August 06, 2008

DAD'S ルートビア(経典沙士)

Dads 第二次大戦後の東西冷戦下においてアメリカ軍の世界展開によりいろいろなアメリカの食文化が東南アジアや中東までも蔓延していきますが、そのもっとも代表的なものがコカ・コーラでしょうか。日本ではGHQが米軍基地向けにコカ・コーラのボトリング会社を日本国内に作らせたことから進駐軍の基地でコーラの味を知った人間から広まり、1950年代後半に各地にフランチャイズのボトリング会社が展開するに至って1960年代から広く全国に普及するようになりますが、当方が初めて買った瓶のコカコーラは中身35円くらいだったような。瓶のまま呑むスタイルというのが初めての「アメリカン」を感じさせましたが、サイダーやラムネしか知らなかった一般の日本人の味覚としては「薬臭い」というのが第一印象だったと思います。ところがコカ・コーラのボトリング会社の全国展開で愛すべき地方ローカルのサイダーやラムネを作る零細業者が衰退してしまうという状況を生みました。しかし、コカ・コーラボトリング会社の全国展開に危惧を抱いた清涼飲料メーカーの組合ではコーラに対抗するため、ブラジルの国民的清涼飲料のガラナを「コアップガラナ」という統一ブランドで地方の零細飲料メーカーに生産させますが、地方の有力企業によるコカコーラボトリング会社の席巻には抗しきれず、今ではガラナ飲料というと味を知らない人の方が大多数でしょう。
 数十年かけて日本ではごく普通の清涼飲料になったコカ・コーラですが、同じく進駐軍によってもたらされながら日本ではまったく知られていない清涼飲料がサルサパリラというハーブを主体に複数のナチュラルハーブを香料として使った「ルートビア」でしょうか。ベトナム戦争で米軍が展開した東南アジア地域や沖縄ではごく普通の存在で、台湾などでも「黒松沙士」などのナショナルブランドで大量に消費されているのにも係わらず、日本の本土ではその味を知る人のほうが少ないでしょう。当方、以前に世田谷の千歳烏山に12年ほど住んでいたことがありますが、千歳烏山は成城石井が扱う輸入食材が出回っていた関係で地元のスーパーシミズヤでは普通にルートビアが置いてありました。スヌーピーのフェイバリットドリンクがルートビアだということは知っており、興味があって2缶買ってみたのですが、ブランドはDAD'Sで当時はアメリカ本土からの直輸入で送料が馬鹿にならないためか1本180円という値段でした。しかし、他にルートビア愛好者がいなかったと見えて、シミズヤでは120円で投げ売りし、それっきりルートビアは見かけなくなりましたが。味の第一印象は「サロンパス味」でしたが、当方としては決してまずいというものではなく、早々にルートビアにはまってししまったのは、北海道はガラナ飲料天国であり、さらには子供の時から市内のマルゼンガラナの味に慣れ親しんでいましたので、この手の甘ったるい薬臭さにはまったく違和感がなかったからだと思います。そういえば日本ではコカコーラが発売しているドクター・ペッパーさえ拒絶反応を示す人が多いようです。北海道コカコーラボトリングでは昭和40年代末からごく短期間「ミスター・ピブ」なる清涼飲料が発売されていまして、東京に出たときに飲んだドクター・ペッパーと飲み比べた印象は似たようなものなのですが、ミスター・ピブのほうがマイルドで甘みが強く、ドクター・ペッパーのほうが炭酸もきつく清涼感が強い気がしました。しかし、ドクター・ペッパーにしても日本上陸から三十年以上の歴史があるのですが、コカ・コーラと違って未だに市民権を得られないのですから、もっと味が強烈なルートビアを日本でライセンス生産しようとする大手清涼飲料メーカーが無いのは当然でしょう(30年以上前に瓶入りのDAD'Sをライセンス生産した業者はあったらしいです)。そのおかげで北海道に引っ込んでからは地元でルートビアなんざ売っているはずもなく、しばらくルートビアにはご無沙汰してました。北海道でも大手スーパーや地元のコンビニ系酒問屋が輸入したコーラやレモンフレーバーのソーダーなどは入手出来ますが、さすがにルートビアを置いてある所を知りません。でも最近はネットを捜すとA&WやDAD'Sのルートビアなら宅配させることが可能です。最安値では1缶38円くらいからありますので、ケースで買っても1,000円を切ります。そのため、台湾で生産されているらしいDAD'Sを横浜から取り寄せました。アジアにおけるDAD'Sの生産拠点は台湾が一手に引き受けているようで、アメリカから原液を運び、台湾で炭酸水を加えて缶入りに加工しているようです。そのため「経典沙士」なる中国名が書かれているのがご愛敬(笑)30年前のDAD'Sは白い缶で黒い液体が泡を吹いたジョッキのイラストが描かれていましたが、今のDAD'Sは青い缶になりスマートな印象になりました。このDAD'Sは横浜から2ケース1梱包で発送して貰ったのですが、運送会社の荷扱いが悪かったのかこちらの営業所でコンテナを開けたら何缶かバーストしていたらしく、再発送となったものです。日本の缶飲料は段ボール入りですが、あちらの缶飲料は段ボールのトレイに缶を並べてシュリンクを掛けているような荷姿が多いですし、アルミ缶がかなり薄いですから仕方がないのかなぁ。そういやもうかなり以前にグアムに出かけたときギブソンかどこかでファンタのルートビアを見つけましたが、あれっきりで今はファンタのルートビアはなくなってしまったようですね。味の印象はDAD'Sと比べるとかなりマイルドなものでした。そういえば、ロッテのブラックブラックのキャンデーを一個口の中に放り込んで丸善市町のガラナエールを一口飲むとファンタルートビアの味がするようなしないような(笑).

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April 29, 2008

アマチュア有線(磁石式電話機)

