー転がしていた渡辺さんが変われば変わるものだと思ってしまったのです。その後、奥さんが映画で相手の俳優さんとそういうシーンを演じるに当たり、相手の俳優さんから許諾の電話がないと怒るほどの愛妻ぶりを聞いて、そういう人なんだなぁと妙に納得したものです。なぜ亡くならなければいけなかったのか、これを書いている時点でまだはっきりしたことはわかりませんが、また縁のあったお方が一人亡くなって寂しい思いをするとともに故人様のご冥福を深くお祈り申し上げます。

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June 20, 2021

民放AMラジオ局2028年に殆ど廃止

 以前から話は出ていましたが、全国の民放ラジオ放送局が2028年にAM放送を完全停波し、FM放送に完全移行することを発表しています。それというのも広告収入の減少により老朽化した放送設備を維持できなくなってきたため、比較的放送設備が簡単なFM放送に完全移行するということで、その際はTVの地上デジタル化で空きになった90MHz帯で専有周波数帯幅の広いFM波での放送に完全移行し、現在のAM放送視聴範囲はFM中継局を設置してエリアアカバー(90%)するということらしいです。ただし、完全FM化しても現在の放送エリアををカバーしきれない北海道(HBCとSTV)ならびに秋田(ABS)の3局だけは2028年以降もAM放送を継続するということなのですが、この3局もWFM局での放送はすでに始めていてAM放送と同じ内容の放送を90MHz帯で放送していますので、中継局全域カバーの問題さえ解決できればAM放送停波ということも十分考えられるのです。ただ、北海道は周辺海域で操業している漁船の聴取も考慮しなければいかず、全面的にワイドFM化してAM廃止ということは現実的ではないかもしれません。 諸外国の実情はドイツとフランスではすでにAMラジオ放送は2015年に廃止され、FMラジオ放送しか行われていないとのこと。EUを離脱したイギリスではまだAMラジオ放送は安泰なもののFM放送に移行した地域もあるようです。アメリカでは逆にAMを停波してFMのみの放送完全移行をFCCに申請したラジオ局にFCCが許可を出さなかったなどという話もありますし、アメリカは国土も広いため、AM放送局はいまのところは安泰のようです。同じように国土の広い中国やロシアでもAM廃止ということは考えられません。ああいう国は垂直アンテナより断然高利得の巨大な指向性アンテナを全方向カバーで展開して1000KW級超の出力で全領土に電波を飛ばす広い土地もあるでしょうし(笑) そういえば、ドイツやフランスの国内向け自動車のラジオは当然FMしか受信できないものを搭載しているのでしょうか?あまり話題にもなりませんが、今はナビなどと統合されたオーディオシステムで音声で操作なんてことも当たり前でしょうからAM受信機能が密かになくなっていたとしても、知らない人は気が付かないかもしれません。
 とはいえ、今の世代はタブレットやスマホで、もしくはAI スピーカーでradikoを介して放送は聞くことはあっても、そもそもまともにラジオなんざ持っていない人のほうが多いのではないでしょうか?どういう統計を取ったのかはわかりませんが、今の所90MHz超のWIDE FMを聴取可能のラジオの普及率は53%だといいます。これ、radikoでの聴取者数も反映されているのかどうかはわかりませんが、うちの普通の古いAMモノバンド真空管ラジオがダメなことは当然として、FMのあるラジオでも一時期流行ったTVの音声が3chまで聞けるというラジオはたぶん大丈夫ですが、古いラジカセに2台くらいあったかしら?KENWOODの広域帯受信機能付きのTH-F7もいけそうですが、そもそも現居住地が北海道なのだからAM停波問題は地元放送局に関しては関係ありませんし、ほんの2kmくらいしか離れていないところにSTVのAM中継局の高いアンテナが立ってますし、戦時中の再生検波のラジオであろうと、古い通信機型ラジオであろうと今の所は心配ありません。
 しかし、今の若者はスマホでradikoを使ってであろうと、週にどれだけラジオを聞いているのでしょうか?好きなアーティストや芸人のオールナイトニッポンなんかはタイムフリーの聞き逃し受信を使って好きな時間に再生することはあっても自分のライフスタイルの中にラジオのリアルタイム聴取している若い人がどれだけいるのやら。その若者のラジオ離れというのが深刻な問題になり、さらに新型コロナウィルスによる飲食店営業自粛などのあおりを受け民放ラジオ局運営の生命線であるローカルCMスポンサーは軒並み撤退。さらに大手のCMスポンサーはネット広告に流出してしまって収支が成り立たなくなり、結果として設備維持も成り立たなくなってしまったということなのでしょう。実は今はどうかは知りませんが、昔からラジオのCMというのはTVには出てこないような独特なものが多く、というのもTVは家族で見るもの(今は違いますが)ですが、ラジオは基本個人で部屋に籠もって聞くもの。まだ宵の口から鶴光が「注射まだでっか?」なんてやっていたので、CMも圧倒的に若者向けの商品が多く、昭和50年代初期には計算尺に変わって爆発的に普及した関数電卓のSHARPピタゴラスのラジオCMなんかがありましたし、若者向け出版物、レコードの新譜、秋葉原の家電量販店、コンタクトレンズのCMも多かった。平成に入ってからはマイルーラなんていう避妊具や包茎手術のCMまでやっていたのはTVには真似のできないところ。そのラジオCMというのはビジュアルがなく「言葉で聞かせる」ものですから一種独特で、小芝居がらみが多かったのが特徴でしょうか。
 現在ラジオ放送への依存度が高いのは高齢者で、NHK R-1のラジオ深夜便を一晩中つけっぱなしという人も多いのでしょうが、実は当方もラジオ深夜便からマイあさに至るまで40年も前に秋葉原で購入した古いラジオのつけっぱなしの習慣がついてしまっています。というのも学生寮出てアパート暮らしになってから2年以上もTVがなくて、アパートに帰ってからはもっぱらラジオ生活であったことからTVを見るよりラジオを聞く生活が身についてしまったことと、ラジオで緊急地震速報が放送されるようになってからしばらくして東日本大震災が起こり、それが契機となって防災上、一晩中ラジオ点けっぱなしが習慣になってしまったのです。胆振東部地震のときは揺れ始めてから緊急地震速報が鳴りましたが、それでも飛び起きたため崩れた本の下敷きになるのを免れました。タイムラグのあるradikoでの受信だとこういうわけにはいきません。また緊急地震速報発報に関してはエリアメールや地元の防災無線の速報音よりも断然早かったような気がします。そういう防災上の観点からNHKは現在のR-1,R-2の2局放送を1局に統合するもののAM放送は継続することとされています。そのため、戦時中はNHKも2局が1局に統合され、全国同じ放送が流れていたわけですから戦時中の再生検波のラジオも元の1局時代に戻るわけです(笑)そういえば在京中に組み立てたゲルマニウムダイオードを使ったラジオはバンド内のどこもTBSが混信しているというシロモノでした。それをIFT使ってダブルスーパーにするとなぜ選択度が上がるのか、などがそもそものラジオの初歩なのですが、全国的に民放ラジオ局がAMから撤退すると中破の電波伝搬理論などとともに非常にわかりにくいものになってしまいそうな。秋の夜中に入り始める関西系のAMラジオ番組のローカルCMを聴いて「おお、さすがは実利の関西!」なんて体験することも今後は無くなってしまうのも惜しいのですが、それ以上に各ローカル放送局に受信報告入れてベリカード貰うたのしみも過去のものになります。当方QLSカード発行のほうが忙しいので放送局に受信報告書は送ったことないのですが、昔のBCL全盛時代は過去のものになり若者のラジオ離れの現在、ベリカード収集を趣味にしている層というのはどれくらいの人口があるのでしょうか?
 そういえば1エリアから8エリアに引っ込んでしまい、一番残念だったのはFEN(現AFN)がどうやっても聞こえなかったことでした。なにせ一時はFEN流しっぱなしにしていた時期もあり、12時のアメリカ国歌の放送でやっと一日が終わったと実感していた時期があったのです。場所的に三沢の放送が聞こえないかと思ったもののほんの基地周辺エリア向けに小出力で放送しているというので土台無理というもの。それで何年か経ってネットでも聞くことが出来ることを知り、今ではタブレットに専用アプリをダウンロードして聞くことが出来る時代になりました。驚いたのはジャンることに何chもあることと、基地ごとに独自の放送も行っているということ。ただ、810kHzの表示を見ながらラジオで受信するAFNとネットで聴くAFNはなにかやはり別物という感じがして今は頻繁には聴きません。このAFNも今後のAM放送はどうなってしまうのでしょうか?AFNの送信所はしばらく前にアンテナなども更新されたため、地方ローカル民放送信所のようにただちに設備老朽化することはありませんし、そもそも米国の軍事予算で運用されているため、広告収入減少は関係ありません。またAFN Tokyoの和光送信所は横田厚木座間横須賀の南西方向に指向性をもたせた放送を行っているため、千葉県在住中も「こんなに電界強度が低くなった」などと思ったほどで、どうりで北海道では深夜帯であっても810kHzがまったく受信できなかったわけです。

