August 11, 2015

テクノス カイザーシグナルへのこだわり

150810_134131_2   30年ほど前、何せ貧乏だったので使用している時計は数千円のセイコーのサブブランドであるAlLBAのデジタルでした。時計というものは何個持っていても所詮一個しか身につけられないので、気に入ったものを一個持っていればそれでいいというのは正論だとは思いますが、タキシードにダイバーズウォッチではさすがにセンスを疑われます。というわけで、その後少々自由なお金が出来たときに何個か時計を買ったのですが、すべて特殊な時計ばかりで、ダイバーズのほかにはクォーツのムーンフェイズ付きクロノグラフ、出始めたばかりの気圧・高度計付きで気圧の変化がメモリーできるデジタル、機械式ムーンフェイズ付き手巻きのクロノグラフ、デジタル式のヨットタイマー、星座早見表付きシチズンのコスモサインなどでしたが、人にあげてしまったり売ったりしまい込んだりして、結局29年間の長きにわたって欠かさず毎日身につけているのはROLEXのサブマリーナ#16800なのです。サブマリーナの中身の機械は年々進化していますが見かけはまったく変わっていません。そのため、古い時計をいつまでも身につけているとは傍から見てもまったくわからず、おまけに他の時計が欲しいなどとは思わなくなってしまったため、一時ブームになったカシオGショックの限定モデルなどにもまったく興味がなく25年間は中古を含めて時計を新しく購入したことがありませんでした。

 ところが、その間も一個だけ気になった時計がありました。それが今は商標権が売られてしまい中華安時計ブランドに成り果ててしまった感がありますが、当時はスイス製舶来時計の代表的メーカーで、日本では平和堂貿易が扱っていたテクノスの70年代後半に発売されたある特殊なメカが仕込まれた時計だったのです。実は正確な時計の名前は知らなかったのですが、中学校のある先生がこのテクノスをはめてきて、見せてもらうと丸い窓から赤い光がチカチカと光る(ように見えた)のです。当時の中学の先生の給料でスイス製の時計というのも考えられませんが、この先生は実家が塾を経営していて夜はそこの講師もしているらしくかなりの副収入があったのでしょう。車も実家のクラウンの黒塗り4ドアか白いクラウンの2ドアを気分によって乗り換えてきており、通常身につけている時計はオメガでした。まあ、今と比べると子供の数が多く、塾も今のような進学塾というよりももう少しで公立高に引っかかるように通う補習塾的な意味合いが強いものでしたが、アルバイトが禁止された今と違って当時の先生たちは学習塾講師もさることながら個人の家庭教師などの副業が盛んに行われていたものだったのです。また音楽の先生はピアノ教室、美術の先生は絵画教室なども普通におこなっていたのです。それでそのテクノスの赤く光る腕時計は長い間電気式の時計だと思っており、それもボラゾンという名前だと思っていました。地元の時計屋の新聞広告でその名前を見たような記憶があったからです。実は機械式時計で中の赤い光が電気で光るのではなく赤く塗装したパドルのようなものが間欠的に回転している仕組みで、名前がテクノスのカイザーシグナルというものだったことを知ったのは比較的最近のことです。
 しかし、当時の中学生が時計としての興味の中心はセイコーまたはシチズンのストップウオッチ付き時計、いわゆるクロノグラフです。通常の自動巻き腕時計が一万円台前半が多かったときにこれらは一万円台後半から二万円台前半くらいしました。