 相変わらず無線の方はローバンド以外はまったく聞こえず無線の交信からはご無沙汰していますが、そんなコンディションの悪さもあって、最近はついにアマチュア無線ならぬアマチュア有線のほうに手を出してしまっています。事の発端は少し前に旧国鉄で使用していた木箱の携帯電話「磁石式電話機(携帯用)電12118号C」というものを入手したことでした。そもそも当方と磁石式電話機との関わりというのは、地元の小学校によく昔の日本映画に出てくる壁掛けで手回しのクランクがついたデルビル式とかいう電話機が1セット、体育館の入り口と職員室前廊下のほんの20mくらいの距離を隔てて置いてあったことから始まります。当時すでに自動交換機の時代で、普通にダイアル式の黒電話を使ってましたので、おそらく電電公社が不要になった磁石式の壁掛け電話機を小学校に教材用として設置してくれたのでしょう。たぶん小学校二年くらいのときに、クラスを2つに分けてこの電話機の通話実験をさせてくれたのですが、無情にも当方の順番になったところで授業終了のチャイムが鳴り、結局二度とその磁石式電話機を使う機会は訪れませんでした。そのため、このデルビル式電話機がどういう音が聞こえたか未だにわからないまま今日の携帯電話時代を迎えてしまいました。
 鉄道電話に関して補足しますが、旧国鉄は鉄道沿線に通信網を持っていまして、その通信回線が今みたいに「光ファイバーケーブルの束」というわけにいかないので、電信柱に横木を何本も渡して単線の電線を何回線も張り、その電信柱が見た目で「ハエタタキ」などと呼ばれたりしていました。そういう通信網の中で沿線電話回線とでもいうものがあり、駅間におかれた電話機による閉塞連絡や、500mごとに設置された端子箱に列車乗務員が携帯用の電話機をつなぎ、駅との通信するというものでした。運転事故等の非常の連絡の場合には列車防護措置を施した上、機関助士が重い木箱の携帯電話機を持って端子箱まで全力疾走する必要があり、鶴見・三河島事故の後は年に何度か非常訓練でこういう光景が見られたようです。その後駅間も自動閉塞化が進み、主要幹線沿線の回線は自動交換機化され、列車の携帯電話機も一部ダイアル呼出機となったようですが、国鉄末期から分割民営化の時代にはローカル線の末端あたりにも列車無線が普及しましたので、沿線の端子箱に携帯電話機をつないで連絡を取り合うのは閉塞機用の他には、保線や信号関係の構内・区間連絡に限定されるようになったようです。まあ、そこいらの経緯は鉄道関係者じゃないので詳しくはわかりかねますが。
 ところが鉄道で列車無線と併せてこういう沿線電話回線システムがしっかり現役で生きている場所がちゃんとありまして、そこはSL列車で有名な大井川鐵道です。動いている車両もクラシックですが、通信システムからしてSL時代そのままなんですねぇ(^_^;) 一つの回線にすべての電話機が並列にぶら下がっているわけで、そのためある電話がクランクを回して呼び出しを掛けるとすべての電話のベルが鳴ってしまいます。そのため、特定の電話を呼び出すため、あらかじめモールス符号のような特定呼び出し符号を決めておき、クランク回転の断続でこの符号を送ることによって呼ばれた電話機は受話器を取って通話するというシステムです。非常の際などはあらかじめ定めておいた一斉呼び出し符号を送ることで一度にたくさんの電話機に対し、一方的に指令を送ることも可能です。まあ、このシステムが言うなれば無線的なのですが、それもそのはずで、以前は同じ有線回線を使って和文モールス符号を送出し、特定場所の呼び出し・交信をしていたわけで、その回線を誰でも使えるように電話に置き換えただけですから当然でしょう(笑)この鉄道沿線電話に使用された電話機が同然のこと我々が見慣れたダイアルのない物で、側面に手回しのクランクを備えます、このクランクが発電器につながってまして交流50Vくらいの電圧を発生し、それを電話線に流すことで相手のベルをならすという物です。各電話機に3V程度の直流電圧を加えてやる必要があり、固定電話には3Vの箱電池、携帯機には電池ホルダーに単一型電池を2本使用します。M旧国鉄では固定電話機は最終的に昭和33年頃から登場した沖電気の41号M型準拠品が採用され、携帯機は昭和40年代初頃までは同じく沖電気の木箱入磁石式電話機 電12118号が採用されています。その後耐候性を意識してかビニールレザー入りの軽い携帯電話機が採用され、その後には自動交換機に対応したダイアル付きの携帯電話機も一部で使用されたようです。コレクション的には革製のスリングが付いた木箱の携帯電話機がSL時代を彷彿とさせていいと思うのですが、意外にアース棒が欠品が多く、実際に入手したのはごく最近のことです。あまり外見が良くないのはわかっていましたが、届いてみるとゴム足の一本が欠品で、クランクの軸が釘で代用されてました。旋盤があればこんな軸を削り出すことは訳もないのですが、市販のねじを使ってクランクが回せるように改造しました。長らく山陰方面で使用されていた携帯電話機で、昭和45年頃までは山陰本線の鳥取あたりの客貨車区で使用され、そこから鳥取電気支区で使用されたものです。蓋の上部には智頭支区の名称書きを消された跡もありました。そのような歴戦のつわものでしたが、オシロをつないでクランクを回すとちゃんと交流が出ていることがわかり、発電器が生きていることだけは確認できました。しかし、この一台では通話機能を確かめようもなくしばらくはオブジェになってました。
 ところが最近、高校同期の一技一通から卓上から壁掛けまで何台もの4号電話機等が送られてきて、その中に41号M型電話機が2台ありました。この41号M型はオクでも1,000円くらいで落ちてしまうので、一台入手しようと思っていたところ、予期せずに転がり込んできた事になります。せっかくなのでこれを家の一階居間に設置して電話線を二階にのばし、二階の鉄道携帯電話に接続してインターホン代わりに活用することにします。送られてきた41号M型は一台が昭和37年沖電気製で電電公社のラベルと検印がついていましたので公衆回線につながれていたものです。もう一台は昭和41年の沖電気製でこちらの方は構内電話機として使われていたようで、沖電気のラベルだけがついていました。37年製のほうは中の部品に腐食が多く、41年の方は中身もきれいでそのまま使えそうでしたが、41号Mにありがちな落下によるボディの欠損がありましたので、2台の部品をいいとこ取りでニコイチにして組み立ててしまいました。
 公衆回線には約48Vの電圧が加わっているため、電話本体に電源を必要としない黒電話などは停電でも使えます。しかし、41号M型をインターホン代わりに使用するためには外部から3Vの直流電圧を加えてやる必要があります。この電源は磁石式壁掛電話の時代から3Vの平型電池というのが使用されてきましたが、このFM5という形式の平型通信用電池はナショナルでは今年の3月についに製造中止にされ、富士通ブランドの物はまだ入手出来るようですがこちらのほうも風前の灯火です。3Vの給電は41号Mの青線、茶線から外部に電源線を引き出すか、専用ローゼットの青線、茶線ターミナルから電源線を引き出し、FM5電池のターミナルにねじ止めすれば完了です。実は現役の構内電話として使用されている41号M型電話にはACアダプタ仕様のものもあるようですが、停電だと用をなしませんし、磁石式電話の趣味性という観点からすると邪道でしょう(笑)あとはツイステッドペアはもったいないのでインターホン線とかベル線などの名称で売られている単芯平行コードでL1,L2を木箱の携帯電話機のL1,L2端子につなげば使用できるはずです。
 短い電線でお互いの端子をつなぎ、クランクを回すと当たり前の事ながら呼び出しのベルが鳴りました。41号Mのベル音は澄んだ涼やかな音、木箱の携帯電話機はこもった音がします。2つの電話機の受話器をあげ送話、受話の変調具合を調べましたが41号Mのほうは特に問題がないようでしたが、木箱の携帯電話のほうは送話は問題ありませんでしたが、受話のほうが「最初が良くても途中で感度と明瞭度が急に低下する」「送話ボタンを何回か動かすと改善するものの、すぐに同じような現象が起きる」というトラブルが発生しました。木箱の携帯電話機はフックスイッチがない代わりに受話器に押すと送話状態になるプッシュスイッチが付いています。そのため、この接点周りが接触不良を起こしているのを疑って接点洗浄を行い、さらに送受話器パーツは4号電話機の受話器部品とまったく一緒でしたので、これらを交換してみましたが、同じような症状がやはり出てしまいました。どうも4号電話系に特有のカーボンマイクが湿気による経年劣化を起こしていたようで、がさがさ音と送話中の音量音質低下はまずこの送話器のカーボンマイクに原因があることを疑った方が良さそうです。
 最初に二階で木箱の携帯電話機を使い、一階を呼び出して会話したときの印象は、「あれ、こんなに潤いのない音だったっけ?」でした。4号電話機と同じカーボンピックアップのためかプロセッサーが掛かったような高音が強調され低音がまったくない堅い音質で、明瞭度はいいのですが、忠実度という点からするとなんか別人と話をしているような感じでした。そういえば、今はあんまり感じなくなりましたが、電話の声と実際の声が全く違ったっていう話は昔はよくありましたよね?あれは当時の電話機の特性が忠実度はある程度犠牲にしても、当時の低い回線品質による漏話やノイズに負けずに明瞭度を上げるための設定だったかもしれません。これは通信の本質ですが、今は回線の品質が向上してわざわざ忠実度を犠牲にしてまで明瞭度のみ高める必要がなくなったのかもしれません。
木箱の携帯型電話機を床に転がしておきましたがやはり使い勝手が悪く、さりとて磁石式電話機の卓上型はもう手持ちがないため、酔狂にも4号MR磁石式電話機を一台オクで入手してしまいました。3号Mと41号Mは中古市場にも豊富にあるのですが、それに比べると4号Mは少ないような。格好は4号A自動式と全く異なり、発電機を内蔵している分だけごろんとした大きな電話機です。形としては流線型電気機関車のEF55によく似ています(笑)函館からやってきたこの4号MR型は旧国鉄の「鉄電」だったというふれこみだったのですが、実際はどうなんでしょうね。

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November 17, 2007

エバン・トーマス式安全灯(炭鉱用カンテラ)