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September 20, 2020

サイクル25開始、極小期は2019年12月

 NASAとNOAA(アメリカ海洋大気局)の専門家グリープで構成されるサイクル25予想パネルはサイクル25の活動周期が始まったことを発表しています。
現在はサイクル24から25への移行期と考えられており、前後6ヶ月も含めた13ヶ月の太陽黒点相対数の最小値を記録したのは2019年の12月という結果をもってサイクル24からサイクル25への転換期が2019年12月であったということが推測できるとのこと。
 そうなると現在(2019年9月)はサイクル25の始まりから9ヶ月経過したことになり、サイクルが11年周期であることを考えるとサイクル25のピークは2025年の7月あたりになることが推測できるとのこと。
 サイクル24はこの100年でもっとも活動が弱く、1755年からの11年周期の太陽黒点活動期においても4番めに弱かったといわれておりますが、アマチュア無線家同士が顔を合わせるたびに「なんにも聞こえない」が挨拶みたいになっており、どうもサイクル24の低調がアマチュア無線局減少に拍車を掛けたと誰しも考えているようです。それでもPoorな無線環境にもかかわらず、いまだにアマチュア無線にしがみついている当方みたいなのがいるのは、サイクル23のときのまだそこそこ活発な伝搬でいい思いをしているのと、次のサイクル25こそ再び活発な伝搬があるのではないかという期待からみたいなものですが、サイクル25の活動状況はサイクル24と同程度のものではないかと専門家は予想しているようです。

 サイクル24のPoorなコンディションにおいてアマチュア無線界で飛躍的に発達したのはデジタルモードによる文字通信でしたが、やはり「世界中のハム仲間とリアルタイムで会話が出来る」というような伝搬コンディションにならないと世界的にも無線人口はなかなか増えていかないような気がしますし、「インターネットでリアルタイムで会話出来る時代になぜ無線なのか」ということが明確に自己分析できない層がアマチュア無線に参入してくることはないでしょう。

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October 29, 2018

彫刻家藤戸竹喜さんのこと

 阿寒湖畔で長年活躍されてきた彫刻家の藤戸竹喜氏が亡くなりました。
竹喜さんとは今から35年近く前の当方20代前半のときに東京の渋谷でお会いしたのが最初で最後だったのですが、そのときのことを少々書いておきます。

 当時渋谷の店の日給月給のアルバイト時代で、おそらくは人生で一番貧乏で将来の夢も希望も持てないような生活の時代でしたが、ある平日の朝、店の開店準備をしようとしていたときにふらっと店の中に現れた後姿の大きな人がいました。
くるりと振り向いたのは堂々たる体躯のぎょろりとした目を持つりっぱなアイヌ民族の人でした。
 そしてうちでアメリカから直接買い付け、1ヶ月先に到着予定で予約を受け付けていたアメリカのフライトジャケットCWU-45/Pのことをどこから聞きつけていたのか北海道から上京したついでにうちの店にやってきたとのこと。
 まだ予約を取るためにマネキンに着せてある見本が一枚しかなく、それをどうしても売ってくれとご所望。最後には「同じ北海道人だべや」なんて言われて社長に相談して結局は見本で一枚しかないCWU-45/PのLサイズを渡してしまいました。マネキンから見本をはがして持っていったのは竹喜さんと有名な結婚詐欺師クヒオ大佐の二人だけです。
 そのときいただいた経木の名刺に「彫刻家 藤戸竹喜」と書かれており、阿寒湖畔に工房を持っているということで、今と違ってネット検索できるわけでもなく、てっきり観光客むけの熊の木彫りのおやじかと思っていて有名な彫刻家だとは思ってもみませんでした。その藤戸竹喜という名前を良く目にするようになったのは北海道に帰って来てからの事です。
 そして竹喜さんがジャケットを送って欲しいというので、どこに送ればいいかとたずねると「北海道阿寒湖畔、藤戸竹喜で荷物は届く」と言い残して店を後にされました。
 半信半疑で宅急便の伝票に北海道阿寒湖畔、藤戸竹喜とだけ書いて荷物を出したのですが、それで無事に届いたのは言うまでもありません(笑)
 3年後の5月、ユースホステルを泊まり歩いて道東旅行に出かけた際、阿寒湖畔の竹喜さんの工房に寄ったのですが、残念ながらご不在でした。

 まあ、こんな思い出しか当方に書くことは出来ませんが、彫刻家として人生を全うされた竹喜さんのご冥福をお祈りします。

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November 26, 2013

ゆるキャラグランプリ2013で独断で選んだきもキャラ不気味キャラ

 ゆるキャラグランプリ2013も24日に埼玉羽生市で無事に終了し、我が苫小牧市の公式キャラクターとまチョップも昨年14位から順位を落としたものの、メディア選抜ぎりぎりの20位を確保し、まずはめでたいというところです
 一ヶ月前の最終公表ランキングが21位で、20位以内と21位以下とでは、まず一般紙には順位が出てこなかったり扱いがまったく異なるので、こちらも毎日かならず投票してたのですが、普段まったく使わないメールアドレスで登録したら、そこにむけてスパムメールがくるわくるはで、いったいどういうセキュリティーの管理をしてるのか知りませんが、いまだ一日50通近いスパムに見舞われてます

 ところで、今年も気になったゆるキャラならぬきもキャラもしくは不気味キャラを何点かピックアップしました。

うどん脳  (香川県)総合262位 ゆるキャラならぬツルキャラを自称、うどんを食べ過ぎて脳がうどんになってしまったそうですが、その脳が露出した姿は往年の「ハカイダー」を思わせます