 今のように時計が100円ショップに普通に置いてある時代と異なり、地方では時計というのは地元の時計眼鏡店で進学などをきっかけに買ってもらうもので、そのため地元の時計眼鏡店では3月くらいに新作の時計のチラシを配るのが普通で、それを見て志望校に合格したらストップウォッチ付きの腕時計を買ってもらうことを夢に見ていたのです。結局は高校進学するときにセイコーのファイブスポーツスピートタイマーの30分計付きクロノの青文字盤のものを買ってもらったのですが、ちょうど液晶のデジタルクォーツウォッチの勃興期にあたり、そのときのデジタルクォーツウォッチは舶来のスイス製時計くらいの値段だったので、当然購入の選択肢にはありませんでした。高校では10人中半分はセイコーかシチズンのクロノをはめていたと思います。その生産の多数を中学高校生の需要でまかなっていたのではないかと思うほどです。さすがに高校の中ではスイス製の腕時計をはめている人間はあまりおらず、わずかにブラスバンドの一年後輩がラドーのごついカットガラスの風防がついた時計をはめていたのしか覚えがありません。当時、国産の普及品腕時計が1万円台で買えたのに同じ機能のスイスの時計が4万円台でしたが、関税や物品税を考えるとレベル的には国産の時計とそう変わりがないはずです。それなのにわざわざ舶来腕時計を買い与える親は相当見栄っ張りなんだと思ってしまいました。しかし、そのセイコーの機械式クロノを使用していた数年間にデジタルウォッチの価格は劇的に低下し、結局4年ほど使用したのちセイコーのサブブランドALBAのデジタルクロノを買って使うようになりました。その数千円台の普及品デジタルウォッチの出現で時計というものは進学などの節目に買って貰う特別なものではなくなり、幼稚園児や小学生が普通にしているものになってしまたのです。そのあたりからスイス製の機械式時計の凋落が決定的になったのではないでしょうか。
 ロレックスやオメガなどと比べて素人目線からもスイスの普及クラスのイメージだったテクノスやラドーは一時は相当幅を利かしたスイス製腕時計ですが、当時からまったく欲しいと思ったことがありませんでした。それから幾星霜、平和堂貿易はテクノスを見限って久しく、ラドーの酒田時計貿易は会社自体がなくなってしまいました。そんな時代に唯一懐かしいのが中学の先生がしていたテクノスの赤いシグナルが点滅する時計です。調べるとボラゾンだと思っていた時計がカイザーという時計の仲間のカイザーシグナルだということがわかり、電気式だと思っていたものが実は機械式の自動巻きで、赤く光っていると思っていたシグナルも赤いローターの間欠回転であったことを知ってしまいました。
 そうなったら中古で程度のいいものをオークションで落として分解掃除に出して現役復帰させようといろいろ見てみるものの、ごついカットガラスが飛び出している関係でカットガラスの角に打ち傷が入ってしまっているものがほとんどでした。まあだらだらと2年ほど出物がないか探していたのですが、今年になって以前人にあげてしまったシチズンのウインドジャックというデジタル式ヨットタイマーを2年前に買い戻した名古屋の業者からパープルグラデーション文字盤のテクノスカイザーシグナルを6800円ほどで落札しました。ここの業者は遺失物関係の払い下げ品から価値のありそうなものを大量にオークションで裁いているような業者です。ジャンク扱いですから当然動作の保障もありませんが、ガラスのエッジに殆ど傷が見当たらない、いうなればあまり使用せずにしまい込まれた様子が伺われ、部品の交換なしに分解掃除だけで完動品になりそうでした。届いたカイザーシグナルは思ったよりもガラスの程度が抜群で、エッジに何箇所か微細な欠けがあるものの、このまま使用してまったく差し支えないレベルです。文字盤は何色かあるなかで一番数が少ないパープルグラデーションで、文字盤にしみもなく、針のメッキにもまったく曇りもありません。ただし、相当以前にそのまましまい込まれてしまったらしく、鎖バンドの駒が固着してしまっており、竜頭も巻くことは出来ますが、引いて時刻を合わせることができません。竜頭を巻き上げると秒針がちゃんと動くため、大きな部品欠損とかはないはずですが、時計の姿勢を変えると止まってしまうようです。