Ethomas マルソー型安全灯はガス気の多いフランスで考案された安全灯で、デービー型安全灯やクラニー型安全灯ではメタンガスを含む風に曝されることで伸張した炎が金網を赤熱し、外部のメタンガスに引火する危険性が高いため、金網を銅と鉄の二重構造にしてその金網の筒を鉄製の風よけで覆った所がマルソー型安全灯の特徴です。油灯時代としてはもっとも安全なカンテラの一つでしたが製造元によって色々と手を加えられ、時代と共に改良されてきています。しかし、油灯である限りは時間の経過と共に煤で光度を失うことと、金網に煤が溜まったものがメタンで伸張した炎で赤熱されると外部のメタンに着火してガス爆発を起こす危険性があり、1880年代に考案された煤の出ないウルフ型揮発油灯によってだんだんと置き換えられてきました。しかし、石炭の炭化度が進んでガス気の少ない英国の炭鉱では、今世紀に入ってからもランニングコストの安い油灯が好まれて使用され続けたようです。
 今回入手したマルソー型安全灯は底に鉛筆書きで「トーマス安全灯・独製」と書いてありましたが、どう見ても英国製の安全灯です。外部には製造所を示すような刻印が無く、又現時点では開錠出来ていないので、油壷の上に何らかの刻印が刻まれているかも知れませんが判然としません。なので確たる証拠はありませんが英国製のEVAN THOMAS & WILLIAMSの炭鉱用カンテラとして話を進めさせていただきます。どうしてこの型式の安全灯が「トーマス安全灯」とされたかの経緯は、どうやら丸善が発行した「永積純次郎著 採鉱学 全5巻」中の「第2巻 鉱山変災」中の型式分類に従った為のようです。この本は昭和の始めに発行された大変に古い本ですが、まだ大手の炭鉱でも蓄電池灯と揮発油灯が混用されていた時代の資料として欠かすとの出来ないものです。国産の揮発油灯では本多式の他に横田式の記述も見られます。
油灯でありながら多くの英国製安全灯と違って平芯ではなく、まるで揮発油灯のような丸芯を使うタイプで、その芯をウイックピッカーと呼ばれる針金で上下させる簡単な仕組みですが、トーマス・ウイリアムスの安全灯に丸芯のものがあるのかどうかは判りません。実際に坑内で使われた安全灯で、マグネットにプランジャーを組み合わせたようなごつくて頑丈なロックシステムを備えるのがレプリカの炭鉱用カンテラとは異なります。鉄製のボンネットに打ち傷へこみがありませんでしたので、当初から鉱山監督局が安全性比較の資料として入手したのかもしれません。ボンネットには半分ほど黒のエナメル塗装が残ってました。ウルフ安全灯などに比べると非常に重く感じる安全灯で、それもそのはず砲金製鋳物パーツを機械加工したものが多用されており、重量はあるのですがその分作りの良さを感じさせる安全灯です。型式としては典型的なマルソータイプの安全灯でボンネット下の吸気口から二重のガーゼメッシュを通して吸気し、燃焼して熱せられた排気はメッシュを通してボンネット上部のスリットを通して外部に抜ける仕組みです。先に出てきた「鉱山変災」ではこのボンネット下の吸気口から二重メッシュを通して吸気する安全灯形式を「エバン・トーマス式」と称しています。この安全灯のロックの解除ですが、どうやら足踏み操作の空気圧で作動するプランジャー式開錠装置に掛けてロックを解除する仕組みになっているらしく、マグネチックロックやリードリベットロックに比べると手軽ではないためか、我が国ではまったく普及しなかったロックシステムです。
 「採鉱学第2巻鉱山変災」の記述によると、安全灯の検査基準は 1)6尺の高度より安全灯を木床に落とす事 2)6尺の高度より5ポンドのものを安全灯の上に落とすこと 3)安全灯の下部に長さ6尺の糸を結びこの下端に重量10ポンドの物を付けこれを6尺の高さより落とす 4)安全灯腰硝子を直立し置き硝子の上部4尺の高度より重量1ポンドの物をこの上に落とす 5)同上の硝子を華氏212度に熱したる後急に華氏60度の冷水に入るる事 之等の試験に破損せざるものを合格とする。というようになっておりますが、このほかにも気流による火炎の動揺などの検査もあり、明治末期の安全灯の構造や取扱不良によるガス爆発多発を受けて設立された直方の石炭坑爆発予防試験所の結論は「ウルフ式揮発油等を以てもっとも安全な灯火である」というようにされたようです。大正末年頃の大手炭鉱61坑における安全灯種の比較を見ると、手提げの揮発油灯22,960個に対して、蓄電池式帽上灯および手提げ灯が53,707となっており、大正末にすでに両者の数が逆転し、蓄電池灯が急速に普及していったのがよくわかります。

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September 22, 2007

本多式簡易瓦斯検定器(ウルフ安全灯)

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 ウルフ揮発油安全灯に関しては一年ほど前に詳細を調べて発表しましたので省略しますが、我が国では大正末期から昭和の始めにかけて大手の炭鉱ではエジソン式蓄電池帽上灯の普及により、明かりとしての役目は一旦終えました。しかし、メタンガス濃度の高低を知るための道具としては欠かすことが出来なく、昭和5年くらいから光干渉式の理研製ガス検知器が出来てからもこのウルフ安全灯は坑内で使用され続けます。従来から使用されていた雑多な炭鉱用安全灯は、明治から大正期にかけて安全灯自体の欠陥や取扱の不備によって重大なガス爆発が頻発したことから、直方にあった安全燈試験所から発展した石炭坑爆発予防試験所の検査により、型式認定を受けた物のみが使用されました。その一つがこの旧本多商店製鎧型ウルフ安全燈で、本来は製造銘板に製造年とシリアルナンバーが、もう一つ認定番号の銘板があるはずなんですが、今回の物には一切装着された跡すらありません。さらに本来は欠かすことの出来ない磁気ロックシステムが最初から省かれて、その部分を別な板で埋めるという特別な仕様です。銘板の変わりに「本多式簡易瓦斯検定器」なる刻印が油壷上部のリングになされていて、通気リングは外部からゴム球付きの通気管から測定ガスを内部に導くための外部通気リングが装着されています。そのため一連の安全灯同様に坑内の保安を取り締まる側の鉱山保安監督署関係の備品だったことが推測できます。
 メタンガスは空気よりも比重が軽いため、坑道の底より天井付近に溜まりますが、安全灯を上に掲げて測定しようとすると安全灯の炎で発生する上昇気流の影響で正確なメタンガス濃度が検知できません。また常に目の高さで青炎の高さを測らないと正確な濃度検知が出来ないため、坑道上部からの空気を目線にかざした安全灯内部に導き出す通気管という途中にゴムのポンプ球がついたチューブを通気リングのニップルに繋ぎ、坑道上部に溜まったメタンガスの濃度を検知します。この簡易メタンガス検知は基準炎という測定の基礎になるほんのわずかな微炎を作り出す事が大切です。メタンに曝されるとこの基準炎の上に青炎が被さり、これをガス冠といいますが、メタンガス濃度が高くなるに従い、この青炎が伸張し、ついに爆発濃度に達すると筒内爆発を起こして消灯します。ところがこの基準炎の微炎は通常状態の炎よりガス爆発を誘発しやすいという統計があるらしく、当初はいきなり基準炎を作っておかずに通常炎で青炎の伸張を認めたり筒内爆発で消灯した場合に改めて基準炎を作って簡易的にメタンガスの濃度測定を行ったというような話を聞きます。しかし、このウルフ灯は腰ガラスに目盛が刻んであるわけでもなく、あくまでも測定者の主観で測定値にかなりのバラツキが出てきますので、測定者による誤差を無くすためには光干渉式メタンガス測定器を使用するか、目盛の刻まれたCHESNEAUガス検定灯もしくはPIELERガス検定灯を用いることになるようです。ところでこの本多のウルフ灯は本家のウルフ灯に比べてボンネットのスリットが本家が縦6個に対して本多製は縦4列しかありません。博物館の展示品や当時の写真などのウルフ灯を見ても国産コピーか輸入品かはスリットの数で容易に見分けが付けられます。

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September 18, 2007

炭鉱用江戸式安全灯(炭鉱用カンテラ)