巨人くん (東京都) 総合510位 進撃の巨人がなんでゆるキャラグランプリになんか登場したんでしょう?見た目で往年の科学くんという先輩がいますが、さらに顔がコワい ふさわしいのは鍼灸院もしくは理科室でしょう

ハニワこうてい (大阪府) 総合563位 もはやゴレンジャーなんかの戦隊モノのかたき役です

だるだる (和歌山県) 総合756位 熊野古道に生息する由緒正しい妖怪なんだそうで、水木しげるの妖怪のようなゆるさがないのがコワさに通じてます でも足元だけはゆるい(笑)

うささま (茨城県) 総合823位 モチーフはうさぎなんでしょうが、もはやそれをまったく感じさせないような、製作者の意図なのかその適当さが相当ブキミなキャラクターです

きもおか君 (栃木県) 総合856位 真岡市のキャラクターなんでキモと真岡の合体で出来上がったきもキャラ。ブキミ度けっこう高いですが、適度なゆるがあってまだ救われているかも

金光メイカ (岡山) 総合930位 顔がオヤキみたいな「銘菓」をもじったキャラクターのようですが、顔とコスチュームがチープすぎて、これもゴレンジャーに出てきそうなカタキ役です

シスト男爵 (北海道) 総合1033位 となり町むかわ町穂別で産出するアンモナイトをモチーフにした意図せずに不気味キャラ化したキャラクター こちらはショッカーの大幹部が変身した後の姿みたい

やっさくん (千葉) 総合1229位 ちょっとアレンジを誤ってきもキャラ化してしまった吉田戦車の漫画にありそうなキモきゃら

ゾンベア (北海道) 総合1277位 これはヤバす 捨てられたぬいぐるみの熊が持ち主の男の子を探して彷徨っている姿なんだどか コワすぎでしょう 何でこんな大会に出てくるの?

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May 16, 2007

NTT東日本・回線障害の影響

 昨日、18:35頃にフレッツADSL経由でnifのメールサーバをチェックし、風呂に入った後19:20分頃からインターネットにアクセスしようとしても回線が繋がりません。以前にも1度ありましたが、当初は下の階に置いてあるADSLモデムの電源が抜けたのかと思って点検しに行くとちゃんと電源が入ってます。それなら何かの拍子にアクセスの情報を飛ばしてしまったのかと思い、再度接続情報を入れ直してアクセスしても「接続に失敗しました」のアラートしか出てこないのです。もうこうなったら意地ですから窓機とMacのLANを組むために購入しながらしばらく放ってあったバッファローのブロードバンドルーターを用意して接続のウィザードに従って設定を行い、プロバイダにアクセスしようとしてもエラーが出てアクセス不能。結局ADSLモデムでの単独の接続に繋ぎ直して再度アクセスしても結局回線は繋がりませんでした。これはブロバイダ側のサーバーが何らかの理由でトラブルを起こしたのではないかと考え、電話回線でダイヤルアップにて接続し、情報を取ろうとしても今の時代、何処のプロバイダでもダイヤルアップサービスなんか終了してしまってます。結局1時間くらいすったもんだの末に20:30のNHKラジオで「東日本から東北・北海道の広範囲にわたり、NTT東日本のBフレッツと光電話・フレッツADSL・ISDNの回線に障害が発生し、接続しにくくなっている」という報道が流れ、始めて回線業者側のサーバトラブルか何かによる接続回線の障害と判明。むだに費やした1時間を返せ!!!<NTT東日本(−_−#)
 その後も15分おき位にそろそろ障害も回復したかと思ってアクセスするたびに繋がらず、オークションの終了時間のゴールデンタイム21時台にもまったく入札できず、嘘のようにインターネット回線に再度接続できたのは22:40頃でした。21時台から22時台にかけてのウオッチリストはすでにすべて終了してました。やはり入札不能に陥った人が多かったからか落札相場が1万円を超えるのが普通の物が開始価格の1,800円で終了などというものが目白押し。WEBでニュースなどを見ると回線数で実に数百万回線が不通になり、その間に光電話では当然の事ながら110番も119番も使用できなくなったと言うことです。まあ、ブロードバンド回線がダウンしても携帯電話網が生きていれば事足りるのでしょうが、やはりサーバートラブルなどを考えてしまうと光電話のサバイバビリティは普通の音声電話の回線に比べると「低い」としか言いようがありません。それなのに最近はADSL混在との解消を目指してかNTT直接もしくはNTTの代理店と称するところからのBフレッツへの変更の勧誘が続いています。
 しかし、契約上の免責事項に「回線不通の際に生ずる附帯的な損害を弁済しない」などという一文がどうせ入れられているのでしょうが、今回の数時間に渡るブロードバンド回線の普通は直接的、間接的にどれくらいの損害を生じたのでしょうか?