どっちみちオーバーホール対象としてそのまま数ヶ月しまいこんでしまいました。中身は多くのスイス時計メーカーがそうであったように自社で作ったものではなく、1978年にETA社に合併したムーブメント専業メーカーのAS(アドルフ・シルト)社のものをそのまま詰め込んだらしいのです。このムーブメントは日付のクイックチェンジはロレックス並みで0時を過ぎるとチッと日付が変わります。竜頭も同様に二段引きで一段目で回して日にちをセットするというようなクィックセットですが、竜頭を引ききったところで秒針が止まるハック機構がありません。機械式の時計の精度などたかが知れていますので、厳密に合わせる意味がなかった時代かもしれませんが、今となっては違和感があります。また同世代の日本製ムーブメントが竜頭のプッシュで日付の曜日も、そして曜日は日英が切り替えられるのが当たり前だった当時と比べても見劣りがするものです。しばらく放り出してしまったテクノスカイザーシグナルですが、ふと思い出して手動で竜頭をいっぱいに巻き上げると姿勢に関係なく止まらない動くようになりました。さらに竜頭も引くことが出来るようになりましたが日付のクイックセットが出来ません。しかし時刻は合わせられるようになり日付のクイックチェンジも快調なので、日付が変わったところで4時間戻してまた0時で日付が変われば4時間戻すということを繰り返して日付も合わせました。こうなったら実用上差し支えがないので分解掃除に出さずにこのまま様子を見ることにします。しかし、昔の機械は部品取りが最低1点ほどないと部品の食い合わせなどが心配で、最近3600円でブルーグラデーションでガラスの傷もまだ我慢できるコンディションのカイザーシグナルを入手。こちらはシグナルのローターが全回転しておらず、さらにカレンダーがまったくチェンジしないというジャンクでしたが、竜頭の一段引きでちゃんと日付が早送りできて時計としても機能しているというものです。蓋を開けると20数年前の分解掃除を示す年号がマジック書きされていましたが、あんまりこのメカを知らない時計屋がこのシグナルローターの組み立てを間違えて基部のギアもろともローター回転不良とカレンダー不良を来しているのかもしれません。

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May 29, 2013

初代SONYウォークマンTPS-L2の時代

130529_065410  30数年前、というと昭和54年の冬のことでしたが、当方珍しく明確な目的があって出入りしていたガンアクセサリー店で社長に頼み込んで冬休みのアルバイトをさせてもらっていました。確か時給400円で昼間の12時から夜の20時まで店頭に立っていたのですが、その目的というのはちょうど注目され始めていたSONYの初代ウォークマンTPS-L2の購入資金を稼ぎ出すためです。確か12月のクリスマスも近づいた金曜日の夜の事だったと思いましたが、黒い革ジャンを着た長髪でちょっと狐目ぎみの人がスミスアンドウエッソンのNフレーム用のグリップを買いにふらりと来店しました。顔を見たときにただのガンマニアではなく、すぐに漫画家の秋本治氏とわかりましたが、別に本人が名乗ったわけではありませんでしたので、普通のお客として対応しました。当時、Nフレームのグリップはスタンダードなウォールナット材の他に縞の美しいゴンカロとかいうゼブラウッド材のものと製造終了された赤っぽいローズウッド材の3種類が置いてあったのですが、ローズウッド材のNフレグリップは数が少なく一番高い値段が付いてました。もちろん輸入の際は当時の通産省から武器部品として93類だったか96類だっかたの輸入割当を取り、さらにアメリカではココム対象外の銃器部品輸出としてアメリカ政府の輸出承認を受けるという複雑な輸入制度を経て時間を掛け正規輸入されたものです。