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 この典型的な炭鉱カンテラスタイルの安全灯に「江戸式安全燈」という銘板を見たときには驚きました。油壷の厚みからして間違いなく揮発油灯のようでしたが、何せ鉱山技術の文献にはまったく江戸式なる安全灯の記述は見当たりません。実際に明かりとして使われていた時代の製品らしく、おそらく本多商店がウルフ灯を国産化した大正の初めから昭和の初めころの製品なのでしょう。入手先は福岡からで一連の安全灯の中の一つとして入手。鉱山保安監督局の資料として保管されていた安全灯の一つのようでした。実際に坑内で使われてたものらしくボンネットには多数の打ち傷があり、フックは坑木に打ち込みやすいように手製の物に換えられていますが、これが実際に使われていた「炭鉱のカンテラ」らしくていい雰囲気です。なんとちゃんとマグネットロックが生きてまして、使われなくなってからおおよそ7〜80年あまりも分解もされずにそのままだったようです。そのおかげで部品の欠品もなく完全品でした。普通型のボンネットを備えるこの国産安全灯は、未だ各地の石炭記念館等で鎧型のボンネットを持つ本多のウルフ安全灯と一緒に展示してあるのはよく見かけますが、安全灯は蓄電池式キャップランプに変わり、目的が明かりから簡易メタンガス検知という用途に変わってからは専ら本多製のウルフ灯ばかりが使われたようです。この江戸式安全灯は揮発油灯にありながら再着火装置がありません。町工場程度の江戸商会にはそれだけの加工技術がなかったのかもしれませんが、もしかしたら以前から使用されてきた油灯式のクラニー灯などを揮発油灯に置き換えるために安価で供給できるよう再着火装置を省いたのかもしれません。マグネットロックはウルフ安全灯とコンパチでウルフ安全灯のベンチマグネットがそのまま使えそうな感じですが、そんなものは持っていません。油壷のネジに所々四角い溝が彫ってあって、そこにばね仕掛けのラチェットの爪が入り込みロックすることはわかっているのですが、結局数時間いろいろ試して開錠に成功しました。そんなに強力な磁石が必要な訳ではなく(ボード用マグネットではさすがにだめです)「ちょっとしたコツ」があるのです。これは本多のウルフ灯などのマグネットロック解除などにも共通ですが、あえてこの奥義は公開しません(笑)
 分解してこの江戸式安全灯の構造を確認すると下部にメッシュの吸気リングを持ついわゆる「ウルフ型安全灯」でした。本家のウルフ灯と異なる点は腰ガラスをボンネット側に固定しておくリングがあり、そのため油壷を外すと腰ガラスやメッシュのガーゼがごっそりと抜けてくることがなく、掃除が楽なような感じです。また灯心の下にスリットの開いたリング状の導風板があり、このリングの存在が本家ウルフ安全灯と異なり、これが江戸式なる名称の所以なのかもしれません。どんな効果があるのかは判りませんが、少しでも明るさなんかの向上に寄与しているのでしょうか。江戸式安全灯は銘板によると「合資會社江戸商會製作 東京市神田區今川小路」となっています。シリアルナンバーは84067となっておりどこの炭鉱で使われていたのかはわかりませんが漢数字の左右逆字で「二八」の番号が打刻されています。
 神田今川小路というと千代田区鍛治町と中央区本石町の境、今川橋近くに現在でも「今川小路」が存在し、レトロな飲食街になってますが、このあたりは関東大震災による火災ですっかり灰燼に帰しています(さらに戦争末期の空襲でまた灰燼に帰しています)。おそらく合資會社江戸商會は関東大震災で被災し、消滅してしまったのかもしれません。そうなるとこの江戸式安全灯は関東大震災(大正12年)以前の製品ということになります。そのために江戸式安全灯は後世に名前を残すことがなく、我々にその名を知られることもなかったのでしょう。また再着火装置を持たなかったために簡易ガス検定器として使用するには不適で、明かりとしてはエジソン式蓄電池等により日本の炭鉱から駆逐されたことは確かです。

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September 17, 2007

炭鉱用CHESNEAU(シェノー)式メタンガス検定灯

Chesneau
 これはフランスで発明されたCHESNEAUガス検定灯を日本の本多電機がそのままコピーして製造されたメタンガス濃度測定のためのカンテラです。こんなものが国産で存在することなどまったく知りませんでしたし、鉱山関係の技術書を開いてガス検定の項目を捜しても出てきません。あまつさえ落札し損ないましたが同じ本多電機製と思われるPIELARガス検定灯まで出てきました。たぶん一般の炭鉱で使用された測定具ではなくて鉱山保安監督局の備品で、サンプルとして外国のガス検定灯を2種類入手し、そのまま本多電機にコピーさせて納入させたものではないかと考えます。双方ともに明かりとして使用する目的ではなく純粋なメタンガス濃度測定具であるため、使う燃料が揮発油ではなくメタノールを使用するアルコールランプで、メタンガスの濃度が濃くなると青い炎が伸長するその長さを測ってメタンガス濃度を測定する器具です。そのためウルフ安全灯の簡易測定よりもなお精度の高いメタンガス濃度の測定が可能であり、より高濃度の炎の高さを測定するためウルフ灯が10インチ程度の高さなのにCHESNEAUガス検定灯は13.5インチほどの高さがあります。ボンネットの側面には透明な窓と炎の高さによって濃度を測定するための目盛及び温度補正目盛が刻んであります。上下に動く真鍮の筒は一種のカーソルなのでしょう。入手した本多製CHESNEAU灯はバーナー回りのチムニー部品およびガーゼメッシュが欠品ですが、このCHESNEAU灯は1893年にフランスの鉱山保安監督局の長であるCHESNEAU氏によって発明されたためにその名前があり、バーナー回りが欠品のためにその原理を伺い知ることができません。おそらく基部に外気の遮断スリットがあるのでここから金属のメッシュリングを通して吸気し、燃焼熱で膨張した空気が金網からボンネット上のスリットから出続けることで、外部のメタンの大気に引火しないような構造になっているのではないかと思います。またその器具の性質上、ロックシステムと再着火装置がありません。一緒に出てきた本多のウルフ簡易ガス検定灯でさえわざわざマグネチックロックを廃してその部分をプレートで埋めた特別仕様で、認定番号などのプレートも最初から無いような感じでしたから、坑内の保安状況を取り締まる側のお役所の為の測定具であったことは間違いのないところです。ウルフ簡易ガス検定灯と違ってこのCHESNEAUガス検定灯は実際に使用されていたかどうかは少々疑問で、試作させたはいいがお蔵入りしてしまった測定具かもしれません。英国ではトーマス&ウイリアムス社がCHESNEAUガス検定灯のデッドコピーを、英国ウルフ社がPIELERガス検定灯のデッドコピーを生産したらしいですが、本多電機では両方ともデッドコピーして供給したことになります。
 大気の酸素が21%の濃度で含まれていると仮定すると、メタンは4.8%から14.5%の濃度範囲で何かの火が引火すると爆発を起こします。それ以下の濃度でもそれ以上の濃度でも引火しませんが、これを燃焼範囲とか爆発範囲といいます。メタンの濃度が9.5%のときが一番爆発強度が大きいといわれ、それ以上の濃度で爆発すると完全燃焼せずに致死性の一酸化炭素を大量に発生させることになります。また、一カ所のメタンガス爆発で坑内の広い範囲に渡って巻きあげられた炭塵に引火し、連鎖的に炭塵爆発を引き起こし、さらに大量の一酸化炭素を発生させます。一度に何百人の命を奪う炭鉱のガス爆発ですが、日本から坑内堀の炭鉱が無くなっても未だにエネルギー事情がひっ迫している中国やロシアでは信じられないような炭鉱事故が未だに続いているようですが。