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May 02, 2006

アメリカンニューシネマな事件

 「4月30日、茨城の土浦市で浴場の2階の屋根に登って女湯をのぞき見していた男が、浴場主に発見され、逃走するも300メートルほど追跡されて、近くの橋の欄干を乗り越え、川に飛び込み、30分後に救急隊に救助されるも病院で死亡が確認された…。」
 う〜む、何とアメリカン・ニューシネマなストーリー展開でしょう(笑)
 きっと大槻ケンヂもそう思ったに違いない。
 アメリカがベトナム戦争の泥沼に突入し、先行きが見えない頃に作られた「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる暗い青春映画は、「やったぜ!」とはしゃいでいる直後に突然主人公が死んでしまわないと済まない結末の映画で、「明日に向かって撃て」「イージーライダー」「真夜中のカウボーイ」なんちゅうのが代表か? ストーリーの落ちがつかないので、主人公達を突然死させて話の落ちをつける手法が特徴的でして「ダーティメリーのクレージーラリー」なんていうのは、警察と追跡ごっごをやっていて、ついに警察をまいてしまい「やった!」なんてはしゃいでいるところで踏切で貨物列車に突っ込んでしまい衝突炎上、そこで終わってしまうなんていう映画でしたが、それを見たときには「アメリカの機関車は丈夫だなぁ」と思ってしまったのが鉄道マニアだった証拠(^_^;)
 さて、この水死出馬亀男の身元が確認されたかどうかの事後報道ははいっておらず、10代後半から20代半ばまでの年格好で身長170センチということしかわかりません。どういう人生を送って来たかはわかりませんが、女湯丸見えのポジションから心おきなく女湯をのぞき「やった!」と思った直後に浴場主に発見され逃走、300メートル逃げたところで逃げ切れないと思ったのか橋の欄干から川の中にダイブ。これで逃げ切る目論見がそのまま死んでしまったというバカバカしくてあほらしい死に様が、正にアメリカン・ニューシネマ的な展開です(笑)
 以前、権藤監督の横浜ベイスターズが優勝したとき、道頓堀ダイブのマネじゃありませんが酔った勢いで横浜の運河に飛び込むベイスターズファンがたくさん出て、その中の1人が水死し未だに身元不明なんだそうで。数十年ぶりのベイスターズ優勝で「やった!」とはしゃいでしこたま酒を飲み、気が大きくなって自分も運河に飛び込んだら死んでしまったという無意味でアホらしい死。さらに死んでも誰も困る者もいないのか、捜してももらえないという展開。これもまさしく「アメリカン・ニューシネマ」な人生じゃないかと大槻ケンヂが書いてましたけどね(笑)
 三河島事故における犠牲者の中で、今でも身元が判明しない人が1人います。戦後の混乱期で死亡扱いになっていたり、さらには周辺国から密入国し裏の商売もしくは工作活動に携わっていたのかもしれませんが、それは今となってはまったくの謎。聞いた話によるとこの身元不明遺体ナンバー88号氏は、同じ事故で亡くなった他人の服を上から下まで身につけており、第一の事故で亡くなった服の持ち主を見てラッキーと思い、混乱に乗じて服をはぎ取って身につけた途端に対向電車が突っ込んできて、その瞬間に再度の衝突で命を落としていたとすれば、これもまさしく「アメリカン・ニューシネマ」な無意味でアホらしい死だったのかもと言いつつ、三河島事故の時にはアメリカン・ニューシネマなんざ、まだ無かったね(^_^;)