秋本先生はウォールナットとゼブラウッドの2種類のグリップを買うつもりで来たのでしたが、3個残っていたローズウッドのグリップがどうしても欲しくなり、さりとてゼブラウッドとローズウッドのグリップを買ってしまうと43,000円のところ40,000円しか手持ちがなく、どうしようかしばらく思案していたのですが、社長の特別な計らいで3,000円ディスカウントしてもらい、喜んで2つのNフレグリップを大事そうに持ち帰りました。しかしどうやって電車に乗って帰ったのかは知りません(笑)それ以来しばらく社長に「亀有公園前にグリップを売りつけた男」なんて言われ続けていたのです。
 あけて昭和55年の新年に晴れて初代ウォークマンTPS-L2の購入を試みますが、ちょうどその頃流行に火が着き、秋葉原の量販店では予約しても1ヶ月以上は掛かるという店や予約受付自体現在は受け付けていないという店ばかりでした。ところが蛇の道は蛇で、ソニー製品しか扱わないSAMという店が新宿にあり、そこだと定価販売だが品物が割と頻繁に入荷するのでさほど待たなくても確実に手に入るという情報を「AVはソニーしか買わないソニーマニア」の友人より入手し、その新宿のSAMで予約を入れると2週間くらいで入荷するとのこと。実際は10日で品物入荷案内をはがきでもらいました。定価の33,000円を払って初代ウォークマンのオーナーとなったのですが、当時住んでいた学生寮でもヘッドホンステレオプレーヤーは第一号で、そもそもみなエアチェックのためにチューナーとカセットデッキを競争して買い求めていた時代だったため、録音の出来ないカセットプレーヤー自体、まだまだ注目されていなかった時期でした。さらに生産数がちっとも増えないためか、電車に乗ってもヘッドフォンを掛けている人間が一両に一人いるかいないかの状態で、その後半年ぐらいでヘッドホンを掛け、周りにシャカシャカ音を漏らしている人間が急に増えだしました。ストラップ付きのビニールケースで肩から吊して歩くスタイルというのは今では考えられないダサさでしょうけど、ウォークマンのヘッドフォンを掛けてローラースケートだとかスケートボードに乗っているスタイルというのはまさに夢のアメリカ西海岸でした(と当時の誰もが思っていた)。
 寮でも人気でしばしばいろんな人間に借り出されましたが、電池代に耐えかねてニッカドのバッテリーと充電器を購入。しかし、ニッカドでは1時間弱しか持たないので、ストラップに附属していたカセット2本が入るビニールケースの蓋に予備電池が2本は必ず仕込んで町に出ました。本体のビニールケースはカセットを出し入れするフラップ部分がスナップボタン留めでしたが、このスナップボタンの部分が何回か使用しているとちぎれてしまい、後でケースだけ注文したらフラップのない新しいタイプに変わってしまいました。また本体のカセットを入れる蓋も透明の窓の部分をぶつけてひびが入ってしまったために、部品で新しいものを取り寄せたら「WALKMAN」のロゴが入った新しいものになり、買った当初は初期量産形のTPS-L2だったのに部品交換で見かけが後期形に変わってしまいました。初代ウォークマンは、まだまだポータブルのステレオプレーヤーの機能面が試行錯誤の時代だったからか、ヘッドホンを掛け合った2人の会話のため、外部の音をマイクで拾ってヘッドホンに流すという回路が内蔵されており、一人で使うときは外の音を聞こうと思ったらヘッドホンを外すか音を下げるればいいわけで、当方とて、こんな回路が便利だと思ったことは一度もありません。当初、ソニーでもさほど売れると思っていなかったのか、金型代のかかるプラの成形部品が外装にまったく使われておらず、プレスマンというポータブルレコーダーの金属プレス製ボディが利用されています。その部品構成の複雑さが量産化のネックになっていたのかもしれません。ヘッドホンのコードが長く、常に輪ゴムで止めておかないと邪魔でしかたがありませんでした。