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September 16, 2007

北川式一酸化炭素検知器

 この北川式ガス検知器を見て嫌悪感をもった人は、たぶん飲酒検問に引っかかって警官に風船を膨らまされた経験のある人かも知れません(笑)この北川式ガス検知器は検知するガスの種類によって専用のガラス検知管が200種類もあるようで、飲酒検問で使用される検知管はもちろんエチルアルコール用のようです。今回入手した北川式は炭鉱で使用された一酸化炭素専用の備品です。今でも北川式ガス検知器は最も簡単に正確なガス濃度が検出出来る測定器として各産業分野で多用されていますが、試料ガス採取器が昔の物はいかつい金属だったものが、今は測定器を感じさせない3色のカラーバリエーションを持つ樹脂の成型品になっています。また検知管もいろいろと改良されたようで、以前は正確な濃度判定のために温度補正が必要なガスの種類がありましたが、現在ではその必要がないものも多くなっているようです。
 そもそも炭鉱では安定状態では一酸化炭素が発生しないはずなのですが、往々にして採掘跡などの炭層が空気に触れることにより自然発火することによって一酸化炭素濃度が高まることがあります。その自然発火などの状況を早期に発見するために常に一酸化炭素濃度を監視する必要があり、その目的で使用されるのがこの北川式一酸化炭素検知器です。試料ガス採取器に温度計と標準色管(カラーチャート)の二本の管が付属しているのが一酸化炭素用の特徴で、当時の検知管の中身は酸性硫酸パラジウム溶液とモリブデン酸アンモニウム溶液を純白色のシリカゲルに吸着させたもの。この検知管に一酸化炭素を含む空気を毎秒1ccずつ30ccを送入し、一酸化炭素によってモリブデン酸アンモニウムが還元され、青変することで、その変色の度合いにより一酸化炭素の濃度を測定するものです。当時の検知管にはA,B,Cの3タイプがあり(現在種類はもっと増えてます)炭鉱ではエチレンガスの影響による誤差の影響を排除できるB型を石炭の自然発火検知のために、C型を発破ガスの検出用に使用されていました。この北川式一酸化炭素検知器によりごく微量の0.0001%程度までの一酸化炭素が検出可能のため、戦後の炭鉱では必ず備え付けられていた備品です。
 北川式ガス検知器の歴史を知りたい人は光明理化学工業(北川式ガス検知器の歴史)をご覧下さい。ちなみに現在の一酸化炭素用検知管のコストは一箱10本入りで二千円程度のようです。
 福岡から他の物とまとめて入手した北川式一酸化炭素検知器は製造年が昭和44年5月。筑豊では大手炭鉱は日鉄嘉穂炭鉱も明治平山炭鉱も閉山へと向かい、貝島大之浦炭鉱もそろそろ坑内掘り採炭から手を引きかけたころの製品です。検知管は45年7月製造のもの(使用期限は2年間)が紙箱に10本そのまま残っていました。肩からストラップで吊せるようになっている青い金属のケースには「石特」のペンキ書きがあり、売り主の話によると家屋の建て替えに伴う整理品の一つで、その家主の先代がどうやら鉱山関係の役所に勤めていてその関係で仕事上で使用していたものではないかということでした。どうやら筑豊・粕屋炭田から石炭の坑内堀が無くなって以来出番がなくなった測定器具だったのでしょう。いっしょに見たこともない本多製メタンガス検定灯(フランスのCHESNEAU検定灯のコピー?)なんかが何台も一緒に出てきましたので、おそらく坑内環境を測定する鉱山保安監督署関係にいた人の持ち物であったことは間違いの無いようです。
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September 12, 2007

炭鉱用SEIPPEL式安全灯

Seippel1
 渋谷の温泉施設で爆発事故が起こったとき、すぐに漏れた都市ガスの引火による爆発ではなく地下からのメタンガスの引火による爆発だと気が付いた人は少なくなかったと思われます。あの渋谷の爆発事故はメタンガスの引火による被害の甚大さを現代に見せつけたわけですが、古今東西、炭鉱ではこの見えない臭いもしない恐ろしいガスに如何に苦しめられたことでしょうか。このメタンガスは空気中で約4%の濃度に達するだけで何かの拍子に引火すると大爆発を起こします。昭和30年代から40年代にかけて、国内の炭鉱でもガス爆発が頻発し多くの犠牲者を出しましたが、今回は都会の真ん中で起こったガス爆発ということで、現代ではメタンガスが如何に危険かという意識が欠如していたのでしょうか。都会の真ん中といえども地底千メートル以上の世界は何が出てくるかわからない魔の世界です。
 イギリスの産業革命で急激に需要が増大した石炭採掘により頻発するようになったメタンガスによるガス爆発事故を防止するため、大科学者デービーが金属のメッシュガーゼで炎の部分を囲った油灯式安全灯を発明したことは、以前に書きましたので省略します。デービーの死後、いろいろな発明家によってこのデービー安全灯が改良され、時代と共により安全なものが出来てきましたが、この安全灯はドイツのウルフ式揮発油安全灯の発明を以て炭鉱用安全灯の決定版となった感があります。しかし、国によって石炭の性質に違いがあり、その石炭の性質に合わせて安全灯も独自の進化を遂げた国があります。その中でもドイツからポーランドにかけての炭鉱は主に亜炭ヤマで、比較的にメタンガス突出などの危険が少ないため、そこで使用される安全灯も腰ガラスの上のメッシュの部分をポンネットで囲うことのないタイプのものが使われました。そのドイツの炭鉱で使われた安全灯の一つがWILHELM SEIPPEL社によるSEIPPEL式安全灯です。ドイツ国内で製造されたウルフ式安全灯もSEIPPEL灯も当時のカタログを見た限りでは、仕向け国によりボンネットの有無や形状がいろいろ作られたようですが、主にドイツで使われたものの中にはあまり必要でないボンネットを廃してその分重量軽減しているものが多いようです。SEIPPEL式安全灯は殆どドイツ国内およびポーランド・チェコなどの亜炭ヤマに普及して使用されたようですが、明治の末に三井物産の手により日本に輸入され、本洞・田川・三池の三井系炭鉱で「サイペル式ベンジン灯」として使用されたのを始めとし、国内の他の炭鉱にも売り込まれたようです。ところがいままで使用されてきたクラニー灯同様に日本に入ってきたSEIPPEL式安全灯は、ドイツ本国仕様のボンネットのないタイプだったようで(確証はありませんが)高濃度のメタンガス充満場所で高所から落下させたり天盤崩落で急激な空気の流れが発生する事によりがス爆発を誘発する危険性があり、大正年代に設立された直方の安全灯検査所の試験結果により「ウルフ安全灯」によって、さらにエジソン式蓄電池安全灯が普及することで完全に日本の炭鉱からは駆逐されました。
 SEIPPEL式の読み方ですが、明治の時代には「サイペル式」と言われたようですが、一般的にはセイペル、実際にはザイペルと濁る方が正確のようです。しかし私は独語を選択していなかったのでどちらが正しいのかはわかりかねます。今回入手した揮発油安全灯は戦後の西ドイツ時代のもので、戦争協力企業として解体された(らしい)WILHELM SEIPPEL G.M.B.H.の製品ではなく他社のものになります。何と昭和32年に北極回りで東京とドイツに直行便が初めて就航した記念にドイツの産炭地から日本に贈られた記念品らしく、そのような意味の刻印が油壷にずらりと打刻されてました。ということで、一度も坑内に下がったことのない安全灯ということになり、金属部分はくすんではいるのですが、未使用の安全灯でした。贈答品ということもあり、シロウトにはぜったいに分解できない磁気ロックもわざわざ省略した構造になっていますが、さすがに複製品の油灯式安全灯と異なり、再着火装置を備える揮発油灯独特の複雑な構造はそのままです。ループが開いて先端が鈎状に尖った吊り金具はドイツの安全灯のトレードマークです。とことん鈎(十字)が好きな民族なんですね(笑)当時すでに電気着火式の安全灯も登場していましたが、この安全灯はオーソドックスな100円ライターと同じようなフリント式の着火システムを備えます。底のつまみを回すことで再点火が可能なのはウルフ安全灯と同様です。
 そう言えば昭和32年から3回にわたり全国の炭鉱から選抜された若者が炭鉱技術習得のために西ドイツの炭鉱に渡ったという話は上野英信氏の著作で見たことがありますが、その本の栞の中に昭和35年の第3次派遣で西ドイツの炭鉱に渡ったSさんの証言があり、その言葉によると「照明も日本のようにキャップ・ランプではなく、一昔も二昔も前の旧式な安全灯であった。歩くときにはそれを腰に下げ、仕事中は天井に吊す」とあります。この証言でもわかるように、この頃まで西ドイツの炭鉱では照明として揮発油式安全灯が残っていたことがお解りだと思います。古い物を頑固に使い続けそれを自らの誇りとするドイツ人の性格の現れでしょうか?