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April 08, 2006

岡田有希子自殺から20年

 そういえば今日が「あの日」からの20年目の節目の日にあたる。あの日とは、その後に若い子が不可解な後追い自殺を繰り返したために「ユッコシンドローム」などと言われる発端になったアイドルの岡田有希子が四ッ谷交差点のビルから飛び降り自殺した日なのだ。しかし、あれから20年も経つというのは我ながらムダに歳を重ねたものであるが、当時は玩具製造に参入するきっかけとなったフルオートガスガンの出始めのころで、土曜の21時頃に完成品が入荷し、その日のうちに梱包を済ませ、日曜には予約分を裁いて月曜には他社に出荷という週単位のスケジュールをもう何ヶ月も繰り返して、水曜日が休みというような勤務状況だった。その頃やっとパソコンが業務に入り始めて売り掛けが電算処理を始められた頃である。そんな休みの水曜日はいかに睡眠時間を確保するかが重要で、休みの日だけは千歳烏山駅近くの6畳一間の風呂無しトイレ共同の安アパートで昼まで寝ていて「笑っていいとも」と同時に起き出し、カップ麺で昼食を済ませた後、けだるい午後をワイドショーか何かを見て過ごし、4時に近くの銭湯が開いたらさっさと入りに行くというような、実に非生産的な休日の過ごし方をしていたのであったが。
 四月に入って陽気も良くなり、もうカレーの作りだめは出来ないな、などと思っていた休みの水曜日、春のうららかなよい天気だったのにも係わらずいつもの通り昼ごろに起き出して「笑っていいとも」を最後まで見ていた。どんなコーナーがあったかは覚えていないが、エンディングでタモリが回って来たメモを見て「えっ、岡田有希子ちゃんが飛び降りた?!」と叫んだのは今でもはっきりと覚えている。「飛び降りた」という客観的な事実に対して、なんで高校を卒業したての18歳がビルから飛び降りなければいけなかったのか自分でも整理がつかなく、出来ることならば生きていて欲しいという願いもむなしく、その後のワイドショー報道で死亡が確認されたという報道が流れた…。
 前月3月はおかしな陽気だった。桜が咲こうというときに東京では大雪が降り、交通網が1日遮断された。その大雪の1週間前、いつもの通り混雑する京王線の急行電車を避けて先発の各駅停車の新宿行き電車に乗る。最後尾の車輌に座って本を読んでいると上北沢停車中に車掌が急に「あっ、人が接触した」と大声を上げ、列車無線で運行指令に連絡を入れた後すぐさま救助のためにホームに走ったのだ。反対ホームを通過する快速電車に接触してホームを飛んだらしく、自分の乗っている車輌のすぐそばまで跳ね飛ばされたらしい。このときは接触だから大事に至らないという思いと、快速に跳ね飛ばされたのだから命はあるまいという両方の思いが交錯した。すぐに駅員・救急隊員・警察などが駆けつけたが車掌は列車無線で即死と伝えていた。こちらの電車は当事者ではないので15分遅れくらいで発車したが、ホームでは遺体にシートこそ掛けられていたものの、あちこちに豆腐を細かくしたような灰色の物体が散らばっているのを見てしまった。人間の頭が割れるとこのように脳が飛び散るのを目の当たりにして、それからしばらくメシが喉を通らず、スーパーでパック入りの鳥のモツの見ただけでしばらくは吐き気がした。
 歌番組を殆ど見ない自分が岡田有希子の姿を初めて見たのは事もあろうに民放深夜に流れる「歌う天気予報」という番組だったと思う。ファーストデートという曲を歌っている場面に天気予報のテロップが流れるというそれだけの番組だったが、日によっては「じょんがら天気予報」などというわけのわからんお天気番組に変わっていた。岡田有希子の歌う天気予報の前任は、何と「スターボー」だったと思う。チープなテクノのメロディでの歌う天気予報は、海岸でマスクを掛けたスターボーの3人が星の形の全身タイツみたいのをまとって、暴走族のようにメンチ切って見せるというような噴飯もののビデオクリップであった。まあ宇宙から来たインベーダだから仕方がない。そのスターボーの後の歌う天気予報抜擢だったので余計に岡田有希子という名前が印象づけられたのかも知れないが、アイドルマニアの友人がファーストアルバムのテープをくれ、そのテープをグアムに持っていったのを覚えている。
 四ッ谷交差点の大木戸ビル前には1週間後の水曜日にオートバイで出掛けた。出掛けたというよりついでに訪れたというのが正解だ。堆く積まれた花束の前にひれ伏すユッコファンさえすでに姿を消したが、花束の山はそのままだった。あの日の上北沢のホームのように、まだ若い脳の断片を散らした固いアスファルトはその染みさえ見つけることは困難だった。テープをくれた友人はその日のうちにこの現場を訪れ、「さらば青春」と涙を流しながらオートバイであてもなく走り回ったそうである。今も昔も自分はそこまで人にも物にも感情移入することは出来ない。でも岡田有希子のLPはいまでもすべて持ち続けている自分は一体…。この日を境に自分はアイドルとは絶縁しておニャン子クラブなどとも無縁の人生を歩むことになる。