ヘッドホンのジャックが2つ付いていて、2人で音楽を聴けるというのが売りでしたが、女の子とデートするためだけにヘッドホンをもう一本買う余裕など当時はまったくなく、デートの時は女の子にヘッドホンを譲るということが常だったので、ヘッドホンジャック2個の恩恵にはまったくあずかっていません。ヘッドホンは初代のイヤーパッドがバラバラになったころに2代目ウォークマン用ヘッドホンに買い換え、クリップ付きのアッテネーターボタンなんか結構重宝しましたが、そろそろヘッドホンを掛けて歩くのがダサくなったころに巻き取りケースの附属したnudeとかいうステレオイアホンを購入し、平成に年号が変わる頃までかなりの長期間使用していました。しかし、そろそろポータブルのCDプレーヤーの値段が手頃になり、CDプレーヤーを買ったと同時に引退させました。そもそもオートバイや車での移動がメインになり、電車にさほど乗らなくなったためにトータルでの使用時間の大半は学生時代がほとんどでしたが。
 4年目くらいのときにテープ再生中、突然テープの走行が止まり、後日ソニーのサービスセンターに修理に出すことになり、ベルト切れで交換とのことで部品代120円に工賃が3000円くらいかかったような。その後3年くらいでまたベルト切れを起こし、このときは部品代200円に工賃4000円くらい取られたのに懲りて、駆動ベルトを部品で3袋ストックしてあったはずなんですが、引越しの荷物にまぎれて今やどこにいったのかわかりません。本体はこっちへ帰ってくるまでちゃんと動いていたのですが、いつのまにかの3度目のベルト切れで、現在はオブジェと化しています。
 ヘッドホンステレオプレーヤーという商品が市場に認知され、初代ウォークマンの大ヒットを横目に見ながらオーディオ各社もそれに追随して新製品を翌年の昭和55年あたりから市場に投入しはじめましたが、そのウォークマンの対抗馬第一号がパナソニックのヘッドホンステレオだったと記憶してます。確か新宿の山手線ホームなんかにでかでかとポスターが掲示されていたのを知っているだけで現物を触ったことはありませんが、肩から掛けて歩くような小さいものではなく、キャリングハンドルで持ち歩くような四角い箱でした。単二電池を4本収納して長時間再生可能をうたい文句にしていたようでしたが、ウォークマンの商品コンセプトと比べてみるとコンサイスコンポのデッキを流用した、ウォークマンの対抗馬としては間に合わせ以外の何物でもない噴飯物で、当然のことにまったく売れず、これを手持でヘッドホンを掛けて音楽を聴きながら歩いている姿は一度しか見たことがありません。名前もまったく記憶になかったのですが、たまたまTechnicsのRS-M1、通称コ・デッキという商品だったことがわかりました。SONY TPS-L2のホットラインをまねして、テープのPOSEボタンを押すと内蔵マイクから外部の音を拾ってヘッドホンの回路に流していたらしいです。世の中に出ている数が少ないだけに、今ならこちらのほうがマニアには珍重されるかもしれません。AIWAの録音機能が付いたヘッドホンスレレオである初代カセットボーイTP-S30が出たのは初代ウォークマン発売から1年半くらい後だったと記憶してますが、こちらは録音機能付きで、SONYより割引率が高かった為実売価格はウォークマンと拮抗し、けっこう売れたようで町でもよく腰に着けられている姿を見ました。しかし、録音といっても内蔵のマイクでは所詮「モノラル」だったため、この録音機能を有効に活用したユーザーは少なかったのではないでしょうか。その頃、SONYではTPS-L2のモデルチェンジ版で小型化されたWM-2が発売され、友人の間ではこのWM-2が初めてのヘッドホンステレオのオーナーになった者が多かったような。しかし、当時からなぜかWM-2よりもTPS-L2のほうが音が良いということを言う人が多かったような気がしますが、実際はどうだったのでしょう?