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May 24, 2007

炭鉱用携帯バッテリーランプ

 炭鉱の坑内で可燃性ガスの引火の危険のない安全な灯火具として蓄電池式の安全灯を考案したのはかの発明王エジソンでした。それというのも2人の熱心な鉱山技師の熱意に押される形で坑内で働く炭鉱夫の安全のためにこの蓄電池式安全灯の発明に至ったようです。Honda_bl_1 エジソンが発明したのは実は彼が以前に発明していたアルカリ蓄電池の鉱山用へのアレンジだったようですが、形態としては現代の鉱山用キャップランプ同様にバッテリー部分とコードでランプ本体に繋がっている蓋の部分が分離する2分割構造で、坑内で分解されないようにバッテリーと蓋の部分がロックされ、地上で専用のキーを使わないと分解できない構造になっています。さらにランプ本体も分解には特殊なキーが必要で、万が一ランプのガラスを破損させた場合には可燃性ガスに引火するのを防ぐため電球がスプリングで飛びだす構造になっているようです。我が国では大正時代の中期くらいから大手の炭鉱で輸入のエジソン蓄電池式キャップランプが使用されるようになり、その明るさと手軽さによって明かりとしてのウルフ揮発油式安全灯を駆逐していきます。昭和に入ると国産の蓄電池式キャップランプが作られるようになり、その代表格が湯浅(YUASA)、日本電池(GS)、本多(HONDA)などの蓄電池式キャップランプでした。炭鉱用の蓄電池式キャップランプは、使用している電池の種類により鉛蓄電池式とアルカリ蓄電池式の2タイプがあり、それぞれ電極1対の電圧が2Vと1.5Vの違いがあります。また前者は完全放電すると寿命が縮まり、後者は逆に完全放電しないとメモリー効果で持続時間が低下するなどの違いがあって、取扱の方法が異なります。通常は使用後のキャップランプを使用者自身がセルフサービス式といわれる充電台のマウントにランプ部分を引っ掛けることにより充電が開始されるようになっており、大きな炭鉱では60人用や100人用の充電台が何基も安全灯室という部屋に設置されていました。
 本多式の本多商店は明治時代からの灯火器関係製造・販売元で、当初は鉄道用の灯火から始まり、徐々に炭鉱用のカンテラなどの製造に乗り出します。国産のウルフ揮発油式安全灯も製造しており、戦後になっても簡易メタンガス検知機として本多式ウルフ安全灯は製造し続けられます。しかし、炭鉱が斜陽になると鉱山関連用具の需要も減り、現在は安川電機の子会社化して名前も本多電気から本多産業に変わり、産業用ロボットやポンプなどの販売に事業がシフトしてます。実は我が町にも営業所が存在します。
 さて、その炭鉱用蓄電池式安全灯ですが、キャップランプ式のほかに携帯式のランプがあり、かの英国でも手提げの油灯式安全灯に換わって同様な形態の筒型蓄電池式安全灯が各種作られています。日本ではその筒型蓄電池式安全灯は本多商店などで製造もされましたがまったく普及せず、坑内の個人用灯火器としてはキャップランプが炭鉱と金属鉱山を問わず使用されました。しかし、採炭だけではなく設備の点検などに手持ちの灯火が必要であり、安全上の見地から防爆構造の手提げ灯が作られたのが今回の手提げ安全灯です。この手の防爆安全灯というのは油灯式の時代から可燃物を積載する船舶などでも使われ、火薬類を扱う軍艦は言うに及ばず可燃性ガスの発生する商船や粉塵爆発の可能性のある粉体輸送船などにも備え付けていたようです。そのために本来は炭鉱の坑内で使われるべき英国オルダムのカンテラ型蓄電池安全灯が外国船の出入りする港町あたりから出てくることもあるようです。今回の本多製バッテリーランプも道南の港町から出てきたもので旧運輸省の認定番号の銘板がありました。おそらく船舶関係の備品にされていたものなのでしょうが、炭鉱で使用されるものと同一です。ランプの筐体はむやみに分解できない炭鉱のキャップランプと同一でバッテリーケースも現場で分解されないように特殊なキーが必要なロックタイプになっています。このキーボルトがウルフ燈みたいに四角柱だったらラジオペンチで頭をつかんでひねる事は出来るのですが、このバッテリー灯のロックボルトは正三角形の断面の三角柱でした。これじゃペンチでつかんでひねることもできません(T_T) どうやってこの三角ボルトをひねろうかと頭を悩ませていたのですが、何と電気工事用のリングスリーブの小が似たようなサイズであることを発見。このリングスリーブをプラハンマーで打ち込むと ボルトの正三角柱を包み込むように変形してくれ、外に飛び出した部分をペンチで反時計方向にひねるとポコンという音と共にロックが外れて蓋とバッテリーケースの部分が分離しました。中には四角いアルカリ蓄電池が2コ横に納められており、電極を繋いで直列3.0Vでランプを点灯させているようです。鉛蓄電池式は電極直列で4.0Vのようですから互換性はありません。キャップランプの場合はキャップランプ本体を充電架にセットすることでコードを通じて電池本体を充電しますが、このバッテリーランプはランプ本体が分離しないためにセルフサービスの充電台には掛かりません。おそらく電池部分をキーで外して充電のコードが伸びた充電用の蓋でも取り付けて充電したのでしょうか?
 おまけに炭鉱にベークライト製のヘルメットが導入される前に使用されていた布製坑内帽を紹介しておきます。Kounaibou_1 これは大正末期から戦後に掛けて炭鉱や鉱山で広く使われていたもので、前方にキャップランプを取り付けるプレートが布の帽子に装着されており、2重に仕込まれた天井パッドと共にそのプレートが頭部の保護の役目をしているものです。このような布の坑内帽の他にも外国の保護帽をコピーしたカッパ型などといわれる頭の天辺にキャンパスを樹脂で固めて積層にしたお皿を被せたような坑内帽もありました。入手した布製坑内帽は別子銅山が閉山したのち、会津のほうの住友系鉱山に移られた「先祖代々の友子」という方から譲っていただいたもので、キャップランプを取り付けるプレートに大きな住友のマークを剥がしたあとがありました。なんでも坑内のバッテリーロコの運転掛かりの人から譲ってもらった物らしく、もちろん閉山時までこのような物が使用され続けていたわけではありません。金属のプレートに製造所の刻印がありまして、それによると筑豊は直方市の三ツ星坑帽製作所という筑豊ローカルの会社が周辺の炭鉱用のために作っていた物のようです。北海道あたりの炭鉱は大会社が多かったからかタニザワの保安帽あたりが早くから使われたようですが、筑豊の小炭鉱あたりは昭和30年代になるまでこのような物が使われ、租鉱権炭鉱でも古洞の残炭あさりのようなヤマでは布製坑内帽にカーバイドランプの裸火を使用していたような所も見受けられたようです。

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October 19, 2006

パターソン安全灯(炭鉱用カンテラ)