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April 06, 2006

結婚詐欺師クヒオ大佐

 「結婚詐欺師クヒオ大佐」なる本が出ている。実はこの希代の結婚詐欺師にいささか縁があったためにネット経由でセブンイレブンに送らせたのだったが、本を読むとどうやらこの作者は84年に逮捕された以前のこいつの行状については又聞き以外の事実はご存じないらしい。逆にこちらは90年頃に明大前の駅構内でこいつを見かけ、以前のようにブランド品の着る物でも仕入れてきたのか紙袋を2つも抱えて、さすがにその時は軍服姿ではなかったが、相変わらずやってるなと思い、「この人有名な結婚詐欺師です」と大声でさけんだらこいつがどんな反応をするか見てみたい衝動に駆られながらも、あわただしい通勤時にてそのままになった時以来、その外国人とも日本人ともつかない整形で作られた独特の顔を見てはいない。
 この本を見るとどうやらその時に標的になったカモに訴えられてその後、何度目かの刑務所暮らしをしていたらしく、この本によってそれ以降のこやつの行状がわかり、20年が繋がったような感じがした。しかも驚いたことにこのクヒオ大佐は我が同郷の北海道出身だという…
 話は遡るが、82年から83年頃。社会は不況の最中にあり、常勤バイトとしての勤め先も例外ではなく換金出来ない不良在庫の山を抱えてただでさえ少ない正社員を半分にするしかなかった。そこで軍用品に強かった当方が中心になって非常勤役員(現役エアライン勤務)に何度もアメリカを往復してもらって、軍用品、特に燃えないノメックス(ポリアミド)のフライトジャケットをノースカロライナのメーカーからアトランタ経由で直接仕入れるというような、軍用のユニフォーム関係の仕入れルートを確立し、それを独占的に供給することによって売り上げ的にも一息ついたという状況にあった。もちろん軍用品マニアを対象にである。特に今では何でもないCWU-45/Pという米軍最新のノメックスフライトジャケットは岩国からの横流し(MAG-15) 以外では初めて日本にこれを持ち込み、ナイロンなんかの民生品MA-1フライトジャケットに比べると4倍近い値段だったのにも係わらず1シーズンで400着ほど売りさばいた。その売り上げを給料にせずに仕入れ資金とし、中古の航空装具類、特にジェット用ヘルメットなどを仕入れたが、そこにやって来たのが後に「希代の結婚詐欺師・クヒオ大佐」と呼ばれた男である。
 最初、こいつが店に現れたときのことは鮮明にいまでも覚えているが、何を買っていったのかは思い出せない。その時はいかにも高そうなスーツにエアラインパイロットが持ち歩きそうなアタッシュケース、短い赤毛でブランド物のサングラスという姿だったと思う。腕には高いのか安いのか判断に苦しむ金貨をあしらった時計をはめていた。そして英国空軍からアメリカ海軍に派遣されている現役の戦闘機パイロットで大佐であり、最近は英国大使館詰めであることなどを喋り始め、アタッシュケースからアメリカ海軍のスクランブルエッグ(鍔の金刺繍)付きの制帽を取り出した。その制帽を見て何かおかしいと思ったのは軍装品屋の直感であった。微妙に今の制帽帽章より一回り小さいのである。それに金糸の刺繍部分はその当時すでに「ノンターニッシュ」っていう腐食しない素材のものが出回っていたのに、スクランブルエッグもチンストラップも青く変色している。どうやらえらく古手のWWII当時の制帽を持ち歩いているようだった。さらに今度来るときに自分の羽毛入りのフライトスーツを持ってきて見せてやるなんて曰って帰っていったが、今どきというか今も昔も軍用機搭乗員が火のついたら危ない羽毛入りのフライトスーツなんか着るわけがなく、どうやらこのお人はノメックスという火のつかない素材のことをご存じないようだった。フライトブーツだという靴も我々が履いているいかついキャップトウのレースアップパイロットブーツと違ってサイドジッパーの単なるハーフブーツであったし、こんな物で射出したら爪先が切損する事だってある。国籍不明ではあるがパイロットか医者を騙るとなると常識的に考えて「職業結婚詐欺師」というのが、店に現れた初日にすでに噂になっていたのだが、後にこいつが数千万の金を複数の女性から巻き上げることになるわけである。さらに周囲の軍用品屋や横須賀のドブ板界隈でも目撃談がけっこうあり、「正体不明の自称大佐」「ニセネービー」ということで、業界筋でも酒の肴としての話題に上るようになった。