 ところで、TPS-L2を買った新宿のSAMから半年くらい経ってから突然はがきが舞い込み、なにかと思ったらFMラジオ専用ウォークマンのSRF-40が発売されるという宣伝はがきで、店で独自に刷ったものではなく宣伝部材としてくSONYから特約店に配られたものでした。ヘッドホン専用FMラジオで、ヘッドホンはTPS-L2のものを流用すればよしとのことで、別売り。価格はそれでも1万円以上するラジオとしては高価なもので、西海岸じゃあるまいしFMラジオをヘッドホンで聴きながらジョギングするなどというライフスタイルには当時の日本じゃ程遠く、地方ではまだFM局がNHKしかないという県もまだまだ多かったために。またヘッドホンがなければ音も出ないこのSRF-40はTPS-L2を持っていることが前提の商品だったため、さっぱり売れなかったようです。ちょっとはいいなと思いましたが、売れないだろうということははがきを見た瞬間に予想できたことでした。そののちカセット型のFMチューナーパックや本体にラジオを内蔵するヘッドホンステレオが出るに至ってラジオウォークマンという存在はまったく省みられない存在になってしまったのです。


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May 16, 2013

PILOT製図用ダブルノックシャープ(H-2003)

130516_091034  当方、文房具収集という趣味はまったく持ち合わせていないのですが、たまたまずっと使ってきたPILOTのシャープペンシル(H-2003?後年のハイメカホルダー)がけっこう文房具マニアの間では人気だということを最近知りました。購入したのは昭和48年ごろなので、すでに40年程前。当時文房具の世界では新商品開発の黄金期を迎えており、鉛筆などは三菱ハイユニを初めとする超高級鉛筆が子供たちの購買意欲を刺激し、筆箱はマグネット式のロックがついたやつ(買ってもらえませんでしたが)を持っているやつはそれだけでもヒーローで、シャープペンシルも繰り出し式0.9mmからノック式の0.5mmが主流になり、さらに芯を出すシステムがエンドキャップを押すだけではなく、横に付いたノックボタンを押すサイドノックタイプや本体が真ん中から折れ曲がり、これをくねくねと折り曲げると芯が出てくるものなどもあったと思います。鉛筆なんかも軸が木ではなく、スチロール系のやわらかいプラスチック製なんていうものもありました。
 そんな時代にハイユニさえ3本しか買えなかった当方がどういう手段で何処で購入したのかもまったくおぼえていませんが、当時普通のシャープペンシルがたかだか500円くらいの時代に2000円を出して買ったシャープペンがこいつなんです。のちにハイメカホルダーという名前に変わったようですが、当時は特に愛称もなく本体にPILOT 0.3 HOLDERとしか刻まれていません。製図用のシャープペンだということはあまり気にしてはいませんでしたが、ダブルノックで0.3mmというのがなんとも独創的で、結局はほかの人間が持っていないということが買う決め手になったと思いました。ところが筆記用にはまったく適さず、というのも当時は黄色っぽい更紙にガリ版刷りという答案が使用されており、更紙に0.3mmのシャープペンを走らせると繊維に引っかかってすぐに芯が折れてしまい、非常に使いにくいものであったことと、0.5mmの芯が平均で200円ほどだったのに比べて0.3mmの芯は本数が少ないのに300円もするうえ、よく折れて消耗するというランニングコストの高さ、さらに当方の買ったシャープはあたりが出ていなかったためか、ダブルノックの芯だけを繰り出す仕掛けがうまく動かず、芯を出そうとちょっと余計にノックしたら先端ごと引っ込んでしまったなど、あんまりいい印象を持てず主力級にはなりませんでした。それで普段使いは専らPILOTの何の変哲もないノック式500円程度の0.5mmシャープになってしまったのですが、そのおかげか今の今まで残ってしまったのです。それもどこかにしまいこまれたまま忘れ去られたわけではなく、常に当方の身の回りに存在し、高校大学さらに職場の机の鉛筆立ての中にまであって40年の時代を共有してきたわけですが、今も手を伸ばせばすぐに取る事が出来る自室の鉛筆立ての中にあります。しかし、不思議にその存在というのを意識したことはまったくありませんでした。考えてみれば、製図という作業にはまったく携わらなかったために、結局は0.3mmのシャープペンというのを買ったのはそのとき一度限りでした。いまではとっくにあたりが出てダブルノックの調子はすこぶる快調ですし、芯の濃度表示なんかはとっくの昔に消えうせて今ではなんらインジケーターの役目などはたしていません。でもまあ、非文房具コレクターにしてみると、なんでそこまでこいつを欲しがるのか、よくわからないものが…。「いいものが一点あれば事足りる」なんていうと計算尺の収集自体を自己否定してしまいます(笑)でも計算尺は同じ文房具屋の扱いながら、当方にとってはあくまでも研究材料ですから。

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