Patterson
 炭鉱用安全灯といっても我が国ではまったく省みられないアンティークで、船舶用の古いランプと誤認され(発火物や爆発物を搭載する商船や軍艦では使用されましたが…)流通するような有様です。そんな船舶用ランプとして売りに出されていたものを入手したのが今回のマルソー型安全灯でした。イギリスやアメリカでは炭鉱の安全灯(FLAME SAFETY LAMP)はコアなコレクターも多く、今でもレプリカが数多くイギリス本国や台湾などで作られていて、いかにこの炭鉱用安全灯が愛されてきたかの証拠ですが、どうも日本の石炭産業というと「エネルギー転換政策で安楽死させられた産業」の意識があるためか、石炭産業自体にこよなく興味を持つのはある種の廃墟趣味の烙印を押されかねないような(^_^;) とはいえ、夕張市の財政が破綻し、夕張新鉱ガス突出事故からちょうど25年目の日に我が家にこの炭鉱用安全灯がやってきたのは何かの因縁でしょうか。
 今回入手した安全灯はイギリスはニューカッスルのパターソン社の製品でした。ウルフ揮発油安全灯より旧式の油灯式安全灯で、ロッキングシステムもリードリベットロックと呼ばれる鉛のリベットで封印するか南京錠を用いる単純な安全装置です。芯の上げ下げもウィックピッカーという鈎状の針金で動かす原始的なもの。もちろん再点火のための着火装置なんぞありません。構造的には丈夫なスチール製のボンネットが特徴的で、ボンネット下部の丸い穴がサークル状に並んだところから2重の金網を通して吸気し、排気は金網のトップからスチールボンネット上部の穴から抜ける仕組みですが、中にブラスのチムニーを備えており、空気の流れからはマルソー式ながらミューゼラー式の部分も兼ね備えており、双方のいいとこ取りというような構造になっていました。マルソー式というのはガス気の多いフランスで発明された安全灯の形式で、メタンを含む風よけのボンネットと2重のガーゼメッシュを備え、空気はボンネット下部の吸気口からガーゼメッシュを通して吸込み、腰ガラス内の灯芯で燃焼に使われた後ガーゼメッシュのトップを経てボンネット上部から横に抜けるという空気の通路が特徴となるタイプの油灯式安全灯です。その後各国で色々アレンジされたマルソー型安全灯が製作され、このパターソン安全灯も少々構造的にアレンジされたマルソー型安全灯と言えるものです。年代的には1887年前後と推察できますので、軽く100年は経過したアンティークと呼ぶことも出来ますがイギリスでは他国に比べ、揮発油安全灯が開発された後もこの単純な油灯式安全灯が20世紀に入ってもかなり長い間製造され続けたようです。このパターソン社という会社は安全灯の世界では後に高輝度安全灯(HCP:ハイキャンドルパワー)によって名を残しますが、今現在は同名の会社は現在存在していないようで、ニューカッスルのパターソン社で検索すると自動車ディーラーが出てきました(笑)
 厳重に梱包されて到着したこのパターソン安全灯は、先のウルフ安全灯と違ってメタンガス検知の用途としてのみ坑内に用いられるというよりも、実際に明かりとして坑内に用いられた時代の物で、そのため使用痕がいたるところに残っており、最初はきれいに磨き上げ、スチールパーツはリブルーしようかと思っていたのですが、そのままのほうが石炭産業のリリックとしてはふさわしいと思い、スチールボンネットをオイルで錆止め処理しただけであとはそのままにしておきました。ウイック以外は欠品がありませんでしたが、100年も経過してますので2重の外側ガーゼメッシュトップが破れていました。外側から見てもわかりませんがこれは致し方がないでしょう。ウイックの幅はちょうど1/2インチで、これは市販の4分幅のランプ灯芯が使えそうな感じです。燃料は単純に点してみるだけであれば、値段は張りますが灯油ランプ用のパラフィンを使用した方が後の掃除が楽そうです。揮発油安全灯のウルフ灯とは当然の事ながら燃料は共用できません。油壺と腰ガラスから上の部分とはリードリベットロックですが、腰ガラスのガードピラー部分とスチールボンネット部分もネジで分解出来るようになっており、この部分は一本だけ長いガードピラーが油壷を接合することで上に突き出し、スチールボンネット下部の空気穴とはまり込むことで上下が分解出来ないような安全装置が付いていました。
 このように初期のデービー灯やクラニー灯と比べるとメタンを含む空気の流れにも、人為的な取扱ミスにも格段に安全になったと思われる19世紀末の安全灯ですが、それでも高所から落としてより高速な気流に晒すことになったり、機械的に腰ガラスを破損し、結果的に裸火をメタンガスや炭塵に晒すと爆発事故を起こします。このような取扱の不手際によって爆発事故を起こしたことは古今東西に少なからずありました。
 炭鉱では過去の爆発事故によって犠牲者その他が未回収になることが往々にしてあり、大正時代の北炭夕張炭鉱北上坑のガス爆発事故のときの古洞に昭和の29年頃に行き当たったことがあるそうで、古洞といっても夕張では強い盤圧でぺしゃんこになっているような状態。そこで1ヶ月に渡り人骨らしき痕跡や鶴嘴の先などがつぎつぎに出てきて、何か生きた心地がしなかったなどという話を聞いたことがありますが、九州の貝島大之浦炭鉱桐野二坑の大正6年ガス爆発事故でも39年後の昭和31年、採炭中に事故跡に遭遇し、このときも鶴嘴やせっとうなどの遺品が回収されましたがそれらに混じってガス爆発で原型を留めぬほど破壊されたウルフ安全灯の残骸も回収されています。ガス爆発によっても油壷とガードピラーの部分は分離しませんでしたが、ボンネットは吹き飛んで無くなり、恐ろしいことに油壷の底と側が吹き飛んで蓋と芯の調整ネジだけになっているという破壊ぶりのウルフ安全灯でした。これを見ても炭鉱のメタンガスの爆発という物がいかに凄まじいかということがわかると思います。
 炭鉱用安全灯は、調べてみるとイギリスのトーマスウイリアムズ社の油灯式リプロダクションや台湾製レプリカの他に、アメリカの老舗安全灯メーカーのケーラー社(KOEHLER BRIGHT-STAR CO.LTD.)が本来の用途(トンネルやマンホールの簡易メタンガス・酸欠検知)用として発売し続けているようです。このケーラー社は日本でもコアなフラッシュライトマニアの間では知る人ぞ知る存在らしく、日本でも正規の代理店が存在するような。元々アーネスト・ケーラーという人が1912年に地元マサチューセッツ州マルボロタウンの靴の木型工場を買収して生産拠点とし、最初から鉱山用の蓄電池式安全灯と揮発油安全灯を平行して生産してきたような会社らしいですが、鉱山用安全灯メーカーとして生き残っているのは英国のWOLF SAFETY LAMP CO.LTD.同様です。

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October 02, 2006

ウルフ安全灯(炭鉱用カンテラ)