 その後、こいつは年に何回か店を訪れるようになる。いつの間にか赤毛が金髪に変わっていた。どんな客にもへらへらしながら調子を合わせる当方はこのニセ大佐に気に入られたのか「自分はハワイ王室に嫁いだエリザベス女王の妹(だったか従姉妹だったか忘れた)の子供で、英国空軍からアメリカ海軍に派遣されて戦闘機に乗っている」その他の常套句を一通り聞かされたのであったが、話のつじつまが合わない(海軍の軍人がなんで横田のF-15に乗っているのか、そもそも横田にはF-15の部隊はいないぞ)所を突っ込んでやりたいところだったが、結局は調子を合わせてしまった。その国籍人種不明の姿(明らかに鼻筋を整形していると思われる)や、けっこう英語の会話に乗ってくるということから案外「本物ではないか?」という話も上がったのであったが、決定的に「こいつは日本人で意外に年輩」であるということを確信したのは「員数」事件であった。
 「員数」なんていう言葉は我々だって滅多に使わない特殊な日本語だ。その員数という言葉がハワイ出身の英国空軍派遣アメリカ海軍大佐の口から思わず漏れたのは、うちで扱っていた海軍関係のユニフォームを購入しようとした時だった。いつもこのニセ大佐は「買う」と言わずに「買ってやろうか?」と、こちらの売り上げ具合を見透かすように持ちかけて来るのである。思わず「こういうの必要なんですか?」と、口を滑らせたら、基地のストックを持ち出したから「員数を合わせるために」必要なんだと言って、制服制帽などを持っていったと思った。それも「給料を貰ったばかりだからドルと日本円があるがどっちがいい?」などと聞くのである。もちろん日本円キャッシュでお支払いいただいたが、その「員数を合わせる」という軍隊用語を耳にして「こいつは正真正銘の日本人」であることを確信した。でも旧海軍は「たいさ」じゃなくて「だいさ」、「たいい」ではなく「だいい」と呼ぶのが正しいのだが、こやつは「かいぐんたいさ」と自称していた。「ワンスターはネイビーでは准将ではなくて代将(だいしょう)ね」なんて我々にレクチャーするくせに、コモドアーの意味も平時の海軍は大佐からツースターの少将に昇進することも、海軍少将には厳密にアッパーハーフとロアーハーフの2階級がネイビーリスト上にもペイグレード上でも存在するのもご存じなかったらしい。そういえば、我々が元米軍軍人を自称する本物とニセモノを見分ける方法に「ペイグレードはいくつだったか?」との質問に的確に答えられるかどうかというのがある。もちろんジョナ・クヒオ大佐にそういう質問をぶつけたことはないが。
 その後もニセ大佐の買い物はしばらく続いたが、今となっては「詐欺の小道具の供給元」の一部になっていたわけである。しかし、詐欺に使われるとわかっていて売ったわけではないが、薄々は「結婚詐欺の小道具」に使われるのではないかという一抹の不安は持ち合わせていた。
 そういえば、このニセ大佐は頭が小さくて、新品だがサイズが合わなくて誰も被れなかったMサイズのHGU-26/Pというデュアルバイザーのジェットヘルをするりと被ってしまい、又「買ってやろうか?」の一言で20万円のキャッシュを払って持っていってしまった。ジェット用ヘルメットの被り方の基本がなっていなく、オートバイのヘルメットを被るようにまっすぐ被ってしまうのを見て「おやおや」と思ったが、その時のヘルメットを被って沖縄のKING城よろず屋のF-104Jに乗り込んで片手を突き上げている写真を逮捕後の週刊誌で見てひっくり返ってしまった。
 その後このニセ大佐、軍人であるという事を最もらしく見せるために本物の拳銃を持ち歩いていたのである。本人「日米の合同捜査の時以外は本当は持ち歩いてはいけないんだ」と言いながら、他の客が居るのにも係わらず「見せてやろうか?」といってショーケースの上に出した拳銃がワルサーの25口径ベストポケット。実弾も50発箱ごとである。この珍しいシングルアクションのワルサー、護身用の拳銃で軍用銃ではない。もちろん完全にヤバいので触りもしなかったのは当然だが、おそらく巻き上げた金で闇市場から入手したのであろう。この一件でそろそろこいつも捕まるだろうということを薄々感じていた。その後「セクレタリー」と称する美人女性にユニフォームを着せて連れ歩いて居たりしたが、ある日の朝刊の週間写真誌の広告でこのニセ大佐逮捕のニュースを知った。逮捕された時に警察で証拠品として着させられた「愛と青春の旅立ち」同様な白のチョーカー(米海軍白詰め襟)の写真もうちから持っていった制服であった。
 その後「希代の結婚詐欺師」「こんなのに引っかかる訳がわからない」など色々マスコミで取り上げられたりもし、出所後はもう結婚詐欺で食っていけないだろうと思っていたのだが、5年くらいして明大前駅構内でブランド品の紙袋を二つも抱えているのを見て「またやっているな」ということがわかり、何となく懐かしさがこみ上げたとともに、結婚詐欺師でしか生きていけないこのニセ大佐の姿を哀れに思う気さえ起きたのである。

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March 25, 2006

エメロン石鹸の円右師匠

客「ご主人は?」
猫「いにゃ〜い」
客「お歳暮で」
猫「いらにゃ〜い」
客「エメロンで」
猫「それだったらいるにゃ〜」
のエメロン石鹸CMやバラエティ番組で、一時期、TVではその顔を見ないことはなかった三遊亭円右師匠が亡くなったことを新聞で知りました。とはいっても本業は落語家さんですからTVで顔を見られなくなってから物心がついた今の若い人は馴染みがないかもしれません。柳家金語楼の上を行くその独特なつるつる頭でなんか年齢不詳な感じがし、「この人はぜったいにこれ以上年を取らないのではないか」なんて思っていましたが、最近の高座の写真を見るとさすがに80を超えたお歳だけあって、年相応に老いた様子がうかがわれました。しかし、あれだけTVの出演が多くてお茶の間では知られた顔だったのに(それに比べて落語を語っている姿は見たことがない)20年ほど前からぷっつりと姿が見られなくなったので、実は知らないうちにもう亡くなったのではないかとか、柳橋や先代痴楽みたいに倒れて長患いし、療養中だったのかと思っていたので、最近まで高座に上がっていた事を知って、こっちのほうが驚いてしまいましたが。
 この円右師匠、おばあさん落語の名人古今亭今輔の弟子で、師匠の後を継いでおばあさん物と新作をやっていたようでしたが、ついに話を聞けないまま亡くなってしまいましたが、円右師匠の落語のCDっていうのがそもそも出ているんですか?(^_^;)
 円右師匠、そのはげ頭にすぐ傷が付くので、寝るときはヨットパーカのフードをすっぽり被って寝るなんて言っていたのが思い出されます。

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