Wolf メタンガスに引火しない安全な明かりとして安全灯を発明したのはイギリスの大化学者ハンフリー・デービー(ボルダ電池によって盛んに電気分解を行い、主要6元素を発見)ですが、彼は金網の中の炎は外のメタンガスに引火しないことを発見して油灯式のデービー安全灯を作ったのでした。ほぼ同時期にイギリスの医師クラニーや蒸気機関車のスチーブンソンなどが安全灯を考案するも、結局後にデービーの金属メッシュを使うことになり、安全灯の発明者はデービーということになるのですが、デービーの偉かったところは炭鉱労働者の安全と利益を考えてあえて特許を取らなかった点にありました。それ以前にも後の大科学者マイケル・ファラデーを見いだしたこともデービーの偉さですが、これには面白いエピソードがあって、ファラデーは高等教育を受ける家庭環境になく、若くして製本屋に徒弟として出され、そこで本を沢山読むことにより知識を吸収していきますが、当時の国民的英雄であるデービーについて学問を究めたいと思ったファラデーは、ある時デービーの講演を聴きに行き、その講演を活字にして製本し、弟子入り志願の熱烈なラブレターを添えてデービーに送ったことが功を奏して後にデービーの実験助手になることが出来たということなのです。デービーも高等教育を受ける家庭環境になく、努力により各種の実績を作っていったので、ファラデーの身上に共感するところもあったのでしょう。
 そのデービー安全灯ですが、金属のメッシュを被せることにより元の裸火と比べて30%に減光されてしまうのが欠点でした。また、メタンガスを含む空気の流れに晒された場合、燃焼がメッシュの中だけで納まらずにその炎が坑内のガスに引火する危険がありました。そのため、後にクラニーは燃焼部分をガラスで囲いメッシュの部分をその上部に持ってきた構造の改良クラニー安全灯を開発し、光量もデービー灯の3倍になり、メタンガスの引火の可能性も減りますが、その時はすでのデービーはこの世の人ではありませんでした。彼はスイスに招かれたときの実験中の事故により、フッ素ガス中毒で亡くなってしまったためです。このクラニー灯であってもメタンガス濃度が高まって灯火内の炎が伸長し、メッシュを赤熱し始めたところにメタンガスの流れが接触すると一気に引火爆発する危険性があるために、メッシュの部分を筒で囲って可燃性ガスの風よけにしたマルソー灯というのが開発され、広く使われることになります。また、フランスやベルギーでも独自に安全灯はデービー灯から脱却して改良されていきます。というのもフランスやベルギーの炭鉱はイギリスの炭鉱以上にメタンガスの問題が深刻だったからです。ここまでの炭鉱用安全灯は燃料として植物性油や鉱物油を使っていましたが、煤が発生してガラスを汚して光度が低下し、さらに伸長した炎でメッシュの部分に貯まった煤が赤熱されて坑道内のガスに引火する危険性が残り、不完全なものでしたが、1883年にドイツ人ウルフによりこのウルフ揮発油安全灯が発明されたことで光度低下と煤の問題が解決しました。ウルフ安全灯は燃料に揮発油(粗製ガソリン=ナフサ)系の燃料を使用するのが特徴で、煤の発生が殆ど無くなり、灯油の安全灯の欠点を克服しました。また金網部分を囲う風よけ(ボンネット)が円筒状の普通型、鎧状の鎧型に分類され、今回のウルフ安全灯は鎧型に属します。イギリスなんかでは比較的にメッシュの風よけが丸い普通型が多いようですが、アメリカでは鎧型、日本でも見かける数の多いものは鎧型ウルフ安全灯のような気がします。
 日本では江戸期から明治期に入り、比較的に地表から浅いところで採炭していた時代には通気と排水の問題はいつでも付いて回りましたが、ガスの問題にはまだ直面しておらず、陶器の油皿やブリキの油壷に灯心を立てた裸火のカンテラで事足りておりました。しかしだんだん深いところで採炭することでしばしばガス爆発事故を起こすようになり、デービー、クラニー、マルソー式などの輸入安全灯が坑内に用いられることになります。当時は専ら明かりとしての利用でした。炭鉱の話に出てくる「カンテラ」というのはこの時代以降の安全灯のことを意味します。また安全灯はその炎の伸長によりメタンガス(沼気)発生とその濃度を知る重要な検知器の役目を果たしました。メタンガス発生を知る手だてがまったくなかった時代には、この恐ろしい無臭で空気よりも軽い可燃性のメタンガスの発生を知るために、坑内に篭に入れたカナリヤやハツカネズミを持って入り、カナリヤが止まり木から落ちたり、ハツカネズミの動きが鈍くなると急いで坑内から脱出するという動物感知器が使用されたようです。
 しかし、日本では炭鉱のカンテラというと炭鉱資本の弱者からの収奪と過酷な炭鉱労働のシンボル的な存在かもしれませんが、かの発明王エジソンが2人の熱心な鉱山技師の願いによって開発した防爆の充電電池式キャップランプにより日本でも大正期から昭和の始めにかけて、大手の山を中心にウルフ安全灯はエジソン式キャップランプに取って代わられ、それ以後は明かりとしてのカンテラの役目から簡易式メタンガス検知器として使われることになります。ガス検知器として使う場合には炎を青火の1.5ミリの高さに調整し、メタンガスに晒された場合にその炎の伸長具合でメタンガスの濃度を測定するというものでしたが、昭和になってから理化学研究所の光学干渉式ガス検知器である理研ガス検知器の登場により、よっぽどの小炭鉱でもないとガス検知器としては使われないものでしたが、ロシアの一部の炭鉱では未だにウルフ燈が唯一のメタンガス検知システムなんていうところも21世紀の世の中になっても存在するようです。金属鉱山では可燃性ガス発生の心配がなく、ウルフ安全灯のような防爆安全灯が必要ありません。そのため、裸火を使うカンテラで事足りて、カーバイドを使ったカンテラが使われましたが、こちらもキャップランプの普及と共にカンテラは明かりの役目を終え、カーバイドランプは酸素欠乏検知器の役目として長く使用されました。マインランプなどといわれる真鍮で出来た小型のカーバイドランプですが、酸素が欠乏した坑内では、カーバイドランプの炎が弱くなったり小さくなったりするのを見て、酸欠の危険回避をするために持ち歩いたもののようで、全国鉱山のない都道府県はなかった(東京も例外ではありません)ため、いまでも全国各地から出てきます。うちにあるマインランプは東京の日本光測機製作所製でこの会社は昭和30年代末までTARONというブランドのレンジファインダー式カメラを作っていた会社と同一だと思われます。元はNKSとかいうシャッターを作っていた金属加工のメーカーのようです。そういえば、トーチランプなんかを作っている栄製機がこのマインランプの復刻版を発売していて、今でも入手可能ですけど、いいお値段のようです。
 このウルフ安全灯は2年半ぶりにオクで発見した物でした。2年半前のオクの時は旭川の古物商から出たウルフ灯が6,000円台勝負で結局降りてしまい、その後まったく検索に引っかかりませんでしたが、どうやら炭鉱のカンテラとでも注釈がなければ、こういうものを炭鉱モノと結びつけるのが無理のようで、この倉敷の骨董屋さんも単なる古いアメリカ製ランタンと検索ワードしか載せていなく、2名ほどコールマンコレクタの入札があったものの2,200円という落札額で入手したものです。前回のウルフ灯が「本多商店製ウルフ式安全灯(注1)」とおぼしき真鍮を素材とした国産だったのに対して、今回入手したウルフ灯は一部鋼鉄板を使用した頑丈な米国製です。ウルフセフティランプカンパニーというのはイギリスの会社で、現在も充電式の携帯用防爆ライトなどを作り続けていますが、今回のウルフ安全灯はこの会社がアメリカに設置した現地法人の製品でした。どういう経緯で日本に輸入されたのかはわかりませんが、おそらく明治の末から大正の始め頃に三井物産を通じて三井鉱山系の炭鉱にもたらされた製品かもしれません。(追記:三井物産はドイツのSEIPPEL式ベンジン安全灯を輸入して三井系の炭鉱を始めとした各地の炭鉱に売りこんだようです。このSEIPPEL灯はメタンガスの少ないドイツの亜炭炭鉱用に作られていて、メッシュを囲うボンネットが無く、日本の炭鉱で使用するにはいろいろと問題があったような…)e-Bayにちょうど同じものでトップが真鍮ではなく黒色の鉄製のウルフ灯が1台出品されていて、その説明によると1915年前後の製品ということです。日本では大正期の製品と言うことになります。
 このウルフ安全灯はメタンガスを検知して筒内で小爆発を起こしたり、何らかの原因で火が消えた時に再着火が分解せずに可能なように、オイルライターの着火システムのようにフリントとヤスリ車を備えており、これを安全灯の外から操作して再点火する事が可能です。また、ウルフ安全灯に使うフリントは、網の外に火花が飛び散って外のメタンガスに引火しないように特殊な物をするという話。カンテラの再着火が可能になり、以前、まだ地表から浅いところで採炭していた頃に、カンテラの火が消えたといっては坑内の火番所というところに出掛けて煙草を吸うため、わざとカンテラの火を消すスカブラ坑夫がいたそうですが、ウルフ灯ではそんなことも出来なくなったようです(実際に文句が出たという話も…)。また、このウルフ安全灯は事故防止のために坑内でむやみに分解できないように、磁石式のキーを使って地上の安全灯室でのみ分解・清掃・給油などを行っていたという話を聞きますが、その構造については詳しくは知りません。さらに時代が下ってメタンガス検知として使用する場合には、専門の係員によって使用されましたが、やはりメタンガスの濃度が高い現場は危険なことには変わりなく、取扱を誤ってガス爆発を起こした事故例もあったようです。そういえば、オリンピックの聖火がギリシャのアテネで太陽から採火され、開催地にもたらされるとき、この炭鉱用安全灯に移されて飛行機に乗せられるのを見たことある人がいるのではないでしょうか?もちろん複製品の安全灯でしょうけど(笑)
 問題の磁石式ロックですが、今回入手したウルフ安全灯は後の時代の製品からか、磁石に依存しない単なる四角い頭の埋め込みアンカーボルトを抜くタイプでした。おそらく柱時計のゼンマイを巻くようなネジ巻きを使うのでしょう。ドライバーで回すことが不可能ですからこれでも坑内でランプを分解される危険性はありません(逆に本多製のウルフ灯は戦後になってからも磁石式ロックでした)。磁石式のロックなんか使わないで最初からアンカーボルト式にしたほうが構造が簡単なのに、とかく設計者というのはこういう技術的な冒険を犯しがちなものなんでしょう。そのために地底の坑夫だけでなく、骨董品として炭鉱用安全灯を手にした人もどうやって油壷とボンネットを分離してよいのかわからず、分解不能に陥っている人が多そうです。それを考えたら完璧な安全装置であることは確かですが(笑)
 注1、現、本多産業株式会社(現、安川電機子会社、安川電機は旧明治鉱業系)

Wolfseibi
北炭夕張鉱でのウルフ安全灯整備作業(北炭の絵葉書から:大正期)
キャップランプ以前の安全灯室です。机の上のおびただしい数のウルフ灯に注目。北炭の女性従業員は袴姿が制服だったんですね。左端の女工さんは大きなオイルタンクより燃料を注入しているような様子です。大正末期になり充電式のキャップランプが使われるようになってからは、このような大がかりな安全灯整備作業は見られなくなりました。鉱山規則で安全灯室はキャップランプの充電室とウルフ安全灯の整備室は区画を仕切って設置することになっています。充電によって発生する可燃性ガスに引火するリスク軽減のためです。


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